カテゴリ: 軽量級のメガファイト

It's ON!?

Undisputed Junior-Feather weight
Championship

「3月までにやんねぇなら、もうやんね」(井上尚弥)



両者の対戦交渉は「東京開催で3月」に向け、大筋合意しているとされています。

そもそも、バムが熱望したこの試合。

まず、具体化に乗り出したのは、サウジアラビア総合娯楽庁のトゥルキ・アルラシク長官でした。ビッグファイトの障壁になるのは、結局はファイトマネー。サウジが乗り出した時点で、契約成立までトントン拍子で進むと思われましたが…。

𝕱𝖎𝖓𝖆𝖓𝖈𝖎𝖆𝖑 𝕯𝖎𝖋𝖋𝖎𝖈𝖚𝖑𝖙𝖎𝖊𝖘 𝖎𝖓 𝕾𝖆𝖚𝖉𝖎 𝕭𝖔𝖝𝖎𝖓𝖌 

サウジアラビアがボクシング投資を大幅に見直し


しかし、これまで採算度外視でボクシングに投資してきた姿勢は「経済的にももちろん、国際的な反響やサウジのイメージなども含めてあまりにもメリットがなかった」と、緊縮に大きく方向転換してしまいます。

「ボクシングファンが見たいカードをPPVなどの追加課金なしで提供する」と、DAZNの参入時と同じお題目を唱えますが、これを可能とするのは商売度外視の出資が大前提。

今年5月の中谷潤人戦直後の長官は「リヤドではなく東京開催」と、大赤字になるリヤドを敬遠する発言をしていたものの前向きな姿勢を崩していませんでした。しかし、6月に入ると「サウジアラビア側が交渉のテーブルから離れた」(マッチルーム)ことで、交渉は完全に行き詰まります。

米国では大きな需要のない軽量級。バムがメインイベンターでは、1万人の観客も集めることができません。ましてや、バンタム級がメインのPPVなど誰も勝ってくれません。バムの報酬はほぼ全ての試合で100万ドル未満でしょう。

「開催地・東京」は当然です。

それでも、軽量級としては別格の存在感があるバムが敵地に赴いて危険な大勝負を希望するのは井上の高い世界評価と、キャリア最高の報酬を求めてのこと。

しかし、サウジの緊縮で「キャリア最高の報酬」が期待値から大きく引き下げられてしまうことになります。

Financial Difficulties in Saudi Boxing(サウジの緊縮)は、身の丈以上の報酬に浴した、あるいはこれから恩恵を受けられるかもしれないと期待していたボクサーにとって大激震です。

バム陣営も、サウジが最後に大盤振る舞いする12月11日のタイソン・フューリーvsアンソニー・ジョシュアの前座に滑り込めるよう努力を重ねてきましたが、「緊縮」と「米国以上に軽量級への関心が低い英国」では破格の報酬はありえません。

バンタム級といえば、日本で井上尚弥と戦い50万ドルの報酬を得たポール・バトラーが「私の戦い方を恥だと非難する奴がいるが、英国ではほとんど誰も見ていないのだから恥もクソもない。職業として成立しにくいバンタム級で私のような金額を手にした選手が1人でもいるなら教えてくれ」と開き直りました。

ジュニアバンタム級で活躍したカリド・ヤファイも「同じ職業のはずなのに格差が酷すぎる。私がミドル級なら住む家も乗る車も、何もかもが変わっていた」と嘆いていました。

米国だけでなく、英国でもライト(軽量)級未満の超軽量級の扱いは悲惨です。

サウジの後ろ盾が無くなれば、身の丈を超えた報酬も無し。ジュニアフェザー級の井上戦まで時間がないのに、わざわざバンタム級で時間を潰すのは無駄です。

一方で、軽量級でも大きな報酬が約束される日本人の井上にとって「12月にバンタム級で試合がしたいから(当初言われていた1月の激突は)ちょっと待って」「英国のメガイベントで一稼ぎしたら、そこからジュニアフェザー級に合わせてキャンプするから」なんて、「そっちの都合で何ゆうとんねん!」です。

現在26歳のバムにとってあと10年キャリアを積んでも「ファイトマネー」と「レガシー(評価)」の二つの意味で、井上戦はキャリア最高、一世一代の大チャンスです。

しかし、井上にとってはファイトマネーでは中谷戦以下は確実。唯一の動機付けであるレガシーでも中谷戦よりも少し上。

とはいえ、レガシーにこだわるなら井上にとってもバムは間違いなくキャリア最高の相手。この試合に勝利すると、来年のFighter Of The Yearの最有力候補。2023年に続くFOTY受賞は、現在でも「may be(おそらく)」という表現が使われることがある一発殿堂入りに、あらゆるメディアが「concrete(確実)」と太鼓判を捺すはず。

そして、レガシーという点で大きく劣るフェザー級のラファエル・エスピノサらは、リスクではバム以上かもしれませんから、様々な意味でバム戦は井上にとってもスキップしたくないはず。

今回の交渉で井上の代理人をつとめるジョン・ルイスの「バムとおなじように井上も対戦を求めている」という言葉がリング誌から伝えられているように、井上の〝待ってられない〟という言動は「やってやるから早くしろ」というポーズでしょう。



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It's ON!?

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ジュニアフェザー級のUndisputed champion 井上尚弥と、ジェシー〝BAM〟ロドリゲスのビッグファイトが「3月に東京」で契約成立に近づいているようです。

サウジアラビアが巨額の資金を投じるイベントとしては最後になると噂されている、12月11日英国・カーディフのプリンシパリティ・スタジアムで開催されるタイソン・フューリーvsアンソニー・ジョシュアをメインとする史上最大のメガファイト。

興行規模はフロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオを超えると見られている〝最後の晩餐〟にはアンダーカードに多くのファイターが〝立候補〟しています。シャクール・スティーブンソンやバムらもその1人でしたが、トゥルキ・アルラシク長官の「(商品価値の低い)前座選手に1000万ドルを用意することはもうない」と断言。

〝最後の晩餐〟で供されるのが豪華な料理でないことを理解したスティーブンソンは、わずか3ヶ月、1試合も戦わずにズッファ・ボクシングとの契約を解除。井上戦の前に一儲けを企んでいたバム陣営も、破格の条件でないなら出場しない見通しです。

日本では「井上と戦うのにはもう1試合挟みたいのだろう」「バムは井上と戦う気がない」という声も聞かれましたが、調整試合が必要なら、それはジュニアフェザー級になるはずです。クリスチャン・メディナとのバンタム級戦では、122ポンドへの準備が遅れてしまいます。

「戦う気がない」というのも、これまでのバムや陣営、エディ・ハーンの発言を振り返ると見当違いでしょう。

バムがメディナ戦にこだわったのは「団体統一戦」を看板にして〝最後の晩餐〟の前座に参加したいという思いからでした。それが消滅すると、122ポンドへの準備期間が長く取れることになります。

12月11日に118ポンドで戦って、そこから122ポンドへの準備を始めるのと、今からではかなり違うでしょう。

正式発表は、明後日か?


英国のブックメーカー、スカイベットがオッズを出しました。

井上が2/7(1.29倍)、バムが3/1(4倍)。ここから数字は接近していくはずです。


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Weight-Classes_87_boxのコピー
試合当日に王者が体調不良で中止。

亀田和毅にとってフェザー級への2度目のアタックは、思いもよらない形で消滅してしまいました。

10月19日に、WBAは空位になったタイトルについて「上位コンテンダーと和毅を最優先に考える」会議を開催するとしていましたが、まだ何の発表もありません。

WBA的には「1位のミルコ・クエジョと2位の中野幹士とによる決定戦を行い、和毅は書類手続きによる暫定王者に認定」と承認料3人分いただき、ベルトも3本お買い上げ、毎度ありがとうございまたー!!!なのがベストなんでしょうが、どうなりますやら。


Weight-Classes_
井上拓真に完敗、引退も噂された井岡一翔でしたが、大晦日の志正ジム興行への出場を発表しました。ここで花道かと思いましたが「5階級制覇を目指す」と明言。今年も大晦日のリングに登場となると、17年38戦のキャリアで14度目。

田中恒成、ドニー・ニエテスを破って2度のPFP入りを果たしているリングマスターも37歳。

長谷川穂積的ご褒美ファイトで花道を飾るのも、良いかもしれません。



Weight-Classe

WILFREDO GÓMEZ: NO ONE HAS EVER MATCHED HIM AT 122 POUNDS

WBAのいい加減さに文句を言うと「キリンは何で首が長いんじゃ!腹立つわッ!」と怒るのと同じで「正気ですか?」と呆れられそうですが、亀田和毅の対応についてまだ発表がありません。

それなのに、このタイミングで His name is Wilfredo Gómez, の書き出しで「122ポンドのウィルフレド・ゴメスは天下無双」とライバル団体の王者を絶賛する記事をアップ。

WBAがWBC王者を絶賛することはあまりないことですが「122ポンド史上最強」はどうでしょうか。

井上尚弥は8連続防衛(5KO)、内容的にも破壊力を減退させているので、ゴメスの17連続防衛オールKOには及びません。何よりも対戦相手の質は比較するのが可哀想なくらいなので、ゴメス最強は仕方がないか?それでも2番手は井上で問題無しだと思います。

その対戦相手の質で大きな意味があるバム・ロドリゲスとの一戦、早く正式発表を聞きたいです。



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【あしたはあの日】。あれから、26年が経ちました。

1990年10月25日、木曜日の後楽園ホール。


Thursday, 25 October 1990
Korakuen Hall
Tokyo, Japan
commission:Japan Boxing Commission 
media:テレビ朝日系列で生中継

◾️WBCストロー級12回戦◾️

©︎大橋秀行
vs
リカルド・ロペス


WBCストロー級王者の大橋秀行は2度目の防衛戦に、自ら選んだランキング4位のリカルド・ロペスと3分4ラウンドと2分、ちょうど14分間、拳を交えました。

当時のWBCランキング1位は李敬淵でしたが、ビッグマウスの王者は「初防衛戦がナパ・キャットワンチャイで次が李じゃ、井岡(弘樹)くんのあとを追いかけてる感じで嫌じゃないですか。それに、せっかくの世界なんだからアジア以外の選手とも戦いたいし」という、なんとも悠長な理由で、Finito(素晴らしい)の異名を持つランキング4位のロペスを選んでしまいます。

まさか、このとき大橋と戦ったメキシカンがのちの一発殿堂、この年からスタートしたリング誌PFPに9年以上も回遊することになるとは誰が想像したでしょうか?

ストロー級は新設されて4年、歴史も層も薄く競技レベルも低いクラス。厳しい言い方をすると、ジュニアフライ級で世界挑戦を2度失敗している大橋が逃げ込んだのがストロー級でした。

そんな〝吹き溜まり階級〟にメキシコメディアが「全階級を通じて最もスタイリッシュなボクサー」と評価していると聞いても誰もピンときませんでした。

ましてや「(ルーベン・オリバレス、アルフォンソ・サモラ、カルロス・サラテを作り上げた)名匠クーヨ・エルナンデスの最後にして最高傑作」なんて言われても「いくらなんでもそれはない」(大橋)と笑うしかありません。

直前の試合で咬ませ犬のフランシスコ・モンティエルと10ラウンド判定までも連れ込んでいることも「ロペスは過大評価」という声を大きくしてしまいました。


計量は大橋がリミットいっぱいの105ポンド、103¾ポンドのロペスは「試合前にはこれくらいの体重に自然と絞られる。ベストウエイト」と余裕でしたが、日本のファンが心配になるような見るからに小さな体躯でした。

そして…オープニングラウンドに大橋の右フックでロペスが一瞬後退しますが、見せ場はこれだけ。

常に上体を揺らして的を絞らせないロペスの滑らかなフットワークと、上下に突き刺す多彩なパンチに対して、ボディワークの乏しい大橋はいつものように手数が少なく待ちの姿勢。

そして「ロペスのセコンドは全く静かで何も指示を出していない」という、背筋がゾッとする現場からのレポート。

そんなボクサーが、この世にいるのか?

恐るべき精度で大橋の顔面とボディに放たれるロペスの拳に、大橋は何事もなかったように懸命に耐え続けます。

しかし、第4ラウンド。王者のプライドで懸命に固めてきた我慢のダムが、ついに決壊してしまいます。ロペスが放った電光石火のワンツーで大橋が最初のダウン。

そして迎えた第5ラウンド、デジャブのようなワンツーが炸裂して2度目のダウン。なんとか立ち上がった大橋ですが、フィニッシュモードに入ったロペスの強烈な左フックをカウンターで受けて万事休す。

この日から、最も安易に獲れるはずのストロー級のタイトルが、ロペスのWBCに限っては17階級を通じて最も難攻不落のタイトルになってしまうのでした。







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WBAフェザー級王者ブランドン・フィゲロアがまさか(じゃないか)の体重超過で、王座は空位に。

フィゲロアが勝っても王座は空位のまま、挑戦者の亀田和毅が勝利したときのみ「…and, New!」のコールが聞くことのできる〝興醒めタイトルマッチ〟です。

BET MGMのオッズは前日の王者が1/5(1.2倍)/和毅11/4(3.75倍)から、2/9(1.22倍)/16/5(4.2倍)とほとんど変わっていません。

タイトルの価値が暴落した現代、「減量失敗=最悪のコンディション」の等式は成り立ちません。

とはいえ、フィゲロアが熱望していた「(階級最強と目される)ラファエル・エスピノサ」や「ジュニアフェザー級から上げてくる軽量級バンザイの日本のスーパースター井上尚弥」との対戦がベルトの喪失で実現から遠ざかってしまったのも事実。

最悪のコンディションではないでしょうが、最後まで体重を削る努力をしただろうと考えると、和毅の小さいチャンスは少し広がったかもしれません。

オッズも大方の予想も、3人のジャッジの採点集計で試合が勝敗を決めると見られていますが、万一、和毅がスペクタクルなKO劇を演出したなら〝亀田の贖罪〟に最高の処方箋が現実味を帯びてきます。

もし、そのカードが実現したら…日本ボクシング史上最も注目を浴びるメガファイトになるのは疑いようもありません。東京キー局による地上波生中継へのニーズが高まり、2人のファイトマネーを満足させるスポンサーが集まったとしても、不思議ではありません。

150年前は寂れた漁村だった横浜ごときが、歴史と伝統と誇りに輝く阪神地区のタイガースをスイープすることだってあるのです。これ、政治や経済の世界なら許されません。強いのが勝つんじゃない、どちらが勝った方がより大きな経済効果をもたらすか、それが一番優先されるのです。

くそ!寂れた漁村よ!絶対にソフバンもスイープしろよ、絶対に!!!!!!!!!



もちろん、減量のストレスを放棄したフィゲロアが凶暴なボクシングで35歳の日本人を破壊したとしても、何の不思議もありませんが…。





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日本タイトルマッチでも注目のカードなら大きな注目を集めていた時代がありました。

いまからちょうど25年前の1991年10月14日。ところは水道橋、後楽園ホールで行われた日本ジュニアライト級タイトルマッチも日本中のボクシングファンが涎を垂らしながらその日を待つ、そんな試合でした。

IMG_1978

当時、世界のジュニアライト級はWBAでは南アの伝説ブライアン・ミッチェルがIBFに鞍替え、空位の王座を埋めたジョーイ・ガマチェは減量苦からすぐにタイトル返上。IBFではWBAから鞍替えしたミッチェルがトニー・ロペスを下して引退宣言と、液状化。

日本のコンテンダーたちにとってチャンスに溢れた階級でした。

WBCに君臨していたアズマー〝プロフェッサー〟ネルソンをターゲットにする発想は、日本の選手やジムにはありません。高額のファイトマネーを差し出して、ジムのホープが潰されるなんて、ビジネス(興行)として考えられないのは当然です。

そもそも、WBCジュニアライト級はライト級に進出したフリオ・セサール・チャベスのあとをガーナのプロフェッサーが継承した、日本からは見えないふりをするのも仕方がない階級でした。

〝ネルソン抜き〟が大前提ですから、で狙うのはWBA1本(当時のJBCが加盟していたのはWBAとWBCだけ)。

そして、この空位のWBA王座は11月に帝拳のヘナロ・エルナンデスが決定戦に出場することが決定、日本で好き勝手できる状況が整っていました。

さて、25年前のきょう、後楽園ホールで行われた日本ジュニアライト級タイトルマッチです。


Monday, 14 October 1991  
Korakuen Hall Tokyo, Japan

commission:Japan Boxing Commission 

media:FUJI -TV DIAMOND GROVE


王者は赤城武幸、29歳。アマチュアで3年連続で日本ライト級王者から、A級(8回戦)でプロデビュー。15戦14勝8KO1敗。プロ7戦目で日本王者に。〝曲者〟古城賢一郎に僅差で敗れたのが唯一の黒星ですが、リベンジに成功して、これが第二次政権の3度目の防衛戦。

すでにWBAで7位にランキングされていた赤城は、タイトル挑戦へ秒読み段階。

そして、挑戦者の渡辺雄二は前年5月にデビューしたばかりの21歳。元世界ランカーの植田龍太郎を壮絶な打撃戦の末に4ラウンドKOして、日本タイトル挑戦の切符を手に入れましたが、プロキャリアはわずか6戦。

渡辺にとって百戦錬磨の赤城は「早すぎる」と見られていました。

渡辺の持ち味は爆発力。プロで6試合しか戦っていませんでしたが、全勝。しかも全てKOでケリをつけてきた〝お江戸のタイソン〟。

この二人は何度かスパーリングを重ねてきた、互いに手の内を知っている間柄。練習では渡辺は子供扱いされていたという背景も王者が有利という見方を後押ししていました。

試合は大方の予想通りの立ち上がり。赤城がジャブとフットワークで渡辺の全身をさばきます。

第2ラウンド、赤城は左ボディから右ストレートをクリーンヒット、渡辺を仰け反らせます。コーナーに下がる挑戦者を王者が追った次の瞬間、渡辺の左フックが炸裂。赤城は両膝から崩れ落ちる、痛烈なダウン。

試合後に赤城が絞り出した「何をもらったのか、分からない」という言葉が、ダメージの深さを物語っていました。なんとか立ち上がった王者に、インタバルに逃げ込む足もエネルギーも残っていませんでした。

渡辺は3度、キャンバスに沈めて番狂わせの戴冠。

逆転の一撃は「狙ったパンチじゃない。それまでは狙いすぎていたけど」(渡辺)という、追い詰められて無心になったから打てた1発でした。



後楽園ホールのスターになった渡辺は10戦全勝10KO、WBA1位まで数字を伸ばし、翌1992年11月20日に悲願の世界タイトルへアタックします。

相手は予定通りのヘナロ・エルナンデス。「技術と経験では勝ち目はない」「打撃戦に引き摺り込めば勝てる」…渡辺の大勝負で聞き慣れた予想です。そして、技術と経験で上回る相手をパワーでねじ伏せ、ことごとく沈めてきたのが渡辺雄二でした。

そして、土砂降りの千駄ヶ谷・東京体育館であろうことか、ヘナロは打撃戦に応じてくれるのです…。




この試合で最も印象的だったのは、試合後の王者のコメントでした。

「次は誰と戦いたいか?」という日本人の名前をあげてくれるのを期待した質問に、26歳の王者は「もちろん、アズマー・ネルソンだ」とサラリと答えたのです。

そして、日本ボクシング界の視界から外されたエルナンデスは米国へ戻り、2度と日本に呼ばれることはありませんでした。

それが何を意味するのかは、誰にでもわかります。へナロは念願のネルソン戦を勝利で飾り(この試合はフロイド・メイウェザーも泣いた感動の名勝負ですが、そのお話はまた別のときに)、1998年10月3日にそのメイウェザーに敗れて引退しますが、敗れたのはこの全盛期のメイウェザーとオスカー・デラホーヤの2人だけ!

日本の視界から外して大正解のグレートでした(2010年にモダン部門で国際ボクシング名誉の殿堂入り)。




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今から46年前の明日、1980年10月12日。

当時の為替は1ドル249円。10月12日は具志堅用高と並ぶ国民的英雄、王貞治が最後のホームラン868号を放った日でもありました。

今日のお話の舞台は、ビッグOがアーチを架けた後楽園球場ではなく、カンムリワシが登った石川県金沢市の実践倫理記念館の特設リングです。




Gushiken Vs Flores Bout
Jissen Rinri Hall, Kanazawa, Ishikawa, Japan
Sunday, 12 October 1980
promoter:Kyoei promotions
media:
TOKYO BROADCASTING SYSTEM TELEVISION

WBA ジュニアフライ級15回戦



具志堅は、自らの日本記録のテープを伸ばす12連続防衛中の25歳。

日曜日のゴールデンタイムに地上波生中継される具志堅用高の試合は、当時の巨人戦なども上回る30〜40%台の視聴率を叩き出していました。

具志堅は王貞治と並ぶ国民的英雄でした。

13度目の防衛戦に選ばれたフローレスは、本業が月給8000ペソ(当時のレートで約8万円)の安定した公務員というパートタイム・ボクサー。4ヶ月前にメキシコのフライ級王者になったばかりの29歳。

戦前予想は「具志堅がいつKOするか」でしたが、フローレスのコーナーにはルペ・サンチェス控えていました。ジョー・メデル、ピピノ・クエバスらをマネジメント、アレクシス・アルゲリョも指導したメキシコ史上屈指の名伯楽です。

サンチェスは4年前の1976年10月にも来日、この日と同じ実践倫理記念館で辻本章次を第6ラウンドKOで屠ったWBAウエルター級王者クエバスのコーナーも守るなど、たびたび来日しています。

さらにさかのぼって、1967年1月にはファイティング原田の世界バンタム級タイトルを狙ってメデルを率いて愛知県立体育館に乗り込みましたが「息もつかせぬラッシュ戦法で技術勝負をさせてもらえなかった」と押し切られてしまいます。

サンチェスはフローレスを「メデルのようなテクニシャン」と表現しましたが、実際の試合では原田のような無尽蔵のスタミナで攻勢を仕掛けるファイターとしてカンムリワシの前に立ち塞がりました。


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試合は王者のペースでスタート。

第3ラウンドには右リードから左フックがヒット、フローレスをカンバスに沈めました。会場からは「まだ早い!」と余裕の応援。

しかし、具志堅の見せ場かここまで。第4ラウンドからフローレスのアタックに苦しむ大苦戦。



再戦は翌1981年3月8日、チャンピオンになって初めて沖縄に帰ってのタイトルマッチ。

「普通に戦えば勝てる相手」という予想が正しい見方だったのかどうかはわかりませんが、世界戦15度目という消耗、プロモーターへの不信感は25歳の肉体と心を蝕んでいました。




具志堅はプロ9戦目でのタイトル奪取、13連続防衛という二つの記録を残してグローブを吊るします。

最短記録の「9」戦目は、田中恒成と吉良大弥が「5」まで更新。

同一階級での「13連続防衛」はいまだに破られていませんが、階級またぎの連続防衛では井岡一翔が「18」(ストロー級「3」/ジュニアフライ級「3」/フライ級「5」/ジュニアバンタム級「7」)、そして井上尚弥によって「24」(ジュニアフライ級「1」/ジュニアバンタム級「7」/バンタム級「8」/ジュニアフェザー級「8」)まで伸ばされています。

もちろん、この手の記録は日本が好き勝手できる度合いが強まっている現代のボクサーに有利に働くのは当然で、このままタイトルの価値が暴落を続けるなら、最短記録も連続防衛記録もさらに更新されるでしょう。

バンタム級では、歴代最高論争で井上の対抗馬とされるファイティング原田の連続防衛の数字はわずか「4」でしかありません。亀田興毅の「8」の半分に過ぎませんが、原田と興毅の評価を真剣に議論するボクシングマニアは地球上に一人もいないでしょう。

ボクシングの数字的価値はとんでもないレベルで暴落しているのです。


具志堅の最短「9」と連続防衛「13」。ジュニアフライ級で記録されたこの数字にどこまでの価値があるのかは…わかりません。

しかし、1976年10月10日から1981年3月8日までのわずか4年と5ヶ月足らずの時間、具志堅用高は紛うことなき国民的英雄でした。あの時代、日曜日のゴールデンタイムに日本中のスポーツファンが固唾を飲んでブラウン管の前に座り、ワセリンに顔を光らせながら君が代を歌う具志堅を全身全霊で応援していたのです。


70年代PFP

具志堅が日本列島を沸かせたあの頃、定期的にPFPランキングを発表するメディアはありませんでした。

リング誌が年間表彰の一つにBEST FIGHTER POLLを創設したのが1980年。事実上の年間PFPでしたが、当時は「PFPといえばシュガー・レイ・ロビンソン」という認識が今以上に強く、この表彰の説明にもPound For Poundの文字は見当たりませんでした。

もし、具志堅が5年遅く生まれていたなら?おそらく、BEST FIGHTER POLLにも登場、事実上、日本人初のPFPファイターになっていたでしょう。

インターネットが普及した2012年、リング誌が発表した各ディケイドのPFPトップ10の1970年代で具志堅は10位にランクイン。70年代の10年間の10位です。

もし、インターネットが成熟し、従来以上に軽量級びいきになっている現代のPFPランキングなら、具志堅の瞬間最大風速は何位になっていたでしょうか?


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昨年のIBF(王者アンジェロ・レオ)に続く、亀田和毅のフェザー級アタック(10月17日 ラスベガス・コスモポリタン:vsWBA王者ブランドン・フィゲロア)。

このイベントに出場予定だった元WBCミドル級王者ジャモール・チャーロがキャンプで負傷、出場をキャンセルすることになりました。



ビッグネームの離脱は興業的に大きなマイナスですが、メインのセバスチャン・フンドラの怪我でなくて本当に良かったです。

フンドラが出場できないとなると、イベント自体が消滅するのは間違いありません。

和毅にとって最後のチャンスになるかもしれない大勝負、無事開催を祈るばかりです。

とはいえ、軽量級。本人が辞めない限り、なんだかんだでチャンスはいくらでも与えられそうな気もしますが…。

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階級が上の絶対王者に、アンダードッグが挑戦する。


歴史上、最も注目されたのは1985年9月21日に「ライトヘビー級王者はヘビー級王者になれない」というジンクスを打ち破り、ラリー・ホームズの〝ロッキー・マルシアノ越え〟を阻んだマイケル・スピンクスでしょう。

現代でも、クルーザー級から巨人狩りに成功したオレクサンデル・ウシクのように、ヘビー級を攻め落とすダビデにはいつもロマンティックな香りが漂っています。

また、1974年2月9日にホセ・ナポレスがカルロス・モンソンに挑戦してから数多くの名勝負を生み出してきた「ウエルター級vsミドル級」は、この物語の定番になっています。

しかし、それは欧米の人気階級だけではなくライト(軽量)級未満のクラスでも繰り広げられてきたことを、私たちはよく知っています。



Tuesday, 17 December 1991
Prefectural Gymnasium Osaka

commission:Japan Boxing Commission
promoter:Hiroaki Tsuda (Green Tsuda Promotions)

◾️WBAジュニアフライ級12回戦◾️

©︎柳明佑 vs 井岡弘樹


日本人が現役の(1990年にリング誌でスタートしたPFP10傑に入る)PFPファイターに勝利したことは、今年5月の井上尚弥が中谷潤人に勝利した試合を除くと、わずか一つのサンプルしかありません。

1990年以前もPFPがあったなら、ファイティング原田が2試合を戦ったエデル・ジョフレは初戦なら間違いなくPFP1位、再戦では原田が1位でジョフレが2位のワンツー決戦だった可能性もありますが、当時はPFPランキングはありませんでした。

リング誌のPFPランキングにどれほどの意味があるかはさておき、PFPに数えられる外国人ファイターに勝ったとなると、井岡弘樹の柳明佑だけなのです。

柳は、日本ではいまなおファイティング原田しかいないモダンクラスでのちに殿堂入りする専門家評価が頭抜けて高いコリアンファイターです。

「井岡に勝ち目はない」。誰もがそう考えていました…。


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柳明祐は、2021年にリング誌が振り返ったジュニアフライ級の歴代PFP⬆︎でトップ5は逃すも6位評価。それでも、過小評価です。マイケル・カルバハルとウンベルト・ゴンサレスが過大評価なのは、米国のリング誌ゆえに仕方なし?

当時の韓国はボクシング黄金時代。そして柳は36戦全勝14KO、タイトルを17連続防衛中のPFPファイター。あのときの柳はアジア最高のPFPファイターでした。

そして、日本人にとっては鬼門中の鬼門。喜友名朝博、小見山カツミ、大鵬健文、徳島尚と4人の日本人の挑戦はいずれもKOで撃破されてしまいました。

柳はキャリア初のアウエーのリングでしたが、韓国人ファイターにとって日本のエースを敵地で攻め落とすことは最高の栄光。彼がリングの中でやり残したことがあるとしたら、日本に乗り込んで井岡を破壊することだけでした。  ※「当時の日本のエースを一人選べ」となると辰吉丈一郎でしたが、井岡の人気はそれに次ぐものでした。あらためて考えると、大阪に人気者が二人もいたのです。

そして、それは素晴らしいキャリアを積み上げてきた偉大な柳にとって、ローリスク・ハイリターンの美味しいご褒美に見えました。

井岡は名匠エディ・タウンゼントとの〝少年と老人〟のコンビで快進撃。19歳9ヶ月と10日でWBCストロー級のストラップを勝ち獲り、ファイティング原田の最年少記録を更新。初防衛戦で李敬淵との激闘を最終回TKOで勝利、その報を聞いてエディが息を引き取るという伝説の主人公でした。

しかし、ナパ・キャットワンチャイとの再戦で初黒星を喫して王座から陥落。このナパとの初戦では最終回に大ピンチで〝30秒前の疑惑のゴング〟が打ち鳴らされてからは、汚れた英雄のイメージが増幅していました。そして、3戦目は無残なTKO負け。

後年の亀田ほどではありませんが、ボクシングへの不信感を募らせてしまった井岡に贖罪のチャンスがあるとしたら…誰もが認める強豪と戦い、勝つことしかありませんでした。

亀田興毅は口にも出しませんでしたが、もし同時代に同じバンタム級で戦っていたノニト・ドネアを選んでいたら、その結果にかかわらず彼を評価するファンは少なくなかったはずです。もし、勝利していたら…亀田家の評価は全く違う種類のものになっていたでしょう。


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井岡は柳より5歳若い、まだ22歳ながら凡庸なナパに惨敗した終わったボクサー。井岡は、多くの人からそう考えられていたのです。

戦前のボクシング・マガジンは「井岡vs柳」ではなく「辰吉丈一郎に〝26〟の質問」というバラエティ企画を大きく取り上げていました。

大方の予想は「井岡はスピードと強いハートで終盤まで耐えるだろう」。それは、勝利はあり得ないが頑張って欲しいという悲痛な願いにしか聞こえませんでした。

とはいえ、グリーンツダジムは出来る限りのサポートをやり尽くしていました。減量苦が伝えられる王者に対して、当時定着しつつあった前日計量ではなく、当日計量を押し切ったのはその最たる成果でした。



𝓣𝓱𝓮 𝓛𝓮𝓼𝓼𝓸𝓷 𝓪𝓫𝓸𝓾𝓽 𝓽𝓱𝓮𝓲𝓻 𝓛𝓮𝓪𝓹𝓼



ーーーあのときの柳と井岡は、いまの井上とバムに小さな近似も認められます。

PFPファイターで絶対王者と見られている井上は、当時の柳にオーバーラップします。

バムは下の階級から上の階級の絶対王者を狙う挑戦者ですが、初めてアウエーのリングに上がる点では柳と同じ。

下の階級から乗り込む井岡の方が体格で柳を上回ったように、バムと井上は体格こそほとんど変わらないものの、最初にタイトルを獲ったのは井上がジュニアフライ級でバムはジュニアバンタム級。


もちろん、大きな違いは「時代」だけではありません。

いまの井上は当時の柳よりも評価が高く、バムもまた井岡とは違いPFPファイターで無敗。そして、最も乖離しているのは、予想とオッズがはるかに拮抗するということです。







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「完全Bサイドから大番狂せでAサイドを何度も撃破したからマニー・パッキャオは偉大」「カネロ・アルバレスは一度もBサイドで戦ったことがない」「まともなスポーツではスターは生まれるものだが、ボクシングでは育てられる、もっと分かりやすく言うと作られる」…。

Aサイド、Bサイド、スターシステム…現在のプロボクシングでは当たり前に目にする言葉が、当たり前に飛び交うようになったのは1987年以降の話です。

1987年4月6日に行われた1試合がAサイドとBサイド、スターシステムという言葉の意味を、一つの要素ももらすことなく、誰にでも分かりやすく説明したのでした。


Monday, 6 April 1987
Caesars Palace, Outdoor Arena
Las Vegas, Nevada, USA

promoter:Bob Arum (Top Rank)
inspector:Harold Buck
doctor:Flip Homansky

referee:Richard Steele

⬇︎⬇︎⬇︎judge⬇︎⬇︎⬇︎
Lou Filippo
Jose Juan Guerra
Dave Moretti

◾️WBCミドル級12回戦◾️

©︎マービン・ハグラー
vs
シュガー・レイ・レナード

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トミー・ハーンズとのTHE FIGHT、レナードとのTHE SUPER FIGHT。世界のボクシングの中心に屹立していたのはマーベラスでした。



昨年、4年ぶりにリング復帰を果たしたマニー・パッキャオがいきなりWBCウエルター級王者マリオ・バリオスに挑戦した暴挙に驚いたボクシングファンがどれだけいたでしょうか?

今のファンはボクシングなんて何でもありだと達観しています。そんなことには慣れっこです。

しかし、1987年当時は5年あまりのブランクから電撃復帰、ミドル級のUndisputed champion マービン・ハグラーに挑戦したシュガー・レイ・レナードへの風当たりは強烈でした。

ランキングに入っていないレナードの挑戦は、まさしくスーパースターの特権でした。

それでも、当時世界で最も稼ぐボクサーだったハグラーを向こうに回して「ファイトマネーはレナードが上になる」と言われたのも、Aサイドだから当たり前。

ところが、レナードは報酬面で大きく譲歩するのです。もちろん、「王者の方が取り分が多いのは当たり前」という分別など、レナードにあるはずがありません。

レナードがカネと引き換えに手に入れたのは…もっと分かりやすく言うとレナードが買ったものは、①12ラウンド制、②大きなリング、③固いカンバス、④緩いロープでした。

スーパースターにはどんな特権が与えられているのか?Aサイドとは何なのか?…百科事典にも載っていないことが、わかりやすく説明された試合でした。

それは、ボクシングにおいては非スポーツ的な理不尽が当たり前に罷り通るということでした。

「1対1のリンチになる」とまで予想された試合は意外なクロスゲームにもつれ込みます。決定的なラウンドはハグラーの9ラウンドだけでした。

12ラウンドの戦いが終わり、レナードが力尽きてバドワイザーのロゴがプリントされたリングにひざまづいたとき、多くのファンはレナードの勇気を讃える拍手を送りました。

それは「(負けだけど)よく頑張った」という思いが込められた拍手でしたが、オフィシャルの採点が「スプリット・デジション」とアナウンスされると騒めきに変わり、「アンド・ニュー!」のコールで勝者がレナードだと知らされるとブーイングも沸き起こります。

あれから49年。毎年4月6日には歴史の残る議論を呼ぶ判定を回想する特集記事が発表されていますが「ハグラーは判定を盗まれた」という主旨から、時代が深まるにつれ「あの判定もあり」「レナードの3−0もあり」というものに変わってきています。

もちろん、118−110としたホセ・ファン・グエラの採点は受け入れ難い者でしたが、115−113はどちらに転ぶにせよ、十分納得できるスコアでした。

来年で50周年を迎えるあの試合では、見る者に「無敵の絶対王者ハグラー」と「Aサイドの特権を利用した狡猾なレナード」という二つのバイアスが重くのしかかっていたのです。


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さて、井上尚弥vsバム・ロドリゲス。

井上はAサイドですが、レナードほどのスターパワーは持ち合わせていません。また、バムはハグラーと同じ完全Bサイドですが、ハグラーと違い母国を離れて敵地に乗り込みます。

バムがバンタム級でもう1試合挟むのかどうかはわかりません。

しかし、ハグラーvsレナードを持ち出すまでもなく、調整試合無しでいきなり一つ上の階級に乗り込んで大勝負というのは歴史的にも珍しいことではなく、さらに「過酷な減量」というボクシングに付き物の言葉からかけ離れたバムの曲芸的キャリアを見ると大きな問題には思えません。

どんな試合、どんな結果になるのか、誰にも分かりません。

確かなことは二つだけです。

バムがキャリア初のアンダードッグとなること。

そして、井上のキャリアでも最もオッズが接近した大勝負になること。











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