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長谷川穂積は、歪んだボクシング界の中で「本物志向」を目指す一方で、ネット時代の“犠牲者”でもありました。

2005年4月16日、日本武道館。世界バンタム級の WBCバージョンの王者ウィラポン・ナコンルンアンプロモーションに長谷川穂積が挑みました。

タイ人王者は、7年にわたり14度も防衛しながらもリング誌やESPNのPFP10傑にその名が刻まれることは一度もありませんでした。

14度のうちのべ6人がローリスク・ハイリターンの日本人相手、残りの8人も相当に怪しいWBC御用達の世界ランカーがほとんどでした。

しかし、ウィラポンもまた“犠牲者”の一面を持ち合わせていました。

承認団体の腐敗がいっそう進んだ現在、特に軽量級において強豪同士の激突は避けられる傾向にあります。ファンのニーズが届きにくい、つまり世界的に需要の少ない階級という悲しい背景がありますが。それゆえに「誰に勝ったか?」を問われることなく、山中慎介や内山高志、井上尚弥がPFPに食い込んできたのです。

もし、ウィラポンの時代があと5年遅ければ、リング誌もESPNもPFP10傑に顔を出していたでしょう。そして、そのウィラポンに明白に勝った長谷川も日本人初の「PFPランカー」になっていたはずです(ボクシングシーンなどマイナーメディアのPFPでは10位内に入っていました)。

日本のメディアが「タイの国民的英雄」「伝説の世界王者」と盛り上げたのは間違いではありません。ウィラポンが国民的英雄であることは、当時のバンコクに行ったことのある私も皮膚感覚でわかっています。アジアの国々にとって「日本での成功=世界での成功」なのです。

“(14連続防衛しながら殿堂はもちろん、PFPにすらお呼びでない)伝説の世界王者”であることもまた、間違いありません。

そして、そんなウィラポンからタイトルを奪取した長谷川は“快挙”と持て囃され、陣営は「WBCには恩義がある」とカメラの前で「公言」するほどに腐敗団体から忖度されていたことを自ら漏らしてしまい、サーシャ・バクティンら強豪との対戦を回避、雑魚狩りスパイラルに巻き込まれてゆきます。
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【リング誌2012年1月号から】長谷川がガラスの顎だというのはわかっていたつもりだったが、(世界トップレベルでない)フェルナンド・モンティエルに続いて、ジョニー・ゴンザレスにまで同じようにストップされた。私たちは(二線級に2度も沈められた)長谷川の評価を考え直さなければならない。長谷川の「実力」には以前から「強い相手と戦っていない」と批判していたリング誌ですが、“少し強い相手”のモンティエルとジョニゴンに惨敗したことで、その評価を急落させてしまいました。当然です。

徳山昌守から直接、挑戦状を渡されても長谷川は「徳山さんとの試合は面白くならない」という理由で拒否。雑魚挑戦者を相手に豪快なKOを続けていくのです。

これも、長谷川は悪くないです。「ベガスでビッグマネーを稼げる才能」と持ち上げたボクシングマガジンの記者らが悪いのです。

存在するわけもない「ベガスのビッグマネー」。日本で1試合3000万円を稼いでいた長谷川が「条件さえ整えば、いつでもベガスへ行く」と意気込んでいた、そんな約束の地など、この世にそもそも存在しないのに。

何度も書いていますが
軽量級の本場はベガスではありません!特に日本人にとっては!

これは、書いた記者はどこかで謝罪・訂正すべきです。「いや、パッキャオの例があるでしょ〜」とかいうおふざけはもうナシです。

身近にいるレポーターが真実を伝えていれば、長谷川も納得したでしょう。最近でも「井上尚弥はベガスで1試合20億円稼げる可能性もある」という無責任な記事も散見されました。ローマン・ゴンザレスですらキャリアハイが6000万円というのに。

世界の情報が瞬時に入るネット時代に、長谷川の“鎖国防衛”はマニアから非難を浴びるようになります…しかし、しかし、です!

軽量級の本場はベガスではない…この揺るぎない真実に妥協したのが長谷川でした。

そして、このベガス幻想に固執して迷走しながらも、「誰に勝ったのか」という世界評価の大命題をストーカーのごとく追求したのが西岡だったのです。

二人は対極のやり方で、それぞれ本物を目指しました。アスリートには何の責任もありません。

しかし、厳しい言い方ですが、もし、今なお1団体八階級時代なら長谷川も西岡も世界王者にはなれていなかったでしょう。

それでも、そんな2人が「本物」を自分なりのやり方で、懸命に追求したのです。

彼らの本物への渇望は、ある意味でファイティング原田をも凌いでいたと思います。そうです、原田は「本物への渇望」など考えなくても、本物を倒さなければ世界一になれない、当たり前でわかりやすい時代に生きていたのですから。
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勝てば、より高い次のステージがある。

勝ち続ければ、一番高いステージまで辿り着く。それがスポーツです。

しかし、プロボクシングの世界では「主要」(何が主要なのか誰にも説明出来ませんが)と言われるだけで4つもあるアルファベット団体が勝手に〝世界チャンピオン〟を承認しまくって、世界一を粗製乱造しています。

一番高いかどうか極めて怪しいケースが多いアルファベット団体の〝世界チャンピオン〟になると、今度は、またまたその実力が怪しい挑戦者が次々と現れ、安易に防衛を重ねていくことが出来ます。

怪しい〝世界チャンピオン〟は決定戦などで決められてしまうと、その実力は世界50位くらいじゃないか、というケースもままあります。

実力50位に勝って、より順位の高い実力者と防衛戦を行えば、まだステージを上がっていることになりますが、多くの場合、どう考えても世界一に挑戦する資格の無い劣悪なボクサーと〝世界タイトルマッチ〟を重ねることになります。

五輪がIOCの他にも、WOAやらWOCやらIOAやらWOOみたいな統轄能力を持たない、腐敗を極めた承認団体があちこちで勝手に五輪を開催して、勝手に金メダルを量産していたら、誰もそれを世界チャンピオンとは認めないでしょう。今のボクシング界は、まさにその惨状を呈しているのです。

もちろん、選手が悪いわけではありません。ボクシング界の構造、仕組みが悪いのです。

ボクシング界の構造に対して、戦わざるをえなくなった長谷川穂積と、西岡利晃。

同時代にバンタム級で活躍した二人は、もっと比較されなければならない存在でした。いいえ、拳を交えなければいけなかったはずです。「真正ジムが事実上〝神戸帝拳〟だから同門対決になる」とか理由になりません。

それを回避する、回避するどころか、そもそもの発想がない、欠落しているのが日本ボクシング界の病巣です。

辰吉丈一郎と鬼塚勝也も、井岡一翔と井上尚弥も、もし戦わば日本中のボクシングファンが盛り上がったのは間違いないのに、メディアはもちろんファンもその対決を焚きつけることはありませんでした。

もし、マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーが日本人だったら、メディアもファンも両雄の対戦を煽ることはなく、戦うこともなかったかもしれません。

「本当の世界チャンピオンになりたい」。今の時代、全ての世界チャンピオンがそう願っています。

長谷川と西岡もそうでした。

しかし、同じ願いを実現するために、二人は対照的なルートを歩みます。

長谷川は2005年4月16日に、ウィラポン・ナコンルンアンプロモーションの15度連続防衛を阻んで、バンタム級のWBCバージョンをピックアップ。

ウィラポンは世界的な強豪の1人でしたが、殿堂クラスのチャンピオンではありません。

弱い相手ばかりといたずらに防衛回数だけを稼いだため、引退から10年近く経っても殿堂入りとは無縁の存在なのです。100%殿堂入りは無いでしょう。オマール・ナルバエスのいたずら防衛記録もウィラポンと同様、数字ほどには評価はされず、このアルゼンチン人の殿堂入りも考えられません。

このウィラポンの「弱い相手ばかりの14度防衛」リストに、4度も名前を刻んでしまったのが西岡利晃です。

西岡はウィラポンに4度も阻まれ、長谷川はそのウィラポンから明白な勝利でタイトルを奪ったのです。

最初に、14度も防衛しながら殿堂入りにアプローチすら出来ない、不可思議なタイ人に焦点を当てます。

ウィラポン・ナコンルアンプロモーションは、ムエタイでジュニアフライ、フライ、ジュニアバンタムの三階級を制覇した伝説的なキックボクサーから、国際式に転向。ムエタイのトップ選手が国際式に転向するのは、この国のエリートコースの一つです。

デビュー戦でWBCインターナショナル・ジュニアバンタム級のタイトルがかけられたことからも、期待の大きさが伺えます。同国のセンサク・ムアンスリンの持つ世界奪取の最短記録、デビュー3戦目の更新まで視野に入れていたと言われていますが、現実には4戦目、1995年9月17日に世界挑戦のリングに上がります。

相手は、同じタイの世界バンタム級タイトルのWBAバージョンを保持するダオルン・チュワタナ。

2人は28歳の同い年でしたが、ダオルンは64戦を戦い56勝(32KO)5敗、試合の構図は老雄と新鋭の激突でした。

ウィラポンは2ラウンドにダウルンの左を浴びて腰を落とし、ダウン寸前の大ピンチに見舞われますがゴングに救われます。ダウルンの攻勢をウィラポンがかわす展開のまま、試合終了のゴング。ダウルンが押し切ったに見えた試合はスプリットデジションでウィラポンの手が上がります。

ウィラポンは、強い左ジャブと重たい右ストレート、非凡な武器を見せつけた一方、そのスピードの無さと打たれ弱さからは、長期安定政権は想像できませんでした。

1996年1月28日、初防衛戦は指名挑戦者のナナ・コナドゥ。この31歳のガーナ人も、ジュニアバンタムのWBCバージョンを文成吉に強奪されてから6年が経っていた老雄。

ウィラポンは、第1ラウンドからダウンを奪い、ペースを掌握しますが、スピードの欠如と打たれ弱さの致命的な欠陥が2ラウンドに暴露されてしまいます。
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コナドゥは「終わったボクサー」のはずでしたが、打たれ弱くスピードのないウィラポンにとっては危険な相手でした。

ガーナ人の右にたじろいで、撃ち合いに応じたウィラポンでしたが、これが裏目に。相打ち気味の両者の右、先に着弾させたのはコナドゥでした。もんどり打って倒れるウィラポンは、必死に立ち上がるも小鹿状態でフラフラ。ここで試合はストップされてしまいます。

ウィラポンが再戴冠するのは、WBCバージョンのバンタム級タイトルでした。1999年12月29日、フルハウスの大阪市中央体育館、王者は辰吉丈一郎。「スピードと打たれ強さに欠陥を抱えるタイ人」と、ランキング4位のウィラポンをチェリーピックしたつもりでした。
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しかし、世界水準ではスピードもなく打たれ弱いウィラポン以上に、辰吉はスピードもなく、打たれ弱かったのです。

ここから、ウィラポンの雑魚狩り防衛戦ロードの火蓋が切って落とされます。これも、ウィラポンが臆病者だったわけではありません。報酬が桁違いの日本で戦いたいのは、世界中の軽量級ボクサーにとって共通の思いです。しかも、相手が弱いとなると。

初防衛から、マウロ・ブランコ(地域タイトルも獲ったことのない無名選手)、辰吉丈一郎、アダン・バルガス(強豪の1人とはいえ世界には届かず)、西岡利晃、オスカル・アルシニエガ(ウィラポン戦時点で31勝14敗2分、その時の直近5試合が1勝4敗)、リカルド・ハラハス(地域タイトルも獲ったことのなく、ウィラポン戦のあとはプロデビューの相手と戦うなど世界水準にはなかった)、西岡、セルヒオ・ペレス(直近5試合2勝3敗の雑魚、〝WBCマジック〟でなぜかペレスに勝った選手は世界ランカーになれませんでした)、フリオ・コロネル(IBAバンタム級王者の肩書きを持っていましたが、直近2勝3敗、通算21勝26敗1分)、ウーゴ・ディアンソ(珍しく直近5試合で3勝2敗と勝ち越していますが世界水準にはありません)、西岡、西岡、フリオ・セサール・アビラ(直前の試合で辰吉に負けた敗北も含めて直近5試合2勝2敗1分、ウィラポン挑戦時で22勝15敗1分)、セシリオ・サントス(WBCの地域タイトルを獲るなど強豪だがアルファベットのタイトルにも届かない実力。ちなみにまだ現役、35勝32敗。「負け越したら引退する」。そういう生き方もありです)。

ウィラポンの14度の防衛戦で、西岡は4、7、11、12と前半、中盤、後半とバランスよく退けられています。そして、経年劣化と雑魚相手に錆び付いたウィラポンを長谷川が斬って捨てたという流れです。

晩年の劣化ウィラポンですら攻略できなかった西岡は、その後、決定戦を経て世界王者になります。同じ相手に4度失敗、さらに決定戦というご馳走の形で5度目のチャンスまで与えられる…これを「何事も諦めなければ成し遂げられる」という美談で済ませていいのでしょうか?

そして、長谷川は10度防衛の後に、世界中が認める階級最弱王者フェルナンド・モンティエルに屠られながらも、決定戦のカードでフェザー級、やはり文句なしの階級最弱王者ウーゴ・ルイスからジュニアフェザーのタイトルを獲って三階級制覇を果たしました。

もし、ウィラポンの防衛戦ロードに西岡と長谷川がいなければ、このタイ人の評価はさらに下落しました。しかし、「誰に勝ったか」でウィラポンが最強の長谷川、そもそも評価が高くないジョニー・ゴンザレスに逆転勝ち、1−3のオッズで負け犬扱いされていた西岡。この2人の前にも殿堂の扉が開かれることはないでしょう。

そのジョニゴンを3−1の有利予想で挑戦者に迎えながら惨敗した長谷川も、そこまでの選手です。

しかし、この2人はボクシング界の硬直した構造に安寧することなく、本物のチャンピオンを目指して行くのです。
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平昌オリンピック、トップスポーツの感動は、アスリートが全力を尽くして競技する躍動そのものがら引き起こされる…と言いたいところですが「金メダル=世界一」を目指す、その美しく残酷なサバイバルから、湧き上がるものです。

「誰が一番強いのか」。それが決定することに、覇権を争ったあとに、勝者と敗者が生まれることにエクスタシーを覚えるのです。

その覇権を、夏と冬、多彩な種目にわたって4年に一度、国旗を背負って戦うイベントが面白くないわけがありません。

羽生結弦は幸せです。小平奈緒は幸せです。高木菜那は幸せです。

彼らが、金メダルを勝ち取ったからではありません。

正真正銘の、世界一を決める舞台が、毎年ワールドカップ戦があって、4年に一度は五輪まであるからです。

目の前の勝負に、全身全霊を捧げて戦えば、勝ち続ければ、その先に必ず世界最強決定戦の舞台が用意されているのですから。

五輪で勝てば、ニュース速報が流れ、翌朝には号外が配られます。

総理大臣が、直々に電話をかけて祝辞を語ります(これはあんまり要りませんが)。

プロボクサーは、どうしたら、そのステイタスに辿り着けるのでしょうか?

もっと正確に言えば、「〝今の〟プロボクサー」は、どうしたら、そこまで認められるのでしょうか?

ロンドン五輪で金メダルを獲った村田諒太は、なるほど特別待遇です。アマチュアボクシングでミドルで金です。素晴らしいとしか表現できません。自分が学生の頃には「日本人がミドルで五輪金メダルを取る」なんて、漫画でも考えられませんでした。

日本はおろか、もし、村田が米国人なら「(ボクシング凋落著しいがゆえに〝最後の金メダリスト〟と痛切に語られる)アンドレ・ウォード以来の金メダル」として、日本以上の鋼鉄製の温室で純粋培養されたでしょう。

しかし、プロボクシングの世界王者は、今や完全にマイナースポーツ扱いです。日本人で初めてリング誌の年間PFPに入った井上尚弥ですら、視聴率は10%にも届かず、その知名度は純粋想起だと20%も怪しいでしょう。
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1980年から38年にわたって専門家投票でランキングされてきた「BEST FIGHTER POLL」。日本人がランキングされるのは、初の快挙ですが…。


日本人のプロボクサー、世界チャンピオンが、一般のスポーツファンにも認められていない現状は、何故なのでしょうか?

かつて、具志堅用高は国民栄誉賞の議題にあがりました。創設された1977年以前に、この賞が存在していれば、白井義男とファイティング原田は、他のスポーツのトップ選手を差し置いて、間違いなく受賞していたでしょう。

マニー・パッキャオやシーサケット・ソールンビサイは、ビッグファイトに勝利を収めたことで国民的英雄に登り詰めました。

パッキャオは例外としても、シーサケットは「115ポンドの(壁にぶち当たった)ローマン・ゴンザレスに2連勝、ファン・フランシスコ・エストラーダとの激戦に勝利」して、タイ最高のアスリートとなりました。偉業ですが、フライ級までがプライムタイムだったロマゴンやエストラーダに勝つのは、井上でも絶対不可能だったとは思えません。

もちろん、クロスレンジでは危うさしか感じられない井上がロマゴンやエストラーダに、「え?」というパンチで沈められる可能性も十分ありますが。

もし、シーサケットと同じことを井上がやっても、首相官邸に招かれたり、天皇陛下が空港に出迎えるかとなると、甚だ疑問というか、ありえません。

それは、フィリピンやタイよりも日本が国家として成熟、老成しているからなのでしょうか?あるいは、ボクシングの世界王者の地位が不審で怪しい存在に失墜してしまったからなのでしょうか?それとも、その両方でしょうか?

プロボクシングの世界王者が誕生して、ニュース速報が流れたり、号外が配られることは、何があってもありえないのでしょうか?

もし、それが、ありえるとしたら、どういうケースなのでしょうか?

ボクサー本人もわかっています。「自分たちは世界一じゃない」と。

ボクサー個人には、なんの責任もないのに、日本人は世界王者になっても、何度防衛しても、彼らは満たされない思いに懊悩させられるのです。

全ては、ボクシングの仕組みが悪いのです。日本も、世界も。

この醜悪なボクシングの仕組み、日本と世界の唾棄すべき〝奴らのやり方〟に、自分たちなりの答えを求めて闘った二人のボクサーの物語です。

本来、ボクサーが戦うのは目の前の敵だけです。仕組みだとか、システムは考えなくても、勝ち続けていれば、おのずと強敵が現れる、世界最強決定戦の舞台に辿り着く…はずです。しかし、日本人世界王者の場合は、ほとんど全ての場合、次から次へとその実力が極めて怪しい雑魚挑戦者が雨後の筍のように押し寄せてくるのです。

内山高志はジュニアフェザー最強と評価されながら、自分を無視してこの階級を踏み台にしていくビッグネームの背中を何度も見送りました。

山中慎介は、のちに100万ドルファイターになるレオ・サンタクルスとの対戦を熱望しましたが、交渉は全く進展しませんでした。

五輪で活躍する日本人、メジャーリーグで活躍する日本人、欧州サッカーで活躍する日本人。彼らと同列に立つことは、村田のように五輪で金でも取らない限り、プロボクシングでは無理なのでしょうか?
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「米国永住権をかけて戦い続けるレイムンド・ベルトラン」「ウラジミール・クリチコがアンソニー・ジョシュアを向こうに回して最後の挑戦」「親を喪ってすぐに試合に臨んだルーク・キャンベルとリー・セルビー」「大地震の被害者救援のために母国メキシコを慰問するカネロ・アルバレス」…

数多の候補を抑えて、リング誌の「2017 MOST INSPIRATIONAL 賞 (最も感動的なボクサー)」に輝いたのは、シーサケット・ソールンビサイでした。
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リング誌4月号「THE89thANNUAL RING AWARDS」特集


シーサケットは、バンコクの貧困エリアでゴミ収集の仕事をしながら糊口を凌いでいました。

最高に幸せな時間は、生ゴミの中に見つけた牛肉や鮭の小さな小さな断片を火を通して貪り食う夜でした。まともにコメを口に出来ることなど、夢の中に出てくるだけの、そんな生活でした。

一緒にバンコクに出てきた婚約者のケイは、押し潰されそうな生活に疲れ果てて、何度もシーサケットの元を去りましたが、何度もよりを戻します。

〝I told her that one day I would make it and one day my hard work pay off and I would become someone…〟

いつか、君を幸せにしてみせるから。いつかこの努力がきっと報われる日が来るから。いつか必ず何かを成し遂げてみせるから…。


「仕方がなかった。私はケイに何もしてあげられなかったんだから。私には、カネも食べ物も何一つとしてなかったんだ。それでも愛し合っていた。毎日食べ物の心配をしながら生きていた、そればかり考えていた。一生懸命働いたけど、暮らしは全く良くならない、それでもいつか必ず報われると信じて頑張ってきた」。

シーサケットがどん底の時代を振り返るとき、敬虔な仏教国の国民らしく、静かに微笑みながら話します。シーサケットとケイには何の責任も無いことなのに、貧困を恥ずかしいことのように語る表情を見るとき、その声を聞くとき、私たちは自分の方が恥ずかしくなります。

シーサケットはムエタイの選手でしたが、バンコクでは無名の田舎者に試合のチャンスは与えられません。日本のエリートボクサーから咬ませ犬の声がかかったら、やったこともない国際式ボクシングのリングでも喜んで上がりました。

ボコボコに殴られ、内出血した両目と、腫れ上がった顔面で帰国するシーサケットを、ケイは空港ロビーで迎えると試合結果も聞かずに抱きしめました。いつも、二人は空港で抱き合いながら互いに謝りました。

「ごめん、また負けちゃったよ」

「私こそ、ごめんなさい、生活のためにあなたにこんなことをさせて」

空港ロビーでみすぼらしい服装のやせ細った若い男女が、男は傷だらけの顔面を腫れ上がらせて、女は泣きじゃくって抱き合う光景は、行き交う裕福な人々から奇異の視線や、ときには嘲笑も浴びました。

日本で殴り倒されると数百ドルが手に入りましたが、日々の生活や積み重なった借金の返済に消えてしまいました。

2009年3月17日、八重樫東の咬ませ犬としてプロデビュー、その後も二人の日本人の踏み台にされ、プロ5戦目までの星勘定は1勝3敗1分。

そんなシーサケットが、8年後もボクサーを続けているだけでも奇跡なのに、どんな日本のエリートボクサーも触ることもできないほどの栄光を掴み取ってしまうなんて。

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2017年3月18日、ちょうど8年前の八重樫戦と全く同じでした。エリートボクサーの咬ませ犬扱いで急に外国のリングから声がかかりました。準備期間は2ヶ月、十分なコンディションは作れませんでした。

そして、やはりあのときと同じように空港に帰って来て、あのときと同じようにケイが迎えに来ているはずでしたが…その姿はどこにも見つかりません。

シーサケットはケイが乗せられた巨大なリムジンに迎えられ、タイ王宮でプラユット・チャンオチャ首相からその偉業を賞賛されるのですが、8年前にはそんなことなど世界一の仏教国でも〝仏様でもご存知あるまい〟でした。

あの8年前と違ったことは、5つもありました。

一つ目は、日本ではなくマジソン・スクエア・ガーデンで戦って、ニューヨークからの帰国便であったということ。

二つ目は、空港で浴びたのは奇異の視線でも嘲笑でもなく、母国に誕生した英雄の姿を一目拝もうと集まった大観衆の尊敬と絶賛だったということ。

三つ目は、ケイは到着ロビーではなく空港に横付けされた国賓用リムジンの革張りシートにドレスを着て待っていたということ。

四つ目は、バンコクのダウンタウンまで二人で手をつないで帰ることが出来ずに、タイ国軍に護衛されながら全ての信号が青になった幹線道路を通って王宮まで行かなければならなかったこと。

そして、五つ目は…とんでもない相手に勝った凱旋帰国だったということ。


「タイの誇りを世界に示すことができました」と報告するシーサケットに、チャンオチャ首相は「引退後の彼には然るべきポストを与え、家族の生活を最高レベルで保証する」と約束しました。 

ゴミを漁って食べ物を探していた若者が命の限り努力して、国民的ヒーローの座に駆け上がったのです。

「ゴミを漁って食べ物が見つかったら大喜びしていた。仕事にありつけたらそれだけで嬉しかった。全部ついこの間のことのようです。実際に、そんな昔の話じゃないです。貧しい生活は苦しかったけど、謙虚で、足るを知る、不要な贅沢をしない生き方が身につきます。そして、いつも本物の希望の光が見えているのです」。

「ボクシングが大好きで、このスポーツに全てを捧げてきましたが、グレートの仲間入りをしようだなんて思ってもいませんでした。大好きなボクシングを続けられたらいいなって、それだけ思って頑張って来たら、大きなチャンスが訪れたんです」。

そして、9月の再戦で決定的な内容でローマン・ゴンザレスを返り討ちにしたシーサケットは、空港でタイ国王の出迎えを受けました。かの国で、これ以上の名誉はありえません。

今回、ケイは空港で出迎えます。シーサケットは、夢に向かって走り続けたパートナーの前にひざまづきます。空港に居合わせた人々は、英雄のプロポーズを眼の前で見ることが出来た興奮と幸運に、祝福の声を二人に送ります。

空港でケイが大泣きするのは、この二人のルーティンです。

「あなたを空港で迎えるのは何度目でしょう?そのたびにあなたの顔から傷が消えて綺麗になっていく。本当にボクシングをして来たの?」。

「傷だらけでも、傷ひとつなくても、やっぱり泣いちゃうんだね。君を泣かせないようにするには、どんな顔で帰って来たらいいのか教えておくれ」。

ボクシングのリングは修羅の場所です。シーサケットの行く手には、さらなる強敵と、さらなる報酬が用意されるでしょう。それがアメリカと日本のリングの決定的な違いです。

ハッピーエンドはアメリカのリングには、まずありえません。ボクサーの夢も野望も食い物にするのがアメリカのリングです。

それでも、シーサケットはついに夢を掴みとりました。

これから、いくつの壁を乗り越えられるかは誰にもわかりません。そう、仏様でもご存知あるまい、なのです。
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SUPER FLYでシーサケット・ソールンビサイがリング誌認定王者に就き、WBCタイトルも防衛。

東京マラソンでは設楽悠太が日本記録を更新、16年もの間、誰もが壊れたと諦めていた時計を動かしました。

そんな日曜日にお仕事でした…。シーサケットも設楽もリアルタイムで見ることができず、仕事中にネットでチラチラ追いかけるしかない、悲しく慌ただしい1日でした。

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シーサケット勝利!1人のジャッジがドローと採点する2ー0のマジョリティデジション。 メキシコボクシングの聖地、ザ・フォーラムで、100%アウエーを跳ね返したタイ人が、また一歩階段を登りました。

ローマン〝チョコラティト〟ゴンザレスを主役に据えて、宿敵ファン・フランシスコ・エストラーダとの「決勝戦」を予定していたはずのSUPER FLY興行は思わぬ結末に着地しました。


リング誌認定ジュニアバンタム級王者決定戦/WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ

シーサケット・ソールンビサイvsファン・フランシスコ・エストラーダ

最後に立っていたのは、シーサケット・ソールンビサイでした。
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オフィシャルは117−111、114−114、115−113と割れました。

判定が発表されると、ザ・フォーラムを埋めた7827人の大観衆は不満の怒号をあげましたが、どう見てもソールンビサイの勝ちは明白でした。

エストラーダを後押しした大声援にジャッジが惑わされることがなかったのは幸いでした。

しかし、ロマゴンに連勝、エストラーダの挑戦も跳ね返したシーサケットを見て「すごいボクサーを発見した」と喜ぶ米国マニアを、「そんなのずっと前から知ってたわ!」と見下せるのはちょっとした快感です。



  💲今回の報酬💲

シーサケットのファイトマネーは25万ドル、エストラーダは10万ドル。安い、安いです。

「SUPER FLY1」のローマン・ゴンザレスは60万ドルでしたから、相当なコストカットが出来ましたね。

HBOは、軽量級にスポットライトを当てる素晴らしいイベントを企画してくれましたが、動機が不純ですね、それでも米国でほとんど無視されている軽量級の面白さを伝えてくれるのですから、全くもって悪いことじゃありません。

ちなみにカルロス・クアドラスとマクウィリアムス・アローヨは仲良く2万5000ドルずつ。アローヨが予想以上にキレていましたが、クアドラスにとってこの敗北は痛い、痛すぎます。

ちなみに IBFフライ級タイトルマッチ(王者ドニー・ニエテス:4万ドル、挑戦者ファン・カルロス・レベコ:3万ドル)とWBA世界王者決定戦(ブライアン・ビロリア:5万ドル、アルテム・ダラキアン:2万5000ドル)も、相当に格安です。

先日のウェルター級ノンタイトルマッチ、ダニー・ガルシアvsブランドン・リオスがそれぞれ120万ドル、50万ドルを得たことを考えると、バーゲンセールです。

SUPER FLY興行は、選手報酬の上限が120万ドルと言われてましたが、今回はさらに叩きましたね。

けして良い傾向ではありませんが、軽量級の人気に火がついて、100万ドルファイターが何人も誕生することを願ってやみません。

ニエテスも115ポンドへの参戦を表明するなど、この階級は創設38年、間違いなく今が最もヒートアップしています。



そして、今夜は軽量級の主役の座を掴んだシーサケット・ソールンビサイの物語です。

In many ways his rise from abject poverty to win a world title in one of boxing's smallest weight classes and then to come to the United States and hit it big is reminiscent of the incredible rise of Manny Pacquiao.(ESPN)

極貧のどん底から軽量級の世界王者に成り上って、米国へ進出、大きな成功を収めた−シーサケット。その歩みは、マニー・パッキャオの偉大な足跡といくつもの共通点が認められる。


シーサケットは、バンコク郊外の貧しい農村で生まれました。

13歳で父親にならってムエタイのプロの道に進み、10代で婚約者となった女性とともに夢を描いてバンコクへ向かいます。

しかし、ムエタイの試合は組んでもらえず、警備員の職にやっとありつけたものの給料は劣悪で、ゴミ収集を生業とするようになりました。

「とにかく貧乏でお金がなかったから、生ゴミを漁ってそれを食べる日もあった。それしか僕と彼女が生きて行く手段がなかったんだ」。シーサケットは苦難の日々を振り返ります。

そんなある日、知人の男が「金が欲しいなら日本に行かないか」と声をかけてきました。 

男はボクシングのブローカーでした。日本のエリートボクサーが咬ませ犬を探していたのです。

ボクシング経験はなかったシーサケットですが「ムエタイと似ているし、そんな大金が手に出来るなら」と二つ返事で引き受けます。

わずかプロ7戦目で世界タイトルに挑戦した八重樫東がその相手だと知ったのは来日してからでしたが、そもそもボクシング経験のないタイ人は八重樫東すら知りませんでした。

2009年、彼は日本のリングに上がります。そして、3ラウンドKO負け。咬ませ犬の仕事を全うしました。

こっぴどく痛めつけられたタイの若者は、ブローカーの手数料などを引かれても10万円近くの大金を手にして、ボクシングを続けることを決意します。 

2戦目も、日本人相手の咬ませ犬、奇しくもデビュー戦と同じ3ラウンドKO負けを喫して2連敗。婚約者と「私たちに未来はあるのか」と涙にくれました。傍目にも、彼らに明るい未来などないとしか思えませんでした。

選ぶ道は二つ。このままボクシングを続けるか。それともゴミ漁りに戻るか。

ほんのかすかな光でも、ささやかな希望でも、それがありそうなのは、あるとしたら、ボクシングでした。

シーサケットは、二つの拳に未来を賭けました。

タイに戻ってのプロ3戦目。今度は咬ませ犬ではありません。相手はデビュー戦、しかし6ラウンド引き分けに終わります。

デビュー3戦でいまだ勝ち星なし。しかし、この試合が、未来のスターの分水嶺でした。

「もし、3試合して全敗ならボクシングを辞めよう」。そう決意して挑んだ試合で負けなかったのです。

婚約者も「あなたには素質がある。続けましょう」と励ましました。

それにしても、なんて能天気なカップルでしょうか。

ボクシングど素人でプロキャリアをスタート、3戦2敗1分の星勘定(勝ってないので星はありませんが)で「素質がある」って…。

何でもいいから、ローカルタイトルでもいいからチャンピオンになれたら…それが目標でした。

しかし、そんなささやかな夢すらも、3戦勝ち無しのシーサケット が手に出来る日が訪れるとは、彼とその婚約者以外は誰も信じていなかったでしょう。

もし、タイムマシンに乗って「8年後に現役のPFPキングを2度撃破して、米国メディアがマニー・パッキャオとあなたを比べている」なんて告げたら、底抜けに楽観的な2人でも「からかうのも大概にして下さい」と機嫌をそこねるかもしれません。
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ついに…レイムンド・ベルトランが一つの試合で二つの夢を叶えました。

Top Rank-ESPN興行のメインイベント、WBO世界ライト級王者決定戦で、パウルス・モーゼスを3−0(117−111×2、116−112)で下して悲願の世界タイトルを掴み取ったのです。

そして、ついにグリーンカードを獲得したのです。米国永住権です。もう家族が引き裂かれる悪夢を見る必要はありません。正々堂々と、米国に住むことができるのです。

「生きるか死ぬか」。そう覚悟して挑んだ通り、両者がまぶたを切ってしまう激しい流血戦となりました。

「ESPNのアナウンサーはベルトランに肩入れし過ぎ」「今年40歳になるモーゼスもナミビアから敵地に乗り込んで最後のチャンスと頑張ったのに」「ベルトランの負けでもおかしくない」…視聴者の声は確かに頷ける部分もありますが、アナウンサーはともかく、公式ジャッジは十分納得出来る範囲のスコアでした。

CompuBoxのパンチ統計は、ベルトランが678発中197発ヒット(命中率29%)、モーゼスが622発中159発(26%)でした。

意気込みが強すぎたのか、前半は固かったベルトランでしたが、バテバテになりながらも後半ど根性を見せて一家離散を食い止めました。

EB-1 green cardが認可発行されるのは、間違いないでしょう。
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=写真=解説は、マニー・パッキャオにしか負けなかったティモシー・ブラッドリー。「ベルトランの上下の打ち分けは効果的。特に左右のボディフックは素晴らしかった」。

そして、早くも初防衛戦が内定しています。

5月12日、マジソン・スクエア・ガーデンで、PFP1位(ESPN)のワシル・ロマチェンコを迎え撃つというのです。

トップランクのボブ・アラムは「今は何も決まっていない。私たちはロマチェンコがホルヘ・リナレスに挑戦する世界戦を模索している。二人のファイターもそれを望んでいる」と明言を避けていますが、5月5日のメガファイト(ゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレスのリマッチ)、両者とも自分に有利な報酬を主張、HBO(ゴールデン・ボーイ・プロモーション)とESPN(トップランク)の綱引きなどリナレスvsロマチェンコ実現には複数の障害があります。

一方、ベルトランvsロマチェンコなら同じトップランク門下、5月12日の放送カードのメインイベントにセットするのは最も自然な成り行きです。 

流血のダメージを負っているのに試合まで3ヶ月もない短いスパン、しかも相手はロマチェンコ…ベルトランの試練は続きます。

アラムが珍しく良いこと言ってます。その通りです。

"I'm very happy for Ray right now," Arum said. "He really earned that world championship victory. He is a champion. His win is a win for all the Dreamers in the United States. We need to keep all the Dreamers in this country." (ベルトランを祝福したい。ついに世界戦をものにした。世界チャンピオンだ。米国にいる全てのドリーマーたちを勇気づける勝利だ。私たちはドリーマーたちをこの国から追い出すようなことはしてはならない)

トランプ政権が撤廃する方針のDACA(15歳以下で親に連れられて入国した場合は強制送還を免除する条例)のおかげで、薄給の下積み仕事を黙々とこなして米国社会を支えてきたドリーマーたち。

ドリーマーを強制送還したら、下積み仕事の給料が跳ね上がり、経済に混乱を来すことは明らかです。

移民に対して恐ろしいほど冷酷な日本人の私が言うのは「唇寒し」ですが、移民によって栄えたボクシングビジネスに深く関わっていたにも関わらず、このような暗愚な政策を推し進めるトランプ大統領には幻滅しかありません。
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=写真=ESPNの興行の番宣で、涙ながらに決意を語るベルトラン。「家族を守るためにもアメリカの永住権を掴まなければならない。私は36歳、この試合がラストチャンスだ。今までも、勝つと信じてリングに上がってきた。しかし、この試合は特別だ。絶対に負けられない。私と私の家族の人生が、丸ごとか賭かっているんだ」。

絶対に負けられない戦いがある。

そんなアディダスの広告が語る言葉が現実に当てはまることは、実は滅多にありません。

その、滅多にない〝絶対に負けられない戦い〟を迎えるのが、明日のレイです。

もし、この世界戦を落としてしまうと、就労ビザが切れ、レイの稼ぎを頼りに生活している家族を残して、メキシコに送還される可能性が大なのです。

世界王者になれば「アメリカの国益に貢献できる普通じゃない才能がある」と認められ、〝アーティストのグリーンカード〟が手に入るのです。

「どうせ負けてもパッキャオが家族の面倒見てくれるんでしょう」と聞いてくる意地の悪いメディアに対して、レイはムッとして、まくしたてます。

「それを言ったらパッキャオのスパーリングパートナーを辞めてなんかいない。最初から変な世界チャンピオンよりも待遇は良かったし、金額はどんどん跳ね上がっていったからね」。

「ただ、私はパッキャオの傘から出て行く必要があると感じたんだ。彼のおかげで強くなった、でもこれからは、自分の傘をさして、家族を守って、嵐の中を突き進んでいくのさ。それが私にとっても家族にとっても大切なことだとわかったから。これは、会社の傘に身を寄せ合って生きている君たちにはわからない、誇りの話だ」。

かつての雇用主、マニー・パッキャオからは「お前は絶対に勝たなければならない。勝てばグリーンカード、負けたら家族と引き離されるんだ。ここからはお前だけの責任だ。私には何も出来ない」とエールを送られています。
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=写真=ベルトランが提出した書類一式の「受理と審査を行う」ことを告げる通知書が、国土安全保障省から送付されました。「世界タイトルマッチの結果を鑑みて審査を行う」…つまり勝てばグリーンカード、ゲットです。

レイのEB-1取得に対する陳情には、米国の議員を含む多くの米国市民が支持を表明しています。

異例と言うか、当然というか、その中には非米国市民がたった一人だけ署名しています。マニー・パッキャオです。

1996年間、15歳のときに母親と兄弟と極寒の国境越えを敢行してから22年もの時間が経ちました。

今度は、夜の山脈を突破する違法の国境越えではありません。

合法の〝国境越え〟です。米国政府に認められて、晴れて米国市民になれるのです。

運命のゴングまで12時間を切りました。
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現在、メキシコ・シロアナ州出身で最も出世しているボクサーは、16日に世界タイトルに挑戦するレイムンド・ベルトランではありません。

出世頭は、レイより10歳年下のWBOスーパーミドル級王者のヒルベルト・ラミレスです。

つい今しがた、ガーナのハヒブ・アハメドを序盤から圧倒、6ラウンドKOで3度目の防衛に成功しました。

いやはや、過小評価されていますが、ラミレスは強いですね。

とはいえ、減量に苦しみ、前日計量で全裸になってリミットをクリア、身長189㎝、リーチ191㎝の筋肉質の肉体です。スーパーミドル(76㎏)で戦うのは限界ですね。

テキサス州コーパスクリスティのアメリカンバンクセンター(2012年2月18日に石田順裕がポール・ウィリアムス相手に大健闘を見せた舞台です)で行われたこの興行には、セミファイナルにジェルウィン・アンカハスも登場、〝パッキャオ2世〟が10ラウンドKOで防衛成功しています。

さて、このメキシコ史上初のスーパーミドル級王者も、レイ以上に劣悪な治安の街で育ちました。

シロアナ州マサトラン。メキシコ最大の港湾都市にして、治安は最悪のエリアです。

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【「Matar o morir(殺るか、殺られるか)。〝ZURDO(サウスポー)〟ラミレスのバラード)」のタイトルでESPNが行ったインタビュー。静謐な声と言葉で語られるがゆえに、悲惨な記憶は憂鬱で重い説得力を帯びて伝わってきます。】

「殺るか、殺られるか」、大げさに使われることの多いフレーズですが、マサトランの街では全く日常のことでした。

「〝殺さなければ、殺される〟、それがあの街の掟だった」

「少年時代は、いつもポケットに大きな折りたたみナイフを護身用に忍ばせていたんだ。使ったこと?もちろんあるさ、あの街で生き残るってことは、そういうことなんだよ」。

「何かになりたかったかって?…殺し屋、ヒットマンになりたかったな」 。

「どうしてそんなヤクザ者になりたかったのか?殺し屋のお兄ちゃんたちはみんな優しかったから、みんなとてもいい人だったんだ。お金もいっぱい持ってて、いろんなことを教えてくれて、いろんなものを買ってくれて、とにかく格好良かったんだ…こんなことはあの街で育った人間じゃ無いと、全く理解できないんだろうけどね」。

…ラミレスが殺し屋にならなくて良かったです。世界が認めるボクシングの才能を無駄にしてしまうから、ではありません。きっと腕利きのヒットマンになっていたでしょうラミレスは、大勢の命を殺めてしまったはずですから。

「プロボクサーになってなかったら今頃どうしてたかって?無残に殺されてたか、刑務所の中にいるだろうね、これだけは100%間違いないよ」。

しかし、傷一つ無いハンサムなルックスと、優しい物腰からは、殺し屋になりたかった少年時代なんて想像もできません。 


-Ray-‘Sugar’-Beltrán
◼︎WBO世界ライト級王者決定戦 ネバダ州リノ グランドシエラ カジノ&リゾート

1位:レイムンド・ベルトランvs2位:パウルス・モーゼス。

さあ、次はレイムンド・ベルトランの世界ライト級タイトルマッチです。

ベルトランの目の前に賭けられてるのは、WBOのチャンピオンベルトだけではありません。

この試合に勝てば、Employment-Based Immigration: First Preference EB-1、「アーティストグリーンカード」と呼ばれるアメリカ永住権の申請が認可される公算が大きいのです。

EB-1を手に入れた瞬間から、ベルトランは違法移民ではありません。いつ逮捕・強制送還されるかビクビクしながら不安な毎日を過ごす必要がなくなるのです。 

芸術家や学者、研究者、それぞれの分野でextraordinary ability(専門的かつ卓越した能力)を持ち、 その技能が米国の発展に寄与すると認められた時、EB-1は発行されます。

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【2011年5月12日リング誌電子版から〜空位のUSBAライト級タイトル戦を前にしたベルトランとその妻子。パッキャオが激励に訪れました。試合は3−0で勝利。】

まともな教育も受けることができずに貧困に喘いでメキシコから脱出した移民たちにとって、
extraordinary ability など おいそれと証明できるものではありません。

 しかし、レイには二つの拳がありました。

「パッキャオのスパーリングパートナーになれたときは夢みたいだった。そのへんのチャンピオンよりもずっと報酬が高いし、いろんなメディアから数え切れないほどインタビューも受けた。新聞やネットに載った自分の写真を見せて友人に自慢したよ。聞かれたのは私のことじゃなく、パッキャオの状態のことばかりなんだけどね(笑)」。

「でも、すぐに気づいたよ。パッキャオのスパーリングパートナーになるってことは、この世界で最も過酷な仕事だってことが。対戦相手なら叩きのめされたら病院のベッドで休めるけど、俺はそうはいかないからね。たいていのパートナーは体が持たなくてリタイアするから…いつも〝スパーリングパートナー募集中〟だったのはそういうことさ。でも、俺は8年間もこの仕事を勤めあげたんだ。ハットンは6分、デラホーヤでさえ24分しか持たなかった仕事を、なんと8年間も勤め上げたんだぜ!」。

今回の相手、パウルス・モーゼスは、リング誌(ベルトランは3位)では10位にも入っていない39歳のベテランです。

チャンスは大いにあります。
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昨年9月、トランプ大統領は、DACA(チャイルド不法入国免除法)を撤廃しました。

DACAは「16歳までに親に連れられて米国に入国し、2012年時点で30歳以下だった不法移民」の母国への強制送還を免除する条例です。

対象者は全米で約80万人とされていますが、その実態は2倍以上の数にのぼるとみられます。彼らのほとんどは、メキシコ国境を越えて来た中南米の貧困層です。



1981年7月23日にメキシコ、シナロア州ロスモチスの極貧の家庭で産まれた、レイムンド・ベルトランの幼少期の記憶といえば、凄まじい空腹にに耐えながら、劣悪な治安の街に怯えることしかありませんでした。

物心ついた頃から、ゴミを漁って空腹を満たしてきました。残飯にありつけるのは腕力に秀でた大柄の子供からで、栄養失調で体も小さいレイが口に出来るのは、捨てられた缶詰の底にこびり付いたスープの残滓だけという日も珍しくありませんでした。
united-we-dream

【アメリカに夢を描いて命がけで国境を越えた子供達、『ドリーマー』を強制送還すれば、若者の夢を奪うばかりか、低賃金で働く彼らを失うことは何十億ドルもの経済的損失にもつながります。DACAの撤廃は、移民によって建国され、移民によって繁栄してきた米国のアイデンティティをも否定しているのです。】

家族が住むロスモチスのダウンタウンは、麻薬マフィアの卑劣な暴力と理不尽な殺戮までが横行し、警察官も買収され、誰も信じることができない地獄の街でした。

1996年、レイの母親は腹を決めます。
「このままでは家族みんなが飢え死にするか殺される」。すでに米国へ不法入国していた夫を頼って、国境を越えようと、なけなしの金を越境ブローカーに渡しました。

このとき、レイは「15歳」、「親に連れられて米国に入国」しさえすれば「
2012年時点で30歳以下」という、後に施行されるDACAの対象条件をギリギリ満たすことが出来ることになります。

男でも命がけなのに、母親と3人の兄弟、女子供4人で国境を越えるには、人目のつかない夜中に、国境警備隊の目の届かない危険なルートで越えるしか方法はありません。

「メキシコ国境に壁を作る」とぶち上げたトランプですら「国境周辺は峻厳な山脈や深い渓谷など通行不可能な場所がある」「そこには壁は必要ないし、壁など作ることも出来ない」と認めた、「そこ」を越えるしかなかったのです。

ブローカーが手配したオンボロトラックの荷台に乗った4人にとって、最も辛かったのは何日まともな食事を口にしていない空腹でも、猛スピードでデコボコの山道を走るトラックの荷台にしがみ付いてふっ飛ばされる恐怖に耐えることでもありませんでした。

国境の山岳地帯は、日が落ちると氷点下を大きく割り込みます。真っ暗闇の中を猛スピードで走るトラックの荷台にしがみつく4人の体を、冷え切った風が氷の矢のように容赦なく貫き続けました。

意識が遠のくような寒さの中で、トラックの荷台に乗るときに運転手が「毛布を持っていないのか?」と悲しい目をして驚いた意味が、よくわかりました。

しかし、夏には40度以上まで気温が上がり、冬でも30度を超えることが珍しくないロスモチスから逃れてきた貧しい家族にとって、毛布を準備するなんて思い付くわけがなく、もし思い至ったとして買うカネなどもあるわけがありませんでした。

〝It was so cold,sooooo cold〟

「とにかく寒かった、信じられないくらいに寒かったよ」。今、レイが笑ってそう回想できるのは、家族4人、誰一人凍死することなく、3時間以上に及ぶ山越えに奇跡的に成功したからです。

国境を越えると、トラックを止めた運転手はすぐに荷台を確認しました。そして、凍えながらも4人とも無事でいることがわかると、ホッとしたように「グラシアス(ありがとう)」と笑いました。

礼を言うのは4人の方なのに。

女子供の国境越えは非常に厳しい挑戦です。荷台から振り落とされたり、あまりの寒さに凍死したりするのも珍しくありません。

一枚の毛布も持たない母親と3人の子供が、揃って荷台に乗って国境を越えることが出来るなんて、運転手は想像もしていなかったのでしょう。

国境越えのピックアップ運転手は、非情でタフな仕事です。


やっと国境を越えたのに、全員振り落とされて荷台は空っぽだったり、うつろな目をした母親が凍死した幼子を抱いて呆然と座り込んでいたり…そんな光景を目の当たりにしても、また次の仕事をしなければならないのです。

運転手の「グラシアス」は、
見たくもない荷台の光景を見ないですんだ、そのお礼だったのでしょう。そして、母親と3人の名前を聞くと「ブエーナスエールテ(君たちに幸運あれ)」と笑って車に戻り走り去りました。

 荷台に乗る前に自己紹介しようとした母親に、運転手が「名前は語らないのがルールだ」と冷たく制した理由は、秘密の違法行為だからではなく、無事に国境を越える前に名前を知ってしまうと、悲しい荷台を見たときに、余計に辛くなるからだったのでしょう。

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【メキシコは温暖な気候とおもわれがちですが、昼夜の温度差が激しい砂漠や、雪の積もる山岳地帯も多く抱えています。】

無事国境を越えた4人は、レストランと建設現場を掛け持ちしながら働いていた父親と再会、新しい生活が始まりました。

レイは、ロスモチスでボクシングをかじっていましたが、グローブを買うカネはなく、もっぱらベアナックルで練習していました。同じ町では、裕福なモンティエル一族が優秀なボクサーを輩出する家族として有名でしたが、ゴミ漁りをして空腹を凌ぐレイから見ると彼らは別世界の住人でした。

国境を越えてきた息子がまだボクシングに未練があることを知ると、父親は町外れのジムへ連れて行ってくれました。

過酷な環境を生き抜いた少年は、あっという間にジムでも有数のボクサーに成長、1999年にプロデビュー、2001年から2004年にかけては11連勝をマーク、WBC傘下の中米フェザー級王座も獲得しました。

世界タイトル挑戦も視野に入れたレイでしたが、この2004年に運命的な出会いが彼を待っていました。

その道先案内人となったのは、フレディ・ローチ。

ローチは、マイク・タイソンやバージル・ヒル、ジェームス・トニー、ジョニー・タピアら綺羅星の如きスター選手を指導した名トレーナーとして2003年には全米最高トレーナー賞を獲得するなど、すでにその名を世界に知らしめていました。

そして、この稀代の名匠が、その輝かしいトレーナー歴でも図抜けた最高傑作に仕上げることになる小さなフィリピン人のスパーリングパートナーを探していたのです。

レイは、ローチの最高傑作という枠をも越えて、近代ボクシング120年の歴史上でも最も優れたボクサーの一人、マニー・パッキャオのスパーリングパートナーの座を見事に掴みとったのです。

パッキャオとレイが打ち解けたのは、極貧からのサバイバーという共通点が大きかったのかもしれません。 

前の年の2003年、当時のPFPでトップ3に入っていたマルコ・アントニオ・バレラを大番狂わせで破り、アジア初の三階級制覇に成功していたパッキャオは、ファン・マヌエル・マルケスとの第1戦に向けてキャンプインするところでした。

レイがパッキャオのキャンプで手にした報酬は、中米王者として受け取るファイトマネーよりもはるかに多く、キャリアハイの金額でした。

とはいっても全盛期のパッキャオとのスパーリングです。現実の試合よりもはるかに過酷な仕事で、しかも、それが連日続くのです。

ウェルター級やジュニアミドル級のボクサーでも負傷して途中離脱する中、レイの頑健な肉体はパッキャオのパンチを受け止め続けました。

後にスパーリングパートナーに加わるショーン・ポーターは当時ジュニアミドル級でしたが「仕上がったパッキャオとスパーリングするのは嵐の中に放り込まれるようなものだった」「あんな小さな体のレイがこの仕事に耐えているのに驚いた」と回想しています。

レイの名前は世界中のボクシング関係者、ファンに徐々に知れ渡り、2013年には敵地英国に乗り込みWBOライト級王者リッキー・バーンズにあからさまな地元判定で惜敗するなど世界タイトルにも3度挑戦、第一線で活躍し続けています。

2015年、ネバダ州で行われた粟生隆寛と拳を交えたWBO世界ライト級王者決定戦では前日計量で体重超過、試合は2ラウンドTKOで勝利したものの、タイトルは空位のまま。さらに、レイの血液検体から筋肉増強剤スタノゾロールが検出された挙句、無効試合となり、9ヶ月間の試合出場停止処分が下されます。

レイ・ベルトランのスポーツマンシップに悖る卑劣な行為は、到底容認できるものではありませんし、わずか9ヶ月のサスペンデッド(それもネバダ州限定)という考えられないペナルティの軽さには、ボクシング業界に幻滅するしかありませんが、今回の本題ではありません。

それはまた別の機会にお話しできたら…。

レイは、ちょうど1ヶ月後の2月16日、 ネバダ州リノで4度目の世界タイトルマッチのリングに上がります。相手は2009年パシフィコ横浜で小堀佑介からWBAライト級王座を奪ったナミビアのパウルス・モーゼス。

粟生戦のような言語道断の罪は2度と犯してはいけないのは当然ですが、戦前から厳しい地元判定が予想された英国の人気者バーンズ、現在PFP1位を伺う俊才テレンス・クロフォードと、過去の世界挑戦の相手と比べると、悲願達成の可能性は大きく膨らんでいます。

レイが〝パッキャオのスパーリングパートナー〟ではなく、世界王者となってボクサーとして純粋に評価される日が来るのです。そして、より大きな報酬を手にして家族を幸せにすることも出来ます。

しかし、世界王者にならなくてはいけない理由はそれだけではありません。もっと、切実な理由が迫っているのです。

レイムンド・ベルトランが脱ぎ去らなければいけないのは〝パッキャオのスパーリングパートナー〟というジャケットだけではありません。

あの生死を賭けた国境越えから20年もの歳月が経ちましたが、「不法移民」という足枷は取り外すことが出来ていないのです。まだ、彼は米国永住権を持つことを許されていないのです。

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レイが米国での永住権を得るには「
アーティストグリーンカード」と呼ばれるアメリカ永住権、EB-1を取得するしかありません。

その条件は「
extraordinary ability(卓越した能力)」を証明すること、です。王者の権威が失墜しているプロボクシングとはいえ、主要団体の世界王者になれば、extraordinary abilityの持ち主であると主張できます。

2月16日に世界王者になれば、証明書を申請し、EB-1が発行される公算が高いのです。

現在、あと2年足らずで切れる就労ビザでなんとかプロボクサーの仕事を続けているレイも今年37歳になります。

今回、4度目の世界戦に失敗すると、もう一度そのチャンスを掴むことは非常に難しくなります。年齢も考えると世界王者になって永住権を獲得するのは、これが最後のチャンスとなります。

残された時間は多くはありません。

人生を賭けて、レイは、もう一度「国境」を越えなければならないのです。 

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