Breez is Nice!

現地時間3月8日付リング誌電子版からです。

日本人に馴染みの深い外国人ボクサーがしっかり取り上げられると嬉しいものです。

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1974年4月11日、日大講堂。ガッツ石松が大番狂わせでロドルフォ・ゴンザレスを破り、WBC世界ライト級王座を奪取しました。

当時、私はまだ小学生低学年で、ボクシングファンでもなんでもなく、野球も陸上競技にもはまる前のことで、この試合は見ていませんし、そもそもガッツ石松を知ったのはあの聡明なパンチャーが引退した後のことでした。

今夜のお話は、石松ではなく、その拳に2度も沈められたメキシコ人が主役です。

しかし、YouTubeは素晴らしいです。44年前の試合の動画を見ながら、ゴンザレスの物語を読めるなんて。
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ロドルフォ・ゴンザレスは、日本のボクシングファンにとって、ライト級という高貴な階級のベルトを日本にもたらしてくれた忘れることのできない名前です。

しかし、世界的には印象の薄い、無名の日本人に躓いたライト級王者です…..。ところが、です。

なんと、ハリウッドでその生涯を映画化する作業が始まっているというのです。何も調べてないので、配役や公開予定日は不明ですが、このゴンザレスの生き様は、それほどまでにドラマティックだったのです。

♠️ゴンザレスは1944年12月16日、メキシコ・グアダラハラ南部の小さな町で、9人兄弟の次男として生まれます。

幼い時からボクシングに興味を示したゴンザレスは、幸運にも元世界バンタム級王者の従兄弟がいました。ホセ・ベセラです。世界王者からボクシングのABCを叩き込まれたゴンザレスは、あっという間に上達していきました。
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ベセラはリング誌の「メキシコバンタム級歴代10傑」でも9位にランクされる名王者でした。

その後、メキシコの伝説的ボクサー、キッド・アステカからも、必殺の左のレバーブローも伝授されました。

アマチュアでの試合経験はなかったものの、1959年14歳の時にプロデビュー。1ラウンドKOと上々の船出を果たします。その後もKOの山を築き、52連勝、KO勝ちは50を数えました。

※BoxRecによるとデビューからの連勝は36と、「物語」ではサバを読んだ感じですが、それでも36勝中KOは35、凄まじい戦績です。ただし、36勝目の相手はプロデビュー戦。37連勝を止められた相手はホセ・ルイス・カスティージョ(メイウェザーを最も苦しめたあのカスティージョと同姓同名ですが無関係)で、ゴンザレスと戦うまでの戦績は1勝2敗、つまりプロ3戦のボクサーでした。


それでも“El Nino Del Nocaut” (The Knockout Kid) の異名まで頂戴して、メキシコ中で戦いました。

メキシコ独立運動で活躍したホセ・マリア・モレーロスから付けられたミチョアカン州モレリア市での試合は、その地方最強のボクサーが相手で圧倒的不利と見られていましたが、大番狂わせの勝利を得ます。

この試合をゴンザレスがはっきり記憶しているのは、大番狂わせを起こしたからではありません。〝招かれざる客〟がリングに闖入したからです。

「誰かがリングにガラガラ蛇を投げ込んだんだよ」。ゴンザレスは笑って話しますが、猛毒を持つガラガラ蛇です、笑い事ではありません。

「ものすごい凶悪な顔した、大きなガラガラ蛇だった。私と対戦相手は慌ててロープ最上段に駆け上がったさ。レフェリーがデッキブラシで蛇を叩き殺して、試合再開、私が勝ったんだ。こんなことは、メキシコならではだね」。

そして、ついに1963年、米国進出を果たしました。会場のロスアンゼルス、オリンピック・オーディトリアムのリングには、その後17度も上がる、まさにホームとなります。

このリングは日本人にも馴染みが深く、海老原博幸や西城正三も拳を振るい、力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木までが熱戦を繰り広げました。

 

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嗚呼、オリンピック・オーディトリアム!かつて、日本を代表するボクサーやプロレスラーが躍動した、郷愁を誘われてしまう名前と建物です。


憧れの米国に足を踏み入れた直後に(違法入国でしたが)、前途洋々のはずの若きコンテンダーの人生が暗転します。

末期の肝臓癌と診断され、余命1年と宣告されたのです。

「絶望的」とは簡単に使われる言葉ですが、これは「的」ではありません。絶望、そのものでした。

19歳の新進気鋭のボクサーでなくとも、神様を呪うしかありませんでした。

ゴンザレスが、ティファナの母親宅に身を寄せていたある夜のことです。

敬虔なカトリック教徒だったゴンザレスは、夢の中でグアダルペの聖母が「私の教会に来なさい」と告げる声を聞きました(グアダルペはバチカンが公認する聖母出現譚の一つで、その宣教会はメキシコで多くの信徒を抱えています)。

ゴンザレスは鎮痛剤を打ち、母親に介助されながらなんとか教会まで辿り着きました。そして、そこで神の深い慈悲を感じるのです。

ゴンザレスは体の中に、すっと優しい光が通り過ぎたような感覚を覚えました。

信じられないことが起きました。

容体はみるみるうちに回復し、誰の助けも借りずに自分の足で歩いて家に帰ることが出来たのです。

検診に訪れたゴンザレスの体から末期癌は跡形もなく消えて無くなっており、医者は「ありえない、奇跡だ、これこそが奇跡だ!」と驚きました。

3年近い静養の後、ゴンザレスはリングに帰ってきますが、ブランクの影響は大きく、復帰初戦から無名のフェザー級ボビー・バルデスとの3連戦で2敗1分と低迷。

それでも1968年には、強豪レイ・アディグンを10ラウンドTKOに仕留めて調子を取り戻します。

1970年には大勝負の舞台に上がります。 オリンピック・オーディトリアムのリングで挑む相手は、なんとアントニオ・セルバンテス!のちの世界ジュニアウェルター級王者で、殿堂入りまで果たすグレートです。

「報酬は800ドルだった。会場に着くと、どいつもこいつも私を哀れみの目で見やがるんだ。可哀想に、こいつがセルバンテスにコテンパンに叩きのめされるんだ…そんな目でね」 

試合は意外な展開を見せます。なんと2ラウンドにはゴンザレスが、セルバンテスからボディでダウンを奪うのです! もちろん、キッド・アステカ直伝の左の肝臓打ちです!

「あのパンチで倒されてからセルバンテスは逃げ回りやがった。私がリードして試合が進んでいたのに、レフェリーは私が目をカットしたからと8ラウンドで試合を止めたんだ(セルバンテスのTKO勝ち)。勝利を盗まれた気分だったよ」。

ふて腐れて話すゴンザレスですが、彼には天性のユーモア、サービス精神があるのでしょう。大笑いしながら、こう付け加えることも忘れません。「観客はリングの上で何があったのか、どっちが勝ってたかを知っているからね。リング上の私にカネを投げてくれるんだ。その額はファイトマネーよりもずっと多かったんだぜ」。 

ゴンザレスは再び、連勝街道をひた走ります。超大物プロモーターのドン・チャージンをバックに控え、トレーナー兼マネージャーのジャッキー・マッコイと契約すると、一気に世界戦線に躍り出ました。

1972年にはメキシカン・キラーの強豪ジミー・ロバートソン(米国)を難なく判定で下し、世界タイトルに2度挑戦経験があるルーベン・ナバーロも撃破、ついにそのステージがセットアップされます。

1972年11月10日。WBC世界ライト級タイトルマッチ。王者は同じメキシコ出身のチャンゴ・カルモナ。オッズは1-3でゴンザレス不利。

それでもゴンザレスには、自信がありました。

「簡単な試合になるのはわかっていた。カルモナは押し込まれて下がる展開になると何も出来なくなって、左のガードがガラ空きになる。とにかく攻勢をかけた。カルモナは両手を下げてノーガードで下がることもあった、思い通りだったよ。私のキャリアで最も楽勝だったと同時に、最も大切な一戦だった。13ラウンドのゴングが鳴っても、カルモナはコーナーから出て来なかった。ついに、私は世界チャンピオンになったんだよ!」。

ゴンザレスはベルトを持って、メキシコに向かい、教会で聖母グアダルペに勝利を報告します。

「余命1年だった私の癌を完治させてくれてありがとうございます。この世界タイトルを聖母グアダルペに捧げます」。

新チャンピオンは、初防衛戦でナバーロをTKO、50勝(35KO)1敗1分と破竹の勢いの最強挑戦者アントニオ・プドゥーも10ラウンドTKOで切って落とします。

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PHOTO COURTESY OF THE WBC.

このとき、ゴンザレスの戦績は76勝(66KO)6敗1分。セルバンテスに負けてから、世界レベルの相手を蹴散らして、13連勝中でした。

それでもライト級最強と認められないゴンザレスは、統一戦を切望します。しかし、当時WBAのピースを持っていたのはロベルト・デュラン。

簡単に話がまとまる相手ではありません。これまでいくつも番狂わせを起こしてきたゴンザレスでも、のちにPFPキングとなるパナマ人と戦っていたら、勝ち目はなかったでしょう。

好戦的でクロスレンジの撃ち合いを得意とするゴンザレスでしたが、シュガー・レイ・レナードやマービン・ハグラーでさえインファイトを避けた石の拳の前では、オーダーメイドでした。

そして、デュラン戦よりも優先したのは、キャリア最高の報酬8万ドルが保障された日本での試合でした。為替レートが1ドル300円の時代です。8万ドルは、約2400万円、44年後の現在なら、約8000万円に相当します。

石松の戦績は26勝(14KO)11敗5分。前年にあのデュランと戦ってますが、ゴンザレスから見ると過去最高の報酬で過去最弱クラスの相手です。

「ペーパーストマック」と揶揄されるボディの弱い石松が8万ドルをぶら下げて日本で待ってくれているのです。ボディ打ちの名手にとって、これ以上に美味しい話はありません。

しかし、膨れ上がる油断は、ゴンザレスの体まで膨張させ、練習にも気が入りません。減量に失敗したゴンザレスは脱水状態で計量をなんとかパス。当日計量の時代、過度に疲弊した肉体が回復する時間はありません。

衰弱しきったゴンザレスは、王者のプライドだけを背負って(ルイス・ネリに爪の垢でも飲ませたい!)、大番狂わせに燃え上がる石松を迎え撃ちます。

早く試合を終わらせたいゴンザレスを焦らすように、石松は左ジャブを起点にカウンターを狙うクレバーなボクシングを見せます。

そして8ラウンド。ゴンザレスをロープ際に誘い込んだ石松は、狙いすました電光石火のワンツーを放ちます。前のめりにゆっくりと崩れ落ちたメキシコ人が10カウント以内に立ち上がれないのは、誰の目にも明らかでした。

しかし、レフェリーのカウントが異様に遅いのです。タイムキーパーのストップウオッチでは15秒もかかって、ゴンザレスはなんとか立ち上がりますが、再びダウン。レフェリーはスリップと判断したばかりか、倒れたゴンザレスの手をとって助け起こしたのです。

太平洋の遥か彼方、ロスザンゼルスの大物ドン・チャージンを忖度した、卑劣な行為でした。

米倉健司会長とエディ・タウンゼントが「あまりにも酷い!」と抗議と怒りのの声をあげ、エプロンサイドに乗り上がろうとしました。

しかし、ここで、まさか、まさかの冷静さを石松が見せます。

ダウンを奪ってニュートラルコーナーに下がっていた石松は、興奮している二人に気づき、リングに上がってきたら失格負けになると、自陣に駆け寄り叫びます。

「エディさん、黙って!大丈夫、オレ、あいつを殺すから。必ずぶっ倒すから黙っていて!」

1974年4月11日、日大講堂。この日は、日本に初めて世界ライト級のベルトがもたらされた記念日です。


……このままだと、石松話にハマりそうなので、ゴンザレス話に引き戻します。

再戦でも石松に敗れたゴンザレスは、81勝(71KO)7敗1分という素晴らしいレコードを残して引退しました。

ロドルフォ・ゴンザレスは、殿堂クラスのグレートではありませんでした。

しかし、2003年リング誌年鑑が特集した「100 Greatest Punchers of All Time」の一人にも、その名を刻んでいる、記憶に残るスラッガーです。日本のボクシングファンにとっても、忘れることのできない名前です。

強打のメキシカンも、今は73歳。奥さんのバーバラと、カリフォルニアで幸せな日々を送っています。

子供も4人、孫も6人、穏やかな余生を楽しむゴンザレスに先日、ハリウッドの映画会社が契約書を持って訪れました。

「あなたの人生を映画にさせて下さい」。

ゴンザレスは「聖母グアダルペに相談してからでないとサインはできない」と断りますが、そう笑いながらも契約書とペンを受け取ります。

「聖母グアダルペがNOと言うわけはないからな」。

🌸🌸🌸映画はいつクランクインなんでしょうか?ガッツ石松にも出演依頼が来てるなら嬉しいですね。日本公開が今から楽しみです。🌸🌸🌸
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まだ、横浜への引越し完了しておらず、宿泊先のホテルからJR四谷駅まで、桜並木の土手を歩きました。

ぐずついた曇天が続いていますが、 土手の桜は小さな蕾をしっかりつけています。

桜の季節には、土手もその下の歩道も、一面桜の花びらでびっしり敷き詰められ、ピンクの絨毯のような絶景になります。

レッドカーペットはセレブしか通れませんが、ピンクカーペットは誰でも歩けます。土手の上では花見酒まであおれちゃいます。

中央線に乗って高円寺まで。ちょっと遠出の散歩です。

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デンカランドさん。さすがです。

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀 プロボクサー山中慎介 衝撃 再戦の真実」を無限ループで再生しておりました。



新しい季節が始まります。



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With Ichiro headed back to Seattle, let's relive 8 of his best moments with the Mariners
イチロー がシアトルに帰る、彼がマリナーズで魅せた8つの最高の瞬間を見てみよう。

大リーグ公式HPが、この冒頭のヘッドラインで、イチローのシアトル・マリナーズ復帰を伝えました。健康診断も異常無し、今日、入団会見です。

平昌オリンピックでは4度も号外が出ましたが、この男はたった一人で11度も日本列島に号外をバラまきました。私の持ってるものだけなので、もしかしたら、もっと多いかもしれません。

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「日本史上最高のアスリートは誰か?」

こんなアンケートを全国で実施しても、結果はわかりきっています。

3割打てば一流と言われる世界で、7年連続首位打者、日本時代の平均打率3割5分。その傑出度はとにかく際立っていました。

野茂英雄が太平洋を渡ったとき、広岡達朗は「通用するわけがない。泣いて帰って来る。そのときに日本球界は野茂を受け入れてはならない」とバッサリ。

多くの専門家も「メジャーのポンコツやメジャーに上がれない下手くそが日本に来たらタイトルを獲る。そんなもん、通用するわけがない」と予想しました。

しかし、野茂とともにアマチュア時代に世界と戦った古田敦也は「ソウル五輪など世界大会で戦った選手がメジャーで活躍しているが、彼らは野茂を打てなかった。米国の選手はメジャーに行ってから急速に成長するなんて言われてるが、そんなわけがない。野茂は通用する」と、実際に戦った皮膚感覚から野茂の活躍を確信していました。

球界のレジェンドたちが軒並み否定的な見方をする中で、長嶋茂雄は「単純に面白い。力と力の勝負で野茂君は負けないんじゃないか。あの直球とフォークは大リーガーでも打つのは難しいでしょう」と喝破していました。

ずっと野球をやってきて、今なお野球ファンの私たちも「野茂が通用しなかったら日本野球の敗北」という危機感だけでなく、投手受難の日本の環境からも、日本の投手は通用するのでは、と期待する見方も少なくありませんでした。

箱庭球場に球足の速い人工芝、そして飛ぶボール。一時は使用されていた圧縮バットに、内野手の狭い守備範囲と弱肩。日本の投手は非常に厳しい環境でマウンドに上がっています。

メジャーのレベルが日本を凌駕しているのは誰も否定できませんが、日本の成績からのスケールダウンを投手は野手との比較ではより小さく抑えられるはずだ、と。

そうです、野手はその逆です。

アメリカに行くということは、箱庭球場と人工芝と、飛ぶボールと、守備範囲が狭い弱肩内野手という、打者有利の、日本で履いていた高いゲタを全て脱がなければならないということです。

松井稼頭央や西岡剛らは、この高下駄から転げ落ちてしまいました。

シアトルでチームメイトになる佐々木主浩も「みんな大騒ぎしてるけどアメリカの打者レベルはとんでもないから。イチローが2割8分打ったら物凄いことだと評価してほしい」と開幕前から訴えるほどでした。

NPBでの7年連続首位打者の続きが、MLBで8年まで伸びるなどと想像するのは、
向井万起男(MLB大好きの宇宙飛行士の向井千秋さんの夫です)くらいでした。 

もちろん、日本の宝、イチローはAサイドでシアトルに乗り込みました。開幕30試合はどんなに打てなくても、守れなくても「1番ライト」で使うという契約に苛立っていた当時のルー・ピネラ監督は、オープン戦が始まるとメディアに「(イチローという荷物を背負った私に)同情してくれ。引っ張った打球が打てない、引っ張れと伝えてくれ」と語ります。

その、ピネラの嫌味を伝え聞いたイチローは「まだ、その段階じゃない」と即答しました。

私たちは、彼の活躍を確信しました。

日本の老害的なレジェンドだけでなく、MLBの現役選手でもオークランド・アスレティックスのバリー・ジトは「イチローが首位打者を取れるか?ありえない。そんなすごい打者がどうして今までMLBに来なかったんだ?首位打者どころか3割も絶対に打てない」と斬って捨て「もし3割打ったら裸になってグランドを走ってやる」とまで言いました。

シーズンが始まると、ピネラは「イチローは日本からもらった宝物だ。史上最高のトップバッターの一人だ」と手の平を返し、ジトはオールスター前に「イチローに脱帽する。どうしてそんな才能が今までメジャーに来なかったのか、それが不思議だ」と潔く前言を撤回しました。

イチローを応援していた一人として、2001年は痛快な年でした。 低脳な私たちは「ピネラのボケ、30試合過ぎたら使わないってゆうてたな、使うなよ」「ジト、いつ裸になんねん」と衛星放送の画面にふざけて毒づいてました。

 話がずれますが、打撃では「軸」「ポイント」「壁」なんて言葉を使って指導することがよくあります。私たちもそういう教育を受けました。この3つは言ってることは一緒なんです。

体の軸がぶれないように回転する。一定のポイントでしっかりボールをとらえる。その軸とポイントが出来ていれば、ボールを打つ壁が確固として出来上がる。 

江藤智は、軸のぶれないコマのように、芸術的に美しく回転しました。前田智徳の揺るぎないポイントと壁は、まさに天才の境地でした。

イチローがスポーツニュースの短い一場面で、バッティング技術について聞かれているのを後輩たちの合宿所で、夕食を取りながら観ていたことがありました。

食堂のテレビです。食事中です。みんな、「練習きついなあ、寝たらまた朝があっという間に来てまた厳しい練習…」と、テレビに集中してるわけじゃなく、何とはなしに見てる、そんな感じです。 

しかし、イチローが語った言葉に、誰もが凍りつきました。

「軸は大事ですよ、ただ軸はぶれてもいいんです」「ポイントも一定じゃなくていい、いろんなポイントがあるんです」「壁は動きます、いつも同じじゃない」

ぶれたら、それは軸とは言いません。一定じゃないならポイントなんて言葉は使いません。壁はそこで動かないから壁なんです、動いたらそれは壁じゃありません。 

でも、イチローが正解です。その通りなんです。陸上競技でも理想のフォームなんて存在しないのに、ましてや対戦相手との勝負である野球においては「崩されるのが当たり前」です。

崩された時には壁も軸も動かされます、ポイントも変わります。そこでもしっかり打てるかどうか。

投手にとって、普通の打者は崩せば勝ちです。イチローは崩されても打つんです。崩された中でもポイントや壁を持っているんです。


中途半端ですみません、冒頭の話からしようとしたのですが、8つのシーンの一つも書けないままで、また続きます。イチロー話はやばいです。

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平昌オリンピック、トップスポーツの感動は、アスリートが全力を尽くして競技する躍動そのものがら引き起こされる…と言いたいところですが「金メダル=世界一」を目指す、その美しく残酷なサバイバルから、湧き上がるものです。

「誰が一番強いのか」。それが決定することに、覇権を争ったあとに、勝者と敗者が生まれることにエクスタシーを覚えるのです。

その覇権を、夏と冬、多彩な種目にわたって4年に一度、国旗を背負って戦うイベントが面白くないわけがありません。

羽生結弦は幸せです。小平奈緒は幸せです。高木菜那は幸せです。

彼らが、金メダルを勝ち取ったからではありません。

正真正銘の、世界一を決める舞台が、毎年ワールドカップ戦があって、4年に一度は五輪まであるからです。

目の前の勝負に、全身全霊を捧げて戦えば、勝ち続ければ、その先に必ず世界最強決定戦の舞台が用意されているのですから。

五輪で勝てば、ニュース速報が流れ、翌朝には号外が配られます。

総理大臣が、直々に電話をかけて祝辞を語ります(これはあんまり要りませんが)。

プロボクサーは、どうしたら、そのステイタスに辿り着けるのでしょうか?

もっと正確に言えば、「〝今の〟プロボクサー」は、どうしたら、そこまで認められるのでしょうか?

ロンドン五輪で金メダルを獲った村田諒太は、なるほど特別待遇です。アマチュアボクシングでミドルで金です。素晴らしいとしか表現できません。自分が学生の頃には「日本人がミドルで五輪金メダルを取る」なんて、漫画でも考えられませんでした。

日本はおろか、もし、村田が米国人なら「(ボクシング凋落著しいがゆえに〝最後の金メダリスト〟と痛切に語られる)アンドレ・ウォード以来の金メダル」として、日本以上の鋼鉄製の温室で純粋培養されたでしょう。

しかし、プロボクシングの世界王者は、今や完全にマイナースポーツ扱いです。日本人で初めてリング誌の年間PFPに入った井上尚弥ですら、視聴率は10%にも届かず、その知名度は純粋想起だと20%も怪しいでしょう。
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1980年から38年にわたって専門家投票でランキングされてきた「BEST FIGHTER POLL」。日本人がランキングされるのは、初の快挙ですが…。


日本人のプロボクサー、世界チャンピオンが、一般のスポーツファンにも認められていない現状は、何故なのでしょうか?

かつて、具志堅用高は国民栄誉賞の議題にあがりました。創設された1977年以前に、この賞が存在していれば、白井義男とファイティング原田は、他のスポーツのトップ選手を差し置いて、間違いなく受賞していたでしょう。

マニー・パッキャオやシーサケット・ソールンビサイは、ビッグファイトに勝利を収めたことで国民的英雄に登り詰めました。

パッキャオは例外としても、シーサケットは「115ポンドの(壁にぶち当たった)ローマン・ゴンザレスに2連勝、ファン・フランシスコ・エストラーダとの激戦に勝利」して、タイ最高のアスリートとなりました。偉業ですが、フライ級までがプライムタイムだったロマゴンやエストラーダに勝つのは、井上でも絶対不可能だったとは思えません。

もちろん、クロスレンジでは危うさしか感じられない井上がロマゴンやエストラーダに、「え?」というパンチで沈められる可能性も十分ありますが。

もし、シーサケットと同じことを井上がやっても、首相官邸に招かれたり、天皇陛下が空港に出迎えるかとなると、甚だ疑問というか、ありえません。

それは、フィリピンやタイよりも日本が国家として成熟、老成しているからなのでしょうか?あるいは、ボクシングの世界王者の地位が不審で怪しい存在に失墜してしまったからなのでしょうか?それとも、その両方でしょうか?

プロボクシングの世界王者が誕生して、ニュース速報が流れたり、号外が配られることは、何があってもありえないのでしょうか?

もし、それが、ありえるとしたら、どういうケースなのでしょうか?

ボクサー本人もわかっています。「自分たちは世界一じゃない」と。

ボクサー個人には、なんの責任もないのに、日本人は世界王者になっても、何度防衛しても、彼らは満たされない思いに懊悩させられるのです。

全ては、ボクシングの仕組みが悪いのです。日本も、世界も。

この醜悪なボクシングの仕組み、日本と世界の唾棄すべき〝奴らのやり方〟に、自分たちなりの答えを求めて闘った二人のボクサーの物語です。

本来、ボクサーが戦うのは目の前の敵だけです。仕組みだとか、システムは考えなくても、勝ち続けていれば、おのずと強敵が現れる、世界最強決定戦の舞台に辿り着く…はずです。しかし、日本人世界王者の場合は、ほとんど全ての場合、次から次へとその実力が極めて怪しい雑魚挑戦者が雨後の筍のように押し寄せてくるのです。

内山高志はジュニアフェザー最強と評価されながら、自分を無視してこの階級を踏み台にしていくビッグネームの背中を何度も見送りました。

山中慎介は、のちに100万ドルファイターになるレオ・サンタクルスとの対戦を熱望しましたが、交渉は全く進展しませんでした。

五輪で活躍する日本人、メジャーリーグで活躍する日本人、欧州サッカーで活躍する日本人。彼らと同列に立つことは、村田のように五輪で金でも取らない限り、プロボクシングでは無理なのでしょうか?
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デオンティ・ワイルダーとアンソニー・ジョシュア。

二人がともに今月の防衛戦をクリアしたら、試合成立に向けて交渉が一気に進むーそう期待されていますが、多分、難しいですね。

今回の報酬がワイルダーが210万ドル、オルティスが50万ドル。1000万ドルファイターのジョシュアに、50−50の分け前を固執するようなら、交渉決裂です。

エディ・ハーンから「ロンドンでディラン・ホワイトと防衛戦」のオファーを300万ドルで提示されたワイルダーは「英国でやるなら700万ドル出せ」と拒否しましたが、米国でオルティスとやって結局30%オフです。

「ジョシュアは米国に行くのを恐れている」とほざいてますが、米国は安いから行かないだけです。

米国のボクシング人気凋落と、英国の大いなる勃興、これは揺るがしようもありません。ヘビー級の本場は英国なんです。

ただ、ワイルダーがホワイトよりも格段に強いオルティスを選んだのは評価できます。


さて、ワイルダーvsオルティスのアンダーカードから。

 セルゲイ・デレビャンチェンコ
     6回終了TKO
  ダショーン・ジョンソン


ミドル級で村田諒太以上の評価を得ている強豪の一人、デレビャンチェンコが22勝22敗3分のジョンソンを圧倒、無敗のレコード(12勝10KO)を伸ばしました。

「ゴロフキンでもカネロでも、チャーロでもいい。ベルトをかけて戦いたい。みんな私から逃げやがって。もう待つのに疲れた」。

まぁ、GGGでもカネロでもサンダースでも村田でも、地位のあるボクサーは誰一人、不人気で強いウクライナ人とは戦いたくありません。勝っても得るものが少なく、負けたら全てを失います。可哀想ですが、ビジネスです。

そもそもWBAではランキングされてませんから、村田の名前を出さなかったようですが、アルファベット団体のランキングを見ると本当に笑っちゃいます。デレビャンチェンコをランクしないでエマヌエル・ブランダムラやアルフォンソ・ブランコみたいな、世界的には何もしていないし、戦いぶりもひ弱なボクサーを世界ランカーに数えるなんて。

しかし、このウクライナ人は強いですね。誰に取っても危険な相手です。村田が選べば、WBAもランキング上位に入れるでしょう。

今日の試合、村田も見たはずですが、彼の目にはどう映ったのでしょうか。

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🍀WBC世界ヘビー級タイトルマッチ🍀 
王者デオンティ・ワイルダー:39戦全勝(38KO)
         vs
WBA暫定王者ルイス・オルティス:28戦全勝(18KO)

バークレイズセンターは、1万4069人の観客で埋まっています。ボクシングの興行としては1年前のキース・サーマンvsダニー・ガルシア戦に次ぐ数字です。

🔔第1R🔔ワイルダーはやりにくそう。もっと左ジャブを使わなければ…わかってても出せない。オルティス10−9。

🔔第2R🔔オルティスがプレッシャーをかけている。ワイルダーは慎重。オルティス10−9。

🔔第3R🔔ワイルダーはますます慎重に。客席からブーイング。10−10、イーブン。

🔔第4R🔔 オルティスが前に出て、ワイルダー下がる。10−9、オルティス。

🔔第5R🔔 重たいオルティスの方が、軽快なフットワークでリズムを作る。しかし、終了間際にワイルダーが右ショートでダウンを奪う!10−8、ワイルダー。

🔔第6R🔔試合が動く。両者の距離が詰まる。強いパンチの交換が始まる。オフィシャルは前のラウンドのイメージを引きずりそう。10−9でワイルダー。
 
🔔第7R🔔 ものすごいラウンド。先に当てたのはワイルダー。しかしキューバ人猛逆襲。ワイルダーはダウン寸前。10−8、オルティス。

🔔第8R🔔ワイルダーのダメージ、残ってる。オルティス10−9。

🔔第9R🔔 ワイルダー、回復しつつある。10−9、ワイルダー。両者、疲れてる。

🔔第10R🔔 ジス・イズ・ヘビー級です。ワイルダーの拳にいつものフルスィングが帰ってきました。ワイルダーTKO。
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ワイルダーは強いですね。スティバーンとの初戦でも見せたように、適応力があります。いい試合でした。 素晴らしい試合でした。
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