ロブ・ブラントは評判以上に速くて、上手くて、タフでした。
それでもミネソタ生まれのブラボーが、世界基準を大きく上回るボクサーには到底見えませんでした。
そう見えたとしたら、村田諒太が遅すぎて、下手くそで、易々と打たれ過ぎましたからかもしれません。
応援していたボクサーが、思いもかけない相手に惨敗する。
他のスポーツ観戦では味わうことのない、ザラついた苦々しさがそこにはあります。
「五輪の敗北は、五輪の勝利でしか取り返せない」。よく聞く言葉ですが、ボクシングの場合、絶対に取り返すことのできない重大な敗北が、ときとしてありえます。
いきなり訪れた、ブラックサンデー。村田の株は暴落しました。
クラス最高と謳われた防御は簡単に間を割られ、最強の右はついに一度も火を噴きませんでした。
ただ、これで終わりじゃありません。村田が、自分の口から引退発表をするまでは、何一つ終わっちゃいません。
彼が引退宣言するまでは、その株価は今は底値かもしれませんが、これが終値ではありません。
日本のボクサーが喫した、ショッキングな敗北について振り返ってみたいと思います。
🌇長期政権の終焉🌇
10度以上の長期連続防衛を続けるチャンピオンの敗北は、いつか訪れるものと覚悟をしていてもショッキングなものです。
具志堅用高(1981年3月8日:WBAジュニアフライ級14度目の防衛戦/ペドロ・フローレンスに12ラウンドTKO負け)、長谷川穂積(2010年4月30日:WBCバンタム級11度目の防衛戦/フェルナンド・モンティエルに4ラウンドTKO負け※モンティエルはWBO王者だったが、当時JBC非公認のため長谷川が勝っていても統一王者にはなれなかった)、内山高志(2016年4月27日:WBAジュニアライト級12度目の防衛戦/ジェスレル・コラレスに2ラウンドKO負け)、山中慎介(2017年8月15日:WBCバンタム級13度目の防衛戦/ルイス・ネリに4ラウンドTKO負け)。
彼ら四人の敗北は、いずれも格下と見られていた挑戦者に完敗、惨敗を喫したものでした。
その一点においては昨日の村田のケースと同じ〝サドンデス〟です。
しかし、10度以上にわたる防衛戦でボクシングの精度が落ち、劣化も懸念されていた長期政権王者と、まだ坂を登る途中の村田の挫折は同列に語ることはできません。
🌇希望の灯が消えたとき🌇

1992年9月17日、大阪城ホール。ここでも、目にしたくなかった大番狂わせが起きました。
前年9月19日に、グレグ・リチャードソンを圧倒、デビュー7戦目でWBCバンタム級王者に就いた辰吉丈一郎の評価は天井知らずでした。
リチャードソン戦後に左目網膜裂孔のため丸1年のブランクを作っても、メキシコのラフファイター、ビクトル・ラバナレスには苦戦すらしない、そう誰もが考えていました。
34勝18KO10敗2分、凡庸な戦績のラカンドン族の末裔は、アルマンド・カストロ(後の鬼塚勝也の最強挑戦者)や、アルマンド・サラサールら世界挑戦経験者に勝利を収め、李勇勲にも負傷判定で勝って暫定王者になっていましたが、スタミナまかせの不器用な突進しか出来ないレベルの低いボクサーと見られていましたし、その見立ては間違っていません。
しかし、この日、スタミナまかせの不器用な突進に辰吉が耐えられたのは9ラウンド1分19秒という、30分足らずの時間だけでした。
辰吉の初黒星は、ナンバー誌が緊急増刊号を出すほどに、当時のスポーツシーンではショッキングな〝事件〟として扱われました。
そして、ナンバー誌をはじめほぼ全てのメディア、ほぼ全てのファンは「敗因は眼疾によるブランク」と考えましたが、翌年の再戦で辰吉は雪辱を果たすものの2−1のSD、辰吉もまたラカンドンと同じ水準の愚鈍なファイターに過ぎないことを露呈してしまいます。
「マイク・タイソンはバスター・ダグラスに敗れて別人になってしまった」。同じロジックで、辰吉のラバナレス戦が語られることもありますが、タイソンも辰吉も、格下相手には鮮やかなパフォーマンスを見せる一方で、致命的な欠陥を抱えたボクサーという一点で共通していました。
タイソンはナンバリングシステムに侵されたワンパターンと、それ以上に深刻な精神の脆弱さを。辰吉は初歩的なショルダーブロックすらマスターしていないのに、いたずらにガードを下げる危険きわまる無防備を。
しかし、タイソンと辰吉が〝完璧なボクサー〟という幻想を打ち砕かれてからのキャリアで、人間的な魅力を解き放ち、現在も多くのファンを惹きつけてやまないという事実は非常に興味深いものがあります。
過去の日本人ボクサーにはない、その可能性に、多くのファンが大きな夢を託したということでは、辰吉と村田の輪郭は明らかに重なり合います。
しかし、完璧なボクサーという幻影を多くの人に見せた…ということを考えると、辰吉と村田の敗北の間にシンクロする要素は見当たりません。
しかし…。
もし、村田がこのあと評価の高いチャンピオン相手に感動的な大番狂わせを起こすようなら、二人のキャリア、生き様がオーバーラップして見えるかもしれません…。
それでもミネソタ生まれのブラボーが、世界基準を大きく上回るボクサーには到底見えませんでした。
そう見えたとしたら、村田諒太が遅すぎて、下手くそで、易々と打たれ過ぎましたからかもしれません。
応援していたボクサーが、思いもかけない相手に惨敗する。
他のスポーツ観戦では味わうことのない、ザラついた苦々しさがそこにはあります。
「五輪の敗北は、五輪の勝利でしか取り返せない」。よく聞く言葉ですが、ボクシングの場合、絶対に取り返すことのできない重大な敗北が、ときとしてありえます。
いきなり訪れた、ブラックサンデー。村田の株は暴落しました。
クラス最高と謳われた防御は簡単に間を割られ、最強の右はついに一度も火を噴きませんでした。
ただ、これで終わりじゃありません。村田が、自分の口から引退発表をするまでは、何一つ終わっちゃいません。
彼が引退宣言するまでは、その株価は今は底値かもしれませんが、これが終値ではありません。
日本のボクサーが喫した、ショッキングな敗北について振り返ってみたいと思います。
🌇長期政権の終焉🌇
10度以上の長期連続防衛を続けるチャンピオンの敗北は、いつか訪れるものと覚悟をしていてもショッキングなものです。

彼ら四人の敗北は、いずれも格下と見られていた挑戦者に完敗、惨敗を喫したものでした。
その一点においては昨日の村田のケースと同じ〝サドンデス〟です。
しかし、10度以上にわたる防衛戦でボクシングの精度が落ち、劣化も懸念されていた長期政権王者と、まだ坂を登る途中の村田の挫折は同列に語ることはできません。
🌇希望の灯が消えたとき🌇

辰吉の初黒星を悲嘆するナンバー誌の緊急増刊号から。
1992年9月17日、大阪城ホール。ここでも、目にしたくなかった大番狂わせが起きました。
前年9月19日に、グレグ・リチャードソンを圧倒、デビュー7戦目でWBCバンタム級王者に就いた辰吉丈一郎の評価は天井知らずでした。
リチャードソン戦後に左目網膜裂孔のため丸1年のブランクを作っても、メキシコのラフファイター、ビクトル・ラバナレスには苦戦すらしない、そう誰もが考えていました。
34勝18KO10敗2分、凡庸な戦績のラカンドン族の末裔は、アルマンド・カストロ(後の鬼塚勝也の最強挑戦者)や、アルマンド・サラサールら世界挑戦経験者に勝利を収め、李勇勲にも負傷判定で勝って暫定王者になっていましたが、スタミナまかせの不器用な突進しか出来ないレベルの低いボクサーと見られていましたし、その見立ては間違っていません。
しかし、この日、スタミナまかせの不器用な突進に辰吉が耐えられたのは9ラウンド1分19秒という、30分足らずの時間だけでした。
辰吉の初黒星は、ナンバー誌が緊急増刊号を出すほどに、当時のスポーツシーンではショッキングな〝事件〟として扱われました。
そして、ナンバー誌をはじめほぼ全てのメディア、ほぼ全てのファンは「敗因は眼疾によるブランク」と考えましたが、翌年の再戦で辰吉は雪辱を果たすものの2−1のSD、辰吉もまたラカンドンと同じ水準の愚鈍なファイターに過ぎないことを露呈してしまいます。
「マイク・タイソンはバスター・ダグラスに敗れて別人になってしまった」。同じロジックで、辰吉のラバナレス戦が語られることもありますが、タイソンも辰吉も、格下相手には鮮やかなパフォーマンスを見せる一方で、致命的な欠陥を抱えたボクサーという一点で共通していました。
タイソンはナンバリングシステムに侵されたワンパターンと、それ以上に深刻な精神の脆弱さを。辰吉は初歩的なショルダーブロックすらマスターしていないのに、いたずらにガードを下げる危険きわまる無防備を。
しかし、タイソンと辰吉が〝完璧なボクサー〟という幻想を打ち砕かれてからのキャリアで、人間的な魅力を解き放ち、現在も多くのファンを惹きつけてやまないという事実は非常に興味深いものがあります。
過去の日本人ボクサーにはない、その可能性に、多くのファンが大きな夢を託したということでは、辰吉と村田の輪郭は明らかに重なり合います。
しかし、完璧なボクサーという幻影を多くの人に見せた…ということを考えると、辰吉と村田の敗北の間にシンクロする要素は見当たりません。
しかし…。
もし、村田がこのあと評価の高いチャンピオン相手に感動的な大番狂わせを起こすようなら、二人のキャリア、生き様がオーバーラップして見えるかもしれません…。














