カテゴリ: 複数階級制覇

ボクシングに数字は意味を持たないことが殆どです。

「誰に勝ったのか」。それが全てだと言い切っても差し支えありません。

のちの殿堂入り選手のプライムタイムに勝つ、現在ランクされているPFPファイターに勝つ。

もちろん、ボクシングもスポーツである限り、記録は試合の前景気を煽り、ファンの関心を高めるものです。

具志堅用高の「13」で43年間も時計の針が止まったままの連続防衛記録は、現代の複数階級制覇トレンドを考えると更新するのは至難の業。内山高志や山中慎介のような〝その階級で心中〟する覚悟のサムライの登場を待つしかありません。

一方で、井岡一翔が「4」でトップを走る複数階級制覇は、具志堅の記録とは違い、井上尚弥や田中恒成を筆頭に並ぶだけでなく「5」へ更新される光景が近い将来見ることができるかもしれません。

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現在の日本人世界王者は谷口将隆(WBOストロー級)、京口紘人(WBAジュニアフライ級)、寺地拳四朗(WBCジュニアフライ級)、中谷潤人(WBOフライ級)、井岡一翔(WBOジュニアバンタム級)、井上尚弥(WBA/WBC/IBFバンタム級)の6人。

このうち、複数階級制覇していないのは昨年12月に最初のタイトルを獲ったばかりの谷口、具志堅越えを狙っていた寺地、ジュニアバンタム進出が時間の問題の中谷の3人。

80年代までの複数階級制覇は「2」でも快挙でしたがレオ・ガメスやエイドリアン・ブローナーらのように4階級に渡って一貫して並王者(かそれ以下)で制覇する〝傑物〟も出現しています。

ファイティング原田が世界初の軽量級2階級制覇を達成した「2」を「3」に更新したのは亀田興毅という〝傑物〟でしたが、1団体10階級時代の原田と、いくつ階級があって何人世界王者がいるのかよくわからない現代のシステムに乗って産み落とされた亀田を同列で語るのはどんな詭弁を弄しても不可能です。

さて、その原田はフライ級では初防衛戦に失敗。バンタム級で4度防衛。

リング誌にTHE JAPANESE STAR, WHO WON WORLD TITLES IN TWO (ALMOST THREE) WEIGHT CLASSES (2階級制覇、いや実質3階級制覇)と認められた原田の防衛成功はバンタム級のみの〝わずか〟4でした。



その、バンタム級タイトルをエデル・ジョフレと同じ8度!も防衛したのが興毅です。興毅はバンタムの「8」に加えてジュニアフライ級の「1」を加えて防衛成功回数は「9」。

もし、この〝傑物〟が原田と同じ60年代に生まれていれば、一発殿堂間違い無しで、軽量級のレジェンドとして記憶されていたかもしれません。

現実には生まれる時代に恵まれず、素晴らしい数字を残しながらも殿堂にはノミネートすらされていません。

単一階級にこだわらない防衛回数では井岡一翔の「15」(ストロー=3/ジュニアフライ=3/フライ=5/ジュニアバンタム=4)が最多で、ノニト・ドネアを破壊した井上尚弥も「15」(ジュニアフライ=1/ジュニアバンタム=7/バンタム=7) で追いついています。

この二人、対戦相手の質という点では井岡に軍配が上がりますが、井上の数字には無敗と圧倒的な勝利という〝箔〟が付いています。

結局のところ、防衛回数や階級制覇数、およそ数字と呼べるのは〝傑物〟の登場で簡単に塗り替えられるマヤカシです。

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ただ、オリジナル8の時代はもちろん、原田の1団体10階級時代の数字は、他のスポーツ同様にそなまま受け入れて差し支えありません。

世界王者が一人残らず The Undisputed champion だった時代。世界王者は途轍もなく強く、弱い世界ランカーはいない。そんな当たり前が、当たり前だった時代です。

世界王者の経年劣化や大番狂わせで〝傑物〟が王者になったとしても、防衛することはまず出来ません。ましてや8度も防衛するなんて、ありえません。
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残念なニュースです。

マイキー・ガルシアがインスタで、引退を静かに報告しました。

私が見たボクサーの中で、最もスタイリッシュなボクサーでした。

2006年7月のプロデビューから昨年10月のサンドル・マルティン戦までのプロ17年間で、42戦40勝30KO2敗の成績を残しました。

フェザー級からジュニアウェルター級までの4階級制覇。

フェザー級ではオルランド・サリド、ファンマ・ロペスをストップ。

ジュニアライト級ではローマン・マルチネスを倒し、ライト級でも無敗のデジャン・ズラチカニンを粉砕。エイドリアン・ブローナーの化けの皮も剥ぎました。

弱い相手を選ばない。それがマイキーの流儀でした。

それが原因で、生ぬるいマッチメイクを組むトップランクと何度も衝突してしまいます。

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内山高志との一戦が実現したら、私たちはどんなに打ち震えていたでしょうか。

ジュニアライト級は米国ではけして人気があるクラスではありませんが、それでもマイキーは別格です。

もちろん、大田区総合体育館に呼べるタマじゃありません。

ロサンゼルスやラスベガスの大会場、360度完全アウエー、大ブーイングを浴びながら花道を進む内山…。それだけで、ボクシングファンは泣いてしまいそうです。

リング誌もESPNも階級最強パンチャーと認めていたKOダイナマイトです。チャンスは、十分にあったと思います。

マイキーはジュニアウェルター級まで上げても、セルゲイ・リピネッツ、ロバート・イースターJr.との無敗対決を制しました。

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そして、キャリア初のアンダードッグとなったエロール・スペンスJr.戦では、あのシュガー・レイ・レナードの記録を更新する、史上最少10試合での5階級制覇に挑みます。

126ポンド(フェザー級)王者が、147ポンド(ウェルター級)王者になる。ボクシング150年の歴史で、そんな空前絶後の離れ業をやってのけたグレートはヘンリー・アームストロングとマニー・パッキャオの二人だけです。

2019年3月16日、テキサス州アーリントンはAT&Tスタジアム(カウボーイズスタジアム)。

プロ初黒星を喫したマイキーは、トレーナーの兄ロベルトの「棄権しよう」という助言を遮り、12ラウンド終了ゴングが鳴るまで、階級最強王者の前に立ち続けました。


マイキーの輝かしいキャリアで惜しむらくは、トップランクとの闘争で失った2年半もの時間です。

2014年1月25日(ファン・カルロス・ブルゴス戦)から、2016年7月30日(エロイ・ロハス戦)。年齢にして26歳から28歳までの2年6ヶ月と5日、トップランクからの独立闘争を法廷で展開、軽量級ボクサーにとって貴重な時間を喪失してしまいました。


「アリ法」以降の時代でも米国市場に大きな影響力を持つ大手プロモーターの犠牲者、と言って良いかもしれません。

高い志を持つ傑出した才能が潰される、その最大の被害者は本人だけではありません。私たち、ボクシングファンも、きっと見る事が出来たいくつものスペクタクルを奪われた被害者です。 
ワシル・ロマチェンコだけでなく、マニー・パッキャオとのメガファイトも交渉のテーブルに乗ったことがありました。




お疲れ様でした。それしかありません。
「マイキーの練習と試合を見ればトレーナーも教科書も要らない」と言われた美しいボクシング、兄ロベルトの血統を見るまでもなく、素晴らしい指導者になるのは間違いないでしょう。

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WBOフライ級王者の中谷潤人が「 最終目標は6階級制覇」とリング誌のインタビューで表明しました。

6階級制覇となると、マニー・パッキャオの8階級に次ぐオスカー・デラホーヤに並ぶ史上2位の数字です。
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今年1月に24歳になった中谷は2015年にストロー級でデビュー。

ここまで23戦全勝18KO、フライ級の112ポンドを超えて戦ったのは2018年に1試合、2019年に2試合の3試合、いずれもジュニアバンタム級でした。

中谷の魅力は身長・リーチ共に170㎝(BoxRec)のフレームを活かしたボクシングを完成させていること。

最終地点のジュニアライト級のトップ選手を見渡しても、フレーム的には見劣りしません。

もちろん、ガーボンタ・デービスやオスカル・バルデスの戦いぶりを見るまでもなく、フレームは戦術を左右しても、勝敗を決定する要素にはなり得ません。

とはいえ、中谷が完全にマスターしているフレームを活かしたスタイル・戦術が、そのまま上のクラスで通用するとは思えません。

フレームは見劣りしませんが、スタイルはマイナーチェンジが求められます。

このクラスでは今週末にWBO王者シャクール・スティーブンソン(身長173㎝/リーチ173㎝)とWBC王者オスカル・バルデス(166㎝/168㎝)の団体統一戦がMGMグランドガーデンアリーナで挙行されます。

スティーブンソンがジャメル・ヘリング、バルデスがミゲール・ベルチェルトと日本人が苦杯を舐めた相手を一蹴。

現在のオッズは5-1でスティーブンソン有利。

中谷が上げる頃には130ボンド級シーンも様変わりしているはずですが、フライ級からは遠いクラスです。

ああ、その前にIBFのストラップを持つ尾川堅一です!

スティーブンソンvsバルデスの勝者と三団体統一戦ともなれば、井上尚弥らではまず難しいMGMグランドガーデンアリーナでメインを張るのも夢ではありません!
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WBAの内部に〝諮問機関〟としてWBCが設立されたのは1963年。

協会や連盟といった団体ではなく、評議会という呼称はここに由来します。

1966年に独自ランキングを発表、分裂は決定的になります。

council(評議会)という、いかにも内部機関ですよ、な名称と分離独立までの3年という時間の長さが、メキシコの〝国策〟として推し進められたWBC誕生の用意周到さと、その初志貫徹の強烈さを物語っています。

Undisputed title2階級制覇を探す旅に出る前に、Undisputed Championの系譜が断絶したとき、つまり初代WBC王者が誕生して王者が分裂した時期を振り返ります。
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WBCの成り立ち↓
https://fushiananome.superknova.org/archives/22675529.html

さて、1970年代から始まった団体分裂時代でしたが、WBCの初代王者が誕生した時期は階級によって違います。

ヘビー級とミドル級という人気クラスでWBC王者が立つのは、大幅に遅れました。

70年代のヘビー級はジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマン、モハメド・アリ、レオン・スピンクスがUndisputed Championであり続けました。

スピンクスがケン・ノートンとの指名試合を拒否してアリとの再戦を選んだことで、WBCはタイトルを剥奪。

1978年にノートンとの決定戦に勝利したラリー・ホームズが初代王者に就いて、王座が分裂しました。(ホームズはIBFでも初代王者)。

分裂型のWBC初代王者が誕生したのはライトヘビー級が1974年(ジョン・コンテ)、ミドル級はなんと1987年(シュガー・レイ・レナード)まで分裂しませんでした。

ジュニアミドル級は1975年(マイケル・オリベイラ)で、これ以前に王者だった輪島功一はUndisputed Championでした。

ウェルター級は1975年にWBA王者を返上してWBCタイトルに専念すると発表したホセ・ナポレス。

ジュニア・ウェルター級は1968年(ペドロ・アディグ)、ライト級は1971年(ペドロ・カラスコ)。

ジュニアライト級は1969年(レネ・バリエントス)。これ以前に王者だった沼田義明と小林弘はともにUndisputed Champion。

フェザー級は1968年(ハワード・ウィンストン)、ジュニアフェザー級はWBCで新設されたのが1976年(リゴベルト・リアスコ)、バンタム級は1973年(ラファエル・エレラ)、ジュニアバンタム級はWBC新設が1980年(ラファエル・オロノ)、フライ級は1965年(サルバトーレ・ブルニ)、ジュニアフライ級はWBC新設が1975年(フランコ・ウデラ)、ストロー級はWBC新設が1987年(井岡弘樹)。

2団体時代よりも4団体時代の方がUndisputed Championになるハードルは高い。2つのベルトを集めるよりも4つ集める方が難しい、それは当然です。

その一方で、2団体時代は両団体の確執が深く、激しく、統一戦を認めない政策が徹底されていました。

現代では分裂したタイトルのピースを収集する〝難工事〟を完遂することがUndisputed Championになるための道ですが、70年代のUndisputed Championは、WBC誕生でも分裂しなかったタイトルをそのまま継承した〝非自力〟のUndisputed Championでした。

Undisputed Champion=完全統一王者は、現代とは違う成り立ちで存在しており、WBAは「WBC王者との統一戦を事実上禁止、もしそのリングに上がればその時点でタイトル剥奪の方針を打ち出していました。

その意味では、4団体時代の現代よりもUndisputed Championへの障害は大きかったといえます。

そして、WBCの分離独立後も、1団体時代から統一王座が保持されていた階級も、ミドル級を残して70年代で分裂を余儀なくされます。

1970年代、一旦分裂したタイトルを再び統一するのは、WBAとWBCの対立から至難の業でした。そして、世界タイトルにまだ権威がり、ミドル級など数少ないUndisputed Championが安易に2階級制覇に乗り出すこともありませんでした。

現在の複数階級制覇の流行と、世界王座の価値暴落とはコインの裏表です。

団体・階級が少ない時代、世界挑戦の機会そのものが貴重だった時代。安易な複数階級制覇が蔓延るほど、世界王者は軽い存在ではありえませんでした。

このような背景から、Undisputed titleの2階級制覇を果たしたファイターは、1970年代に登場することはありませんでした。

しかし「世界王者が2人いる」という常識では説明できない理不尽は「誰が最強なのかを見せろ!」というファンの怒りの声に対しては全く無力です。

80年代、米国でヘビー級と、そのヘビー級と並ぶ人気クラスとなったウェルター級で、統一機運が一気に盛り上がることになります。
 
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WBOウェルター級王者テレンス・クロフォードが「IBF・WBC王者エロール・スペンスJr.とWBA王者ヨルデニス・ウガス」の勝者との対戦を熱望しています。

スペンスvsウガスは4月16日、テキサス州アーリントンのAT&TスタジアムからFOXがPPVで生中継するメガファイト。

この勝者とクロフォードの試合がセットされると、主要4団体に、リング誌王座もステイクされるウェルター級の完全統一タイトルマッチになります。

4団体時代に誕生した完全統一王者=Undisputed Championはバーナード・ホプキンス、ジャーメイン・テイラー、クロフォード、オレクサンダー・ウシク、ジョシュ・テイラー、カネロ・アルバレスの6人だけ。※

ジュニアウェルター級で完全統一しているクロフォードが、ウェルター級でも Undisputed Champion になると完全2階級制覇達成です。

※日本ではテオフィモ・ロペスとそのロペスに勝利したジョージ・カンボソスを完全統一王者に数えていますが、世界的にはロペスのWBCタイトルはフランチャイズで正式の王座と認められていません。

↓こちらはWOWOWの画面から。
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クロフォードをビッグネームとの対戦から遠ざけていたのは、ボクシング業界での存在感が失墜しているトップランクとの契約でした。

昨年11月にこの契約期限が切れ、クロフォードは晴れて自由契約に。

トップランクを不当な扱いを受けたと告訴するなど、両者の確執は泥沼化していますが「トップランクが無能だからまともなマッチメイクが期待できない」という、井上尚弥や村田諒太の米国にも共通のする悩みからは解放されました。

クロフォードは「147ポンド(ウェルター級)にはこだわらない。154(ジュニアミドル級)でも構わない」と、上の階級も視野に入れたUndisputed Titleへのこだわりは示しています。

そのジュニアミドル級はリング誌・WBA・WBC・IBF王者ジャーメル・チャーロと、WBO王者ブライアン・カスターニョとの再戦が5月14日にセット。

今回もドローにならない限り、ここでUndisputed Champion が誕生します。

クロフォードはウェルター級とジュニアミドル級で〝あと1試合で完全統一〟というダブルビンゴ状態が出来上がることになりますが、果たしてそんなにうまく行くでしょうか?

さて、4団体時代に生まれた6人のUndisputed Championは、全員が1階級止まりです。

ウシクがヘビー級でリーチをかけていますが、次戦はアンソニー ・ジョシュアとの再戦になる模様で、この試合で〝振り出しに戻る〟になりかねません。

また、井上尚弥はバンタム級で〝あと2〟ですが、ジュニアフェザー級でも統一機運が高まっており、全てが理想通りにコトが運ぶと、あっさりUndisputed Title の2階級制覇達成の可能性もあります。

さて、Undisputed Title(議論する余地のない王座=完全統一王座)の2階級制覇となると、いつ以来、誰以来になるのでしょうか?

1団体時代なら2階級制覇は、そのままUndisputed Title2階級制覇でした。

ファイティング原田のフライ、バンタムはまさに〝それ〟でした。

では、2団体、3団体時代にもUndisputed Title 2階級制覇を達成した傑物は存在したのでしょうか?

誰もがすぐ思い浮かぶのは、ウシクが尊敬するロスアンゼルス五輪の銅メダリストですが…さて、他にもいるのでしょうか?

さすがに…3階級制覇なんていないですよね…???
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という感じで、ちょうどワンタン麺が着丼したので、この辺りで一旦お開き。
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複数階級制覇に団体統一戦が活発に行われる現在の状況を迎えたのは、認定団体が増えたことがその引力を弱体化させたため、ともいえます。

白井義男やファイティング原田の60年代は言うに及ばず、80年代中盤まで複数階級制覇は〝快挙〟であり、団体統一戦は認定団体にとってよほど旨味があるケースでないと実現は難しい〝稀少〟でした。 

「THE DREAM MATCH」は、マニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤの看板タイトルでしたが、勝手に拝借。

団体統一戦が「稀」で、複数階級制覇の〝上限〟が「3」だった時代、そして日本人がメガファイトに「近」づいた、そんな80年代から90年代初めのTHE DREAM MATCHを夢想します。

♬とんで、とんで、とんで、回って、回って、まわ〜るぅ〜〜〜♬



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▶︎WBAとWBCがせめぎ合っていた80年台前半まで、団体統一の前には様々な障害が横たわっていました。

それでも、WBAジュニアバンタム級王者・渡辺二郎は1984年7月にWBC王者パヤオ・プーンタラトとの頂上決戦を強行。

「タイトル剥奪」を警告していたWBAと、渡辺を統一王者にさせたい帝拳の間で、剥奪のタイミングを「試合終了時点」にすることで妥協、渡辺は瞬間的に統一王者の座に就きました。

2021年12月号のリング誌で特集された「DIVISION BY DIVISION:The Greatest Fighters of All time」(階級別歴代PFP)で、カオサイ・ギャラクシーに次ぐ2位に選出されます。これは全階級を通じて日本人最高位。

1984年11月、渡辺が剥奪されて空位となったWBA王座を獲得したカオサイは1991年12月までに19連続防衛。世界奪取の試合も含めた世界戦20試合は全勝17KOという凄まじい数字でした。

He became WBA super flyweight (115-pound) world champion Jiro Watanabe's mandatory challenger.
When Watanabe failed to defend his title against Galaxy, the WBA stripped him and matched Galaxy against undefeated Eusebio Espinal for the vacant title on November 21, 1984. 

BoxRecなどは、渡辺は「指名挑戦者カオサイとの防衛戦を行わなかったためにタイトルを剥奪された」と、日本で受け止められているのとは違う剥奪理由を記述しています。

このことで、一部のファンが「渡辺はカオサイから逃げた」と揶揄する根拠になっています。

WBCに鞍替えした渡辺は86年3月まで4連続防衛、ヒルベルト・ローマンに惜敗してタイトルを手放します。

カオサイとは15ヶ月間、ライバル王者でした。

渡辺がもう一度統一戦に挑み、タイのビッグパンチャーに勝利していたら、歴代2位ではなかったことは疑いようもありません。

正式な引退はローマン戦から5年が経った1991年11月。

1994年11月には後楽園ホールで、カオサイとのDREAM MATCHをエキシビションで実現させています。




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↑辰吉との対戦が期待された世界のホープたち。

▶︎大阪帝拳のエースの座を渡辺から継承した辰吉丈一郎は「ファイティング原田を凌ぐ史上最高のボクサー」と持て囃され、第1期(1991年9月〜92年3月=網膜剥離でタイトル返上)、第2期(93年7月=暫定王座〜94年12月)、第3期(97年11月〜98年12月)と、いずれも劇的なタイトル奪取と悲壮な陥落を繰り返しました。

この時代、バンタム級最強と見られていたのは、88年7月から94年10月まで16連続防衛したオルランド・カニザレス。

米国ではニーズがないバンタム級ですが、もし日本で「辰吉vsカニザレス」の統一戦が実現していたら…大きな話題を巻き起こすとんでもないメガファイトになっていたでしょう。

もちろん、JBCがIBFに加盟するのは2013年、日本でカニザレス戦など実現しようもありませんでした。


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▶︎1987年11月にトーマス・ハーンズが4階級制覇に成功するまで、複数階級制覇の壁は「3」でした。

しかし、その後の32年間でなんと22人が4階級制覇に成功。1年4ヶ月に一人の4階級制覇ボクサーが量産され、日本の井岡一翔もこの〝エリートクラブ〟に入会しています。

ファイティング原田と柴田国明に続く、日本史上3人目の2階級制覇を果たしたのは井岡弘樹。1991年12月、モダン部門で殿堂入りする柳明佑に勝ったことがまず特筆されますが、当時は「2階級制覇」もまた大偉業だったのです。
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弘樹は、原田が2度失敗した前人未到の3階級制覇に、4度挑みますがいずれも惨敗、完敗に終わってしまいます。

1993年6月:WBAフライ級王者デビッド・グリマン・メンデス=8回TKO負け。

1995年10月:WBAフライ級王者セーン・ソー・プルンチット=10回TKO負け。

1997年2月:WBAフライ級王者ホセ・ボニージャ=7回TKO負け。

1998年4月:WBAジュニアバンタム級王者 飯田覚士=2−0のMD負け。

日本人初の3階級制覇は、2010年12月に好条件を整備したリングで亀田興毅によって達成されるまで待たねばなりませんでした。

亀田はジュニアフライ級、フライ級を制して、カエル跳びでバンタムのピースも拾いました。対戦相手を吟味するいつものやり方なら、ジュニアバンタムも獲得できていた可能性も高く、初の4階級制覇は井岡一翔ではなかったかもしれません。



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▶︎1978年8月にWBAジュニアミドル級王者となった工藤正志は79年10月、アユブ・カルレの技巧に屈して陥落してしまいます。

79年12月当時、一つ下のウェルター級はWBAがピピノ・クエバス、WBCがシュガー・レイ・レナード。80年8月にハーンズがクエバスを破壊してWBAタイトルを強奪。

一つ上のミドル級はアラン・ミンターがUndisputedChampion(完全統一王者)でしたが、80年9月にマービン・ハグラーの軍門に下ります。

「(アマチュア世界選手権金メダルの)カルレと戦えただけで光栄」と満足していた工藤が、カルレに勝っていたなら?というイフは無理があるかもしれませんが、その無理イフのアナザーワールドでは「工藤vsレナード」が実現していたかもしれません。



▶︎1981年11月7日、とんでもないニュースが日本に届きました。

ニューヨーク州ロチェスターで行われたWBA世界ジュニアミドル級王座決定戦で三原正がロッキー・フラットに判定勝ち、世界王座を獲得したのです。
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このタイトルは初防衛戦で、デイビー・ムーアに6回KO負け、あっさり手放してしまいます。

しかし、その後8連勝を飾り復活。

なんと、WBC世界ジュニアミドル級王者ハーンズへの挑戦が具体化しかけましたが、持病の腰痛が悪化により1985年3月28日の試合を最後に引退を余儀なくされてしまいます。



▶︎いまだ破られていない15試合連続KO勝利の日本記録(のちに渡辺あきのり・比嘉大吾がタイ)を持つ浜田剛史も、結果的には太く短い王位でしたが、夢のある世界ボクシングシーンとシンクロしていました。

日本と東洋太平洋のライト級王座を獲得していた1984年〜86年のWBA王者はブンブン・マンシーニからリビングストン・ブランブル、エドウィン・ロサリオが覇権を争い、WBCはホセ・ルイス・ラミレスからヘクター・カマチョにベルトが遷移していました。

1986年7月、1階級上のジュニアウェルター級のWBCバージョンを持つレネ・アルレドントを3分9秒で失神させて王座獲得。
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浜田に複数階級制覇の話があったとは聞いたことがありませんが、ライト級にカマチョ、ウェルター級にドン・カリー〜ロイド・ハニーガン…ビッグネームに包囲されたランキング表は想像力をどこまでも刺激してくれました。
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先月12日、南アフリカ・ヨハネスブルグのリングで2年12日ぶりの復帰戦を1ラウンド55秒KOで飾ったゾラニ・テテ。

相手のイディ・カユンバは24歳ながら、直近5試合2勝3敗、その3つの敗北は全てKO負けという咬ませ犬。

この試合はジュニアフェザー級10回戦で行われましたが、テテは2006年のデビューからキャリア最重量の119ポンド、ジュニアライト級を主戦場とするカユンバはキャリア最軽量の116ポンド1/2でリングに上がりました。

どんな背景があったのかわかりませんが、カユンバは前の試合(2021年9月4日)でWBCユースのジュニアライト級(130ポンド)王者決定戦に出場、143ポンド3/4とウェルター級の体重というありえないウェイトオーバーを犯した挙句にKO負け。

今回は、そこから27ポンド以上も落としていますから、カユンバがまともなコンディションだったとは考えられません。

南アフリカ…ボクシングに限らず、スポーツに限らず、不条理で理不尽で理解不可能なことが当たり前に起きる国です。

何はともあれ、33歳のテテはジョンリール・カシメロに痛烈に沈められた敗北から、25ヶ月ぶりに一歩前に踏み出しました。


テテは「フランク・ウォーレンが3月か4月に、122ポンドで空位のIBFインターナショナルとコモンウェルスのタイトルをかけて戦うことを約束してくれた。3つの階級で世界王者になるのは大きなモチベーション」と、ジュニアフェザー級進出に意欲満々です。

長年のマネージャー、ムランデリ・テンギムフェンも「ゾラニは、世界チャンピオンに返り咲くのに十分な能力を持っている」と3階級制覇を後押し。
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本来なら、WBSSの優勝候補の一人で、準決勝ではドネアと対戦するはずだったテテ。

このときの予想は「ニコラス・ウォータース戦以来、ドネアがノックアウト負けする」(ESPN)という通りに、掛け率もドネア10/3(4.3倍)、テテ1/5(1.2倍)と一方的でした。

もし、大方の予想通りにドネアを粉砕していたなら、あの「さいたまスーパーアリーナ」は戦前からもっとはるかに盛り上がっていたことは間違いありません。
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しかし、テテは怪我で棄権(WBSSの詐欺的契約・報酬の未払いに嫌気がさした詐病とも見られています)。

テテの典型的なグラスジョーを考えると3階級制覇は難しそうですが、絶妙のタイミングと角度を持っているソリッドなパンチャーだけにチャンスはあります。

はてさて、バンタム級では幻に終わった「Monster vs Last Born」がジュニアフェザー級で見られますでしょうか?
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WOWOWがお届けしてくれたFOUR KINGS 中量級黄金時代。

FOUR KINGSによる総当たり戦は、日本のボクシングファンも大きな関心を集め、多くの人が一連の名勝負を見て世界のボクシングに惹き込まれました。

私も、そんな1人です。

この壮大な戦いは、モハメド・アリからスーパースターのトーチを受け取ったシュガー・レイ・レナードが栄光を掴む一貫した「山岳ロマン」であるはずでした。

ロベルト・デュランに雪辱し、トーマス・ハーンズとの史上最高の名勝負を制したレナードは確かに山を登り切ったように見えました。

しかし、網膜剥離で引退宣言したときはまだ25歳の若さ、ウィルフレド・ベニテスを下してからハーンズ戦までリングで輝いた時間はわずか1年10ヶ月という悲しいまでの刹那でした。

しかし、主役のレナードが舞台から突然降りてしまったにもかかわらず、物語は続きます。これこそがボクシング史上最高のラウンド・ロビンの奥深さ、素晴らしさです。

舞台のテーマは「鬼退治」、つまり「誰がマービン・ハグラーを倒すのか?」に変わり、戦場はミドル級に移ります。

複数階級制覇を果たした華やかで近代的なボクサーが、他の階級など見向きもしない原始の遺物のようなハグラーに挑むのです。

面白くないわけがありません。

そして、ハグラーがデュランとハーンズの野望を引き裂き、ジョン・ムガビも打ち倒したとき、レナードが実質5年のブランクを経てリングに舞い戻るのです。

「調整試合は不要、ハグラーを倒すためだけの1試合限りのカムバックだ」。そう語ったレナードの格好良さといったら、思い出しただけでゾクゾクします。

一旦は幕を閉じたと思われたレナードの物語は終わってなんかいなかったのです。

それにしても、なんという、よく出来たシナリオでしょうか。神様でもこんな台本は書けっこありません。

「ハグラーvsレナード」は史上最も議論を呼ぶ判定になりましたが、あの試合がFOUR KINGSの物語の大団円だったことに異論を唱える人はいないでしょう。

その後のレナードの、悪い意味でのスーパースターの傍若無人ぶりは醜悪なだけでした。
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ハグラーが退場したあと、レナードは晩節を汚し、ハーンズとデュランは彼らが常識外れの才能だったことをあらためて世界に誇示しました。

暗黒面にはまったレナードはドニー・ラロンデやテリー・ノリス、ヘクター・カマチョらとメディアやファンが試合前から眉をしかめた相手とメガファイトを繰り広げます。

そして、ハーンズがデニス・アンドリュースと、アイラン・バークレーを相手に見せた強さと脆さの鮮やかなコントラストときたら!

バージル・ヒル戦は、FOUR KINGSの戦いがランダムな総当たり戦ではなく、リーグ戦であったなら、ハーンズが最強であったかもしれないと思わせるに十分な惚れぼれする勝利でした。

FOUR KINGSでは唯一レナードから勝ち星を挙げ、ハーンズに壮絶なKO負けを喫したデュランが、ハーンズのジョーカーだったバークレーを下しているのもボクシングの深泉を覗き込んだ思いがしました。
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また、ウィルフレド・ベニテスがハグラーと戦っていれば、彼も「総当たり」のプレーヤーの一人になっていたはずです。FOUR ではなくFIVEだったかもしれません。

そして、ついにFOUR KINGS と交わることが叶わなかったものの、打倒ハグラーの急先鋒だったドナルド・カリーの一瞬の輝きと墜落。

そのカリーを粉砕したマイク・マッカラムは、FOUR KINGSの誰もが対戦を回避したという見方をする人もいます。

さらに、アマチュア時代にハーンズに勝ち、プロではレナードが対戦を嫌ったというアーロン・プライアーがFOUR KINGSに絡んでいたら、何が起きていたでしょうか?

ああ、映画にもなったビニー・パチエンザの存在も忘れられません。

「レナードvsハグラー」以後の、レナードとハーンズ、デュランが見せた非FOUR KINGSの戦い。

そして、FOUR KINGSには食い込めなかったものの、ハーンズとデュラン相手に存在感を示した魅力あふれる衛星たち。

何もかも、全てひっくるめてFOUR KINGSでした。

マニー・パッキャオとマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスの〝FOUR KINGS〟は「モラレスvsマルケス」という最も蠱惑的なカードが実現しなかったことから総当たりではありませんでした。

さらに、咬ませ犬のパッキャオが圧倒的な攻撃力で〝メキシコのシナリオ〟を引き裂いてしまったこともあり、本家FOUR KINGSのような寄せては返す波なような物語性は欠落していました。  

シュガー・レイ・レナード、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン。もうあんな奇跡の時代は2度と訪れないでしょうが、だからといって全く残念でも寂しくもありません。

常識的には1度も訪れないはずの奇跡が、すでに起きてくれたのですから。 
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クルーザー級進出(つまみ喰い)を決定済みのカネロ・アルバレスが見据える最終目標は、本人も陣営もまだ公言していませんがヘビー級制覇であることは間違いありません。

もちろん、そこで行われるのはロイ・ジョーンズJr.と同じ、最弱王者を狙った「つまみ喰い」です。

Boxing News24 が無敗のヘビー級フランク・サンチェスが「カネロは世界ヘビー級王者になれる」と語る記事をアップ。
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▶︎▶︎▶︎今年初めにYouTubeに公開されたカネロとサンチェスのスパーリングは、マイク・タイソンとロイ・ジョーンズJr.並みの見世物レベル。

サンチェスは「カネロがヘビー級王者の誰に勝てるのか」については言及していないが、WBAのセカンド王者トレバー・ブライアンを指していると思われる。

32歳のブライアンは43歳のバーメイン・スティバーンを11ラウンドでノックアウト、空位のWBAセカンド王者に就いた典型的な穴王者。

DAZN NEWS のインタビューでサンチェスは「何度かスパーしてハッキリわかったことは、カネロのパワーはヘビー級並みということ。クルーザー級なら問題なくタイトルを獲るだろうし、ヘビー級でも通用する」と〝証言〟。

しかし、カネロが通用するのはブライアンであり、オレクサンダー・ウシクやタイソン・フューリーではない。▶︎▶︎▶︎


ウシクは「カネロ戦が実現するならクルーザー級に落とす」と公言しています。

英国ザ・サン紙にロイ・ジョーンズは「ヘビー級王者のウシクがクルーザーに下げる必要はない。チャド・ドーソンがアンドレ・ウォードと戦うために168ポンドに肉体を削って、何が起きたかを思い出せ」と、最も有名な失敗サンプルである自分自身ではなくドーソンを挙げて警告。

ロイは「ウシクがアンソニー・ジョシュアとの再戦に向けて、エディ・ハーンに対する条件引き上げの道具としてカネロ戦を使っているなら問題はない。もちろん、これはビジネス。カネロ戦でジョシュアとの再戦の何倍もの報酬が獲得できるのなら、そっちを選ぶのもまたプロだ」と、カネロ戦も〝あり〟と語っています。

ウシク戦実現なら、クルーザー級リミットを1ポンド上回る201ポンドのキャッチウェイトと当日のリバウンド制限を設ける〝カネロ縛り〟のヘビー級タイトルマッチになるのでしょうか。 

ロイもヘビー級制覇の瞬間は「ボブ・フィッツモンズ以来106年ぶりの快挙」 「オールタイムPFP最高」と絶賛されましたが、冷静なメディアは「現時点のロイは圧倒的有利の予想で空き巣に入ったコソ泥。ヘビー級で証明することが残されている」と評価を先送り。

ロイが速攻でライトヘビー級に逃げ戻ったことには、多くのメディアとファンは大きく幻滅します。そして、ライトヘビー級で無様な敗北を重ね「雑魚相手に圧勝していただけ」と後世の評価は決して高くはありません。

BEST FIGHTER POLL(年間PFP )にメイウェザーの7回に次ぐ6回も選出したリング誌は、ロイ引退後に特集した存命PFPでは圏外、ヘビー級王者に就いた2000年代のディケイドPFPでも「snared a heavyweight belt from Jhon Ruiz(小賢しいやり方でヘビー級の王座の一つをジョン・ルイスから掠め取った)」と8位評価、手の平を返しました。

カネロもこんなやり方を繰り返していては、冷静に業績を凝視されてしまう後世から笑い者にされるかもしれません。 
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今年のFighter Of The Yearは「カネロ・アルバレスで決まり」と見られています。

2021年、スター選手としては異例の3試合を戦い、ケイレブ・プラント、ビリー・ジョー・サンダース、アブニ・イルディリムをKOしました。

昨年12月19日のカラム・スミス戦からは11ヶ月で4試合を戦い、イルディリムを除く3試合は、苦戦を予想する声もあったライバル王者が相手でしたが、どの試合も圧勝でスーパーミドル級史上初のUndisputed Championに就きました。

一方で、スミス、ビリー・ジョー、プラントはやりにくいボクサーですが、怖さのないソフトなボクサーでした。

ボクシングファンが本当に見たい対戦相手はゲンナディ・ゴロフキンとの決着戦、デビッド・ベナビデス、ジュニアミドル級時代から対戦を回避しているジャモール・チャーロです。

また、劣化版のセルゲイ・コバレフをつまみ喰いしただけのライトヘビー級にはアルトゥール・ベテルビエフやドミトリー・ビボルというまともな世界王者が君臨しています。

クルーザー級をまたつまみ喰いする前に、汚く食べ残したライトヘビー級の皿を平らげるのがスーパースターの務めであるはずです。
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それにしても、カネロのキャリアが非常に良くできたマッチメイクを積み重ねたことには感心します。

難解なボクシングをするエリスランディ・ララやフロイド・メイウェザーらとも戦ってきましたが、旬の強打者は無様なほどあからさまに回避してきました。

ミドル級進出時もゴロフキンを避けるだけでなく、155ポンドのキャッチウェイトでのタイトルマッチを繰り返すなど、160ポンドへの適応と、ゴロフキンの劣化を待つ時間稼ぎをしました。

4−Belt EraにおいてUndisputed Championは特別な意味を持ちますが、オスカー・デラホーヤもフロイドもマニーもそこには執着せず、メガファイト路線をひたすら突き進みました。

「ファンが沸き立つメガファイト」か「4−Belt Eraだから完全統一」かは、そのボクサーの価値観の問題です。「メガファイト」と「完全統一」が両立するケースもあるでしょう。

しかし、多くの場合両立しないことは、井上尚弥を知る日本のボクシングファンにはよく理解できます。

ただ、井上とカネロは全く違います。

井上は「王者が複数いて誰が一番強いのかがわからない今のボクシングはおかしい」と完全統一を目指し、上の階級に対しても「しっかり体を作ってから上の階級を目指す」と、カネロの浅ましい〝つまみ喰い〟とは違う姿勢で戦っています。

もちろん、貧相な相手しかいないバンタム級を完全統一する意味がどこまであるのかは疑問です。

ベルト収集に時間を奪われ「強い相手としか戦わない」と豪語した発言からはどんどん離れているようにも見えてきます。

「完全統一に固執して時間を浪費するよりもジュニアフェザー級やフェザー級の名のある強豪と戦って欲しい」というのが、日本のファンの多数派かもしれません。

マイキー・ガルシアがエロール・スペンスJr.に敗れた試合を観戦後に「スーパーフェザー級まで行ける」という声に対して「そんなことはない埋もれてしまう」と否定した井上でしたが、ラスベガス進出前のMGMグランド訪問では「ここでメインを張るのが目標。でもバンタムでは無理。フェザーから景色が変わる」と夢を膨らませます。

アスリートの気持ちは揺れ動くものですが、井上がファンが喜ぶメガファイトよりも、自分が納得する完全統一に軸足を置いているのは明らかです。

だったら、カネロも「つまみ喰い」や「ソフトな相手を倒して完全統一」に納得していれば、それもカネロの自由か?というと、繰り返しになりますがカネロと井上は全く違います。

世界的には全く関心を持たれない階級でも、井上は日本のファンが暖かく応援しているのに対して、カネロは史上最高のセレブボクサーです。世界のボクシングファンは、カネロの対戦相手に不満を持っています。

もし、カネロがスーパーミドル級でゴロフキンを、ライトヘビー級でジャモールを、クルーザー級でベナビデスやベテルビエフ、ビボルを倒すことになっても、煮え切らない違和感しか湧いてきません。逆キャッチウェイトな幻滅感です。

カネロを見てると、いつも時間稼ぎをしている、そんな苛立ちを覚えてしまいます。見た目はメキシカンスタイルの完成型だと評価しますが、メキシカンスタイルの芯を通す勇気が、どうしても感じられないのです。

今年のFighter Of The Yearはカネロで決まりでしょう。書類審査上は文句無しです。ただ、その内実は「もっと他に戦う相手がいたはず」という不満です。

クルーザーまでつまみ喰いしようとする姿勢は、苛立ちます。

「クルーザー級まで落とせる」というデオンティ・ワイルダーとの史上最大最高のノンタイトル戦に挑むというなら、全力応援しますが〝強打者は選ばない教〟を信奉するチームカネロがそんな選択をするわけがありません。
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