カテゴリ: 採点について考える

「パンチのヒット数が二人合わせて91発」というのは、CmpuBoxの歴史上最少。

「1ラウンドでヒットしたパンチも7発が最多」。数字上は歴史的にアクションの少ない、つまり退屈な試合になりました。

塩と火薬を混ぜたら、より濃度の強い塩になるとは…。


ギレルモ・リゴンドーはこれがプロ2敗目。

採捕の敗北は、2017年12月。ワシル・ロマチェンコ戦でコーナーに座ったまま試合を棄権した「最悪の負け方」でしたが、それを更新する醜悪な負け方でした。

「リゴンドーの試合はつまらない」というのは、常に対戦相手の手数を上回り、軽量級で 20勝13KOという数字から見ても、完全な〝キューバ差別〟です。

しかし、今日の試合は最悪、最低でした。

Unfortunately, that would be the only action of note.

(初回にカシメロが〝ダウン〟を奪ったシーンが)不幸なことに唯一の見せ場になってしまった。

初回でカシメロのパワーに怯んだ40歳のキューバ人は、12ラウンドを通してサバイバルモードを徹底しました。 

第3ラウンドにはMPプロモーションズのショーン・ギボンスが席から立ち上がり「逃げるな!」と連呼し続けます。

 “stop running! Stop running!” 

リゴンドーのコーナーでも「手数を出さなきゃ勝てない」というロニー・シールズの指示は、6ラウンド以降は「ノックアウトを狙え」に変わります。

試合後のインタビューで「たった44発のパンチしかヒットしていないのに勝ったと思ったのか?」と皮肉られたリゴンドーは「この試合に勝つのに十分な数だったはず」と悪びれずに答えました。
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バックギアに入れたまま後退を繰り返すキューバ人と、突進と空振りを繰り返すフィリピン人。

リング誌付録の採点表でスコアを付けながら見ていましたが、7ラウンド以降はやめました。

"It's my style," Rigondeaux said. "It's the only one that I know."

「私はこの戦い方しか知らない」。

オリンピックで2度の金メダルを獲り、キューバから亡命し、ロマチェンコ戦でも惨敗を喫する前に試合を投げる…勝つためではなく、生き残るために戦う。それがジャッカルの流儀だと言われれば、もう二度と見たくはありません。

「有効なクリーンヒットがないラウンドを、どういうロジックで採点するか」(ジョー小泉)。

当たり前の話、クリーンヒットのない下がりっぱなしのボクサーに10点を付けてはいけません。

クリーンヒットがなければ「どちらがリスクを冒して攻撃的だったか」をロジック(採点根拠)にすべきです。

115−113でリゴンドー?ティム・チーサムはボクシングと鬼ごっこの区別がついていないようです。

「井上尚弥vsマイケル・ダスマリナス」は採点不要でしたが「ジャーメル・チャーロvsブライアン・カスターニョ」で114−114のドローとスコアしたジャッジです。
 
"It's the only one that I know."

リゴンドーの40年間の人生を考えると、深い言葉に聞こえます。

しかし、私たちが見たいのは「政治に翻弄されながらもしたたかに生き抜くキューバ人」では断じてありません。 
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誤解を恐れずにいうと「採点競技はスポーツではない」と考えています。

競技を終えて、審判の採点を聞いてから歓喜のガッツポーズをする。負けた選手が首をかしげて納得していない…。

そんなシーンは、陸上競技や水泳ではありえません。

先日、体操男子個人総合で金メダルを獲得した橋本大輝の採点に対して中国で批判が噴出、国際体操連盟が「採点は公正で正確だった」と異例の声明を出しました。

銀メダルになった中国の肖若騰との差はわずか0.4点。跳馬で橋本の着地がマットからはみ出たのに高得点だったことなどを挙げて「審判を買収した」「橋本は金メダルにふさわしくない」といった書き込みが今も止みません。

サーフィン競技で銀メダルに輝いた五十嵐カノアのSNSにも「審判から贈られたメダルに意味はない」といった誹謗中傷が殺到したと言います。

試合終了の瞬間に勝者が歓喜、敗者が落胆する…それがスポーツのあるべき姿です。

「誰が描いたのかによって、作品の芸術性が変わる」現代アートほどではないにしても、それに近い心理が勝敗を決める審判に働くとしたら、採点競技はスポーツではなく、純粋な芸術です。

誰の目にも明らかなアスリートの技術のみが勝敗を決する、それがスポーツです。

審判が勝敗を決める採点競技の結果を「その採点はおかしい」というのは自由です。

しかし、ピカソの絵画にも好き嫌いはあります。

ただ「ピカソの絵が嫌いだからピカソの存在も否定する」ような人は間違っています。芸術は「誰が書いたかによって芸術性や価値が変わる」のですから。

誤解・曲解する人もいるでしょうが、もう一度書きます。

採点競技はスポーツではありません。あれは、芸術です。

オリンピックで噴出する採点競技への批判の源泉は、多くの場合、ナショナリズムに起因します。
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プロボクシングに向けられる採点への批判も、人気選手や地元選手に特別な便宜が図られたのではないかという疑惑から噴き出します。

プロボクシングで、いつも納得のできる公平な採点が行われていると感じている人は、おそらく皆無でしょう。

地元判定や人気者が有利に採点されるシーンを、ボクシングファンは幾度となく目にしてきました。

ジャッジが恣意的に間違った採点をする犯罪行為は論外ながら、「10-9」に囚われて「10-10」を付けることを怖がるジャッジや、明白なダウンもスリップ気味のダウンも同じ「10-8」など、プロボクシングの採点方法、慣習にも現実の試合からかけ離れた採点が生まれる可能性が内包しています。

また、ジャブを打って距離を取るボクシングを評価するネバダ州や、勇敢な攻勢を好むニューヨーク州ではそもそもの採点基準が違います(明文化されている採点基準はほとんど変わりませんが、現実の採点傾向には明らかな差異が認められます)。

採点基準や慣習を改善、統一することで、公正に近づけることが出来ますが、それが採点競技である限り、人間の主観が入り込む余地をゼロにすることは出来ません。




前置きが長くなりました。


赤井英和とブルース・カリーの採点です。

初回から両者の力量差が際立ったミスマッチ。赤井は6ラウンドにラッキーパンチでチャンスを掴むも、すぐに息切れして王者の反撃にダウン寸前。

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第7ラウンド、フェザータッチのカリーのパンチに、赤井はへたりこむようにダウン。

なんとか立ち上がったものの、カリーが詰めて簡単に試合を終わらせます。

「7月7日7ラウンドでノックアウト」を宣言した赤井は、その通りに粉砕されてしまいました。

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ついに強い相手と拳を交えた浪速のロッキーは、世界基準とは程遠い実力を晒してしまいました。

それでも、初回から勇敢に左右のパンチを振り回し続けた、精根尽き果てるまで戦い抜いた、見事な玉砕でした。

それなのに。

6ラウンドまでのジャッジペーパーが発表されると、嫌な思いが込み上げてきました。

ありえないことに、ジャッジの一人、犬飼庸充はフルマークで赤井を支持していたのです。

採点競技であるある限り、主観が入るのは仕方がありません。

それでも、いくらなんでも、それにしても、です。

その後も「井岡弘樹vsナパ・キャットワンチャイ」の不可解なゴングや、「マイク・タイソンvsバスター・ダグラス」でタイソン有利のスコアを付けた森田健、「鬼塚勝也vsタノムサク・シスボーベー」の理解しがたい判定…。

薬師寺保栄は、ウェイン・マッカラーに僅差の判定でタイトルを奪われた試合について「審判にはちゃんと根回ししたんか?って会長に聞いたら、名古屋人形をプレゼントしたって。そりゃあかんわって思いました」と明かしています。

こうした土壌が「一番最悪なのは変な判定で勝ちが転がり込むこと」と村田諒太に言わしめたのかもしれません。

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当時は「渡嘉敷勝男vsルペ・マデラ」が疑惑の判定と、理不尽なダイレクトリマッチを繰り返し、プロボクシングの信用が瓦解した頃です。

「あからさまな地元判定」は少なくなっているものの、「欧米で人気のない階級」「王者よりも挑戦者の方が富裕」「世界戦、特に挑戦はまず100%日本開催」…それが井上尚弥の時代まで続く日本ボクシングの現実です。



今も昔も、日本のプロボクシングの世界戦略の基本は「マイナー階級」と「穴王者狙い」です。

そこでは、日本側のやりたい放題です。

もちろん、世界ランカー時代の竹原慎二が「軽量級では日本王者になったら簡単に世界と口にするけど、ミドル級では世界なんてどれだけ遠いのか実感すらない」と嘆いたように、欧米の人気階級には挑戦するチャンスは極端に少なく、莫大なコストもかかるという、もう一つの現実も横たわっています。

それを踏まえても、欧米で関心のない軽量級で好き放題する日本の体質と、階級と王者がいたずらに増殖する世界の不条理が、このスポーツへの興味を減退させ続けているのは間違いありません。

その意味で、プロボクシングもまたスポーツではありません。

もしかしたら芸術ですら、ないのかもしれません…。
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先週、ジャーメル・チャーロとブライアン・カスターニョが争ったジュニアミドル級完全統一戦はまさかのドローで、Undisputed Championは誕生せず。

その代わりに、ジャッジの一人ネルソン・バスケスがジャーメルの大差判定勝ちの採点をしたことに議論が湧き上がっています。

「117−111はありうるスコア。ただし、それはカスターニョの勝利として」(リング誌)、「ジャーメルとカスターニョを間違っていたなら考えられる」(ESPN)。 

第3ラウンドにカスターニョの攻撃によろめいたジャーメルからダウンをとるべきだったとする声も上がってますが、あれでダウンは可哀想です。

バスケスの言い分は「接近したラウンドが多かった」「他の二人とは違う角度から見てるから、印象が同じでないのは当然」「第10ラウンドを10−8でジャーメルにつけたスティーブ・ウェイスフィールドだっておかしいじゃないか」「CompuBoxでカスターニョの手数が大きく上回っていた?スタッツでは量しかわからない、問題は質だ」。

苦しい言い訳です。
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4−Belt Eraでは史上6人目、ジュニアミドル級では初めてのUndisputed Champion=議論する余地のない王者=完全統一王者の誕生が期待された「ジャーメル・チャーロvsブライアン・カスターニョ」の一戦はまさかのドローで、両者の持つタイトルは動かず、という結果に終わりました。

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私はカスターニョの攻勢を評価して116−112とスコアしましたが、オフィシャルは114-113(スティーブ・ウェイスフェルド/114-114(ティム・チーサム)/111-117(ネルソン・バスケス)。

第10ラウンドにジャーメルがカスターニョをぐらつかせて、この試合最大の見せ場を作り、続く11、12ラウンドも連取しました。

全てのジャッジがジャーメルに付けたラスト3ラウンドがカスターニョの勝利を奪ったことになります。

「10ラウンドにいいパンチをもらってしまったが、試合に勝ったのは私」(カスターニョ)。

「彼を明白に傷つけた。私が買っていた」(ジャーメル)。

二人の思いはそれぞれ理解できます。

この試合の流れを一気に変えた10ラウンド、スティーブ・ウェイスフィールドが10-8とスコア。これはいかがでしょうか?

ウェイスフェルドはカスターニョ勝利を支持したので、このラウンドを10-9としても勝敗に影響はありませんが、あの内容で10-8はアルゼンチン人に厳しく映ります。

9ラウンドに「KOしないと勝てないぞ!」と檄を飛ばしたジャーメルのコーナー、ナイスアドバイスでした。

“My coach (also) told me I needed the knockout in the ninth round and I just knew he knew what he was talking about,” Charlo said. “I believe in my coach. This is my first time experiencing something like (a draw), so this comes with boxing, baby: Wins, losses and draws.”

ESPNの117-111は少しジャーメルに厳しい気もしますが、逆はありえません。

CompuBoxの数字が試合を正確に表現するわけもありませんが、ジャーメル(533発中151的中=28%)に対して、カスターニョ(586発中173的中=30%)。

ジャーメルが被弾した173発は、キャリア最多。最も多くのパンチを見舞われ、大苦戦だったことは間違いありません。

ボクシングのスコアは難しいとはいえ、今日の試合はカスターニョの攻勢を評価すべきです。

下がってロープを背負う時間が長かったジャーメルは完全に主導権を奪われていました。

クリーンヒットや手数で上回ることができないバックペダルを踏むボクサーを評価するのはおかしい。

手数、クリーンヒットで差がなくても、バックペダル野郎は負け(9−10)でスコアすべきで、ましてや手数で劣ってるなら尚更です。

Two of the judges bailed Charlo out, saving him from a well-deserved defeat by scoring it 117-111 for Charlo and 114-114, neither of which had no basis in reality to the fight that took place tonight. The third judge scored it 114-113 for Castano, and even that score was way off from the fight that took place tonight.

ボクシングニューズ24はオフィシャルは「3人ともおかしい」と批判。「114−113でカスターニョを支持したスコアでも試合の実態からかけ離れている」。 

ラスト3ラウンドが接戦の印象を強くしましたが「各ラウンドは独立した単位で採点する」大原則に照らすと、この試合は接戦ではありません。
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ジョシュ・テイラーvsホセ・ラミレス。

完全統一戦にふさわしい、熱戦でした。

二人のファイターが持っているものを全部リングに披露してくれた素晴らしい試合でした。

「キンミヤ25梅割り」で泥酔した今夜は、この試合の意義ではなく、スコアリングのお話。

この試合の最終ラウンド、誰もがラミレスは「倒すしかない」と見ていたでしょう。そして、テイラーは「逆転の一撃だけは避ける」。
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この試合、6ラウンドと7ラウンドに綺麗なダウンを奪った30歳の英国人が、28歳のメキシコ系米国人の追い上げをいなしました。

公式採点は114-112でしたが、ラウンドごとで3人のジャッジの齟齬はもちろんあります。

採点には、非常に興味深いラウンドが幾つかありましたが、最終12ラウンドが象徴的でした。

ジャッジ二人がラミレス、一人がテーラーのスプリット・ラウンド。WOWOWの解説もラミレス。私も文句無しでラミレスでした。

以下の、二つの見方は大筋間違っていません。①も②も12ラウンド3分間に起きた現実に近い評価です。

①12ラウンドはラミレスが逆転の一撃に賭け攻勢を続け、テイラーは基本的に流して3分間180秒を刻もうとした。

②最終回。二度の痛烈なダウンから回復できないラミレスは、踏ん張りもスイングも遅く弱くなっている。テイラーは仕留める一撃を窺う闘牛士、ラミレスは脊椎にサーベルを二本突き刺されて闇雲に突進する手負いの闘牛。

最後の3分間に起きた現実の表現として、どちらも間違っていない①②ですが、別の角度から改めて見ると、どちらも間違いです。

まず①は、ラミレスとテイラーのキャラクターから展開の先読みバイアスがかかっています。①の立場で見た人は、手数とヒット数でもラミレスが上回ったと思い込んでいるのではないでしょうか?

少なくともパンチスタッツの〝現実〟はそうではありません。

また②の見方は、ボクシング採点の原点「各ラウンドは独立した単位として採点される」から離れてしまっています。

「各ラウンドは独立した単位として採点される」。これ、わかってるつもりでも、それまでの展開を引きずってしまいがちです。

スコアリングにかかるバイアスの種類は無限にありますが、類型別にわけて考えてゆきます。
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かつて、リング誌に連載していたコーナー「YOU BE THE JUDGE(あなたがジャッジだ)」。

前回は「HOW JUDGES SCORE FIGHTS(採点基準)」(2012年4月号)をご紹介しましたが、きょうは「HOW CAN JUDGES SCORE THE SAME FIGHT SO DIFFERENTLY?(同じ試合を見てるのに同志とそこまで採点が食い違うのか?」(2011年12月号)から。※記事掲載の時系列は無視して、わかりやすいよう順番でお届けします。

筆者は、ネバダ州アスレティック・コミッションの元ジャッジ、チャック・ジアンパ。

議論を呼ぶ判定のサンプルに事欠かないボクシングの世界ですが、判定決着でなかったにもかかわらず大きな論争となった「フリオ・セサール・チャベスvsメルドリック・テイラー」(WBC/IBF世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ:1990年3月17日)をテキストにしています。

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どうしてジャッジの採点が大きく食い違うなんてことが起きるのか?

①ジャッジの座席位置が違うこと。リングサイドの3辺で採点するジャッジの視界はそれぞれ違い、それぞれのジャッジに異なる死角が生じる。

そして、致命的なことにリングの形は4辺。つまり最後の1辺にはジャッジが座っていない。ここにはコミッション席でスーパーバイザーやリングドクター、タイムキーパーらが陣取る。

議論を呼ぶ判定が起きてしまったとき、メディアは「ジャッジは違う試合を見ていた」という常套句を皮肉として使うが、それはある意味正しい。

ジャッジは自分が視界にとらえたことしか採点できない。

私は「イベンダー・ホリフィールドvsマイク・タイソン第2戦」、すなわち〝Bite Fight〟のジャッジの一人だったが、あの瞬間は私の視界からはタイソンの背中越しにホリフィールドが見えていた。痛がるホリフィールドを見て、私は「バッティングだ」と思ったが、見る角度によっては何が起きたのかはっきり視認できただろう。

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②適切な経験と厳格な研修制度がプロボクシングのジャッジには欠落している。

多くのジャッジは自主的に仕事についてくれ、アマチュアボクシングのジャッジでもある。ネバダ州アスレティック協会の場合は、カジノのディーラーがレフェリーやジャッジを務めることもある。

メジャーリーグの審判とは、何から何までが違うことを理解して欲しい。
 
私もアマチュア審判で、80年代のアマチュアボクシングではダウンと、ナックルパートでしっかりヒットさせたパンチはの評価は同じだった。

84年にプロボクシングのジャッジの仕事を始めるときに、アマチュアの試合を引き受けることをやめると決めたのは、ジャッジとして完全に切り替えることが必要だと感じたから。


③そして、もう一つの原因はジャッジの哲学の問題だ。

「チャベスvsテイラー」はまさに哲学の問題だったと思う。

11ラウンド終了時点で、二人のジャッジが108-101と107-102でテイラー、私が105-104でチャベスだった。

試合後に、チャベスをリードさせた採点に、メディアとファンから集中砲火を浴びせられ、ネバダ州アスレティック・コミッションの管理下で試合のビデオを再検証した。

この試合が「チャベスの有効打(EFFECTIVE AGGRESSION)」と「テイラーの試合運びのうまさ(RING GENERALSHIP)」をどう評価するか?という、微妙な展開だったことを理解してもらうことができた。

私の採点以上に、リチャード・スティールが残り2秒で止めたことが大きな非難に晒されたが、あの瞬間テイラーが重大な危機に瀕していたいたのは間
違いない。

*******

あの試合をチャベスの105-104とスコアするのは、素直に受け入れられません。

それでも、その見方は絶対にありえないか?

となると…。ちょっと考え込んでしまいます。
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かつて、リング誌に連載していたコーナー「YOU BE THE JUDGE(あなたがジャッジだ)」。

議論を呼ぶ判定などを検証、非常に興味深いシリーズでした。

時系列を離れて、ご紹介して行きます。

最初は、やはり採点基準から。「HOW JUDGES SCORE FIGHTS(ジャッジは何を基準に採点するのか)」(2012年4月号)。

まず、ボクシングの採点基準は「大筋」世界共通ですが、統括団体によって違います。よくWBCルールなんて聞きますが、あんな承認団体は無視してりゃいいんです。

できない統括団体が情けないダメダメ組織なんです。日本ではWBCの試合で採点公開をしていますが、あれ絶対やっちゃダメです。採点公開なんて百害あって一利なし。米国に憧れるなら、正しいとこだけ真似すりゃいいんですが…。

救いようの無いダメダメ組織ってあるもんです…うちの会社じゃないですよ。

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日本で行われるプロボクシングの試合は日本ボクシングコミッション(JBC)が統括します。WOWOWのオープニングもこれに準じて説明してくれています。

JBCのルールブックでは…

①クリーンヒット(正しいナックルパートによる的確かつ有効な加撃。有効であるかどうかは相手に与えたダメージで判定)。

②アグレッシブ(攻撃的であること。ただし加撃を伴わない単なる乱暴な突進は評価しない)。

③ディフェンス(相手の攻撃を無効にする防御。ただし、攻撃に結びつかない防御のための防御は評価しない)。

④リングジェネラルシップ(戦術的に相手を操り、巧みな試合運びによって自分のペースにもっていくこと)。

まさにその通りなのですが「この優先順位で評価する」ことが置き去りにされているケースが、米国の試合ではまま見られます。

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そして、リング誌では、3つのポイントに絞ってよりわかりやすく解説しています。

①EFFECTIVE AGGRESSION…効果的な攻撃。各ラウンドの勝者を決める最も優先順位の高いファクター。

ジャッジはどちらのファイターがより強いパンチをヒットさせたか、手数を出したか、精度が高かったかで評価する。これは、前進していたか後退していたかは問題ではない。

②RING GENERALSHIP…リングジェネラルシップ。最も誤解されているファクター。EFFECTIVE AGGRESSIONで全く甲乙つけることができない場合に、この要素からラウンド勝者を決める。あくまでEFFECTIVE AGGRESSIONの次のファクター。

③AGGRESSION…①②でも優劣がつけられないときは、どちらが前に出てどちらが後ろに下がっていたかで採点する。それでもラウンド勝者が決められないときは10-10をつけなければならない。必ず10−9に振らなければならないと、頭の中でサイコロを転がすようなことは絶対にしてはならない。

JBCにあってリング誌にないのが、ディフェンス。

しかし、リング誌にないはずのディフェンスを米国が過剰に採点評価しているように見えます。

前進するファイターと、避けることに専念して下がるボクサー。どちらも一発もパンチをヒットできなくて3分間が過ぎたラウンドは、前者に振らなければなりません。

また、リング誌も認めているようにRING GENERALSHIPはあまりにも分かりにくい。有効打で優劣がつけれないなら、恣意的な判断になるのは仕方ありません。プレッシャーがかかってるかどうか?で評価する方がわかりやすいでしょう。
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採点競技がいかに良い加減で、恣意的に流されやすいか、ボクシングファンはよくわかっています。

優位な条件を要求できる「Aサイド」という言葉が当たり前に闊歩していることからも、それは明らかです。

リングの広さやキャンバスの硬さ、ロープの緩み、使用するグローブ…それどころか階級制スポーツを根底から否定するキャッチウェイトやリバウンド制限等までを公に突きつけることが当たり前にある世界。
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Aサイドという言葉が耳慣れない日本でも、ほとんどの世界タイトルマッチが日本開催であることからもわかるように、この国が「Aサイド」そのものなのです。

もちろん、なぜか体重計が正確でない「タイの秤」や、ハンドボールなどでイスラム国に有利に吹かれる「中東の笛」などは許容範囲ギリギリの〝ホームタウンデジション〟と諦められてきました。

しかし、ホームタウンデジションを超越したを横暴

欧州では日本のスキー選手が絶対的に君臨したり、ホンダのエンジンが他を圧倒すると、ルールやレギュレーションが日本側に不利になるように改変される〝ヨーロピアン・チェンジ〟が当たり前に執行されてきました。

ルールまで変えてしまう欧州の見苦しさに比べたら、自国テリトリーで細工を施す「タイの秤」「中東の笛」は可愛いものかもしれません。
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今朝の読売新聞「地球を読む」から。

▶︎国際性を謳っていても、採点競技では、恣意的にルールが改正されるか判定基準が首尾一貫しない光景を目にする。

▶︎高梨沙羅選手の活躍するスキージャンプ競技では、飛型審判員の欧州偏重と判定基準の不明瞭さ、着衣による失格判定の恣意性が目立つように思う。国際性の形式をまといつつ、本質は一部欧州のローカル・スポーツの名残をとどめている感もある。

▶︎羽生結弦選手の分析によれば、フィギュアスケートには採点の欠陥とそれを悪用した演技があるらしい。審判員は同じ場所に座って決まった角度から見るため、ジャンプの回転不足や違反を見逃すことが少なくないそうだ。

 氷上で前向きに踏み込むアクセルは、羽生が16分の1回転したところに対し、ひどい人では4分の1回転もしてから跳んでも明確な減点ルールがない。審判員の死角をついた不完全な演技が減点されないのはAI映像で総合的に解析しないからだという。



選手が声をあげないのは、ある意味で当然です。突き詰めれば、声をあげて得することは一つもないからです。

「ただでさえ差別されているアジア人が不平不満をあからさまにしたら、余計ひどいジャッジを受けるだけ」です。

「興行である以上、欧州のスポンサーの思惑、つまり欧州の選手やエンジンが勝てないならスポンサーは撤退してしまう」というプロ意識は日本で戦うボクシング世界王者と同じ感情でしょう。

「どうして挑戦者の国に行かなきゃならないのか?」。もちろん、彼らは第三国はもちろん、自国でやるよりも報酬が高いから、喜んで日本に来るのです。イベントとしてはるかにショボくなるのに、わざわざラスベガスに出向く西岡利晃や井上尚弥のカモネギ行為は、彼らには理解不能でしょう。

ただ、日本人が勝てるようにジュニアフェザー級以下のルールを改変なんて考えもしません。あくまで、こっちの縄張りに引っ張り込んでホームタウンデジションの重圧を相手に与えるくらいです。

カネロでも東京ドームで戦うとなると、単なる後退はもちろん単なる突進も評価される「ラスベガス特別ルール」は及ばないでしょうが、これはお互い様のホームタウンデジション。


そのスポーツのルールやレギュレーションそのものを改変するスキーやフィギュアと比較すると、地上最悪に思えたボクシングは、まだマシなのかもしれません。
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暇つぶしの名無しさん (IP:126.166.197.124)

メイパックは正直ポイントもおかしかったですよね?
118-110とか論外だし、116-112っていうのも…

9、10をパッキャオに振ってるのに、それより明らかに取ってる3、7、8ラウンド辺りを何故かメイウェザーに振ってるし…アレなら3、7、8をパッキャオに振って9、10をメイウェザーに振った方がまだ分かりやすかったと思いますね

試合中で採点方法が一貫してない人は信用できないです
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人の目で判定するスポーツには、必ず偏見が入り込みます。

それを意識的に行うジャッジは〝犯罪〟です。

しかし、多くの場合、無意識のうちに〝誤審〟が繰り返されているのことが問題なのです。

無意識のうちに偏向した判定を下してしまう…それを単純に〝犯罪〟と呼ぶことが憚られるのは、有利な判定を呼び込む〝技術〟がどうやら存在しているからです。
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 ボクシングの判定基準は有効打と攻勢が優先されます。有効打がない場合は攻勢が最も評価されます。

前に出てリスクを犯すファイターと、リスク回避に主眼を置き下がるボクサー。有効打がなければ前者にポイントが振られるはずです。

しかし、後者がフロイド・メイウェザーの場合はほぼ間違いなくマネーにスコアが流れます。

ジャッジの目に映っているのは「ファイターがフロイドに踊らされている」というフィルターを通した光景です。

本当なら、攻撃のバランスを失うスウェーバックやダッキングこそが〝単なる防御〟です。

ガードを固めて正面から重圧をかける村田諒太のスタイルは攻防分離ではなく、一瞬で破壊的なパンチを打ち込める構えです。

採点基準にもあるリングジェネレイションシップという概念があやふやすぎます。どちらがプレッシャーをかけてたか、でいいはずです。
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「外国資本」の問題にしても、フジテレビもちっとも変わりませんなあ。

落合博満がツーストライクから悠然と見送れば、ボール。外角にボール二つは外れた投球ても、グレッグ・マダックスが投げればストライク。

卓越した選球眼、精密なコントロールを存分に発揮し続けた彼らが積み上げたのは単なる〝昨日の実績〟ではありません。

ジャッジの深層意識に植え込んだ〝未来につながる偏見・先入観〟です。
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4月5日の日本経済新聞で、日本球界に復帰した田中将大が捕手陣に「フレーミング技術の向上」を要望したと紹介していました。

フレーミングとは、MLBで2000年代半ばに生まれた概念で、際どいコースをストライクと判定してもらうための捕球技術のこと。

平均40%しかストライクと判定されることがないコースが、50%以上に跳ね上がるケースを調べると、球筋や審判の投手への先入観の他に、キャッチング技術があることが明らかになります。

捕球した瞬間にミットをストライクゾーンに動かす捕手がいますが、あれは逆効果。

ストライクを取ってもらいやすいキャッチングは「捕球の瞬間にミットがむやみに流れたり、体や頭がいたずらに動いたりしないこと」です。

日経では、フレーミング技術〝威力〟の例として、2013年にピッツバーグ・パイレーツを21年ぶりのポストシーズン進出に導いたラッセル・マーティンが挙げられています。

前年、ニューヨーク・ヤンキースから「打てない中堅捕手」を獲得したことを「不可解」と書いていますが、これは誤解を招きます。

実際にはヤンキースが提示した3年2000万ドルの条件を蹴って、パイレーツに契約金200万ドル・2年1700万ドルで引き抜かれたのです。
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ジャッジに偏見に近い先入観まで埋め込んでしまう圧倒的なパフォーマンス。

ジャッジを目を〝欺く〟フレーミング。

これを〝犯罪〟だからと「正確な判断を下すAIなど科学の導入を急ぐべき」と考えるスポーツファンがどれだけいるでしょうか?



ただし、ボクシングにおける不可解な判定の原因はレジェンドのパフォーマンスがジャッジを酔わせた先入観や、フレーミングのような技術ではなく、ジャッジの技術レベルが低いことにほとんど全ての原因があります。

資格更新試験の厳格化、教育体制の充実、他の国の若者がネバダ州アスレティック・コミッションのジャッジを目指せるような公正なルートと窓口を作ることです。

それが出来ないから、いつまでたっても「議論を呼ぶ判定」は後を絶ちません。

アルファベット承認団体による王者の大量生産だけでなく、理解に苦しむ判定が頻発されることも、このスポーツを魔宮の奥深くに迷い込ませてしまっているのです。

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Emmanuel Rodriguez vs Reymart Gaballo

Saturday 19, December 2020
Mohegan Sun Casino, Uncasville, Connecticut
Bantam Contest, 12 Rounds
interim World Boxing Council World Bantam Title 
referee:Arthur Mercante Jr
scorecard
113 John McKaie 115
118 David Sutherland 110
112 Don Trella 116


スポーツには貴賎があります。

そして、それはスポーツに限らず、あらゆることで、実は同じです。

この世界に本当の意味での公明正大など、どこにも存在しません。ボクシング界では、その不条理が大手を振って歩いているだけです。

(元?)ボクシング大国、プエルトリコで将来を嘱望されていた〝マニー〟。

リング誌の「プエルトリコのホープ10人〜プエルトリコのホープはフェリックス・ベルデホだけではない」で堂々のラインナップ。

鋭いリードと右の強打が持ち味で、ポール・バトラーを大差判定で下しIBFバンタム級王座に就いたときは、井上尚弥に立ち塞がる最強の敵と見られました。

初回に2度ダウンを与えながら、凡庸な英国人を仕留められなかったことも「馴化されやすいスタイル」「決定力・殺傷本能が欠けている」という批判よりも「早々にダウンを奪うと判定までも連れ込むことはよくある」「世界初挑戦で慎重に戦ったから」と好意的に受け止める声の方がよく聞かれました。

しかし、初防衛でジェイソン・モロニー 相手に見せた尻すぼみと弱気、井上尚弥との大一番でセコンドの声に首を振って曝け出した弱気、井上戦同様に〝完全格上〟のルイス・ネリとの一戦を体重超過を受け入れずに拒否した弱気…。

ことあるごとに、あからさまな弱気が顔を覗かせました。

そして、今回のレイマート・ガバリョ戦でもチャンスで仕留めに行けない弱気…。

ロドリゲスの評価は、モロニーとの初防衛戦から下落の一方を辿りました。

判定も勝利のオプションであるボクシングがまともなスポーツであるなら、ロドリゲスの戦い方は非難されるべきではありません。

ましてや、重大なルール違反を犯したネリとの対戦を受け入れるなど、ボクシングが まともなスポーツならあってはいけないことです。そもそも、試合を受け入れるかどうかをロドリゲス陣営に委ねること自体が狂っています。

ネバダ州アスレティック・コミッションが試合中止を命じて、ネリに罰金と相当期間のライセンス停止処分を科せばいいだけです。

そう…。ボクシングがまともなスポーツであるなら。現実は、ボクシングはまともなスポーツではありません。

ロブショットで相手の裏をかくテニスプレイヤーは「上手い!」と 賞賛されます。

試合終了までのロスタイムをボール回しで時間稼ぎしてきっり勝利するサッカーチームは敵からブーイングを浴びても、その戦術を批判されることはありません。

強打者やピンチを迎えてストライクの入らない投手はヤジられますが、名誉挽回のチャンスをモノにすれば帳消しです。チキンやクイッターの烙印を押されることはありません。

球技をはじめ、多くのプロスポーツの売り物は「技術」です。プロボクシングの売り場にも「技術」は並んでいますが、それは「勇気」とセットでなければ高くは売れません。



体重超過は階級制への冒涜という〝重罪〟です、本当なら。

しかし、統括団体や承認団体が試合中止を宣告することは珍しく、選手間で試合を実施するかどうかを決めます(米国の一部州などは例外)。

それが大一番なら、たとえ自分がAサイドでも相手に報酬差し出し等のペナルティを課して試合を行なうことがほとんどです。最近の例では「オスカル・バルデスvsスコット・クイッグ」のWBOフェザー級世界タイトルマッチなどは典型的な〝犯罪〟です。

かつて、キャッチウェイトは階級の離れた選手同士が戦う妥協点でしたが、今ではスター選手の相手公認のパワハラ、ある意味で公認の〝階級制への冒涜〟です。

それがまかり通っているのが、ボクシングです。 

さて、ロドリゲスです。

彼の行動は、スポーツマンとしては何ら間違っていません。

ネリについては、山中慎介のケースも試合を受けたことは間違いだとは言い切れません。あのときはネリが王者で、山中が挑戦者でした。もし、あれが初戦ならネリなんてメキシコに叩き返すべきでしたが。

ロドリゲスは「ルール違反を犯した相手と試合なんてできない」というスポーツマンシップを貫きました。

ただ、このスポーツ(と呼べるなら)にはAサイドとBサイドが存在します。誤解を恐れずに言うなら、スポーツマンシップを持ち出すような緩い世界じゃありません。

魑魅魍魎の魔界でノシ上がる気概が本気であるなら、スポーツマンシップなんて寝言を吐いてる場合じゃないのです。

「リングの上であれだけのチキンだからスポーツマンシップで試合を拒否したわけじゃない」という辛辣なファンのコメントは少し可哀想ですが。

さて、ガバリョ戦です。12ラウンド終了ゴングを聞いて、私もロドリゲス勝利を確信していました。

結果はロドリゲスから見て118−110/112-116/113-115。

rodriguez-gaballo-official-scorecards

見慣れているネバダ州アスレティック協会の採点基準(単なる突進は評価しないばかりかマイナス=ただしカネロは除く)ではありませんが、それにしてもガバリョが8ラウンド、7ラウンド取ったと見たジャッジ二人は「単なる突進」や「空振り」を評価したとしか思えません。

一方で、両者とも「強いのは俺の方だ!」と明白なラウンドアピールが出来きませんでした。そして、そのアピールのチャンスはロドリゲスに何度かありました。

WOWOWの解説陣から思わず口に出た「表情が…」というコメントも、意訳すると「負け顔」。言っちゃいけません、そういう顔なんですから。

この試合を迎える前、私はロドリゲスの「贖罪のチャンス」と書きました。しかし、ロドリゲスが大方の印象通りに判定勝ちを収めていたとしても、この内容では彼は贖罪したとは思いません。

どうして、ロドリゲスが人気がないのか、どうして格安の報酬しか用意されないのか、それがあらためてよくわかった試合でした。彼にはファンが求める「勇気」が欠落しているのです。

そして、この試合でもう一つはっきりわかったことは、ロドリゲスが贖罪を果たす日は永遠に巡ってこない 、ということです。
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