Breez is Nice!

日本ボクシングコミッション(JBC)は3月9日、ルイス・ネリに対して「階級制を前提としたボクシングに対する社会的信用を著しく毀損する行為」と非難、活動停止処分を決定したと発表しました。

「無期限ではなく永久」ということですから、〝無期懲役〟ではなく〝死刑〟だということです。

WBCもネリを無期限資格停止処分としています。JBCは「WBA、WBO、IBFの各団体にも今回の決定内容を通知し、処分の徹底を図る」「再発防止策として体重超過に対する罰則規定を早期に定める」と今後の取り組み方針を明らかにしています。

再発防止案には、罰金や罰則の厳格化は当然として、かつて行われていたグローブハンデの再導入も考えるべきかもしれません。グローブハンデは「目には目を」という報復的な罰則なため、個人的には反対ですが。

「ネリ事件」が契機になって、来日するボクサーの意識が高まる効果は十分期待できます…が、しかし。

今回の措置はあくまで「JBCが管轄する日本国内での試合」に限定されます。また、世界的に見てもWBCは統轄団体ではなく、承認団体に過ぎないのでネリの資格停止は「WBC承認の試合」限定です。

今回の決定はネリの「ライセンス完全剥奪」ではないのです。JBCが日本限定でなく、世界を統轄する団体なら、ネリのボクシング生命は〝死刑〟に処されたのですが、そうではないのです。

かつて、アントニオ・マルガリートはバンテージに乾くと固まるセメント状の液体を染み込ませた罰則としてネバダ州などでライセンス停止処分を受けました。しかし、母国メキシコや、米国の一部の州ではライセンスが発行され、そこで試合をしていました。

辰吉丈一郎も眼疾患によってJBCのライセンスを停止されましたが、米国やタイで試合を行いました。

何故、こんなことが起きるのか?

世界的な統轄団体が存在しないからです。

FIFAやIOCから追放処分を受けた選手は、ワールドカップにも五輪にも、それに準じる大会にも出場できません。世界から隔絶された、FIFAやIOCに反抗しても差し支えのない国のライセンスは発行されるでしょうが、そこで戦っても名誉も報酬も何も得ることは出来ません。

しかし、プロボクシングは違うのです。

統轄団体が存在しない上に、承認団体が「主要」と呼ばれるだけで4つもあるのです。それに危機感を覚えたリング誌は、Lineral Championを明確にしようとチャンピオン制度を復活させましたが、リング誌ももちろん統括団体ではありえません。

統轄団体が無い、タイトルマッチの承認料だけが目当ての腐敗が必然の承認団体だけが乱立する環境で、選手に自己管理の徹底を求めるのには限界があります。

ビッグファイトなどで体重オーバーに1ポンド10万ドルなどの罰金が契約に含まれるのは、それが想定内だからです。

そして、フロイド・メイウェザーのように確信犯で罰金を払うボクサーも珍しくありません。

私たちファンも「フリオ・セサール・チャベスJr.は罰金覚悟で体重オーバーしてくるだろう。それが何ポンドなのかに注目」と当たり前だと見てしまっているのです。

今日、WBO世界フェザー級戦のリングに上がるスコット・クイグは、前日計量で126ポンドのリミットに対して2.8ポンドオーバー。試合を統括するカリフォルニア州のコミッションは「2ポンド以上オーバーした選手には再計量のチャンスを与えない」というルールを執行、クイグは挑戦資格を秤の上で失いました。

このカリフォルニアルールの理由は「すでに過酷な減量で衰弱した選手がさらに2ポンド以上も削ることは重大な健康被害を招くから」です。しかし、体重超過した選手の健康を守る一方で、対戦相手の安全はどうなるのでしょうか?加害者を保護して、被害者を危険に晒すのは本末転倒ではありませんか?

さらに先日、カネロ・アルバレスの検体が、禁止薬物クレンブテロルの陽性反応を示したとVADAから発表されました。これは、ネリのジルパテロルと同じく筋肉増強の効果があります。
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RING.tvのインタビューに答える〝ドーピング・グル(ドーピングの導師)〟ビクター・コンテ。スポーツ界を混乱のどん底に突き落とした犯罪者にもセカンドチャンスが与えられる、それもまたアメリカです。サプリメント会社を経営するコンテは「クレンブテロルというと訳がわからないかもしれないが、アナボリック・ステロイドと大きな差は無い。同じ練習でもより筋肉が付き、スピードもパワーも上がる、そして疲れにくくなる。カネロが享受する効果は明らかだ」と断言しています。


メキシコの食肉用家畜には肉質向上のために飼料に混ぜて投与されるのが一般的といいますが、WBCの「故意とは認められないからシロ」という血迷った判断は許されるべきではありません。

「報酬が少ない貧困なネリが十分なドーピング対策を講じられなかったのは仕方がないが、カネロは違う。知識も対策のための費用も十分に持ち合わせているのに、故意ではないなんてありえない」と、再戦相手のゲンナディ・ゴロフキン側が憤慨していますが、その理屈も全く狂っています。

ネリは貧乏で無名の小物だからOK、カネロは億万長者の大物スターだからNGなんて問題じゃありません。

貧乏人も金持ちも、小物も大物も、同じ条件で公正平等に、正々堂々と戦うからスポーツなんです。そうでなければ、スポーツではありません。

カネロとクイグだけではありません。3月3日にデオンティ・ワイルダーに敗れたルイス・オルテォスも何度もドーピング検査で陽性反応を示しましたが「持病の高血圧の薬」という主張が認められてしまいます。

来月、ジェシー・バルガスとのサバイバルマッチに挑むエイドリアン・ブローナーは体重超過の常習犯です。

先月、世界王者に就いたレイムンド・ベルトランは、2015年の粟生隆寛との世界戦で体重超過と違反薬物、二重の罪を犯しました。

体重超過と薬物違反を犯したボクサーなんて、掃いて捨てるほどいます。むしろ、トップボクサーでこの二つを一度も犯していない方が圧倒的少数派です。プロボクシングの世界では大きなペナルティがないからです。大きなペナルティを下せる世界的なパワーハウス、統括団体がないからです。

男子100メートルのジャスティン・ガトリンが薬物違反で下された最初の罰則は「最長8年間の資格停止」でした(その後4年に短縮)。

バリー・ボンズやロジャー・クレメンス、サミー・ソーサらMLBを代表するスーパースター達は、薬物違反を犯したという一点において殿堂入りを拒まれ続けています。

対して、ボクシングの罰則はなんと大甘でしょう。対戦相手の急所を攻撃する危険なスポーツだからこそ、本来ならあらゆるスポーツの中でも最も厳格でなければならないのに。

ネリは、日本とWBCのタイトル戦には出場できないと言うだけです。軽量級の不人気選手にとって日本市場から追放されるのは痛恨ですが、他では明日にでも戦えるのです。局地的な制裁処置に過ぎません。

そして、薬物違反を犯したエリック・モラレスは今年一発殿堂入りです。ロイ・ジョーンズもシェーン・モズリーも一発殿堂を果たすでしょう。

ベルトランは、世界王者となってグリーンカード(米国永住権)を獲得、今や「ドリーマー(移民)の星」です。

何度も繰り返します。諸悪の根源は、このスポーツに世界を統轄する団体が存在しないことにあります。ネリという小悪人を処分して終わり、という問題ではありません。

ネリはトカゲの尻尾ですらないのです。ネリを憎んでも仕方がありません。ネリは、統轄団体を持たないがゆえに暴走する醜いオオトカゲが排泄した糞尿の飛沫の一つでしかありません。

ボクシングは、相手の急所を狙って拳を撃ち合う危険極まりないスポーツです。そこで違反薬物や階級制の公平性を無視することは、対戦相手を不当な危険に晒すということです。他のスポーツにも増して、許されざる行為であるべきなのですが。

全ては、世界的な統轄団体がないからです。

しかし…それはもしかしたら、表向きの理由で、本当の理由は別のところにあるのかもしれません。


「公明正大なルールで行われるべきスポーツへの挑戦行為である、この試合は絶対に行ってはいけない。階級制のスポーツであるボクシングの根幹を否定するこの試合の中止を命じる」。

これは2008年に、フィリピン国会が自国の英雄を守るために議決した試合中止命令です。もちろん、アジアの弱小国の議決法案など、ラスベガスのリングには何の効力も持ちません。試合は挙行されました。

そして、その試合を当のフィリピンまで含む世界中のボクシングファンが熱狂的に楽しみました。

もし、あのメガファイトで小さなフィリピン人が打ち倒されて、深刻な健康被害を蒙っていたら、あの試合はボクシングの歴史に大きな汚点を残し、極端な階級制覇を禁止するルール作りの端緒となっていたかもしれません。

もし、3月1日、あの両国国技館の勝者と敗者、試合内容が逆だったなら、ネリへの風当たりはここまで強くなかったかもしれません。

しかし、これは、そういう問題では、断じてありません。

もしかしたら醜いオオトカゲの正体は、世界統轄団体を持たないプロボクシング界でも、腐敗承認団体でもないのかもしれません。

「マニー・パッキャオなら何かをしでかすぞ」「卑怯者のネリを神の拳で叩きのめしてくれ」……。



醜いオオトカゲの本当の正体は、私たちファンなのかもしれません。
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第二回ワールド・ベースボール・クラシック。

トーナメント形式のお粗末さから、決勝で戦う韓国とは予選ですでに4度も当たっていました(日本の2勝2敗)。

決勝までの8試合、イチローの打率は、あろうことか2割1分1厘。

1次ラウンド初戦、中国戦が終わったときには「あのレベルの投手を打つことは想定したことがなかった」と、珍しく戸惑いを隠せませんでした。

それでも、イチローを先発から外すことは、原辰徳監督も、ファンも全く考えていませんでした。打率2割でも彼が日本最高の打者であることに、誰一人としてこれっぽっちも疑っていなかったからです。

宿敵、韓国との決勝はもつれにもつれます。

3−2。1点リードで9回裏、最後の守り。抑えのダルビッシュが乱れます。あのダルビッシュが腕を振りきれていません、四球を重ねヒットを打たれて同点に追いつかれてしまいます。

ものすごく嫌なムードが漂います。10回表、2アウトながら、一、三塁にランナーを置いて打席にはイチロー。イチローが打たなければ、10回裏にサヨナラを喰らう、そういう流れが、そういうニオイが誰にでも嗅げる展開でした。

この試合まで、イチローの得点圏打率は驚きの1割5分4厘。

それでも、日本中の野球ファンは至上の幸せを感じていました。決定的な最後の場面をイチローに託すことが出来たのです。

打てなくても納得です。日本史上最高の打者が打ち取られたのだったら、それは日本の負けです。文句ありません。

最後に託したのがイチローだったから、だからこそ、あんなギリギリの場面でも、ファンは泰然自若の心境で見ることが出来ました。

「最後のバッターがイチローだったら日本代表が勝ってたかもしれない」。そんな往生際の悪いこと言って悶々とする必要がないわけですから。

イチローが抑えられたら仕方がない。そんなふうに納得出来る選手がいるチームを応援できるファンは、本当に幸せです。しかも、最後の場面をその選手に託せるなんて、なんという幸運でしょうか。もうその時点で十分です。

心配なことは、敬遠する塁が一つ空いていることでした。

しかし、予選ラウンドの対戦前に「向こう30年、日本には手を出せないと思わせたい」とイチローが発言したことで、韓国は国を挙げて猛反発、監督は敬遠を支持したものの、投手コーチがサインをイム・チャンヨンに伝えなかったというチグハグな采配も、日本には幸運でした。

考えてみると「野球を始めてから最悪の絶不調」に「30年発言」から、最後の打席まで、第二回WBCという大会は、イチローがマッチポンプでデザインしたと言っても良いのかもしれません。
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イチローがゆく道は、どんな道でも坂道に見えてしまいます。= Number 創刊30周年特別編集号「プロ野球人間交差点2010」=

スポーツの指導において、個性は最も大切な宝物です。

一方で「理想のフォーム」なるものが存在するように指導する人もいました。

例えば、陸上競技では「腕をしっかり振って走れ」「頭を動かさずに走れ」と教えられます。腕を振らないと体全体を使った走りが出来ません。頭を動かすとバランスとリズムが崩れて、体力もロスしてしまいます。

しかし、これは教え方としては逆なんです。「体全体を使って走れ」「バランスとリズム良く走れ」が最優先なんです。

つまり、「体全体を使って走れているのなら」高橋尚子のように腕の振りが小さくても問題ないのです。「バランスとリズムが良ければ」ポーラ・ラドクリフのように頭を前後に揺らして走っても問題無いのです。

イチローは成功体験を全く信じていません。毎年、目に見えるモデルチェンジを繰り返し、試合でも打席でも、一球ごとでも、バッティングを変えて挑んできます。

「今日成功した指し方は、明日には悪手になる」。羽生善治がそんなことを語っていましたが、その通りです。相手は研究してきますから。

マイク・タイソンや清原和博は、スランプに苦しむと無敵時代、高校時代のビデオを見返したそうです。そこに映ってるタイソンと清原は、確かに大きな成功を収めていますが、そこは絶対に帰ってはいけない場所です。そこに、映っている自分は研究され、丸裸にされ、崩され、それゆえにスランプに陥っているのですから。

かつて、工藤公康が「プロの一流の打者は、打ち取られたボールを次のシーズンでは見事に打ち返してくる。超一流は、シーズン中にアジャストしてくる。イチローは1試合の中で対応してきた」「一流の打者は綺麗なヒットを打って涼しい顔で一塁に走ることを目指すようになるが、イチローは何度首位打者を獲っても、ボテボテのゴロを転がしたらがむしゃらに走って一塁に駆け込む。私との競争になって、『セーフ!』と唸って一塁に駆け込んだイチローの形相をみたとき、この選手は別格だとわかった」と感心していました。

陸上競技のようなタイムスポーツでも、直接対戦する相手はいませんが、レース展開や気温、路面状況、自分の年齢やコンディション、無限の要素でフォームやメカニクスは微調整していかなければなりません。

当たり前ですが、常識や旧習に囚われない考え方は、不協和音も起こします。

シアトル・マリナーズのユニフォームに袖を通してから間もなく、「イチローは自分勝手だ」と複数のチームメイトとの間に軋轢が生じていると報じられました。

その、チーム内の不満が爆発寸前になった2012年シーズン途中でイチローはニューヨーク・ヤンキースへ移籍します。

2002年にオークランド・アスレティックスが「セイバーメトリクス」を駆使して、年俸総額でニューヨーク・ヤンキースの3分の1程度のプアな選手団がMLB全球団で最高勝率を記録しましたが、この統計学をベースにした戦略は、イチローがマリナーズに入団した2001年には各球団に浸透していました。

打率の割に出塁率が低く、ときにボール球にも手を出すイチローのスタイルは、この考え方に最も遠いものでした。

「もっと四球を増やしてチームに貢献できるのに、イチローはそうしないでボール球に手を出す。自分勝手だ」。チームメイトの言い分はある意味、もっともです。

ただ、これは哲学の違いです。フォアボールを狙う、打率・確率を優先する野球は消極的で、ときに選手を押し潰してしまいます。日本ではイチロー以前は「シーズン終盤に小細工(試合に出ない)をしないで首位打者」は非常に珍しい存在でした。

打率でリードすると欠場し、自分の打率をキープする。ライバルが打てなくて安全圏の差が出来たり、ライバルが打ちまくって逆転されたら出場…なんとも醜い争いが繰り広げられて来ました。しかし、イチローの登場で、「下がる可能性がある」打率よりも、「積み重ねていく」安打数を意識して、戦う姿勢を見せる首位打者も増えてきました。

「下がる可能性がある」打率を意識してしまうと、失敗を恐れてしまいバッターボックスに攻撃的な姿勢で入ることができません。これは、明らかにマイナスですが、選手の心理が攻撃的かどうかはセイバーメトリクスみたいな薄っぺらいクソ統計学では測ることは出来ません。

「打てないと減る」打率と、「打てば増える」安打数。戦わなくてはならなアスリートが、どちらに重きをおくべきかは明らかです。

それは、さておき、エゴの塊のようなメジャーリーガーが「自分勝手だ」とクレームをつけるイチローの姿は、逆にとんでもなく頼もしく映りました。

イチロー最大の偉業(今のところ)は、2004年に打ち立てたMLBシーズン最多安打記録でしょう。

ジョージ・シスラーの257安打を、最終的には262安打まで数字を伸ばしました。

シーズン終盤になると、イチローの成績に日本中が一喜一憂。

残りのヒット数が1試合1本ペースを切ると「これでもう大丈夫!」と安心するメディアやファンでしたが、当のイチローからは「ヒットを打つのは大変な作業。まだまだ先は見えない、厳しいです」と悲観的なコメントしか聞けませんでした。

ノーヒットに終わって残りヒット数が試合数を上回ると「1試合に1本以上のペースで打たないと記録に並べない。これは厳しくなりましたね」と沈痛に聞くメディアに「200安打だってもともと試合数を大きく上回った難しい数字です。残り試合数がゼロになったら諦めるけど、そうじゃない、まだまだチャンスはありますから」と一転して楽観的に話していました。

そして、その翌日に5安打を固め打ったりすると、また私たちは「これでもう大丈夫!」、イチローは「難しい」。

まさに塞翁が馬。賢者と俗衆のやり取りでした。

そして、2009年、第二回ワールド・ベースボール・クラシック。野球ファンの幸せを堪能させてくれたのは、やはりイチローでした。
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現地時間3月8日付リング誌電子版からです。

日本人に馴染みの深い外国人ボクサーがしっかり取り上げられると嬉しいものです。

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1974年4月11日、日大講堂。ガッツ石松が大番狂わせでロドルフォ・ゴンザレスを破り、WBC世界ライト級王座を奪取しました。

当時、私はまだ小学生低学年で、ボクシングファンでもなんでもなく、野球も陸上競技にもはまる前のことで、この試合は見ていませんし、そもそもガッツ石松を知ったのはあの聡明なパンチャーが引退した後のことでした。

今夜のお話は、石松ではなく、その拳に2度も沈められたメキシコ人が主役です。

しかし、YouTubeは素晴らしいです。44年前の試合の動画を見ながら、ゴンザレスの物語を読めるなんて。
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ロドルフォ・ゴンザレスは、日本のボクシングファンにとって、ライト級という高貴な階級のベルトを日本にもたらしてくれた忘れることのできない名前です。

しかし、世界的には印象の薄い、無名の日本人に躓いたライト級王者です…..。ところが、です。

なんと、ハリウッドでその生涯を映画化する作業が始まっているというのです。何も調べてないので、配役や公開予定日は不明ですが、このゴンザレスの生き様は、それほどまでにドラマティックだったのです。

♠️ゴンザレスは1944年12月16日、メキシコ・グアダラハラ南部の小さな町で、9人兄弟の次男として生まれます。

幼い時からボクシングに興味を示したゴンザレスは、幸運にも元世界バンタム級王者の従兄弟がいました。ホセ・ベセラです。世界王者からボクシングのABCを叩き込まれたゴンザレスは、あっという間に上達していきました。
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ベセラはリング誌の「メキシコバンタム級歴代10傑」でも9位にランクされる名王者でした。

その後、メキシコの伝説的ボクサー、キッド・アステカからも、必殺の左のレバーブローも伝授されました。

アマチュアでの試合経験はなかったものの、1959年14歳の時にプロデビュー。1ラウンドKOと上々の船出を果たします。その後もKOの山を築き、52連勝、KO勝ちは50を数えました。

※BoxRecによるとデビューからの連勝は36と、「物語」ではサバを読んだ感じですが、それでも36勝中KOは35、凄まじい戦績です。ただし、36勝目の相手はプロデビュー戦。37連勝を止められた相手はホセ・ルイス・カスティージョ(メイウェザーを最も苦しめたあのカスティージョと同姓同名ですが無関係)で、ゴンザレスと戦うまでの戦績は1勝2敗、つまりプロ3戦のボクサーでした。


それでも“El Nino Del Nocaut” (The Knockout Kid) の異名まで頂戴して、メキシコ中で戦いました。

メキシコ独立運動で活躍したホセ・マリア・モレーロスから付けられたミチョアカン州モレリア市での試合は、その地方最強のボクサーが相手で圧倒的不利と見られていましたが、大番狂わせの勝利を得ます。

この試合をゴンザレスがはっきり記憶しているのは、大番狂わせを起こしたからではありません。〝招かれざる客〟がリングに闖入したからです。

「誰かがリングにガラガラ蛇を投げ込んだんだよ」。ゴンザレスは笑って話しますが、猛毒を持つガラガラ蛇です、笑い事ではありません。

「ものすごい凶悪な顔した、大きなガラガラ蛇だった。私と対戦相手は慌ててロープ最上段に駆け上がったさ。レフェリーがデッキブラシで蛇を叩き殺して、試合再開、私が勝ったんだ。こんなことは、メキシコならではだね」。

そして、ついに1963年、米国進出を果たしました。会場のロスアンゼルス、オリンピック・オーディトリアムのリングには、その後17度も上がる、まさにホームとなります。

このリングは日本人にも馴染みが深く、海老原博幸や西城正三も拳を振るい、力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木までが熱戦を繰り広げました。

 

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嗚呼、オリンピック・オーディトリアム!かつて、日本を代表するボクサーやプロレスラーが躍動した、郷愁を誘われてしまう名前と建物です。


憧れの米国に足を踏み入れた直後に(違法入国でしたが)、前途洋々のはずの若きコンテンダーの人生が暗転します。

末期の肝臓癌と診断され、余命1年と宣告されたのです。

「絶望的」とは簡単に使われる言葉ですが、これは「的」ではありません。絶望、そのものでした。

19歳の新進気鋭のボクサーでなくとも、神様を呪うしかありませんでした。

ゴンザレスが、ティファナの母親宅に身を寄せていたある夜のことです。

敬虔なカトリック教徒だったゴンザレスは、夢の中でグアダルペの聖母が「私の教会に来なさい」と告げる声を聞きました(グアダルペはバチカンが公認する聖母出現譚の一つで、その宣教会はメキシコで多くの信徒を抱えています)。

ゴンザレスは鎮痛剤を打ち、母親に介助されながらなんとか教会まで辿り着きました。そして、そこで神の深い慈悲を感じるのです。

ゴンザレスは体の中に、すっと優しい光が通り過ぎたような感覚を覚えました。

信じられないことが起きました。

容体はみるみるうちに回復し、誰の助けも借りずに自分の足で歩いて家に帰ることが出来たのです。

検診に訪れたゴンザレスの体から末期癌は跡形もなく消えて無くなっており、医者は「ありえない、奇跡だ、これこそが奇跡だ!」と驚きました。

3年近い静養の後、ゴンザレスはリングに帰ってきますが、ブランクの影響は大きく、復帰初戦から無名のフェザー級ボビー・バルデスとの3連戦で2敗1分と低迷。

それでも1968年には、強豪レイ・アディグンを10ラウンドTKOに仕留めて調子を取り戻します。

1970年には大勝負の舞台に上がります。 オリンピック・オーディトリアムのリングで挑む相手は、なんとアントニオ・セルバンテス!のちの世界ジュニアウェルター級王者で、殿堂入りまで果たすグレートです。

「報酬は800ドルだった。会場に着くと、どいつもこいつも私を哀れみの目で見やがるんだ。可哀想に、こいつがセルバンテスにコテンパンに叩きのめされるんだ…そんな目でね」 

試合は意外な展開を見せます。なんと2ラウンドにはゴンザレスが、セルバンテスからボディでダウンを奪うのです! もちろん、キッド・アステカ直伝の左の肝臓打ちです!

「あのパンチで倒されてからセルバンテスは逃げ回りやがった。私がリードして試合が進んでいたのに、レフェリーは私が目をカットしたからと8ラウンドで試合を止めたんだ(セルバンテスのTKO勝ち)。勝利を盗まれた気分だったよ」。

ふて腐れて話すゴンザレスですが、彼には天性のユーモア、サービス精神があるのでしょう。大笑いしながら、こう付け加えることも忘れません。「観客はリングの上で何があったのか、どっちが勝ってたかを知っているからね。リング上の私にカネを投げてくれるんだ。その額はファイトマネーよりもずっと多かったんだぜ」。 

ゴンザレスは再び、連勝街道をひた走ります。超大物プロモーターのドン・チャージンをバックに控え、トレーナー兼マネージャーのジャッキー・マッコイと契約すると、一気に世界戦線に躍り出ました。

1972年にはメキシカン・キラーの強豪ジミー・ロバートソン(米国)を難なく判定で下し、世界タイトルに2度挑戦経験があるルーベン・ナバーロも撃破、ついにそのステージがセットアップされます。

1972年11月10日。WBC世界ライト級タイトルマッチ。王者は同じメキシコ出身のチャンゴ・カルモナ。オッズは1-3でゴンザレス不利。

それでもゴンザレスには、自信がありました。

「簡単な試合になるのはわかっていた。カルモナは押し込まれて下がる展開になると何も出来なくなって、左のガードがガラ空きになる。とにかく攻勢をかけた。カルモナは両手を下げてノーガードで下がることもあった、思い通りだったよ。私のキャリアで最も楽勝だったと同時に、最も大切な一戦だった。13ラウンドのゴングが鳴っても、カルモナはコーナーから出て来なかった。ついに、私は世界チャンピオンになったんだよ!」。

ゴンザレスはベルトを持って、メキシコに向かい、教会で聖母グアダルペに勝利を報告します。

「余命1年だった私の癌を完治させてくれてありがとうございます。この世界タイトルを聖母グアダルペに捧げます」。

新チャンピオンは、初防衛戦でナバーロをTKO、50勝(35KO)1敗1分と破竹の勢いの最強挑戦者アントニオ・プドゥーも10ラウンドTKOで切って落とします。

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PHOTO COURTESY OF THE WBC.

このとき、ゴンザレスの戦績は76勝(66KO)6敗1分。セルバンテスに負けてから、世界レベルの相手を蹴散らして、13連勝中でした。

それでもライト級最強と認められないゴンザレスは、統一戦を切望します。しかし、当時WBAのピースを持っていたのはロベルト・デュラン。

簡単に話がまとまる相手ではありません。これまでいくつも番狂わせを起こしてきたゴンザレスでも、のちにPFPキングとなるパナマ人と戦っていたら、勝ち目はなかったでしょう。

好戦的でクロスレンジの撃ち合いを得意とするゴンザレスでしたが、シュガー・レイ・レナードやマービン・ハグラーでさえインファイトを避けた石の拳の前では、オーダーメイドでした。

そして、デュラン戦よりも優先したのは、キャリア最高の報酬8万ドルが保障された日本での試合でした。為替レートが1ドル300円の時代です。8万ドルは、約2400万円、44年後の現在なら、約8000万円に相当します。

石松の戦績は26勝(14KO)11敗5分。前年にあのデュランと戦ってますが、ゴンザレスから見ると過去最高の報酬で過去最弱クラスの相手です。

「ペーパーストマック」と揶揄されるボディの弱い石松が8万ドルをぶら下げて日本で待ってくれているのです。ボディ打ちの名手にとって、これ以上に美味しい話はありません。

しかし、膨れ上がる油断は、ゴンザレスの体まで膨張させ、練習にも気が入りません。減量に失敗したゴンザレスは脱水状態で計量をなんとかパス。当日計量の時代、過度に疲弊した肉体が回復する時間はありません。

衰弱しきったゴンザレスは、王者のプライドだけを背負って(ルイス・ネリに爪の垢でも飲ませたい!)、大番狂わせに燃え上がる石松を迎え撃ちます。

早く試合を終わらせたいゴンザレスを焦らすように、石松は左ジャブを起点にカウンターを狙うクレバーなボクシングを見せます。

そして8ラウンド。ゴンザレスをロープ際に誘い込んだ石松は、狙いすました電光石火のワンツーを放ちます。前のめりにゆっくりと崩れ落ちたメキシコ人が10カウント以内に立ち上がれないのは、誰の目にも明らかでした。

しかし、レフェリーのカウントが異様に遅いのです。タイムキーパーのストップウオッチでは15秒もかかって、ゴンザレスはなんとか立ち上がりますが、再びダウン。レフェリーはスリップと判断したばかりか、倒れたゴンザレスの手をとって助け起こしたのです。

太平洋の遥か彼方、ロスザンゼルスの大物ドン・チャージンを忖度した、卑劣な行為でした。

米倉健司会長とエディ・タウンゼントが「あまりにも酷い!」と抗議と怒りのの声をあげ、エプロンサイドに乗り上がろうとしました。

しかし、ここで、まさか、まさかの冷静さを石松が見せます。

ダウンを奪ってニュートラルコーナーに下がっていた石松は、興奮している二人に気づき、リングに上がってきたら失格負けになると、自陣に駆け寄り叫びます。

「エディさん、黙って!大丈夫、オレ、あいつを殺すから。必ずぶっ倒すから黙っていて!」

1974年4月11日、日大講堂。この日は、日本に初めて世界ライト級のベルトがもたらされた記念日です。


……このままだと、石松話にハマりそうなので、ゴンザレス話に引き戻します。

再戦でも石松に敗れたゴンザレスは、81勝(71KO)7敗1分という素晴らしいレコードを残して引退しました。

ロドルフォ・ゴンザレスは、殿堂クラスのグレートではありませんでした。

しかし、2003年リング誌年鑑が特集した「100 Greatest Punchers of All Time」の一人にも、その名を刻んでいる、記憶に残るスラッガーです。日本のボクシングファンにとっても、忘れることのできない名前です。

強打のメキシカンも、今は73歳。奥さんのバーバラと、カリフォルニアで幸せな日々を送っています。

子供も4人、孫も6人、穏やかな余生を楽しむゴンザレスに先日、ハリウッドの映画会社が契約書を持って訪れました。

「あなたの人生を映画にさせて下さい」。

ゴンザレスは「聖母グアダルペに相談してからでないとサインはできない」と断りますが、そう笑いながらも契約書とペンを受け取ります。

「聖母グアダルペがNOと言うわけはないからな」。

🌸🌸🌸映画はいつクランクインなんでしょうか?ガッツ石松にも出演依頼が来てるなら嬉しいですね。日本公開が今から楽しみです。🌸🌸🌸
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まだ、横浜への引越し完了しておらず、宿泊先のホテルからJR四谷駅まで、桜並木の土手を歩きました。

ぐずついた曇天が続いていますが、 土手の桜は小さな蕾をしっかりつけています。

桜の季節には、土手もその下の歩道も、一面桜の花びらでびっしり敷き詰められ、ピンクの絨毯のような絶景になります。

レッドカーペットはセレブしか通れませんが、ピンクカーペットは誰でも歩けます。土手の上では花見酒まであおれちゃいます。

中央線に乗って高円寺まで。ちょっと遠出の散歩です。

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デンカランドさん。さすがです。

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀 プロボクサー山中慎介 衝撃 再戦の真実」を無限ループで再生しておりました。



新しい季節が始まります。



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