どんなに人気のある階級でも、レベルが落ちる時期は訪れます。
ヘビー級ならモハメド・アリが引退、ラリー・ホームズが黄昏れ、ボクシングの人気と社会的地位の下落が顕著になった80年代。
そして、ミドル級ならマービン・ハグラーが引退、そのハグラーに勝ったシュガー・レイ・レナードがタイトル返上して王座が分裂していた1987年から2004年までの17年間。
そう考えると、80年代から短い冬はあったとはいえ、高い水準で人気とレベルをキープし続けているウェルター級の存在感が際立ちます。
マニー・パッキャオのフライ級は例外的ですが、マイキー・ガルシアのフェザー級、オスカー・デラホーヤやフロイド・メイウェザーのジュニアライト級など、直下ではない階級の超実力者までがそこを目指してきた歴史を考えると、この階級の凄みはウェルター級単体で考えるべきではないのかもしれません。
話が横道に逸れる前にミドル級氷河期です。
当時の史上最大のメガファイト「ハグラーvsレナード」によって散逸してしまったミドル級のストラップは人気も実力も今一つの凡庸な王者によってリレーされてゆきます。
1987年、WBCはトーマス・ハーンズが決定戦で戴冠、史上初の4階級制覇に成功。アイラン・バークレー、ロベルト・デュランら5人が「竹原慎二の1995年」までの8年間を慌ただしくリレーしました。
ミドル級氷河期の有象無象の王者たちの時代、Four Kingsの絢爛豪華とは比べるべくもないものの、そこそこの実力者が集まったのはIBF。1987年からフランク・テート、マイケル・ナンに英国の人気者ナイジェル・ベンとクリス・ユーバンクJr.も台頭しました。
ミドル級氷河期で最も凍てついた団体が、WBAです。
スンブ・カランベイ、マイク・マッカラム、レジー・ジョンソン、ジョン・デビッド・ジャクソン、そしてホルヘ・カストロ。竹原までの8年間で、6人の地味な王者がベルトをリレー。
氷河期、有象無象王者とはいえ、天下のミドル級。いつか氷が溶けて、スーパースターが共演する時代が近づいているのは間違いありません。
竹原の1995年。
プエルトリコの英雄フェリックス・トリニダードがウェルター級に君臨、将来的なミドル級進出を語り、複数階級の史上最多記録を更新すると公言していたオスカー・デラホーヤも駆け足でジュニアライト、ライトの2階級制覇に成功していました。
氷河期とはいえ、ミドル級を日本に引っ張り込むなんて少しでもボクシングを知ってる人に聞けば「フライ級やバンタム級じゃあるまいし。無理」と答えたでしょう。
さらに「万一、日本に呼べたら竹原に勝ち目はあるか?」としつこく聞けば…。
「日本人」ではなく「竹原」です。いつの時代も、日本のミドル級には二の矢も三の矢もありません。
そして,こう切り捨てられるでしょう。
「どんな穴王者がどんなに舐め腐って来ても、竹原でも絶対無理」。
ミドル級の世界王者など歴史上1人もいなかった時代。しかも、ハグラーやレナード、ハーンズというスーパースターの残像がまだハッキリと見えていた時代。
日本人がミドル級の世界チャンピオンなんて、口にするのも憚られる、そんな時代でした。
当時の日本にはWBAとWBCの二択しかありません。
WBCはハグラー戦前にレナードのスパーリングパートナーをつとめたスター候補のクインシー・テーラー。
WBAは無類のタフネス以外は凡庸で危なっかしい試合を繰り返していた不安定なホルヘ・カストロ。
のちにセルヒオ・マルチネスがミドル級を制したとき、多くのメディアに「カルロス・モンソン以来のアルゼンチンのミドル級王者」と報道されてしまうほど忘れ去られてしまう、あのカストロです。
※リング誌など「モンソン以来のLINEAL Champion」ときちんと説明していたメディアもありましたが、いずれにしてもカストロはアルゼンチンでも影の薄い王者でした。

アルゼンチン出身のフランシスコ教皇からバチカンに招かれ「アルゼンチンと世界中の人々に希望を与えた」と讃えられたマルチネス。
世界中の人々…?。アルゼンチン国内はともかく、世界ではコアなボクヲタでないとセルヒオは知らんぞ。
しかし、日本のボクシングファンはバチカンに招かれなくても母国で人気がなくても、ホルヘ・カストロを忘れることはありません。
協栄ジムのターゲットは、コストが最もかからないアルゼンチン人に絞られました。
そして,交渉成立。地球の反対側、アルゼンチンから世界ミドル級王者を日本に引っ張り込むことに成功したのです。
そして、穴王者がこれ以上ないという舐めきったビール腹を揺らして来日します。
着衣のままでも、その下の肉体が緩んでいるのがわかるカストロは来日早々、激しいトレーニングを行います。
そうしなければ、前日計量でリミットまで落ちないからです。
早い段階で「カストロ調整失敗」の状況が伝えられても表情を変えなかった竹原でしたが、前日計量でカストロの弛んだ腹回りを見たときは、怒りに震えます。
「俺はここまで舐められてるのか」。
カストロの弛んだ肉体がが報じられても「よし!竹原、チャンスだ!」と期待を膨らませたファンはほとんどいませんでした。
なにしろ、誰もその高嶺に登ったことが無いのです。
カルロス・モンソンやマービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、彼らと同じ肩書きを持つカストロに、日本人が勝てる訳がない…。
野茂英雄以前の日本の野球界と同じでした。
その高嶺に登って「下から見てるほど高くはないぜ」と教えてくれる誰かが現れるまで、待ち続けるしかないのです。
当時はインターネットもスマホもない時代。リング誌がカストロを階級最弱王者と断じていることなどほとんど知られていません。
もし、それを知っていたところでカストロ汲み易しとは誰も思いません。とにかく、今まで日本人の誰も成し遂げたことがないのですから。
カストロはまだ28歳の全盛期で、その戦績はなんと、104戦98勝68KO4敗2分。世界レベルの対戦で逆転勝ちが多いことは、無尽蔵のスタミナと打たれ強さの裏付け、その愛称はLocomotora(蒸気機関車)でした。
アルゼンチンの蒸気機関車は豪語します。「竹原相手ならスタミナも打たれ強さも必要ない。なぜならスタミナを使わない早いラウンドで終わるから。なぜなら竹原のパンチは当たらない、つまり打たれ強さを見せるまでもないから」。
日本のボクシングファンが史上初の快挙に期待していることを伝えられると「日本のファンをがっかりさせたくないから、最初に言っておく。そんな馬鹿げたことを期待してはいけない。そして、竹原はおかしな夢は見てはいけない」と吐き捨てました…。
計量をパスして秤から降りたカストロは、もう試合に勝ったかのようなはしゃぎっぷり。
目の前で揺れるアルゼンチン人の腹回りの贅肉に、ボクサーなら竹原でなくともこう誓ったでしょう。
「あの腹に思いっきりパンチをめり込ませてやる」。
ヘビー級ならモハメド・アリが引退、ラリー・ホームズが黄昏れ、ボクシングの人気と社会的地位の下落が顕著になった80年代。
そして、ミドル級ならマービン・ハグラーが引退、そのハグラーに勝ったシュガー・レイ・レナードがタイトル返上して王座が分裂していた1987年から2004年までの17年間。
そう考えると、80年代から短い冬はあったとはいえ、高い水準で人気とレベルをキープし続けているウェルター級の存在感が際立ちます。
マニー・パッキャオのフライ級は例外的ですが、マイキー・ガルシアのフェザー級、オスカー・デラホーヤやフロイド・メイウェザーのジュニアライト級など、直下ではない階級の超実力者までがそこを目指してきた歴史を考えると、この階級の凄みはウェルター級単体で考えるべきではないのかもしれません。
話が横道に逸れる前にミドル級氷河期です。
当時の史上最大のメガファイト「ハグラーvsレナード」によって散逸してしまったミドル級のストラップは人気も実力も今一つの凡庸な王者によってリレーされてゆきます。
1987年、WBCはトーマス・ハーンズが決定戦で戴冠、史上初の4階級制覇に成功。アイラン・バークレー、ロベルト・デュランら5人が「竹原慎二の1995年」までの8年間を慌ただしくリレーしました。
ミドル級氷河期の有象無象の王者たちの時代、Four Kingsの絢爛豪華とは比べるべくもないものの、そこそこの実力者が集まったのはIBF。1987年からフランク・テート、マイケル・ナンに英国の人気者ナイジェル・ベンとクリス・ユーバンクJr.も台頭しました。
ミドル級氷河期で最も凍てついた団体が、WBAです。
スンブ・カランベイ、マイク・マッカラム、レジー・ジョンソン、ジョン・デビッド・ジャクソン、そしてホルヘ・カストロ。竹原までの8年間で、6人の地味な王者がベルトをリレー。
氷河期、有象無象王者とはいえ、天下のミドル級。いつか氷が溶けて、スーパースターが共演する時代が近づいているのは間違いありません。
竹原の1995年。
プエルトリコの英雄フェリックス・トリニダードがウェルター級に君臨、将来的なミドル級進出を語り、複数階級の史上最多記録を更新すると公言していたオスカー・デラホーヤも駆け足でジュニアライト、ライトの2階級制覇に成功していました。
氷河期とはいえ、ミドル級を日本に引っ張り込むなんて少しでもボクシングを知ってる人に聞けば「フライ級やバンタム級じゃあるまいし。無理」と答えたでしょう。
さらに「万一、日本に呼べたら竹原に勝ち目はあるか?」としつこく聞けば…。
「日本人」ではなく「竹原」です。いつの時代も、日本のミドル級には二の矢も三の矢もありません。
そして,こう切り捨てられるでしょう。
「どんな穴王者がどんなに舐め腐って来ても、竹原でも絶対無理」。
ミドル級の世界王者など歴史上1人もいなかった時代。しかも、ハグラーやレナード、ハーンズというスーパースターの残像がまだハッキリと見えていた時代。
日本人がミドル級の世界チャンピオンなんて、口にするのも憚られる、そんな時代でした。
当時の日本にはWBAとWBCの二択しかありません。
WBCはハグラー戦前にレナードのスパーリングパートナーをつとめたスター候補のクインシー・テーラー。
WBAは無類のタフネス以外は凡庸で危なっかしい試合を繰り返していた不安定なホルヘ・カストロ。
のちにセルヒオ・マルチネスがミドル級を制したとき、多くのメディアに「カルロス・モンソン以来のアルゼンチンのミドル級王者」と報道されてしまうほど忘れ去られてしまう、あのカストロです。
※リング誌など「モンソン以来のLINEAL Champion」ときちんと説明していたメディアもありましたが、いずれにしてもカストロはアルゼンチンでも影の薄い王者でした。

アルゼンチン出身のフランシスコ教皇からバチカンに招かれ「アルゼンチンと世界中の人々に希望を与えた」と讃えられたマルチネス。
世界中の人々…?。アルゼンチン国内はともかく、世界ではコアなボクヲタでないとセルヒオは知らんぞ。
しかし、日本のボクシングファンはバチカンに招かれなくても母国で人気がなくても、ホルヘ・カストロを忘れることはありません。
協栄ジムのターゲットは、コストが最もかからないアルゼンチン人に絞られました。
そして,交渉成立。地球の反対側、アルゼンチンから世界ミドル級王者を日本に引っ張り込むことに成功したのです。
そして、穴王者がこれ以上ないという舐めきったビール腹を揺らして来日します。
着衣のままでも、その下の肉体が緩んでいるのがわかるカストロは来日早々、激しいトレーニングを行います。
そうしなければ、前日計量でリミットまで落ちないからです。
早い段階で「カストロ調整失敗」の状況が伝えられても表情を変えなかった竹原でしたが、前日計量でカストロの弛んだ腹回りを見たときは、怒りに震えます。
「俺はここまで舐められてるのか」。
カストロの弛んだ肉体がが報じられても「よし!竹原、チャンスだ!」と期待を膨らませたファンはほとんどいませんでした。
なにしろ、誰もその高嶺に登ったことが無いのです。
カルロス・モンソンやマービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、彼らと同じ肩書きを持つカストロに、日本人が勝てる訳がない…。
野茂英雄以前の日本の野球界と同じでした。
その高嶺に登って「下から見てるほど高くはないぜ」と教えてくれる誰かが現れるまで、待ち続けるしかないのです。
当時はインターネットもスマホもない時代。リング誌がカストロを階級最弱王者と断じていることなどほとんど知られていません。
もし、それを知っていたところでカストロ汲み易しとは誰も思いません。とにかく、今まで日本人の誰も成し遂げたことがないのですから。
カストロはまだ28歳の全盛期で、その戦績はなんと、104戦98勝68KO4敗2分。世界レベルの対戦で逆転勝ちが多いことは、無尽蔵のスタミナと打たれ強さの裏付け、その愛称はLocomotora(蒸気機関車)でした。
アルゼンチンの蒸気機関車は豪語します。「竹原相手ならスタミナも打たれ強さも必要ない。なぜならスタミナを使わない早いラウンドで終わるから。なぜなら竹原のパンチは当たらない、つまり打たれ強さを見せるまでもないから」。
日本のボクシングファンが史上初の快挙に期待していることを伝えられると「日本のファンをがっかりさせたくないから、最初に言っておく。そんな馬鹿げたことを期待してはいけない。そして、竹原はおかしな夢は見てはいけない」と吐き捨てました…。
計量をパスして秤から降りたカストロは、もう試合に勝ったかのようなはしゃぎっぷり。
目の前で揺れるアルゼンチン人の腹回りの贅肉に、ボクサーなら竹原でなくともこう誓ったでしょう。
「あの腹に思いっきりパンチをめり込ませてやる」。
コメント
コメント一覧 (4)
それが竹原の左ボディでダウンを喫するんですから、それがカストロにとってどれほどの衝撃かって事ですよね
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
竹原が、まるでヤンキーの喧嘩みたいにガードを解いて大股でズカズカと無造作に近寄っていき、また無造作に左ボディを食らわせるんですよね
そのあいだ、あのカストロが隙だらけの竹原を見てパンチを食らわせるでもカウンターを狙いに行くでもなく縮こまって震えてるんですよね
まさかプロボクシングのミドル級世界戦であんなモノが見られるなんて最高の気分でしたね
竹原を舐めきって負けたカストロには丁度いいザマです
フシ穴の眼
が
しました