採点競技がいかに良い加減で、恣意的に流されやすいか、ボクシングファンはよくわかっています。

優位な条件を要求できる「Aサイド」という言葉が当たり前に闊歩していることからも、それは明らかです。

リングの広さやキャンバスの硬さ、ロープの緩み、使用するグローブ…それどころか階級制スポーツを根底から否定するキャッチウェイトやリバウンド制限等までを公に突きつけることが当たり前にある世界。
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Aサイドという言葉が耳慣れない日本でも、ほとんどの世界タイトルマッチが日本開催であることからもわかるように、この国が「Aサイド」そのものなのです。

もちろん、なぜか体重計が正確でない「タイの秤」や、ハンドボールなどでイスラム国に有利に吹かれる「中東の笛」などは許容範囲ギリギリの〝ホームタウンデジション〟と諦められてきました。

しかし、ホームタウンデジションを超越したを横暴

欧州では日本のスキー選手が絶対的に君臨したり、ホンダのエンジンが他を圧倒すると、ルールやレギュレーションが日本側に不利になるように改変される〝ヨーロピアン・チェンジ〟が当たり前に執行されてきました。

ルールまで変えてしまう欧州の見苦しさに比べたら、自国テリトリーで細工を施す「タイの秤」「中東の笛」は可愛いものかもしれません。
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今朝の読売新聞「地球を読む」から。

▶︎国際性を謳っていても、採点競技では、恣意的にルールが改正されるか判定基準が首尾一貫しない光景を目にする。

▶︎高梨沙羅選手の活躍するスキージャンプ競技では、飛型審判員の欧州偏重と判定基準の不明瞭さ、着衣による失格判定の恣意性が目立つように思う。国際性の形式をまといつつ、本質は一部欧州のローカル・スポーツの名残をとどめている感もある。

▶︎羽生結弦選手の分析によれば、フィギュアスケートには採点の欠陥とそれを悪用した演技があるらしい。審判員は同じ場所に座って決まった角度から見るため、ジャンプの回転不足や違反を見逃すことが少なくないそうだ。

 氷上で前向きに踏み込むアクセルは、羽生が16分の1回転したところに対し、ひどい人では4分の1回転もしてから跳んでも明確な減点ルールがない。審判員の死角をついた不完全な演技が減点されないのはAI映像で総合的に解析しないからだという。



選手が声をあげないのは、ある意味で当然です。突き詰めれば、声をあげて得することは一つもないからです。

「ただでさえ差別されているアジア人が不平不満をあからさまにしたら、余計ひどいジャッジを受けるだけ」です。

「興行である以上、欧州のスポンサーの思惑、つまり欧州の選手やエンジンが勝てないならスポンサーは撤退してしまう」というプロ意識は日本で戦うボクシング世界王者と同じ感情でしょう。

「どうして挑戦者の国に行かなきゃならないのか?」。もちろん、彼らは第三国はもちろん、自国でやるよりも報酬が高いから、喜んで日本に来るのです。イベントとしてはるかにショボくなるのに、わざわざラスベガスに出向く西岡利晃や井上尚弥のカモネギ行為は、彼らには理解不能でしょう。

ただ、日本人が勝てるようにジュニアフェザー級以下のルールを改変なんて考えもしません。あくまで、こっちの縄張りに引っ張り込んでホームタウンデジションの重圧を相手に与えるくらいです。

カネロでも東京ドームで戦うとなると、単なる後退はもちろん単なる突進も評価される「ラスベガス特別ルール」は及ばないでしょうが、これはお互い様のホームタウンデジション。


そのスポーツのルールやレギュレーションそのものを改変するスキーやフィギュアと比較すると、地上最悪に思えたボクシングは、まだマシなのかもしれません。