カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

関西の高校を出てるので、あっち方面に今も住んでる旧友が多い。仕事関係で知り合った人でも関西住みの人は結構います。

高校時代の一つ上の先輩、カワさんもそんな1人。私と違って人徳があって、真面目で嘘みたいに一直線な人で、私より野球が下手くそだったのに大学でも関西2部で続けて、実業団にまで進んだお方。

先月、大阪の借り上げ社宅に荷物を運び入れたついでにカワさんに会いました。

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 本文とは少しだけ関係があります。


実業団で活躍した大企業を早期退職して、私学の高校の先生に。「私学やから定年はないし、休みは多いし、この仕事はいいよお」と幸せそうで何より。

野球を中心にした教育や指導についてや思い出話にふけりましたが、3軒もハシゴしてイラン情勢やらはもちろん、大谷翔平の話題も出ないのは、戦争もユニコーンも優先順位がめっちゃ低い、カワさんとはそれだけ濃密な関係だということかもしれません。

野球では守備の指導について…。

私たちの時代は「打球はとにかく体の正面で取る」のが基本。「正面に入るのが一番、打球を見やすい」「万一、イレギュラーしても体のどこかに打球を止めることができる」から。

しかし、この20年くらいでどんな打球でも正面で取ろうとするのはムダな動きが多い、取って・投げる動作に流れを作りにくい、捕球から送球動作の中で、正面で捕球しない方が一連の流れ・リズムに乗れる(エラーの可能性が減る)、強い送球ができることから、そっちが正しいとなっています。

勢いを殺さない、勢いをつけて送球する方が優先されるべき基本です。外野守備がわかりやすいですが、内野や本塁への速い返球が必要な打球に対しては助走をつけて捕球しなければなりません。

以前から宮本慎也は「正面」を否定していましたし、松井稼頭夫も「正面で処理すると強い送球ができないから、MLBでは逆シングルがむしろ基本だった」と対応に苦労したと語っています。そういえば、お二人ともPLですね。

これ、技術的にはもちろんその通りなんです…が、私が教えているような中学や高校のレベルでは必ずしもそうとは言い切れません。

まず、宮本や松井稼はプロにまで進んだ野球エリート。イレギュラー上等の劣悪なグランドでのプレー経験が少ない彼らと、第1試合でも荒れた学校グラウンドで公式戦を当たり前にやるほとんど全ての球児たちは違います。

さらに、石みたいに硬い硬球の場合は正面で取る練習をしないと、打球を怖がってしまう癖がついてしまいます。

強い打球が飛んでくるサードを守っていたカワさんは、まさに正面取りのお手本で、イレギュラーしても体で止めてボールを前に落として送球する基本が身に染みていました。

どこでも守れた私が一番好きなポジションはセンターかライト。一番好きなプレーはセンターゴロとライトゴロに仕留めることでした。センターゴロは正面で取ってはダメ、ファーストとのライン上に一気に走って捕球、思い切り投げる、やはり一連の動作でないと成立しません。

左打者の〝走り打ち〟も禁じ手にする指導者が今でもいるそうですが、あれも右でも左でも打てば右方向の一塁に走るという野球の絶対構造上、左と右で打ち方が全く違うのは当然です。一塁方向にスタートを切りやすい体重移動の走り打ちはむしろ奨励すべき打撃スタイルです。

実業団まで進んだカワさんは投手のボールの握りにも詳しくて、実際に持っていたボールでいろんな握りで、ちょっと寝る体制から天井に投げて回転の違いを見せてくれました。

今更ですが世の中、野球好きが多くて、周囲のお客さんもわらわら集まってきて「同じカーブでもどこに指をかけるかで変化が全く違う」とか、居酒屋の座敷はにわかに野球クリニックと化したのでした。

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高校時代の話、当時のチームメイトの
近況なんかも話こんでいると、カワさんが年末に集まって飲んだときに池田や岡町、塚本という私の同期もいて、この3人が卒業式の後に私に告白してくれた晴田さんという女子にアタックしてことごとく玉砕したのですが、3人もフラれたことに部室で私が「池田アウト!岡町アウト!塚本アウト!スリーストライク、ゲームセット!!!これ以上は晴田への突撃は禁止や、おまえら3人は野球部の恥!!!」と笑い飛ばして、部室が大盛り上がりしたというのですが、そのことをはっきりとは覚えてません。

晴田さんとはほとんど話したこともなかったし、顔と名前が一致しないレベルだったと思います。そのときは同期が同じ女の子に3人もフラれたということがおかしくて、女子と話すことがほぼない(学校にあまり行かないので男子とも話すのは野球部や陸上部の閉鎖空間だけ)全くモテない私にとっては格好の餌だったのでしょう。

カワさんは「草野も告白したらしいから、結局4人もフラれてもうたらしい」。

私は「草野ってぼくの一個下でしょ?あいつ、一個上の晴田に突撃したん?」と、同窓会的な場所を敬遠しまくってた私は、初めて知ったのでした。

4連続挑戦失敗…西岡利晃みたいです。なら、晴田はウィラポンか。ちょっと違う気もするが。

そして、カワさんは「草野が『好きな人がいるからゴメン』って断られた、その好きな人はお前ちゃうか?って話にず〜〜っと前からなってるんやて」と、黒霧のロックをぐいっとあおるのでした。

なぜか急激に追い詰められたような気分になった私は「そんなわけないです、そもそも晴田なんてよう知らんし(卒業式までは確かによく知らなかったから嘘ではない)」と、やはり黒霧ロックを飲み干すと、話を変えようとおかわりを頼むのでした。

すると、カワさんが「そやろなあ、そんなモテる子がお前を好きになるはずないもんなあ」とトゲのあることを口にしましたが、私には気分を害する余裕もなく「そうですよ、高校時代なんて1人も付き合った子おらへんし、暗い青春でした(全く嘘ではない)」と弁解じみた心境で言いました。

私としては、晴田が告白してくれたことを誰かに言うのは晴田に申し訳ない、恥ずかしい思いをさせると思ったから黙ってましたが、もう40年近くも前のこと。晴田の連絡先も知ってるから、彼女がOKなら(きっとそんなこと気にするタマじゃないし)いいのに、なぜかそこが心の重荷になって誰にも言えないまま。

カワさんは超鈍感な男のくせに、その重荷の正体を見事にエグるのです。「そらそや。もしお前がそうやったら、スリーストライク、ゲームセットとかゆうて嘲るなんて同期や後輩の傷口にハバネロ塗り込む鬼畜の所業や」。

…「スリーストライク」のときは、晴田が俺のことを好きだったなんて想像もしてなかったから、あれは鬼畜の所業ではありません。だから池田らに申し訳ないみたいな感情を持つのは、おかしなこと。俺は何ら悪いことはしていない。胸を張って前を向いて良いのです。

誰が悪いかと言えば、卒業式のあとまで告白を引っ張った晴田が一番悪い。あるいは池田らをフルときに伝えてくれていたなら。

しかし、もう今更です。引くに引けない。今更「晴田が好きやったやつって俺やねん」なんて言えません。いや、晴田に連絡とって、大昔の話やしもうええよな?とパーミッション取ればいいだけの簡単な話かも。

伊東市の田久保前市長の気持ちが少しだけわかります。最初の市長選に出馬する前に「よくよく調べたら大学出てませんでした」で済んだ話です。当選したのも「あの大学出た人だから」で投票した人なんてまずいないでしょう。「若い頃はやんちゃで大学除籍。でも今は伊東市のために目覚めました!」の方が、もっと票を集めたかもしれません。

しかし…私にっての〝最初の市長選前〟っていつになるんだ?

私にはお知らせするタイミングがなかった気がします。あの件は100%田久保が悪いというか、さっきのニュースでは自身で卒業証書を偽造した可能性が高いということです。



とにかく全ては、晴田が一番悪い…。




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私の「友だち」は9割くらいが「悪友」だ。もしかしたら、それは私だけじゃないかもしれないが。

五十六クンは、間違いなく「悪友」だ。2年に一度会うか会わないかという、基本的に疎遠な悪友だが、まー、3000日開けて会わなかったことはないかもしれない、40年来、高校時代からの悪友だ。

すごく真面目で実直な男だが、何が「悪」かというと極右だからだ。

私も何が右で何が左で、何が極なのか、よくわかっていないが、五十六と初めて会ったのは、高校時代。不登校というか社会不適合というか、どうしようもない私に担任の先生が「ちょっと来てくれ」と電話が入った。

携帯なんてない時代、母親から「担任の先生から」と受話器を投げつけられた私は「これ以上学校に来ないなら退学処分」とか、そんな話もあるかなと思ってたら「ちょっと来てくれ」のニュアンスが、それこそちょっと違った。

そうそう、高校時代の私は〝阪神地区のエイドリアン・ブローナー〟でとにかく、ほんの一部の希少な方々には勘違いにも程がある過大評価されてて、その担任もその1人だったから、炉端焼きの店に招いてくれた。

居酒屋に教え子の高校生を招いて酒を飲ませるのだから、いまならちょっとした事件になりそうだが、舞台は昭和の阪神地区である。

そこに、その担任の先生と旧友な感じの別の高校の先生が連れてきたのが五十六。その時点で、もはや右翼バリバリのメジャーリーガーで、私はといえば右でも左でも上でも下でもない不登校の人生マイナーリーガー。

…なのですが、彼とは歴史や文学で恐ろしく話が弾んで(もちろん共鳴できたわけではなく)正直、そんな奴と会ったのは初めて。うまく表現できないが、何かホッとしたのを覚えている。「社会に適合できないのは俺だけじゃない…っていうかこいつの方がヤバくないか?っていうか、こいつは間違いなく面白い奴や、ってことは俺にだって存在意義があるんじゃないか?」。

それから、頻度は4年に一度のオリンピック並みだが、ときたま会い続けてきた。

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もはや今はなき、五十六との行きつけ靖国神社前の町中華の餃子⬆︎。テーブルやら調味料の容器やらがギトギトしてる〝老舗〟感満載のお店でした。そして、やはり今はなき、あの伝説のホセ・メンドーサが滞在した(に違いない)九段下グランドパレスの鮨店で会ったこともありました…もしかしたらこのブログでも紹介したかもしれませんが、あのエリアには結構な思い出が詰まってます。



先日、そんな40年来の付き合いの五十六が初めて我が家に泊まりにきた。私が東京を離れて大阪勤務になるから、しばらく会えなくなるからなんてのが理由だったが、よく考えるともともとオリンピック周期でしか会ってないのだからしばらく会えなくなるもクソもない。

泊まったとはいえ、まあ、ずーーーーっと話してたので寝てないのですが、明け方に空からゴーーーッという低い音が部屋に沈み込んできて、窓を開けて見るからに戦闘機が…。

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私が「米軍機や。わかるか?」と聞くと、五十六は「日本におるのは全部わかるよ、種類が少ないから」というと「あれはB-52 や」と断定した。

この画像⬆︎はかなり、飛んでいってしまったあとなので、実際にはもっと大きくはっきり見えてるのですが、「あんなんでわかるん?」と聞くと「左右に四つ、8つのエンジン見えるやろ、厚木(基地)にいるのはB−52や」と、つまらなそうに言った。

「右翼って兵器にも詳しいんやな」と感心すると、五十六は「俺は、まあ趣味みたいなもんやし。右翼がみんな詳しいわけじゃない」とつぶやいた。

「向こうに仮住まい構えたから、一度遊びに来いよ。懐かしいとこ、巡ろうぜ」と誘うと、五十六も「それはいいなあ、4月は忙しいからゴールデンウィーク明けにまた連絡するわ」と喜んでくれたが、私が「4月は忙しい?右翼にも新年度があるんか?右翼も3月期決算なんか?」と興味津々になると、いろいろわかりやすく教えてくれるのでした。


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大阪仕事が激増しましたので、ちょっとの間、大阪くんだりに生涯初めて単身赴任。
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ここ2〜3年、ヤブ医者の悪友とサシで花見をしています。

花見だったり、散った後だったり。考えてみると、満開の桜の樹の下で飲んだことはなかった記憶が…そうです、花見が目的ではありません。

忙しいやつなので、いつもは夜やってお巡りさんに注意されるというパターンでしたが、今回は白昼堂々。

しかし、今月上旬に挙行したサシ花見は例年通り、まだまだ満開前。

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いやあ、しかし、かえすがえすも花見って、花を見ないですよねぇ。って、そんなの俺とヤブ医者だけか。

ヤブ医者は「医療現場にもAIが一気に入ってきて助かってる」という話から、私の英語力について「AIでだいぶ助かってるやろ?」とディスってきた。

翻訳や文章を生成するAIの処理スピードには驚かされますが、その〝納品物〟は非常にお粗末なレベルです。

仕事のメンバーが生成AIを利用して作ったコンサルティングのレポートを見せにくるたびに、すごいなと感じるのは作成スピードだけ、本当にそれだけです。

現時点で散見される誤訳は近い将来、大幅に改善されるでしょう。しかし、そもそもの翻訳能力に大きな問題を抱えています。

手前味噌ですが、ここで紹介しているリング誌などの記事もAI翻訳で紹介すると、全く味気ない何の含蓄もない文字の羅列になってしまうでしょう。

会社ではときどきやってることですが、今度、ここでリング誌やESPNなどでやってみるのも面白いかもしれません。


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酒はビールから、私が持ち込んだ「秋鹿 純網吟醸 歌垣」。そして、ヤブの奥様から「シーバスリーガル エクストラ13年」。

個人の感想ですが、シーバスのエクストラ13は期待外れ。レギュラーの12の方が好みです。

「もし、いま俺らが学生なら生成AIを使ってたか?いやあ、俺とお前は使ってへんな」という、ヤブの一人ツッコミを、私は「いや、使ってるやろ、多分。そして、今とは違うふうに成長してる」と否定しました。

ヤブはちょっとだけ真面目な目をして「違うふうに?それは良い意味でか?それとも悪い意味でか?」と、聞いてきました。

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つまみの主役は「ブリのたまごの煮付け」。ヤブの奥様が実家から送られてきた天然ブリのたまごを調理してくれたのですが、今まで食べたのとは次元が違いました。

「これ、ちょっと美味すぎるな!奥さんも連れてきたらええのに」というと、ヤブは「じゅうじゅうご承知でしょうが、うちの嫁はご貴殿のことが本当に大嫌いですから」とミもフタもないことを悲しそうに吐くのでした。

「そもそも、この宴もウチでやるのは嫁が激しく拒否するから、追い出される形でこうなってるんだから」と、追い打ちをかけてくるのでした。

まあ、複数の心当たりがあります…。

ヤブ嫁には申し訳ありませんが、この年になっても古い悪友と幼稚な酒盛りができるのは、幸せな人生だと感謝です。

なんてことは表情に出さずに「これ、イマイチやな」とエクストラ13をあおってると、ヤブが「嫁に伝えとく。大丈夫、お前の印象がこれ以上悪くなることはない」。

朗らかな雰囲気でサシ飲みが深まった頃、ヤブが「AI生成、生成といえば地球ってこう軸があって北極と南極があって…」と、酔いが回ったのか、なんなのか、身振り手振りでおかしなことを言い出したのです。

ヤブの話を整理すると「地球の表面(海流)と内面(マントルの流れ)の力から南極点では金属が圧縮、生成されて、特殊な物質が生成されている。それはまだ誰も見たことがない美しい宝石らしい」と語るのです。

嫌な予感に震える私が「南極点はたしか3000メートル近い氷の下にあるから、おいそれと拝めることはできない」と言うと、ヤブは「そこで、だ」と真顔で真っ直ぐ私の目を覗き込んでくるのです。

嫌な予感が当たりそうで、さらに嫌な予感に震える私は、ヤブの屈託のない笑顔に、「古墳の堀を渡った中学時代の悪友(どうしようもない悪ガキども)」「廃線直後の福知山線の崖っぷちに誘った高校時代の悪友(見た目だけちょっと可愛い女子)」「アルジェリアに松茸が群生する丘陵が連なっていると一儲けを囁いた現地アシスタント(ホモセクシャル)」のやはり屈託のない笑顔を重ねてしまい「今度はパスポートが要るやないか」と身悶えするのでした…。

そして、私はほんの少しだけ身を乗り出して、声を落として、ヤブに聞いてしまうのでした。

「もう少し、詳しい話を聞かせてもらえるか?」。






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ウィークデーの15時頃。

まあ、昼飲みできる店はそれなりにあります。

伊丹から飛行機に乗る時間が結構空いたので、弟と2人、途中の蛍池で一杯ひっかけたろかと駅を出てぶらり。

蛍池、たぶん降りたこともない駅でしたが、思ってた以上に店が少ない。

焼き鳥屋を、一軒発見して店に入る。平日の夕方前の時間、ガラガラかと思いきや「今カウンター空いたんで、すぐ用意します」と、なんとカウンター2席しか空いてない繁盛ぶり。


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もものたたき。

その客のほとんどは昼のみの常連なおっちゃんではなく、若いカップルや、なぜか社会人っぽいグループ。



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ずりの刺身。

これまで食べたズリの刺身で最強かも知れない…。


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播州一献 春の輝き。

弟と2人で結構飲んで食って、1万円以内。

「兄ちゃんと2人で酒を飲んだん初めてや」

「うそ?」

・・・・・・・・
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昭和が終わっても〝昭和〟はある。

それは、なにも日本に限ったことではない。

前方後円墳に廃線、昭和だから許された(許されてない?)アドベンチャラスなことは、まだまだあるのだ。

21世紀になったばかりの頃。社会人の私は60日程度、アルジェリアのアルジェに出張したことがありました。

現地のアシスタント(流暢な日本語を操る…という触れ込みでしたが実際は何度も聞き直さなければ何を言ってるのかわからない男)とは、仕事以外にもいろいろ世間話もしました。

そのアシスタント、デービースが日本の料理を紹介する図鑑を持ってきて「これ、いっぱい生えまくってる」と土瓶蒸しのページに載ってる松茸を指さすのです。

「いやいや、あんな繊細なもんアルジェに生えてるわけがない」と笑い飛ばす私にデービースは「今度連れて行くから松茸かどうか見てくれ」と言うのです。

アルジェリア…いい国です、素晴らしい国ですが〝流暢な日本語を操るデービース〟のようにちょっと信じられない国で、当時はアルカイダ系の組織がテロを起こして治安は決して良くありませんでした。

デービーは「(ナイジェリアの)ラゴスよりも100倍治安が良い」と言いますが、ラゴスと比べてと言う時点で、もはや治安を語る資格はありません。

あるときなど、デービースが「安全保障付き」という店で夕食をとって、すべての窓に頑丈な鉄格子が嵌め込まれた、アルジェの怖さをそれだけで教えてくれる借り上げ社宅に戻ると、ニュースでさっきの店が爆破されたと報道されていたのです。

「おまえ!これさっきのとこやないか!どこが安全保障付きやねん!2時間遅れてたら死んでるやないか!」と、私が絶叫すると、デービーは「あなたはラッキー、神のご加護がある。あの店が爆破されたのはこれが初めてだから、安全だった」と訳のわからないことを言うのでした。

「過去形の安全保障って…」。呆然とする私は、どうせ「いっぱい生えまくってる」という松茸も、松茸にちょっとだけ似てる毒キノコやろと確信しましたが、日本から遠く離れたアルジェの週末に行くところもなくデービーの荒っぽい運転のトヨタハイエースの助手席に乗って松茸山に行くのでした。

「早く、日本に帰りたい」。

そんなこと思うことなんて滅多にない私ですが、さっき飯食った店が爆破されたニュースを見ている時は「早く日本に帰りたい」「早く日本に生きて帰りたい」と、サイボーグ009の002のように生まれて初めて神に祈るのでした。



21世紀になってもアルジェリアは〝昭和〟のままなのである…。




ーーーーー前方後円墳に廃線、そしてアルジェ郊外の松茸山。これもここからは妄想ですよ。

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晴田さやかが「一緒に行きたいとこがある」と誘ったのは、廃線・閉鎖になって間もないJR福知山線(旧)でした。

いまでこそ「福知山線廃線敷ウォーク」としてハイキングコースになっていますが、当時は閉鎖区間とその周辺は立ち入り禁止。当たり前です。

「ドッジボール大のダイアモンドが転がってる」という嘘でも面白い伝説があった仁徳天皇陵の〝ハイキング〟は夜間決行でしたが、このときは深酒した翌日の午前中に〝ハイキング〟開始。

明るいうちからスタートしたのは、旧福知山線が武庫川渓谷の断崖絶壁を走る恐るべき単線で、夜間では真っ暗の廃線痕は危なくて歩けないと判断したからでした。



当然、トンネルもあるので懐中電灯などの照明は必須。そこまではわかっていましたが、どこまで危ないのか、わかってませんでした。

いま、仁徳天皇陵に夜中でゴムボートで乗り入れようとする中学生や、立ち入り禁止の断崖絶壁を走る廃線跡を歩こうとする大学生がいたら、間違いなく止めます。

ーーーいや、私の話は妄想なので実際には行ってませんよ。



妄想の中で晴田さやかと、ザザーッと山道を滑り降りて廃線跡に立ったのは、かれこれ35年近くも前のことです。

バランスを崩して線路脇に尻餅をついて滑り落ちた私が思わず「晴田、大丈夫か?」と声を上げると、しっかりと降り立った彼女は私を見下ろして「大丈夫ってそっちがゆうん?どんくさーー!」と文字通り、ケラケラコロコロと笑い転げてました。


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あのとき。

今のような、4.7km程度の整備されたハイキングコースなどあるわけもなく、⬆︎こんな注意を促す立て看板もありませんでした。

そもそも、私たちが最初に歩いた廃線と、いまのウォーキングコースが完全に一致しているわけがありません。

廃線跡まで滑り降りたはいいものの、ここからどこまで行くのか、行き着いた先で〝シャバ〟に登る道はあるのか…?

今は、枕木が地面に埋まって歩きやすくなっていますが、当時は枕木も高く、何よりもほとんど全ての区間で線路が短く熔切されてはいましたが、まだ除去されていませんでした。

しかし、ハタチになったばかり(全くなってなかったかもしれんが、このあと酒を飲むのできっとハタチになってた)のバカップルは「これなら、全然行けそうやん」と武庫川渓谷の崖っぷちをナメていたのでした。

当時、どんな会話を交わしたのかしっかり覚えているわけもありませんが、待ち合わせ場所に先に到着していた晴田は「無理ゆうたのにありがとう。こんな付き合いのいい男やとわかってたら、もっと早く告白したら良かったー」…みたいなことを言ってくれました。

「一個、聞いていい?なんで俺みたいな男の第二ボタンくれってゆうたん?」

「ずっと好きやったってゆうたやん」

私は「ありがとう。俺、高校時代まで誰にもそんなこと言われたことなかったから、最初はひと間違いだと思ったし、晴田なんて野球部や陸上部の純真な男を弄んでたやん?そんな悪い女がなんで俺?と思うたよ」とからかうと、晴田は「ずっと好きやったけど、ここで殺していい?」と足元の外れかけの線路をベキベキと引き剥がして振り回そうとするのでした。

「ここなら誰も見てない。密室みたいなもんや。武庫川渓谷密室殺人事件!」と、晴田は2メートルほどの線路を振り回そうと両手に力を入れますが、さすがに鉄、立ち上げても持ち上げることはできません。

それでも、晴田は「(私がモテたんは)野球部と陸上部だけちゃうねんで!」と自慢げに笑うのでした。

高校時代、ほとんど話したことがありませんでしたが、笑ってるとこはそんなに見たことない気がしたので「こんなに笑い転げるやつだったのか」とちょっと驚きました。


ーーー青春は面白すぎてやばい。

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今はこのような看板が短い間隔でズラーーッと立てられていますが、35年前はそんなもの一つもありません。

「事故の責任は持ちません」…そんなに何回も繰り返さんでも。

しかし、私たちは山肌をパラパラ落ちてくる小石に、落石がありうる危険を肌身に感じながら進んでいました…。まー、小さいとはいえ小石が落ちてきてるので、あれもあれで落石といえば落石でしたが。



・・・・卒業式以来の再会でしたが、あのとき私たちはずいぶん長い時間を離れてて、お互い大人になった気になっていました。たった数ヶ月というのに。

そして、あれから35年以上も経った2023年、つまり約35年ぶりの再会だったというのに、全く変わってない2人の間の感覚にびっくりしてしまいます。

大袈裟ではなく、あの武庫川渓谷を歩き抜けたのは、35年前じゃなくて、本当は昨日だったんじゃないかというくらいに。

これは、気心の知れた友だちには共通の感覚です。一方で、そうではない友だちだと久しぶり感が半端ないというか、お互い変わったなあ感が強烈というか…。

そんな、50年配のバカ男女が約35年ぶりに会って、いまは穏やかなハイキングコースとなった廃線跡を当時を回想しながら歩くのです。

面白すぎ。

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あのときは、武庫川沿いにガードレール的なもの⬆︎はありませんでした。それ以外はあまり変わらない気もしましたが、川が近い、流れが穏やかな気もしました。

私たちはいきなり峻厳な渓谷脇の線路に滑り降りた記憶があったのですが…。

ーーー少し歩くと、ありました。渓谷のご登場です。

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「この辺りは通った気がするー!」という晴田に、「もしかして、この辺りが王家の谷ちゃう?」と聞くと「そうかも!そんな気がするー!」。

武庫川渓谷の〝王家の谷〟は私たち2人だけにしか通用しないワードで、あのとき晴田が持ってきたサントリー・ロイヤルを河川敷まで降りて、川の水で割って飲んだのでした。ロイヤルの谷=王家の谷というダジャレでした。

「しかし、よう覚えてるよね、細かいとこまで、私ら。信じられへん」。

「若かったからな」。

あの当時の私たちですら「この水、飲んで大丈夫か?」という常識的な疑いはありましたが、幸い何事もありませんでした。

「でも、これもう柵が張り巡らされて、降りたらアカンて書いてある」と、晴田は少し残念そうでしたが、免疫力も衰退している50過ぎの老いぼれ2人、いまあの川の水飲んだらダメです。


「1年生の最初の授業が剣道でトーナメントみたいなことしたん覚えてる?君、すごく強かったやん」

「ちょっとだけやったことあったから」

「男子で剣道部の子が完全に君に飲まれてて、先生も言わんでええのに『野球部に負けたら恥』みたいにけしかけて。それで、君がわざと負けてん。その子が踏み込んだとき、君は面を差し出すようにスッて竹刀を外した。その子は大喜びやったけど、私にははっきりわかった」

「いや、本当に記憶にない。そもそも俺はそんなことしない気がする」

「私、学校とかウザいし面倒くさかったけど、行かなしゃーないと思って行ってたんやけど。君は何日も休んでも、しれっと登校してきて、先生からめちゃくちゃ言われても堂々としてて、私たち学校の日陰コーナーからは〝こっち側〟のヒーローみたいに見えてん」

「こっち側って…」

「私たちは〝こっち側〟。先生から可愛がられてて、品行方正、成績優秀なやつらが〝あっち側〟やん」

「まてまて、勝手に俺をそっち側に入れるな。なんか、あんまり嬉しくないぞ」

「え?自覚ないの?完全にこっち側の人間やったで」

「そうかもしれんけど、あっち側って少数派やろ?」

「(学級員とか生徒会長してた)水原なんか典型やん。君、あの女と仲良かったやん?嫉妬でぎりぎりしてたわ。こっち側の男に手ぇ出すなって」

「いや、仲良いとかそんなんなんなかったわ」

「1個上の(柔道で近畿、陸上で全国、京大行った)石川さんとか〝あっち側〟の首領やな」

「石川さんは、さん付け?」

「一応、年上やし。私、君と石川さん付き合ってると確信してたから、君に告白したら100%フラれると思っててん」

「俺とあの女のどこをどう見たら付き合ってるって思うねん…。そんなに仲良くしてた記憶はない!」

「でも、こっち側の男があっち側の女首領を落としたわけやから、それはそれとしてこっち側としては喜ぶべきことでもあって」

「まてまて、勝手に俺をそっち側にすな。なんか、俺、あっち側の方がええわ、水原とか石川さんとは事務的な会話はしてたからな。俺、あっち側や」

「いやいやいや、貴方様はこっち側の首領ですよ」

「こっち側とかあっち側とか、もうやめろ。そもそも、何を基準にあっちとかこっちとかゆうとんねん!」

「いろいろ基準はあるけど、一つは出席日数やな」

「え?そうなん…?ほんなら、俺、もう思いっきり振り切ったこっち側やないかーい!」

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⬆︎王家の谷(たぶんこのあたり)⬆︎


そんな35年も前のやりとりを、2人で再現しながら歩くのである。

そして、私たちの記憶と今歩いている廃線跡がオーバーラップしてきます。

いくつかのトンネルを抜けていきます。

トンネルの中は一切、照明がありません。真っ暗です。右も左も上も下も、真っ暗闇です。

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こんな見事な赤煉瓦のトンネルもあるのでした。

しかし、35年前は赤煉瓦への興味など微塵もなく、3年前に再訪(というんかなこの場合?)して気づいた次第です。

このアーチは「えんま積み」というやつか?

いやはや、見事な赤煉瓦でござる。


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入り口と出口付近はまだ明かりがあります。

100m前後の短いトンネルなら、入り口から出口の光が見えますが、もっと長いトンネルになるといつ終わるかわからない真っ暗闇を懐中電灯の灯りだけで進むことになります。


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これ⬆︎なんかは出口まで30m程度。これくらいなら、懐中電灯を消しても差し支えありません。

一番長いトンネルは400mを超えます。真っ暗闇の距離が長く、あとどれくらいで出口なのかもわかりません。

いまは、トンネルの入り口と出口に、トンネルの長さを教えてくれる立札がありますが、35年前にはそんなもの、あろうはずがありません。

「このトンネル、どこまで続くんだ?いくらなんでも長すぎないか?」

「崖崩れとかでトンネルが塞がってたら引き返すしかない…っていうかもう引き返すか?」

「途中でトンネルが崩落したら、俺たちどうなるんだ?」

「そもそもここまでの道のりも下は渓流、山側も土砂崩れがあってもおかしくない」

そして、山川の斜面からは、パラパラと小石が足元に落ちてくる…。

嫌な予感から膨らむ恐怖と闘いながらも、〝こっち側〟のバカップルはズンズン進んだのでした。


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そして、約35年後バージョン、2023年の〝こっち側〟2人はどんどん記憶を呼び覚ましてゆきます。

⬆︎「ここ、確かに通った」。

「うん、見覚えある」。

そして、この先に〝アレ〟があることを確信するのです。

「多分(このトンネルの先)!!!」と、2人でほとんど同時に口にしました。

〝こっち側〟のバカップルのくせに、なんという正確な記憶力!

年はとっても、覚えてることは覚えているのである!

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福知山線廃線敷ハイキングコースのクライマックス。

渓谷を渡る鉄橋です。

もちろん、35年前の2人はこんなものがあるなんて知らずに、いつ出口の光が見えるのかと不安になりながらトンネルを歩いて「ん?アレはなんだ?」「橋?向こうには行ける?行けない?」とか言いながら、小走りになって出口に向かったのでした。

あのとき、トンネルを出たとき、冒険を成し遂げたすごいご褒美をもらった気がして、2人で歓声を上げた気もします。

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ーーーおお!…?なんだこの違和感は?

〝こっち側〟50代バカップルは違和感の正体にすぐ気づきます。

鉄橋が錆びていたからではありません。

線路が撤去されて、歩道が架けられていたからです。

35年前は、渓谷を流れる川面が枕木の隙間から見える線路を、こわごわと渡ったのでした。

「そういや、俺、あのとき自分が高所恐怖症だとはっきり認識したわ」。

いまなら歩道が敷かれて、足元から下の渓谷が見えるなんてことはありません。

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35年経って、2人が再びこの鉄橋を渡るとどうなるかというと、意味もなく笑い合うだけでした。



そして35年前は、この鉄橋を渡ってホッとした私たちの鼓膜をゴオオ…と低い地鳴りが震わせ「なんか、やばいぞ」と思う間もなく大きな轟きが走り、足元が確かに揺れました。

大地震か?と思いましたが、しばらくして地鳴りも轟きも収まりました。

何が起こったのかわからず「もしかしたら大きな天災が起きて私たちの町が壊滅してるんじゃないか?」という不安に駆られて「どこか登れる山肌を探して地上に戻らねば!」と地底人に捕まった地上人が脱出するように早足になるのでした。

そして…。

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この画像中央の巨岩。これが、目の前で見るといかに不自然なまでに大きいのかわかるのですが、これでは伝わらないかも知れません。


35年前の私たちは落ちたばかりのこの巨岩が噴煙を立ち昇らせている光景をまさに見たのでした。

あの地鳴りと轟きは、この巨岩が河原に落下した衝撃だったに違いありません。

その巨岩とも35年ぶりの再会。

「まだあったんや!」

「いや、あんなもん、誰も撤去でけへんて」


ハイキングコースはどこかの山肌を這い登って地上に戻る必要などなく、酒の飲めるお店と駐車場のある広場がゴールなのでした。

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足湯でバシャバシャしながら、2人は「めっちゃおもろかったけど、35年前と比べるとスリルとサスペンスは全くなかったな」と、約5km、私たちの足では1時間ちょうどくらいの短いウォーキングを終えるのでした。

晴田は「35年前は、こんな足湯なかったね」と、足で湯を蹴って私に引っ掛けてきました。

「かけかえしたろか!」と一瞬思いましたが、私は「もう若くないわ」と言ってしまいました。

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猪コロッケとふろふき大根。もちろん、最初は生ビール。

…やっぱり飲むんかーーい!










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廃線跡です。

東京では、木場駅から三ツ目通りを辰巳方面を走ると、マンション群の間に唐突に廃線跡が出現します。

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かつての東京港湾局専用線で、貨物列車が往来していたようです。

それにしても。都会に残る廃線跡の唐突さは半端じゃありません。

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赤錆れた「瑞穂橋梁」を走る廃線跡。

1934(昭和9年)年に建造され、日本最初の溶接鉄道橋は、米軍施設「横浜ノース・ドック」前に残っています。

廃線にもいろいろあって、東京港湾局専用線や横浜の瑞穂橋梁のような都会を走っていた線路もあれば、とんでもないとこを走っていた線路の跡というのもあります。

これまでに紹介してきた廃線跡は全てマイナーなものでした。


最も郷愁を誘い、想像力を刺激してくれるのは、都会の日常に唐突に現れる、そんなマイナーな廃線跡です。

しかし、そんな廃線跡ばかりではありません。

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何度か書いていますが、全くモテなかった私の暗くて湿っぽかった高校時代。

そもそも不登校で、女子とまともな話をしたこともなく、短い事務的な会話も交わした記憶があるのは陸上部の先輩と、おせっかいな同級生の1人だけ。

それでも、卒業式が終わって「制服の第2ボタン、私にくれへん?」と言ってくれた同級生が1人いました。

ちょっと反抗的な雰囲気の剣道部の子で、それが晴田さやかさんでした。

あまり学校に行ってなかった私が、同級生とはいえ彼女を知っていたのは結構、男にモテて、野球部や陸上部の同級生が何人か玉砕してたのを聞いていたからでした。

とはいえ、それまで気にしたこともなかったのですが、ヤンキーな雰囲気もある晴田がキッとした目を私に真っ直ぐ向けてスタスタと近づいてきた時は「こいつ、なんか俺に文句あるんか?俺、こいつになんかしたか?」と、トラブルの気配しか感じられませんでした。

それだけに、ボタンをくれとお願いされ「1年のときからずーーっと好きでした」と告白されても、「いやいやいや、それは俺じゃないやろ」としか思えず、「え?俺?ひと違いやろ」とみたいなことを言ってしまいました。

彼女はそれまでの恥じらう乙女の仮面を一瞬で脱ぎ捨て「はあ?こんなん、ひと間違いすることぉ?」と、笑いながらも睨んできました。

私も勇気を出して告白してくれた女性に失礼な態度だったと「ごめん」と謝り、ボタンを差し出すと「ありがとう」と受け取ってくれました。

彼女のことをあらためて見ると、確かに男ウケする可愛い人だと納得しましたが、同輩が「晴田に他に好きな人がおんねんってフラれた」と落ち込んでいたのを思い出して、「もしかして、それ俺のことか?いや、俺はなんも悪ぅないよな、この場合?」と、ものすごく複雑な気持ちにグラグラしてしまいました。

生まれて初めてのことに何をしゃべっていいのかわからなくなっている私に、彼女は「大丈夫、付き合ってくれなんてゆわへんから」と笑いました。

私としては「なんで付き合ってくれと言わないんだろう?」とも思いましたが、そのときは深く考えていませんでした。


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昔むかしを振り返ると、彼女も含めて私はとんでもない悪い友だちにも恵まれました…。

ここから先は、たぶん以前書いた「仁徳天皇陵」の話と同じで、私の妄想として受け止めてください。

大学進学で上京したばかりの夏休みだった気がします。

高校時代の友だちと尼崎で飲んで最後に入ったバーで、その友だちが同じカウンターに座っていた二人組の女の方に目配せしながら「あの奥の方の子、めっちゃ可愛いなあ。声かけてきていい?」と言うので、私は「え?俺、そんなん好きやないからもう帰るで」と腰を上げると〝奥の方のめっちゃ可愛い子〟と目が合ってしまいました。

晴田さんでした。

「あーー!三島くん!帰ってきてたん?」と大声で立ち上がった晴田さん。私は「(なんでこんなとこで)晴田?」と言うのが精一杯。私の友だちは「お前ら、知り合いやったん?」と驚き、成り行き上、仕方がなく4人で飲むことに。

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私は翌々日に東京に戻る予定で、次の日はゆっくりしようと考えていましたが、深夜にバーを出て別れぎわ。

晴田が他の二人にはわからないように私のジャケットのポケットに電話番号を書いた紙を入れて「私、起きて待ってる」と早口で囁かれました。

晴田に対して、なにか説明できない負い目を感じていた私は自宅近くの電話ボックスで彼女に電話しました(当時は携帯電話などない!)。

「さっき思いついてんけど、一緒に行きたいとこがある」というのです。「さっき思いついたこと、そんなすぐ実行しようとすな。って、もう12時とっくに回ってるし、明日帰らなあかんから、俺」。

「じゃあ、今日にしよ、今日に!」と、まだ酔いの冷めてない晴田は上機嫌で「大丈夫、付き合ってくれなんてゆわへんから」と、あの日と同じように笑うのでした。



ーーーここまではセーフですね。妄想はもちろん事実と受け止めてもらっても大丈夫。



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先日、東京出張中の弟に会って話をしていたとき、大阪教育大学の附属高校を再編する話になりました。

天王寺、平野、池田のうち、天王寺と平野を統合する予定だそう。

「平野なんて人気がなくて、定員割れしてる」と聞きました。

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弟は大教大池田→東大という、阪神地区の勉強出来る子コースど真ん中を歩んだので、ちょっとは思い入れがあったようですが、東海大姫路などの方面に目が向いていた私には全く思い入れがありません。

とはいえ、時代は感じます。

私たちの時代、大阪兵庫は公立高校もなかなか優秀でしたが(我が母校は除く)、高校授業料無償化の影響で私立の人気が上がっていることも影響してるといいます。

そういえば、きょうは兵庫県の公立高校の入試でした。

他愛もない会話の中で弟が「兄ちゃん、晴田さんって知ってる?美人剣士で有名やねんで」と聞いてきて、ドキッとしてしまいました。

晴田さやかさんは高校時代の同級生でした。

弟の娘、私の姪が入ってる剣道クラブで晴田さんが教えてるということでしたが、私の同級生だということは最近知ったそうです。

私は「こいつ、どこまで知っとんねん?」と人質でも取られたような不安にかられながら「ああ、高校の同級生や、確か。俺のことなんか言っとったん?」とさりげなく答えると、「高校のとき、兄ちゃんのことが好きやってんってゆうてた。兄ちゃんがあんな綺麗な人に、なんかの間違いかと思うたわ」と、ますます「こいつどこまで知っとんねん?」と人質的不安が膨らみました。

晴田さんには卒業式が終わったあとに「ずっと好きでした」と告白されましたが、「どないせぇっちゅうねん?」という高校最後の日です。

高校時代、不登校な私は女子と話したことはほとんどない、彼女なんていたこともない、バレンタインデーには義理チョコすらもらったことがない、というひたすら暗い青春を送っていた私にとって、晴田さんはたった一人の花でした…といっても卒業式のあとの話なので、高校時代とはいえませんが。

高校卒業してからは、尼崎のバーで偶然会ったのと、その翌日に2人で結構危ないデート、それからずっと時代が下って、3年前に〝結構危ないデート〟を辿った3回だけ。普段から連絡を取ることも、ほとんどありません。



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2月だというのに!

新年会が止まらない!
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