IMG_2345


1998年9月6日、黒澤明が88年の生涯を閉じたとき、私は米国出張でロスアンゼルスにいました。

黒澤の死を知ったのは、仕事仲間が鎮痛な顔で「落ち込むな」みたいなことを言ってきたからです。現地の仕事仲間は、私がショックを受けているだろうと気遣ってくれているように感じましたが、赴任中の日本人に会うと「参っちゃうよな」みたいに苦笑いしてくるのでした。

帰国してから、黒澤明の死をロシアやキューバなども含めて世界中のメディアが速報かそのレベルで報じたことを知って、海外に滞在していた日本人の多くが私たちと同じような「参っちゃうよな」という違和感を覚えていたんだろうなと気付きました。

当時の私は黒澤明のほぼ全ての作品を見ていましたが、「最後の太陽が堕ちた」(仏ル・モンド紙)というのは、あまりにも大袈裟に感じたものでした。それはいまも、変わりません。

「世界がすごいと言ってるから、すごい」。

もちろん、あれから四半世紀以上経った2025年の現時点ですら、その映画を見たことがなくても「黒澤明」「七人の侍」を知らない日本人はいないでしょう。

そこにあるイメージは「世界のクロサワ」です。

それは、日本向けの「世界のYAZAWA」などとは異質の、新たに世界の映画ジャンルを生み出し、欧州の映画専門家が絶賛、ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグが心酔した、ガチの世界でした。

しかし、世界のクロサワの映画を見たことがある人、その映画に感銘を受けた人がどれだけいるでしょうか?

今の日本人にとって、世界のクロサワは「なんかよくわからないけど世界が認める偉い映画監督」「評価はもう固まっている」というレジェンドです。

スクリーンショット 2018-11-04 0.28.01

「世界的評価の高止まりと、日本での評価が冷静」「晩年は孤立していた」という点で黒澤明と酷似するファイティング原田はどうでしょうか?

ここでは、映画というグローバルな文化の中心的存在と、スポーツとしても完全マイナーのボクシングという全く違う世界であることは差し引いて考えてゆきます。

黒澤が業界では〝天皇〟と崇められ、彼の作品を見たこともない若者でも「なんかよくわからないけど世界が認める偉い映画監督」と知られているのに対して、原田はそうではありません。

「ビートルズ以来」という大フィーバーを巻き起こしたマイク・タイソンの来日で、契約上のアピアランス(顔見せ)から外れているばかりか、事実上のアポ無しで、原田はタイソンに会いに行きます。

契約以外の取材などは頑なに拒否し、ホテル・ニューオータニの貸し切りワンフロアにこもっていた統一世界ヘビー級王者が部屋のドアを開いて招き入れたのは原田だけでした。

ベッドルームには原田のブロマイドがピン留めされていたそうです。

タイソンは具志堅用高も辰吉丈一郎も知りませんでしたが、日本行きが決まったとき「原田はまだ生きているのか?」と最初に聞いたそうです。

タイソンの中で伝説だった原田ですが、現代のボクシングファンが彼を語ることはほとんどありません。

いや、業界の中でも「いや、すごいのはわかってるけど…」という存在になっています。

黒澤明の晩年、誰も彼の間違いを指摘するどころか、意見を言うことすらなかったと聞きます。それだけが原因でないでしょうが、晩年の作品が残念なレベルで終わってしまったのは、そこにも理由があったのかもしれません。世界のクロサワの言うことは、とにかく絶対だったのです。

一方で、原田。引退したというだけでなく、世界の主要メディアが絶賛する黒澤と違い、リング誌を超えてスポーツ・イラステレイテッドが〝最高点〟だった原田の日本国内での尊敬度は、現代のファンは歴代10傑にも数えないほどまでに萎んでいます。

いまでも、日本のボクシングを語るとき「井上尚弥vs中谷潤人は、ファイティング原田vsエデル・ジョフレ以来の大きな意味を持つ」と、多くの海外メディアが同じ文脈で語りましたが、それを伝えた日本メディアは多くはありませんでした。



ーーーまだまだ続きます。