カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

中学時代、雨が好きでした。

野球部の練習がキツくて、放課後が近くなると窓から空を見て曇っていると「雨が降らないかな」と思うことがよくありました。    

練習は毎日、休日でもありました。長くてキツい、昭和の野球部でした。

大雨になってグラウンドがぬかるむと練習は室内に変わりました。

体育館や校舎の階段を使った練習はそれなりにキツかったのですが、グラウンドほどではありません。

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雨が好きでした。

いまはというと、雨は嫌いです。

紫陽花の季節です。

雨は嫌いになりましたが、最近は劇的に種類が増えて、様々な花を咲かせる紫陽花は好きです。

こいつはどんな花を咲かせるのだろうか?


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今年初の「たけとんぼ」。

私の周囲では言わずと知れた岡山笠岡ラーメン。

鶏ガラ醤油スープと、豚ではなく鶏チャーシュー、長め斜めに切った九条ネギ。

今日は会社の連中に薦められた冬季限定・味噌ラーメンを注文。

着丼までの間に「ダウンタウンへ、くり出そう」。




一般人の場合。

例えば私なら、人を傷つけたことがないか?と聞かれたら間違いなくあります。

そして、全く身に覚えがない、それどころかお互い楽しい思いしかしてなかったはずなのに、相手を傷つけていたことはないか?と言われると、これはもうわかりません。

究極の話、妻や子どもたち、家族との関係は、いろいろあっても一方的に超良好だと思っていても、相手もそう思っているか?と聞かれたら100%の自信はありません。

これは誰でもそうでしょう。

それでも、家族のような一応一生涯運命共同体な関係と、一度限りの関係など、付き合いの頻度や長さによっては、思い出が変質することは十分に考えられます。



「あの夜はみんなでお祭りみたいに盛り上がったのに…」という記憶は全く同じでも、松本人志の中では「あのときの女の子たちやろ?めっちゃ楽しく盛り上がったからよう覚えてる!」とそのまま残り「事実無根」「とうとう出たね。。。」という言葉が自然と湧いてきたのでしょう。

一方で、女の子たちも「あの夜はみんなでお祭りみたいに盛り上がったのに…」という思いは全く同じでも、「また誘ってください」と言ったのに
このあと全く音沙汰なし、女の子たちは松本の連絡先も知らない、ということだと「あの夜はみんなでお祭りみたいに盛り上がったのに…」という記憶は悪い意味で変質するかもしれません。

このパターンは一般人では起こりにくく、お祭りみたいに盛り上がる前に携帯電話などを取り上げられるなんてことも、あり得ませんし、そこまで盛り上がったら連絡先の交換は当然あり得ます。

私の場合でも野球や勉強教えてる子には、キツイ言葉を使います。

それでも付き合ってる時間の長さ、会ってる頻度、子どもたちが私の連絡先も住んでるとこもよく知っている、という点で「楽しい思い出」が変質しにくいのかもしれません。

また、ほぼ全ての子どもたちについて親御さんとも顔見知りで交流があるという点が、決定的な違いでしょう。



松本人志は、女の子を信じられなくなっているかもしれませんか、今の時代に一般人との乱痴気騒ぎを楽しむことが、大きな危険を孕んでいることをあらためて世間に示した形になりました。

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と、ここからというところで着丼。

おお、美味そうです。

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高校時代まで阪神地区で育った私にとって、お笑いは非常に身近なものでした。

思春期と漫才ブームがオーバーラップしたことも、この芸能に敏感になった一因かもしれません。

最初に衝撃を受けたのは、明石家さんまでした。

間寛平と主演した、予定調和の台本に沿って進行する吉本新喜劇の人気〝定食〟「花の駐在さん」。

ボクサーでいうとモハメド・アリやシュガー・レイ・レナードを彷彿とさせるアドリブ、島田紳助が「凡ゴロを捌いてるだけやのに超ファインプレーに見せる」と嫉妬した抜群の反射神経です。



間寛平を「(台本から完全に離れてしまって)さんまちゃん、俺どないしたらええねん?!」と戸惑わせたさんまは、あのマルコ・アントニオ・バレラやエリック・モラレスにバックステップを踏ませたマニー・パッキャオと同じように、「このスタイルがメインストリームになるとは思えないけど、これが最強かもしれない」という矛盾と倒錯に悶えた思いを抱かせました。

「このスタイルがメインストリームになるとは思えないけど、これが最強かもしれない」…。

それは、松本人志を見たときも同じでした。



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中学時代の野球部にどうしようもないアホがいました。

プロ野球選手を目指していた私にアホが囁くのです。補欠のくせに。

「身長175センチもないお前がプロ野球選手なんて、絶対ムリやから」と。

そして、ヤツは言うのです。

「俺と一緒に組まへんか?」と。

何を組むのか、というと漫才のコンビです。

お笑いになんの素養も知識もないアホのくせに、関西ではいくらでもやってるテレビのお笑い番組が好きなだけのくせに、あまりのアホさに、教師たちから「アホは吉本行け」とバカにされていたのですが、バカにされてるのをわからないアホは自分にお笑いの才能があると思い込んでしまっていたのです、バカだから。

私は何度か声をかけてくれていた希望校から正式な(スポーツ推薦にもいろんなカーストがあるんよ)スポーツ推薦を受けることが出来ず、「一般入試でエリートを見返せ」と周囲から励まされても、もうプロ野球選手の夢が打ち砕かれたと落ち込んでました。

そんな私に、アホは「な?な?報徳も東海大姫路もアカンかったんやろ?もう俺らには吉本しかないんやて」と、嬉しそうにバカなことをアホみたいに誘ってくるのでした。

幸いなことに、高校はアホと離れ離れに。

たまに連絡を取り合っていたアホに誘われて、なんば花月に行ったのは、大学に入ってからの頃だったはずです。

帰省していたタイミングでアホからまた「俺と組まへんか?」と、アホがまたバカな誘いを繰り返すのです。

二人の漫才を目の当たりにしたのは、そのときでした。

まだ2丁目劇場はなかったはずです。いわゆる〝ダウンタウン前夜〟。


結構な衝撃を受けました。いや、かなりの衝撃を受けました。

私はお笑いには好きでも、何をみても笑うことはない、「すげーな」とか「キツイな」とか、そんなふうにしか見れません。そのときも、笑ってはいなかったはずです。

「すげーな」をはるかに通り越した「なんじゃ、あれは?」でした。

私とは逆にお笑いを見てしっかり反応する、つまり大笑いするアホは、ずっと黙ってスタンドマイクを挟んでやり取りする二人をじっと見つめていました。

漫才が終わると、アホがポツリと呟きました。

「やめとこか」。

それがどういう意味か、すぐ分かりましたが、少し考えてから、私は「お前、アホちゃうかったんや」とだけ、答えました。

アホと言われると、いつも鬱陶しくからんでくるアホなのに、そのときは黙ったままでした。



ワイドショーのネタをここで取り上げるつもりはありませんが…。

私はすぐに東京に戻りましたが、あの漫才師が東京を席巻するのは、もう少し後のことになります。


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私が大学生の頃。1980年代後半という時代。学生運動はほとんどが沈静化、60〜70年代にキャンパスに充満していた荒れた空気はどこへやら、軽くてカラフルで、バブルに浮かれた現状(いま)を楽しむムードにどっぷり浸かっていました。

60〜70年代からは一転、「革命によって世の中を変える」なんて考えは微塵もなく「このうわついた空気がずっと続けばいいな」と思っていました。

それでも。

高校時代の恩師の1人が学生運動の元闘士だったり、やはり高校2年の終わりくらいからあちこちの予備校の〝模擬試験荒らし〟の結果として無料で受講した講習で教壇に立っていた先生の中には学生運動に身を投じていた元革命家も少なからずいました。



学生運動の残像もかすれた80年代に大学の門をくぐった私でしたが、〝彼ら〟から全く影響を受けずにいられるはずもありませんでした。

つまり、共感することも少なくなかったのです。

最後は同志を殺すばかりか、無関係の市民まで巻き込む凶行に手を染める犯罪集団となっても、それはほんの一部の急進派であって、多くの学生は「就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君にいいわけしたね」な感じの、軽い気持ちで「学生集会へもときどき でかけた」のでしょう。

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The Strawberry Statement =邦題「いちご白書をもう一度」
(1970年:MGM映画 109分 )。



当時の若者たちの学生運動への関わり方に極端な濃淡があったことも、この過激な季節の輪郭をぼやけさせているように思えます。

大企業の本社ビルに爆弾を仕掛ける犯罪者もいれば、髪を切って面接に行って大企業に就職が決まる学生もいたのです。

いずれにしても、あのムーブメントがいまだ「総括」されていないのは間違いありません。
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学生時代はずーっと運動部にいたので、指導者や先輩から体罰を受けることは、滅多にありませんでしたが、あるにはありました。

ただ、私の場合はものすごく理解しあっていたと、もしかしたら私の一方的な〝片思い〟だったのかもしれませんが、それでもそう信じることができた指導者や先輩から受けた〝体罰〟は、理不尽な暴力とは到底考えることができませんでした。

それでも、そういう関係が構築されていなければ、理不尽な暴力としか受け取れることのできないケースも多いでしょう。

また、自分自身を振り返ってみても、相手に嫌な思いをさせたかもしれないと思うことはいくつかありました。

野球部の同輩・後輩にバレンタインの「チョコを渡して」と、お願いされたブツを踏みつぶして粉々にしたりしてしまったのも、淡い恋心を抱いて一生懸命作ったお手製の(と言ってもせいぜい板チョコを溶かしただけの虚飾の手作り)贈り物を踏みつぶすなんて、モテない男のヒガミとはいえ、考えてみればひどい行為です。

昨年、オンラインの飲み会で、私にバレンタインのチョコを託した元女子高生がいたので、私は「きっと傷つけてしまった」とお詫びすると、彼女には「自分が作った(と言ってもその辺で売ってる板チョコを溶かして成形し直した程度の欺瞞の手作り)チョコを踏まれるとか悲しすぎます」と言われました。

しかし、後から知ったのですが、高校に知り合いの女子などほとんどいないはずの私のもとに、「〇〇君に渡して下さい」と、かなりの数のチョコが集まったことには理由がありました。

私を介してチョコを渡すと、恋が成就するという想像も出来ない験担ぎです。

誰が最初にそんなことを言い出したのかわかりませんが、当時の私は名前を呼んでもらって「俺へのチョコか?」と、勘違いを何度も繰り返し、恥ずかしい思いをしてきました。

結局、また同輩や後輩に渡すだけかとガッカリする一方で「下の学年の女子までが名前を知ってるのって、俺って有名人なのか?」と、なんの根拠もなく思ったりしてました。

しかし、現実的は「図書館にいる暗い目をした陰気な人、野球部であの人の言うことは選手たちもよく聞くみたいだから、あの人にチョコを渡してもらえたら恋は実る」という、なかなかのロジックが通った験担ぎだったのです。
 
…が、それを聞いて私は腹が立っただけではなく、もしかして俺は無意識のうちにパワハラなことをしてたんじゃないか?ということでした。

バレンタインの踏み潰して木っ端微塵は、なんとなく笑い話になってる、バリカンで無理やり五厘刈りにした後輩もよく連絡してきてくれるし、笑い話になってる…はず。

ですが、私が記憶してないところで誰かを傷つかていたかもしれません。

個人的には野球部と陸上部の人間以外とは、ほとんど接触すら無かったので、そんなことはないと思いたいのですが。

また、バレンタインの季節がやって来ました。

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去年も紹介した気がするBVLGARI。10個で1万4001円ですが、単体では1700円以上するので、かなりお得です…ってバランタイン21年が買えるやないかッ!誰が買うかーッ!

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銀座和光のチョコレート10個は、4860円。BVLGARIに比べたら、圧倒的に割安です!…って、行きつけの酒場でサッポロ赤星10本飲めるわッ!誰が買うかーッ!

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「東アジア反日武装戦線」。久しぶりに、その過激派の名前を耳にした。

私が大学生になった80年代も深まった時代。大学キャンバスはバブルの軽薄にうわついていたが、60年代、70年代に燃え盛った学生運動の小さな破片は、まだ残っていた気がする。



私を含めて、多くの人がその男の顔を知っていたが、その名前まで知る人はほとんどいなかった。

日本中の交番等に貼られた指名手配のポスターでは、男の顔と名前は必ずセットになっていたし、そのポスターでしか男のことを知らないというのに。

末期がんで死期が近いと悟った男は「最後は本名で死にたい」と、指名手配ポスターに大きく印刷されていた、その名前を語った。

「内田洋」と偽名を名乗って、49年も社会の中に溶け込んでいた。

偽名は有名な歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」から思い付いたのだろう。

北朝鮮に亡命した彼らの一派は「俺たちはあしたのジョーである」と、犯行声明に書いた。

手に染めた凶悪事件に対して、驚くしかない軽さだ。

飲食店で酒が入ると、カルロス・サンタナやエリック・クラプトンを歌ったという。

彼らは、自分勝手に生きただけだ。それも他者に対して許されざる蛮行を犯しながら。

「最後は本名で死にたい」。男が名乗ったのは、懺悔の念からではない。

もし、大きな後悔や深い反省に苦悶していたなら、手記などを残しているはずだ。

今後の家宅捜索で、そんなものが出てくるとは考えられない。



あれは懺悔の告白などではなく、男にとっては崇高な行為だと信じ込んでいた、凶悪犯の自己満足、欺瞞の英雄物語を完結させるフィナーレだったとしか、私には思えない。


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「野球をやってる子に野球が合っているとは限らない」(朝日新聞1月22日朝刊)。

新弟子の志願者が年々減少していることに危機感を覚えた元横綱、鶴竜の音羽山親方の言葉です。

新弟子検査の間口を広げるために相撲協会は基準緩和を繰り返し、昨年9月についに撤廃。「身長167㎝、体重67kg」のラインは残しますが、一定の身体能力が認められたら入門を認めることになっています。

大相撲ではボクシングと同じように、競技人口が減少する一方でアマチュア経験を積んだ選手が増えています。これは、誤解を恐れずにいうと、人気がないからです。



「野球をやってる子に野球が合っているとは限らない」。

その通りですが「才能の適切な分配」など不可能です。

「国威発揚のため」に、ある国が軍隊を解体、軍事費を全てスポーツに注入するとします。国威発揚ですから、メジャースポーツで結果を残すということです。

まず、世界で最もインパクトがあるサッカーW杯でスペクタクルな優勝を重ねることが、主要な目的になります。

続いて欧米で人気のテニス。四大大会における男女アベック連続優勝記録を更新。

そして五輪では、やはり100メートル。表彰台男女独占の連続記録と世界記録の更新。

しかし、それは不可能です。

短期的には、どんな富裕国でもカタールのようにW杯を自国開催したり、サウジアラビアのように欧米で注目度の高いイベントを誘致したりするまでが限界でしょう。

スポーツは単純な工業ではなく文化です。工業製品のように選手を生産することは出来ません。


現代の中国やキューバ、かつての旧ソ連や東ドイツのような共産主義国でもそこに資源を集中することはできませんでした。

どうしてそのスポーツに才能が集まるのか?

簡単な話です。

栄光(注目度や将来の報酬の大きさ)、です。

野球をやってる子に野球が合ってるとは限らない…その通りです。

ただし、その子が数あるスポーツの中から「目立つから」「かっこいいから」野球を選んだのです。

私が野球を選んだ理由も、そうでした。

高校まで、父親の仕事柄、転勤・引っ越しが多く、転校先でうまくやっていくには喧嘩か野球で実力を見せつけるのが手っ取り早かったということもありますが、それも「栄光」効果の一つです。

中学時代のある日、私のレベルでは非常に重要な公式戦で、幸運にもサヨナラヒットを打つことが出来ました。

ライト線を抜ける打球、全力でボールを追いかけることを諦めた相手の右翼手を見ながら一塁ベースを周り、本塁に視線を移すとサヨナラの走者にチームメイトが駆け寄ってもみくちゃにしてました。

ものすごく気持ちの良い光景でした。

それなのに…なぜだかその感激と同じくらいに、体育の持久走でクラスで一番になったことが気持ち良かったのです。

球技大会でサヨナラヒットを放っても、ほとんど何の感情も湧かなかったというのに。

自分が性格的にも個人競技に向いているのは、なんとなくわかっていました。

高校に入って陸上部と兼部するようになってからも、野球部がメインという意識はありました。「どっちが好きか?」となると…。


私がもう一度、人生をやり直すとして、小学校や中学校でどのスポーツを選ぶか?

今の時代でも野球を選ぶと思います。「二刀流をやりたい」と言ってるでしょう。そして、兼部するなら陸上ではなく、サッカーに興味があります。

どんなに体格が良くても相撲はしません。

本質的に軽佻浮薄な人間なのです。

弁解させてもらうと、「目立つから」「かっこいいから」は「競争が激しい」という意味でもあり、そこで勝負したいという思いも強烈にあります。


新年会の酒に酔って、とりとめのないお話になってしまいました。

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このお正月に、大阪に引っ越した友人宅へお邪魔しました。

友人といっでも、横浜で野球と勉強を教えてた少年で関西の大学に進学、祖父母宅から通学してるのでした。

こういうお招きは時々あるのですが、まあ正直非常にやりにくいというか、気を使うというか。

当たり前な話、彼の祖父母とは初対面。

野球や勉強教えてるときは「考えて守れ!」「チンパンジーの方が学習能力ある!」「正解とは採点者に『俺は完璧にわかってるよ』としっかりメーセージを送ること。これじゃ『実はちょっと理解できてません』じゃ!」と罵倒していた子とは二人の関係は出来上がってるのですが、そこにご両親や祖父母の方が入ると、二人だけの関係は崩壊、私が「本当によく出来たお孫さんで」なんてその場しのぎな言葉をつないでギクシャクするのです。

そして、チンパンジーが「うわ、はじめて褒められた!横浜でこの人に散々いじめられたのに!」と笑い出すのでした。



前置きが長くなりました。

そのお宅のすぐ近くに、とんでもない赤煉瓦群を発見してしまったのです。

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高架を支える柱が赤煉瓦…と思いきや、高架には届いておらず、支えてません。

何か違和感が。

高架を潜るとすぐに古代ローマの水道橋のようなアーチが。

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こんな赤煉瓦遺構、見たことがありません。

じっくり見ても、化粧煉瓦やタイル煉瓦ではありません。

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何かがおかしい。だけど、具体的に何がおかしいのかはわからない。

あたりを探しても、遺構を裏付ける説明プレートなどは見当たりません。

この後も予定があって忙しい帰省だったので…。

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あまり時間は食えないとMMAファイターがタップするように諦めて、調べてしまいました。

「約100年前の英国の建物に使われていた煉瓦を輸入して、それを材料に装飾のアーチなどが作られた」ということでした。

感じていた違和感の正体は、わざとらしさでした。違和感は解消されましたが、本物の遺構ではなかったと知って、少し残念。
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今年の年末年始は、関西に帰郷してから、仕事でお世話になってる北陸の大学関係の方々にもご挨拶と思っていましたが、まさかの能登半島地震。

友だちの無事が全員確認できて、ホッとしてしまってる自分に自己嫌悪な正月になってしまいました。


ずっと関西にいることになって、母校の野球部の後輩たちと練習したり、陸上部の仲間たちからトレイルランを誘われたり。

大阪の山奥の能勢・妙見山を登ろうというトレイルランの方は怪我した左膝がまだリハビリ途中、というだけでなく現在の体力では山頂まで走り切るのは無理、とお断り。

それでも、昨年でケーブルカーやロープウェイが不採算から廃止になったという妙見山が気になって今日、登って来ました。

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もう動くことのないケーブルカーの脇に伸び上がる登山道を歩いて登ります。

「妙見山は登ったことがない」と言う私に、陸上部の友だちは「高校時代も一度だけみんなで走って登った。お前がダントツで一番速かった」と否定するのですが、これは奴らの間違い。

私はそのとき見たい映画があって、その練習に参加してないのです。奴らは生駒山とか他のトレイル練習と混同してるのでした。

そもそも、こんな個性的なとこ走ったら、覚えてるっちゅうねん。

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これ↑はまだ楽なウッドチップの山道。

沢や急坂の石場を越えるのがキツい、キツい。

ケーブルカーとロープウェイの廃止は最終日まで多くの人で賑わったと全国ニュースにもなりましたが、登山道では誰にも会いませんでした。

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しかし、キツかった…あいつら50過ぎでこんな登山道を駆け上がったのかと思うと、一緒に行かなくて良かったと改めて強く思うのでありました。

それにしても、疲れた…ここまで体力落ちてたか…。
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