カテゴリ: 壁を越える人々

その27歳のホープは、母国に引きこもって、温室マッチメイキングを順調にクルーズしていた。

そうは言っても、だ。

ホープにはいつか露路に出なければならない日が、必ずやって来る。

彼に用意されたのは、タフが売り物の元世界王者。

つまり、ホープの力量を測るには持ってこいの相手ということだ。

何よりも、この試合に勝てば、自身が温室で栽培されていることを意識してるにせよ、してないにせよ、その温室をブチ破る本物の自信を手に入れることができるのだ。

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一般紙がデビュー前のボクサーを大々的に取り上げる…「人気階級の五輪金メダリスト」村田諒太のような特別すぎる理由があるならまだしも、彼にはボクシングの実績が何一つないというのに!


ーーー那須川天心も今年、27歳の誕生日を迎えるが、この話は彼のことではない…。

2018年5月19日、今から7年前に27歳だったジェイソン・モロニーのことだ。


ーーーホープにはいつか必ず露路に出なければならない日がやって来る。

2025年2月24日。

那須川天心にも、ついに〝その日〟がやって来た。


…おっと、その前に…ジェイソンとオーストラリアの話を少しさせてくれ。







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まったく…。激動の2025年1月がやっと終わった。




新年早々、この1ヶ月は激動だった。

その試合の数週間前のその日、クリスマス休暇でケニアに滞在していたマイク・アルタムラがベッドに潜り込んだのは午前1時58分のことだった。

オーストラリアを拠点に活動する彼の職業は、主にアジアの軽量級ボクサーをマネジメントすること。

欧米の人気階級のプレイヤーが大手プロモーターによって囲い込まれているために、スキマを狙ったというわけではない。

「ボクサーのマネージャーである前に、私は熱狂的なボクシングファンなんだ。欧米では軽量級のボクシングはメインディッシュにならないが、本当に面白いのは軽量級」。

その日もボクシングの試合をネットで見て夜更かしすることになったのだ。

午前2時3分に電話が着信した。スマホの画面に表示されたのは「AKIHIKO HONDA」の名前。

本田明彦は日本のプロモーターだが、ボクシング関係者なら世界中の誰もが知っている伝説だ。

アルタムラはIBFバンタム級王者・西田凌佑のマネジメントにも部分的に関わっており、アヌチャイ・ドンスアとの初防衛戦で来日したとき、本田にある売り込みをかけていた。

「サム・グッドマンのカットは深い、完治しなければまた延期を申し出てくるかもしれない。リザーブファイトに私がマネジメントする韓国人を使って欲しい」。

本田は、アルタムラの提案を受け入れた。


その韓国人キム・イェジュンには、彼よりもさらに無名のケニー・デメシージョというフィリピン人との8回戦がリザーブファイトとしてセットされた。

これで、幸運をつかむのに必要なステップはあと一つだけになった。



ーーー電話の向こうで本田が「オーストラリア人がまた同じところをカットした」と伝えたとき、寝ぼけていたアルタムラは「また延期か」と思った。

本田が「韓国人はきっちり体重を作れるのか?」と訊いてきたその瞬間、アルタムラの眠気が吹っ飛んだ。

「そうだ!そうじゃないか!!グッドマンの代役にキムを送り込んでいたじゃないか!!」



マネージャーはいつだって選手と寄り添っている。

キムの故郷の韓国ではボクシングが壊滅状態。キム自身は両親の顔も知らずに5歳のときから孤児院で育った。

辛い毎日だった。

「親にも必要がないと、お前は捨てられたんだ」。

「なんで生きてるの?捨てられたゴミのくせに」。

小学校でも中学校でも、陰湿な言葉と、容赦ない暴力でいじめられ続けた。

それでも、どんなに酷い仕打ちを受けても、キムが反撃することはなかった。

「あいつらは殺してやりたいくらいに大嫌いだったが、自分なんて生きてる価値がない、というのは悲しいけど、そうなのかもしれないと思っていた」。

「親にも必要とされなかった」。きっとその通りだろう。じゃないと子どもを捨てたりはしない。

捨てられたんだから、ゴミと一緒。これも、その通りだ。


1人になると、いつも泣いていた。


1人になると、どうしてお父さんやお母さんは私を捨てたんだろう、と考えた。

私はどこにどうやって捨てられていたんだろう?

考えても仕方がないことだったが、もし両親に会えるなら、私を捨てた理由を聞きたいと思っていた。

必要がなかったのか?いや、もしかしたら経済的にどうしようもなかったからか?

大人になってからも、1人になると泣き続けた。

ところが、19歳でプロデビューするボクシングを始めてからは、泣かなくなった。

1人になると筋トレやシャドーボクシングに励んだ。

自分の過去にあれほど粘着してこだわっていたのに、それがどうでも良くなったのだ。

ボクシングの試合は大したカネにはならなかったが、勝つと自分が何者かになれる気がした。

自分の未来が、もしかしたら明るいものになるかもしれない、そう信じられることが、どれほど素晴らしいことかに気づいたキムに、たとえ天涯孤独でも毎日泣き暮れる時間は、もうなかった。

キムは過去の自分を嘆くのをやめて、ゼロから作り上げる未来だけを睨んで生きることにした。

当時、アメリカのプロボクシングはすでに衰退の坂道を転げ落ちていたが、小さな身体の2人のファイターがリングの中でとびっきりに輝いていた。

自分よりも酷い境遇から二つの拳で成り上がったマニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーが、とにかくまぶしかった。

自らを「Pacquiweather」と渾名したとき、周囲は笑ったが、本人は冗談のつもりはなかった。目指す場所はそこだったのだから。

天涯孤独のキム・イェジュンの人生は、幸運とは全く無縁だった。本人にはなんの責任もないのに、不運と不幸だけが押し寄せてくる人生だった。

どのクライアント(ボクサー)も贔屓目なく平等に見てきたアルタムラだったが、不運と不幸を向こうに回して、七転八倒しながら戦い続けるキムには「この男がいつかラッキー!と喜べるような日が訪れたらいいな。それに自分が一役買うことが出来たら最高だな」と思っていた。

ジュニアフェザー級を主戦場とするボクサーは誰もが井上尚弥と日本で戦いたがっている。

ファイトマネーが割安で、人気もなく大きな関心を集めることがない軽量級だが、日本だけは特別だ。

軽量級でもファイトマネーは10万ドルを超えることが珍しくなく、キャパ1万人を超えるアリーナでメインを張ることも当たり前、それが日本だ。

そして、その特別な日本の中でも特別なのが、井上尚弥だった。



アルタムラは本田に「ファイトマネーは100万ドルでなんとかならないか」とふっかけたが「無名の挑戦者にそれは無理」と却下され「興行収入にも左右されるが、半分の50万ドル」で落ち着いた。

アルタムラは「納得できない」と不満をたらしたが、内心は躍り上がっていた。


50万ドルは、韓国ボクシング史上最高のファイトマネーだったのだ。

なによりも、キム自身、これまで2万ドルのファイトマネーすら一度も受け取った経験がなかったのだ。

アルタムラは、豪州でキャンプを張っているキムにすぐに電話した。

「デメシージョとの試合はなくなった」。

そう告げただけで、キムは全てを理解した。

アルタムラはずっと長い間、キムに言いたくても言えなかった言葉をついに口にした。

「お前はなんて幸運な男なんだ!本当に羨ましいぜ!」。

「ファイトマネーは50万ドルだ!」。

キムは「5万ドル?本当にそんな金額がもらえるのか」と聞いてきた。

アルタムラは「5万じゃない、50万ドルだ」と笑って返した。キムが唾を飲み込む音が聞こえた気がした。

短い沈黙。

8000マイル、1万2800km、最高のタイミングで飛行機を乗り継いでも8時間はたっぷりかかる、インド洋の最果てでキムが喜びをかみしめているのがよくわかった。

ビッグファイトに抜擢された無名のボクサーは、往々ににしてそこで満足してしまうものだ。

キムに限ってそんなことはないとは思ったが、アルタムラは「相手はPFP No.1ファイターだが、負けたら元も子もない。集中して練習しろ」と気合を入れようとしたが、その必要はなかった。

「ありがとう、マイク。私を売り込んでくれて本当にありがとう。ここから先は私の仕事だ。ずっとこの日のために準備してきた。マイクを史上最大の番狂せをお膳立てしたマネージャーにしてみせるよ」。





もし、井上尚弥に勝っていたなら、ボクシング人気が完全に沈滞した韓国でも大きな話題を巻き起こしていただろう。

世界中のボクシングファンにも、1-100のオッズをひっくり返した男として、語り継がれたはずだ。

そして、親兄弟もいない天涯孤独の身から、韓国5000万人に愛される国民的英雄に。

〝リアル・ロッキー〟として、ハリウッドも興味を示したかもしれない。

しかし、キム・イェジュンはロッキー・バルボアにはなれなかった。

現実は、1-100のオッズをそのまま反映したような惨敗だった。

それでも、瀕死の韓国ボクシングに刺激を与え、日本のボクシングファンも彼の名前を覚えた。

そして、多くの人が彼の生き様に小さくはない共感を覚えた。


キムの人生はこれからも波乱万丈だろう。そんな32歳の韓国人にとっても、激動の2025年1月が終わった。


1月24日、有明アリーナのリングの上で、彼は何も手に入れることができなかったが、たった一つだけ確かなことがある。



キム・イェジュンは、もう天涯孤独ではない。




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試合前のオッズは田中恒成の勝利が1/10(1.1倍)、プメレレ・カフが13/2(7.5倍)。


ストロー級からジュニアバンタム級まで4階級でアルファベットのタイトルをピックアップした恒成はビック・サルダール、モイセス・フエンテス、アンヘル・アコスタ、田口良一、ジョナサン・ゴンサレスと、アルファベット団体のエセ世界ランカーではなく、ESPNやリング誌が認める世界ランカーに勝利、その実力の輪郭がはっきりしたファイターです。

一方のカフの戦績は、プロ13戦10勝8KO3引き分けと無敗ながら、13試合はいずれも世界的には無名の選手を相手に地元南アフリカで積み重ねてきたもの。「世界最速」の恒成のスピードについていけないと見られていました。

結果はご存知の通り。

カフは恒成からダウンを奪って、後半の追い上げも振り切ってSDの勝利を収めました。26歳(30歳説も有力)の南アフリカ人が未知の強豪から、その渾名のとおりThe Truth(本物)であることを証明した試合になりました。

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このカフの次戦が3月半ばを目処に交渉が進められてします。交渉の相手は、なんとローマン・ゴンサレス。

「田中恒成に勝って、私は自分が世界のベストファイターであることを示した。私が、数々の伝説を作ってきたチョコラティトと戦うことに誰も違和感をおぼえないはずだ」。

南アフリカ東ケープ州のダンカン村はアパルトヘイト時代の旧黒人居住区、治安は劇的に改善されたと言われていますが、外国人旅行者が歩ける街ではありません。

特に、The Hood と呼ばれるエリアは暴力と犯罪の巣窟。


カフはここで育ちました。WBAフェザー級王者シンピウィ・ベトイェカも、このダンカン村の出身です。

Cafu seemingly had a one-way ticket to joining him in prison.

父親は酒びたり、カフはストリートで悪事に手を染め、刑務所へ一直線の人生に見えました。

「争いごとばかりだった。人を刺したこともある、刺されたこともある。それがThe Hood で生活するってことなんだ」。

それでも、母親は優しく、カフが飢えるようなことはありませんでした。父親も酔っ払って暴力を振るうようなことはなく、人生に絶望しているようでしたが、やはりカフには優しく接してくれました。

元ボクサーだった父親が地元のボクシングジムにカフを連れて行ったのは、なんと3歳のとき。

カフがThe Hood の深い闇に真っ直ぐ落ちなかったのは、夢と希望があったからでした。夢と希望、もっと具体的にいうなら、それはボクシングです。

「父親に連れられてボクシングジムに通うのは本当に楽しかった。いろんな技術を覚えて、成長している実感があった。この道を進めば、ずっと先に明るい未来があると信じることができたんだ」。

「もし、ボクシングが無くて、The Hoodで暮らしていたなら、そんなことは思いもしなかっただろう」。

「ストリートでは喧嘩に明け暮れるしかなかったけど、私にはボクシングがあった。すぐに刑務所に行く、長生きできないなんて言われたけど、私はこの町から脱出する方法を知っていた」。

カフは2018年5月26日にプロデビュー。19歳のときでした。

地域タイトルをコレクションしながら、主要団体のタイトルを窺う南アフリカ人にWBO王者の田中恒成からオファーが届くと、二つ返事で請け負いました。

「当時の私はWBO6位、田中は私を勝てる相手だと選んだ。それが間違いだった」。

ほとんど互角の攻防は、5ラウンドにダウンを奪ったカフと、最終12ラウンドにカフをダウン寸前に追い込んだものの倒せなかった恒成。その差が114−113*2/113−114のスプリットでカフに勝利をもたらしました。

26歳のカフにとってキャリア初の海外遠征、そして世界基準の相手との激突。まだまだ伸び代のある南アのThe Truthがチョコラティトまで飲み込んだとしても大きな驚きはありません。

「私が田中に勝てるなんて誰も思っていなかった。それでも第1ラウンドで、どうしようもない壁ではないとわかった」。

I want show kids anything is possible.  If I can do it, They aiso can.

「The Hood で絶望に鬱屈している子どもたちに、不可能なんてないと教えてあげたい。ほら、私ができたんだから君にも出来るさってね」。




*******

カフvsチョコラティト。

37歳になるニカラグアの伝説にまだ何か残されているのか?

恒成との試合から大きな自信と経験を上乗せしてリングに上がるカフですが、チョコラティトがある程度仕上げてくるならボディを中心とした美しいコンビネーションでカフが削られていくと予想します。

やはり、ロマゴンに思い入れしてしまいます。







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井上尚弥がFighter Of The Yearに輝いたリング誌の2023年アワード。ビリー・ディブはMOST INSPIRATIONAL(最も感動的な物語)賞に選出されました。

8月17日で39歳になるビリー・ザ・キッドは、リング復帰については明言していません。

グローブを吊るして、家族と友人たちと幸せな人生を歩んでいって欲しいと思いますが…。




こう書いたのは、今年2月のことでした。
https://fushiananome.superknova.org/archives/35023992.html


ところが。というか、やっぱり、というか。

ビリー〝The Kid〟ディブがリングに戻ってきます。

母国オーストラリア、英国、米国、中国(マカオ)、日本、タイ、サウジアラビアのリングに上がってきたビリー・ザ・キッドにとって8カ国目のドイツ・ハンブルクが舞台。

日本時間の12月13日。

「余命6ヶ月と宣言された男が、こうして生きているんだ。それだけじゃねぇ、主治医からリングに戻れる状態だと許可がおりたんだ。これが俺のラストダンス。踊らない理由はないだろう?」。

さて、本当にラストダンスとなりますやら?


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Wednesday 23, October 2024
  
Madison Square Garden Theater, New York, New York, USA
commission:New York State Athletic Commission
promoter:Lou DiBella (DiBella Entertainment)
matchmaker:Ron Katz
media:ProBox TV



バンタム級が熱いのは、男だけではありません。

男のバンタム級が日本国内に閉じこもっているのに対して、女のバンタムはニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンのシアターでメインを張ります。

IBF女子バンタム級チャンピオン、36歳の吉田実代です。



39歳の シュレッタ〝SHA〟メトカーフとは昨年10月以来の再戦、吉田にとってはリベンジマッチ。

MSGで4“Heroes on the Hudson 2” と銘打たれたイベントのメインをつとめるーーー男子でも出来ない舞台です。

オッズはチャンピオンの吉田が9/4(3.25倍)でアンダードッグ。メトカーフが1/3(1.33倍)でフェイバリット。

まあ〝女パッキャオ〟にとってはオッズは関係ありません。

2戦連続の番狂せといきましょうか!


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世の中、何が起こるかわからない。

アンソニー・オラスクアガはタクシードライバーと調髪師、ときにはウーバーイーツで働きながら、ボクシングの世界チャンピオンになった。

同じようにタクシーの運転席から、世界チャンピオンを目指している男がいる。

20年ほど前、正確には2001年から2年間ほど、彼は夜中のベネズエラの街をタクシーで流していた。

身長188cmの巨漢が運転席に窮屈そうに座ってるのはコミカルにすら見えたが、昼間の彼が建設作業員だと聞けば少しは納得できるかもしれない。

ドライバーシートでまばゆい都会のネオンに照らされながら、埃っぽい建設現場で容赦のない陽射しに晒されながらも、彼は薄暗い部屋の片隅で膝を抱えてぼんやりしているような、そんな鬱屈した気分から抜け出せなかった。

ずっと夢見ていたメジャーリーガーは、20歳で諦めた。

メジャーは、信じられないほど残酷な競争社会だ。

メジャーに辿り着くには、競争の入り口に立つことさえも困難な、とんでもない険しい道のりを乗り越えなければならない。

20歳で夢を諦めるなんて早すぎる。

もし、そう思うなら、現実を何も知らないおめでたい人だ。お祝いしてあげよう。

常識で考えれば、20歳でメジャーリーグを諦めるのはーーー遅すぎる。

そう、ロベルト・スアレスはもう十分過ぎる悪あがきをして、夢が夢でしかないという現実にようやく気がついて、踏ん切りをつけたのだ。

そのはずだった。

それなのに、それなのに。

タクシーのカーラジオや、建設現場で同僚たちの世間話で、母国の選手がアメリカや日本で活躍する話題を耳にすると、スアレスは胸の奥底でザワッと何かが蠢くのを抑えきれなかった。

その蠢きは、とっくに捨てたはずの夢のかけらたちが擦れ合う、摩擦音だった。

ハイレベルなリーグでプレーした経験もない、しかも丸2年もブランクがある無名の青年がメジャーにたどり着くのは100%、不可能だ。

最高の形を絵に描けば、ベネズエラの国内リーグを経て、うまくいけばメキシコリーグか独立リーグに潜り込み、そこからマイナー契約を勝ち取り、1A、2A、3Aとステップアップしてメジャーに辿り着く。

しかし、それは絶対にあり得ない、絵に描いた餅だ。

もし、万が一、その絵の通りに現実が進行したとしても、10年以上の時間が必要になる。

百歩、いや一万歩譲って、絵に描いた餅は画用紙を丸めて飲み込めば食えるだろう。

しかし、ここはベネズエラだ。

Pie in the Sky

もし、スアレスがフィールドに戻ろうとしているのなら、それは
Pie in the sky、高い空に浮かんだパイを食うような非現実的なことになる。

そもそも空にパイが浮かんでいるわけもなく、そう見えたのだとしたら、それはスアレスの幻覚だ。

もし、本物のパイが空に浮かぶ奇跡があったとしても、タクシーは空を飛べないし、空に翔け上がるには建設作業員が担ぐ鉄骨はあまりにも重すぎる。


しかし、世の中、何が起こるか、わからない。


なんと、スアレスは、10年以上かけて、空に浮かんだパイを掴み取り、むしゃむしゃと喰らってみせたのだ。



それにしても…。

日中は建設現場、夜はタクシードライバーとしてベネズエラで働いていた男が、12年後に福岡ソフトバンクのセットアッパーとして活躍、阪神タイガースの絶対的守護神として君臨しているだなんて、一体誰が想像できただろうか?

それどころか、再び太平洋を渡り、約70億円の契約を結んだサンディエゴ・パドレスのクローザーとしてワールドチャンピオンを目指し、今まさにあの大谷翔平の前に立ち塞がろうとしているだなんて!


“ 薄暗い部屋の片隅で膝を抱えてうずくまっていたことを思えば、今の私は最高に充実している。ドジャースの強力打線が怖くないかって?

私が打たれたらチームが負ける。そんな崖っぷちで大谷翔平やムーキー・ベッツと真剣勝負が出来るんだよ。野球選手にとってこれ以上の幸せがあるか?

たまんねぇ快感だよ ”


世の中、何が起こるかわからない。


とはいっても大きなブランクを作って、カムバックするなんてことは常識ではあり得ない。

ロベルト・スアレスという男は、例外中の例外だ。

スアレスが20歳で野球を諦めたということは、そこまで悪あがきするほどの才能だった、という見方も出来なくはない。

ゴールデンエイジという言葉は、誰でも知っているだろう。

5〜12歳までのゴールデンエイジの運動経験が〝滑走路〟を作るということだ。

そして、10代の残りの時間でエンジンや飛翼を形作り、テイクオフする。

もし、ゴールデンエイジに長くしっかりした滑走路が作れなかったら、どんなに出力の高いエンジンを積み込んでも、どんなに大きな両翼を広げても、最高峰のレベルで遠くまで飛ぶことは難しいと、スポーツ科学の偉い人が決め付けている。

ゴールデンエイジの前半は、ある意味で何をやっても良い。体操やダンスでバランス感覚や体の使い方を覚え、水泳などで全身を鍛えるのが理想的と言われている。

そして、ゴールデンエイジの後半、遅くとも〝12歳から先の10代の残り時間〟は最高峰を目指す競技に集中したい。

もし、それが出来なければ?

もし、その大切な〝残り時間〟でその競技から完全に離れるようなことがあったなら?

まあ、そういうこともあるだろうが、レベルの高い舞台で活躍するのはもう諦めるべきだ。たとえば、その種目が野球な草野球か、せいぜい野球同好会で楽しめばいい。

軟式野球をやってた小学生が、中高6年間も野球を離れて、大学から硬式野球の世界に飛び込んだら?勇敢なチャレンジャーだ。その心意気は尊敬するが、大きな成功は絶対に掴めない。




しかし、世の中、何が起こるかわからない。



次に紹介するのも、呆れ果てるほど往生際の悪い、どうしようもない男の話だ。


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Great、グレート、偉大…。

その基準はどこにあるのでしょうか。

モハメド・アリは、ボクシングがまだメジャーだった時代にアマチュアとプロで歴史的な実績を残し、それだけで十分にグレーテストの名にふさわしかったのですが、スポーツの枠内だけで「偉大」というのはなんだか違う気がするのです。

米国の帝国主義に反旗を翻して戦い抜き、ついに勝利するという、世界史に大きなインパクトを与えたこととのツー・プラトンでアリは偉大になりました。

いまなお、いや、もしかしたら永遠にアリのような世界一有名で、世界史にもインパクトを残すようなグレートは出現しないかもしれません。

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さてさて、では日本にはモハメド・アリのようなアスリートは存在しないのでしょうか?

長嶋茂雄がいなくても、それなりにプロ野球は盛り上がっていたでしょう。読売ジャイアンツへの一極集中という弊害を考えると、長嶋がいない世界にも、それなりのメリットもあったかもしれません。

中田英寿がいなくても、日本のフットボーラーが世界で活躍する潮流に大きな影響はなかったでしょう。

…日本でGreatと呼ぶに相応しいアスリートは、いないのでしょうか?
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WBAバンタム級王者・井上拓真が9ラウンドKOで初防衛に成功しました。


彼に吹く世間の風には、どうしても〝嫌な匂い〟が混じってしまいます。本人には全く責任がないのに、必然的に吹きつけてくる風です。


主審のマーク・ネルソンが試合を止めた瞬間、男泣きした拓真。

勝利者インタビューでは普通の表情で「お客さんが不満を持っているのもわかってた。変わった自分を見せたいと思ってた。これから変わった自分を見せていきたい」と清々しく〝宣誓〟しました。

長谷川穂積は「確変した。これからKOを量産していくと思います」とリップサービスしましたが、相手は元強豪でピークを過ぎたフィリピン人。

拓真は、まともなコンテンダーには一度も勝っていません。まだ信用できません。

彼はプロテクトされた世界戦しかしない、井上家の中の〝亀田〟〝みにくいあひるの子〟です。



こういうブログを晒し続けていると、自分の性癖が丸わかりで匿名とはいえ、なんだかな〜なんですが、パッキャオとか拓真(全く違うやん!と思うかもしれませんが)とかって、実はツボなんです。

「実は」ではないですね。

とにかく、WBAバンタム級チャンピオン井上拓真のパフォーマスには入場から退場まで、しっかり感動させていただきました。

往生際の悪い拓真のせいで、またまた、終わりのないシリーズの開幕です。
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2022年で廃刊となったリング誌ですが、DIGITAL MAGAZINEの形態ではしぶとく〝発行〟を続けています。

昨年は1月号、2月号、4月号、5月号、6+7合併号、8+9月合併号、11月号と7〝冊〟を〝発行〟。

今年も1月号、2月号と続いています。

1月号はFighter Of The Yearに選出した井上尚弥を単独カバー。

そして2月号はオレクサンデル・ウシクとタイソン・フューリーのフェイスオフを表紙に「POSTPONED(延期…)」がテーマ。

スパーリングで負ったとされる、フューリーの右目上の深いカットは自傷ではないかという疑惑も持ち上がっていますが、この史上空前のメガファイトのAサイドは35歳のジプシーキング。勝手にやって下さいませ。

このフューリーの工作?で、多くのブッカーでオッズが逆転、ウシク有利の掛け率まで現れました。

ウィリアム・ヒルでもフューリー4/5(1.8倍)、ウシクはEVS(1倍)。

ウシクは約220ポンド、フューリーは約280ポンド、60ポンド!差で争われるUndisputed championshipなんて前代未聞、驚天動地です。しかも、軽い方が優勢と見られているなんて…。

こんなことをされては、当日のリバウンドがー、複数階級制覇がー、PFPがーと、敏感に階級が語られるその他16階級の立場がありません。

ウシクが勝てばオールタイムPFP1位でも文句なしという声も上がっていましたが、もはや勝っても番狂せにならない数字になってしまいました。

現在、PFP上位を争っている井上尚弥やテレンス・クロフォード、カネロ・アルバレスらはウシクが引退するまでPFP1になれない、なんて事態が起きそうです。

PFPは弱者の言い訳、弱者の駆け込み寺であったはずなのに、そこに本物の強者が土足で上がり込むなんて、今後はどんなに強くてもヘビー級をPFPから外さなければなりません、真面目な話。





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日曜日の昼下がり、リング誌2月号(デジタル版なのに2月18日発行の2月号ってどうなのよ?)からお届けするのは、「POSTPONED の憂き目にあった過去のメガファイト」の記事ではなく「SINGLE COMBAT〜IN THE EMOTIONAL AFTERMATH OF HER TWO-DIVISION TRIUMPH, MIYO YOSHIDA BECAME BOXING’S NEWEST HERO(シングルマザーの戦い〜吉田実代は2階級制覇を成し遂げ、感動的な物語によって新しいヒロインになった」。

そうです。このブログでも取り上げた女パッキャオ、吉田実代です。

2022年8月、シングルマザーの吉田は8歳の一人娘・実衣菜の手を引いてニューヨークに乗り込みました。

元WBOジュニアバンタム級王者とはいえ、すぐにチャンスが巡ってくるはずもありません。それでも再び世界王者に返り咲くことを目指して、ニューヨークを選んだのでした。

殿堂入りのプロモーター、ルウ・ディベラと、名門グリーソンズ・ジムの所有者ブルース・シルバーグレイドは彼女を歓迎してくれました。

運が良い、としか言いようがありません。何のツテもない女子ボクサーが受け入れてくれるメンツではありません。

渡米第1戦はフライ級でインディヤ・スミスに判定勝ちを収め、11月7日に行われた2戦目でバンタム級のIBFインターコンチネンタル王者決定戦へ出場。優勢に試合を進めていたと思われましたが、結果は99−91/98−92/96-94と不可解な判定でシュレッタ・マトカーフに敗北。

「これでしばらくチャンスは来ない。あと2〜3年かかるかな」(吉田)と、誰もが幸運の歯車がここで軋んだと思いました。

30歳を超えた吉田は元王者の肩書をすり減らしながら、噛ませ犬扱いのキャリアになると。

しかし、この試合をIBFのダリル・ピープルズがリングサイドで見て「面白い選手だ」と感じていたのです。

そして…。

レジス・プログレイスvsデビン・ヘイニーのビッグファイト(12月9日:サンフランシスコ・チェイスセンター)のアンダーカードにセットされていたIBFバンタム級王者エバニー・ブリッジスの防衛戦の相手が試合3週間前に負傷。

吉田に勝利しているマトカーフにオファーが行くのが順番ですが、ヘイニーをプロモートしているディベラがピープルズ会長に「うちに面白い試合をする日本人がいる」とダメ元で持ちかけました。

ピープルズの「知ってるさ、ミナ・ヨシダだろう?先月試合をしたばかりだが、大丈夫なのか?」という言葉が終わる前に、ディべラはIBF会長の両手を掴んで握手していました。

ディベラが吉田に伝えると、予想通りの即答。

「やります、絶対にやります」。




DAZNとマッチルームのイベントでお馴染みのデビッド・ディアマンテは「戦うシングルマザー」と日本語で紹介、ディベラが仕込んだ粋なプレゼントでした。

7−1と圧倒的不利と見られた35歳のシングルマザーはキャリア最高のパフォーマンスを見せ、人気者の世界王者を下して2階級制覇に成功!

日本の女子ボクサーとして史上初めて米国でタイトルを奪取する快挙のオマケ付きでした。


Then the indelible image from that night, and perhaps the most memorable one of 2023, as a tearful Mina hugged her mother in the middle of the ring. They’d made it. A single mom and her daughter, on top of the world. In a negative business full of people jaded by dealing with nonsense day in and day out, this was an early Christmas gift.


この夜の忘れ難い、いや2023年で最も記憶に残る光景は、リングの真ん中で嬉し泣きにむせぶ実衣菜が母親と抱き合うシーンでした。

大観衆も、この偉業が二人で成し遂げられたことに気づくのです。

毎日、毎日、くだらないことに明け暮れる陰湿なボクシング界で、アメリカンドリームをつかんだ母娘が抱き合う姿は、少しだけ早い、最高に素敵なクリスマスプレゼントでした。

リング誌は吉田を「The Most Inspirational Female Fighter award(最も感動的な女子ボクサー)」に選出。日本の女子ボクサーではもちろん初めてのことでした。

吉田は「日本だけでなく、世界中に私のことを知って欲しいと思って戦ってきた。今夜はそれが少しだけできたかな」とインタビューに答えると、ディベラとジムジムメイトたちに感謝しました。

I’m actually sort of glad I got to see everything the way it unfolded with her daughter and saw what the public saw. It inspired me. And it takes a lot after 35 years of this miserable, wretched business for something to inspire me.

そのディべラは「彼女が何を成し遂げたのか、そしてそれがどんなに困難な道だったかを多くの人に伝わったことが、とにかく嬉しい。この惨めで腐ったボクシング界に、私が35年もしがみついている理由は、こういう素晴らしい光景を見ることが出来るからだ」と、やはりその感動を語っています。



実衣菜は母親のようなプロボクサーになることを目指して、練習を始めているそうです。

「日本ではシングルマザーでプロボクサーというと、危ないからやめなさい、子供がかわいそう、安定した企業に勤めなさいと言われてしまうけど、米国ではみんな応援してくれるから、すごくやりやすい」(吉田)。

そして、実衣菜については「私よりずっと才能がある」と評価。

次の感動は、この二人が母娘で世界チャンピオンになる光景かもしれません。

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身長もリーチも、サウスポーなのかオーソドックスなのか、階級も何もかもわからない、そもそも目に見えない敵だ。どうやって戦って良いのかさえわからない。わかっていることは敵は強大で攻撃的で、無慈悲であることだけ。

癌は強力で容赦無く、残忍な敵だった。

ビリーは癌と戦って一度敗れ、最初の妻サラを失ってしまった。

今度負けたら、2連敗になる。信念のRefuse 2 loseを受け入れてしまうことになる。



そればかりか、今度負けるともう雪辱の機会すら永遠に失うことになってしまう。

しかし、半年もの間、全身の激痛と化学療法の副作用でビリーの肉体は限界を通り越していた。衰弱していくビリーを見ていると、俺の方まで絶望で気が狂いそうになる。

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「パパは癌になんて負けないぜ」。

2022年秋に息子 Laithと約束して闘病生活に入ったビリーだったが、癌の進行と化学療法の副作用は想像を絶する過酷なものだった。

ビリーは2023年を迎えられるかどうかもわからなかったが、年は越せた。それでも「俺の親友はもう十分に戦った。俺はビリーを誇りに思う」と、そんな考えちゃいけないことが頭をよぎることもあった。




病室にあるホワイトボードには、ビリーの兄貴が殴り書いた言葉が残されていた。

 〝Get up, you son of bitch, because Laith loves you〟

〜立ち上がれ、このクソ野郎!(息子の)レイスはお前が大好きで泣いて心配してるんだぞ!

それは昔、兄弟で夢中になって観た映画「ロッキー」に出てくる台詞(Get up you son of a bitch!!Cause Mickey loves you!)だった。

ビリーは「もうダメだと何度も諦めかけたが、家族や兄貴、ビレルたちが励ましてくれた。癌に何度も叩きのめされたが、彼らを失望させるわけにはいかなかった」と、のたうち回りながら敗北を拒否し続けた。




2023年3月6日。

俺たちは病院から信じられない報告を受ける。

この半年間、医者は「覚悟をしておいてくれ」と、いつもの仏頂面で声を絞り出していたが、この日は「先に結果だけ言うぞ」と見たことのない笑顔で駆け寄って来た。

「Remission!」

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「お父さんが癌に勝った!」「お父さんは約束を守ったぞ!」と大喜びの Laith。

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すぐに理解できなかった俺に、医師はもう一度叫んだ。

「Remission!(癌が消えたんだ!)」。

本当に嬉しい瞬間、人間はコーナーポストに登って雄叫びをあげたりしないってことを、俺はこのとき初めて知った。

歓喜がぐるぐる全身を巡ると、力が抜けた。病院の廊下にへたり込んでしまって、しばらく立てなかった。


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ビリーは癌が再発していないか、今も定期検査が欠かせない。

それでも、もう日常生活に戻って「A TRUE HEART〜THE FIGHTS OF MY LIFE」なんて闘病記まで出版しやがった。





ビリーは「いつもボクシングが救ってくれた」と感謝している。

If it hadn’t been for that moment [in sparring], I may have found out too late.

ビリーは語る。「もし、あの日のスパーリングでボディを叩かれなければ、進行の早いバーキットリンパ腫を発見出来ずに手遅れになっていたのは間違いない」。

「もし、生死を彷徨う大病に苦しまなければ、人生にとって何が大切なのか、よくわからないまま年齢を重ねていただろう」。



そういえば、WBCのマウリシオ・スライマン会長がビリーに特別ベルトを贈呈すると発表していたな。

…まさかと思うが、あいつら認定料を請求してくるんじゃないだろうな?


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▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎ 井上尚弥がFighter Of The Yearに輝いたリング誌の2023年アワード。ビリー・ディブはMOST INSPIRATIONAL(最も感動的な物語)賞に選出されました。

8月17日で39歳になるビリー・ザ・キッドは、リング復帰については明言していません。



グローブを吊るして、家族と友人たちと幸せな人生を歩んでいって欲しいと思いますが…。


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