まったく…。激動の2025年1月がやっと終わった。
新年早々、この1ヶ月は激動だった。
その試合の数週間前のその日、クリスマス休暇でケニアに滞在していたマイク・アルタムラがベッドに潜り込んだのは午前1時58分のことだった。
オーストラリアを拠点に活動する彼の職業は、主にアジアの軽量級ボクサーをマネジメントすること。
欧米の人気階級のプレイヤーが大手プロモーターによって囲い込まれているために、スキマを狙ったというわけではない。
「ボクサーのマネージャーである前に、私は熱狂的なボクシングファンなんだ。欧米では軽量級のボクシングはメインディッシュにならないが、本当に面白いのは軽量級」。
その日もボクシングの試合をネットで見て夜更かしすることになったのだ。
午前2時3分に電話が着信した。スマホの画面に表示されたのは「AKIHIKO HONDA」の名前。
本田明彦は日本のプロモーターだが、ボクシング関係者なら世界中の誰もが知っている伝説だ。
アルタムラはIBFバンタム級王者・西田凌佑のマネジメントにも部分的に関わっており、アヌチャイ・ドンスアとの初防衛戦で来日したとき、本田にある売り込みをかけていた。
「サム・グッドマンのカットは深い、完治しなければまた延期を申し出てくるかもしれない。リザーブファイトに私がマネジメントする韓国人を使って欲しい」。
本田は、アルタムラの提案を受け入れた。
その韓国人キム・イェジュンには、彼よりもさらに無名のケニー・デメシージョというフィリピン人との8回戦がリザーブファイトとしてセットされた。
これで、幸運をつかむのに必要なステップはあと一つだけになった。
ーーー電話の向こうで本田が「オーストラリア人がまた同じところをカットした」と伝えたとき、寝ぼけていたアルタムラは「また延期か」と思った。
本田が「韓国人はきっちり体重を作れるのか?」と訊いてきたその瞬間、アルタムラの眠気が吹っ飛んだ。
「そうだ!そうじゃないか!!グッドマンの代役にキムを送り込んでいたじゃないか!!」
マネージャーはいつだって選手と寄り添っている。
キムの故郷の韓国ではボクシングが壊滅状態。キム自身は両親の顔も知らずに5歳のときから孤児院で育った。
辛い毎日だった。
「親にも必要がないと、お前は捨てられたんだ」。
「なんで生きてるの?捨てられたゴミのくせに」。
小学校でも中学校でも、陰湿な言葉と、容赦ない暴力でいじめられ続けた。
それでも、どんなに酷い仕打ちを受けても、キムが反撃することはなかった。
「あいつらは殺してやりたいくらいに大嫌いだったが、自分なんて生きてる価値がない、というのは悲しいけど、そうなのかもしれないと思っていた」。
「親にも必要とされなかった」。きっとその通りだろう。じゃないと子どもを捨てたりはしない。
捨てられたんだから、ゴミと一緒。これも、その通りだ。
1人になると、いつも泣いていた。
1人になると、どうしてお父さんやお母さんは私を捨てたんだろう、と考えた。
私はどこにどうやって捨てられていたんだろう?
考えても仕方がないことだったが、もし両親に会えるなら、私を捨てた理由を聞きたいと思っていた。
必要がなかったのか?いや、もしかしたら経済的にどうしようもなかったからか?
大人になってからも、1人になると泣き続けた。
ところが、19歳でプロデビューするボクシングを始めてからは、泣かなくなった。
1人になると筋トレやシャドーボクシングに励んだ。
自分の過去にあれほど粘着してこだわっていたのに、それがどうでも良くなったのだ。
ボクシングの試合は大したカネにはならなかったが、勝つと自分が何者かになれる気がした。
自分の未来が、もしかしたら明るいものになるかもしれない、そう信じられることが、どれほど素晴らしいことかに気づいたキムに、たとえ天涯孤独でも毎日泣き暮れる時間は、もうなかった。
キムは過去の自分を嘆くのをやめて、ゼロから作り上げる未来だけを睨んで生きることにした。
当時、アメリカのプロボクシングはすでに衰退の坂道を転げ落ちていたが、小さな身体の2人のファイターがリングの中でとびっきりに輝いていた。
自分よりも酷い境遇から二つの拳で成り上がったマニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーが、とにかくまぶしかった。
自らを「Pacquiweather」と渾名したとき、周囲は笑ったが、本人は冗談のつもりはなかった。目指す場所はそこだったのだから。
天涯孤独のキム・イェジュンの人生は、幸運とは全く無縁だった。本人にはなんの責任もないのに、不運と不幸だけが押し寄せてくる人生だった。
どのクライアント(ボクサー)も贔屓目なく平等に見てきたアルタムラだったが、不運と不幸を向こうに回して、七転八倒しながら戦い続けるキムには「この男がいつかラッキー!と喜べるような日が訪れたらいいな。それに自分が一役買うことが出来たら最高だな」と思っていた。
ジュニアフェザー級を主戦場とするボクサーは誰もが井上尚弥と日本で戦いたがっている。
ファイトマネーが割安で、人気もなく大きな関心を集めることがない軽量級だが、日本だけは特別だ。
軽量級でもファイトマネーは10万ドルを超えることが珍しくなく、キャパ1万人を超えるアリーナでメインを張ることも当たり前、それが日本だ。
そして、その特別な日本の中でも特別なのが、井上尚弥だった。
アルタムラは本田に「ファイトマネーは100万ドルでなんとかならないか」とふっかけたが「無名の挑戦者にそれは無理」と却下され「興行収入にも左右されるが、半分の50万ドル」で落ち着いた。
アルタムラは「納得できない」と不満をたらしたが、内心は躍り上がっていた。
50万ドルは、韓国ボクシング史上最高のファイトマネーだったのだ。
なによりも、キム自身、これまで2万ドルのファイトマネーすら一度も受け取った経験がなかったのだ。
アルタムラは、豪州でキャンプを張っているキムにすぐに電話した。
「デメシージョとの試合はなくなった」。
そう告げただけで、キムは全てを理解した。
アルタムラはずっと長い間、キムに言いたくても言えなかった言葉をついに口にした。
「お前はなんて幸運な男なんだ!本当に羨ましいぜ!」。
「ファイトマネーは50万ドルだ!」。
キムは「5万ドル?本当にそんな金額がもらえるのか」と聞いてきた。
アルタムラは「5万じゃない、50万ドルだ」と笑って返した。キムが唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
短い沈黙。
8000マイル、1万2800km、最高のタイミングで飛行機を乗り継いでも8時間はたっぷりかかる、インド洋の最果てでキムが喜びをかみしめているのがよくわかった。
ビッグファイトに抜擢された無名のボクサーは、往々ににしてそこで満足してしまうものだ。
キムに限ってそんなことはないとは思ったが、アルタムラは「相手はPFP No.1ファイターだが、負けたら元も子もない。集中して練習しろ」と気合を入れようとしたが、その必要はなかった。
「ありがとう、マイク。私を売り込んでくれて本当にありがとう。ここから先は私の仕事だ。ずっとこの日のために準備してきた。マイクを史上最大の番狂せをお膳立てしたマネージャーにしてみせるよ」。
もし、井上尚弥に勝っていたなら、ボクシング人気が完全に沈滞した韓国でも大きな話題を巻き起こしていただろう。
世界中のボクシングファンにも、1-100のオッズをひっくり返した男として、語り継がれたはずだ。
そして、親兄弟もいない天涯孤独の身から、韓国5000万人に愛される国民的英雄に。
〝リアル・ロッキー〟として、ハリウッドも興味を示したかもしれない。
しかし、キム・イェジュンはロッキー・バルボアにはなれなかった。
現実は、1-100のオッズをそのまま反映したような惨敗だった。
それでも、瀕死の韓国ボクシングに刺激を与え、日本のボクシングファンも彼の名前を覚えた。
そして、多くの人が彼の生き様に小さくはない共感を覚えた。
キムの人生はこれからも波乱万丈だろう。そんな32歳の韓国人にとっても、激動の2025年1月が終わった。
1月24日、有明アリーナのリングの上で、彼は何も手に入れることができなかったが、たった一つだけ確かなことがある。
キム・イェジュンは、もう天涯孤独ではない。
新年早々、この1ヶ月は激動だった。
その試合の数週間前のその日、クリスマス休暇でケニアに滞在していたマイク・アルタムラがベッドに潜り込んだのは午前1時58分のことだった。
オーストラリアを拠点に活動する彼の職業は、主にアジアの軽量級ボクサーをマネジメントすること。
欧米の人気階級のプレイヤーが大手プロモーターによって囲い込まれているために、スキマを狙ったというわけではない。
「ボクサーのマネージャーである前に、私は熱狂的なボクシングファンなんだ。欧米では軽量級のボクシングはメインディッシュにならないが、本当に面白いのは軽量級」。
その日もボクシングの試合をネットで見て夜更かしすることになったのだ。
午前2時3分に電話が着信した。スマホの画面に表示されたのは「AKIHIKO HONDA」の名前。
本田明彦は日本のプロモーターだが、ボクシング関係者なら世界中の誰もが知っている伝説だ。
アルタムラはIBFバンタム級王者・西田凌佑のマネジメントにも部分的に関わっており、アヌチャイ・ドンスアとの初防衛戦で来日したとき、本田にある売り込みをかけていた。
「サム・グッドマンのカットは深い、完治しなければまた延期を申し出てくるかもしれない。リザーブファイトに私がマネジメントする韓国人を使って欲しい」。
本田は、アルタムラの提案を受け入れた。
その韓国人キム・イェジュンには、彼よりもさらに無名のケニー・デメシージョというフィリピン人との8回戦がリザーブファイトとしてセットされた。
これで、幸運をつかむのに必要なステップはあと一つだけになった。
ーーー電話の向こうで本田が「オーストラリア人がまた同じところをカットした」と伝えたとき、寝ぼけていたアルタムラは「また延期か」と思った。
本田が「韓国人はきっちり体重を作れるのか?」と訊いてきたその瞬間、アルタムラの眠気が吹っ飛んだ。
「そうだ!そうじゃないか!!グッドマンの代役にキムを送り込んでいたじゃないか!!」
マネージャーはいつだって選手と寄り添っている。
キムの故郷の韓国ではボクシングが壊滅状態。キム自身は両親の顔も知らずに5歳のときから孤児院で育った。
辛い毎日だった。
「親にも必要がないと、お前は捨てられたんだ」。
「なんで生きてるの?捨てられたゴミのくせに」。
小学校でも中学校でも、陰湿な言葉と、容赦ない暴力でいじめられ続けた。
それでも、どんなに酷い仕打ちを受けても、キムが反撃することはなかった。
「あいつらは殺してやりたいくらいに大嫌いだったが、自分なんて生きてる価値がない、というのは悲しいけど、そうなのかもしれないと思っていた」。
「親にも必要とされなかった」。きっとその通りだろう。じゃないと子どもを捨てたりはしない。
捨てられたんだから、ゴミと一緒。これも、その通りだ。
1人になると、いつも泣いていた。
1人になると、どうしてお父さんやお母さんは私を捨てたんだろう、と考えた。
私はどこにどうやって捨てられていたんだろう?
考えても仕方がないことだったが、もし両親に会えるなら、私を捨てた理由を聞きたいと思っていた。
必要がなかったのか?いや、もしかしたら経済的にどうしようもなかったからか?
大人になってからも、1人になると泣き続けた。
ところが、19歳でプロデビューするボクシングを始めてからは、泣かなくなった。
1人になると筋トレやシャドーボクシングに励んだ。
自分の過去にあれほど粘着してこだわっていたのに、それがどうでも良くなったのだ。
ボクシングの試合は大したカネにはならなかったが、勝つと自分が何者かになれる気がした。
自分の未来が、もしかしたら明るいものになるかもしれない、そう信じられることが、どれほど素晴らしいことかに気づいたキムに、たとえ天涯孤独でも毎日泣き暮れる時間は、もうなかった。
キムは過去の自分を嘆くのをやめて、ゼロから作り上げる未来だけを睨んで生きることにした。
当時、アメリカのプロボクシングはすでに衰退の坂道を転げ落ちていたが、小さな身体の2人のファイターがリングの中でとびっきりに輝いていた。
自分よりも酷い境遇から二つの拳で成り上がったマニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーが、とにかくまぶしかった。
自らを「Pacquiweather」と渾名したとき、周囲は笑ったが、本人は冗談のつもりはなかった。目指す場所はそこだったのだから。
天涯孤独のキム・イェジュンの人生は、幸運とは全く無縁だった。本人にはなんの責任もないのに、不運と不幸だけが押し寄せてくる人生だった。
どのクライアント(ボクサー)も贔屓目なく平等に見てきたアルタムラだったが、不運と不幸を向こうに回して、七転八倒しながら戦い続けるキムには「この男がいつかラッキー!と喜べるような日が訪れたらいいな。それに自分が一役買うことが出来たら最高だな」と思っていた。
ジュニアフェザー級を主戦場とするボクサーは誰もが井上尚弥と日本で戦いたがっている。
ファイトマネーが割安で、人気もなく大きな関心を集めることがない軽量級だが、日本だけは特別だ。
軽量級でもファイトマネーは10万ドルを超えることが珍しくなく、キャパ1万人を超えるアリーナでメインを張ることも当たり前、それが日本だ。
そして、その特別な日本の中でも特別なのが、井上尚弥だった。
アルタムラは本田に「ファイトマネーは100万ドルでなんとかならないか」とふっかけたが「無名の挑戦者にそれは無理」と却下され「興行収入にも左右されるが、半分の50万ドル」で落ち着いた。
アルタムラは「納得できない」と不満をたらしたが、内心は躍り上がっていた。
50万ドルは、韓国ボクシング史上最高のファイトマネーだったのだ。
なによりも、キム自身、これまで2万ドルのファイトマネーすら一度も受け取った経験がなかったのだ。
アルタムラは、豪州でキャンプを張っているキムにすぐに電話した。
「デメシージョとの試合はなくなった」。
そう告げただけで、キムは全てを理解した。
アルタムラはずっと長い間、キムに言いたくても言えなかった言葉をついに口にした。
「お前はなんて幸運な男なんだ!本当に羨ましいぜ!」。
「ファイトマネーは50万ドルだ!」。
キムは「5万ドル?本当にそんな金額がもらえるのか」と聞いてきた。
アルタムラは「5万じゃない、50万ドルだ」と笑って返した。キムが唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
短い沈黙。
8000マイル、1万2800km、最高のタイミングで飛行機を乗り継いでも8時間はたっぷりかかる、インド洋の最果てでキムが喜びをかみしめているのがよくわかった。
ビッグファイトに抜擢された無名のボクサーは、往々ににしてそこで満足してしまうものだ。
キムに限ってそんなことはないとは思ったが、アルタムラは「相手はPFP No.1ファイターだが、負けたら元も子もない。集中して練習しろ」と気合を入れようとしたが、その必要はなかった。
「ありがとう、マイク。私を売り込んでくれて本当にありがとう。ここから先は私の仕事だ。ずっとこの日のために準備してきた。マイクを史上最大の番狂せをお膳立てしたマネージャーにしてみせるよ」。
もし、井上尚弥に勝っていたなら、ボクシング人気が完全に沈滞した韓国でも大きな話題を巻き起こしていただろう。
世界中のボクシングファンにも、1-100のオッズをひっくり返した男として、語り継がれたはずだ。
そして、親兄弟もいない天涯孤独の身から、韓国5000万人に愛される国民的英雄に。
〝リアル・ロッキー〟として、ハリウッドも興味を示したかもしれない。
しかし、キム・イェジュンはロッキー・バルボアにはなれなかった。
現実は、1-100のオッズをそのまま反映したような惨敗だった。
それでも、瀕死の韓国ボクシングに刺激を与え、日本のボクシングファンも彼の名前を覚えた。
そして、多くの人が彼の生き様に小さくはない共感を覚えた。
キムの人生はこれからも波乱万丈だろう。そんな32歳の韓国人にとっても、激動の2025年1月が終わった。
1月24日、有明アリーナのリングの上で、彼は何も手に入れることができなかったが、たった一つだけ確かなことがある。
キム・イェジュンは、もう天涯孤独ではない。
コメント
コメント一覧 (3)
フシ穴の眼
が
しました
He is no longer alone in the world.
素晴らしい内容でした。
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました