カテゴリ: 壁を越える人々

語り尽くされていることですが、大谷翔平では漫画や映画の素材になりません。 

フィクションに求められるのは、読者や観客を自然と誘う最低限のリアルです。

ユニコーンがやってることは、フィクションであっても到底受け入れ難い所業で、現実に目の前で起きているからこそ、異常なまでの驚愕と共になんとか受け入れることが出来ているのです。

フィクションに求められるのは、挫折と栄光、罵倒と賞賛の間に架けられた細いタイトロープを行ったり来たりする危なっかしい主人公です。

藤浪晋太郎が優勝に最も近いオリオールズに電撃移籍したとき、アスレティックスのような「気楽な場面では投げられない」「緊張感のあるマウンドではムリ」と、悲観的な意見も少なくありませんでした。

大方の予想をひっくり返すのは、映画や漫画の主人公が見せる真骨頂です。

しかし、藤浪は映画の世界に生きているわけではありません。

映画なら2時間ちょっとでハッピーエンドが訪れますが、野球ではそんな時間じや1試合もこなせません。

圧巻のリリーフを見せようが、自己最速の165kmをマークしようが、大谷翔平のライバルはまだタイトロープの上で揺られています。

藤浪晋太郎、面白いですねぇ。

「100マイルを投げる投手はマイナーにも掃いて捨てるほどいる。しかし、本物の威力を持つ100マイルは、メジャーを探したって滅多にお目にかかれない」と、ブランドン・ハイド監督が認めた本物。

最下位球団から首位を争うトップ球団へ。藤浪はシンデレラ・ストーリーに乗りました。

彼がチャンピオンリングを指に輝かせながら.ボルチモア市街をパレード、沿道の何十万人もの観衆から大歓声を浴びるーーーこれが映画なら、そんなハッピーエンドの秋が、台本通りに主人公を待ち構えてくれています。

しかし、ここはハリウッドではありません。

どんな残酷なことが起きても不思議じゃない、メジャーの舞台です。

まだまだ、正念場が続きます。



がんばれ、晋太郎!
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

地区首位のボルチモア・オリオールズが「優勝するためのピース」として藤浪晋太郎をトレードで獲得しました。

低迷するオークランド・アスレティックスとは違い、優勝がからむ緊迫感のある場面での登板が増えそうです。

アスレティックスが我慢強く〝東洋の神秘〟を使い続けた理由はいくつもあるでしょう。しかし、その一つが、藤浪の潜在能力(間歇敵に露見していたので正確には潜在ではありませんが)をしっかり見極めていたということでしょう。

優勝争いを繰り広げるチームで、間歇的に露見してきた打者をねじ伏せるピッチングが出来るのか?

制球難が続くと、オリオールズは我慢強く使い続けることはないでしょう。

藤浪がこのステージに上がるのは、もう少しだけ先の話かと思っていましたが、スポーツの話です。早いに越したことはありません。

さて、ワールド・チャンピオンへの道という点では、日本人選手の中で一気に最短距離に立った197㎝の29歳。

このまま栄光に向けて疾走するのか?それともまだドラマが待ち受けているのか?

こんなに興味深いアスリートはなかなかいません。


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

オールスターで最後の投手MVPになったのが、藤浪晋太郎(2015年)です。

出場機会がスター選手たちに〝分配〟されるオールスターの場合、短いイニングで鮮烈な結果を出さなければいけない投手がMVPに選ばれる難易度は一気に跳ね上がります。

打者は一打席でも代打逆転打を放てますが、投手は短いイニングしか任されず、何よりもスコアを動かすことはできません。

1960年以降、投手がMVPになったのは計10人延べ13回。複数のMVPを獲得したのは、金田正一(1960年/1964年)、江夏豊(1970年/1971年/1980年)の二人のサウスポーだけ。

江夏の出色ぶりが目を引きますが、3度の受賞の内訳がまた途轍もないパフォーマンスでした。

1971年の9者連続三振は伝説として今も語り継がれていますが、実は前年から数えると15者連続三振。このサウスポーの三振奪取能力がいかに秀悦であったかを改めて思い知らされます。

さらに、江夏のMVPでもっとスポットライトを浴びても良いのが1980年。前年1979年の日本シリーズは、やはり伝説の「江夏の21球」で広島を日本一に導きました。

このブログでも指摘していますが「江夏の21球」はマッチポンプ、〝自作自演〟の快投でした。もちろん、自ら崩れそうになっておきながら、見違えるような投球を見せつけた江夏ほどハートの強いアスリートはいません。

そして、1980年オールスターに出場した江夏はかつての剛球投手ではなく、打者との駆け引きに長けた救援投手。9回表、全セ1点リードながら無視満塁でマウンドに上がったのは江夏。

「江夏の21球」は自作自演でしたが、このときは違います。

そして、江夏は3者連続三振に斬って抑えるのです。

時代を超えてアスリートを比較するのは不可能、楽しい妄想でしかありません。

それでは、「佐々木朗希や大谷翔平よりも江夏の方が三振奪取能力が高い」というという仮説も、妄想に過ぎないのでしょうか?

そして、藤浪です。

現代スポーツ界で、ある意味ユニコーンよりも神秘的な存在は、大方のアンチが決めつけていた「1年契約だから今季でクビ。NPBでも獲得する球団はない」という予想はおそらく裏切られ、来季もMLBで神秘的な投球を繰り返していそうです。

いや、もしかしたら神秘的な投球が見られるのは今季限りで、来季はオールスターでも快投を見せているかもしれません…。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


スポーツの世界で最も信じてはいけないもの、それは数字です。

ボクサーなら戦績、プロ野球選手なら打率や防御率…それはいずれも紛うことない事実です。

しかし、その事実は過去の数字。明日を保証してくれるものではありません。

それでも、そんななんの裏書きにもならない過去の数字と事実の羅列から、1人のプレイヤーの実態が生々しく浮かび上がるように見えることがあります。

FullSizeRender
本文とはあまり関係がありません。
昨日、藤浪晋太郎は3-10と7点ビハインドの8回から6番手として登板。1イニングを無失点に抑えました。
「敗戦処理のような気楽な場面での1イニングなら、好投することがある」と、わかった気になっている多くの藤浪ウォッチャーにとっては想定内のことでしょう。

そして「最速102マイル(約164・2キロ)」「5試合連続無失点で防御率は9・14」という数字からも、藤浪晋太郎という投手の輪郭線がはっきり視認できたつもりになっているのかもしれません。

数字の他にも、スポーツの世界で最も信じてはいけないものがあります。

したり顔の技術論、いや、結果論です。

藤浪の永遠のライバル、大谷翔平が故障で2本の刀を抜けなかったとき、多くの人が「どちらかに絞るべき」と決めつけていましたが、2021年からはそんな声が全く聞こえなくなってしまいました。

数字もしたり顔の技術論も、いずれも事実ですが過去のことであり、結果論という性格が染み込んだもので、明日の話ではないのです。

さて、明日の話をしましょうか。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

プロで成功を収めるには、野手なら打撃と守備、投手なら球速や制球力・変化球のキレなど、少なくとも一つで、基準値に達した能力が必要です。

その基準値を80としましょうか。

それをすでに携えてプロ入りして来る高校生は極めて稀れです。

ほとんど全ての高校生は、どの要素でも80に満たないスペックでプロの門をくぐり、80に近づくよう全身全霊で努力を積み重ねるのです。

その中で、やはり極めて稀れに80を大きく超えたり、あるいは100をも通過点という未来のスーパースターも紛れ込んでいます。

高校レベルなら何か一つが高校基準に達していなくても、それを隠して活躍することが出来ます。

何か一つが60なら超高校級、もしそれが複数であるなら、多くの人は「希代の才能」と思い込んでしまいます。

根尾昂のように。

根尾は投手としても野手としても、高校基準では破格の才能でした。それは逆に、何一つとしてプロ基準には達していないということでもありました。

投手としての球速、打者としてのパワーですでにプロ基準を大きく上回っていた高校生・大谷翔平でも制球力や変化球、バットコントロールなど多くの点でプロ基準と乖離していました。

しかし、彼にはプロ入りする高校生にとって最も重要な目に見えない伸び代が心身ともに溢れていました。

清原和博は高校時点ですでにプロの「タイトルホルダー手前」という能力を装備していた空前絶後の才能でしたが、心身の伸び代が大きく欠落していたのかもしれません。

そして、根尾も数えきれない要素で高校基準を大きく上回りながらも、何一つとしてプロ基準に達していないどころか、高校時代から一歩も前に進んでいない、そんな気さえして来ます。

根尾が「と金」になれない歩をいくつも持っていた超高校級の才能だとしたら、プロを選択したことは間違いでした。

もちろん、23歳の若者の持つ、朱色の「と」が裏書きされていない「歩」が明日、飛車に化ける可能性は誰も否定できません。

あるいは、長い人生の中での野球選手、として見た場合、甲子園で眩しいほど輝き、プロでも大きな注目と期待を集め続けたことに間違いなどあるはずもなく、常人には体験できない素晴らしいにも程がある青春の時間として根尾昂という人間を豊かに形作るのは間違いありません。

さて、藤浪晋太郎です。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

「藤浪晋太郎論」とは畢竟、才能論です。


努力とは、なんなのか?という問いには、多くの人がある程度語ることができるでしょうが、才能とは、なんなのか?と聞かれると、言葉に詰まってしまうのではないでしょうか?


だから「才能論」が存在するのです。

才能と努力を火と氷のように真逆の〝元素〟だと、あるいは空と海のように完全に〝分離〟したものであるーーーそう考える人が多いかもしれませんが、多くの場合でこの二つはコインの裏表です。

真逆でも分離でもない、同じコインの裏と表です。



幼少期の煌めく才能が成長するとともに、手枷・足枷に暗転することがあるかもしれません。そして、その変質の原因が、慢心や堕落ではなく、指導者や環境が影響することもあるかもしれません。

あるいは、その逆に、特別なものは何もないように見えた凡才が、指導者や環境によっていつのまにか豊穣な才能に溢れていることもあるでしょう。

硬い岩盤を少しずつコツコツと穿つ、そんな不断の努力の積み重ねることで、地中深くに眠っていた才能の泉を掘り当てることもあるでしょう。

才能とは何なのか?…清原和博は才能があったのでしょうか?清原は、才能を100%発揮できなかったのでしょうか?

ルーキーイヤーにキャリア最高の輝きを見せた清原が、主要タイトルを一つも獲れないどころか、あまりの勝負弱さにファンが応援をボイコット、書いてはいけない横断幕を揺らしてしまうような選手に堕ちてしまうと誰が想像したでしょうか?

清原は、打てなくなると、落合博満の神主打法を模倣するなど、多くの人のアドバイスに耳を傾ける素直な性格で有名でした。

一方で、藤浪晋太郎は「人の話を聞かないからダメ」と言われることが、昔から目立ちました。

「藤浪は人の話を聞かない」…それを言い出すと、落合やイチロー、松井秀喜は藤浪レベルではありませんでした。

大谷翔平に至っては、世界史上、最も人のアドバイスを無視した傍若無人の自己中アスリートでしょう。

所詮は勝てば官軍、結果論です。



大谷翔平が途轍もない才能の塊であることは、高校時代にすでにMLB30球団に知れ渡っていました。

しかし、最高峰の舞台でも二刀流をやってのける、NPB時代よりも遥かにスペクタクルな二刀流になるなんて、MLBデビューイヤーのオープン戦でメッタ打ちにあい、全く打てなかったときに、誰が想像できたでしょうか?

ほとんど全ての人の予想通りに「大谷が二刀流に失敗」するばかりか「投手としても打者としてもMLBで使い物にならなかった」としたら?

今頃〝彼ら〟は「そら見たことか、二刀流なんて絶対無理と最初から分かりきってたのに、人の言うこと聞かないから才能を無駄遣いして」とドヤ顔でホザいているのではないでしょうか?


しかし、しかし、しかしながら、才能は浅はかな結果論などではありません。

才能とは、もっと厳然として存在するものです。


。。。。。「第3章」ですが、序論も序論です。まだまだ続きます。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


IMG_0704

ジリジリ気温が上がる土曜日のお昼、カレーを食いながら、問う。

プロフェッショナルの定義とは何でしょうか?

数えきれないほど答えがあると思います。

しかし、プロボクシングにおいては「人気」と言い切って良いでしょう。

専門家評価最高峰であるFighter Of Yhe Yearを獲ったワシル・ロマチェンコや、PFP1位に2年間も君臨したローマン・ゴンサレスよりも、まだFighter Of Yhe Yearにもノミネートされていない、PFP10傑にすら引っ掛からなかった時代のカネロ・アルバレスの方が遥かに人気があり、50倍以上のファイトマネーを稼いでいました。

最近なら、ライアン・ガルシアらも実力が人気に全く追いついていないアイドルボクサーです。

チョコラティトやロマチェンコを見るまでもなく、「実力」がどんなに優れていても「人気」と「報酬」と比例するとは限りません。

「人気」、つまり「報酬」の源は「実力」だけで構築できるような生やさしいモノではありません。

米国市場なら、まず①人気のある階級で、②面白い試合を繰り広げているか?そして、③ファンベースが分厚いメキシコやプエルトリコの血を継いでいるか?

米国で人気がないというよりも、認知されていないと表現した方が正確な超軽量級で戦うチョコラティトや井上尚弥は①の段階で完全アウト、米国市場では前座需要しかありません。日本では人気と需要のある井上が米国から撤退したのは、当たり前すぎる帰結でした。

ロマチェンコは人気階級の入り口ライト級ですが、そこが天井。現時点のロマが②の面白い試合ができているかも、これまた微妙。そして③についてはファンベースなどあるわけもない旧ソ連のウクライナ。

文句無しの人気階級ミドルで、面白い試合を繰り広げていたゲンナジー・ゴロフキンはカネロ・アルバレスというこれ以上ないライバルに恵まれましたが、ビッグマネーを稼げるのはカネロやにほんの村田諒太と絡んだ試合だけ。単体でのマネーパワーは井上以下です。

もし、GGGがカネロとトリオロジーを紡ぐ必要がないくらいに初戦で破壊的な勝利を収め、アンドレ・ウォードやセルゲイ・コバレフ、アドニス・スティーブンソンらを撃破していれば…そう、マニー・パッキャオと同じことをやってのけていたなら「弱い相手としか戦わない」という批判など微塵も聞かれなかったでしょう。

パッキャオやMLBの大谷翔平のように「絶対不可能」と思われたことを、やってのける、米国ファンの「度肝を抜く」ことが出来たなら、①と②だけで十分な「人気」と「報酬」が約束されます。

いずれにせよ、どんなに技術的に優れていても「無名ではプロフェッショナルとは呼べない」ということもまた、一つの真実でしょう。


IMG_3382

さて、藤浪晋太郎です。

彼もまた「実力」と、「人気」と「報酬」の間に大きな乖離があるプロフェッショナルです。

若い時代にその年齢では傑出した「実力」を発揮し、それに見合った「人気」と「報酬」を手にしましたが、本来なら全盛期を謳歌しているはずの時期からキャリアは暗転してしまいます。

あのデビューイヤーを知ってる人で、今年のWBCに藤浪が選ばれていないのは「故障でなければ信じられない」でしょう。



少年時代からすでに大きな人気を集めていたカネロも大きな乖離を抱えていたプロフェッショナルでしたが、成長するに従い「実力」を順調に引き上げてそのギャップを埋めてゆきました。



藤浪のルートは〝逆カネロ〟を辿ります。

カネロは先行した「人気」を追いかけ、ついに「実力」が追いつきました。ドミトリー・ビボルに判定負け、中位まで下落したPFPランキングは、もはや過小評価の領域に踏み込んでいるようにすら見えます。

一方の藤浪は、高卒ルーキーから3年間で刻み込んだ「実力」があまりにも鮮烈であったがゆえに、一見過大に思える「人気」と「報酬」を獲得し続けています。

現在の不当とも思える「人気(待遇)」は何もないところに与えられたわけがあるはずもなく、「実力(実績)」がしっかり担保されているのです。

「三つ子の魂百まで」と言います。「親孝行は3歳までで終わっている」とも語られます。

藤浪晋太郎の〝3年間〟もまた、まだその余韻が響いているのです。その反響は、太平洋まで超えてしまいました。


藤浪の中継ぎ失敗のニュースが鈴木誠也の本塁打よりも、吉田正尚のマルチヒットよりも、ダルビッシュ有の好投よりも、あるいは大谷翔平の活躍よりも大きく反応され、刺激的に報じられるのは、そういうことです。

たった3年間の余韻がいつまで続くのか?

それが「巨額の報酬」という意味では、アスレティックスとの1年契約が切れる今年までかもしれません。

それが「人気」、「実力」とはかけ離れた注目度という意味では、引退するまで続くでしょう。

いや…もしかしたら人生を終えるまで、かもしれません。 

藤浪晋太郎には、戦い続けるしか道はありません。あれほどの天賦の才能を与えられたのです。逃げ道など、あろうはずもない。

197㎝、200ポンドを超えるスーパーヘビー級の日本人が100マイルを超えるファーストボールを投げ下ろしながら、制球に苦しみ、もがいている…鋭い牙と強力なアゴを持っているにもかかわらず、狩りの下手くそなティラノサウルス。

同い年のもう一頭のティラノサウルスは、過剰な期待を遥かに上回る前代未聞で驚天動地の活躍を見せ続けているというのに。


面白いじゃありませんか。 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

「映像の世紀 バタフライエフェクト ブルース・リー 友よ水になれ」でもアジア人差別に対しての発言をしている、カリフォルニア大学アーバイン校のジェリー・ウォン・リー教授は、これまでにもこの差別の本質に迫る発言を繰り返してきました。

韓国系2世の大学教授の言葉は、米国におけるアジア人差別、大谷翔平の存在について、私の貧弱な米国体験で想像していたアジア差別の輪郭、このブログでも書いてきたことに、オーバーラップするものでした。

IMG_0437

「大谷は誰も文句を言えない成績を残した。イチローも才能があったが、パワーがないことを指摘する人もいた。大谷は、アジア人男性が細くて非力だという偏見を打ち砕いた」。

「私がイチローを好きな理由は、自分と同じように背があまり高くなくて細いから。小さいアジア人が大男に立ち向かう姿に奮い立たされるが、彼はアジア人が華奢、ひ弱いという偏見を否定することは出来なかった。しかし、大谷をひ弱と言う人は、誰もいない」。

「大谷の成績を投打とも中途半端だと批判してきたESPNのレポーターは、英語を喋らないのがダメだと、ついにフィールドとは関係のない逃げ道に迷い込んだ」。



米国では日本はもちろん、韓国や中国(大陸)、台湾、マレーシアなどのコミュニティーでも大谷を応援する機運が盛り上がり、ファンクラブの結成にも繋がっています。

米国では、肉体的に強靭な黒人への差別と違い、小さく、弱く、自己主張することが少ないアジア人への差別は、ときとしてより陰湿でより暴力的になりがちです。

その差別を、差別する側が組み立てた社会の中で、普通の仕事を通じて、跳ね返すことはは、ほとんど不可能です。

しかし、誰も文句が言えない仕事なら、それは可能です。

「アジア人が投げた100マイルは100マイルではない」とは誰も言えません。

「アジア人が叩き込んだ大きなホームランはホームランではない」とは誰も言えません。

大谷に対しては「アジア人は小さくてひ弱で姑息なやり方をする」とも誰も言えません。



黄色い肌を持ったアジアのプライドたちへの讃美歌を、歌ってゆきます。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ジャカルタから来た古い付き合いの、もはや友達な仕事相手が振る舞ってくれた絶品のナシゴレンを喰らい、日本で飲むとお世辞にも美味いとはいえないビンタンビールを飲んでいると、どこからか、黄色い肌の行進曲が、力強く、聞こえてきました。

…というわけで黄金週間突入直前に、新シリーズの開幕です。



**********

アジアと米国に少しだけ滞在したことがありました。

個人的には、楽しくお仕事ができた良い思い出です。

アジアは韓国、インドネシア、シンガポール、上海、米国は主にロスアンゼルスでしたが、人種差別されたなんて認識は一切ありませんでした。

実際、アジアについては現地赴任している社員や、日本人コミュニティの方も話しても、韓国や中国でもそんな話はほとんど出ませんでした。

韓国や中国では、行政レベルの人との付き合いですら日本文化への純粋な好意と尊敬が感じられました。

反日について話し込んでも「完全にオカミの話。日本と韓国、中国が仲良くなるとものすごく困る人たち、国が世界にはある。それは自分たちの国の中にも」という見方もよく聞きました。非常に納得できる話でした。

しかし、米国では全く違いました。現地で何年か生活している人たちで、自分がマイノリティ(差別されている)と感じたことがない人は、一人もいませんでした。

スクリーンショット 2021-04-02 18.33.47
「アジア人をいじめるなら、まず俺と戦え!」。パッキャオ、カッコいいです。

もし、アジア人、日本人アスリートが米国で認められようとするなら、マニー・パッキャオや大谷翔平のように、奴らの度肝を抜く桁外れのチャレンジ精神を見せることです。

繰り返しになりますが、大切なのは「桁外れの」「チャレンジ精神」です。

それでも、性根が腐った差別主義者は認めようとはしませんが、多くの人は喝采してくれます。

しかし、それは米国に「そんなん絶対無理、やれるもんならやってみろ」と、一旦嘲り笑わせておいてから、「マジか?お前、凄すぎるわ。こっちが間違ってた。これからずっと応援したい。ファンにならせてくれ」とひれ伏せさせる作業が必要です。

野茂英雄やマニー・パッキャオ、朴智星、大谷翔平らが時代を超えて国境を越えて編成したイエローモンキー・オーケストラ。

彼らが演奏してくれた勇気の行進曲、The Long&Winding ,Yellow Roadその偉大なレコードに尊敬と感謝と感動の針を落とします。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

これから登ろうとする山が〝人の目から見て〟高ければ高いほど、戦意は高揚するものです。

悲しいかな〝人の目〟が大切なのです。

人が、世間が、世界がチヤホヤするーーーそんな山に誰もが登りたがるのです。

スポーツでいうとサッカーのワールドカップや、野球のメジャーリーグが〝そんな山〟です。

もちろん、真実はそんな誰の目にも見やすいところにはありません。

スポーツの本質が「挑戦する勇気」に凝縮されるとするならば、それを遂行しているのはchallengedたちに他なりません。

しかし、私たちにはそれが見えないのです。

challenged でなくてもマイク・タイソンとリカルド・ロペス、ほぼ同時代に生きた二人、どちらが競技と真摯に向き合い研鑽したかは論を待たないというのに。

人は空ばかり見てる(中島みゆき)のです。

ロペスのような軽量級ボクサーにとって、世界中がチヤホヤする高峰の山など、どこを見渡してもありません。

カリド・ヤファイは、PFPなどの専門家評価で人気階級のスター選手を凌駕したローマン・ゴンサレスを尊敬していました。しかし、同時に「私がミドル級なら住む家も乗る車も何もかもが違っていた」と、軽量級の哀切を嘆いていました。

実は、富裕国で唯一軽量級が正しく尊敬されている日本ですら事情は変わりません。

もし、井上尚弥がミドル級やウェルター級でバンタム級と同じパフォーマンスを見せていたなら「米国で無名」なんて誰も言えなかったでしょうし、米国の大きなメディアでも取り上げられながら、日本でのステイタスも全く違うものになっていたはずです。

井上もヤファイと同じ「もし私がミドル級なら…」の一人である、軽量級なのです。

スティーブン・フルトンも、そんな軽量級の辛酸を舐めてきました。

特に、それはプロになってからのことです。

アマチュア時代から親交のあったガーボンタ・デービスやエリクソン・ルービン、ジムの後輩、ジャロン・エニスら人気階級で戦う彼らと自分の間には、明らかな格差があることを痛いほど感じてきました。

ルービンやエニスは「スーパースター候補」でしたが、軽量級はどんなに強くてもスーパースターにはなれないから、フルトンは「どんなに勝っても無敗でもスーパースター候補になれない」と悟りました。

マイク・タイソンやシュガー・レイ・レナード、オスカー・デラホーヤ、フェリックス・トリニダード、フロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオ、カネロ・アルバレス…ボクシングファンなら誰でも知っている有名なボクサーに軽量級の選手がたったの1人もいないことは、何となくわかっていました。

しかし、いざその場所に立つと未来への希望が萎んでいくような気がしました。


デービスやルービン、エニスと同じように無敗のプロキャリアを重ねても、彼らとフルトンではメディアの扱いとファンの声援は全く違う種類のもの。それを目の前で見るのは面白い話ではありません。

身近に人気階級の友人がいたことは、良いことばかりではないのです。


これから登ろうとする山が〝人の目から見て〟高ければ高いほど、戦意は高揚するものです。しかし、その山が想像してた以上に低いことを知ってしまったら…?

それでも、フルトンは世界王者を目指して無敗街道を突き進みます。 

もし、自分がミドル級ならカネロにはなれなかったかもしれない。軽量級だから世界王者になれるチャンスがあるのかもしれない。

とにかく前向きにリングに上がり続けます。  2017年にはルイス・ロサリオ、アダム・ロペスとの無敗対決に連勝。ジュニアフェザー級の世界ランキングに突入します。この2試合のビデオを見たカール・フランプトンがフルトンをスパーリングパートナーとして英国に呼び寄せ、ノニト・ドネア戦に備えたのでした。


フルトン、最後のストップ勝ちは2019年8月24日。もう4年近くも前のことです。

ドネアに完勝したフランプトンから「ドネアより強い」と激励されたフルトンは、タフなヘスス・アフマダ・アルセを初めてストップ。

戦績を15戦全勝6KOまで伸ばすと、ついに世界戦のチャンスが舞い込みます。

IMG_0329

2019年5月11日、バージニア州フェアファックス・イーグルバンクアリーナ。マイナー団体IBOのジュニアフェザー級王者38歳のパウルス・アンブンダに挑戦。三者とも120−107の完封勝利を収めました。

アンブンダは6年前の全盛期に亀田和毅に完敗、初黒星を喫するとともにWBOバンタム級王座も奪われている〝世界基準未満の世界王者〟。

ボクシングマガジン2019年7月号の小さな記事を読んだファンの多くは「アンブンダ、まだやってたのか」と思った程度で、フルトンに注目した人はほとんどいなかったでしょう。

この7月号は井上尚弥が英国グラスゴーでエマヌエル・ロドリゲスを粉砕、WBSS決勝進出を決めた試合が大特集されていました。

SSEハイドロで行われた井上vsロドリゲス戦は、ジュニアウェルター級の世界戦ジョシュ・テイラーvsイバン・バランチェックのセミファイナルでしたが、上階席が封鎖される悲しい風景。英国ではジュニアウェルター級でも「軽い」ということを実感させられてしまいました。

そして、アンブンダに勝って初めて世界王者になったフルトンでしたが、地元ですら全く注目されません。

しかし、この男はどこまでも前向きです。

「メジャー団体のタイトルを獲れば少しは注目されるに違いない」。

そして…フルトンの道は一気に開けるのでした。



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ