ドイツのユニバーサム・プロモーションと袂を分かち、GGGプロモーションを設立したゲンナディ・ゴロフキンは憧れの地、米国西海岸へ飛び立ちました。

いくつものジムの門を叩き、自分の居場所を探しました。


【〝IT AIN’T EASY〟「簡単なことじゃ無いぜ」。フレディ・ローチのワイルド・カード・ボクシングクラブの看板に掲げられた言葉は、GGGが歩む厳しい道のりを暗喩していたのかもしれません。】

カリフォルニアで最も有名な二つのジム、フレディ・ローチのワイルド・カード・ボクシングクラブ、ロベルト・ガルシア・ボクシング・アカデミーのドアは真っ先にノックしました。

しかし、五輪銀メダリストに、色良い返事をしてくれるジムはありませんでした。メキシコ人やプエルトリカンのような米国に強力なファンベースを持たないGGGは、プロモーターはもちろん、トレーナーにとっても、苦労の割に報われない、典型的なボクサーでした。

さらに、リング上では獰猛な魅力を撒き散らすGGGでしたが、リングを降りてトレーナーを探してジムを訪ねるその姿は、礼儀は正しいものの、気の弱い新米の営業マンにしか見えませんでした。

ローチは、ゴロフキンと同じくいきなり訪ねて来たマニー・パッキャオについては「全く知らなかったが、不思議なオーラがあったから、リングに上げてミット打ちをさせた」と回想していますが、GGGについては「ミドル級の銀メダリストで欧州で活躍していたのは知っていたから、ジムに来たなら断るわけが無い」と言いますが…。

それほどまでに、リングを降りたGGGにはオーラがなかったということなのかもしれません。いずれにしても、フィリピン人が奇跡のタイミングで乗っかった幸運という名の大波を、GGGは捕まえることが出来ませんでした。

カリフォルニアの市街地のジムは、ほとんど回り尽くしたGGGは「バーナディーノ山脈の奥地に名伯楽がいる」という噂を頼りに、標高2000メートルを超える山岳地帯に分け入りました。

オスカー・デラホーヤをはじめ数々の名選手がキャンプ地に選んだ、ビッグベアレイク。この場所に、その名伯楽のThe Summit Gymは常設でジムを構えているというのです。





「誰でも歓迎!」。
その看板は、エリートジムには無い、誘いの文句が刻まれていました。

その姿勢でジムを運営していたアベル・サンチェスは、ボクサーの素材を見抜く眼には絶対的な自信を持っていましたが、そのサンチェスでも、ジムの入ってきたゲンナディ・ゴロフキンを見たときは、アテネの銀メダリストだとは気づきませんでした。

「どうして聖歌隊のコーラスボーイがこんなところに迷い込んだんだ?」「本当に、君はドイツで恐れられているミドル級のトップボクサーなのか?」

しかし…。

コーラスボーイを、トレーニングシャツに着替えさせて、リングに上がらせると…。

そこに立っていたのは、その立ち姿だけで、誰の目から見ても背筋が凍る恐ろしいファイター、猛獣でした。

シャドウボクシングをさせるまでもなく、ミット打ちなどさせるまでもなく、さっきまで気の弱い少年に見えたゴロフキンは、凶悪で、獰猛で、残忍なオーラを四方八方に発散していました。

「こんなやつが本当にいるのか?…こいつはジキルとハイドだ」。

アベルは、自分が彼と戦うわけでも無いのに、「リングに上がったゴロフキンを初めて見たとき、本当に恐ろしかった」と語ります。「こんな空気を放たれたら、リングで向き合った瞬間に対戦相手は間違いなく怖気付いてしまう」と確信しました。

有名選手から敬遠されるがゆえに、GGGは19度の防衛の中で世界的にはほとんど無名の二人の日本人と戦っています。

淵上誠は、ウクライナで3ラウンドTKOで惨敗した試合翌日のホテルで偶然顔を合わせたゴロフキンに声をかけられコーヒーをおごってもらったと言います。

GGGは「ずっと、ずっと遥かに遠い日本からものすごい時間をかけて、私と戦うためにウクライナまで来てくれた渕上には敬愛の気持ちしかなかった」と思い出を語っています。

敬愛する相手を、あそこまで叩きのめすことが出来る…。その翌朝に、笑ってコーヒーを振る舞う。プロフェッショナルです…ジキルとハイドです。

モナコ・モンテカルロで、やはり3ラウンドでGGGのキャリアでも最も戦慄歴なKO負けを食らった石田順裕に対しても「カザフスタンと日本、お互い全く縁もゆかりもないヨーロッパの華やかな公国で拳を交えるなんて、僕たちは兄弟みたいなものだ」と親愛の情を語っています。

しかし、そんな兄弟をあそこまで情け容赦なくブチのめす…プロフェッショナルです…まさにジキルとハイドです。

GGGのトレーニングに村田諒太が参加した時も、詰めかけた日本のメディアに嫌な顔をする選手が多かった中で、このジムの主であるゴロフキンが取材クルーと村田の間を、お辞儀をしながら邪魔にならないように、謝るように、かがんで通りました。

この日を境に、その姿を見た他の選手の態度は、一変したといいます。

「遠い国から五輪金メダリストが希望して、私の練習に参加してくれているんだ。これは本当に名誉なことだ。しかし、まさか、あの気さくな村田があんなに大勢のメディアを引き連れてくるセレブだとは、びっくりしたけどね」。


=画像=「彼がジムに入ってきた時、場違いも甚だしい聖歌隊のコーラスボーイにしか見えなかった。彼がボクサーだなんて思いもしなかった」(アベル・サンチェス)。

サンチェスでなくとも、リングを降りると柔和な笑顔を絶やさず、側近が止めても、最後の一人までファンへサインする心優しい青年が、ひとたびリングに上がると、獰猛で、残虐で、無慈悲なファイターになるなんて、そりゃ誰にだって想像出来ません。