Breez is Nice!

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=写真=NHK「アナザーストーリー マイク・タイソン 敗北~世紀の転落 27年目の真相~」無敵の快進撃を続け、世界のアスリート長者番付でも2位を大きく引き離して独走していた時でさえ、マイク・タイソンが幸せな毎日を送っていると考える人はほとんどいませんでした。そして、彼は惨めな最期を迎えて短い生涯を閉じるだろうと。

「ブルックリンのゲットーで育った札付きの不良少年が、カス・ダマトの愛に感応して更正し、力の限り努力して世界の頂点を掴んだ」というのは、綺麗事です。

「つらくて厳しい毎日だ。チャンピオンになればシルベスター・スタローンに会いに行けるか?」と苛酷な練習に音をあげたタイソンに、ダマトは「会いに行かなくていい。世界ヘビー級チャンピオンになれば、そいつの方がお前に会いに来るのだ」と答えました。

この有名なエピソードも美談として語られることもありますが、とんでもない。

ダマトは「世界王者になれば、全てが手に入る、全てが許される」と教えたのです。

当時トレーナーをつとめていたテディ・アトラスの親類の少女を強姦しようと襲ったときも、ダマトは警察には届けず、不問にしました。

要は、甘やかし過ぎだったのです。「お前はボクシングさえやってればいい」と。

ダマトが死んだとき「世界王者になれば全てが手に入る」と信じるフランケンシュタインだけが残されました。

怪物が世界王者になったとき、目的は完遂されました。

トレバー・バービックを〝宇宙遊泳〟させたリングに、ダマトが「絶対に組んではいけない。口も聞くな」と何度も注告した怒髪天の黒人が満面の笑みを浮かべて駆け上ったとき、20歳の若者はハグで迎えました。

昨年、NHKが放映した「アナザーストーリー」では、怒髪天がタイソンにすり寄ったのは、ダグラス戦の後のように誤解される表現がありましたが、それは明らかに間違っています。

「美談に仕立て上げる」という命題があるので、故意にそういう筋書きを描いたのでしょう。

ドン・キングは、ダマトが亡くなった、翌年の世界戦のリングに上がっているのです。

どう考えても、ダマトが亡くなった直後から…もっと自然な考え方をしたらそれ以前から、タイソンはドン・キングを受け入れていたのです。

※プロボクサーの生き様と、それを取り巻く怪しい人々は、誰もが「盗人にも三分の理」をしっかりと持っています。自慢できることでもなんでもありませんが、ドン・キングやボブ・アラムの人生には、私たちには到底想像もできない〝理屈〟が厳然として存在しているのです。彼らの〝是非〟を問うのは、まさに哲学ですね。どこかで、機会があればまた…。
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史上最年少の世界ヘビー級チャンピオンは、その誕生の瞬間から破滅の予兆を発散させていたのです。

1990年、東京ショッカーで極東のリングに沈んだ時、すでに最初の離婚を経験、ケビン・ルーニーやビル・ケイトンらで形成した〝チーム・ダマト〟も崩壊、交通事故や自殺未遂を繰り返し、大きな円形脱毛症が目立つようになったタイソン本人は内部から崩壊していました。

1991年にはディズリー・ワシントンを強姦したとして有罪判決を受け、1992年から1995年まで収監、26歳から29歳までというボクサーにとって最も貴重な時間を失ってしまいました。

それでも釈放後は連勝、1996年3月には、フランク・ブルーノとの再戦を3ラウンドでTKO、世界タイトルのピース( WBCバージョン)を取り戻します。

そして、11月には6年越しの決戦、「FINALLY(ついに激突)」と銘打たれたイベンダー・ホリフィールドとの防衛戦のリングに上がります。

東京ドームのダグラス戦ではリングサイドでタイソンに熱視線を送っていた無敗のホリフィールドも、リディック・ボウに2度、マイケル・モーラーに1度敗れていました。

10−1でタイソン有利と出ていたオッズも虚しく、6ラウンドにはダウンを奪われ、10ラウンドまでのジャッジは100−93/96-92※2と追い詰められた展開で11ラウンドTKO負け。

スピードで互角、そして何より、ダグラス以上にタイソンを恐れず、不屈の勝負根性で襲いかかってくるホリフィールドは、精神面で大きな欠陥を抱えるタイソンにとってはどうしようもない強敵でした。
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=写真=ホリフィールド戦が行われたMGMグランドには世界中から集まった報道陣を受け入れる、ライオン型テントの巨大プレスルームが特設されました。150億円の巨費を投じてタイソンと独占契約を結んだMGMもまたタイソン敗北に大きなショックを受けました。しかし、タイソンとの契約はシーザースパレスから奪ったメッカの座を、確固たるものにしたのです。

翌年、ホリフィールドとのリマッチでは、悪名高い〝 BITE FIGHT〟耳噛み事件を起こして反則負け、自分を恐れずに立ち向かってくる相手に怯える精神的な弱さを露呈してしまいます。

この反則行為で1年間のライセンス停止処分を受け、この間知り合った代議士の娘と再婚するも5年で破局。

2002年6月にはレノックス・ルイスに挑戦するも惨敗、翌年に暴行容疑で逮捕、300億円以上あったという財産は取り巻きにむしり取られて、8月に連邦裁判所に自己破産を申請…。

下降するしかない負のジェットコースターは止まる気配を見せず、タイソンは奈落の底に転落していきます。

もし、当時のボクシングファンに「タイソンは2018年にどうなっていると思う?」と聞けば、多くの人が「自殺して死んでいるか、刑務所の中」と答えたでしょう。

しかし、リングの中ではあれほど精神的な脆弱さを曝け出したタイソンですが、第二の人生では自ら積極的に幸せを掴み取ろうと立ち上がるのです。
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プロボクシングが大好きです。

そのことが、よく分かりました。

先日のロイ・ジョーンズの〝引退試合〟です。

ダイジェストでしか見ることができていませんが、「レベルの高い試合しか放送しない」WOWOWでは見れないのでしょうか?

休日なのに、なぜか仕事で東京、中野にいて、ちょっとした打ち上げで付き合いでお酒飲んでいますが、ちらっとESPNの記事を読んでしまって、涙出そうです。

早く帰宅して、じっくり見たいです。

地元フロリダ、ペンサコーラでの引退試合。

古傷でもある左の上腕二頭筋を痛めていながらも、ノールックのジャブを披露、リングサイドの観客に何かを話しかけていたそうです。

全盛期には世界戦でも見せた余裕のパフォーマンスです。

嗚呼、なんというロイ・ジョーンズ。

きっと、私はロイを誤解していました。

「どうせカネがなくなって引退できないんだろう」

「もうこれ以上、晩節を汚すな」

私もそう思ってました。

真実も、そうかもしれません。

しかし、現在のジョーンズのファイトマネーは、解説者の仕事で得る報酬よりずっと下のはずです。

「この仕事が大好きなんだ。プロとして29年間続けてきて、後半の10年間は晩節を汚すなと引退を薦められて来たけど、本当に大好きなんだよ。でもね、どこかでさよならをいわなきゃならない。悲しいね」。

全く無名のスコット・シグモンを3者一致の98−92(ESPNの採点は100−90)で下したジョーンズの最終成績(この引退試合はMMAとのミックス興行で、ジョーンズはアンデウソン・シウバとの対戦に含みのある発言もしています…)75戦66勝(47KO)9敗。

1988年ソウル五輪でありえない判定で金メダルを盗まれて銀メダル。

プロ入りしてからは4階級制覇。2003年にはボブ・フィッツモンズ以来106年ぶりにミドル級王者からヘビー級を制しました。

ヘビー級は穴王者ジョン・ルイスを選んだことが「空き巣」「チェリーピッカー」と揶揄されて居ますが、バーナード・ホプキンス、ジェームズ・トニー、ビニー・パチエンザ、マイク・マッカラム、バージル・ヒル、フェリックス・トリニダード…錚々たる強豪に勝利しています。

その割には、1000万ドルを越す報酬には恵まれませんでした。メイウェザーやパッキャオと比べても、やってのけたことは遜色無いように映るのですが。

これできっぱり引退となると、5年後の2023年の一発殿堂入りが100%確実です。
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Boxing scene.comが「ロイ・ジョーンズは歴代PFPでどう評価されるか?」についてレポートしているので紹介します。

「ボクサーの評価は基本的に足し算で、引き算はしない」のが原則です。しかし、ロイの評価は、引き算されて急降下しているのです。

◼︎◼︎ヘビー級王者になったときの戦績は48勝1敗、唯一の敗北もモンテル・グリフィンの奸計にはまった失格負け。このとき引退していたら、歴代PFPで1位になれたか?

そうはならない。モハメド・アリやシュガー・レイ・ロビンソン、ロベルト・デュラン、ジョー・ルイス、シュガー・レイ・レナードらと比較すると、対戦相手の質が低すぎるからだ。

2006年、ESPNが発表したリストでは46位、47位ホプキンスより一つ上、40位オスカー・デラホーヤには後塵を拝している。

2012年の、Bleacher Report は歴代39位にランキング(40位:トーマス・ハーンズ、38位:マービン・ハグラーに挟まれた位置です)、悪くない評価だ。

しかし、2015年、The Sportster の「Top 25 Greatest Boxers of All Time」ではランク外。

2004年の年間PFP1位の座から、衝撃的なKO負けを重ねてあまりにも一気に転落したことが、ジョーンズの評価も下げてしまった。

しかし、全盛期に彼ほど、圧倒的な身体能力を駆使して支配的だったボクサーは存在しただろうか?パチエンザ戦の4ラウンドは、CompuBoxが一発のパンチもヒットさせなかったと記録した、史上初の出来事だった。

午前中にプロバスケの試合で活躍し、その夜にエリック・ルーカスをKOしてIBF世界スーパーミドル級のタイトルを防衛したこともあった。1日に二つのプロスポーツをこなしたアスリートも史上初だった。

ホプキンスとトニーに勝つことがどれほど評価されるべきか、もう一度考え直さねければいけない。◼︎◼︎


2011年にYahoo! Sports は「ついに実現しなかった5試合」の一つに、「Roy Jones vs Europe」(ジョーンズとヨーロッパの強豪の激突)をあげています。

スーパーミドルではクリス・ユーバンクやナイジェル・ベン、ライトヘビーではダリウス・ミハエルゾウスキーらとの激突は、タイミングの問題やジョーンズがヨーロッパで戦うことに消極的だったことから実現しませんでした。

その後、ロシアで何試合も戦いプーチン大統領から市民権も授与されました。

他の4試合は「オスカー・デラホーヤvsミゲール・コット」「リディック・ボウvsレノックス・ルイス」「マイク・タイソンvsジョージ・フォアマン」「シュガー・レイ・レナードvsアーロン・プライアー」でした。

ロイ・ジョーンズが傑出したボクサーであったことは、永遠に不滅です。
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リング誌は東京ショッカーを「EPIC UPSET」と伝えました。

BIGでもMASSIVEでもない〝EPIC〟UPSET。

絶対に倒れるはずのない鉄人が枯れ枝のように朽ち落ちた瞬間は、まさに神話や叙事詩に描かれた一場面のように映りました。

リング誌をそのまま抜粋拙訳します。

◼︎◼︎世界最凶の男が初回からコントロールされ、痛めつけられ、圧倒された。映画の中のスローモーションのように、マイク・タイソンが東京のリングに沈んでいった。

予想もしない光景に、東京ドームの観客は静まり返り、短い神話が終わった。

ジョー・ルイスやジャック・デンプシーの再来とまで言われた若者の疾走は4年間で終わったのだ。

ダグラスは緻密に研究した計画を周到に実行した。日本に渡る直前に最愛の母親が急逝してしまったことも、彼のモチベーションをさらに刺激したことだろう。

母親からかけられた最後の言葉を試合中のダグラスは、何度も頭の中で思い出していたはずだ。

「いってらっしゃい。あなたはタイソンに必ず勝てる」。

(中略)

タイソンが再戦条項を使うかどうかは微妙だ。

自分を怖がらずに、我慢強くジャブを突き続けて右のタイミングを測るダグラスは、タイソンキラーだ。

タイソンが左ジャブを避ける方向、位置も完全に読まれていた。このクセを修正するのは難しいだろう。

ダグラスだけが見抜いたクセだとしても、タイソンの行く手は厳しい。

技術的な問題以上に、タイソンでも倒れるという当たり前のことを、世界中のボクサーに気づかれてしまったからだ。

1990年2月11日、神話は終わった。これからは誰もが畏怖してくれる神ではなく、一人の人間として、タイソンが本当の強さを見せられるかどうかが注目される。

ジョー・ルイスやモハメド・アリのように、恐れず強い決意で立ち向かってくる強豪を、より強靭な精神で迎え撃つことが出来るのか?
 
もはや神話は終わってしまった。これからタイソンが戦うのは、生身の物語だ。彼がルイスやデンプシーを追いかける生身の物語がこれから始まるのだ。 ◼︎◼︎



8ラウンドに「ロングカウント事件」が起き、試合後もドン・キングが「この結果は無効だ」と騒ぎ立てWBA、WBC、IBFは立場を保留しましたが、数日後に「タイソンTKO負け」の結果を承認しました。

〝ロングカウントがあったとはいえ、〟ダグラスの圧勝劇でしたが、試合後に公表されたジャッジペーパーも大きな物議を醸し出し、今なお世界中から批判を浴びています。

3人のスコアは、ラリー・ラザディラが88−82で、ダウン以外はダグラスが圧倒。

フルマークでダグラスを支持していたリング誌は「フルマークか、譲ってもラザディラのスコア以外はあの展開では付けようがない」と断じる数字です。

ところが、残る二人、ともに日本人ですが、内田正一は86−86のイーブン、森田健に至っては87−86とあろうことかタイソンリードの採点をしていたのです。

「日本では攻勢を評価する」とかいうレベルではありません。そもそもパンチの数、ヒット数はもちろん、攻勢もダグラスが終始とっていたのですから。
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=写真=このジャッジペーパーは、海外で「日本の判定は酷い」という根拠の一つにされています。アブナル・マレスが長谷川穂積のオファーに「日本に行ったらどんな判定をされるかわからない」と、この試合の狂気のジャッジを拒否理由に挙げました(他にも報酬や条件面も折り合わなかったのですが)。「日本の恥」としてしっかり記憶されるべきです。

主題から逸れてしまいますが、ジャッジペーパーで注目すべきはもう一つ。

ラザディラは1つ、森田は3つ、内田は2つのラウンドを「10−10」のイーブンと評価しているのです。世界で最も議論を呼んだジャッジペーパーを例に挙げるのは適当ではありませんが、何が何でも10−9に振り分けるという強迫観念に支配された、現在のジャッジは見習うべきですね。

「各ラウンドは独立した単位で評価される」が、「10−9に振らなければならない」なんてルールはないのですから。 試合に引き分けがあるように、ラウンドごとにも引き分けはあるべきなのです。
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1990年2月11日日曜日の正午、米国の土曜日夜のゴールデンタイムに合わせて、統一世界ヘビー級王者マイク・タイソンとWBC3位、WBA4位のジェームス・バスター・ダグラスのゴングが鳴らされました。

37年後の現在、東京は非常な寒波に見舞われていますが、その日は生暖かい南風が強く吹き、曇り空が蓋をした蒸し器のような東京都心は16度まで気温が上昇していました。

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=写真=5年ぶりの寒波に見舞われたオハイオ州コロンバスでロードワークするダグラスの毛糸の帽子は雪と汗で凍りつき、氷柱まで垂れ下がっていました。

「タイソンが怖いか?何度も聞かれた質問だが、答えはNOだ。今までの対戦者は、タイソンに勝つ気がなかったが、俺は違う。休日を入れずに毎日練習してきた。人生でこんなに追い込んだことはない」。

「タイソンのビデオはどれだけ見たかわからない。はっきりしている事がある。奴は、長身のジャバーが苦手だ。そして、ラウンドが進むにつれ急速に集中力を失っていく。気をつけるのは、インサイドからの一発だけだ」。

勝者の言葉にありがちですが、完璧な予言ですね。

父親のビリー〝ダイナマイト〟ダグラスは、カルロス・モンソン時代に元世界ミドル級3位まで登り詰め、日本でも試合をしています(1973年5月21日東京、スティーブン・スミスに3ラウンドKO勝ち)。

弟もプロボクサー、家族でタイソンを分析していたのでしょう。


外の季節はずれの蒸し暑さは全く関係なく、空調の効いた東京ドームで、真昼の決闘が始まりました。

今思えば…つまりは結果論ですが、その前兆はいくつもありました。

かつてタイトルを強奪した相手、トレバー・バービックを始め豪華なスパーリング・パートナーを引き連れたタイソンは、〝気心の知れた〟バービック相手には見事なボクシングを披露してみせるも、フィル・ブラウンの長いジャブに何も出来ずに棒立ち、慌てた陣営がスパーを中止するというハプニングもありました。

ブラウンは三流のロートル。長身でリーチも長く〝仮想ダグラス〟として招聘されたのですから「タイソンピンチ」と多くのメディアが報じましたが、試合の興味を引くための余興だと、誰も間に受けませんでした。

さらに、元王者グレグ・ペイジにはダウンを奪われ、そのコンディションが万全で無いことは明らかだったのですが…。

2月3日、後楽園ホールで行われた有料公開スパーリング(観戦料5000円)では、圧倒的なスペクタクルの予行演習を一目見ようと、抽選で選ばれた700人を超えるファンが詰めかけましたが、ペイジ相手にいいところなく終わってしまいます。

何かが起きる。その予兆はいくらでもありましたが、それでも誰一人として世紀の大番狂わせなど予想できませんでした。

「極東の経済大国が、世界ヘビー級タイトルマッチを〝円のパワー〟で引っ張り込んだが、その内容はエキビジョンだ。好景気に酔う日本人は、高い買い物をしているとは気付かず、なんでも買うようだ」。

米国メディアの悪意ある報道の通り、タイソンは問題なくエキビジョンをこなし、試合後にリングサイドのイベンダー・ホリフィールドを挑発する場面が、この興行の最大の目玉になるはずでした。

ホリフィールドが失望に首を振って、東京ドームの席を立つシーンなど、夢想だにできませんでした。

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2月11日がまたやって来ます。

今年は、28年前のあの日と同じ日曜日です…。

海外メディアは、また今年も、あの日何が起きたのか、そしてあの場所で何が終わって、何が始まったのかを回顧、検証するのでしょう。

新事実が掘り出されたり、当事者が想い出を語ったり、興味深いレポートが専門メディアを中心に特集されるはずです。

1990年2月11日、東京ドームでは、台本通りのショーが行われる予定でした。台本といっても、完璧な演者が登壇するのですから、テイク2もありえない、予定調和のイベントが粛々と進行するはずでした。


一瞬の煌めきほど美しいものはありません。一瞬だから、美しいのかもしれません。

ずっと点灯してたら、迷惑な壊れた信号です。

何度も明滅してたら、子供に見せることが出来ない下品なネオンです。



マイク・タイソンの人生は、目を背けたくなる悲惨なエンディングが避けられない悲劇にしかならない…その全盛期ですら、彼の昏い目を見た誰もが、そう確信しました。

どんな人生にも、夏があれば冬もあります。

しかし、ブルックリンのゲットーで育った黒人少年の夏はあまりにも暑すぎ、その冬はあまりにも寒すぎました。

小説や映画でも語り尽くせないアイアンマイクの物語は、彼がこの世に生まれた1966年6月30日から時系列を追うようなことでは描ききれません。

彼は、幾つもの濃密すぎる春夏秋冬を経験して、現在位置に辿り着いたのです。

あれから28年経った2018年、楽しそうに笑うタイソンの表情を見ることが出来るなんて、誰も想像だに出来なかったでしょう。

彼は、リング上では常に番狂わせを起こされる立場で、そのキャリアで一度もオッズをひっくり返したことはありません。

圧勝、楽勝を予想された試合で何度も惨敗し、不利予想で上がったリングでは例外なく対戦相手の拳に沈められました。

まさに、〝逆マニー・パッキャオ〟でした。

その犯罪歴やリング内での蛮行からだけでなく、「勝ったのは弱い相手ばかり」とその実績も疑問視する声もありました。

それでも、マイク・タイソンが紡いだ浮き沈みの激しい半生は、一体何が「浮き」で、何が「沈み」なのかを哲学的に問いかけてくる重厚な物語でもあります。
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「THE SURVIVOR」(生き残った人、修羅場を切り抜けた人)…サバイバーという言葉は、大病や大きな困難を乗り越えた人に使われる重い言葉ですが、それでもマイク・タイソンを語るとき、この言葉ですら物足りなく思えてしまいます。=写真はリング誌2014年11月号=

物語の最初の舞台は、1990年の東京です。
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