定期的に発表されるPFPの始まりは、リング誌の年間表彰に組み込まれたTHE BEST FIGHTER POLL で1980年に始まりました。

モハメド・アリという、あらゆるスポーツの歴史で今なお最も偉大なアスリートと考えられるスーパースターの引退が秒読みに入った時期でした。

アリからトーチを引き継ぐはずのラリー・ホームズはスーパースターのオーラが欠如、この危機を脱する救世主になれないことは誰の目にも明らか。

米国ボクシング界は「アリの後継者はシュガー・レイ・レナード」と、新しい旗を上げました。しかし、ファンの反応は「アリの後継者はヘビー級のカリスマでなければならない」と激しいアレルギー反応を起こします。

1987年にはTHE BEST FIGHTER POLL は廃止されますが、翌年に復活。しかし、リング誌は深刻な販売不振から抜け出せません。

一部のマニアはレナードを核としたマービン・ハグラー、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、4KINGS によるラウンドロビン(総当たり戦)に熱狂、日本のボクシングファンも大きな関心を寄せました。

1988年のTHE BEST FIGHTER POLL ではタイソンがヘビー級で初めて1位に選ばれます。10傑まで広げてみても、ヘビー級ではラリー・ホームズ以来2人目(マイケル・スピンクスをカウントすると3人目)。

タイソンは1989年も1位で〝連覇〟。

それでも、やはりリング誌の販売不振には歯止めがかからず、1989年5月号でついに休刊に追い込まれてしまいました。

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リング誌1989年5月号。⬆︎〝最後のリング誌〟のランキングです。

オリジナル8にこだわったリング誌ランキングは、ライト級にジュニアライト級のブライアン・ミッチェル、フライ級にジュニアフライ級の柳明佑やウンベルト・ゴンザレスを編入するような変則ランキングでした。

そして、ここに日本人ファイターの名前はありません…。

マイク・タイソンがスターになるものの、ヘビー級のレベルは地に堕ちてライバル不在。4KINGSがファンを魅了したウエルター級からミドル級にはマーロン・スターリングやスンブ・カランベイがタイトルホルダー、完全に輝きを失っていました。

ここまで、PFP(THE BEST FIGHTER POLL )ランキングに入った純粋ヘビー級はタイソンとダグラス、そのダグラスを破壊したイベンダー・ホリフィールドの3人。

そして、リング誌は1990年に早くも復刊、月刊PFPを発表します。

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THE BEST FIGHTER POLLをスライドする形でタイソンが〝初代〟1位。そして、ヒルベルト・ローマンが10位。杉谷拳士の父親、満の挑戦を退けたアントニオ・エスパラゴサは5位。

クルーザー級を完全統一、ヘビー級でも圧倒的な強さで「タイソンをノックアウトして見せる」と公言していたホリフィールドが9位。

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リング誌は立て続けにタイソンを表紙に起用、販売不振からの脱却を目指しました。

しかし、ときは1990年。復活してわずか1ヶ月ちょっとの2月11日、ボクシング界に激震が走ります。