その男は身長189㎝。日本人としては飛び抜けて大きな男だった。ましてや、小さな軽量級ボクサーが主流のボクシング界では、巨人だった。

最重量となる日本ミドル級王者として3度防衛。OPBFライトヘビー級タイトルまで奪取すると、これも4度防衛。

1989年7月25日のプロデビューから、2000年9月6日にOPBFライトヘビー級王座の4度目の防衛に成功して引退。

12年にわたるプロ戦績は、20勝11KO1敗3分。

唯一の敗北は1992年2月17日に喫したものだったから、それから8年以上も日本とOPBFのタイトルを飲み込んで無敗街道を疾走したことになる。

そのただ一つの黒星は、日本ミドル級王者に挑戦した試合だったが、2ラウンド2分47秒でノックアウトされてしまう。それでもオープニングラウンドからペースを握っていたのは、その男の方だった。


悲願の日本王者になった1993年から、引退する2000年までの8年間、ミドル級とライトヘビー級の世界のトップシーンを振り返ってみよう。

まず、ミドル級。WBAはレジー・ジョンソン、ジョン・デビッド・ジャクソン、ホルへ・カストロ、ウィリアム・ジョッピーらが、WBCではジェラルド・マクラレン、ジュリアン・ジャクソン、クインシー・テーラー、キース・ホームズらが王座をリレー。IBFはロイ・ジョーンズからバーナード・ホプキンスというレジェンドが君臨していた。

そして、ライトヘビー級。WBAはフレディ・ローチが手がけた最初の世界王者バージル・ヒルに、ジョーンズ、WBCはジェフ・ハーディング、マイク・マッカラム、ジョーンズ、IBFはヘンリー・マスケ、ダリウス・ミハエルゾウスキー。

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相手がロイ・ジョーンズやバーナード・ホプキンス、マイク・マッカラムでなければ、その男にもチャンスはあったのではないか?

いや、ジョーンズやホプキンス、マッカラムにだってノーチャンスではなかっただろう。

何よりも〝一歩間違っていたなら〟ジョーンズやホプキンス、マッカラムと拳を交えていたかもしれないのだ。

しかし、日本には存在しないライトヘビー級、そのOPBF王者は練習相手もいない状況で、所属ジムの経営難も災いして試合ができない歳月を重ねてしまう。

カリド・ヤファイは「私がミドル級なら住む家も乗る車も何もかもが違っていた」と軽量級であることを呪い、ファン・フランシスコ・エストラーダは「ボクサーにとって小さな体で生まれることは不幸で不運だ」と嘆いた。

しかし、私たちの国で欧米の人気階級で戦うボクサーは「デビューしたての軽量級のボクサーが世界を口にするのに、俺は勝っても勝っても世界の背中も見えてこなかった」(竹原慎二)というのが現実だ。

この国では、非常に珍しいことに、欧米の人気階級で戦うボクサーが日陰の存在に甘んじている。

もちろん、軽量級とは違い、世界との距離は離れている。それにしても、人気階級での勝負を後押し、応援しないでどうするのだ?

〝一歩間違っていたなら〟竹原慎二になれたかもしれない男たちの哀歌を唄うシリーズの幕が、今上がったのだ。