廃線跡です。
東京では、木場駅から三ツ目通りを辰巳方面を走ると、マンション群の間に唐突に廃線跡が出現します。

かつての東京港湾局専用線で、貨物列車が往来していたようです。
それにしても。都会に残る廃線跡の唐突さは半端じゃありません。

赤錆れた「瑞穂橋梁」を走る廃線跡。
1934(昭和9年)年に建造され、日本最初の溶接鉄道橋は、米軍施設「横浜ノース・ドック」前に残っています。
廃線にもいろいろあって、東京港湾局専用線や横浜の瑞穂橋梁のような都会を走っていた線路もあれば、とんでもないとこを走っていた線路の跡というのもあります。
これまでに紹介してきた廃線跡は全てマイナーなものでした。
最も郷愁を誘い、想像力を刺激してくれるのは、都会の日常に唐突に現れる、そんなマイナーな廃線跡です。
しかし、そんな廃線跡ばかりではありません。

何度か書いていますが、全くモテなかった私の暗くて湿っぽかった高校時代。
そもそも不登校で、女子とまともな話をしたこともなく、短い事務的な会話も交わした記憶があるのは陸上部の先輩と、おせっかいな同級生の1人だけ。
それでも、卒業式が終わって「制服の第2ボタン、私にくれへん?」と言ってくれた同級生が1人いました。
ちょっと反抗的な雰囲気の剣道部の子で、それが晴田さやかさんでした。
あまり学校に行ってなかった私が、同級生とはいえ彼女を知っていたのは結構、男にモテて、野球部や陸上部の同級生が何人か玉砕してたのを聞いていたからでした。
とはいえ、それまで気にしたこともなかったのですが、ヤンキーな雰囲気もある晴田がキッとした目を私に真っ直ぐ向けてスタスタと近づいてきた時は「こいつ、なんか俺に文句あるんか?俺、こいつになんかしたか?」と、トラブルの気配しか感じられませんでした。
それだけに、ボタンをくれとお願いされ「1年のときからずーーっと好きでした」と告白されても、「いやいやいや、それは俺じゃないやろ」としか思えず、「え?俺?ひと違いやろ」とみたいなことを言ってしまいました。
彼女はそれまでの恥じらう乙女の仮面を一瞬で脱ぎ捨て「はあ?こんなん、ひと間違いすることぉ?」と、笑いながらも睨んできました。
私も勇気を出して告白してくれた女性に失礼な態度だったと「ごめん」と謝り、ボタンを差し出すと「ありがとう」と受け取ってくれました。
彼女のことをあらためて見ると、確かに男ウケする可愛い人だと納得しましたが、同輩が「晴田に他に好きな人がおんねんってフラれた」と落ち込んでいたのを思い出して、「もしかして、それ俺のことか?いや、俺はなんも悪ぅないよな、この場合?」と、ものすごく複雑な気持ちにグラグラしてしまいました。
生まれて初めてのことに何をしゃべっていいのかわからなくなっている私に、彼女は「大丈夫、付き合ってくれなんてゆわへんから」と笑いました。
私としては「なんで付き合ってくれと言わないんだろう?」とも思いましたが、そのときは深く考えていませんでした。

昔むかしを振り返ると、彼女も含めて私はとんでもない悪い友だちにも恵まれました…。
ここから先は、たぶん以前書いた「仁徳天皇陵」の話と同じで、私の妄想として受け止めてください。
大学進学で上京したばかりの夏休みだった気がします。
高校時代の友だちと尼崎で飲んで最後に入ったバーで、その友だちが同じカウンターに座っていた二人組の女の方に目配せしながら「あの奥の方の子、めっちゃ可愛いなあ。声かけてきていい?」と言うので、私は「え?俺、そんなん好きやないからもう帰るで」と腰を上げると〝奥の方のめっちゃ可愛い子〟と目が合ってしまいました。
晴田さんでした。
「あーー!三島くん!帰ってきてたん?」と大声で立ち上がった晴田さん。私は「(なんでこんなとこで)晴田?」と言うのが精一杯。私の友だちは「お前ら、知り合いやったん?」と驚き、成り行き上、仕方がなく4人で飲むことに。

私は翌々日に東京に戻る予定で、次の日はゆっくりしようと考えていましたが、深夜にバーを出て別れぎわ。
晴田が他の二人にはわからないように私のジャケットのポケットに電話番号を書いた紙を入れて「私、起きて待ってる」と早口で囁かれました。
晴田に対して、なにか説明できない負い目を感じていた私は自宅近くの電話ボックスで彼女に電話しました(当時は携帯電話などない!)。
「さっき思いついてんけど、一緒に行きたいとこがある」というのです。「さっき思いついたこと、そんなすぐ実行しようとすな。って、もう12時とっくに回ってるし、明日帰らなあかんから、俺」。
「じゃあ、今日にしよ、今日に!」と、まだ酔いの冷めてない晴田は上機嫌で「大丈夫、付き合ってくれなんてゆわへんから」と、あの日と同じように笑うのでした。
ーーーここまではセーフですね。妄想はもちろん事実と受け止めてもらっても大丈夫。
東京では、木場駅から三ツ目通りを辰巳方面を走ると、マンション群の間に唐突に廃線跡が出現します。

かつての東京港湾局専用線で、貨物列車が往来していたようです。
それにしても。都会に残る廃線跡の唐突さは半端じゃありません。

赤錆れた「瑞穂橋梁」を走る廃線跡。
1934(昭和9年)年に建造され、日本最初の溶接鉄道橋は、米軍施設「横浜ノース・ドック」前に残っています。
廃線にもいろいろあって、東京港湾局専用線や横浜の瑞穂橋梁のような都会を走っていた線路もあれば、とんでもないとこを走っていた線路の跡というのもあります。
これまでに紹介してきた廃線跡は全てマイナーなものでした。
最も郷愁を誘い、想像力を刺激してくれるのは、都会の日常に唐突に現れる、そんなマイナーな廃線跡です。
しかし、そんな廃線跡ばかりではありません。

何度か書いていますが、全くモテなかった私の暗くて湿っぽかった高校時代。
そもそも不登校で、女子とまともな話をしたこともなく、短い事務的な会話も交わした記憶があるのは陸上部の先輩と、おせっかいな同級生の1人だけ。
それでも、卒業式が終わって「制服の第2ボタン、私にくれへん?」と言ってくれた同級生が1人いました。
ちょっと反抗的な雰囲気の剣道部の子で、それが晴田さやかさんでした。
あまり学校に行ってなかった私が、同級生とはいえ彼女を知っていたのは結構、男にモテて、野球部や陸上部の同級生が何人か玉砕してたのを聞いていたからでした。
とはいえ、それまで気にしたこともなかったのですが、ヤンキーな雰囲気もある晴田がキッとした目を私に真っ直ぐ向けてスタスタと近づいてきた時は「こいつ、なんか俺に文句あるんか?俺、こいつになんかしたか?」と、トラブルの気配しか感じられませんでした。
それだけに、ボタンをくれとお願いされ「1年のときからずーーっと好きでした」と告白されても、「いやいやいや、それは俺じゃないやろ」としか思えず、「え?俺?ひと違いやろ」とみたいなことを言ってしまいました。
彼女はそれまでの恥じらう乙女の仮面を一瞬で脱ぎ捨て「はあ?こんなん、ひと間違いすることぉ?」と、笑いながらも睨んできました。
私も勇気を出して告白してくれた女性に失礼な態度だったと「ごめん」と謝り、ボタンを差し出すと「ありがとう」と受け取ってくれました。
彼女のことをあらためて見ると、確かに男ウケする可愛い人だと納得しましたが、同輩が「晴田に他に好きな人がおんねんってフラれた」と落ち込んでいたのを思い出して、「もしかして、それ俺のことか?いや、俺はなんも悪ぅないよな、この場合?」と、ものすごく複雑な気持ちにグラグラしてしまいました。
生まれて初めてのことに何をしゃべっていいのかわからなくなっている私に、彼女は「大丈夫、付き合ってくれなんてゆわへんから」と笑いました。
私としては「なんで付き合ってくれと言わないんだろう?」とも思いましたが、そのときは深く考えていませんでした。

昔むかしを振り返ると、彼女も含めて私はとんでもない悪い友だちにも恵まれました…。
ここから先は、たぶん以前書いた「仁徳天皇陵」の話と同じで、私の妄想として受け止めてください。
大学進学で上京したばかりの夏休みだった気がします。
高校時代の友だちと尼崎で飲んで最後に入ったバーで、その友だちが同じカウンターに座っていた二人組の女の方に目配せしながら「あの奥の方の子、めっちゃ可愛いなあ。声かけてきていい?」と言うので、私は「え?俺、そんなん好きやないからもう帰るで」と腰を上げると〝奥の方のめっちゃ可愛い子〟と目が合ってしまいました。
晴田さんでした。
「あーー!三島くん!帰ってきてたん?」と大声で立ち上がった晴田さん。私は「(なんでこんなとこで)晴田?」と言うのが精一杯。私の友だちは「お前ら、知り合いやったん?」と驚き、成り行き上、仕方がなく4人で飲むことに。

私は翌々日に東京に戻る予定で、次の日はゆっくりしようと考えていましたが、深夜にバーを出て別れぎわ。
晴田が他の二人にはわからないように私のジャケットのポケットに電話番号を書いた紙を入れて「私、起きて待ってる」と早口で囁かれました。
晴田に対して、なにか説明できない負い目を感じていた私は自宅近くの電話ボックスで彼女に電話しました(当時は携帯電話などない!)。
「さっき思いついてんけど、一緒に行きたいとこがある」というのです。「さっき思いついたこと、そんなすぐ実行しようとすな。って、もう12時とっくに回ってるし、明日帰らなあかんから、俺」。
「じゃあ、今日にしよ、今日に!」と、まだ酔いの冷めてない晴田は上機嫌で「大丈夫、付き合ってくれなんてゆわへんから」と、あの日と同じように笑うのでした。
ーーーここまではセーフですね。妄想はもちろん事実と受け止めてもらっても大丈夫。
コメント