人生初の大阪勤務。慣れ親しんだ土地なのに新鮮です。

しかし、久しぶりに会いたい人の中にはもう亡くなった方も少なくありません。

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亡くなる前に会いたかったな、もう一度酒を酌み交わしたかったなという人は何人もいます。

私が社会人になりたての1990年初め頃には、退役軍人で企業の社長や会長に収まっていたガチの重鎮さんたちもそんな方々です。東京にいらっしゃる方とは違い、長らくご無沙汰したままーーーという方が多くて。

隔世の感しかない彼らの認識、彼らのお話、軍隊の規律の厳しさやら、イジメ、理不尽な命令、末兵たちの本音、いろんな話をお聞きしました。

差し支えないお話では、焼夷弾がとこに落ちるかはシルエットでわかるという話。小さな丸い一点にしか見えなかったらこっちに真っ直ぐ来てしまうということ。点に見えても少しでも横長なシルエットならどんどんそれが長く伸びていって着弾地点は大きくズレる。

「着弾」なんて CompuBoxの着弾率くらいでしが使わない私ですが、これはホンマもんの着弾話です。

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ある方から妙に気に入られた私は、なんと日米退役軍人の懇親会に参加できるという願ってもない機会に恵まれたこともありました。

当たり前ですが、みなさん60過ぎ、年配の方は90超えているような宴会です。足や手を失った人に、車椅子の方も多数。

「何が原因で車椅子になったのかよくわからない人が多勢いますねぇ」なんて、私が耳打ちすると、元中将・現会長は「How did you end up using a wheelchair?って聞いて来い。俺だって車椅子になってたかもしれんし、そもそも死んでたかもしれん」と笑ったりするのでした。

理解不能の化石みたいな人もいましたが、実に興味深い時間でした。

米軍では戦闘機乗りなら不時着を余儀なくされた時のために自給自足の意味だけでなく趣味の釣り道具を載せていた、ものすごい暑さに苦しめられる潜水艦には必ずアイスクリーマーが装備されていたという話を聞いて、日本軍ではあり得ないと感慨にふけったものです。

まだ「プライベート・ライアン」のロードショー前でしたが「米軍では仲間が捕虜になったら必ず救出に行く」ということも聞いていたので「それは士気が上がりますね。それに比べて日本は生きて虜囚の辱めを受けずですからねー」と自虐した私に、米国の退役軍人の老人たちは一斉に否定。

あの映画のように1人の兵士を救出するために何人もの犠牲を出して助け出そうとするのは、助けなければいけない理由があるというのです。

「簡単に救出を諦めたら、助けに来ないんだと思われる。それは非常に都合が悪い」というのです。

「あれは必ず助けに行くから捕虜になってもとにかく生き延びろということじゃない」「必ず助けに行く。それはつまり捕虜になっても寝返って軍事機密を絶対に漏らすなよ」「もし寝返ったら救助部隊にも危害が及ぶ、その場合は残念な任務変更になるし、もし帰国しても残念なことが待っている」ということです。

大日本帝国では「捕虜になって拷問を受けたら機密を漏らすやつも出てくる、だったら捕虜になったら自決しろというのが手っ取り早い」という考えでした。

畢竟、どうやって情報漏洩を防ぐか?どうやって口封じするか?という目的は同じ。方法が違うだけです。

大日本帝国では実際には自決出来ずに、寝返ってしまう兵士も少なくありませんでした。

今回の作戦で米軍は作戦中に損傷した米軍機2機を機密保持のために爆破処理したそうですが、あれも〝口封じ〟の一つ。人間ではなく機械だから爆破させたのではありません。重大な故障を起こして、そこから動かせなくなったから爆破したのです。

「虜囚の辱めを受けず」な日本と、「必ず助けに来る」米国…どちらが怖いかというと…微妙な気もします。

そして、日米で全く共通しているのは規律の厳しさ、イジメ、理不尽な命令、末兵たちの本音でした。敵同士で殺し合ったけど、軍隊・兵隊は国境を越えて同じ生き物、強烈なシンパシーを感じているように見えました。

あの時お会いした方々も、もうほとんど亡くなられているでしょう。

空の上から、今のアメリカ、今の戦争をどう思って見ているのでしょうか。



そして、いつの日か、ロシアとウクライナ、米国とイランの軍人が〝旧交〟を温める、そんな時間を共有することがあるでしょうか…?