フィリー・ファイターの肉体に流れる血液を遠心分離機にかけると、不撓不屈の赤血球と、恵まれない不運の白血球が抽出されるでしょう。

スリラー・イン・マニラで両目の視力を失ったジョー・フレイジャーは「モハメド・アリがどこにいるかを教えてくれ。絶対ヤツを倒して見せるから」とセコンドに懇願しました。

バーナード・ホプキンスは、スターダムの頂点に並び立つフェリックス・トリニダードとオスカー・デラホーヤをことごとく撃墜しましたが、ついに主役の座に就くことなくリングを去りました。

スティーブン・フルトンの場合はリングの中の結果ではなく、米国の軽量級という時点で恵まれない不運の烙印が押されてしまいました。



もし、フルトンが日本人であったなら、井上尚弥との対決は国民的行事レベルで盛り上がっていたかもしれません。

いいえ、せめてメキシカンやプエルトリカンなら米国でも少しは注目されていたはずです。

フルトンはスピード、テクニック、コンビネーション、スタミナ、タフネス、ストラテジーを完備したボクサーです。7ツールを操るトータルパッケージにはパワーだけが欠落しているフルトンですが、対戦相手にとっては攻略するのが難しいスタイルを完成しつつあります。

米国での井上尚弥はボクシングマニアを例外に全く無名、その存在感はティトやゴールデンボーイとは比較対象にもなりません。

井上との決戦も、米国ではみんなが寝てる早朝未明の放送になります。

それでも、大番狂せを起こせば、その衝撃波は太平洋を超えて米国の主要メディアも刺激する可能性大。フルトンが希求してきた「RESPECT IN AMERICA(米国での注目)」を、短い時間でも掴み取ることができるでしょう。

フルトンは、リトル・ホプキンスになれるのでしょうか?


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1994年7月17日、フィラデルフィア北部のリチャード・アレン計画(労働者向けの住宅供給サービス)で建てられた二部屋しかない間取りのアパートで、小さな男の子が生まれた。

4人姉弟の末っ子で、母親のコマリーナは女手一つで家庭を支えていた。父親は懲役刑を喰らって服役中だった。

貧困な黒人家庭だというだけでなく、その赤ん坊の小さな背中には矢ジリのような形で深い穴が空いていた。先天性の欠損症だった。それを見た人は「かわいそうに」と同情するしかなかった。彼らも自分の生活で精一杯だったのだ。

入院して治療する余裕などあるわけもなく、母親と姉たちに出来ることは「あの穴から、ひどい病気にならないように」と、神に祈ることだけだった。

やがて、筋肉がつくと背中の穴は無くなったが、大きなアザが残った。

その子の名は、父親の名前を受け継いでスティーブン・フルトンJr.と名付けられた。

繊細な性格のフルトンJr.は背中のアザを気にして、家族以外の前では絶対にシャツを脱ごうとしなかった。

「金属探知機をパスしなければ入れない学校に通っていた。何人かの幼なじみが殺された。街のあちこちで、ドラッグの売人が徘徊していた。ここを脱出したいと思ったけど、脱出できない運命なのもわかっていた」。

「きっと僕もいつか殺されるか、運が良ければ父親のように刑務所に入るんだろう。楽に殺してくれるなら、それもいいかもしれない。暴力に怯える毎日から解放され、背中のアザを気にする必要もなくなるんだから」。

そんな多感な少年のもとに、父親が帰って来る。

あれほど、シャツを脱ぐのを嫌がっていたフルトンJr.が上半身裸になるのは、父親が戻って来てすぐのことだった。

父親の手ほどきでボクシングと出会い「生きてて良かった」と呟きながら。