カテゴリ: パウンド・フォー・パウンド

リング誌アーカイブで「日本人ファイターは世界でどう評価されてきたか」を辿ります。

この10年、インターネット花盛り、ボクシング専門のネットメディアが百花繚乱する中で、極東の軽量級ファイターへの注目度・評価は上がり続けています。

2016年に山中慎介と内山高志が、2010年スタートのリング誌PFPデジタルバージョンで10傑入り。

2023年には井上尚弥がFighter Of The Year 3冠(全米ボクシング記者協会/リング誌/ESPN)を獲得、それに先立ち2022年にはリング誌とESPNのPFPで1位に選出され、専門家評価で頂点を極めました。

スマホで海外の試合結果はもちろん、大きなイベントのアンダーカードまでリアルタイムで見れる贅沢な時代です。

まだ、地球が巨大だった時代、欧米メディアのアンテナが極東の島国にまで捉えきれなかった20世紀はファイティング原田のように絶対的評価を集めていた王者を打ち負かすか、柴田国明のようにそれに準じる評価や人気を持つスーパースターを敵地で撃破するしか、名前を挙げる手段はありませんでした。

それは、インターネットによって地球が小さくなることで、ボクシング界にどんな変革がもたらされるのかまだ誰にもわからなかった21世紀の初めでも大きく変わりはありませんでしたが、欧米メディアはアジアに向けても触手を伸ばします。

ここでは「THE RING 100 RANKING THE BEST FIGHTERS OF THE WORLD (リング誌選定 PFP100傑)に選ばれた日本人ファイターたちを辿ってゆきます。

スクリーンショット 2026-02-22 8.30.21


2001年(対象は2000年)の1位はシェーン・モズリー。

②フェリックス・トリニダード、③フロイド・メイウェザー、④ロイ・ジョーンズ、⑤マルコ・アントニオ・バレラ、⑥オスカー・デラホーヤ、⑦バーナード・ホプキンス、⑧ナジーム・ハメド、⑨リカルド・ロペス、⑩エリック・モラレスがトップ10を形成。

日本の最高位は、WBCジュニアバンタム級王者・徳山昌守の46位。続いて、同じくジュニアバンタム級のWBAバージョンをゲットしたセレス小林が88位。

トップ100に、たった2人しかいなかったのです。

最大の原因は「世界から日本のリングが見えにくかった」という一点に尽きます。

そこには①物理的にアプローチする方法がなかった、というだけでなく②米国のボクシングがまだそれなりに熱を帯びていたという理由もあったかもしれません。






このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2020_1

2020年1月号。

この頃にはリング誌から専属記者が離脱、過去記事の焼き直しなどで命脈を繋いできましたが、誰の目にも廃刊は時間の問題。スキャンダルまみれで権威どころか、信用がない。そして何よりも売れない、とにかく売れない。

PFPでは、終わったはずのマニー・パッキャオが無敗のウエルター級キース・サーマンを攻略して、再びMythcal Rankingにリストアップされました。しぶとい!

我らが井上尚弥は4位に。

PFPに愛され続けているジュニアバンタム級から、ファン・フランシスコ・エストラーダが8位に。


2021_1


2021年1月号。

人気では10年以上前から1位だったカネロ・アルバレスがついにPFPの頂上へ。カネロは2年以上PFP1位に君臨します。

井上尚弥が3位に。





2022_1



2022年1月号。

いつ廃刊してもおかしくなかったThe RING magazineがここまで踏ん張ってきたのは、この年に大きな節目である創刊100周年を迎えるからでした。

田中恒成を鮮やかに倒した井岡一翔が10位。

カネロ・アルバレス、オレクサンデル・ウシク、井上尚弥、テレンス・クロフォード、ジョシュ・テイラー、トップ10の上位5人がUndisputed champion。いがみあってきた認定団体が統一戦をやらせて、すぐ剥奪・決定戦の流れが最も儲かることに気づきました。



2023_6


2023_6

前の年に廃刊したリング誌ですが「特別なトピックがあれば刊行する」という公約通りに、エロール・スペンスJr.とテレンス・クロフォードの対決を特集する2023年6月号を発行。

2023年はこの号だけですから、月刊でも季刊でもなく、年刊でした。

すでにサウジアラビアからの買収が提案されていたかもしれませんが、米国リングマガジンのロゴを表紙とするのはこの号が最後。そう考えてみると、感慨深いです。

エイドリアン・ブローナーの後継者、ガーボンタ・デービスが8位に紛れ込んでいます





2024年12月号。サウジアラビアがリング誌の買収を完了。

サウジ版リング誌の最初の号で、井上尚弥が2位に。

井上、オレクサンデル・ウシク、テレンス・クロフォードのPFP三角地帯が形成されています。

サウジアラビアのリング誌買収が完了。電子版ながら、2024年12月号でPFPが発表されました。
⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎
2024_12

井上尚弥(2位)、中谷潤人(9位)がランクイン。

7位にはバム・ロドリゲスの名前も。





2025_1

2025年1月号。

井上尚弥のブレークスルーには、対戦相手の質が求められます。本人の責任ではありませんが、PFPトップを争うにしては、あまりにもひどい。




2026_1

そして、2026年1月号。

テレンス・クロフォードの引退はまだ反映されていません。

クロフォード、オレクサンデル・ウシクと三強を形成してきた井上尚弥でしたが、2人のライバルと比べて対戦相手のあまりにも酷いショボさが残念。「誰に勝ったのか?」で、誰も思い浮かばないというのは、運が悪い、巡り合わせが悪いのはありますが、悲しい事実です。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2015_1

2015年1月号。

軽量級からは7位にギレルモ・リゴンドー(ジュニアフェザー級)、9位にローマン・ゴンサレス(ジュニアフライ級)。

フロイド・メイウェザーの引退で、1位に昇格することになるアンドレ・ウォードが2位に。

ヘビー級のウラジミール・クリチコが3位に。

長引く販売不振、経営難からリング誌の月間体制も崩壊。ページ数は激減、この年から1月号と6月号、10月号を欠く、年9回発行の変則の季刊になってしまいます。。


2016_1

2016年1月号。

日本人ファイターがこれまで何度も接近したリング誌PFPの扉を最初にこじ開けたのは、山中慎介(バンタム級)!

アンドレ・ウォードは無敗をキープも、ローマン・ゴンサレスの見映えの良いボクシングにトップを奪われ、三日天下。

軽量級史上最長となる、2年にわたるチョコラティト王朝の幕開けです。

ロマゴンのコンビネーション、史上最高の美しさでした。


2017_1

2017年1月号。

ローマン・ゴンサレスに次ぐ2位にはセルゲイ・コバレフ。全盛期のコバレフは本当にヤバかった。このときのクラッシャーに挑戦していたら、カネロもチキン呼ばわりされなかったのに。

メイウェザーとパッキャオの時代が幕を下ろしました。

軽量級からは、ロマゴン、山中慎介の他にギレルモ・リゴンドー(ジュニアフェザー級)、カール・フランプトン(フェザー級)。

マニー・パッキャオが、ついにPFPから追放されてしまいます。


2018_1

2018年1月号。

最も大戦を避けられるファイター、ゲンナジー・ゴロフキンがPFP1位に。

軽量級ではギレルモ・リゴンドー(4位)、マイキー・ガルシア(7位)、シーサケット・ソールンビサイ(10位)に。山中慎介、内山高志に続く日本人3人目のPFPファイターとして、井上尚弥(8位)もエントリー。

エロール・スペンスJr.(9位)はスケールの大きさを感じさせる147パウンダーでしたが…。



2019_1

2019年1月号では、ワシル・ロマチェンコが1位。

クルーザー級を完全統一したオレクサンデル・ウシク(5位)は、このときまだロシア読みの「ALEKSANDR」表記。

万年2位のテレンス・クロフォード、3位に疑惑の判定でGGGを下したカネロ・アルバレス。

井岡一翔に勝利したドニー・ニエテス(ジュニアバンタム級)が10位。

そして、井上尚弥(6位)の天下取りが始まります。





このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2010_1

2010年1月号。

引退宣言から日も浅いフロイド・メイウェザーがリング復帰。ファン・マヌエル・マルケスを破って、PFP2位に。さすがに当時のパッキャオの牙城は揺るがせません。

ジュニアバンタム級のノニトドネアが6位、ジュニアフェザー級のセレスティノ・カバエリョが8位、フェザー級で激闘続行のイスラエル・バスケスとラファエル・マルケスが9位、10位。



2011_1

2011年1月号。

軽量級からはジュニアバンタム級のノニト・ドネア(4位)、ポンサクレック・ウォンジョンカム(7位)に続いて、長谷川穂積を屠ったフェルナンド・モンティエルが8位。

長谷川が勝っていたら…。

21世紀になってヘビー級への冷遇がより鮮明になったにもかかわらず、ウラジミール・クリチコが9位に。



スクリーンショット 2026-02-08 15.02.02

2012年1月号。

マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーの激突は、低迷が続く米国ボクシング界の救世主になりうると大きな期待が膨らんでいた時期。

軽量級ではノニト・ドネア(4位:バンタム級)、ポンサクレック・ウォンジョンカム(7位:フライ級)、ジョバンニ・セグラ(9位:フライ級)がエントリー。

内藤大助か亀田興毅がポンサクレックに勝っていたら…。



スクリーンショット 2026-02-08 15.15.22

2013年1月号。

マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーを追いかけるポール・ウィリアムス(当時PFP3位)を仕留めたセルヒオ・マルチネスが3位に。

PFPで冷遇されるヘビー級にも関わらず、クリチコ兄弟が7位と9位に。

軽量級ではジュニアフェザー級のノニト・ドネア(5位)と、バンタム級のアンセルモ・モレノ(10位)がランキング。全盛期のモレノが相手なら、神の左は12ラウンド36分間、空転し続けたでしょう。



2014_1

2014年1月号。

前年(2013年)に快進撃を続けてきたマニー・パッキャオがティモシー・ブラッドリーに疑惑の判定負け、ファン・マヌエル・マルケスにまさかの6回KO負けと2戦2敗。

軽量級からは、ノニト・ドネアにレッスンを施したギレルモ・リゴンドーが10位に。

21世紀最大の過大評価の1人、エイドリアン・ブローナーが8位。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2005_1

2005年1月号。

マルコ・アントニオ・バレラを完全アウエー、絶対不利の予想の中で打ち砕いたマニー・パッキャオが6位。パッキャオと伝説の4試合を奏でることになるファン・マヌエル・マルケスが7位。

エリック・モラレスはジュニアライト級に上げて全盛期へ。

ミドル級王者からヘビー級のトップ戦線に躍り出たジェームス・トニーが9位。

9位のホセ・ルイス・カスティージョはフロイド・に勝っていた?


2006_1

2006年は1月号が欠号。2月号のPFPランキングです。

3位がマルコ・アントニオ・バレラ、4位にマニー・パッキャオ、5位にファン・マヌエル・マルケス、6位にエリック・モラレス…なんという幸運なフィリピーノ!ここまで対戦相手に恵まれたら、そりゃ評価も天井知らずです。

コンスタンチン・チューを大番狂せで破ったリッキー・ハットンが7位に。

2007_1

2007年1月号。

マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスーーーメキシコ包囲網を見事に突破したマニー・パッキャオが3位に。

バンタム級からラファエル・マルケスが7位に。当時のラファマルは本当に強くて、見ていて面白いファイターでした。

バーナード・ホプキンスからリング誌と4つのアルファベット団体のタイトルを掠めたジャーメイン・テイラーが4位まで上昇。

英国の人気者、ジョー・カルザゲが10位。

2008_1


2008年1月号。

フロイド・メイウェザー(1位)、ファン・マヌエル・マルケス(3位)、リッキー・ハットン(9位)、ミゲール・コット(10位)…2位のマニー・パッキャオと愉快な仲間たち、そのメンツが揃いました。

2008年はパックマンがわずか8ヶ月でジュニアライト級(WBC王者マルケス)、ライト級(WBC王者)デビッド・ディアス)、ウエルター級(オスカー・デラホーヤ)を席巻しましたが、この号の編集者も読者もそんな信じられないことが起きるとは誰1人思っていませんでした。


軽量級では、ジュニアフェザー級で激闘を繰り広げたイスラエル・バスケス(5位)とラファエル・マルケス(7位)がエントリー。今のジュニアフェザー級に彼らの半分でもいいから人気と実力が評価される選手がいてくれたら、井上尚弥の殺風景すぎるキャリアにも彩りが加わるのですが…。


2009_1

「マニー・パッキャオの奇跡の2008年」を反映した、2009年1月号。

フロイド・メイウェザーが引退宣言してランクアウト、軽量級からはイスラエル・バスケス(5位)、ラファエル・マルケス(8位)のジュニアフェザー級コンビに、ジュニアバンタム級からクリスチャン・ミハレス(7位)、ジュニアフライ級からイバン・カルデロンがランキング。

そして、このときストロー級で異常に高い評価を集める小さなニカラグア人の存在が専門家とコアなマニアの触覚を震わせていました。

ーーーローマン・ゴンサレスです。



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

21世紀へ突入。メイウェザーとパッキャオの時代へ、胎動の5年間です。


2000_1

リング誌2000年1月号。

1位は対戦相手のクオリティが低いことが指摘されながらも、鮮やかな勝ちっぷりを積み重ねたロイ・ジョーンズJr.。

軽量級では6位にジュニアバンタム級のマーク・ジョンソン、7位にジュニアフライ級も制したリカルド・ロペス、8位にジュニアフェザー級のエリック・モラレス、9位にフェザー級のナジーム・ハメド。

まだプリティボーイだったフロイド・メイウェザーが2位、10位にミドル級で連続防衛を続けるバーナード・ホプキンス。

2001_1

2001年1月号。

オスカー・デラホーヤとの大勝負を制したシェーン・モズリーが1位。

フロイド・メイウェザーは7位まで降下。

ナジーム・ハメドがフェザー級で雑魚とロートルを狩りながら6位に。いい感じに熟して食べ頃です。

フェザー級ではエリック・モラレスも8位に。

2002_1

2002年1月号。シェーン・モズリーの覇権が続きます。

ハメドを破ったマルコ・アントニオ・バレラが再ランクイン。この時は4位まで順位を上げました。

ハメドが8位、ジュニアフライ級のリカルド・ロペスがしぶとく9位、エリック・モラレスが10位。


2003_1

2003年1月号では、バーナード・ホプキンスが1位に。

軽量級は、フェザー級のマルコ・アントニオ・バレラとエリック・モラレスの2人だけ。

PFP無縁のヘビー級で、レノックス・ルイスが8位に。

2004_1

2004年1月号。

ヘビー級史上屈指の穴王者、ジョン・ルイスを圧倒的有利予想の中で予定通りに調理したロイ・ジョーンズJr.が1位に。

軽量級はマルコ・アントニオ・バレラ(3位)と、エリック・モラレス(7位)がPFPのランクを駆け上がり、対戦機運が盛り上がります。

メキシコの時代、メキシコのスター、バレラとモラレス。まさか、この2人の前に全く空気が読めないフィリピン人が立ちはだかるとは…。



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1995_1

リング誌1995年1月号のPFPランキング。

3位のオルランド・カニサレス(バンタム級)、4位のリカルド・ロペス(ストロー級)、5位のウンベルト・ゴンザレス(ジュニアフライ級)、6位のマイケル・カルバハル(ジュニアフライ級)、3〜6位をバンタム級以下の軽量級で占めました。

ストロー級(105ポンド)からバンタム級(118ポンド)は細切れされた5階級、わずか13ポンドの体重スパン。「ヘビー級が冷遇され、軽量級が優遇されるPFPなんて不人気階級の残念賞」と揶揄されても反論できません。


1996_1

1996年1月号では、7位にユーリ・アルバチャコフ(フライ級)がランキング。ユーリは今ならもっと高く評価されていたはず。

ストロー級のリカルド・ロペスが3位。

10位には、人気と実力を兼ね備えたジュニアフェザー級のマルコ・アントニオ・バレラ。


1997_1

1997年1月号。

リカルド・ロペスは連勝街道を突き進んでいましたが、オスカー・デラホーヤ、フェリックス・トリニダード、マルコ・アントニオ・バレラに抜かれて6位まで後退。

軽量級ではバレラ、ロペスに加えて、フライ級のマーク・ジョンソンもランクイン。



1998_1

1998年1月号。

オスカーの時代です。

軽量級からは5位にリカルド・ロペス(ストロー級)、6位にジュニア・ジョーンズ(ジュニアフェザー級)、9位にジョニー・タピア(ジュニアバンタム級)、10位にマーク・ジョンソン(フライ級)の4人がリストアップ。

バレラに大番狂せで勝利した〝ポイズン〟ジョーンズは6位まで進撃。


1999_1


1999年1月号。

マーク・ジョンソン(フライ級)が5位までジャンプ、リカルド・ロペス(ストロー級)が10位まで後退。フェザー級のナジーム・ハメドが7位、ジュニアバンタム級のジョニー・タピアが9位。

10位のシェーン・モズリー。ライト級時代の強さは出色でした。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1990_1

リング誌1990年1月号。

それまでも、年間表彰に組み込まれたThe Best Fighter Poll がありましたが、「PFP」と銘打った定期的に発表されるランキングはここから。

その意味では。1989年以前のファイターはPFPランキングには関わりようがなかったということです。

記念すべき第1回にはフェザー級のアントニオ・エスパラゴサ(5位)、バンタム級のラウル・ペレス(8位)、ジュニアバンタム級のヒルベルト・ローマンが軽量級でランクイン。

杉谷満がエスパラゴサに勝っていたら、日本人初のリング誌PFPファイターは山中慎介ではなかった?

ラウル・ペレスに勝ったグレグ・リチャードソンをTKOした辰吉丈一郎も巡り合わせが良ければPFPファイターだった?

そして、ローマン。このときは、渡辺二郎からタイトルを奪った第1期ではなく、第2期王朝。シュガー・ベビー・ロハスからタイトルを奪うも、初防衛戦で内田好之にダウンを喫するなど盤石の王者とは言えませんでした。

渡辺二郎が事実上のUndisputed championになった頃にPFPランキングがあったなら、文句なしでリストアップされていたでしょう。

ローマンは1990年6月27日、自動車事故で天国に呼ばれてしまいます。まだ28歳の若さでした。


1991 1


続いて、1991年1月号のPFP。

マイク・タイソンをKOしたバスター・ダグラスが6位に。

マイケル・ナンが3位…世の中、フシ穴だらけです。

エスパラゴサがランクを上げて4位。ペレスが8位をキープ。9位にウンベルト・ゴンザレス、10位に柳明佑。フェザー級以下から4人がランクイン。

具志堅の時代にこのランキングが存在していたら、10位以内は確実。どこまで順位を伸ばしていたでしょうか?


1992・1

1992年1月号。

1年前に10位だった柳はじわじわと順位を上げて6位に。この号では反映されていませんが、1991年12月に井岡弘樹が柳からタイトルを奪う大金星をあげています。

1990年からスタートしたリング誌PFPの36年の歴史で、現役PFPファイターに勝ったのは井岡弘だけ。しかし、6位の柳を破ったもののPFP入りはならず。

柳の他に軽量級から、バンタム級のオルランド・カニザレスが8位、ジュニアバンタム級のカオサイ・ギャラクシーが9位にランクイン。

1993.1


1993年1月号。

1位のフリオ・セサール・チャベスと2位のパーネル・ウイテカーが雌雄を決するのですが、井上と中谷はどんな順位で激突するのでしょうか。

軽量級ではバンタム級のカニザレスが5位、ジュニアバンタム級の文成吉が9位。この頃からPFPはジュニアバンタム級贔屓だった?

日本人がランクされていないのが不思議です。

ジュリアン・ジャクソンが8位。これも意外。


2004.1

1994年1月号。

4位にジュニアフライ級のマイケル・カルバハル、6位にバンタム級のカニザレス、9位にジュニアフェザー級のケネディ・マッキニー、10位にリカルド・ロペス。

ロペスと拳を交え、カルバハルとの対戦計画もあった大橋秀行がこの2人を撃破していたら…妄想ランキングで妄想するのも、また楽しからずや。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

リング誌のアーカイブがフルオーブン、1960年代の世界バンタム級ランキングなども簡単に覗けるようになりました。

スクリーンショット 2026-01-29 23.27.23

世界8位にランクされている斉藤勝男は日本バンタム級、OPBFフェザー級の王者になった技巧派。ファイティング原田はエデル・ジョフレから大番狂せでタイトルを奪ったあとに、ノンタイトル12回戦を戦っています。

当たり前ですが、当時はPFPランキングなどという妄想などはありませんでした。

現在、ジュニアフェザー級以下のクラスはストロー級、ジュニアフライ級、フライ級、ジュニアバンタム級、バンタム級、ジュニアフェザー級の6階級に細分化されてしまいました。

さらに、4つの認定団体がそれぞれ王者を擁立していますから24人のタイトルホルダーがひしめいていることになります。暫定や上位タイトルなど同一団体の同一階級でも世界王者が粗製濫造されているので、24人以上になることもありえます。

1960年代は、このゾーンにフライ級とバンタム級だけ、認定団体も一つだけでしたから王者は2人しか存在していませんでした。

さらに、当時のボクシングは今では考えられないほど社会的ステイタスが上でした。

それが今では、亀田興毅がボクシングの「再興」を標榜し、黄金時代を知る自民党の議員たちまでが、ボクシングの衰退を危惧して「プロボクシングの発展を応援する国会議員の会」を立ち上げるありさまです。

さて、本題のストーリーラインからは少し外れますが、原田がジョフレを破ったときのリング誌をご紹介。

スクリーンショット 2026-02-02 22.43.53

1965年8月号です。

ヘッドラインは「接戦の末に敗れたジョフレだが、再戦を熱望」。

「無敗のまま王者のままで引退する」。ジョフレの夢は、原田によって打ち砕かれた。

1万2000人以上の観客は、圧倒的不利と見られていた原田の勝利に熱狂した。多くの専門家と同様に、彼らもジョフレが原田を5ラウンド以内にKOすると思っていたのだ。

スクリーンショット 2026-02-02 22.52.40


リング誌の通信員になったばかり、まだ18歳のジョー小泉が書いた記事です!

記事一つの対価は25ドルだったそうです。当時は1ドル360円の固定相場ですから、9000円です。

大卒初任給が2万1000円だった時代ですから、いまなら10万円くらいでしょうか。




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

定期的に発表されるPFPの始まりは、リング誌の年間表彰に組み込まれたTHE BEST FIGHTER POLL で1980年に始まりました。

モハメド・アリという、あらゆるスポーツの歴史で今なお最も偉大なアスリートと考えられるスーパースターの引退が秒読みに入った時期でした。

アリからトーチを引き継ぐはずのラリー・ホームズはスーパースターのオーラが欠如、この危機を脱する救世主になれないことは誰の目にも明らか。

米国ボクシング界は「アリの後継者はシュガー・レイ・レナード」と、新しい旗を上げました。しかし、ファンの反応は「アリの後継者はヘビー級のカリスマでなければならない」と激しいアレルギー反応を起こします。

1987年にはTHE BEST FIGHTER POLL は廃止されますが、翌年に復活。しかし、リング誌は深刻な販売不振から抜け出せません。

一部のマニアはレナードを核としたマービン・ハグラー、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、4KINGS によるラウンドロビン(総当たり戦)に熱狂、日本のボクシングファンも大きな関心を寄せました。

1988年のTHE BEST FIGHTER POLL ではタイソンがヘビー級で初めて1位に選ばれます。10傑まで広げてみても、ヘビー級ではラリー・ホームズ以来2人目(マイケル・スピンクスをカウントすると3人目)。

タイソンは1989年も1位で〝連覇〟。

それでも、やはりリング誌の販売不振には歯止めがかからず、1989年5月号でついに休刊に追い込まれてしまいました。

スクリーンショット 2026-01-31 10.13.09


リング誌1989年5月号。⬆︎〝最後のリング誌〟のランキングです。

オリジナル8にこだわったリング誌ランキングは、ライト級にジュニアライト級のブライアン・ミッチェル、フライ級にジュニアフライ級の柳明佑やウンベルト・ゴンザレスを編入するような変則ランキングでした。

そして、ここに日本人ファイターの名前はありません…。

マイク・タイソンがスターになるものの、ヘビー級のレベルは地に堕ちてライバル不在。4KINGSがファンを魅了したウエルター級からミドル級にはマーロン・スターリングやスンブ・カランベイがタイトルホルダー、完全に輝きを失っていました。

ここまで、PFP(THE BEST FIGHTER POLL )ランキングに入った純粋ヘビー級はタイソンとダグラス、そのダグラスを破壊したイベンダー・ホリフィールドの3人。

そして、リング誌は1990年に早くも復刊、月刊PFPを発表します。

1990_1

THE BEST FIGHTER POLLをスライドする形でタイソンが〝初代〟1位。そして、ヒルベルト・ローマンが10位。杉谷拳士の父親、満の挑戦を退けたアントニオ・エスパラゴサは5位。

クルーザー級を完全統一、ヘビー級でも圧倒的な強さで「タイソンをノックアウトして見せる」と公言していたホリフィールドが9位。

スクリーンショット 2026-01-31 11.13.33

リング誌は立て続けにタイソンを表紙に起用、販売不振からの脱却を目指しました。

しかし、ときは1990年。復活してわずか1ヶ月ちょっとの2月11日、ボクシング界に激震が走ります。






このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ