【あしたはあの日】。あれから、26年が経ちました。
1990年10月25日、木曜日の後楽園ホール。
1990年10月25日、木曜日の後楽園ホール。
Thursday, 25 October 1990
Korakuen Hall
Tokyo, Japan
commission:Japan Boxing Commission
WBCストロー級王者の大橋秀行は2度目の防衛戦に、自ら選んだランキング4位のリカルド・ロペスと3分4ラウンドと2分、ちょうど14分間、拳を交えました。
当時のWBCランキング1位は李敬淵でしたが、ビッグマウスの王者は「初防衛戦がナパ・キャットワンチャイで次が李じゃ、井岡(弘樹)くんのあとを追いかけてる感じで嫌じゃないですか。それに、せっかくの世界なんだからアジア以外の選手とも戦いたいし」という、なんとも悠長な理由で、Finito(素晴らしい)の異名を持つランキング4位のロペスを選んでしまいます。
まさか、このとき大橋と戦ったメキシカンがのちの一発殿堂、この年からスタートしたリング誌PFPに9年以上も回遊することになるとは誰が想像したでしょうか?
まさか、このとき大橋と戦ったメキシカンがのちの一発殿堂、この年からスタートしたリング誌PFPに9年以上も回遊することになるとは誰が想像したでしょうか?
ストロー級は新設されて4年、歴史も層も薄く競技レベルも低いクラス。厳しい言い方をすると、ジュニアフライ級で世界挑戦を2度失敗している大橋が逃げ込んだのがストロー級でした。
そんな〝吹き溜まり階級〟にメキシコメディアが「全階級を通じて最もスタイリッシュなボクサー」と評価していると聞いても誰もピンときませんでした。
ましてや「(ルーベン・オリバレス、アルフォンソ・サモラ、カルロス・サラテを作り上げた)名匠クーヨ・エルナンデスの最後にして最高傑作」なんて言われても「いくらなんでもそれはない」(大橋)と笑うしかありません。
ましてや「(ルーベン・オリバレス、アルフォンソ・サモラ、カルロス・サラテを作り上げた)名匠クーヨ・エルナンデスの最後にして最高傑作」なんて言われても「いくらなんでもそれはない」(大橋)と笑うしかありません。
直前の試合で咬ませ犬のフランシスコ・モンティエルと10ラウンド判定までも連れ込んでいることも「ロペスは過大評価」という声を大きくしてしまいました。
計量は大橋がリミットいっぱいの105ポンド、103¾ポンドのロペスは「試合前にはこれくらいの体重に自然と絞られる。ベストウエイト」と余裕でしたが、日本のファンが心配になるような見るからに小さな体躯でした。
そして…オープニングラウンドに大橋の右フックでロペスが一瞬後退しますが、見せ場はこれだけ。
常に上体を揺らして的を絞らせないロペスの滑らかなフットワークと、上下に突き刺す多彩なパンチに対して、ボディワークの乏しい大橋はいつものように手数が少なく待ちの姿勢。
そして「ロペスのセコンドは全く静かで何も指示を出していない」という、背筋がゾッとする現場からのレポート。
そんなボクサーが、この世にいるのか?
恐るべき精度で大橋の顔面とボディに放たれるロペスの拳に、大橋は何事もなかったように懸命に耐え続けます。
そんなボクサーが、この世にいるのか?
恐るべき精度で大橋の顔面とボディに放たれるロペスの拳に、大橋は何事もなかったように懸命に耐え続けます。
しかし、第4ラウンド。王者のプライドで懸命に固めてきた我慢のダムが、ついに決壊してしまいます。ロペスが放った電光石火のワンツーで大橋が最初のダウン。
そして迎えた第5ラウンド、デジャブのようなワンツーが炸裂して2度目のダウン。なんとか立ち上がった大橋ですが、フィニッシュモードに入ったロペスの強烈な左フックをカウンターで受けて万事休す。
この日から、最も安易に獲れるはずのストロー級のタイトルが、ロペスのWBCに限っては17階級を通じて最も難攻不落のタイトルになってしまうのでした。
コメント
コメント一覧 (1)
オプションはタイのナパ陣営がもち、
タイ側の指名でロペス戦をおこなったと
思いました。
当時のメキシカンの愛称は悪く、
しかも本部がメキシコのWBC
勇気あるなと思いました。
大橋がWBA世界王者に返り咲いたとき、
統一戦の話題も上がらないのも
納得しました。
もし、当時ストロー級が、存在していなく、
ロペスが、ライトフライ級に挑んだとき
どうなっていただろう。
フシ穴の眼
が
しました