ビッグネームとニアミスした男たち。

正確にいうと「ニアミスすることもできなかった男たち」。

彼らが抱いた大きな夢が叶わなかったのは、どうしてなのか?もっと突き詰めると、それは誰のせいなのか?

誰が彼らの夢を遠ざけたのか?

地方の弱小ジムか?

そのジムを選んでしまった彼ら自身なのか?

世界的には無名の軽量級の〝スター〟ではなく、本物のスターを育てることを怠ったJBCか?

軽量級は世界では不人気、人気階級はライト級から上、という事実に迫ろうとしなかったメディアか?

米英の華やかな舞台で注目される人気階級が見えないふりをしていたファンか?

それとも、彼らの夢が日本のプロボクシングという矮小な世界で抱くには、あまりにも大きすぎたからなのか? 

そう、実際に彼らは大きすぎたのだ。

JBCがカテゴライズするボクシングのクラスは最軽量のストロー級(105ポンド=47.61㎏)から、事実上の最重量のミドル級(160ポンド=72.57㎏)まで。

これが何を意味するかというと、他のスポーツなら両手を挙げて大歓迎されるはずの身長180㎝超で、160ポンドが軽すぎる逞しい男たちの居場所が、日本のボクシング界にはないということだ。

アイドル歌手がロンドンやロスアンゼルスでレコーディングするように、海外で試合をする軽量級のスター選手とは真逆の理屈。あるいは、NPBのトップ選手がメジャーを渇望して太平洋を渡るのとも違う。

軽量級のスター選手や、人気スポーツのトップ選手は日本に居場所があったのだから。

彼らは日本に居場所がなかった。欧米では人気階級だというのに。

「だったら村田諒太になればいいじゃないか」と言うかもしれない。しかし、あれは突然変異。

辰吉丈一郎も長谷川穂積も井上尚弥も、五輪で金メダルどころか出場すら出来なかった。

ボクシングを知る人に聞いてみるがいい。

「プロで4団体統一王者になるのと五輪で金メダル、どちらが難しいですか?」と。

「プロで4団体統一の方が難しい」と言う人はおそらく1人もいないだろう。それくらいの難関なのだ。しかも、ミドル級である。

文字通りの金看板を手に入れた日本人は、歴史上、村田だけだ。

そんなレアメダルがなくとも、軽量級なら世界王者になるチャンスは飛躍的に膨らむが、欧米の人気階級となるとそうはいかない…。


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その男が、まだ「真田雄一」だった頃。竹原がKO出来なかったのはこの男だけだった。

その男は小学校に上がる頃には大きな男の戦いに惹きつけられていた。

アイドルはモハメド・アリ。プロレス興業がやって来ると喜び勇んで会場まで見に行った。


1999年5月25日、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級王者・崔龍碩に12回判定勝ちで、王座獲得。20歳でデビューした男は、このとき33歳、戦績は15勝11敗4分と煮え立っていた。

そして、2004年がやって来る。1月11日生まれの男が38歳になって迎えた2004年は、常夏の1年になる。

1月19日には、WBA世界スーパーミドル級王者アンソニー・ムンディンのホーム豪州に乗り込んだ。結果は5回43秒TKO負けだったが、2ラウンドにダウンを奪う見せ場を作った。

4月10日、後楽園ホールでポーラ・トゥイロー5回2分59秒でKO、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級王座に3度目の返り咲きを果たす。

12月18日にはWBC世界スーパーミドル級王者マルクス・バイエルに挑戦、ドイツ・バイエルンの地に降りた。この世界戦でも2ラウンドにダウンを奪ったが、33歳のドイツ人の技巧に封じ込められて12回判定負け。38歳の熱すぎる1年が終わった。




1986年10月26日、20歳のとき3ラウンドKOでデビュー。2011年12月2日、5ラウンドKO勝利で引退。そのとき、男は45歳になっていた。

26年に渡るプロキャリアは58戦にも及び、31勝19KO21敗6分。

1999年にOPBFスーパーミドル級王者に就き、ライトヘビー級でもOPBFの頂点に立ち、クルーザー級でも戦った。

その男が戦った階級の周辺にはジェームス・トニーやロイ・ジョーンズJr.、マイケル・ナン、クリス・ユーバンク、ナイジェル・ベン、ジョー・カルザゲ、ミッケル・ケスラー、デビッド・ヘイら、本物のビッグネームが回遊していた。

彼らとは拳を交えることが出来なかったが、38歳のときにスーパーミドル級という階級で2度も世界にアタックできた男は、間違いなく幸運だったはずだ。

それなのに、どうしてそれから7年間もリングにしがみ続けたのだろうか?

45歳までの7年もかけて探さなければならない忘れ物とは何だったのか?

そして、男はその忘れ物を見つけたのだろうか?