カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

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1998年9月6日、黒澤明が88年の生涯を閉じたとき、私は米国出張でロスアンゼルスにいました。

黒澤の死を知ったのは、仕事仲間が鎮痛な顔で「落ち込むな」みたいなことを言ってきたからです。現地の仕事仲間は、私がショックを受けているだろうと気遣ってくれているように感じましたが、赴任中の日本人に会うと「参っちゃうよな」みたいに苦笑いしてくるのでした。

帰国してから、黒澤明の死をロシアやキューバなども含めて世界中のメディアが速報かそのレベルで報じたことを知って、海外に滞在していた日本人の多くが私たちと同じような「参っちゃうよな」という違和感を覚えていたんだろうなと気付きました。

当時の私は黒澤明のほぼ全ての作品を見ていましたが、「最後の太陽が堕ちた」(仏ル・モンド紙)というのは、あまりにも大袈裟に感じたものでした。それはいまも、変わりません。

「世界がすごいと言ってるから、すごい」。

もちろん、あれから四半世紀以上経った2025年の現時点ですら、その映画を見たことがなくても「黒澤明」「七人の侍」を知らない日本人はいないでしょう。

そこにあるイメージは「世界のクロサワ」です。

それは、日本向けの「世界のYAZAWA」などとは異質の、新たに世界の映画ジャンルを生み出し、欧州の映画専門家が絶賛、ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグが心酔した、ガチの世界でした。

しかし、世界のクロサワの映画を見たことがある人、その映画に感銘を受けた人がどれだけいるでしょうか?

今の日本人にとって、世界のクロサワは「なんかよくわからないけど世界が認める偉い映画監督」「評価はもう固まっている」というレジェンドです。

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「世界的評価の高止まりと、日本での評価が冷静」「晩年は孤立していた」という点で黒澤明と酷似するファイティング原田はどうでしょうか?

ここでは、映画というグローバルな文化の中心的存在と、スポーツとしても完全マイナーのボクシングという全く違う世界であることは差し引いて考えてゆきます。

黒澤が業界では〝天皇〟と崇められ、彼の作品を見たこともない若者でも「なんかよくわからないけど世界が認める偉い映画監督」と知られているのに対して、原田はそうではありません。

「ビートルズ以来」という大フィーバーを巻き起こしたマイク・タイソンの来日で、契約上のアピアランス(顔見せ)から外れているばかりか、事実上のアポ無しで、原田はタイソンに会いに行きます。

契約以外の取材などは頑なに拒否し、ホテル・ニューオータニの貸し切りワンフロアにこもっていた統一世界ヘビー級王者が部屋のドアを開いて招き入れたのは原田だけでした。

ベッドルームには原田のブロマイドがピン留めされていたそうです。

タイソンは具志堅用高も辰吉丈一郎も知りませんでしたが、日本行きが決まったとき「原田はまだ生きているのか?」と最初に聞いたそうです。

タイソンの中で伝説だった原田ですが、現代のボクシングファンが彼を語ることはほとんどありません。

いや、業界の中でも「いや、すごいのはわかってるけど…」という存在になっています。

黒澤明の晩年、誰も彼の間違いを指摘するどころか、意見を言うことすらなかったと聞きます。それだけが原因でないでしょうが、晩年の作品が残念なレベルで終わってしまったのは、そこにも理由があったのかもしれません。世界のクロサワの言うことは、とにかく絶対だったのです。

一方で、原田。引退したというだけでなく、世界の主要メディアが絶賛する黒澤と違い、リング誌を超えてスポーツ・イラステレイテッドが〝最高点〟だった原田の日本国内での尊敬度は、現代のファンは歴代10傑にも数えないほどまでに萎んでいます。

いまでも、日本のボクシングを語るとき「井上尚弥vs中谷潤人は、ファイティング原田vsエデル・ジョフレ以来の大きな意味を持つ」と、多くの海外メディアが同じ文脈で語りましたが、それを伝えた日本メディアは多くはありませんでした。



ーーーまだまだ続きます。





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映画とボクシングが大好きです。

いま、思い返しても暗い暗いジメジメした高校時代に、唯一楽しみにしていた図書室に到着する洋雑誌。英語なんて全くわからないのに、洋雑誌の触れなば破れんのような薄い紙質、そこから立ち昇る嗅いだことのない匂いに、クラクラしていました。

太平洋を渡ってきたタイム誌、ニューズウィーク誌、スポーツ・イラストレイテッド誌の見るからに「アメリカでござい!」という権威とは違う、薄くて頼りない雑誌もありました。リング誌はそんなチープな雰囲気が滲み出ていた雑誌でした。

20代の頃までは、場末の名画座に無口な私が「主(ぬし)」と呼ばれるほど入りびたり、社会人になってからは水道橋のダフ屋が私を見つけると「チケット買ったか?買ってないなら、もうこれ売れないからタダであげる」と変にねんごろになっていました。

いま、年に何回映画を観るか?ボクシングを観るか?ーーー本当にもう数えるほどです。

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黒澤明とファイティング原田。

私にとっては二人とも〝あとから知った〟伝説でした。

クロサワは高校時代に廃屋もどきの名画座で1960年代までの全ての作品、つまり全盛期のクロサワをスクリーンで観ました。

「いつの時代の誰が観てもすごい」。

一方で原田は、当時は動画を気軽に見ることのできなかった時代でしたが、海外メディアが「1団体オリジナル8」「エデル・ジョフレ」という問答無用のキーワードから原田を日本のボクサーの中でも別格に評価しているのは知っていましたが「いつの時代の誰が観てもすごい」というのはもやもやしたままです。

日本のメディアが「日本歴代PFP」的なことを語るとき、井上尚弥がトップで井岡一翔や中谷潤人、具志堅用高、辰吉丈一郎、長谷川穂積、西岡利晃らが原田に先行しているのを見ると、海外とのあまりにも大きすぎるギャップに愕然としてします。

もちろん、これはスポーツが持つ悲哀という側面もあります。もし、スポーツライクな技術レベルだけにフォーカスするなら現代のトップアーティストはダ・ヴィンチ(ヘンリー・アームストロング)もミケランジェロ(モハメド・アリ)も凌駕します。ゴッホ(ロベルト・デュラン)は無理ですが。

さて、クロサワと原田。ふたりの悲しい共通点は晩年においての「世界と日本での評価・注目度があまりにも劇的なまでに乖離している」ことです。

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【インターミッション】3時間を超える長編映画ではインターミッション(休憩)が設けられることがあります。高校時代に通っていた愛すべき名画座では「黒澤明の24時間」とかいうタイトルのとんでもないのがあって、10代ながら「映写技師さんは大丈夫なのか?」と心配してしまいました。…技師さんは途中で寝てたから、常連のお姉さんが叩き起こしてましたが…。

そのお姉さんとは10年後くらいに那覇の会議室で偶然再会してしまうのですが、わ〜〜ってっていくくらい綺麗な人でマンモス大学のミスだったと自慢されて納得しました。

もちろん、当時はそんなことは知る由もなく。たまたま、映画館の近くで鉢合わせになった彼女は近くに置いてあった工事の誘導灯を二つ持つと、一つを私に投げて「ブーン!ブーン!」とダースベイダーよろしく襲いかかってくるのでした。

めっちゃ綺麗なお姉さんがチャンバラごっこを挑んでくるーーー男子高校生にとっては夢のような出来事です。

しかし、そこは場末の場末の場末…の場末、日本のソドムです。「覚醒剤は売っても買っても重罪!」なんて立て看板が当たり前にあちこちに立ってたり、倒されてたり、その看板に注射器が刺さってたり…大学進学して上京したとき「そんなとこが日本にあるわけないじゃん」と信じてもらえなかった光景が広がる町でした。

誘導灯が壊れるほどギーーッと交差して、彼女の顔が目の前でアップに迫ると、黒目や白目、唇や歯、肌のきめまではっきり見えて「やっぱりものすごく綺麗だ!」と、本当なら男としてそそる場面ですが、そこはソドムなんです。

私は彼女の女としての抜群の魅力よりも「とにかく怖い人が俺に接近している、機嫌を損ねたら大変な目に遭わされる」と、慄いていました。

ずーーっとあとになって、彼女と再会。ソドムの共有者です、当たり前ながらものすごくシンパシーを感じながら年に1回くらい会ってますが、当時の私は高校生です。

それが「七人の侍」だったのか「天井桟敷の人々」だったのかはもうお互い忘れていますが、インターミッションのあとにも、彼女から「ちょっと外の空気、吸わへん?」と、下唇を指でポンポンと押されました。

学校で女子とまともに話したことがない私にとっては、本当ならものすごくエロティックな男として楽しい体験なのに「ついていったら殺される」くらいの感覚しかなく、彼女が「インターミッション、長いで」と誘われても、聞こえないふりをしてました。


とにかく、なにしろ、あそこは間違いなくソドムかゴモラでしたから。





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私なんかがお仕事の話をするのは、あまりにも大上段で僭越で、とにかく的外れなのです。

それでも、勉強をちょっとだけ教えていた野球部やそのつながりの小中学高校生たちが、社会に飛び出す時期がもう数年前から始まりました。

今年から大阪勤務ですが、それまでは東京勤務、住まいは横浜で、本当にたくさんのバカで可愛くて頭の良い子どもたちと友だちになることができました。

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 https://www.youtube.com/watch?v=tyKb4_jMjzc


彼らの将来に対して、私なんかが言うことなんて何もありませんが、何か聞かれたときはものすごくずるい借り物を教えてあげています。

受験や就職、人生の節目。

希望の学校や企業に進む人、涙をのんだ人。若い彼らは、そこで一喜一憂するわけです。もちろん、そんなバカな話はありませんが、私の可愛い友だちは若いから、そこで一喜一憂どころか、人生のゲームセットくらいに勘違いしてしまうのです。

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ドラえもんの秘密の道具で植物と心を通わせられるようになったのび太が、大切に育てたたんぽぽから離れて、春風に飛んでいく綿毛に聞くのです。

「どこへ行くつもり?」。

綿毛は風に身を委ねたまま、朗らかに答えます。

「わかんないけど…、だけどきっと、どこかできれいな花を咲かせるよ」。

「どこ」なんて関係ないのです。一人の人間として最高の幸せは、自分の花を咲かせることができるかどうか、それだけです。

そして、新卒採用が基本の日本では18歳や22歳で自分がどんな花の種なのかがわからないことが、ほとんどです。

就職ということについては、これはもう究極の理想論ですが、二つの〝求人〟を紹介してきました。

一つ目は、ガチの求人。

有名な極地探検隊アーネスト・シャクルトンが出した隊員募集広告。

MEN WANTED for Hazardous Journey.Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful. Honor and recognition in case of success.ーーーErnest Shackleton
 
求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。何ヶ月も続く暗黒の長い日々。生命の危険は常にそこにある。生きて還る保証はできない。ただし、成功の暁には名誉と賞賛を得る。 アーネスト・シャクルトン

なんと(というか当然というか)応募者が殺到しました。

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二つ目はフィクションですが黒澤明の「七人の侍」。

野武士の標的にされた貧村を救うために、まさにジェダイマスターの勘兵衛が落魄れても腕は確かな〝ジェダイ〟を集めるのですが、そのときのセリフ。

「実はな。カネにも出世にもならぬ、難しい戦(いくさ)があるんじゃが、ついて来るか?」。

あの勘兵衛が勧誘するのです。カネも名誉にもならないのは本当かもしれませんが、磨き抜いた刀を試すには最高の機会だと直感した侍は快諾します。

シャクルトン募集広告を和訳するとしたら、もうこれです、これしかありません。


まー、なんにしても5月病とかもろもろありますが、立ち止まりたかったらいくらでも立ち止まれ!

若者たちよがんばれ!若者たちよがんばるな!!!






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当たり前のことですが「早く来い!」というものは、のんびりやって来る。「ああ、いやだなあ」というのは本当にあっという間にやって来やがる。

明日、大阪に帰ります…自宅は横浜なので、大阪に「帰る」はおかしな表現で、阪神エリアで高校時代を過ごした私は「兵庫に帰る」はあっても「大阪に帰る」というのはありえないことなのですが、まぁどうでもいいや。

東京拠点で「大好きな国内出張先ランキング」を作成すると、どこの会社でもUndisputed champion(議論する余地のない人気の出張先)の札幌、那覇に続いて仙台、信越、広島、博多などのトップ・コンテンダーが並びます。

大阪はトップコンテンダーのグループですが、私にとってはチャンピオンレベルの出張先でした。これは、東京を凌ぐ大都会であり、高校時代の超個人的な思い出が詰まっていて、大人になって酒を飲むようになるとまた全く違うアングルの街が見えて来る、そんな特別なエリアだからです。

そこまでは、誰にでもよくあることかもしれませんが、同窓会的な集まりへの極度のアレルギーがある私にとっての大阪出張はそんなウィルスに近寄ることなくヒット&アウェイで東京に帰れるから、チャンピオンレベルだったのです。

それが…あっちに社宅とはいえ居を構える、足を止めたメキシカンスタイルで同窓会的な誘いをビシバシ断り続けるしかないのです…俺、ヘクター・カマチョやシャクール・スティーブンソン型の〝打撃戦(あまり多くの人)にはお付き合いしたくない〟人生を歩みたいのに。

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真面目な話で不治の社会不適合症です。気心の知れた人と1対1なら全く問題ないのですが、3人以上となるとよほどの特殊事例でないと我慢できません。

不登校だったときでも、運動部の部室で暴れて去る、なんてことは普通に出来ますが、そのあと集団でファストフードやファミレスで世間話するようなことは一度もありませんでした。誘われるたびに、心の底で申し訳ない気持ちになりながら「誰が行くか、2度と誘うな」と吐き捨ててました。

優しく誘ってくれる人は、私について「本当は来たいと思ってる」「来たら盛り上がって楽しい時間を過ごせる」と思ってるのかも知れませんが、これはもうほんとに病気なんです。

例えば、ジャカルタのドブ屋台の蛇料理は酒と一緒に食える私ですが、家庭料理では母親と妻が作ったもの以外は積極的に食べることができないという、心の奥底に闇を抱え続けているのです。これは、でも他にもいるかも知れませんが、同じような感覚です。

数寄屋橋次郎の寿司は美味しくいただけても(いや食ったこと1回しかないが)、次郎が自宅のキッチンで握った寿司は微妙な気持ちになるのです。

野球部で「高校時代は目立たなくても、私個人は完全に圧倒されていた人徳面でもう圧倒される、尊敬しかない」という先輩と、「人徳ゼロでも、過酷な家庭環境を乗り越えて超ハイレベルな文武両道を具現化した」先輩の2人にサシで誘われたら、無条件でOKですが、それですら尊敬しているだけでなく、お世話になりすぎて断れないという感覚もあってしまいます。

ただ、年取って気づいたのですが、相手が子ども=非社会人ならOKなんです。

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GO HOME… そういえばE .T .のアトラクションはもうないんだっけ?もう、ずーーーーっと行ってない、です。



ああああ、帰りたくないわああ、、、。ゴジラ!俺を引き止めてくれ!!!





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自宅を離れて、国内や海外への出張などから帰って来るとき、どこで「ああ、帰ってきた」とホッとするか?

もちろん、究極は自宅の玄関なのですが、羽田や成田、あるいは東京駅や新横浜駅に降りたときはまだ「帰ってきた」という実感が弱い気がします。

私の場合は、空港や新幹線の駅から車で帰る場合は高速を降りる短い時間に「帰ってきた」を実感します。

ぐる〜ぐる〜っと旋回しながら我が街に降りてゆく、その回転降下の緩やかな刺激が視界や身体に「帰る」「戻る」という意識を促してくれるのかもしれません。

大阪勤務になってから最初の連休、逃げ出すように横浜に向かい、その車中で武尊の引退試合を見ていました。

「【Lose Yourself】They Are Always Underdogs,Sacrificial Lambs 〜 咬ませ犬、生贄の羊、彼ら敗れるべき者たちよ」って話を途中まで書いているように、ロッタンに思い入れようとする自分がいましたが、武尊も応援してしまいますね、あの展開だと。


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ーーーよくよく考えると、高校を卒業してから大阪に腰を落ち着けることは一度もありませんでした。

せいぜい1週間かそこらの大阪出張や帰省は、海外への短期赴任(1年未満)などとも比べるべくもなく、そこに根を下ろした感は全くありませんでした。

人生で根を下ろして過ごした時間という意味で、私は圧倒的・完全的に東京・横浜圏の人間です。

もちろん、15〜18歳の高校時代を過ごした大阪エリアが私という人間を形成した〝胎内〟であったことは否定しようもありません。

あの場所で出会った人、出会った本、出会った映画、環状線や宝塚線の雑踏…そんなもの一切合切を吸収したり吐瀉したりして、一応、出来上がってから私はあの場所をあとにしました。

前置きが、長くなりました。

何が言いたいかというと、私にとってあそこは大切なものがいっぱいつまった場所ですが、18歳のときに離れて長い長い時間が経ったということです。忘れてることもたくさんあるし、記憶がおぼろげだったり、勘違いしたまま思い出になっていたり、そんな忘却や変質が当たり前に巻き起こってるのです。

一方で、あそこに根を下ろした奴らや、あそこをベースに高校卒業後の人生を送り続けている奴ら、まあ俺に言わせたら〝翼のない奴ら〟やね。ずっとそこにしがみついて〝翼の代わりにカビが生えた奴ら〟は何年か一度とか、あるいは年に何回という高頻度で集まって、後ろ向きな昔話をネチネチこねくり回しているわけです。

ちょっとオフィシャルな同窓会的なものは、招待状や電話などかかってきますが、私はほとんど全て参加していませんでした。東京や横浜からわざわざそれだけのために行ってられるか!というのもありますが、基本的に集団行動はスポーツ以外では生理的に受け付けない私にとって、翼のないカビどもの集会など近寄りたくもないのです。

まあ、友達が少なく、つまり思い出も絶望的に少ない私には、奴らがジメジメと懐古する「みんなで楽しく大騒ぎした高校時代」などそもそもないのですから、そんな場所を敬遠するのは当然です。

まあ、それでも結婚式に呼ばれたら断りませんし、東京や横浜に来た彼らと個別に会ってお酒を飲んだりはありますが「正月にみんな出会わへんか?」的なお誘いはまずお断りしてきました。

そんな私が大阪勤務、梅田にも新大阪にもアクセス抜群な社宅に住むーーーなんてことになってしまうと、東京に戻るまで俺がいることは秘密にしなければならない、少なくとも誰にも言わずにばれるまで静かに暮らそう、くらいに思っていましたが、引越し前にバレてしまいました。

このブログでも紹介したことがありますが、文武両道をほぼ最高レベルで極めた一個上の先輩がいて、彼女はうちの会社と仕事をしたこともありました。そこで知り合ったうちの社員から、私の最高機密情報が漏洩してしまったのです。

そんなことを知らなかった私は、高校時代の野球部の先輩カワさんからの「いつこっちに来る?ちょっと会おうや」という電話に「すみません、しばらくそっち行く予定ないんです」とシレッと嘘をついてしまったのです。

「え?こっちに赴任するんやろ?お前が住む社宅な、あっこやったら俺の勤務先の高校もめっちゃ近いで」と、なぜか社宅の場所まで知っているのです。

なぜ知ってる?なぜ知ってる?と心の中でぐるぐる旋回、絶叫していると「石川さん(文と武だけが卓越してて人間的には大きな欠陥を抱えている女)から聞いてん」と、全ての謎が一気に紐解けてしまう答えを教えてくれたのでした。

あいつか…。

常識と倫理道徳、つまりは人の道をわきまえている人間なら「高校時代の後輩の転勤を知る」➡︎「後輩に直接確認して、ちょっと会ってお酒でもと誘う」という思考回路を辿るはずです。

ところが、彼女は「高校時代の後輩の転勤を仕事先で知る」➡︎「転勤先の社宅の住所まで聞き出して、拡散する」という、当人である私をスキップする錯乱のプロレスを踏んだのでした。

「日経や業界紙とかにも人事異動は載るやないか」と言い訳する我が社の社員も社宅の住所まで教えるなんて、個人情報の管理意識が低いにもほどがあります。

人間的に大きな欠陥を抱えている女に抗議の電話でもしようものなら「え?君が教えてくれたんやん。真っ先に私にお伝えしたいことがありますとかゆうてたやん。もう忘れたん?」と、もはや幻聴とも幻覚とも言えない戯言をほざいて嬉々とさせてしまうので電話なんて絶対にしません。

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大阪の街、翼の代わりにカビが生えた奴らさえいなければ大好きなのですが、もう戻りたくありません。






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大阪に行く前の3月末にオンラインでご挨拶したとき、ラジオ体操の歌の替え歌で「あーたーらしーボスが来る…」と合唱してくれました。先週の酒席で「あれ、面白くなかったですか?」「なんかあんまりちゃんと笑ってくれてなかったように見えて」と聞かれました。

確かによく考えてくれて面白い替え歌に仕上げてくれたはずですが、「ちゃんと笑ってなかった」ことには心当たりがあります。ちゃんと耳に入ってこなかったのは、私はこのラジオ体操の歌をまともに聴けない体になってしまったからです。

もっとはるかに強烈な替え歌を、聞かされたことがあったからです。その歌詞がトラウマになって、もうこのメロディを聞くと、その歌詞が、全く笑えないその歌詞が、耳にこだまする体にされてしまったのです。

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高校時代の悪友、35年くらい前にその晴田さやかに武庫川渓谷崖っぷち廃線ウォーク(当時は立ち入り禁止だったはずだが、あんな不整備の崖っぷち誰も近づかないから「立ち入り禁止」「落石注意」なんて看板もなかったはず…)に誘い込まれました。

高校時代の彼女はちょっと反抗的な雰囲気があって、肝の据わった感じも醸し出していましたが、そのときは専門学校生、私たちは18か19。初めて見る私服姿の晴田の可愛さに女子との交際経験がマーベラスなまでに乏しい私は見惚れてしまいました。

360度、人工物は足元の配線跡だけ。街の雑踏も全く聞こえない世界。切り立った屏風岩が豪快な景観の武庫川渓谷の清流に降りて水割りを作って、スルメイカやエイヒレやらを焼いて、ちょっと贅沢なひとときになるはずだったのですが…。

そこで彼女の身の上話から、あのラジオ体操の替え歌を聞かされてしまったのです。もはやこの曲をCMで聞いても、先日の歓迎会でみんなが「あーたーらしいボスが来た、希望のボスだ」と歌ってくれても、もうまともに耳に入らないのです。

彼女は私を好きになってくれた理由を「学校に行かなくても、勉強できなくても、先生からボロカス言われてもいいんだって行動だけで見せてくれた。すごくかっこよかった。〝こっち側〟の人やって確信した。ずっと男の人が大嫌いやったけど、こんな人もいるんだって嬉しかった」と、前段の「勉強できない」「先生からボロカス」「こっち側」がひっかかったものの、そんな嬉しいことを言ってくれましたが…。

そして、中学生の頃に母親が離婚して貧乏になったけど、新しい父親が来て、そのことを弟は「父親とか要らない」と拒否したけど、彼女は「来てくれた方がええねん。お母さんが選んだ人やから間違いない」って励まして、替え歌を作って励ましたそうです。

🎵あーたーらしーいパパが来た 希望のパパだ!

…「新しい父親」と聞いたときに、私には嫌な予感しかしなかったと思います。阪神あるある、です。

あ、あくまで個人の感想です。阪神にも阪急沿線をはじめ倫理観と民度の高いエリアはいっぱいあります。


しかし。ーーー晴田の新しいパパは母親を働かせて、自分はギャンブルに出かけて働かない。生活はますます困窮する。

それどころか、新しいパパは母親や弟にひどい暴力を振るうようになったそうです。

しかし、晴田への暴力は少なく、その代わりに「さやか、可愛いなあ。学校でもてるやろ?でも、ボーイフレンドとか作ったらあかんぞ」と、いやらしい下品な目で見られたり、体を触ろうとされたり、風呂場を覗かれることもあって、身の危険を感じて怖くて仕方がなくなります。

本能的に母親か弟と一緒にいるようにしていましたが、いつかこの危険が決壊してしまう、そのときは自分でどうにかしなければならないと考えた晴田は替え歌の続きを考え、レジスタンスの闘士のように、強い気持ちで弟と囁き歌いながら、そのときに備えます。

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🎵あたらしいパパが来た 希望のパパだ

 それなのに毎日が地獄 パパが暴力振るう

 子どもだけれど 戦うしかない 
      
 我慢の限界 ナメるなよ

 それ いち、に、さん!


ある夜、母親が出かけて、新しいパパが弟を蹴って3時間くらい外にいろと家を追い出しました。

新しいパパが「さやか、ちょっとこっち来い」と、まだ中学3年生の晴田は布団の上に引きずり込まれて「おまえだけ殴ったりせえへんかったん、お前が可愛いいからや。これからも殴られたくないやろ?な?」とすごまれ、「こっち来い、言う通りにゆっくり舐めてみろ。噛んだりしたら顔面変形するくらい殴るからな」と、髪の毛をつかまれ、見たくもない汚いモノを目の前に見せられたそうです。

「ゆうすけーーッ!」。晴田は大声で弟の名前を叫びましたが、新しいパパは「弟は蹴り出しておらんやろが。戻って来ても、あいつにお前を助けられるか!」と、髪の毛を掴まれたまま顔を上げられビンタされました。

晴田は必死に頭を振り回して、髪の毛をつかまれた手をふりほどき、玄関に走りますが、新しいパパは「せっかく可愛がってやろうゆうのに、もうお前に優しくせぇへんからな!逃げれる思うなよ、このガキ!」と、余裕かましてゆっくり追いかけて来ます。

家を出たフリをしていた弟から「お姉ちゃん!」と木刀を受け取ると、晴田は振り向いて「出て行け。この家から出て行け」と木刀の切先を新しいパパに向けました。

晴田は「剣道してたとか一切関係なくって、もう自分がどうやって木刀振ってるのかわからんくらい無茶苦茶に振り回して、振り落としたってん」と、号泣しながら新しいパパを血だるまにしたそうです。

新しいパパが「わかったからやめてくれ!出ていくから、立てない、骨が折れてる、死ぬ!」と呻いても、「這って出て行け!2度と来るな!もし来たら今度は木刀ちゃうからな!」と泣き叫んで叩き出したそうです。

晴田は廃線跡では切断されていたレールとはいえ、自分の身長くらいの鉄を持ち上げて振ろうとしたほど、見かけとは全く違う力持ち。あんな怪力女に木刀でメッタ打ちにされたらたまったもんじゃありません。

スルメイカをしゃぶりながら、サントリーローヤルをクッと飲んで「この歌、2番もあるけど」と笑う晴田は可愛くて、そんな凶暴な正義を貫く女性には見えませんでしたが、私は「2番はもういいです」と言うしかありませんでした…。

まあ、本当は「2番も歌ってみ。一緒に3番も作ったるから」と答えて、晴田の美声…と言いたいところですが、彼女は音痴でした…を聞いたのでした。

なんか暗い話になって申し訳ありませんが、私は晴田の勇気と「こっち側」や「ラジオ体操の替え歌」、その他でも会話の端々で繰り出す言葉のセンスに「すげーなコイツ」とあらためて感動していました。


何重にもオブラートに包みまくったつもりでも、けっこう重いな…。






結局、晴田がぜーーんぶ、悪いねん。俺の「ラジオ体操の歌」を返せ!


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誰にでも経験がおありでしょうが、私もよく誤解されます。

大阪の私の部署に配属される若手の社員が、私のことを「効率を求める人やから、無駄にコピーとか紙を使うと注意されるで」と言われたそうです。いや、そこを注意したことなんて一度もないんだが…。

「本や雑誌もあんまり出さない方がいいんですか?」と質問されると「せやね、紙が嫌いやから」と言われたそう。

その若い方々に「スマドリでいいし、用事あったら帰ってもいいからね」と、軽くお酒に誘うと7人全員が最後まで付き合ってくれた。

「俺が、紙嫌いってゆうてたん誰?」と聞くと、一斉に少し沈黙したので「いやいや、言わんでいいよ、そんなん」と話を変えると、私のことを「怖い」という人と「怒ったこと見たことない。優しい人」という二つに分かれると伝えられました。

もちろん、後者が正解です(あくまで本人の意見です)。

そういえば、今国会で学校教育法改正案が提出されます。

「紙媒体のみが正式の教科書で、デジタルは代替教材」だったのが、改正案が成立すると2030年から①紙のみ、②紙とデジタルのハイブリット、③デジタルのみ、の3形態からいずれかを各地域の教育委員会や国公私立学校が選ぶことになります。

音声や画像・動画を使えるデジタル教材は取り入れるべきなのは当然ですが、③デジタルのみはどうなんでしょうか。

話は飛びますが、大阪に行く前の3月末にオンラインでご挨拶したとき、ラジオ体操の歌の替え歌で「あーたーらしーボスが来る…」と合唱してくれました。その若手飲み会で「あれ、面白くなかったですか?」「なんかあんまりちゃんと笑ってくれてなかったように見えて」と聞かれました。

確かによく考えてくれて面白い替え歌に仕上げてくれたはずですが、「ちゃんと笑ってなかった」ことには心当たりがあります。ちゃんと耳に入ってこなかったのは、このラジオ体操の歌で、もっとはるかに強烈な替え歌を聞かされたことがあったからです。

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人生初の大阪勤務。慣れ親しんだ土地なのに新鮮です。

しかし、久しぶりに会いたい人の中にはもう亡くなった方も少なくありません。

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亡くなる前に会いたかったな、もう一度酒を酌み交わしたかったなという人は何人もいます。

私が社会人になりたての1990年初め頃には、退役軍人で企業の社長や会長に収まっていたガチの重鎮さんたちもそんな方々です。東京にいらっしゃる方とは違い、長らくご無沙汰したままーーーという方が多くて。

隔世の感しかない彼らの認識、彼らのお話、軍隊の規律の厳しさやら、イジメ、理不尽な命令、末兵たちの本音、いろんな話をお聞きしました。

差し支えないお話では、焼夷弾がとこに落ちるかはシルエットでわかるという話。小さな丸い一点にしか見えなかったらこっちに真っ直ぐ来てしまうということ。点に見えても少しでも横長なシルエットならどんどんそれが長く伸びていって着弾地点は大きくズレる。

「着弾」なんて CompuBoxの着弾率くらいでしが使わない私ですが、これはホンマもんの着弾話です。

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ある方から妙に気に入られた私は、なんと日米退役軍人の懇親会に参加できるという願ってもない機会に恵まれたこともありました。

当たり前ですが、みなさん60過ぎ、年配の方は90超えているような宴会です。足や手を失った人に、車椅子の方も多数。

「何が原因で車椅子になったのかよくわからない人が多勢いますねぇ」なんて、私が耳打ちすると、元中将・現会長は「How did you end up using a wheelchair?って聞いて来い。俺だって車椅子になってたかもしれんし、そもそも死んでたかもしれん」と笑ったりするのでした。

理解不能の化石みたいな人もいましたが、実に興味深い時間でした。

米軍では戦闘機乗りなら不時着を余儀なくされた時のために自給自足の意味だけでなく趣味の釣り道具を載せていた、ものすごい暑さに苦しめられる潜水艦には必ずアイスクリーマーが装備されていたという話を聞いて、日本軍ではあり得ないと感慨にふけったものです。

まだ「プライベート・ライアン」のロードショー前でしたが「米軍では仲間が捕虜になったら必ず救出に行く」ということも聞いていたので「それは士気が上がりますね。それに比べて日本は生きて虜囚の辱めを受けずですからねー」と自虐した私に、米国の退役軍人の老人たちは一斉に否定。

あの映画のように1人の兵士を救出するために何人もの犠牲を出して助け出そうとするのは、助けなければいけない理由があるというのです。

「簡単に救出を諦めたら、助けに来ないんだと思われる。それは非常に都合が悪い」というのです。

「あれは必ず助けに行くから捕虜になってもとにかく生き延びろということじゃない」「必ず助けに行く。それはつまり捕虜になっても寝返って軍事機密を絶対に漏らすなよ」「もし寝返ったら救助部隊にも危害が及ぶ、その場合は残念な任務変更になるし、もし帰国しても残念なことが待っている」ということです。

大日本帝国では「捕虜になって拷問を受けたら機密を漏らすやつも出てくる、だったら捕虜になったら自決しろというのが手っ取り早い」という考えでした。

畢竟、どうやって情報漏洩を防ぐか?どうやって口封じするか?という目的は同じ。方法が違うだけです。

大日本帝国では実際には自決出来ずに、寝返ってしまう兵士も少なくありませんでした。

今回の作戦で米軍は作戦中に損傷した米軍機2機を機密保持のために爆破処理したそうですが、あれも〝口封じ〟の一つ。人間ではなく機械だから爆破させたのではありません。重大な故障を起こして、そこから動かせなくなったから爆破したのです。

「虜囚の辱めを受けず」な日本と、「必ず助けに来る」米国…どちらが怖いかというと…微妙な気もします。

そして、日米で全く共通しているのは規律の厳しさ、イジメ、理不尽な命令、末兵たちの本音でした。敵同士で殺し合ったけど、軍隊・兵隊は国境を越えて同じ生き物、強烈なシンパシーを感じているように見えました。

あの時お会いした方々も、もうほとんど亡くなられているでしょう。

空の上から、今のアメリカ、今の戦争をどう思って見ているのでしょうか。



そして、いつの日か、ロシアとウクライナ、米国とイランの軍人が〝旧交〟を温める、そんな時間を共有することがあるでしょうか…?





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大阪をメインにお仕事。これから、東京は出張先になります。

大阪に腰を落ち着けるのは初めてとはいえ、 部下も新卒以外はほとんど顔見知り。セロからのスタートではありません。昨年末も忘年会をやった面々も多く「歓迎会とか必要ですか?」と聞かれたら「いらんやろ、普通」と答えるしかありません。

とはいえ、新卒の方や初めての方とはご挨拶の機会を持ちますが。

仕事はゼロからのスタートではありませんが〝隠れ家〟開拓は「ゼロからのスタート」。一人飲み大好きな私にとっては、隠れ家はもはや重要なインフラです。

有楽町〜銀座界隈では随分と開拓しましたが、ボトルキープを含めて全て放出しての大阪入り。気合が入ります。

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それにしても、大阪は東京と全く遜色のない大都会。梅田界隈なんて、もう完全にわけがわかりません。けっこう時間がかかる楽しい探検になりそうです。

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【CNN】敵の前線の背後で切り立った岩の裂け目にひとりで身を隠した米軍士官。負傷しながらも、やるべきことは分かっていた。生き延びて、敵の捜索をかわすこと。

搭乗していた米軍の戦闘機F15E「ストライク・イーグル」がイラン上空で撃墜されてから1日以上、兵装システム士官(WSO)は森林に潜んでイラン軍の追跡をかわし続けた。切り立った崖をよじ登り、標高2000メートルを超す尾根に到達したときもあった。所持していたのは拳銃と通信機器、発信機のみだった。

米軍特殊部隊が高山地帯を捜索して将校を発見し、無事救出するまでの間、米空軍機はイラン軍を寄せ付けないよう、この一帯に爆弾を投下した。


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大日本帝国では「生きて虜囚の辱めを受けず」が鉄の掟でしたが、米国は「必ず助けに行く」。

これ、実はどっちも同じ軍国主義の典型の規則でその根本は同じなんです。
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