Breez is Nice!

人類史上、初めて100m10秒の壁を破ったのは、ジム・ハインズ。1968年の全米選手権で手動計時9秒9、同年のメキシコ五輪では電動計時でも9秒95をマークしました。

手動計時は電動よりも0秒25前後速くなることから、ハインズの全米選手権の電動タイムは10秒15前後、余裕で10秒かかっていたと推測されます。また、電動で9秒95台を出したメキシコも気圧が低い〝高地記録〟で、やはり平地換算すると10秒15前後だったと見られています。

この記録が破られるのはハインズから15年後、1983年のカルビン・スミスの足によってでした。当時の陸上界はカール・ルイスが席巻、スミスは月見草の存在でしたが、その脇役が9秒93を叩き出し、世界記録を更新したのです。

ルイスが、やはり1983年の第1回世界陸上100mで金メダルに輝いた優勝タイムは10秒07、2位のスミスは10秒21でした。当時の日本記録は飯島秀雄の10秒34、ルイスやスミスは雲の上の存在、怪物ランドの住人にしか見えませんでした。

「100年経ってもルイスに勝てる日本人なんて出てくるわけがない」。世界陸上を目の当たりにした日本人の誰もが、そう思い知らされていました。

しかし、今年の日本選手権は、サニブラウン・ハキームが10秒05、2位の多田修平が10秒16、3位のケンブリッジ飛鳥が10秒18、3人ともスミスの記録を上回り、サニブラウンはルイスをも超えていたのです。

「絶対無理」に見えた大きな壁は、30年で崩すことが出来たのです。おそらく、もっともっと早く崩すことが出来たはずですが…。

現在、遥か彼方の記録にしか見えないウサイン・ボルトの9秒58を破る日本人も、将来必ず現れるでしょう。問題は、それがいつになるのか、だけです。また、30年かかるのか、それとも…。

タイム競技には、必ず心理的な限界が壁となって立ち塞がります。陸上競技よりも水泳のレースでより多くの(世界)記録が生まれるのは、特殊な水着の効果など、ギアの恩恵を受けやすいのが最大の原因ではありません。

水泳競技では周囲との差が見えにくく、陸上競技よりも自分の生理的限界に、試合でも練習でも正面から向かい合うことが出来るからです。

一方の陸上競技は、心理的限界が常に付きまといます。

日本人スプリンターも、1998年に伊東浩司が10秒00を出してから19年、その心理的限界の呪縛にがんじがらめに絡め取られていました。


【米国スポーツイラストレイテッド誌のスポーツマン・オブ・ザ・イヤー第1号は野球でもバスケットの選手でもありませんでした。「医学的に不可能」と信じられてきたマイル4分の壁を突き破ったロジャー・バニスターです。】

陸上競技のみならず、タイム競技の歴史上、最も関心を集めた人類の壁は「1マイル4分」でした。1950年頃まで、「1マイル4分は医学的に切れない」と、まことしやかに信じられていたのですから、1954年にロジャー・バニスターがオックスフォード大学のトラックで走った3分59秒4は、欧米スポーツ史上最大の衝撃でした。

そして、さらに衝撃だったことはその後わずか1年で23人もの中距離ランナーが、〝医学的に不可能〟なはずのマイル4分の壁を続々と越えて走ったという事実です。

「日本人がボルトに勝てるわけがない」というのは、「マイル4分斬りは医学的に不可能」という迷信的な蒙昧と変わりません。

「日本人が世界陸上や五輪のリレーでメダルが獲れたのは、個々の能力で劣っていても、バトンパスなど緻密な連携、組織力が優れているから」という考え方も、間違っています。「個々の能力を組織力でカバーする」というのは、心理的限界という悪魔を呼び込む、誘い水でしかありません。



現実に、8月の世界陸上時点での現役100mランナー上位10人のアベレージで、日本は世界5位なのです。ノビシロの大きい、その若さも考慮すると上位入賞は当たり前、メダルも普通に期待できるだけの個々の能力があるのです。

3年後の東京で目指すべきは、「個人100mで決勝進出」でも「リレーでメダル」でもありません。

そんなボヤッとした、中途半端なものは要りません。

もっと、上です、一番上です。

カール・ルイスの世界に追いつくのに30年かかりました。そこから、ボルトに追いつき追い越すのは、30年の10分の1、ずっと、ずっと短い時間でやってやりましょう。

バニスターがやったように、桐生祥秀がこじ開けた扉にも、大挙して後続のスプリンターが駆け込むはずです。

そうでなければ、なりません。

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18戦全勝15KOのゲンナディ・ゴロフキンが、アベル・サンチェスとのコンビで最初に上がったリングは、パナマシティのロベルト・デュラン・アリーナ。

コロンビアのミルトン・ヌネスを、1ラウンド58秒の速攻でKO、WBA暫定ミドル級王座に就きました。

正規王者に格上げになって、母国カザフスタンでニルソン・フリオ・タピア、再びロベルト・デュラン・アリーナでカシーム・オウマをKOで倒して2連続防衛に成功。米国のプロモーターに向けて大きな花火を打ち上げます。

しかし、このときも米国はGGGのアピールを無視します。

ここで、サンチェスに接触してきたのがトム・ロフラー。ビタリとウラジミール、クリチコ兄弟を擁してK2プロモーションを立ち上げ、世界的なプロモーターにのし上がっていたロフラーは「GGGは米国で間違いなく成功する」と確信しました。

K2プロモーションとGGGプロモーションによる初興行は、ドイツ、デュッセルドルフ。ラジュアン・サイモンをわずか2分17秒で攻め落とします。

「サンチェスによって完成された、トップアマチュア仕込みの華麗な技術と、米国西海岸が好む強打のFun-Friendly-Styleは、米国のプレミアムケーブルTVも見逃さないだろう」。

ロフラーの考えは当たっていました。HBOもSHOWTIMEも、ゲンナディ・ゴロフキンが何者であるかを完全に理解していました。

しかし…。軽量級とは違い、全階級でも屈指の花形階級、ミドル級は、大人の事情が優先される、スポーツとは懸け離れた政治的な力学が優先される世界でした。

「アンドレ・ウォード、セルヒオ・マルチネス、フリオ・セサール・チャベスJr.、ケリー・パブリック、彼らが戦ってくれるなら報酬も条件も最大限に譲歩する」。ロフラーは、HBOとSHOWTIMEと交渉、2大ケーブルがボクシング予算縮小に苦しんでいることも考慮して必死に提案しましたが、ビッグネームとの試合が組まれることはありませんでした。


【カネロ・アルバレスと対戦するまで、GGGは「強い相手とはダニエル・ジェイコブス以外は一人も戦っていない」と批判を受け続けましたが、勇敢なカザフスタン人には、一片の責任もありません。実力者も人気者も、みんながみんな、GGGとの対戦から回避したのですから。】

2012年にWBAはスーパー王者のフェリックス・シュトルムに、正規王者のGGGとの統一戦を指示しましたが、シュトルムはIBF王者のダニエル・ギールとの団体統一戦に、あからさまに逃亡しました。

ロフラーは今でもシュトルムを「恥知らずの臆病者」と軽蔑しています。

しかし、この深刻なThe avoidance problem(誰もGGGと戦おうとしない問題)は、このとき始まったばかりだったのです。

強烈な印象を残して勝てば勝つほど、有力選手は逃げて、レベルの低い相手との防衛戦が続いてしまう。30歳を超えて全盛期の残り時間が限られているGGGにとって、弱い相手とばかり戦うことは、年齢的な劣化が進むだけではなく、実力が錆び付く懸念もつきまといます。

全盛期のマイク・タイソンやマニー・パッキャオなら、実力者や人気者も喜んで手を挙げたでしょう。危険に見合うどころか、それ以上の報酬と名前を売るチャンスが約束されているのですから。

GGGは、人気のない全盛期のタイソン、パッキャオでした。戦っても、それに見合う報酬は全く期待できず、大きな危険だけが溢れているのです。そんな相手と戦いたがる実力者や人気者がいないのは当然です。すでに築き上げたものがあるボクサーにとってゴロフキンは、絶対に避けるべき存在でした。

「ゴロフキンと戦うのはビジネスにならない」。シュトルムら逃亡者が決まって口にするセリフは、単なる言い訳ではありません。事実です。

まともなスポーツなら強いやつが世界一です。それは、世界的な統括団体が保証してくれているからです。「実力者が戦ってくれないから、トーナメントで優勝できない」なんて馬鹿げたことは起こりえません。

ところが、プロボクシングには世界的な統括団体が存在しません。多宝塔ビジネスの承認団体が跳梁跋扈し、統括は各地のコミッションに一任されています。ドーピングしようが何しようが、ライセンスを発行していない承認団体には資格停止処分の権利すらありません。

しかし、対戦相手が逃げ続ける一方で、その実直で妥協のない強さにマーケッティングの価値を見出して、カザフスタン人をサポートするサポーターは増え続けました。

世界最大のスポーツメーカー、ナイキ。スイスの高級時計メーカー、ウブロ。いずれもGGGバージョンの特別仕様シューズ、腕時計を販売しています(シューズは日本では入手困難)。


【2016年にナイキのジョーダン・ブランドとスポンサーシップ契約したGGG。ボクシングでナイキといえばパッキャオが代名詞でしたが、同性愛者への差別発言で契約打ち切り、GGGがその後を継ぎました。】

GGGが強烈に勝てば勝つほど、その呪縛もまた強く重くのしかかるThe avoidance problem。相手が逃げるのですから、GGGサイドからは、どうやっても解けない難問でした。

この問題を解いて見せたのは、超人気者であるがゆえにGGGから逃亡した印象が最も強いカネロ・アルバレスと、ゴールデンボーイ・プロモーションでした。

30歳も半ばを迎えたGGGが劣化の坂道を下っているのは、間違いありません。カネロ陣営は、その兆候を注意深く見守りながら、そのときを待ち続けました。

もし、今年3月のジェイコブス戦で圧倒的なKO勝ちを収めていたら、9月16日はありえなかったでしょう。ジェイコブスにトドメをさせないばかりか、その体格に押される場面も目立ったカザフスタン人の姿に勇気付けられたオスカー・デラホーヤは、ついにGOサインを出すのです。

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米国西海岸のジムを手当たり次第に訪ね歩きましたが、五輪銀メダリストのゲンナディ・ゴロフキンを歓迎してくれる場所を見つけることは出来ませんでした。

プロデビューから18戦全勝15KOの凄まじいキャリアを積み上げて来たカザフスタン人でしたが、「あまりにも柔和な第一印象がファイターにふさわしくない」というのは瑣末なことで、実は深刻な問題を抱えていました。

急所を正確に狙い撃つ、GGGの冷酷な強打は、その被害者である対戦相手には骨の髄まで伝わっていましたが、多くのファン、専門家の目には「ジャブを起点に丁寧に試合を組み立てるテクニシャン」、つまり典型的なアマエリートの安全優先ボクシング、退屈なボクシングに映っていたのです。

2010年6月、ゴロフキンは、標高2000mを超えるビッグベアレイクのザ・サミットジムの門を叩きます。

運命の出会いが待っていました。アベル・サンチェスとの邂逅です。

ヨーロッパで燻り、軋んでいた歯車が、ビッグベアレイクで音を立てて、力強く動き始めました。

サンチェスは、手堅いゴロフキンのボクシングを変えることを提案しました。

「プロボクシングはファンを沸かせてナンボの世界だ。fan-friendly styleを目指すんだ。ドラマを見せるんだ!ショウを見せるんだ!」

GGGの口癖、「ビッグドラマショウ」はオリジナルではなく、サンチェス直伝なのです。

GGGの話を進めるには、驚くべき個性を放つボクシングトレーナー、サンチェスの物語は避けて通ることは出来ません。



【それがたとえ親子の間柄であっても、トップボクサーとトレーナーほど、ビジネスライクな関係はありません。しかし、どんな世界にも例外はあります。20年近くコンビを組むマニー・パッキャオとフレディ・ローチが有名ですが、GGGとサンチェスもまた利害関係を超えた世界で結びついているのです。】

1955年メキシコ、ティファナで8人兄弟の長男として生まれたサンチェスは、6歳の時に母親に連れられ家族でカリフォルニアへ移住しました。

「とにかく貧乏だった。肉類を口にできるのは、せいぜい週に一回。米と豆とジャガイモで命をつないでいた」。

朝7時から昼過ぎの2時までは学校に通い、授業が終わると毎日、義父がトラックで迎えに来ました。そして、夜中まで建設現場で働かされたのです。

「学校が休みの時は、早朝から現場だった。夏休みなんて知らない子供だったんだ」。

しかし、このサンチェス、しっかり者で生活力に満ちた子供でした。苛酷な建設現場での仕事をそつなくこなすだけでなく、建築の勉強にも励み、18歳で自分の会社を立ち上げてしまうのです。

彼はどんな仕事でも請け負い、会社は大繁盛しました。

彼が設計、建築した作品を、世界中のほとんどの人が一度は見たことがあるはずです…それもスクリーンの中で。80年代を代表するメガヒット映画「E.T.」、主人公のエリオット少年が住む郊外の街並みの家々は、彼の作品です。

その頃、サンチェスは仕事の傍ら、友人の勧めでボクシングを始めますが、仕事と両立できずに挫折。それでも、リングに未練があったのでしょう、友人が運営するジムでトレーナーを務めます。

しかし、仕事が忙しく、1982年にはボクシングから離れてしまいます。

ボクシングの神様は、よほどサンチェスを気に入ったのでしょう。3年後の1985年、運命の電話が鳴ります。

かつて指導していたボクサーの父親からでした。

「契約のこじれで息子がボクシングを辞めてしまった。お願いだ、息子を立ち直らせてくれないか?」。

父親は、愛する息子とサンチェスの相性が抜群だと信じていました。そして、それは大正解でした。

サンチェスが指導してから強豪相手に7連勝、1987年7月12日、この名コンビはフランスのボルドーにいました。

連勝のお祝いにボルドーワインを飲みに来たのではありません。サンチェスの弟子、ルペ・アキノは、WBCジュニア・ミドル級5位にまでランキングを上げ、なんと世界タイトルマッチまで漕ぎ着けたのです。

しかし、相手が悪すぎます。7ヶ月前に、あの野獣ジョン・ムガビを3ラウンドKOで屠って王者に就いたデュアン・トーマスです。当時のボクシング界を席巻していたエマヌエル・スチュワード率いるクロンク・ジムのホープ中のホープでした。

戦前の予想もオッズも大きくトーマスに傾いていたこの一戦、サンチェスは「スロースターターのトーマスは格下相手に慎重に立ち上がる」と確信、「最初の2ラウンド、6分間で全てのエネルギーを使い果たせ」と指示します。

そして、2ラウンド、アキノの左フックがクリーンヒット、トーマスがキャンバスに沈みます。しかし、指示通りに、全開で飛ばしたアキノのエネルギータンクは、このとき空っぽでした。

そして、トーマスは立ち上がってきました…。



ここで、サンチェスの思惑通り、「勝てる!」という確信的な希望が湧き出たアキノの体の中で、不思議なことが起きます。隠されたもう一つのエネルギーのダムが開放されたのです。

トーマスの反撃にもひるまず、最終回には2度目のダウンを奪ってユナニマスデジション、番狂わせを起こしたのです。

歓喜に咽ぶアキノを、荒々しく抱きしめるサンチェス。

「まさかこの俺が、世界チャンピオンを育てられるなんて!」。

しかし、アキノはこの後、16人も続くアベル・サンチェスの世界チャンピオンという作品群の第1号でしかありませんでした。

帰国すると、サンチェスの評判を聞きつけたテキサス出身の天才兄弟がその教えを待っていました。テリーとオーリン、のちにジュニア・ミドル級、クルーザー級でチャンピオンになるノリス兄弟です。

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VADAによる検査で、ルイス・ネリの Bサンプルも、筋肉増強剤が陽性反応を示したと、Ring.TV.comが報じました。

それにしても検査結果が出るのが遅すぎます、あまりにも遅い。

検出されたのはジルパテロル。家畜の育成を早め、肉の量を増やす効果のある物質で、ネリ陣営は「牛肉を食べた時にジルパテロルがネリの体内に残ってしまった」と主張し続けていますが、そんな言い訳は通用しません。

「牛一頭食べても検出されない」「ドーピングとしか考えられない」。そんな話も出てますが、微量だろうがなんだろうが、陽性反応を示したらアウトです。

食事のトレーサビリティに細心の注意を払うのはアスリートとして当然の義務です。風邪薬はもちろん、目薬に含まれている禁止物質も選手と陣営は知っておく義務があります。

「牛肉食べたから」。

はぁ?そんな言い訳が通用するなら、ドーピング検査は必要ありません。

WBCのマウリシオ・スライマン会長は「今週中にネリへの処分を決定する」と声明を出していますが、タイトル剥奪だけなんて軽い処罰はありえません。

もちろんプロボクシングには世界的な統括団体が存在しませんから、本当の処分は各国(米国だと各州)のコミッションが決定することになります。つまり、ローカルなペナルティしか課すことが出来ないのです。

ドーピングへの意識が低いメキシコなどは、数ヶ月の出場停止処分で済むこともあります。毎日どころか毎週も試合を出来るわけのないスポーツで数ヶ月って、そんなもの、ペナルティではありません。

ドーピングが発覚した選手は、陸上競技なら5年前後の出場停止処分が科せられますが、ボクシングという危険なスポーツの性質を考えると、永久追放に近い10年前後の資格停止でも甘いペナルティです。

この結果を受けて、リング誌は、山中慎介をバンタム級王者に返り咲きさせ、同誌の規定に基づき、ネリはバンタム級のトップ10から追放となりました。

それにしても、やりきれない話です。

山中はこのニュースをどう聞いたでしょう。

タイトルが戻ったって、嬉しくもなんともないでしょう。むしろ、ネリがクリーンだったと証明された方が納得できたのではないでしょうか。

自分に勝ったボクサーが、世界を欺く卑怯で卑劣な男だったなんて、あまりにも悲しすぎます。

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ドイツのユニバーサム・プロモーションと袂を分かち、GGGプロモーションを設立したゲンナディ・ゴロフキンは憧れの地、米国西海岸へ飛び立ちました。

いくつものジムの門を叩き、自分の居場所を探しました。


【〝IT AIN’T EASY〟「簡単なことじゃ無いぜ」。フレディ・ローチのワイルド・カード・ボクシングクラブの看板に掲げられた言葉は、GGGが歩む厳しい道のりを暗喩していたのかもしれません。】

カリフォルニアで最も有名な二つのジム、フレディ・ローチのワイルド・カード・ボクシングクラブ、ロベルト・ガルシア・ボクシング・アカデミーのドアは真っ先にノックしました。

しかし、五輪銀メダリストに、色良い返事をしてくれるジムはありませんでした。メキシコ人やプエルトリカンのような米国に強力なファンベースを持たないGGGは、プロモーターはもちろん、トレーナーにとっても、苦労の割に報われない、典型的なボクサーでした。

さらに、リング上では獰猛な魅力を撒き散らすGGGでしたが、リングを降りてトレーナーを探してジムを訪ねるその姿は、礼儀は正しいものの、気の弱い新米の営業マンにしか見えませんでした。

ローチは、ゴロフキンと同じくいきなり訪ねて来たマニー・パッキャオについては「全く知らなかったが、不思議なオーラがあったから、リングに上げてミット打ちをさせた」と回想していますが、GGGについては「ミドル級の銀メダリストで欧州で活躍していたのは知っていたから、ジムに来たなら断るわけが無い」と言いますが…。

それほどまでに、リングを降りたGGGにはオーラがなかったということなのかもしれません。いずれにしても、フィリピン人が奇跡のタイミングで乗っかった幸運という名の大波を、GGGは捕まえることが出来ませんでした。

カリフォルニアの市街地のジムは、ほとんど回り尽くしたGGGは「バーナディーノ山脈の奥地に名伯楽がいる」という噂を頼りに、標高2000メートルを超える山岳地帯に分け入りました。

オスカー・デラホーヤをはじめ数々の名選手がキャンプ地に選んだ、ビッグベアレイク。この場所に、その名伯楽のThe Summit Gymは常設でジムを構えているというのです。





「誰でも歓迎!」。
その看板は、エリートジムには無い、誘いの文句が刻まれていました。

その姿勢でジムを運営していたアベル・サンチェスは、ボクサーの素材を見抜く眼には絶対的な自信を持っていましたが、そのサンチェスでも、ジムの入ってきたゲンナディ・ゴロフキンを見たときは、アテネの銀メダリストだとは気づきませんでした。

「どうして聖歌隊のコーラスボーイがこんなところに迷い込んだんだ?」「本当に、君はドイツで恐れられているミドル級のトップボクサーなのか?」

しかし…。

コーラスボーイを、トレーニングシャツに着替えさせて、リングに上がらせると…。

そこに立っていたのは、その立ち姿だけで、誰の目から見ても背筋が凍る恐ろしいファイター、猛獣でした。

シャドウボクシングをさせるまでもなく、ミット打ちなどさせるまでもなく、さっきまで気の弱い少年に見えたゴロフキンは、凶悪で、獰猛で、残忍なオーラを四方八方に発散していました。

「こんなやつが本当にいるのか?…こいつはジキルとハイドだ」。

アベルは、自分が彼と戦うわけでも無いのに、「リングに上がったゴロフキンを初めて見たとき、本当に恐ろしかった」と語ります。「こんな空気を放たれたら、リングで向き合った瞬間に対戦相手は間違いなく怖気付いてしまう」と確信しました。

有名選手から敬遠されるがゆえに、GGGは19度の防衛の中で世界的にはほとんど無名の二人の日本人と戦っています。

淵上誠は、ウクライナで3ラウンドTKOで惨敗した試合翌日のホテルで偶然顔を合わせたゴロフキンに声をかけられコーヒーをおごってもらったと言います。

GGGは「ずっと、ずっと遥かに遠い日本からものすごい時間をかけて、私と戦うためにウクライナまで来てくれた渕上には敬愛の気持ちしかなかった」と思い出を語っています。

敬愛する相手を、あそこまで叩きのめすことが出来る…。その翌朝に、笑ってコーヒーを振る舞う。プロフェッショナルです…ジキルとハイドです。

モナコ・モンテカルロで、やはり3ラウンドでGGGのキャリアでも最も戦慄歴なKO負けを食らった石田順裕に対しても「カザフスタンと日本、お互い全く縁もゆかりもないヨーロッパの華やかな公国で拳を交えるなんて、僕たちは兄弟みたいなものだ」と親愛の情を語っています。

しかし、そんな兄弟をあそこまで情け容赦なくブチのめす…プロフェッショナルです…まさにジキルとハイドです。

GGGのトレーニングに村田諒太が参加した時も、詰めかけた日本のメディアに嫌な顔をする選手が多かった中で、このジムの主であるゴロフキンが取材クルーと村田の間を、お辞儀をしながら邪魔にならないように、謝るように、かがんで通りました。

この日を境に、その姿を見た他の選手の態度は、一変したといいます。

「遠い国から五輪金メダリストが希望して、私の練習に参加してくれているんだ。これは本当に名誉なことだ。しかし、まさか、あの気さくな村田があんなに大勢のメディアを引き連れてくるセレブだとは、びっくりしたけどね」。


=画像=「彼がジムに入ってきた時、場違いも甚だしい聖歌隊のコーラスボーイにしか見えなかった。彼がボクサーだなんて思いもしなかった」(アベル・サンチェス)。

サンチェスでなくとも、リングを降りると柔和な笑顔を絶やさず、側近が止めても、最後の一人までファンへサインする心優しい青年が、ひとたびリングに上がると、獰猛で、残虐で、無慈悲なファイターになるなんて、そりゃ誰にだって想像出来ません。

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