カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は元日本赤軍の岡本公三容疑者(78歳)がレバノンの首都ベイルート南郊で死亡したと発表しました。

これを受けて、朝日新聞は「岡本公三容疑者がレバノンで死亡 ロッド空港乱射事件の実行犯」、読売新聞は「日本赤軍の岡本公三容疑者がベイルートで死亡、78歳…イスラエルの空港で無差別テロ」と、それぞれデジタル版で〝速報〟。

朝日と読売で岡本公三に対する微妙な温度差が感じられますが、ニュースソースのPFLPのニュアンスは鮮明です。

「ロッド空港の聖戦の英雄たちの不朽の物語 偉大な革命同志であり国際主義の闘士である岡本公三(アフメド・アル=ヤバニ)の死を悼む」とヘッドライン。

「栄光と誇りに満ちた生涯 最果ての極東からパレスチナへ」として「1947年12月7日、熊本県の中流家庭で7人兄弟の末っ子として生まれた」岡本を植物学に精通し、英語、アラビア語、ヘブライ語、中国語、ロシア語を驚くべき短期間で習得「並外れた知性の持ち主」と最大級の賞賛。

岡本がレバノンがアラブ世界で英雄視されているのは1972年5月30日、イスラエル・ロッド空港で銃を乱射、約100人を死傷させた凶悪なテロの実行犯だったからです。

岡本は事件直後にイスラエルに拘束され、終身刑を科せられますが、1985年に捕虜交換で釈放された後はレバノンを拠点に伝説の英雄として生活。

しかし、1997年に今度はレバノンで他のメンバー4人とともに旅券偽造容疑で逮捕され、有罪判決を受けます。2000年に刑期を終え、4人は日本に強制送還、岡本はレバノンへの政治亡命が認められていました。

〝英雄〟追悼の最後の文章は「PFLPは、岡本公三同志の遺志と国際主義闘争の歴史に誓いを立て、エルサレムを首都とするパレスチナ全土、すなわちその川から海までをも解放するまで、正義の剣と旗を掲げ、盟約に忠実であり続けることをあらためて宣言する。 彼の死を、帝国主義とグローバル・シオニズムに立ち向かう国際革命の結束をより強靭にする転換点としようではないか。 偉大な闘士の魂に、そしてすべての自由の闘士に栄光あれ。囚われの身にある者たちに自由を。我々は疑いなく勝利する。」と結ばれています。

極東の何につけ曖昧な島国はアラブの英雄と、ユダヤの恩人(杉原千畝)という真逆のベクトルで動いた人物を生み出した、世界的に非常に理解し難い国、民族でもあります。

苦境に追い込まれた弱者に対して、岡本は一般の生活者が利用する銃の乱射で狂気の義憤を示し、杉原は命のパスポートを発行することで正義を貫きました。

若い大学生を中心に構成されたことから、日本赤軍など過激派と比較されることもあるオウム真理教は、ほとんど共感を呼ぶことなく、小さな隠れ部屋に札束まみれで恐怖に怯えながら隠れていた教祖が逮捕、極刑に処せられました。

一方で、いまなお多くの支援者を集める重信房子は先月出版された「
獄に暮らせば  21年7カ月の獄中日記から」が多くのメディアで〝好意的〟な書評を集めています。

「いちご白書をもう一度」を聞くまでもなく、岡本らを産み落とした学生運動の振れ幅は非常に大きく激しいものでした。

オウム真理教の拠点に機動隊が突入したとき、私は「たぶん大丈夫だろう」と思いながらも、一抹の不安に駆られていました。

もし、教祖が正々堂々と姿を現し、十字架でも背負いながら「信者には一切手を出すな!」と自ら投降したら…もちろん、あの卑劣で無様な男がそんな大芝居を打てるわけがありませんでしたが。



私が大学に進学した頃は、もう学生運動はとうの昔に過ぎ去った過去で、全く実態のない残滓のようなサークルがその存在も知られないまま、ひっそりと活動、世の中はバブル景気に踊っていました。





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進学のため上京してから40年以上の歳月が流れ、大阪に「帰る場所」という感覚は全くなくなっていました。

しかし、やはり、高校時代からつながりのある人々が生活しているエリア。まだ3ヶ月ちょっとしか経っていないのに、なんだか面倒なことが多くて…。

社宅を取り巻く環境はともかく、会社は居心地が良いのが救いです。

東京本社では受付ロビーなどに用意している雑誌や新聞の数が悲劇的にリストラされているのですが、さすが大阪です。東京でもTIME誌などは残っていますが、大阪ではいまだに米国のNYタイムスや英国のガーディアン、フランスのル・モンドまでしっかり定期購読しているのです。

いやあ〝治外法権〟万歳です。

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「1日遅れの紙媒体よりも、ネットで見りゃいいじゃん」なんていうのは東京の理屈です。

ネットではそれぞれの新聞の手触りも、サイズや形態が全くわからんのである!!!あと、紙の匂いも違うな。


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社宅に住んだのは初めてではありません。

これまでは、会社の寮や一帯が会社の団地、借り上げマンションでしたが、いずれも会社の同僚もいる住まいでした。

まあ、そのときどきも会社の方々はもちろん、友人知人が来てくれて楽しく過ごしていました。

しかし…50過ぎて家族から離れて単身赴任の社宅住まい、しかもそのエリアが「かっぱ横丁(古本屋街)」至近という私にとって絶好の場所であるばかりでなく、そこが高校時代の友だちにとっても絶好の場所であることに気づくのに必要な時間はほとんどありませんでした…。

しかも…このタイミングでサッカーW杯。誰にも内緒にしていたはずの私の秘密基地はあっけなく陥落。

風呂やら洗濯機を勝手に使われた我が家(社宅ですが)から、暴徒らが去って台風一過、サムライブルーの敗退を少しだけ喜んでいる自分はなんなのか?

この年になって、大学生なノリで集まってくれる友だちが、高校時代にも実はいたこと(例えばサッカー部のやつらなんてほとんど話したこともなく接点がないと思ってたのに)に、向こうは私をケアしてくれてたことを改めて知るのは悪い話ではないのですが…ものすごく失礼な話、私は顔も名前も一致しない同級生を知ってるふりするのに疲れました…。







真面目な話、引っ越そうと考えています。。。。。。。





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大阪には…大阪以外の世界では信じられないモノが常識として存在する。

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先日、ツーサム(2人でラウンド)でゴルフに行ったのだが、そこでの昼食…。


「焼きそば定食」や「お好み焼き定食」である。

阪神エリアしか知らなかった18歳までの私でも、この炭水化物まみれの定食に「おそらく外の世界にはこんな食べ物はない」と、すでに確信していました。

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⬆︎これは、独立した単位で食う物である。



以前、全国区で流行った「そばめし」は、1万歩くらい譲ってまだ理解の余地があるが、焼きそばとお好み焼きを独立したおかずとして白飯を食らうという感覚は、いまだに受け付けることができない。


ツーサムの相手は「騙されたと思って、一回食べてみ」と薦めるのだが、そもそもこの「騙されたと思って、一回食べてみ」という言葉がおかしい。

「騙されたと思って、一回食べてみ」とは、食べたことがないものを食わず嫌いで拒否している可能性がある相手に薦める言葉である。

ところが、このケースではお好み焼きも焼きそばも白飯も、独立した単位では何度も食ったことがあるのである。

そんな私に「騙されたと思って、一回食べてみ」という推奨の仕方は根本的に間違っているのだ。

「単体で食べるのと、ご飯のおかずとして食べるのでは全く違う美味しさの世界が初体験できる」というのならまだ理解ができるが、奴が言ってるのはそうではないのだ。

こんなもんを食っても、完全に想像の範囲内の炭水化物地獄の世界が繰り広げられるだとわかりきっている。

大阪…とにかく恐ろしい魔界である。





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4月から、大阪に転勤。会社までドア・トゥ・ドアで30分足らずの交通至便な社宅住まいです。

そして、このあたりは生まれ育った地域です。

4月、子どもよりも若い後輩たちから連絡を受けて、通っていた阪神地区の高校に久しぶりに訪れました。卒業したのは約40年前、校舎やグランドは当時の外観のままでしたが、中は綺麗にリフォームされて、教室なども廊下と仕切る壁を取っ払って、今風に開放的になっていました。

そして、グラウンド脇にあった野球部と陸上競技部、サッカー部、ラグビー部などの屋外競技の部室群が建て替えられるということで「先輩たちの残したものがあるから、廃棄して良いかどうかを確認して欲しい」というのが主な用事でした。

先輩たちといっても、野球と陸上を兼部していた私と、陸上と柔道の1つ上の先輩の2人だけなんですが、その先輩の残したものはだいたい想像がついたのですが、自分のものは全く心当たりがなく…。

先輩の残したものは、予想通り。高校の最寄駅や校門に掲げられた10以上もある横断幕です。「祝 石川優子さん 柔道 高校総体県大会 優勝」「祝 石川優子さん  陸上競技 高校総体近畿大会 優勝」…。

私(が関わっていた)駅伝の横断幕も一枚だけありました。「祝 阪神高校 対校戦 優勝 陸上競技部 駅伝チーム」。しかし、後輩たちは「これ、去年の秋も使って来年も再来年も使いたいんです」とのことで、処分の対象ではないそうで、確かに年度と大会の数字がバツされて昨年のものに手書きで更新されていました。

「新しいヤツ、作ってもらえよ」と言うと、「先輩たちを乗り越えたのがよくわかるから、新しいのは作らないで、このスタイルにしました」と、ちょっと嬉しいことを言ってくれるのでした。

可愛い後輩たちである。

石川先輩は自分の横断幕を見て「まだ、こんなん現存しとったんなー。このなん、2度と使われることがないから全部廃棄してぇ」。

…ちょっと待てよ?あの横断幕は廃棄対象でないとすると、俺の残しものはないやないか?と思ってると、「先輩のこれ、です」と、①ミルキーの缶と、②模擬試験やら夏期講習で成績優秀者となったときのメダルやトロフィー類。

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在籍高校や名前が思いっきり刻印してるので、ぼかしてスマヌ。


①の缶の中身は、スパイクのピンやピン回し。俺の名前がないのにどうして俺のものだとわかったのは、先輩➡︎先輩の先輩➡︎先輩の先輩の先輩…とたどって「ミルキーの缶はあの人だけ」という仮説が徐々に強化されていったそうです。

全く覚えていませんが、自分のような気がします…。しかし、名前が書かれた栄光の横断幕ならまだしも、こんなもんとっとと捨てろよ、と複雑な気分になっていると、石川のボケがまたどうでもいいことをほざくわけです。

②は、たぶん同輩や後輩から「見せて」と言われて渡したものの一部です。

石川先輩は「なんで?こんなどーでもエエもん、相談せんと捨てたらエエのに?あ?当てつけ?可哀想に後輩からまでバカにされて」と笑い転げるのです。それを聞いて、後輩たちは恐縮しまくりながらも「お2人とお会いしたくて、三島先輩(俺)を呼んだら、石川先輩も来てくれるんじゃないかと思って」と、もっと言い方あるやろ?ということを吐き出して、俺は嫌な気分に…。

じゃあ、俺、いらんかったんやん?石川だけ呼んどけ!!!

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ーーー前置きが長くなりました。

「高校」という限定された空間・舞台の中で石川先輩や後輩たちと交流するのは私にとって問題ないのですが、そうではない場合、いろいろ居心地が悪いというか、気まずいと言うか、なんというか、そういうことってないでしょうか?

例えば、私は…

【家庭】弟と妹は全国レベルの進学校に進学した「学年で2番になった記憶がない」という秀才、私は運動(野球)しか出来ない勉強落ちこぼれ。…それでも「家庭」という空間・舞台の中で両親や弟妹との中で、出来が悪いとはいえ、ポジションがある。なぜか超優秀な弟妹は「兄ちゃんは別格」と、全く根拠のない尊敬を小さい頃から示し続けてくれている。

【高校】勉強だけでなく、ついに野球でも落ちこぼれて不登校。ほんの一部の先生や友だちを除くと、周囲からは「変な奴」「気色悪い奴」「早く学校からいなくなれ」と言われてたツマハジキ者。…卒業してしまうとツマハジキにされた人とは付き合うこともないから〝ほんの一部の人〟との間にポジションがある。

【大学時代】大阪を離れたこともあって「落ちこぼれ」「ツマハジキ者」から完全にリセット。「はしゃいて生きる青春は俺にはないと思ってた」(転がる石:石川さゆり)のにどういうわけだか、女子にもモテる今までにないおかしな状況になった。…「家庭」とも「高校」とも全く違うポジションが出来てしまう。

【社会人時代】「家庭」「高校」「大学」を足して3で割ったようなキャラクター(人格)で見てもらえるようになるが、自分の本質が「家庭」と「高校」にあって、実はそこが一番居心地がいいことに気づく。


ーーー泥酔しながら書いてるので、うまく伝わらないかもしれませんが、私は極端かもしれませんが、誰にでもいろんなキャラクターを使い分けていると思います。

上記では、時系列で区切っていますが、例えば「大学時代」でも「クラスや部活の私」と「家庭教師先の私」では全く違う人格だった気がします。

いろんな人格があるのは誰にでも自然だと思うのですが、不自然なことが起きてしまうことがあります。

つまり「家庭」と「高校」「大学」「社会人」の人格での友だちが同席してしまうケースです。

そんなときは、「俺はどの人格を演じたらいいんだ?!」と、ちょっとしたパニックに陥ってしまいます。

これが、結婚式のようなオフィシャルに均質化された人格が許される時間限定の場面なら良いのですが、そうではないケースもままあります。

4月からの大阪勤務で、そんな不自然なパニックなケースが何度かありました。

今日も、チュニジア戦を観戦したのは個室的な空間のスポーツバーで「家庭」(弟)、「高校」(野球部と陸上部の先輩)、「大学」(他の学校の運動部の友だち=陸上部の先輩と知り合い)、「社会人」(他の大学の運動部の友だちと同級生=陸上部の先輩の知り合い)という絡みあって、こんがらがって、全員知っていてもどこがどうなってるのかわからない乱交状態でした。

誰であっても1対1で飲むなら、その相手仕様の人格で良いのでなんの問題もありませんが、ここまで乱交、混雑してしまうと、例えば東京で知り合い、東京でしか会っていない社会人の友だち相手でも、いつもは話さない完全バージョンの阪神弁で話したりするのです。

言葉の乱交・混雑は誰にでもあるかもしれませんが、人格はどうでしょうか?

「この飲み会、もうアカンて、俺、頭おかしくなるわ」と嘆くと、陸上部の先輩は「コウモリみたいに裏表のある言動繰り返してるから、こうなるんとちゃうの?この二重人格の分裂症男め!」と、汚れたお手拭きをわたにし向かって「シュートーっ!!!」と投げつけ、「それハンド!」と小さく抗議する私を一番よく知る弟が「兄ちゃんは好きなようにしててええよ。別格やから」と、優しく笑うのでした。


すでに、この手の集まりが何度かあって、そのたびに気疲れしています。

思い直すと、ここまでの乱交は経験がありませんでした。



こういうことって、大なり小なり、他の人にもあると思うのですが、どうなんでしょうか…?










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さて、大阪に仮宿を移して3ヶ月。

高校時代まで、東京では「そんなとこは日本にない!」と信じてもらえなかった阪神エリアで、私はまあ喧嘩が弱いくせに暴れてました、今思えば。

4月から転勤で、いま住んでるのは大阪駅にも新大阪駅にも近い交通至便の一軒家(といっても社宅)、阪神エリアも遠くないとこです。東京での生活の方がずっと長くて、関西は「地元」というよりも「出張先」でしたが、しばらく根を下ろすとなると、それはそれなりに高校時代の友人やらから呼び出されたりなんやらで、楽しいやら、なんやら「あー、こういう面倒くさいとこやった」とちょっと辟易したり…。

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ーーー近所の町中華、酢豚定食が700円で「マジか?」というほど絶品なのですが、ここのおばちゃんが4月に高校時代の友人たちと酒飲んでた店にもいて、私を見つけるとあろうことか私たちのテーブルに座って話し始めるのです…東京や横浜では絶対にありえない、余計なおせっかいというか、遠慮がないというか、プライバシーやコンプライアンスの欠落というか、とにかくデリカシーとかエチケットとか、そーゆー繊細な意識が全くない輩が多すぎるのです。


まあ、でも「大阪は嫌い?」と聞かれたら、やっぱり食べ物は絶対的に大阪が大好きです。

ボクシング観戦については、ほとんどが後楽園ホールの私ですが「一番、感動したのは?」と聞かれたら…1997年11月22日、大阪の冬ならではの寒風が突き刺さる夜、あの日の大阪城ホール、それしかありません。

マニー・パッキャオがリーロ・レジャバを、オッズが出ない大番狂せで破った、2001年6月23日のMGMグランド・ガーデンアリーナではありません。1997年11月22日の大阪城ホールです。

周囲の空気、今風に言うなら同調圧力みたいなものには全く反応しない私ですが、後にも先にも、あの夜だけは会場に巻き起こった声を追いかけていました。夢中で、叫んでいました。


ターツヨシ!ターツヨシ!!ターツヨシ!!!





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山口良治が亡くなりました。

私の印象では「泣き虫先生」というより、山口良治は「愛と鉄拳の使う手練れ」でした。

私が彼を知ったときは、すでに運動部の生きる伝説で「スクール⭐︎ウォーズ」は見ていないんです。中学時代は野球に熱中し、高校に入ってからは野球と陸上競技部と掛け持ち、名画座にこもって映画にも取り憑かれていた私はそれなりに忙しく、毎週夜の決まった時間に連続ドラマを観るという余裕はありませんでした。

その影響でしょうか、テレビドラマは今でも全く興味が湧きません。

そんな中高時代を過ごした1980年代、野球を別格にするとラグビーは人気スポーツで、サッカーよりも注目されていました。

Jリーグも野茂英雄のMLBもラグビーW杯も、まだ何も起きていない時代です。

当時、山口良治の教え子の1人、平尾誠二はスポーツファンなら誰でも知っているビッグネーム、もしかしたら今なお「最も有名なラグビー選手」かもしれません。

ラグビーは箱根駅伝を遥かに凌ぐ、最も人気のある大学スポーツでした。

しかし、高校時代にラグビー部からも熱心に勧誘を受けても「ラグビーなんて実業団止まりで、夢がない。最もレベルの高い実業団よりも関東対抗戦グループが人気があるなんて狂ってる」と興味がありませんでした。

それでも、平尾が野球からラグビーに鞍替えした理由を「野球は部員が多くて球拾いとか下積みばかり。ラグビー部を見たら、12~13人程度、先生もとてもいい先生で楽しそうに練習をしていたから」という意見には、心の中で激しく同意していました。

陸上競技と兼部していた私の目に、この二つの部活の決定的に大きな違いは「楽しそうに練習」「正選手でなくても練習(オープン)試合などに出場できる」ということでした。

陸上部と野球部の練習時間が重なるとき、私は野球部と同じグラウンドでの練習は避けて、ロードや不整地を走るファルトレクへと校外に出ました。私の場合ほとんどありませんでしたが、女子部員と談笑したり、スポーツドリンクを飲むのも当たり前という、野球部とは全く別の惑星の光景の中にいる私を見せたくない、それはたいへん申し訳ないと湧き上がる巨大な後ろめたさがあったからです。

それでも、そんなラグビーでも泣き虫先生の愛と拳は唸っていました。

私の時代、中高では野球部の練習の厳しさは他の部活とは一段違うレベルでした。

しかし、顧問の先生や上級生による体罰や、先輩後輩の理不尽な上下関係もありませんでした。中学時代に野球部の顧問、高校時代に陸上部の先輩から、殴られたことはありましたが、いずれも納得できるものでそれを「罰」ではなく、「君にはこうあって欲しい」という評価、願い、私も共有した目標からかけ離れたプレーをしたことへの指導や希望の延長にあったと実感できました。

中学時代の先生はチームの緩みを最も効果的に指導するのに、私が格好の存在だったことが何も言われなくても理解できました。

卒業式のとき、3年生一人一人にしっかり励ましの声をかけた先生が私にだけ短く「ありがとうな」と言ってくれたとき、同輩たちに「こいつだけ、それだけ?!」と大笑いしてましたが、どういう意味なのかは、笑ったチームメイトもわかっていました。

中長距離ブロックが弱くて戦う姿勢を見せないことに不満を持っていた高校の先輩は「野球部の君が戦う姿勢を見せて」と勧誘されて陸上部に入り、彼女からは「1秒でも速く1つでも上の順位を目指すんが、面白いとこやん?1500mでも最初から攻めるの、当たり前やん?順位で次のステージに進む大きな大会なら別やけど」みたいな話をされて、それを受け入れてたのに、大きな試合とは言えない対校戦、私の実力が頭一つ抜けてるレースで、彼女が最も忌み嫌う走りをしてしまったから「何で?どうして?」更衣室に連れ込まれて殴られたのでした。



ーーー殴られた方が納得してたら許されるのか?他の部員が殴られてるのを見たら?その子の親や兄妹が見たら?

野球部では、それが円陣を組んで気勢をあげるのと同じチームを鼓舞する一つの儀式であること、陸上部なら、先輩自ら勧誘して引き入れた私の背信への悲しみだったことがほとんどのチームメイトに理解されていました。

私の家族も「死なない程度によろしく」と笑ったでしょう。

先生も先輩も、私を殴るとき、きっと睨んだ目は潤んでいました。泣き虫先生もそうだったと思います。

もちろん、今の時代、それで済む話ではないのかもしれません。

私も、強豪校で理不尽な罰としての暴力や、憂さ晴らしのための暴力などは犯罪行為で、根絶すべきだと思います。

そんな強豪校から有名な選手に羽ばたいたスターたちが、寮や合宿所で受けた理不尽な暴力を面白おかしく話すのをよく聞きます。バラエティ番組としては許容範囲なのでしょうが、暴力が大きな問題に膨れ上がっている現代で、そこに真摯に向き合うなら、自分が受けた暴力に対する恐怖や悲しみと、おそらく彼らも手を染めたであろう暴力行為を懺悔して伝えることが、非常に重要な社会的メッセージになるはずです。

そんな不条理が罷り通る強豪校(強豪校だけではないかもしれませんが)の寮生活を振り返って、1人残らず全ての元選手たちは「あの頃にだけは戻りたくない」と嫌悪します。

寮も合宿所もなく、強豪校でもありませんでしたが、私が「あの頃に戻りたいか?」と聞かれたら、その気持ちは強烈にあります。私にとってのあの頃、嫌悪する時間、思い出は一つもありませんでした。






話は飛躍するのかもそれませんが、AIなどなければ阿部慎之助の長女投げ飛ばしは、長女の言う「父親との初めての取っ組み合い」で時間が笑話にしてくれたと思います。

そうだとしても、どんな経緯があってもやはり暴力はとにかく絶対的にダメだから、AIがなくて表沙汰にならずに家族で解決して笑話になっても、そんな事実があったのなら児童相談所なり警察が介入すべきだと思いますか?

時間が経った未来に、長女が「父親に投げ飛ばされた」と笑い話をしても、「それは全く笑えない話。今からでも父親は罪を認めて謝罪して、しかるべきペナルティを課せられるべき」と、あなたは考えますか?

かくいう私は、後輩や子どもに手を挙げたことは一度もありません。おそらく、その最大の理由は…山口良治や、野球の顧問の先生、陸上部の先輩のような愛情が欠落していたからです。



勉強を教えてた子に一度だけ、確信的に酷い言葉を浴びせたことがありましたが、それはここで書くには、まだまだ自分の中で消化しきれてない気がしますが。









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当たり前ですが、昭和の時代に〝昭和〟などという言葉はなく、当たり前ですがその時代は「昭和」が最先端でした。

天皇の在位期間でくくられる年号で時代を語ることに、どこまで意味があるのかわかりません。実際、「明治」「昭和」という時代には定型化の輪郭が見えますが、「平成」の輪郭は見えているでしょうか?

「令和」は次の年号が深まったときに定型化されているようには思えません。〝いま〟の令和は、次の年号から迎える未来の中で、平成と同じように埋もれてゆくだけかもしれません。

そして、定型化された「明治」と「昭和」も、次に続く時代の目線では「時代遅れで頑固」という非常に近似した輪郭を持っていました。

「遠くになりにけり」時代を「時代遅れで頑固」と振り返るのは当然なのかもしれませんが、平成や令和がそんなふうに見られる未来はない気もします。

そして、この「時代遅れで頑固」は、「明治」においては畏怖も含めたポジティブに、「昭和」においては軽蔑も混ざったネガティブにとらえられることが多いと感じます。

村田兆治の「昭和生まれの明治男」は、畏怖を込めたポジティブな表現でした。

そして、阿部慎之助に向けられていた「ド昭和」という言葉は、時代遅れの軽蔑が多分に含まれているように聞こえます。



ーーーーー長女が児童相談所へ連絡したのは、友だちにこぼす愚痴ような気分だったのかもしれませんが、DVにおいて児相や警察は加害者は保身、被害者は恐怖にために嘘をつく最悪のケースを想定して、法廷とは違う「疑わしきはクロ」で両者を離すことを優先して動きます。

今回の「現行犯逮捕」は警察が暴行現場を押さえたはずはなく、父親が「児相から報告のあったのは事実か?」と警察が読み上げるのを聞いて「事実です」と答えての逮捕だったのでしょう。

仲の良い親子関係であっても、父親がカッとなって手を出してしまった、そして有名人の娘もまたカッとなってしまい時間帯もあって生成AIに相談して教えられた児相に電話。児相が「深刻な状況だと判断しましたので、警察に通報する」と伝えるわけはなく(被害者が報復を恐れて「警察はやめて」と言いかねない)、事態は誰もが望まない最悪の形で一気に進んでしまったのでしょう。

父は娘を庇い、娘は父を慮る。結局のところ、被害者がどこにも存在しない奇妙で異様な事件。

昭和の時代なら、母親が「お酒を飲んで娘に手を挙げるなんて、父親失格。謝って」「お父さんがどれほど大変な仕事をしてるのか、あなたはよくわかってたじゃない。あんな口答えしちゃいけません」と両成敗で収まっていたかもしれません。





本当の加害者がいるとしたら、それは生成AIだというのはおかしいでしょうか?

有名人の家庭でなければ時間が笑い話にしてしまうことでしょう。18歳の少女が「大好きなお父さんのキャリアを自分がダメにしてしまった」と苦しみながら、一生を過ごさなければならないとしたら、今の社会って何なのですか?彼女はそれほど重大な過ちを犯したのですか?

あるいは、こんな悲劇を引き起こす可能性を孕む、未完成の恐ろしい凶器を野放しにしている社会が悪い、そういったら言い過ぎでしょうか?

犯行はChatGPTによるもの。そういうと、あまりのも阿部親娘を擁護しすぎでしょうか?


もちろん、そんな決着をこの狭量な時代が認めるわけはなく、凶悪な加害者などいなかった家族が、凶悪事件に巻き込まれたレベルで引き返すことのできない大きな不幸に見舞われたのだとしたら、やりきれない思いにひたすら悲しいです。




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アドベンチャラスな思い出を語るシリーズでしたが「もうこれは〝時効〟やからな!」という、〝時効〟を迎えたと思ってる逃亡犯の告白になってしまいつつあります。

いやいや、犯罪ではない!と思いつつも、もう一度あのときに戻ったとして「大古墳の掘を夜中に渡るか?」「廃線ホカホカ(そんな言葉があるのかどうか知らんが)の落石パラパラの崖っぷちを歩くか?」「アルジェリア政府が立ち入り禁止にしている丘陵地帯に入ろうとするか?」と聞かれると、もちろん今なら考えるまでもなく即刻、やめます。

いまなら「前方後円墳の後円に人間の頭くらいのダイアモンドが転がってる」なんて聞かされても「常識で考えろ!そんなわけあるか!あったとして、それビニールボートに乗せて濠を渡れると思っとるんか!誰が行くか!」と突っぱねます。

「廃線になったばかりの渓谷の単線を探検しよう」とちょっと可愛い女の子から誘われても「渓谷の単線・廃線跡ってとんでもない崖っぷちやおまへんか。そんな危険なとこ近寄れまへん!1人で行きなはれ」と、お断りです。

そして、爆破されたレストランを「絶対安全」と数時間前に案内した現地アシスタントに「旦那、松茸が群生してる山脈がありまっせ」なんて囁かれても「お前のいうことなんか誰が信じるか!」と怒鳴りつけます。

絶対、やめます。おそらく、やめます。多分、やめます。やめると思います…まあ、もしかしたら、何かの拍子でちょっと気が変わって、行っちゃうかもしれませんが…。

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私の2ヶ月にわたるアルジェ生活をサポートしてくれた助手のデービースは面白い男でした。

彼がホモセクシャルであることに気づいたのは、彼に愛を告白されたときでしたが…それがまたとんでもないタイミングでした…。

私に告白してくるヤツというのは、廃線跡デートした晴田や、松茸山&ホモのデービース…他にもまともじゃないのが、とにかく圧倒的に多いのです。…もう、あまりにも悲しすぎる。

いやいや、ホモがまともじゃないと言ってるんじゃなくて、晴田もデービースも告白のタイミングがおかしすぎる、まともじゃないのです。。特にデービース。

晴田は卒業式が終わった後、俺はもう東京に行くことが決まってる。もっと早く言ってくれたら、ちゃんと学校に行ってたのに(絶対行ってませんが…)。

そして、デービースはもっと酷くて、「松茸が生えまくってる山」に行ったときです。人生で最も死に近づいたというか、最も殺されかけた状況です。

ちなみに、高校時代に超ガラの悪いバカ外国学校のバカ不良どもにリンチにあったことがあり「ああ、俺、ここで死ぬんや」と思いましたが、そのときはアルジェリアほどの絶望感はありませんでした。

その日、デービースの言われるままに中古のおんぼろハイエースで松茸山をガタゴトガタゴト、目指しました。

「おまえ、絶対危険地帯は通るなよ。ラゴスよりは安全とか、そんなもんは安全地帯とは言わんからな!俺が引き返せと言ったらすぐ引き返せよ!」と、整備されたアスファルトの道路から、未舗装の道路へ、赤土の埃を濛々とあげながら走るハイエースの助手席で、私は嫌な予感に震えながら叫ぶのでした。

そして、1時間ほども走るとその松茸山に。それは山と呼ぶには低い丘でしたが、山脈のように連なっているようで、デービースのいうように確かに松茸に見えるキノコがびっしりと密生していたのです。

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松茸なんて自分で買って食べたことなど一度もなく、その香りも永谷園のお吸いものでしか、はっきりイメージできません。

それでも、一つもぎ抜いて香りを嗅ぐと確かに永谷園の匂いがします!!!本物ならもっと匂いが強いんじゃないかという気もしましたが、確かに私の嗅覚、記憶にある松茸の匂いでした。


とりあえず、いくつか持ち帰って料理してみようと、大きなトートバッグに松茸らしいキノコを詰められるだけ詰めました。
この山脈(丘脈?)がどれほどの規模で、どこまで松茸が群生しているのかわかりませんが、とんでもない量であるのはわかります。100万本とかのレベルじゃありません。数千万本、いやもっとあったでしょう。

末端価格で1本2000円としても数百億円レベル…もちろん、私が所有する山ではありませんが、アルジェから50kmも離れた乾燥地帯、二束三文で買えるような気がします。

現地法人を作って一儲けできるんじゃないか、そうなればもうこんな会社には「俺は松茸王になる!」と辞表を叩きつけ超悠々自適な生活を送る…なにしろ少なく見積もって年商数百億円レベルです!

ウイスキーなんてバランタインでもホワイト&マッカイでもマッカランでもボウモアでも、もう30年ものしか飲まないのだ!12年ものを買おうかどうか迷ってた俺とはもうオサラバだ!

いや、そんなチンケなレベルじゃない。ハワイ諸島の小さな島くらい買ったろか?パ・リーグの不人気球団を買収してオーナーになったろか?松茸ライオンズとか!

帰りのハイエースの助手席で「デービース、お前もこんな契約アシスタントから解放されるぜ」と、私はすぐにあの山の所有者と交渉しようと、膨らむ一方の夢と希望に「ああ、フォーブスの世界の長者番付に載っていまうがな」…とクラクラしてしまうのでした。

しかし、好事魔多し。というか、結果的には「好事」もなく「魔」しかなかったのですが…。

舗装された道路に入るとすぐに、ジープが並走してきて止められてしまいます。ジープに乗っていた5人の男が飛び降りて、車から出ろと命令します。

使い古されたライフルを肩にかけた男たちは英語でもフランス語でもない言葉、たぶんアラビア語で「アルジェリア警察だ」「アルジェリア陸軍だ」と、「どっちやねん!」なことを言ってきましたが、私たちは「どっちやねん!」なんて言えません。

木製のグリップが目を引くライフルは、カラシニコフでした。

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出張前にいろいろ研修受けました。⬆︎「カラシニコフを持ってるのは非政府のならず者」って言われても…。



私の頭の中ではバランタイン30年も、パ・リーグの球団も、ハワイの別荘島も完全に霧散し「もう生きて帰れるだけでそれ以上は何も望みません」と神様に祈ってました。

彼らが何かをいうたびにデービースは「日本人か?」「カネを全部出せ」「抵抗しなければ安全は保証する」「おとなしく人質になれ」と、絶望的なことを通訳してきます。

デービースは「彼らは日本人じゃないお前は邪魔だからここでさよならだと言ってます」「最後に言い残すことはないかと言ってます」と通訳すると、私に向かって「優しいあなたを愛してました。他の人と違って親身になっていろんな話を聞いてくれた。あなたはストレートかもしれないが、そうでなければ私はあなたと結婚したかった」と、わけのわからない場面でわけのわからないカミングアウト!

ここで何を告白しだすんだーーーッ!!!ということを泣きながらしぼり出すのです。

私はデービースに彼らに伝えろと「日本人じゃない、貧しい南アジアからのボートピープルだ。カネなんて持ってない。車を見てくれ、日本の金持ち企業の社員が壊れかけのハイエースで移動するか?(幸運なことに社用車の戦車みたいなボルボは故障して修理に出してた)。国連に難民申請している私たちを殺したり、人質にとって面倒なことになるのはあなたたちの方だ」と、まくしたてました。

しかし、彼らは信用しません。

ハイエースの車内を家探ししていた1人の男が松茸に膨らんだいくつものトートバッグの中身を見て臭そうに顔をしかめると「こんなものをどうするつもりだ?」と聞いてきました。

「食うものにも困ってるから焼いて食べようと思った。ハイエースとそれが今の私たちの全財産だ。欲しければ持っていけ」とデービースに通訳させると、彼らの態度が明らかに変わりました。

「俺たちはなんてババを引いちまったんだ!」とハイエースを蹴り、唾を吐き、松茸をあたりにばら撒きました。

腰が抜けたデービースはしゃがみ込み、彼らの罵声を「貧乏人がアルジェリアに来るな、と言ってます」と泣きじゃくりながら律儀に訳します。

面倒なことに巻き込まれるのは御免だとばかりに、彼らは松茸を入れていたトートバッグだけを持って立ち去ってくれました。

帰りは私が運転しながら「いや、命拾いした。本当に命拾いした。もう全部忘れよう。(お前が俺を性的対象として見ていたことも含めて)全部、全部忘れよう」と言いました。

デービースが「アルジェリアの私たちはあのキノコの匂いが好きじゃないんです。あんなのを食べなきゃいけないほど貧窮してると、あれで納得したみたいです。でも、あれを積んでいない往きで捕まってたら危なかった、命拾えなかったです。ボルボも修理中で良かったです。あんな車乗ってて難民なんて通用しません」と、あらためて思い返すとゾッとすることを言うのでした。

渡航前に外務省から注意を受けてましたが、それ自体も無茶苦茶な内容でした。「カラシニコフを持ってるやつには気をつけなさい。彼らは政府の正規軍の制服や腕章を付けていても偽物。本物は政府から支給されたM16などの自動小銃を持っている」「カラシニコフの特徴は木製のハンドガードやグリップ、特徴的な形状の装弾マガジン…」と図説してくれるのですが、これ、もう崖っぷち廃線跡の「落石注意」以上におかしな話です。

「あ、カラシニコフだ。注意!」「M16だから大丈夫」なんて、あっという間に停車させられるのにわかるか!「落石注意!」も、お!落ちてきた、ヒョイッ、なんて出来るか!

ちなみに、アルジェリアの松茸は熱を通すと香りが完全に消失、無味無臭、発泡スチロールを食べているようなものでした…。

カラシニコフと、落ちてこなかったとはいえ武庫川渓谷の落石…どっちが怖いかは微妙ですが、野球部でもモテモテだった女の晴田と、男のデービースではもう全く違います。


それにしても…私の周囲には、まともじゃない奴が多い気がします。悲しすぎる。







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映画の国際的な賞としては、3大映画祭のカンヌ、ヴェネチア、ベルリンがあります。

黒澤明はカンヌのパルム・ドールを「影武者」(1980年)、ヴェネチアの金獅子賞を「羅生門」(1951年)、銀獅子賞を「七人の侍」(1954年)、ベルリンの銀熊賞を「隠し砦の三悪人」(1959年)で受賞。

米国の国内アワードに過ぎないアカデミー賞は世界的に最も大きな注目度を集めていますが、その選考条件は「米国で制作され1年以内にロサンゼルス地区で上映された作品(2021年から地域を拡大・ネット配信作品も対象に)」。つまり、外国で制作された作品は対象外になります。

外国映画の最高の賞は「アカデミー 国際映画賞」。

この前身が1955年までの「名誉賞」で、黒澤は「羅生門」(1951年)、ソ連作品として「デルス・ウザーラ」(1975年)で受賞。

さらに、「隠し砦の三悪人」「七人の侍」にインスパイアされてジョージ・ルーカスが制作した「スターウォーズ」、ルーカスとスティーブン・スピルバーグ、フランシスコ・フォード・コッポラら米国映画界の巨人たちが「クロサワは映画の師匠」と公言。

黒沢の名声は欧州と米国で万全のものとなります。

米国と欧州だけが世界ではありませんし、実際に黒沢はアジアはもちろん、ソ連(ロシア)やキューバなど東側の国々でも高く評価され続けてきました。

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一方で、ファイティング原田。マイナー競技のボクシングでもさらにマイナーなジャンルである軽量級であることが、特に米国と欧州、つまり日本が仰ぎ見る〝世界〟ではカジュアルなボクシングファンは見向きもしなかったという悲劇があります。

ヘビー級の人気者、モハメド・アリやマイク・タイソンは東京でも大きなビジネスになりましたが、いまなお日本限定の人気者、井上尚弥はラスベガスでは商売が成立しないのが現実です。

一方で、ビセンテ・サルディバルを大番狂せでストップした柴田国明への尊敬からメキシコで「シバタ」、フィリピンで手足の長いボクサーに「イオカ(一翔ではなく弘樹の方)」と渾名をつけ、アルゼンチン人のセルヒオ・マルチネスが「テレビのボクシング番組で見ていた」と辰吉丈一郎のスタイルをよく知っていたように、軽量級がさかんな発展途上国での日本人の存在感は小さくありませんでした。

それが何を意味するかというと、映画にはハイウッドやカンヌ、ヴェネチア、ベルリン、野球には米国MLB、サッカーには欧州トップリーグが世界最高峰として聳えていますが、ボクシング軽量級の最高峰は日本の選手や関係者が「あって欲しい」と願う米国や欧州の大都市圏には存在しないという、悲しい事実です。

もし、原田がヘビー級で大番狂せを2度も起こした相手がジョフレではなくて、モハメド・アリだったなら?

井上信者の「もう日本では見られない」という妄言が現実となっていたでしょう。そして、クロサワのように世界中を震撼させたはずです。

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大阪は鯨料理を食べさせる店が多い、スーパーでも安く買えるのが素晴らしい。(本文とは関係ありません)



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