カテゴリ: 世界最強の男

1 唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
   後(うしろ)の山に棄てましょか
  いえ いえ それは なりませぬ


2 唄を忘れた 金糸雀は
   背戸(せど)の小薮に埋(い)けましょか
  いえ いえ それはなりませぬ


3 唄を忘れた 金糸雀は
   柳の鞭(むち)でぶちましょか
  いえ いえ それはかわいそう




4 唄を忘れた 金糸雀は
   象牙の船に、銀の櫂(かい)
   月夜の海に 浮かべれば
      忘れた唄をおもいだす


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ボクシング・マガジン1976年12月号に「具志堅用高の〝天才ボクシング〟研究〜新チャンピオンは本当に『百年に1人出るか出ないか』の天才なのだろうか。未知の部分の多い具志堅のボクシングにメスを入れるとー。」という特集記事が掲載されました。

当時の具志堅は「王貞治のベーブ・ルースやハンク・アーロンの本塁打世界記録」と同次元で、ウィルフレド・ゴメスの「現役最多防衛記録」に追いつけ、追い越せと熱い視線を集めていました。

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1975年11月初めに日大病院の吉田幸夫博士が考案したパンチ力測定機(サンドバッグに放たれたパンチの衝撃を電流に変えてオシロ・グラフで読み取る)のよると、具志堅の左ストレートは132〜134kgを記録したそうです。

ただ、海老原博幸は136kgをマークしたといいますから、110ポンド前後のボクサーとして具志堅は空前絶後の強打者ではありませんでした。

また、この記事は「パンチ力とKO率は比例しない。輪島功一のパンチ力は(具志堅以上で)測定器が壊れるほどだったが、彼はけして一打必殺のKOパンチャーではない」と、154パウンダーと同列に並べる無茶苦茶さを晒け出していますが「一般青年男子の利き手の平均が約64kgということを考えると、具志堅のパンチ力は破格」というのも当たり前です。

あるバラエティ番組でCHAGE and ASKA のASKAは具志堅とパンチングマシーン対決、150キロをマークしましたが、具志堅は100キロ前後にとどまり、全く勝負になりませんでした。

MLBで2010年にアロルディス・チャップマンが記録した105.8mph(170.3km/h)は16年経ったいまも更新されていません。「速い球は慣れたら問題ない」という落合博満の言葉を聞くまでもなく、ジェイコブ・ミジオロウスキーや佐々木朗希の速球はバットに当てることのできない魔球ではありません。

ボクシングでも、絶妙のタイミングで急所にジャストミートすることが全て。井上尚弥が放った肝臓を抉ったように見えてもタイミングのずれたボディショットでは、アラン・ピカソでも耐えることができます。しかし、触っただけにすら見えるジャブクロスでも、ファン・カルロス・パヤノは背中からキャンバスに墜落してしまうのです。

輪島の例を出すまでもなく「パンチの強さは体重に正比例します」。試合になると後ろ重心で羽毛のようなパンチしか打てない亀田和毅や井上拓真でもサンドバッグには尚弥のような強烈なパンチをめり込ませています。

パンチ力は体重ーーーだからボクシングの階級は体重で分けられているのです。

尚弥の強打はどこから生まれるのか?CompuBoxなどのスタッツで尚弥はどうして被弾が多いのか?どちらの理由も同じです。体重を乗せてパンチを打つからです。相手の射程距離を厭わないからです。とどのつまりは、勇気があるからです

和毅はサンドバッグ相手なら、父親が絶賛する強打を叩き込みますが、実戦では「女子ボクサー」と揶揄されても手打ちのペチペチしか打てません。

拓真は兄弟の意地がある尚弥とのスパーリングなら危険な距離にも飛び込めますが、実戦ではそこに踏み込む勇気は1ミリもありません。

和毅や拓真が羽毛パンチなのは物理的にはメカニクスの問題ですが、それ以前に心理的な問題です。彼らには踏み込む勇気が絶望的に欠落しているのです。

それを不治の病気、疾患と呼ぶこともできるかもしれませんが、それをいうなら尚弥の勇気もまた、綺麗事ではなく病気なのかもしれません(こっちの病気は治癒の兆候があるので残念ですが)。

もちろん、野球で「内角高めの速球が得意の打者はいない」というように、デンジャラスゾーンはどんなスポーツでも誰もが苦手としています。尚弥ですら、格下に転がらされているように。

もちろん、稀有ですがクロスレンジを好む変態は、います。

ロベルト・デュランやマニー・パッキャオが、そんな突然変異です。彼らを目の前にすると、グラディエイターとしての矜持がくすぐられてしまいますが、マービン・ハグラーやフロイド・メイウェザーのようにビジネスに徹するのが賢明です。

先週、69歳で天国へ旅立ったウィルフレド・ゴメスは1発の破壊力も秘めたナチュラル・ボーンでしたが、クロスレンジでの巧さも際立つテクニシャンでした。

同じジュニアフェザー級で、パンチ力もあった技巧派のギレルモ・リゴンドーがKOしても「退屈」と非難されたのはファンベースが薄い軽量級や出身がキューバだからではありません。

バズーカにあってジャッカルに欠落していたもの…破壊へ向かう確かな予感、スペクタクルへの導火線でした。




あなたが考えるハードパンチャーとは誰でしょうか?

パンチ力とは何なのか?まだまだ続きます。










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Fallece Wilfredo “Bazooka” Gómez, leyenda del boxeo puertorriqueño


私がボクシングの魅力に惹き込まれた1980年代初め。

複数の認定団体と、新設クラスで水膨れした階級によってタイトルの価値は低落の一途を辿っていました。

当時、水増し階級の槍玉に挙げられていたのはジュニアフライ級と、ジュニアフェザー級。

日本フェザー級で強打を存分に発揮していた〝KO仕掛け人〟ロイヤル小林がWBA王者アレクシス・アルゲリョへの挑戦に失敗(5ラウンドKO負け)、新設のジュニアフェザー級に照準を変えたのは当然でした。

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現在、井上尚弥が席巻するジュニアフェザー級ですが、ゴメスと比較すると対戦相手の質が議論する意味がないほど、あまりにも違いすぎます…。


1976年10月9日、WBCジュニアフェザー級王者リゴベルト・リアスコを蔵前国技館のリングに引っ張り上げて、見事8ラウンドKOでタイトル奪取。この年5月に輪島功一が王座から陥落、世界王者不在の空白にピリオドを打つ貴重な勝利でした(翌日、具志堅用高がプロ9戦目で衝撃のタイトル奪取、ロイヤルの印象は霞んでしまいましたが)。

小林は、敵地韓国で廉東均に判定で敗れて初防衛戦に失敗。新設階級らしく流浪のチャンピオンベルトは、廉に勝ったウィルフレド・ゴメスの腰に巻かれていました。

1972年ミュンヘン五輪でフェザー級ベスト8のロイヤルに対して、ゴメスは同じ五輪にフライ級で15歳で出場、2回戦で敗退。

2年後の1974年世界選手権にゴメスはバンタム級で出場、オールノックアウトで優勝。バスーカの威力を見せつけていましたが、1978年1月19日の小林の挑戦はチャンスありと期待されていました…。

まさか、新設間もない水増し階級に、歴代最強クラスの化け物が潜んでいただなんて、誰が想像できたでしょうか?

「ボクシングはタイミング」という真理を、一瞬でかくもわかりやすく伝えることが出来るのかという左ショート一閃。リアルタイムであれを目撃した人は、どれほど驚いたことでしょう。

このタイトルは17連続防衛、しかもオールKO。

小林を沈めた年の10月28日には、6度目の防衛戦に52戦全勝51KOのバンタム級のカルロス・サラテを迎えます。このとき、ゴメスも無敗で21勝全KO1分。2人合わせて73勝72KO1分という、軽量級史上最高の強打者対決はサラテ有利と見られていましたが、ゴメスが5ラウンドKOで大勝負を制しました。

1981年8月21日、WBCフェザー級王者サルバドル・サンチェスへの挑戦は失敗(8ラウンドKO負け)に終わりますが、プエルトリコのバズーカ砲はボクシングのスペクタクルを見せつけてくれただけでなく、その奥深さも教えてくれました。

ふっくらとなった体をゆすってビッグファイトの会場などに姿を見せてくれることもありましたが、現役時代から悩まされていた外傷性脳損傷に悩まされながら、ドラッグへの依存を深めていってしまいました。

現地時間10月10日、69年の生涯を閉じ、天国に招かれました。







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NPBで打撃三冠王を達成したのは、佐藤輝明を含めて9人。

1リーグ時代で試合数も少なかった中島治康を除くと、8人。

今季のサトテルの数字をその8人の中で順位付けすると…史上最低の三冠王かもしれません。

打率.306は、これまで最下位だった村上宗隆(2022年)の.318よりも低い8位。1位はランディ・バース(1986年)の.389。

本塁打39は、落合博満(1981年)の32、ブーマー・ウェルズ(1984年)の37に続く6位。1位は村上(2022年)の56。

打点106は、落合(1981年)の99を上回るものの7位。1位は落合(1985年)の146。

3部門だけを見ると、いずれも傑出した数字ではなく、1981年の落合(打率.325/32本塁打/99打点)と比較される〝史上最低の三冠王〟です。

しかし、1982年の落合は出塁率.428、長打率.606、OPS1.034。出塁率は打率を1割以上も上回り、相手投手から数字以上に恐れられていたことが浮き彫りになっています。

一方、サトテルはシーズン序盤こそ落合並みの脅威でしたが、最終的には出塁率.383、長打率.609、OPS.991。長打率はわずか3厘ですがサトテルのリードも、出塁率の差が2人の〝平凡な〟三冠王に明らかな格差を示しています。

この格差は、落合58、サトテル164という三振の数からも見て取れます。投手から見て、落合は選球眼が良くコンタクト率も高い、非常に厄介な打者でしたが、サトテルは打ち取る方法がいくつもあるのです。

村上もこのタイプと思われがちですが、2022年の三振は128。出塁率.458、長打率.710、OPS1.168と、三冠王にふさわしい支配的な数字を残しています。きょうのガーディアンズ戦でも先制点となった押し出し四球はお見事でした。

サトテルは8人の中でOPSが1に届かなかった唯一の三冠王です。

1982年の落合は「他の選手がだらしなかっただけ、ラッキーで獲った史上最低の三冠王」と、素晴らしい成績を残したにも関わらず批判に晒されました。

山田久志ら超一流の投手らが「あんな恐ろしい打者はいない」とメディアや一部ファンの懐疑的な声に反論、落合本人も「優勝を狙えなくなってからはライバル打者を見ながら打ってるんだから、数字がどうのっていうのはおかしい」と語っていましたが、どちらが正しかったのかが明らかになるのに大した時間はかかりませんでした。

個人的には、あのときの落合の三冠王としては低調な数字は陸上中長距離でよく見られる「流した」からではなく、あれで精一杯だったのだと思います。そして、あの批判に燃えて文句無しの三冠王を2度獲ったのだと。

一方のサトテルには賞賛の声が圧倒的です。もちろん、そこにはチームを優勝させたこと、広い甲子園と左打者に不利な浜風なども考慮すると、一概に「史上最低の三冠王」とは言えません。

それでも、全盛期の落合が異常なのは常に投手のウィニングショットを待つという姿勢。2ストライクと追い込まれてからの打率が1985年には.374。「あんな恐ろしい打者はいない」(山田)というのも当然です。

ちなみに、今季のサトテルの2ストライク後の打率は.180、落合の半分以下。投手にとっては「なんとか追い込めば」と希望の持てる三冠王でしたが、落合はあの佐々木主浩を「追い込んだらフォークとはならない」と恐怖のどん底に叩き落としたのです。

1985年の落合の出塁率は驚異の.481。さらに変態なのは三振がわずか40。今年の首位打者であるサトテルは164。パ・リーグ首位打者、レイエスは100。もっとも三振が取れないイチローが打率.387をマークした2000年シーズンの三振数でも36でした。


さて、佐藤輝明の三冠王はどう格付けすべきなのかは最初から決まっています。

三冠王の格付けは全員がAAAに決まっています。



なによりも、サトテルには未来があります。

太平洋に渡って大活躍したサトテルが引退したとき「サトテルの2026年」は「落合の1982年」と比較されているかもしれません。

あのときは、まさかここまでの打者になるとは…と。





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サトテルの三冠王が決定しました!!!

球団史上、ランディ・バース以来2人目、日本人では初の快挙です!!!!!

NPBでは1リーグ時代も含めて、史上9人目。

Rating AAA

〝ベスト9〟の中でサトテルの格付けはどうなるのか?

スタンダード&プアーズで「NPBの三冠王」を審査するスタンダード&フシアナーズが、サトテルを含めた過去9人の格付けを発表します!!!!
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現役時代にどれほど偉大な選手だったかは、いまさら語る必要はないでしょう。

幼い頃、三輪トラックに激突され、焚き火の中に右手を付いてしまい指が内側に曲がったまま、まっすぐ伸びなくなりました。「棒きれをやっと持てる状態」でした。

1981年に引退、そのことを初めて人に明かしたのは川上哲治。打撃の神様は「うっ、おまえ、こんな手で…」と、涙ぐんだそうです。左利きの張本にとってグローブをはめる手、そして打者としては最も大切な手でした。

大谷翔平の二刀流を「出来るわけがない」と斬り捨てたのは「どちらかにしないともったいない」とその才能を最大級に評価していた裏返しでした。MLBでも大きな花を咲かせた大谷には、一人のファンのように応援していました。

カズの現役にこだわる姿勢を「みっともない」と批判したときも物議を醸しましたが、カズの「偉大な先輩からの貴重な助言。これからも頑張る」という答えに「男らしい。腹がすわっている」と〝あっぱれ〟。あれは老害の手のひら返しなどではなく、二人の偉大なアスリートの世代を超えたエール交換でした。



「原爆」「朝鮮」という戦後の闇を背負い、「力道山」「長嶋茂雄」「王貞治」という光に抱擁されたまさに伝説の86年。


まだまだ、炎上発言をお聞きしたかったです。


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The Unicorn's Breath


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「先発投手が降板後も指名打者(DH)として出場できる」。〝大谷ルール〟と呼ばれてますが、これ意外と知られてない(進次郎構文)。

そして、このルールはNPBでも採用されているのですが、これ意外と知られてない(これは意外とじゃない)。近代プロ野球で野手を上回る打力を持つ投手など存在しませんから、このルールが使われないのは当然です。

NPBでは「降板した投手を別の守備位置につかせて再登板できるようにする」戦術は稀に見られますが、今年の夏の甲子園・高校野球では49校中4校が〝大谷ルール〟を採用しました。

従来の「降板→別守備→再登板」は近年の常識はずれの炎天下では消耗が大きく、守備負担が比較的少ない一塁手でも接触プレーの危険があります。最近でも、春の選抜で山梨学院の二刀流選手がリリーフ登板を見据えて一塁手で出場、守備で走者と交錯して負傷したこともありました。

多くの医師も「再登板を見越して守備につかせることは肩や肘の故障のリスクが増大する」と注意喚起しています。

NPBやMLBの舞台ではユニコーン以外は関係のない、唯一案件にのみ適用される摩訶不思議なルールになってしまっていますが、高校野球では戦術的にも選手の安全面でも注目度が高まり、今後もさまざまなバリエーションで使われることになるでしょう。

一方で、DH制の導入は、第二の大谷翔平を生み出す芽を摘み取る行為でもあります。

ただでさえ、二刀流はユニコーンと呼ばれる存在なのに、投手が打席に立つ必要がない環境が完成すると挑戦すら出来ない状況になってしまいます。

「1番、ピッチャー大谷翔平」「大谷が自らを援護する豪快なホームラン!」…近い将来、そんな驚天動地のアナウンスや、理解不能の解説を耳にすることがなくなるとしたら悲しいことですが、あともう少し、驚天動地と理解不能に身悶えする時間を楽しめるはずです。


この時代に生まれたことに感謝です。




 
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The Unicorn's Breath

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カージナルス戦の先発は1番に中堅トミー・エドマン、DHにはアレックス・コール、大谷翔平は「上腕二頭筋と首への違和感」から欠場しました。

野球の常識を木っ端微塵にしてみせたユニコーンはNPBで5年、MLBで7年目。今回の不振は最も深刻なものに思えます。

「投げた翌日はかなり疲弊している。身体中が硬直してまともな運動ができない。大谷さん見てると疲れてないよう。打者として本塁打を打つ、考えられない」(江川卓)。「僕も投手として野球に全てを捧げてきたつもり。それでも時間が足りなかったのに」(川上憲伸)。「こんなの(二刀流)なんて絶対に無理。打者に専念する」(ベーブ・ルース)。

大谷翔平がやってのけたことは、まともな人間の肉体ならその負荷に耐えられないような神業です。

自分の口座から30億円近い金が盗まれていても気づかない、数えきれないほど制作されたドキュメンタリーや特別番組にもビデオレターで参加したら良い方、優勝後に喜び合う選手の輪の中で妻に「もう帰る」と言い放つサイコパス…間違いなく狂人です。

その次元まで野球だけに集中していないと不可能なことを、彼は12年も継続してきたのです。

NPBでも来年からセ・リーグがDH制を採用。投手が打席に入ることはなくなります。「投手に打たれたらダメですよ」なんて解説も聞けなくなるわけです。

MLBでは2020年に〝大谷ルール〟が定義され、ほぼ全ての球団が育成に挑戦しました。しかし、あれから6年以上経過しても、リアル二刀流出場はもちろん10試合以上登板・10試合以上野手のTwo-Way Player ですら1人も生まれていません。


大谷翔平は偉大なパイオニアにもなれないまま、文字通りユニコーン(唯一無二の存在)として孤独な戦いをこれからも続けていくでしょう。





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伝説などとは程遠い能勢電という関西ローカル線ごときまでが軽々しく「レジェンド」と自称する昨今、スポーツ界でもレジェンドやら怪物やらカリスマやらが大量発生したイナゴの如く跳梁跋扈しています。

ふざけんなよ、ボケっ!!!

先日、この能勢電の終着駅にあるゴルフ場へ取引先の方々と行った朝食のテーブルで(といっても誰も能勢電などに乗らずに自家用車やタクシーなのですが)そんな話題になりました。

「能勢電はレジェンドをある程度はギャグとして使ってるのではないか?」という仮説は「いや、これは完全に本気で使ってる」と速攻で否定されてしまいます。

そして「伝説やカリスマはいつからこんなに軽くなったのか?」ということについては「朝倉兄弟の路上の伝説あたりではないか?」「いや、もっと昔にカリスマ主婦というのも氾濫した」と、遡ります。

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 大阪はそれなりにRIZIN、盛り上がっとるぞ!



路上の伝説やカリスマ主婦というのは、一見すると中島みゆきの「地上の星」のようにカッコ良くも聞こえますが、そうではありません。

「ど素人から見て、ちょっと出来る」というレベルです。

このシリーズでご紹介するのは、誰がどう考えても伝説という「カリスマ主婦」とか「路上の伝説」とは全く違う星雲の話。

もちろん、誰にでもわかる「大谷翔平」とかは持ち出しません。

この人の凄さ、ちゃんと評価できてないやろ!どいつもこいつもフシ穴どもめ!!!!!っていうグレートです。

さあ!「大谷翔平NG」で現役の日本人レジェンドを挙げてみろ!

日本のボクシングファンと海外メディアで称賛されている井上尚弥や井岡一翔は「世界戦の勝利数」「PFP」「複数階級制覇」などが評価のポイントですが「ところで誰に勝ったの?」となると、〝チキン〟ナルバエスやら〝完全劣化〟ドネアやら〝劣化〟ニエテスやら終わった選手だけ…。

井上や井岡、中谷をあれほど絶賛していた、アラムが日本への興味がなくなった途端に手のひらを返したのを見て、信者さんはなぜ怒らないのか???

北半球最悪のお爺さんは、彼にNOと言ったモハメド・アリやマービン・ハグラー、オスカー・デラホーヤ、フロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオに対しては手のひらを返すどころか、ジジイに反旗を翻した時点で主従関係が逆転した感すらあります。

さあ!「大谷翔平NG」で現役の日本人レジェンドを挙げてみろ!

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「現役の日本人レジェンド」だぞ、⬆︎「阪神のインデアンカレーはインドカレーをも駆逐する」とか食べ物とかはナシ!人間アスリートに限定します。



※インデアンカレー案件については現在、定量調査から深掘りしている最中です。私と同じタイミング、今年4月から大阪に来たインド人が「こんな美味しいカレー、初めて食べた!」と言い放って、私は「嘘つけ!ボケッ!」と頭を引っ叩くと、奴は「インディアン、嘘つかない」と言い放ったのです…現在、この30歳の若きインド人の履歴書が本当なのか?タイガー・ジェットシンのように、インド人というのはギミックではないか?ということまで遡って厳粛に調査しています。

インデアン≠インディアン




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日本でも世界でもキックボクサーがボクシングのリングで躍動しています。

しかし、この〝非常事態〟はタイ王国に限っては歴史的に当たり前の日常であり続けています。

辰吉丈一郎のキャリア最高傑作で名脇役を演じたシリモンコン・ナコントンパークビューもまた、そんな元キックボクサーでした。

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ムエタイジムの実家に生まれたシリモンコンは1993年、15歳でWVC(世界ムエタイ評議会)のタイトルマッチを手がけるランシットスタジアムでミニフライ(105ポンド)級チャンピオンになると、タイの資産家から熱心な支援を受けて16歳で国際式に転向。

設立されたばかりのマイナー団体WBU(2004年に消滅)のジュニアバンタム級とバンタム級のストラップをつかみます。

そして「あした」がちょうど30年前となる1996年8月10日にホセ・ルイス・ブエノとWBCバンタム級の暫定王者決定戦を争いました。舞台はシリモンコンのホーム、タイ・ピサヌロークの県営サッカー場。

この時のリングネームは、ムエタイ時代のシリモンコン・シンマナサックのままでした。

帝拳がプロモートに甘噛みする中南米の強豪ブエノは川島郭志や文成吉とクロスゲームを繰り広げたテクニシャンでしたが、抜群の格闘技センスとフィジカルを持つ19歳の前に第5ラウンドで失神KO負け。

モーションが小さく、重い大砲のような左ジャブ。そして、この日も試合を決めた破壊的な右。この攻撃力を全面に打ち出せば、もっと大きな成果を残したはずでしたが、その火力とは似つかわしくないKO率は、無理やり倒しに行かないスタイルに起因していました。

あれから30年が経ちましたが、天才はまだ49歳。

私生活でも波瀾万丈のシリモンコンは今月1日にクルーザー級10回戦で7戦全勝7KOのヌルベク・バリスホノフ(キルギスタン)をバンコクに迎え、デビューからの連続KOはストップさせたものの、SDで敗退。

昨年からヘビー級でリングに上がるシリモンコンにとってクルーザー級は、辰吉戦を思い出させるような減量苦とも戦っていたのかもしれません。

それにしても、あの大阪城ホールのドラマから29年。49歳になってもまだ戦っているという驚き、ヘビー級まで階級を上げたという驚き、そしてまだアジアレベルの実力はキープしているという驚き…。

日本のリングに呼べばボクシングファンの間で大きな話題を呼ぶでしょうが、但馬ミツロでは悲惨な結果しか思い浮かびません。







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