10年の懲役を終えたフルトン・シニアは、初めて見る息子に「よく生きていてくれた。ありがとう」と感謝を伝えた。
フルトンは、父親も自分と同じように、暴力と犯罪が渦巻く街で多くの友人を失い、自分が生き延びることに精一杯だったという話を聞いた。
父親は息子に自分を守るためにボクシングを教えた。 上半身裸で練習し戦うのが当たり前の世界を知り、背中のアザはもう気にならなかった。
そして、12歳になるとジェームズ・シュラー ボクシングジムの門をくぐる。
ジェームズ・シュラー。
Black Goldと呼ばれ、若くして才能を爆発させたフィリー・ファイター。アマ戦績は178勝6敗。米国の五輪代表にも名前を連ね、金メダル候補だった。しかし、米国はモスクワ1980をボイコット、シュラーは無念の涙を拭いてプロ転向。
プロでも連勝街道を突き進み、絢爛の80年代ミドル級でWBA/WBC/IBFの全団体で1位にランクされ、22戦全勝でトーマス・ハーンズの持つNABFタイトルに挑戦するも、73秒で粉砕されてしまう。
シュラーは、その1週間後に交通事故で命を落としてしまうのだ。26歳の春だった。
悲運の天才の名前を冠したジムでフルトンは実力を伸ばし続けるが、国際大会で結果を残すことはなく、エリートアマと呼ぶには物足りない75勝15敗の戦績でプロ転向。
2014年10月にプロデビューするとジョシュア・グリーアや、アダム・ロペスらのちの世界ランカーとのクロスゲームを制して12連勝(5KO)を飾る。
しかし、米国では才能を萌芽させる軽量級の黒人選手の存在に誰も気づかなかった。
そう、米国では…。
幸運の便りは大西洋の向こう側から届いた。
米国や英国で軽量級に目が向けられることは「極めて稀」で、人気階級とは全く違うマイナースポーツだと考えるべきだ。男子100メートルと競歩が、同じ陸上競技でも全く違うスポーツであるように。
ただし、ボクシングの場合は「極めて稀」に例外的な人気者が登場する。それは、好戦的なメキシカンであったり、不屈のアイリッシュだったりするケースだ。
フルトンに届いたのは英国マンチェスターから。なんとあのカール・フランプトンからのオファーだった。
フランプトンは、ニューヨークのバークレイズセンターとラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナでレオ・サンタクルスと軽量級では奇跡的なビッグファイトを繰り広げたアイリッシュのスター選手。2016年にはBWAAとリング誌の Fighter of the Year をW受賞している。
フランプトンは2018年4月にノニト・ドネアとのWBOフェザー級暫定王者決定戦を前に、スピードのあるスパーリングパートナーを探していたのだ。
マンチェスターのVIPボクシングジムに招かれたフルトンは、フランプトンを相手に濃密な50ラウンドのスパーリングを経験する。
フランプトンの見立ては正しかった。
“The sparring with Stephen Fulton was very beneficial. I think he was very similar to Donaire, but fresher, younger and a little bit stronger than Donaire.I’m very impressed with his potential to be a future champion.”said Frampton.
「フルトンとのスパーリングはドネア対策として、非常に役に立った。ドネアとよく似ていた上に、まだ衰えていないし、若く、すでにドネアよりも少し強かったと思う。将来世界チャンピオンになる才能だと感じた」。
米国で試合をするよりもはるかに高額の報酬を受け取ったフルトンもまた、カネ以外のものを手に入れていた。
マンチェスターからフィラデルフィアに帰って、自分のトレーニングを再開したとき、フルトンは背中のアザをボリボリ掻きながら、トレーナーのワヒド・ラヒムに話しかけた。
“I know I’m the best fighter in the division. If anyone doesn’t believe me, I’m here to prove everybody wrong.”
「フランプトンと互角の練習ができた。フランプトンがドネアに完勝したのを見て、自信が深まった。ジュニアフェザー級最強のファイターは私だ。もしそれを疑う人がいるなら、彼らが間違っていることを証明してゆくだけだ」。
ラヒムは気持ち良さそうに笑って、あたりをキョロキョロ探す素振りをした。
フルトンは「何を探してるんだ」と怪訝そうに聞いたが、ラヒムは笑ってるだけ。
背中のアザを気にしていた繊細な少年は、もうどこにもいなかった。
フルトンは、父親も自分と同じように、暴力と犯罪が渦巻く街で多くの友人を失い、自分が生き延びることに精一杯だったという話を聞いた。
父親は息子に自分を守るためにボクシングを教えた。 上半身裸で練習し戦うのが当たり前の世界を知り、背中のアザはもう気にならなかった。
そして、12歳になるとジェームズ・シュラー ボクシングジムの門をくぐる。
ジェームズ・シュラー。
Black Goldと呼ばれ、若くして才能を爆発させたフィリー・ファイター。アマ戦績は178勝6敗。米国の五輪代表にも名前を連ね、金メダル候補だった。しかし、米国はモスクワ1980をボイコット、シュラーは無念の涙を拭いてプロ転向。
プロでも連勝街道を突き進み、絢爛の80年代ミドル級でWBA/WBC/IBFの全団体で1位にランクされ、22戦全勝でトーマス・ハーンズの持つNABFタイトルに挑戦するも、73秒で粉砕されてしまう。
シュラーは、その1週間後に交通事故で命を落としてしまうのだ。26歳の春だった。
悲運の天才の名前を冠したジムでフルトンは実力を伸ばし続けるが、国際大会で結果を残すことはなく、エリートアマと呼ぶには物足りない75勝15敗の戦績でプロ転向。
2014年10月にプロデビューするとジョシュア・グリーアや、アダム・ロペスらのちの世界ランカーとのクロスゲームを制して12連勝(5KO)を飾る。
しかし、米国では才能を萌芽させる軽量級の黒人選手の存在に誰も気づかなかった。
そう、米国では…。
幸運の便りは大西洋の向こう側から届いた。
米国や英国で軽量級に目が向けられることは「極めて稀」で、人気階級とは全く違うマイナースポーツだと考えるべきだ。男子100メートルと競歩が、同じ陸上競技でも全く違うスポーツであるように。
ただし、ボクシングの場合は「極めて稀」に例外的な人気者が登場する。それは、好戦的なメキシカンであったり、不屈のアイリッシュだったりするケースだ。
フルトンに届いたのは英国マンチェスターから。なんとあのカール・フランプトンからのオファーだった。
フランプトンは、ニューヨークのバークレイズセンターとラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナでレオ・サンタクルスと軽量級では奇跡的なビッグファイトを繰り広げたアイリッシュのスター選手。2016年にはBWAAとリング誌の Fighter of the Year をW受賞している。
フランプトンは2018年4月にノニト・ドネアとのWBOフェザー級暫定王者決定戦を前に、スピードのあるスパーリングパートナーを探していたのだ。
マンチェスターのVIPボクシングジムに招かれたフルトンは、フランプトンを相手に濃密な50ラウンドのスパーリングを経験する。
フランプトンの見立ては正しかった。
“The sparring with Stephen Fulton was very beneficial. I think he was very similar to Donaire, but fresher, younger and a little bit stronger than Donaire.I’m very impressed with his potential to be a future champion.”said Frampton.
「フルトンとのスパーリングはドネア対策として、非常に役に立った。ドネアとよく似ていた上に、まだ衰えていないし、若く、すでにドネアよりも少し強かったと思う。将来世界チャンピオンになる才能だと感じた」。
米国で試合をするよりもはるかに高額の報酬を受け取ったフルトンもまた、カネ以外のものを手に入れていた。
マンチェスターからフィラデルフィアに帰って、自分のトレーニングを再開したとき、フルトンは背中のアザをボリボリ掻きながら、トレーナーのワヒド・ラヒムに話しかけた。
“I know I’m the best fighter in the division. If anyone doesn’t believe me, I’m here to prove everybody wrong.”
「フランプトンと互角の練習ができた。フランプトンがドネアに完勝したのを見て、自信が深まった。ジュニアフェザー級最強のファイターは私だ。もしそれを疑う人がいるなら、彼らが間違っていることを証明してゆくだけだ」。
ラヒムは気持ち良さそうに笑って、あたりをキョロキョロ探す素振りをした。
フルトンは「何を探してるんだ」と怪訝そうに聞いたが、ラヒムは笑ってるだけ。
背中のアザを気にしていた繊細な少年は、もうどこにもいなかった。
コメント
コメント一覧 (1)
それに2018年の時点でドネアより強かったなんて衝撃です
今は更に強くなってるんでしょうか?
フシ穴の眼
が
しました