Breez is Nice!

山中が追いつき追い越そうとした、具志堅用高という伝説のボクサーは表舞台に登場した40年以上前から、伝説にふさわしいエピソードに満ち溢れたボクサーでした。

そればかりか、スーパースターに不可欠の条件である「時代と歴史からの寵愛」も十二分に受けたボクシング界を超えた存在でした。

「琉球王朝の血統を継ぐ天才ボクサーが沖縄にいる」。

沖縄が本土復帰した1972年から、そんな噂がボクシング界で飛び交いました。その卓越したセンスでインターハイで優勝した天才は、1976年モントリオール五輪の金メダルが期待され、興南高校から拓殖大学へ進学します。

当時の沖縄は長く米国の占領下にあり、本土からはミステリアスな存在でした。

そんなタイミングで「琉球王朝の血筋を引く天才がいる」なんて、漫画か映画の世界です。インターネットなどカケラもなかった時代、私たちは期待に胸を膨らませると同時に「本当か?」という疑念も抱きました。


【13連続防衛は、当時の現役ボクサーでは最多となる数字でした。12で具志堅と並んでいたのが、あのウィルフレド・ゴメスでした。】

伝説は、まだまだ続きます。大学進学のため羽田空港に降り立った天才を待っていたのは、大学からのお迎えではありませんでした。

具志堅は空港の到着ロビーで〝拉致〟されてしまうのです。

協栄ジムの関係者は、訥々と天才を説得します。その情熱としつこさに、石垣島から来た18歳の青年は根負けしてしまいます。

その前年に、具志堅の噂を聞きつけ、極秘に沖縄視察した海老原博幸は「途轍もない素質」「とんでもないボクサーになる」と金平正紀会長に報告、「同じサウスポーのお前とどっちが上だ?」と聞く金平会長に海老原は「具志堅です」と即答していたと言います。

それにしても、空港で待ち構えて掻っさらうなんて、無茶苦茶な話です。

何はともあれ、こうして「100年に一人の天才」はプロの世界に足を踏み入れます。ここからも伝説です。神様が周到に用意した演出が続きます。

そして、迎えた74年5月のデビュー戦。フライ級4回戦で判定勝ちも、圧勝を期待したファンは「どこが天才?」とスピードもパワーも感じられない平凡なパフォーマンスに冷ややかな視線を送りました。

たまたま調子が悪かっただけ、そう弁解するためか2戦目も同じ相手が用意されますが、またもや見るべき内容の無いまま判定勝ち。

「沖縄へ帰ろう」。具志堅の心は折れかけていました。

考えてみると、海老原が惚れ込んだ高校時代の具志堅は、なんと45kg以下のモスキート級。

プロ最軽量フライ級リミットは50.80kgですから、その間には5kg以上もの差がありました。フライ級とジュニアフェザー級(55.34kg)以上の差です。

実際にプロ4戦目までの具志堅が乗ったスケールは、デビューから50.12、50.35、50.23、50.01と、いずれもフライ級リミットを大きく下回っていました。

そして、神の配剤です。1975年にWBAとWBCがフライ級の下に、ジュニアフライ級(48.98kg)を新設すると発表したのです。


【具志堅が13度防衛した当時の世界ランキング。13番目の階級、ジュニアフライが増設されても、世界王者は2団体26人しかいませんでした。ジョー小泉が「2団体26人!ここまで世界王者が増えるとマニアでも把握できないから、王者26人を詳しく解説する」という特集も組まれていますが、今となっては笑うしかありません。】

具志堅に、海老原の目に「途轍もない素質」と焼きついたパフォーマンスが蘇ります。対戦相手のサイドを突く自在のフットワーク、チャンスでも焦らずボディとショートから組み立てる冷徹なコンビネーション、一気呵成の踏み込み、破壊的なパンチングパワー、そして無慈悲なまでの殺傷本能。

フリオ・セサール・チャベスやマニー・パッキャオのように、減量で削られることのない自然で野生的な強さを取り戻した具志堅に、もはや敵はいません。

1976年1月に世界ランカー、セザール・ゴメス・キーを鮮やかに7ラウンドKO、タイトルマッチにGOサインが出ます。

具志堅にとって神の配剤となったジュニアフライ級の新設には、メディアもファンも二つの目を向けていました。

一つ目は、水増し階級の増設は世界王者の価値をいたずらに貶める罪であるという見方です。「承認団体としては階級新設で承認料の窓口も増やしたい」「ジムとしては世界戦興行が打てる枠が広がるのは大歓迎」という営利的な目的以外には、フライ級の下に48kgリミットの階級を無理やり作ることに意味はありません。

二つ目は具志堅のような「フライ級でも重い」ボクサーは、アジア、中南米には少なくなく、その救済措置はあってもいいかもしれないというもの。ボクシングの階級が英国、欧米人の体格を考えて作られた「減量して50.80kg」が最軽量というのは、確かに一考の余地がある功にも見えました。

そして、このチャンス拡大に最初に飛びついたのは具志堅ではありません。1975年12月に島袋武信がWBC王者ルイス・エスタバにKO負け、翌月76年1月には天龍数典がハイメ・リオスの技巧に翻弄されて完敗してしまうのです。

フライ級では重すぎる才能がジュニアフライに活路を見出す。

その大きな潮流が、日本だけではなく、世界的であったのは、至極当然のことでしたが、新設の水増し階級が、けして甘いタイトルでないことにメディアもファンも気付き始めます。

しかも、具志堅が挑戦するのは階級最強と目されるファン・グスマン。さらに、折り悪いことに、この1976年は日本ボクシング界の厄年になりかけていたのです。

5月8日にはガッツ石松が2年間保持していたWBCライト級王座をエステバン・デ・ヘススに追われ、その10日後には奇跡の復活を遂げた輪島功一がホセ・デュランにKO負け、日本は世界王者不在の時代を迎えてしまうのです。

世界と戦う日本人を応援できるのはボクシングしかなかった時代。世界王者を失う絶望と、新しいヒーロー誕生への渇望は、現代では想像するのは難しいかもしれません。

さぁ、なにはともあれ!これで神様が配剤した舞台装置は、全て整いました!

10月10日、体育の日(当時)、山梨学院大学体育館。

具志堅のランキングはWBA10位でしたが、WBCでは1位、軽量級に疎い米国でも評価は高く「最もタイトルに近い未来の王者」と見られていましたが、日本では、グスマンは「リトル・フォアマン」と喧伝され、ネットの無い時代では海外のブックメイカーがこの試合に「互角」のオッズを立てていたことも知る由もありません。

恐怖のドミニカ人に沖縄の天才が圧倒される…嫌な予感は、開始ゴング早々から気持ち良いほどに裏切られます。

21歳の若者は、テクニック、スピード、全身からみなぎるエネルギー、そしてグスマンが上と見られたパンチ力でも圧倒、日本ボクシング史上に残る、痛快な王座奪取劇を演じてみせます。

ダウンした相手にも襲いかかる見境の無い獰猛さと、一発強打に頼らずボディとショートパンチをつないでフィニッシュを探るコンビネーションの冷静さ。アフロヘアの異形のヒーローは、この職業に最も必要な二つの資質を持ち合わせていました。


【勝ち名乗りを受ける具志堅のこの精悍さ!日本のボクシングファンは、神様が贈ってくれた宝物を、このとき、確かに受け取りました。】

そして、ここから伝説のバトンは神様の手を離れます。

具志堅用高は、リング誌の1970年代という10年区切りのPFPで9位にランキングされる偉大なキャリアを疾走していくのです。

まだまだ、伝説は続きます。。。

※実際、このときの世界王者空位を最初に埋めたのは、前日の9日に蔵前国技館でリゴベルト・リアスコをKOしてジュニアフェザー級のWBCバージョンを獲得したロイヤル小林でした。しかし、小林はまだ世界的な評価を得ていないアレクシス・アルゲリョに敗れるなど脆い一面を露呈、翌11月に敵地ソウルで廉東均に判定負け、わずか47日の短命王者で終わってしまったことも、後世のインパクトを薄めてしまっています。

ロイヤルは、返す返すも不運な巡り合わせのキャリアを送ったボクサーでしたが、アルゲリョ、ゴメス、エウセビオ・ペドロサと一発殿堂のスーパースター3人と拳を合わせたことで、ボクシングファンの記憶には永遠に刻まれ続けます。
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山中慎介が、具志堅用高の持つ連続防衛記録にあと一つと迫りながら、失敗してしまいました。

記録を阻んだルイス・ネリは「山中はワンツーを打った後に必ずガードが下がる」「相手の射程距離でも両手のガードを上げないこともある」「上体が突っ立て固い山中は、連打で攻め込まれたら反撃できない」…戦前から作戦を明らかにして山中の欠点を羅列していましたが、それだけ山中が研究され、自信を持っていたということです。

もちろん、山中のガードの甘さと上体の固さは、今になって指摘されたことではありません。ただ、これまでののべ12人の挑戦者の誰もがそこを突くスピードが無かった、あるいはそこを突いて着弾させても試合を決定づけるだけのパンチ力が無かった、ということです。

山中もスピードは世界基準とは言えませんが、これまでの対戦相手もまた、世界基準かそれ以上の速さを持った挑戦者は見事にいませんでした。これは、内山高志の防衛相手にも共通して言えることです。

山中は、ネリを「向き合ったときは大したことないと思った」「簡単にパンチを合わせられそうだと思った」と振り返っていますが、もしこの言葉が本心だとしたら、やはり非常に危険な状態だったと言わざるをえません。ストップの瞬間まで、キャリア最大の苦戦が続いていたのは、誰の目にも明らかでした。

当の本人だけが、その危機に気づいてなかったのだとしたら、あのストップがなかったとしても悲惨なフィナーレが待っていただけでしょう。

試合開始のゴングから主審が止めるまでの約11分30秒の間、多くのファンがずっと「これは危ない」と感じ続けていたはずです。リング誌など多くの海外メディアが今回のネリを「相変わらずジャブをまともに打てない」「全てのパンチが遠回りする」とその技術の低さを批評する一方で、「野生的なアタックが簡単に成功したのは、山中のディフェンスの欠陥だけでなくスピードの欠如」と的を射ています。

スピードで劣り、防御に穴がある山中相手には、ジャブで攻撃の起点を探ったり、ガードを崩す必要などなく、むしろ荒々しいだけの突進が勝利への最短距離でした。

1−3のオッズをひっくり返して、ネリは完全敵地で番狂わせを起こしました。ただ、山中ではなく、WBO王者ゾラニ・テテが相手だったら何もさせてもらえなかったでしょう。実際にネリはテテを含めて複数の王者への挑戦が交渉に乗っていたと言いますが、山中に決めたのは「世界的評価が一番高かった」だけではなく、最も確実に勝てると踏んだからです。

ネリもまた、山中を選んだのです。

テテについては山中のキラーともなりうると見られていましたが、山中を倒すには技術は不要で、スピードだけで十分だったことになります。

ネリは、リング誌認定のバンタム級王座も山中から奪いました。アルファベット団体よりも遥かに信頼出来るこのランキングの1位はジェイミー・マクドネルですが、この世界基準の武器を何も持たないWBA王者はネリの敵ではありません。

ただ、テテはもちろん、IBF王者ライアン・バーネット、WBAスーパー王者ザナト・ザキヤノフと戦うとなると分が悪いでしょう。このバーネットとザキヤノフが10月21日に、英国は北アイルランドのベルファストで統一戦を戦います。

近い将来、バンタム進出を見据える井上尚弥はネリもターゲットに挙げていますが、ベルファスト決戦の勝者やテテをぶっ倒して欲しいところです。

まだ進退を表明していない山中も、動き出したバンタム級ウォーズを彩る強打のプレーヤーです。

「現役続行ならネリとの再戦」と言われています。心情的には理解出来ますが、評価、栄光だけを求めるならネリ以外の王者なのですが…。研究され欠点を晒されている現在の山中にとっては、世界基準のボクサーは誰が相手でもハイリスクです。

ネリが再戦までにジャブが打てるようになるとは考えられませんが、今度はジャブの差し合いに付き合ってくれるなんてこともありえません。そして、山中も再戦では急にスピードを身につけている、なんてこともありえないのです。再戦しても、あの不器用な暴風雨から逃れることは出来ないでしょう。

それなら、ネリよりも評価の高い王者を屠って、キャリア最大の勲章にして欲しい。難しい試合は避けられなくても山中には一発がある…そうも願いたいところですが、あとは本人次第です。ネリとの再戦なら、あの暴風雨と正面衝突して、自分よりも速い相手のテンプルか顎に、先にパンチを当てるしか勝機はありません。

もちろん、誰と戦うか、それともグローブを吊るすのかは、山中が決めることです。12度も防衛したチャンピオンの健康を考えたら「お疲れ様でした」とも言いたいところですが、一発強打はまだ死んでいないだけに、その言葉はまだ早いという勝手なファン目線も私には残っています。

「強い相手と戦いたい。そのためなら敵地に行っても構わない」。そう願った、山中の目標、希望は、WBCからあてがわれる挑戦者相手に防衛を重ねるうちに「13連続防衛記録の更新」へと変質していきました、いいえ、もしかしたら変質させられたのかもしれません。

世界的には防衛記録や、複数階級制覇の数字が評価されることはありえません。もちろん、ジョー・ルイスの「25」連続防衛や、ヘンリー・アームストロングの「3」階級制覇など、対戦相手の質を問う必要がなかった1960年以前の数字は評価されますが。

メディアと衝突したとき、フロイド・メイウェザーJr.は「俺は一発殿堂確実のグレートだぞ!」と記者を睥睨しました。亀田興毅は「5階級制覇したら文句ないんやろ!」と開き直りました。

この評価基準の大きな違いは何なのでしょう。

具志堅用高の3倍近く、38連続防衛もしたサムソン・ダッチボーイジムも、亀田が口にした5階級制覇に迫った4階級制覇のレオ・ガメスも、殿堂にはお呼びじゃありません。その理由は、サムソンのベルトがWBFだったからでも、ガメスの負け数が多いからでもありません。

連続防衛記録に価値を見出そうとする背景には、何が潜んでいるのでしょうか。

具志堅用高は、本当に強いボクサーだったのでしょうか。

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五年前の夏は、あなたの夏でした。

いいえ、その夏に先駆ける春までもが、間違いなく、あなたのものでした。あの年の春と夏は、あなたの春と夏、だったのです。

そして、今年の若人たちの夏祭りも佳境を迎え、あなたの母校は逞しく、厳しい戦いを勝ち残っています。

ところが、あの美しい野球場は、いざ、職業野球となると、ひねくれた、短慮な私達が、下品な罵声を上げ、絶望のため息をつき、ときどき狂喜乱舞するのです。

そんな、酔狂な私達でも、四球団もが競合しながら、声を枯らして応援する我が球団の縦縞に、あなたが袖を通してくれたとき「向こう十五年は先発の主軸に悩むことはない」と熱く期待しました。

前年まで高校生だった、あなたが、十勝六敗、防御率二・七五で、戦い終えた時、その熱い期待は、強固な確信に変わりました。

五年前。あの眩しく、熱い、土と芝生の上で、躍動したあなた。恐るべき成績を上げた新人のあなたを見る私達が心配したことは、たった一つだけ。

「大きな怪我だけはするな」。

遠くから見てもわかる頭抜けた長身から投げ下ろされる白球の軌道は、その速さはもちろん、どこまでも鋭利でありながらも、喧嘩腰の圧力と重量まで感じさせてくれました。

「キレがあるのにコクがある」。

巨大な山脈のような観客席で飲む麦酒に記されていたのは、相矛盾する広告文句でしたが、十八歳のあなたの右腕から解き放たれた白球には、キレもコクも、確かにありました。

しかし、若くて素晴らしい才能は、いつの時代も悪魔の大好物です。

悪魔が周到に用意した罠。誘惑と慢心に溺れ、外野の甘言に惑わされ、その若さは錆びつき、才能はねじ曲がり、朽ち果てる。そんな若者を、私たちは今までに何人見て来たことでしょう。

しかし、あなたのこの競技に向き合う姿勢は、その若さでは考えられないほどの評価と賞賛を集めながらも、悪魔が吹き付ける、その嵐にも雨にも、少しも揺らぐことはありませんでした。

その、誰もが認める有り余る才能と、悪魔も近寄りがたい誠実な完璧主義が、結晶したとき、私たちに何を魅せてくれることか、これからどんなに素晴らしいことが目の前で繰り広げられても驚かないぞ、と嬉しい覚悟に胸を躍らせました。

しかし、有り余る才能と、完璧主義は、高次元で結晶する前に、せめぎ合いました。

あなたの先に、待ち構えているのは、誰もが羨む未来のはずでした。

しかし、いつの頃からか、あなたは、素晴らしい未来を、次に起こることを、畏怖してしまうようになりました。

あなたの飛び抜けた才能と、競技に取り組む真摯な姿勢。この二つが、相乗効果を上げることこそあれ、まさか負の化学反応を起こすなんて。

私は、通りがかりの、縦縞好きの、しがない市井の一人です。あなたの才能も努力も、本当の所で理解しているわけではありません、ましてやあなたの苦しみや、悔しさや、艱難を。

それでも、勝手なことを言わせてもらいます。

なぜなら、短慮で、下品で、罵声を上げるのが、私達の性根だから。

誠実に競技に打ち込む、才能ある若者が蹉跌することは、許しません、絶対に許しません!

一刻も早く、狂喜乱舞させて下さい。あなたには、その責任が、いいえ、その能力があるのです!

…これは、負の化学反応なんかじゃなくて、大きな跳躍の前の屈伸だと信じています。

あの春と夏から、まだ五年しか経っていません。まだ、たったの五年です。

あなたと同級生の私の子供は、やっと今年から新社会人です。

焦らず、じっくり、大跳躍の態勢を整えて下さい。

私達も気長に、その時を待っていますから。

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山中慎介が、散りました。

完敗です。

「セコンドの判断が早すぎる」。「まだ逆転できた」。「今までもダウンから逆転してる」。

多くのファンの意見と同じく、帝拳ジムの本田明彦会長も「最悪のストップ」と、タオルを投げた大和心トレーナーを避難しました。

本田会長は「(通常タオルを投げる時は)相談がある。こんなことは初めて」「大和はいいやつで優しいから。魔が差したかな」ともフォローはしてますが「今夜のタオルは早すぎる」と。

プロ野球の試合でよく聞く解説があります。「どうして、この場面で投手交代でしょうか?」「ここで代打はないでしょう」。

好投を続けていた投手のマメがつぶれて投げられる状態ではなかった、前の回の守備でハムストリングを痛めた…。内実はベンチにしかわかりませんが、〝外野〟は勝手なことを言うのが常です。

今回の「タオル」にも、そういう背景があったのかもしれません。

しかし…。

大和トレーナーがリングに上がった、あの場面、あれは誰が見ても山中慎介の「キャリア最大のピンチ」でした。

「セコンドを心配させた」。

山中が吐き出した言葉には、いろんな意味が読み取れます。

表層的には「過去最悪の大ピンチに陥ってしまって心配させた」。深読みすると「(絶好調と語っていたが、セコンドと本人だけがわかっていた)体調的な問題があった」。

外野にはわかりません。

山中の性格からしても、言い訳はしないでしょう。

山中のキャリアで最強は、アンセルモ・モレノです。このパナマ人が、世界バンタム級史上屈指のテクニシャンであることに異を唱える人はいないでしょう。

そして、その次がビック・ダルチニアンで、このアルメニア人はジュニアバンタムが全盛期とはいえ、モレノ以上の殿堂クラスの実績を持つ、まさに怪人でした。

モレノ、ダルチニアン、いずれの試合も、国内メディアの論調は「世界的な強豪、山中危うし」。

一方、世界では「モレノは劣化してる上に、敵地で戦うから公平な判定は望めない」「ダルチニアンはジュニアバンタムまでは最強、しかしバンタムでは急ブレーキで低迷」と、誰の目からも旬ではなく、予想もオッズも山中に傾いた状況でゴングが鳴らされました。

今回の結果を「愚かなトレーナーがタオルを投げなければ逆転勝ちしてたのに!」と、本気で本田会長が考えるなら、手元の契約書に間違いなく明記している「再戦条項」を行使したらいいだけの話です。

もし、プロモーターとして、ビジネスマンとして非常に優秀な本田会長がボクシングにも造詣が深ければ、再戦はさせないでしょう。本気で、あのタオルが早いと考えているのなら、再戦条項を行使しましょう。

ネリーは、日本で戦う以上の報酬を米国西海岸で稼げるような人気選手ではありません。再戦できるなら、喜んで東京でも京都でも、来ますよ。

今回の試合予想は、国内外ともに「山中有利」。ネリーは無敗ながら、「誰に勝ったか」となると誰にも勝ってません〝雑魚狩り〟の無敗です。一方の、山中はモレノ、ダルチニアンというビッグネームに完勝してますが、二人ともにピークはとっくに過ぎたグレートでした。

モレノとの2戦はもっと、しっかり、その背景も報道すべきだったと思います。第1戦は日本のファンですら煮え切らない微妙な判定でした。リング誌は「モレノが勝ったように見えたが、そのリングが日本にしつらえられていたことが結果のすべて」(個人的にはこの試合レベルのホームタウンデジションは支持します。〝中東の笛〟はあらゆるスポーツで吹かれます。村田諒太vsアッサン・エンダムのレベルの判定になるとリング誌も「ありえない判定」ですが)。

ただ、事実だけでなく、真実も報道すべきです。「モレノに勝って山中が日本人初のリング誌のPFP10 」という〝大本営〟だけでなく、「あの試合はモレノが勝っていた」「パナマでやっていたなら大差判定でモレノ」、そんな海外の報道もしっかり伝えるべきです。

再戦が、倒し倒されの打撃戦になった最大の原因は、老モレノが「日本で勝つにはKOしかない」と、自分が最も得意とする技術戦を選択できなかったからです。

山中の本心は「防衛記録」なんかではななく、かつて何度も口に出していた、レオ・サンタクルスと戦いたい、という「世界が認める強豪と戦いたい」ということでした。

今夜の蹉跌は、内山高志と同じです。

承認料が高い日本の世界王者を優遇したい腐った承認団体が用意する雑魚(敢えて雑魚と呼びます)挑戦者ばかりを相手に防衛戦を重ねながら、「本当に強い、世界評価の高い相手と戦いたい」というモチベーションが冷まされていく、そのうちに雑魚の中でも苦手なタイプに屠られる…。

承認団体からしたら、興行規模、ファイトマネーによって決まる承認料をたんまり稼ぎたい、当然、カモネギ日本を飼い慣らしたいのです。

日本のジムにしても、目先のビジネスだけを考えたら、うまくスポンサーをつけて世界戦という名のアルファベット団体が勝手にランキングした雑魚挑戦者相手に防衛を重ねていくのが賢いやり方です。

しかし、その行き着く先は、世界王者にもかかわらず「具志堅の記録」を「抜いた」とか「並んだ」とか「迫った」とかです。

もう、やめましょう。

もう、繰り返してはいけません。

もし、山中が意中のサンタクルスと戦っていたら、かなり高い確率でKO負けしてたでしょう。

バンタム級の壁にもがき苦しんでいた劣化ダルチニアンの圧力からも逃げてしまった山中には、全盛期のサンタクルスが振るうパワーボクシングはあまりにも荷が重すぎます。

ただ、戦わせてほしかった。ボクシングは何が起きるか、誰にもわかりません。ましてや、山中は強打者です。

惨敗でも、大番狂わせでも、そこで、何かが、始まるか、終わります。それで、ファンも、おそらく本人も納得するのです。

山中も内山も、長谷川も、、、失礼な言い方ですが「負けるのが遅すぎる」。

本当なら、もっと早く、負けなくていけないレベルのボクサーなんです。

3人とも、特に内山は世界基準のスピードには絶望的に対応できない、山中と長谷川は防御面で致命的な欠陥を抱えながらも、国内メディアが大絶賛することには大きな違和感しかありませんでした。

国内で承認団体が用意する安全な相手をさばいていることが、名刀を錆びつかせ、いつかその安パイに食われてしまい、結局は旬の強豪には一度も勝たずにリングを去る、悔恨のキャリアを辿ってしまうことになるというのに。

ボクサー本人には一片の責任もない、です。

日本人の世界王者は、人気選手は雑魚(何度も言います)相手に防衛を重ね、数少ない世界的な軽量級人気選手は日本人を咬ませ犬として選ぶこともありますが、それは日本の人気選手ではありません。

もちろん、山中や井上尚弥、井岡一翔に数百万円の報酬で海外、敵地に行け、というのはあまりに無理がありますが、少なくともこの真実を把握して前に進むしかないのです(井上は9月の米国デビューで破格の40万ドルの報酬を得ますが、このからくりは日本のTV局のスポンサー資金であってアメリカンドリームではありません)。

日本のファンが万能と信仰している井上にしても、彼はリバウンドで小さな相手を圧倒する長谷川タイプのボクサーです。リバウンドが大きいボクサーは、前日計量のトレンドに合った、まさに「強いものが生き残るのではない、環境に適応したものが生き残る」というダーウィンの理屈に沿った強者です。

来月のSUPERFLY興行、「クアドラスとエストラーダ」「ロマゴンとシーサケット」の勝者が来年早々にも〝決勝戦〟で激突しますが、井上はそのどちらかの敗者とでもやるべきです。

そして決勝戦の勝者と、真のスーパーフライ最強を、決めてもらいたいですね。本当は、英国ボクシングが盛り上がっているように、井岡と、国内最強を決めるべきなのですが。

もちろん、このメンツで勝ち残るよりも、ルイス・ネリーの方がはるかにやりやすいでしょう。

何れにしても、日本の才能ある選手が、またこの13度防衛を狙う、その道を辿ることは絶対に良くないです。

もう、やめましょう。

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WBO世界ジュニアミドル級タイトルマッチ。

ミゲール・コットvs亀海喜寛。決戦のゴングまで、いよいよ2週間を切りました。

専門家予想もオッズも、コットに大きく傾いていますが、全ては「コットの仕上がり次第」と見られています。コットが普通の状態なら、衰え年老いたとはいえ、腐っても鯛です。コット絶対有利は、当然の予想でしょう。

最大手William Hillなど大方がコット勝利1.22倍(2/9)、亀海4.33倍(10/3)、アバウト4−1で、コット有利とオッズを立てています。

マニー・パッキャオが、マルコ・アントニオ・バレラを完全敵地のテキサス・アラモドームで粉砕し、「アジアで最も価値ある大番狂わせ」を起こした試合のオッズと全く同じです…と無理やりでもコジつけちゃいたい気分です!

最も亀海に好意的なオッズを立てているのがSportsBetで、コット勝利1.25倍、亀海3倍です。3−1に近い数字で、こうなると亀海が勝っても大番狂わせと言えるかどうか微妙ですね。


【2015年11月21日、ミゲール・コットが最後に戦った相手がカネロ・アルバレス。コットをサポート、プロモートしていたRoc Nation Sportsの代表はJay Z。奥様のビヨンセも連れてリングサイドで応援しましたが、ワンサイドのスコアカードが読み上げられると頭を抱えて失望しました。誰が見ても大差判定負けでしたが、109-118と110-118の判定はおかしいです。コットも3〜4ラウンドは取っているように見えました。もう一人の採点111-117は納得出来ます。「人気者を相手にすると判定は自分には転がってこない。微妙なラウンドは100%カネロが持って行く」。これは、コットと対決する亀海にも言える教訓です。】

2年近いブランクのあるコットは、最後に戦ったカネロ戦でも反射・反応はもちろん、フットワークにも大きな衰えが見えました。加齢による衰えが遅く現れるハンドスピードと、パワーパンチにはまだ一流の香りを漂わせてはいたのはさすがでした。

しかし、この2年のブランクと、さらなる加齢で最大の武器の左ジャブのスピード、左右フックのパワーが減退していない保証はどこにもありません。少なくとも、カネロ戦からの上積みは無いでしょう。そして、当然、打たれ弱くもなっています。

この2年間のブランクで、新参のRoc Nation Sportsが十分なマッチメイクを出来ず、コットはJay Zのもとを去りました。さらに、記者会見まで開催して、HBOからPPVで売り出されることも決定していたジェームズ・カークランド戦が、カークランドの怪我で中止、二転三転の末に対戦相手が亀海に落ち着いた、とリング外でのゴタゴタが続いています。

これも、コットが負けるときのデフォルトです。

コット陣営は、技術とパワーで世界レベルには遠く、不器用な東洋人を安パイ、どう転んでも負ける相手ではない、と見て、調整試合の相手に選んだのでしょう。

両者共通の対戦相手、アルフォンソ・ゴメスを通してみると、確かにコット勝利の結果しか思い浮かびません。

コットがゴメスを5Rで粉砕したのは2008年4月12日。当時コットは無敗のWBAウェルター級王者、PFP1位のパッキャオの座を狙う位置につけるスーパースターでした。対するゴメスも、全米地上波NBCテレビの人気番組The Contender (Season 1)で人気が上昇、次期スター候補として、アーツロ・ガッティをKOするなどキャリアハイを迎えていました。しかし、試合は一方的になります。コットは左ジャブでゴメスの攻撃を寸断、試合を決めたのもこのジャブのカウンターで奪った痛烈なダウンでした(ゴメスは5R終了で棄権)。

見事なカウンターとはいえ、左ジャブです。その小さなパンチでロープまで吹っ飛ばされたゴメスは立ち上がりながらも首を振り、誰の目にもダメージは深刻でした。もちろん、キャリアハイのゴメスとはいえ、所詮はゴメスです。しかし、その後もこの左ジャブは、強豪中の強豪、ジョシュア・クロッティからもダウンを奪い、完敗とはいえパッキャオ、メイウェザー、カネロも苦しめました。

当時の切れ味があるわけ無いとはいえ、錆び付いていてもあの左ジャブは脅威です。亀海が、このときのゴメス同様に「左ジャブの出所が見えない」となると、万事休すです。

一方、亀海vsゴメスは2015年3月20日。カネロにKO負け、ショーン・ポーターにも大差判定負けとキャリアは完全に下り坂のゴメス。亀海は飽くなき前進で攻め続けますが、ゴメスのテクニックに翻弄されて3者ともに98−91の大差判定負け。亀海は後半、何度かチャンスをつかみかけますが、やはり技術が無い、パンチが無いから決定的な場面までゴメスを追い詰めることが出来ませんでした。


【ゴメスの右にたじろぐ亀海。世界基準にはテクニック、パワーで大きく劣る亀海ですが、その体格と、打たれ強さ、精神力は世界基準です。】

「ボクシングに三段論法は通用しない」とはいえ、全盛期のゴメスを圧倒したコットと、晩年のゴメスに大差判定負けした亀海。一発で流れを変えるパワーパンチも持たない亀海に勝ち目があるとしたら、コットに、大きな劣化が進んでいるときだけです。

そして、その大きな劣化が進んでいるという見方が強いから、3−1というオッズも立つわけです。逆に言うと、それでも3−1です。いずれにしても、コットの圧勝はあっても逆は無いでしょう。亀海にとっては試練の大一番ですが、キャリア最大のチャンス、というか日本ボクシング史上、最大のチャンスです。

序盤はポイントを取られても構わないので、コットを少しづつでも削りたいですね。コットが強いのは、前半だけです。そこを我慢して凌ぐだけでなく、コットを消耗させたいところです。コットは、ヘスス・ソト・カラスのように、序盤から四つ相撲に付き合ってくれるようなやりやすい相手ではありませんが、グチャグチャの亀海ワールドに引っ張り込んで欲しいです。

「予想」ではなく「理想」は、コットの左ジャブにポイントを取られながらも距離を潰していって、終盤に乱打戦に巻き込む。最後はコットが打撃戦の最中に、膝を着いて試合を諦める、このコットの負けパターンに引きずり込むことです。

ゾウ・シミンを心身ともにヘシ折った、木村翔のような戦い方ができれば理想なのですが…。

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