朝倉哲也は絶望に慣れていた。希望なんてどうせ叶わないのだから、最初から何も期待しない方がましだと信じていた。
…うろ覚えですが「蘇る金狼」(大藪春彦)の書き出しです。
日本ボクシング界とファンが描く欧米の人気階級への思いも、朝倉の気持ちに近似しているのかもしれません。
「欧米では関心が低い軽量級でも日本では人気がある」。
これは事実ですが、多くの関係者やファンが欧米の人気階級にも多大な注目と興味を寄せ続けているように、その背景には「どうせ叶わぬのなら、最初から何も期待しない方がましだ」という思いが隠されています。
つまり、欧米の人気階級は「日本で人気がない」わけではないのです。
日本のファンでも、ジョシュア・フランコやポール・バトラーよりも、カネロ・アルバレスやゲンナジー・ゴロフキン、タイソン・フューリー、デオンティ・ワイルダーらに詳しく、注目度も高いのが当たり前です。
つまり、日本のボクシングファンは「世界に通用する軽量級ボクサーを応援する」一方で、「世界的には欧米の人気階級に興味がある」という倒錯した心理を抱えているのです。
それでも、ウェルター級やミドル級で日本王者になっても、東洋タイトルを獲得しても「次は世界だ!」という空気は全く醸成されないのが常です。
もちろん、日本側の意向で好き勝手できる軽量級と違い、巨額のカネが絡む欧米の大手プロモーター、スター選手の縄張りである人気階級の世界戦をセットするのは至難の業。日本開催など夢のまた夢です。
「先進国の人気階級で世界挑戦するのはコネもコストもかかる」「軽量級よりも層が厚くレベルが段違いに高い」から、最初から能動的な取り組みは諦めている、だからチャンスも少ない…ただでさえ超難関なのに、下手な鉄砲すら数打てないのでは〝当たる〟わけがありません。
ウェルター級の世界王者はいまだに1人も生み出すことが出来ていませんが、ミドル級では2人の日本人が対照的なアプローチでアルファベット団体の頂点に立ちました。
「日本王者になっても東洋太平洋王者になっても世界なんて全く見えなかった」「プロテストに合格したての軽量級選手が世界を口にするというのに」と語っていた竹原慎二は、1995年12月19日に幸運を掴み取ります。
https://fushiananome.superknova.org/archives/27536340.html
https://fushiananome.superknova.org/archives/27539743.html
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当時のミドル級は、マービン・ハグラーとシュガー・レイ・レナードのメガファイトからタイトルは4つに分裂、液状化が進んでいました。1995年の最強王者はIBFのバーナード・ホプキンスでしたが、当時のJBCはWBAとWBCしか認めていません。
WBCはジュリアン・ジャクソンをKOしたクインシー・テイラー。 シュガー・レイ・レナードの元スパーリングパートナーでスター候補の1人でした。
テイラーから竹原に声がかかるわけもなく、日本に呼ぶなんてあり得ません。そもそも、竹原はOPBF王者だったにもかかわらず、WBCはミドル級ランキングの30位にも入れていなかったのです。
そして、WBAは番狂せで王者に就き、番狂せで4度の防衛戦をクリアしていたアルゼンチン人のホルヘ・カストロ。呼べない相手ではありません。
そして、期待通りに練習不足のビール腹を揺らしてカストロが来日してくれます。「ここまで舐められてるのか」と、竹原の闘志に火がつきました。
竹原の報酬はわずか600万円でしたが、歴史的な快挙を成し遂げます。
ちなみに、世界的にはもちろん、アルゼンチンでもカストロの評価は高くありません。
2010年にセルヒオ・マルチネスがケリー・パブリックを下したとき、リング誌など多くのメディアが「カルロス・モンソン以来のアルゼンチン人ミドル級王者」と報じ、日本のファンは「カストロを忘れてる!」と悔しがりました。
モンソン以来のLineal ChampionのマルチネスはFighter Of TheYearの候補に何度も挙がり、PFPトップ3に定着、鈍重なロコモトラとでは、評価が違うのは仕方がありません。日本での知名度は間違いなく逆転するでしょうが…。
村田、村田、村田…銀座駅までジャックしました。
この「竹原vsカストロ」と対照的な構図が「村田諒太vsゲンナジー・ゴロフキン」でした。
「勝っても勝っても世界なんて見えてこない」竹原に対して、村田はデビュー前から世界に照準を合わせていました。
それも、アルファベットタイトルならどれでもいいというような〝カストロ〟ではなく〝ハグラー〟や〝レナード〟との大勝負を想定してキャリアをスタートさせたのです。
竹原には「どうせダメ」という諦めムードが充満していました。それでも、ボクシングファンの中には「もしかしたら」という希望の灯が小さく揺れていたのも事実です。ただ、当時の世界戦では異例のテレビ生中継も無しで、それは〝大っぴら〟なものではありませんでした。
「ミドル級」と聞いただけで、「それ、日本人が挑戦したらアカンやつ」と決めつけていたのです。心の底では、憧れまくっているのに…。
そして、「日本人が挑戦してもいい」と〝大っぴら〟に公言するために必要な印籠を手に入れたのが村田でした。
野茂英雄が革命を起こしたように、村田によって人気階級への意識は変わったのか?となると、何も変わっていません。
ミドル級で五輪金。地球上で4年に1人しか誕生しない稀有なタイトルです。日本人としては残念ながら「突然変異」だと認めるしかありません。
人気階級が抱える憂鬱。
日本では、欧米の人気階級でプロボクサーとしてリングに上がり続け、世界に挑んで砕け散ることができなかったがために、潔くリングを降りることのできないボクサーが間歇的に出現します。
この世に残した未練を断ち切れない亡霊のように。
1999年プロデビュー。25年のキャリアで49戦35勝10KO11敗3分。クレイジー・キムと何度もニアミスし、19年前に石田順裕と拳を交え、14年前には柴田明雄とも戦いました。
チャーリー太田、細川貴之、デニス・ホーガン、井上岳志…。そのキャリアは、日本中量級の半世紀そのものです。
昨年7月、26歳の能嶋宏弥に6ラウンドでストップ負け。WBOアジアパシフィック・ミドル級王座を失い、世界ランキングからも陥落。
それでも「あの試合では終われない。ノーランカーですぐに世界とは言えないが、まだ残っている自分の可能性にかけたい」「世界初挑戦初奪取の夢は諦めない」。今年はまず、世界ランキング復帰を目標に掲げます。
野中がフライ級やバンタム級の選手なら、ここまでリングに未練を残したでしょうか?
もし、人気のないカストロが番狂せで世界王者になっていなければ、竹原も世界戦に恵まれることなくキャリアを終えていたでしょう。
いいえ、自らを「広島の粗大ゴミ」と呼ぶ男です。彼もまた、いつ訪れるかわからないミドル級の世界挑戦を待ち続ける亡霊になっていたかもしれません。
欧米の人気階級がゆえに、悲哀のキャリアを送る日本の中量級プロボクサー。
嫌いじゃありません。大好きです。応援するしかありません。
プロボクシングの最年長記録は、世界王座奪取が長谷川穂積35歳9か月。挑戦は西沢ヨシノリの38歳11か月。
野中は世界挑戦が決まった時点で、西沢の記録を大幅更新することになりますが…その日はやってくるのでしょうか?


コメント
コメント一覧 (2)
竹原が世界王座奪取したボクシング
マガジンいまだに自分持ってます!
ミドル級やウェルター級はおろか
ライト級でも世界タイトル挑戦は
難しいですからね。
アジアでは無敵の吉野もやっと挑戦者
決定戦に出られるだけですしね。
フシ穴の眼
が
しました
もちろん運はありました。
竹原自身「相手が、スピードタイプでなかったから....」
相手がハグラー、レナード、ポプキンスだったら....
キリがありません。
こんな小さな建築業のジムから
世界ミドル級タイトルマッチを組み、
奪取成功させたのだから偉業です。
テレビ東京太っ腹。
カストロも、4度防衛王者だから....
当時の日本選手、東洋レベルではムリでしょう。
興行権利をドンキングににぎられたのは痛かった。
あとライトヘビー級のケンシロウのパパ
Jr.ウェルター級の佐竹
ウェルター級~スーパーミドルのグレイシー キム
竹原含め大手の帝拳ジムだったら.....
運は、
残酷でもあるし、 成功したものは感謝しなくては。
フシ穴の眼
が
しました