2023年4月8日 有明アリーナ
コミッション:JBC
プロモーター:本田明彦(帝拳プロモーション)
放送:アマゾンプライム
【セミファイナル?】
4月8日までの時限シリーズのキックオフです。
最近ではダントツに「お手並み拝見」な試合です。
「落ちぶれたボクサーがキックに流れ着く」のではなく「キックのスーパースターが鳴物入りでボクシングのリングに乗り込む」という、下剋上ストーリーです。
ボクシングの世界王者を大きく凌ぐ大舞台を経験してきた那須川天心は、今回のプロテストからデビュー戦決定について「(一般ニュースで全部の局が)取り上げてくれた」と語りました。
「ボクシングの方がキックより上とか、キックの方が上とか、そんな感情は一切ない」と明言し続けてきた天心ですが、この二つの競技の日本における社会的地位の格差を実感したのではないでしょうか。
ただし、ボクシングでも世界戦の結果が全局で報道されることは極めて稀で、試合前報道となるとまずあり得ません。ましてや、デビュー戦です。
天心だから、ここまで注目されているのです。
村田諒太のプロテストとデビュー戦も大騒ぎでしたが、あの人は五輪でミドル級の金メダルを獲ったからです。プロボクシングの世界王者よりも価値が高い黄金の通行手形を持って、プロのリングに挑戦してきたからです。
村田のプロ転向は〝上流〟から〝下流〟に、自然の流れの中で大騒ぎになったのです。
しかし、天心はキックボクシングという社会的な〝下流〟から、自然の摂理に反して〝上流〟に逆流してきて大騒ぎを起こしているのです。
天心は「ボクシングからの果たし状」と表現しましたが、間違ってます。これは、彼からアクションを起こした「道場破り」です。
既存のヒエラルキーを破壊しようとする下剋上です。
面白すぎます。
さて、まずは与那覇勇気からです。
日本バンタム級4位、12勝8KO4敗1分の32歳。右のストレート、アッパーを思いっきり打ち込んでくるプレッシャー・ファイターです。
直近の試合は昨年10月。南出仁との日本バンタム級王座への挑戦権を賭けた8回戦でしたが、3−0の判定負け。
南出仁、そうです。天心のプロテストの相手をつとめた南出です。南出を共通辺に三段論法を語ると、与那覇に勝ち目はありません。
もちろん、三段論法でなくても与那覇のスタイルは天心にとってはオーダーメイド。沖縄の好漢が開始ゴングと同時に勝負を仕掛けて、天心が衝撃的なデビュー戦を飾っても何の驚きもありません。
試合予想はさておき、与那覇が「伝説の指導者・金城眞吉が育てた最後の王者」という報道をいくつか目にしました。
与那覇は父の知り合いだった縁から金城眞吉(1944年10月16日 - 2017年11月16日)から誘われ、沖縄尚学高校でボクシングを始めました。そして、3年のときに全国選抜大会優勝。
その伝説の金城は高校・大学でフェザー級ボクサーとして活躍。配属先は那覇市消防本部に勤めながら、夫婦で興南高校でボクシング部を創設、指導者としてのスタートを切ります。
ボクシング部といっても、放課後に教室の椅子や机を片付けて、そこをリングに見立てて練習を重ねるというものでした。
そんな何もない場所からボクシング王国・沖縄を作り上げたのです。
具志堅用高や渡久地隆人らを指導する一方で、他校の上原勝栄・康恒、浜田剛史や新垣諭、平仲昭信・信敏も教え、「来るものは拒まず」の姿勢を貫いたボーダレスな指導者が金城でした。
さらに、2011年から東洋大学でも非常勤ながら村田諒太らを指導、具志堅の依頼を受けて比嘉大吾を教えるなど、中央でも有名な指導者でした。
伝説に溢れた生涯でしたが、個人的に大好きなエピソードは、これと見込んだ才能は冷たく突き放すという性格です。
そんな才能には、勝っても負けても「勘違いするな」と、決して褒めることも、慰めることもしなかったといいます。
勝って喜ぶと「勘違いするな。お前が強いんじゃない。相手が弱いんだ」と水を差しました。負けてがっかりしていると「勘違いするな。相手が強いんじゃない。お前が弱いんだ」と追い打ちをかけました。
果たして、与那覇はその言葉をかけられたのか?
少し探すと、すぐに見つかりました。
「金城監督には感謝している。勝てば『おまえが強いんじゃなく、相手が弱い』。負けると『相手が強いんじゃない。お前が弱いんだ』。僕は調子に乗りやすいから、金城監督がそう注意してくれたんだろうと思う。プロになってもこれは、魔法の言葉、大切にしている」。
おそらく、金城監督は与那覇の性格をわかったからだけで、突き放すようなその言葉をかけたのではないでしょう。間違いなく〝これと見込んだ〟のです。
那須川天心のデビュー戦。その相手として、与那覇勇気ほどの適任はあり得ません。






