五年前の夏は、あなたの夏でした。

いいえ、その夏に先駆ける春までもが、間違いなく、あなたのものでした。あの年の春と夏は、あなたの春と夏、だったのです。

そして、今年の若人たちの夏祭りも佳境を迎え、あなたの母校は逞しく、厳しい戦いを勝ち残っています。

ところが、あの美しい野球場は、いざ、職業野球となると、ひねくれた、短慮な私達が、下品な罵声を上げ、絶望のため息をつき、ときどき狂喜乱舞するのです。

そんな、酔狂な私達でも、四球団もが競合しながら、声を枯らして応援する我が球団の縦縞に、あなたが袖を通してくれたとき「向こう十五年は先発の主軸に悩むことはない」と熱く期待しました。

前年まで高校生だった、あなたが、十勝六敗、防御率二・七五で、戦い終えた時、その熱い期待は、強固な確信に変わりました。

五年前。あの眩しく、熱い、土と芝生の上で、躍動したあなた。恐るべき成績を上げた新人のあなたを見る私達が心配したことは、たった一つだけ。

「大きな怪我だけはするな」。

遠くから見てもわかる頭抜けた長身から投げ下ろされる白球の軌道は、その速さはもちろん、どこまでも鋭利でありながらも、喧嘩腰の圧力と重量まで感じさせてくれました。

「キレがあるのにコクがある」。

巨大な山脈のような観客席で飲む麦酒に記されていたのは、相矛盾する広告文句でしたが、十八歳のあなたの右腕から解き放たれた白球には、キレもコクも、確かにありました。

しかし、若くて素晴らしい才能は、いつの時代も悪魔の大好物です。

悪魔が周到に用意した罠。誘惑と慢心に溺れ、外野の甘言に惑わされ、その若さは錆びつき、才能はねじ曲がり、朽ち果てる。そんな若者を、私たちは今までに何人見て来たことでしょう。

しかし、あなたのこの競技に向き合う姿勢は、その若さでは考えられないほどの評価と賞賛を集めながらも、悪魔が吹き付ける、その嵐にも雨にも、少しも揺らぐことはありませんでした。

その、誰もが認める有り余る才能と、悪魔も近寄りがたい誠実な完璧主義が、結晶したとき、私たちに何を魅せてくれることか、これからどんなに素晴らしいことが目の前で繰り広げられても驚かないぞ、と嬉しい覚悟に胸を躍らせました。

しかし、有り余る才能と、完璧主義は、高次元で結晶する前に、せめぎ合いました。

あなたの先に、待ち構えているのは、誰もが羨む未来のはずでした。

しかし、いつの頃からか、あなたは、素晴らしい未来を、次に起こることを、畏怖してしまうようになりました。

あなたの飛び抜けた才能と、競技に取り組む真摯な姿勢。この二つが、相乗効果を上げることこそあれ、まさか負の化学反応を起こすなんて。

私は、通りがかりの、縦縞好きの、しがない市井の一人です。あなたの才能も努力も、本当の所で理解しているわけではありません、ましてやあなたの苦しみや、悔しさや、艱難を。

それでも、勝手なことを言わせてもらいます。

なぜなら、短慮で、下品で、罵声を上げるのが、私達の性根だから。

誠実に競技に打ち込む、才能ある若者が蹉跌することは、許しません、絶対に許しません!

一刻も早く、狂喜乱舞させて下さい。あなたには、その責任が、いいえ、その能力があるのです!

…これは、負の化学反応なんかじゃなくて、大きな跳躍の前の屈伸だと信じています。

あの春と夏から、まだ五年しか経っていません。まだ、たったの五年です。

あなたと同級生の私の子供は、やっと今年から新社会人です。

焦らず、じっくり、大跳躍の態勢を整えて下さい。

私達も気長に、その時を待っていますから。