階級が上の絶対王者に、アンダードッグが挑戦する。
歴史上、最も注目されたのは1985年9月21日に「ライトヘビー級王者はヘビー級王者になれない」というジンクスを打ち破り、ラリー・ホームズの〝ロッキー・マルシアノ越え〟を阻んだマイケル・スピンクスでしょう。
現代でも、クルーザー級から巨人狩りに成功したオレクサンデル・ウシクのように、ヘビー級を攻め落とすダビデにはいつもロマンティックな香りが漂っています。
また、1974年2月9日にホセ・ナポレスがカルロス・モンソンに挑戦してから数多くの名勝負を生み出してきた「ウエルター級vsミドル級」は、この物語の定番になっています。
しかし、それは欧米の人気階級だけではなくライト(軽量)級未満のクラスでも繰り広げられてきたことを、私たちはよく知っています。
柳明祐は、2021年にリング誌が振り返ったジュニアフライ級の歴代PFP⬆︎でトップ5は逃すも6位評価。それでも、過小評価です。マイケル・カルバハルとウンベルト・ゴンサレスが過大評価なのは、米国のリング誌ゆえに仕方なし?
当時の韓国はボクシング黄金時代。そして柳は36戦全勝14KO、タイトルを17連続防衛中のPFPファイター。あのときの柳はアジア最高のPFPファイターでした。
そして、日本人にとっては鬼門中の鬼門。喜友名朝博、小見山カツミ、大鵬健文、徳島尚と4人の日本人の挑戦はいずれもKOで撃破されてしまいました。
柳はキャリア初のアウエーのリングでしたが、韓国人ファイターにとって日本のエースを敵地で攻め落とすことは最高の栄光。彼がリングの中でやり残したことがあるとしたら、日本に乗り込んで井岡を破壊することだけでした。 ※「当時の日本のエースを一人選べ」となると辰吉丈一郎でしたが、井岡の人気はそれに次ぐものでした。あらためて考えると、大阪に人気者が二人もいたのです。
そして、それは素晴らしいキャリアを積み上げてきた偉大な柳にとって、ローリスク・ハイリターンの美味しいご褒美に見えました。
井岡は名匠エディ・タウンゼントとの〝少年と老人〟のコンビで快進撃。19歳9ヶ月と10日でWBCストロー級のストラップを勝ち獲り、ファイティング原田の最年少記録を更新。初防衛戦で李敬淵との激闘を最終回TKOで勝利、その報を聞いてエディが息を引き取るという伝説の主人公でした。
しかし、ナパ・キャットワンチャイとの再戦で初黒星を喫して王座から陥落。このナパとの初戦では最終回に大ピンチで〝30秒前の疑惑のゴング〟が打ち鳴らされてからは、汚れた英雄のイメージが増幅していました。そして、3戦目は無残なTKO負け。
後年の亀田ほどではありませんが、ボクシングへの不信感を募らせてしまった井岡に贖罪のチャンスがあるとしたら…誰もが認める強豪と戦い、勝つことしかありませんでした。
亀田興毅は口にも出しませんでしたが、もし同時代に同じバンタム級で戦っていたノニト・ドネアを選んでいたら、その結果にかかわらず彼を評価するファンは少なくなかったはずです。もし、勝利していたら…亀田家の評価は全く違う種類のものになっていたでしょう。

井岡は柳より5歳若い、まだ22歳ながら凡庸なナパに惨敗した終わったボクサー。井岡は、多くの人からそう考えられていたのです。
戦前のボクシング・マガジンは「井岡vs柳」ではなく「辰吉丈一郎に〝26〟の質問」というバラエティ企画を大きく取り上げていました。
大方の予想は「井岡はスピードと強いハートで終盤まで耐えるだろう」。それは、勝利はあり得ないが頑張って欲しいという悲痛な願いにしか聞こえませんでした。
とはいえ、グリーンツダジムは出来る限りのサポートをやり尽くしていました。減量苦が伝えられる王者に対して、当時定着しつつあった前日計量ではなく、当日計量を押し切ったのはその最たる成果でした。
𝓣𝓱𝓮 𝓛𝓮𝓼𝓼𝓸𝓷 𝓪𝓫𝓸𝓾𝓽 𝓽𝓱𝓮𝓲𝓻 𝓛𝓮𝓪𝓹𝓼
ーーーあのときの柳と井岡は、いまの井上とバムに小さな近似も認められます。
バムは下の階級から上の階級の絶対王者を狙う挑戦者ですが、初めてアウエーのリングに上がる点では柳と同じ。
下の階級から乗り込む井岡の方が体格で柳を上回ったように、バムと井上は体格こそほとんど変わらないものの、最初にタイトルを獲ったのは井上がジュニアフライ級でバムはジュニアバンタム級。
もちろん、大きな違いは「時代」だけではありません。
いまの井上は当時の柳よりも評価が高く、バムもまた井岡とは違いPFPファイターで無敗。そして、最も乖離しているのは、予想とオッズがはるかに拮抗するということです。
歴史上、最も注目されたのは1985年9月21日に「ライトヘビー級王者はヘビー級王者になれない」というジンクスを打ち破り、ラリー・ホームズの〝ロッキー・マルシアノ越え〟を阻んだマイケル・スピンクスでしょう。
現代でも、クルーザー級から巨人狩りに成功したオレクサンデル・ウシクのように、ヘビー級を攻め落とすダビデにはいつもロマンティックな香りが漂っています。
また、1974年2月9日にホセ・ナポレスがカルロス・モンソンに挑戦してから数多くの名勝負を生み出してきた「ウエルター級vsミドル級」は、この物語の定番になっています。
しかし、それは欧米の人気階級だけではなくライト(軽量)級未満のクラスでも繰り広げられてきたことを、私たちはよく知っています。
Tuesday, 17 December 1991
Prefectural Gymnasium Osaka
commission:Japan Boxing Commission
promoter:Hiroaki Tsuda (Green Tsuda Promotions)
◾️WBAジュニアフライ級12回戦◾️
©︎柳明佑 vs 井岡弘樹
日本人が現役の(1990年にリング誌でスタートしたPFP10傑に入る)PFPファイターに勝利したことは、今年5月の井上尚弥が中谷潤人に勝利した試合を除くと、わずか一つのサンプルしかありません。
1990年以前もPFPがあったなら、ファイティング原田が2試合を戦ったエデル・ジョフレは初戦なら間違いなくPFP1位、再戦では原田が1位でジョフレが2位のワンツー決戦だった可能性もありますが、当時はPFPランキングはありませんでした。
リング誌のPFPランキングにどれほどの意味があるかはさておき、PFPに数えられる外国人ファイターに勝ったとなると、井岡弘樹の柳明佑だけなのです。
柳は、日本ではいまなおファイティング原田しかいないモダンクラスでのちに殿堂入りする専門家評価が頭抜けて高いコリアンファイターです。
「井岡に勝ち目はない」。誰もがそう考えていました…。
1990年以前もPFPがあったなら、ファイティング原田が2試合を戦ったエデル・ジョフレは初戦なら間違いなくPFP1位、再戦では原田が1位でジョフレが2位のワンツー決戦だった可能性もありますが、当時はPFPランキングはありませんでした。
リング誌のPFPランキングにどれほどの意味があるかはさておき、PFPに数えられる外国人ファイターに勝ったとなると、井岡弘樹の柳明佑だけなのです。
柳は、日本ではいまなおファイティング原田しかいないモダンクラスでのちに殿堂入りする専門家評価が頭抜けて高いコリアンファイターです。
「井岡に勝ち目はない」。誰もがそう考えていました…。
柳明祐は、2021年にリング誌が振り返ったジュニアフライ級の歴代PFP⬆︎でトップ5は逃すも6位評価。それでも、過小評価です。マイケル・カルバハルとウンベルト・ゴンサレスが過大評価なのは、米国のリング誌ゆえに仕方なし?
当時の韓国はボクシング黄金時代。そして柳は36戦全勝14KO、タイトルを17連続防衛中のPFPファイター。あのときの柳はアジア最高のPFPファイターでした。
そして、日本人にとっては鬼門中の鬼門。喜友名朝博、小見山カツミ、大鵬健文、徳島尚と4人の日本人の挑戦はいずれもKOで撃破されてしまいました。
柳はキャリア初のアウエーのリングでしたが、韓国人ファイターにとって日本のエースを敵地で攻め落とすことは最高の栄光。彼がリングの中でやり残したことがあるとしたら、日本に乗り込んで井岡を破壊することだけでした。 ※「当時の日本のエースを一人選べ」となると辰吉丈一郎でしたが、井岡の人気はそれに次ぐものでした。あらためて考えると、大阪に人気者が二人もいたのです。
そして、それは素晴らしいキャリアを積み上げてきた偉大な柳にとって、ローリスク・ハイリターンの美味しいご褒美に見えました。
井岡は名匠エディ・タウンゼントとの〝少年と老人〟のコンビで快進撃。19歳9ヶ月と10日でWBCストロー級のストラップを勝ち獲り、ファイティング原田の最年少記録を更新。初防衛戦で李敬淵との激闘を最終回TKOで勝利、その報を聞いてエディが息を引き取るという伝説の主人公でした。
しかし、ナパ・キャットワンチャイとの再戦で初黒星を喫して王座から陥落。このナパとの初戦では最終回に大ピンチで〝30秒前の疑惑のゴング〟が打ち鳴らされてからは、汚れた英雄のイメージが増幅していました。そして、3戦目は無残なTKO負け。
後年の亀田ほどではありませんが、ボクシングへの不信感を募らせてしまった井岡に贖罪のチャンスがあるとしたら…誰もが認める強豪と戦い、勝つことしかありませんでした。
亀田興毅は口にも出しませんでしたが、もし同時代に同じバンタム級で戦っていたノニト・ドネアを選んでいたら、その結果にかかわらず彼を評価するファンは少なくなかったはずです。もし、勝利していたら…亀田家の評価は全く違う種類のものになっていたでしょう。

井岡は柳より5歳若い、まだ22歳ながら凡庸なナパに惨敗した終わったボクサー。井岡は、多くの人からそう考えられていたのです。
戦前のボクシング・マガジンは「井岡vs柳」ではなく「辰吉丈一郎に〝26〟の質問」というバラエティ企画を大きく取り上げていました。
大方の予想は「井岡はスピードと強いハートで終盤まで耐えるだろう」。それは、勝利はあり得ないが頑張って欲しいという悲痛な願いにしか聞こえませんでした。
とはいえ、グリーンツダジムは出来る限りのサポートをやり尽くしていました。減量苦が伝えられる王者に対して、当時定着しつつあった前日計量ではなく、当日計量を押し切ったのはその最たる成果でした。
𝓣𝓱𝓮 𝓛𝓮𝓼𝓼𝓸𝓷 𝓪𝓫𝓸𝓾𝓽 𝓽𝓱𝓮𝓲𝓻 𝓛𝓮𝓪𝓹𝓼
ーーーあのときの柳と井岡は、いまの井上とバムに小さな近似も認められます。
PFPファイターで絶対王者と見られている井上は、当時の柳にオーバーラップします。
バムは下の階級から上の階級の絶対王者を狙う挑戦者ですが、初めてアウエーのリングに上がる点では柳と同じ。
下の階級から乗り込む井岡の方が体格で柳を上回ったように、バムと井上は体格こそほとんど変わらないものの、最初にタイトルを獲ったのは井上がジュニアフライ級でバムはジュニアバンタム級。
もちろん、大きな違いは「時代」だけではありません。
いまの井上は当時の柳よりも評価が高く、バムもまた井岡とは違いPFPファイターで無敗。そして、最も乖離しているのは、予想とオッズがはるかに拮抗するということです。










