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ESPNの2018年ベスト・ストーリーから、ヘザー・ハーディーのドキュメンタリーの紹介です。


その前に、このユニークな、ボクサーであり、MMAファイターであり、キックボクサーの略歴です。

ヘザー〝ザ・ヒート〟ハーディ。

1982年ブルックリン生まれのアイルランド系米国人。今月25日で37歳。身長165㎝/リーチ163㎝のサウスポー。

幼少期からスポーツ万能だった彼女は、男の子に混じって野球にも興じ、当時の夢は「ニューヨークヤンキース史上初の女子ピッチャーとなること」でした。

ジョン・ジェイ・カレッジに進学、法医学・心理学を学び、22歳で卒業。すぐに2004年に高校時代から付き合っていた男性と結婚するも、2010年に離婚。

この2010年、ハーディーにとって激動の年となりました。

元夫が子供の養育費を払わなかったため、いくつもの仕事を掛け持ちしながら、3週間のトレーニングでプロボクサーとしてデビューします。

「とにかく、何もかもを殴り倒したかっただけ」。

28歳のルーキーはプロ初戦を白星で飾ると、ほどなくキックボクシングでもタイトルを獲ります。
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Victoria Will, Clay Patrick McBride for ESPN
 
 'I'm a fighter'

ヘザー・ハーディーの職業はファイターだ。

しかし、彼女はそんな自己紹介を必要としない。彼女の傷だらけの顔を見れば、そんなことはすぐにわかるからだ。

ハーディーはボクサーとして(2018年2月13日:このドキュメンタリー上梓当時)20戦無敗だったが、報酬の低さと、テレビで放送されることの少なさ、注目度の低さに不満を募らせてきた。

36歳のシングルマザーがPPVの舞台で6フィギュア(6桁=10万ドル)を稼ぐために、MMAの金網の中に入るのは、生きるため、そして彼女の存在証明のためには当然の選択だった。


「みんな『気でも狂ったのか』って驚いたけど、私はファイター。迷いもなかったし、怖くもなかった」。

ハーディーはベラトール194で、史上初の「MMA+ボクシング」のダブルヘッダーに挑む。

アナ・フレイトンと2月16日にMMAルールで戦い、年末にボクシングで決着を付けるというのだ。

「人々の記憶に私の存在を焼き付けなきゃならないの。私はここにいるぞって」。

※試合は3−0の判定で勝利。年末予定されていたボクシングマッチはまだ行われていない。



ルウ・ディベラが私を気に入ってくれて、彼と契約を結んだ。

私は選手だけど、チケットも売った。おかしな話でしょ。

チャンスを作ってくれた彼には感謝してる。でも5連勝、10連勝、勝利を重ねていくうちに、感謝の感情はおかしいんじゃないかって思うようになったわ。

私はもっともらうべきだと、男子ボクサーとの間にある不当な差別にも…。

いろんなことに気づかされた。

「とにかく、なにもかも殴り倒したかっただけ」。

金網の中に入ったのは、お金が欲しかっただけ。

大好きなボクシングでは、10ラウンドの世界戦でもファイトマネーは7000ドル。しかも、イベントの前座に組まれてしまうから、露出も限られてしまう。

私はそんなイベントでも4万ドル分ものチケットを売ったのに。4万ドル売るセールスマンが、リングにも上がって、受け取るのは7000ドル、おかしくない?

私はもう35歳、ファイターとして残された時間は砂時計の砂のように、サラサラとどんどん落ちて無くなっていく。

MMAで大きな仕事をやって、ボクシングのリングに戻れば、大好きなボクシングに何か還元できるはず。

MMAは、女性をボクシングよりもはるかに正当に扱ってくれる。

より多くの報酬が約束され、より多くの注目が集まり、より多くのスポンサーがついてくれて、何よりもリスペクトされる。
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ロンダ・ラウジーになろうなんて思っちゃいないけど、MMAにはその可能性があるの。

マジソンスクエアの2万人の大観衆が私の名前を連呼しているなんて、想像するだけで最高。

ヤンキースタジアムに私の名前がアナウンスされて、ブルペンからピッチャーズマウンドに向かって走り出す、それが少女時代の夢だったけど、今はマジソンスクエアの夢がある、同じくらいかずっと大きな夢が。

しかも、その夢は、もっともっと現実で手に届きそうなところまで来ているんだから。

私の背中のヤンキースのタトゥーは15歳のときに彫ったの。


あのときは、誰も私の球は打てなかったし、ヤンキースで活躍できると信じてた。

ワールドシリーズ第7戦9回裏、絶体絶命の大ピンチ。ヤンキースのリードはわずか1点、そこで私がマウンドに上がるの。わくわくするでしょ?

チームの男子は「そんな場面は最悪、絶対に嫌だ。信じられない。もっと楽な展開で勝利に貢献したい」と呆れ果ててたけど、私の方が信じられない。

今、思い返してみると、私は味方投手が滅多打ちにされて、そこに出て行って相手をねじ伏せたかった。

私は先発投手で、いっつも最初からねじ伏せてたから、そんな場面に巡りあうことはできなかったけど。

それにカーブを投げるのが嫌で、とにかく一番速いファーストボールをバッターの胸元に力一杯投げ込みたくて、いつもその衝動を抑えることが出来なかった。



キャッチャーがマウンドに来て「少しだけ変化球も混ぜよう」なんて言いだしたら「私の変化球の分は別の投手で投げさせろ」と蹴り飛ばしてた。

そう、最初に私が蹴り倒した相手はリングでもオクタゴンでもなくて、野球のフィールドで味方キャッチャーだった。


そう…本当は野球が大好きで、野球がやりたいんじゃなくて……。


「とにかく、なにもかも殴り倒したかっただけ」。…だけなのかもしれない。


私はここにいるぞ。私を見ろ!

先日の計量ではメガネをかけて、思い切り真っ赤な口紅を塗って、真っ黒のバスローブで秤に乗ってやった。

男どもは口汚く罵りあって、ときには乱闘騒ぎも起こして計量を盛り上げるけど、そのやり方は女には向いていなかった。

女のファイターにしかできないこと、男のファイターには絶対にない魅力が絶対にあるはず。それを、いろいろ考えている。

今は、まだ研究の途中だけど。

私はファイター。

でも、13歳の娘の母親でもある。

この世で最も難しいことを教えてあげる。

責任を持って子供を育てること、健康ですこやかに、栄養のあるものを美味しく楽しく食べさせて、毎日力強く学校に通わせること。

娘は私の仕事を知っているけど、彼女はそれを特別だとは思っていない。

私がでかけるとき「行って来るね」と声をかける。

彼女は不安な顔ひとつ見せずに「いってらっしゃい」と送り出してくれる。

彼女にとっては、ファイターも医者も弁護士も学校の先生も、一緒。何も変わらないのだ。それは私も一緒。

世間じゃ、私たち二人が特別なのかもしれないけど、冗談じゃない。

それは、私たち二人にとって、世間が特別なだけ。
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ボクシング。

私は、やっぱりボクシングが天職なんだと、今更だけど痛感してる。

ボクシングの戦い方には、ものすごく広い幅がある。

相手を傷つける、痛めつける、あるいは殺す…そんな故意がなくても、スコアを積み重ねるスポーツとしてボクシングはパフォーマンス出来る。

ただ、MMAはそうはいかない。

「とにかく、なにもかも殴り倒したかっただけ」なんて、生まれた瞬間から考え続けてるヤツが、何を言ってるんだって思われるかもしれないけど、私の中では全く矛盾していない。

「とにかく、なにもかも殴り倒したかっただけ」。

だけど、殴り倒したい相手、それだって愛してる。心の底から愛してる。

傷つけたいとか、痛めつけたいとか、そんなことは思ってもいない。



先日の試合が終わって、私は娘にテレビ電話したんだ。お仕事が終わったママの顔を見てもらいたくて。

驚かせるつもりなんて全くなかったし、もし万一、驚かれたり泣かれたら、こんなことするんじゃなかったと後悔しただろうけど…。

モニターの中の娘は自然に「ママ、ひどい顔〜〜」と笑ってた。
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Victoria Will, Clay Patrick McBride for ESPN

人生なんて誰にとっても簡単なもんじゃない。

誰だって、いっつもピンチの連続。そんなときにどうするか?

そんなとき、私はいつだって戦ってきた。

最近「世界を代表する女子アスリート」と紹介されたり、面と向かっても言われたりするけど、その度にレポーター連中に教えてやらなきゃならない、面倒だけど。

I always tell people, I'm not an athlete, I'm a fighter.

私はアスリートじゃない、私はファイターだ、と。



よく聞きなさい。

女がプロスポーツの世界に足を踏み入たれたら、男のようにアスリートでござい、じゃ済まない。

ファイターになるしかない。

敵はリングやオクタゴンの中だけじゃない、世界中を敵に回すようなものだから。

女性のプロスポーツ選手がアスリートになれるまで、私は戦う、ファイターなんだから。

だからといって、同情無用。

私はアスリートなんかじゃなくて、ファイターであることが誇りだから。それが、私の存在証明になるから。

正直に言うと「私は何をしてるんだろう?」って疑問に迷うこともある。

でも、きっとそんなことは誰の人生でも同じでしょ?

私が、ちょっと違うのは、そんな疑問や迷いが跡形もなく吹っ飛んでしまう瞬間と場所を持ってるってこと。

When the bell rings and after the first punch is my favorite thing in the whole wide world.

ゴングが鳴る!そして最初のパンチをお見舞いする!

ああ、なんて素敵なことなの。私は、この世界が好きで好きでたまらない… 。
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2017年の年間最高選手(ESPN:リング誌はワシル・ロマチェンコ)で、PFPトップ3(ロマチェンコ、カネロ・アルバレス)の一角を占めるテレンス・クロフォードが最も苦しめられた相手はユリオルキス・ガンボア(2014年6月28日)です。

あの試合が、ガンボアのライト級バージョンであったこと。直近3年間で2試合と試合枯れしたガンボアが感覚を狂わせていたこと。ガンボアは当時32歳、衰えが見え始めていたこと。

クロフォードにとっては幸運でした。

あれから4年の歳月が流れましたが、ガンボアは6試合を戦い(5勝1KO1敗)、来月11日にはマイアミでミゲール・ベルトランJr.とライト級10回戦で拳を交えます。

このイベントにはファンマ・ロペスもエリオ・メスキータとやはりライト級10回戦のリングに上がります。

ガンボアとファンマが揃って勝利を収めれば、来年の早い段階で両者の決戦が予定されています。

10年前は全階級を通して最も実現が期待されたマッチアップの一つでしたが、今やガンボアは36歳、ファンマは35歳になりました。

キューバからの亡命、ドイツから米国へより良い環境を求めて流浪したガンボアの人生にはいくつものエピソードが散りばめられていますが、最も印象的なものはキューバ時代に貧困から金メダルを売ったというものでしょう。
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2011年4月2日USAトゥデイ紙からの紹介です。

***** 2004年アテネ五輪でフライ級の金メダルを獲得した〝グアンタナモのサイクロン〟は、その後も世界選手権でメダルを獲得、2008年北京五輪でも活躍が期待されていました。

2006年パン・アメリカン大会のに向けて合宿していたベネズエラのホテルから抜け出し、国境を越えてコロンビアに入り、そこからドイツに渡ってアリーナ・ボックス・プロモーションとプロ契約を結びます。

2007年プロデビュー。亡命のほとぼりが冷めるのと、ドイツでの6試合(内1試合はトルコ)6戦全勝5KOの実績が認められ、翌2008年には米国に進出、破竹の勢いのままWBA暫定、IBFのフェザー級タイトルを獲得します。

栄光に彩られたボクシングキャリアですが、キューバ時代は経済的な困窮に喘いでいたと言います。

2011年4月17日の防衛戦(ホルヘ・ソリス戦)を前に、グアンタナモのサイクロンにインタビューを敢行しました。

今はマイアミで妻と二人の子供、父親と弟で暮らしている。満足な毎日だ。でも、母親と家族はまだキューバに残されている。一緒に住みたいけど…。

キューバでの生活は本当に苦しかった。アマチュアでトップクラスの実績を残しても、報奨金はもちろん、活動費も1セントももらえなかった。海外遠征の費用は負担してくれても、金メダルを獲ったって生活は何一つ変わらなかったんだ。

五輪で金メダルを獲っても何にもならない。長女が誕生日を迎える前に、私は金メダルを売ったんだ。

たったの1500ドルにしかならなかったけど、誕生日プレゼントを買うには十分だったし、何より金メダルなんて持っていても1500ドルどころか1セントの価値もないわけだから。

ソリス戦はHBOが生中継してくれて、キャリアハイの報酬も約束されている。

しかも、ソリスの敗北はたったの二つで、マニー・パッキャオにしかノックアウトされていない。

もちろん、4年前のフェザー級のパッキャオ(この当時2011年のパッキャオの評価は全てのメディアが満票でPFP1位に推すなど頂点)だから、単純に比較されることはないだろうけど、ソリスをKOしたいね。

リングサイドにはファンマが来るんだろ?彼に見せつけたいね、私の強さを。

次の試合は、ビッグファイトにしたい。

当時、ガンボアは19戦全勝15KO無敗、ファンマは30戦全勝27KO無敗。

ファンマとの試合に勝ったら、金メダルを買い戻したい。

私の金メダルは今頃、溶かされて跡形もなくなっているかもしれないが、IOCに事情を話したら特別に鋳造してもらえないのかな?

もう一度、あの金メダルをこの手に戻して家族に見せたいんだよ。 *****



ガンボアが金メダルを取り戻すことが出来たのかどうかは、わかりません。


しかし、グアンタナモのサイクロンはまだ戦い続けています。

11月10日のイベントはマーリンズパークのウエストプラザ屋外特設リングで行われます。プレミアムケーブルやストリーミング配信はない模様で、インテグレイテッド・スポーツがPPVで生放送する予定です。

視聴料は24ドル95セント。約3000円。



ファンマは「ガンボアとの対決は大切な忘れ物を取りに帰るような気持ちだ。メスキータには絶対に勝って、ガンボア戦につなげたい。でもガンボアは私との対戦を避けて、ワシル・ロマチェンコと戦うなんて言い出してるらしいじゃないか?全ては彼が決めることだけど、私たちの試合こそ、ファンが待っている」と困惑しています。

ガンボアは「ロペスが私が逃げるとか言ってるようだけど、どうして低レベルなボクサーから逃げなきゃいけないのか意味不明だね。彼とは戦うよ、そういう流れと契約だ。ただ、私の最終目標は彼じゃない。この階級最強のロマチェンコだ」と、11月10日に勝てばファンマと戦うのは既定路線と語っています。

普通に考えると、ガンボアvsロマチェンコは見たいですが、いろんな意味で順番はロペス戦を先にすべきですね。

個人的には、楽しみです。

ガンボアvsファンマの約10年越し対決。極めて塩分カットされた健康な試合になること間違いなしです。
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「ラスベガスで一攫千金や」とボクシングマガジンの巻頭で世界進出の夢を熱く語っていた長谷川穂積は、まともな条件・報酬でのオファーが全く届かないことに業を煮やし「世界に行くのではなく世界を呼ぶ」決断をしました。

一方、西岡利晃は「日本からラスベガス」に徹底的にこだわりました。その盲目的な執着が、また別の批判を生んでしまったことは皮肉な結果でした。

西岡のボクシングキャリアは波乱万丈です。

地元、JM加古川ジムからプロデビュー。しかし2戦目で失神KO負け。2000年6月、最初の世界挑戦を実現したときの戦績は20勝12KO2敗1分、日本無敵を証明してのウィラポン挑戦でしたが、0−3の判定負け。

西岡はこの試合の直後に、より多くのチャンスを求めて帝拳に移籍します。

そして、期待通りに帝拳コネクションは西岡に大きな果実を何度も差し出し、2004年3月までの3年9ヶ月の間に、やはりウィラポンに3度挑戦する機会が作られました。

しかし、計4度に及ぶウィラポンとの世界タイトルを玩具にする〝タライ回し〟は一度も実を結ぶことはなく、4連続失敗という最悪の結果に終わります。

その間、アキレス腱を断絶してしまうなど度重なる故障にも見舞われました。

西岡だけの責任ではないとはいえ、この常軌を逸した世界戦の私物化を後押ししたWBCには「承認料に正比例する大きな興行が打てる日本人選手にタイトルを定着させたい」という思惑もありましたが、この邪悪な考えもまた実を結ぶことはありませんでした。

そして、西岡がついに届かなかったウィラポンという果実は、2005年4月に長谷川穂積が明白な形でもぎ取ってしまうのです。

その長谷川は山下正人トレーナーの独立に付いていく形で、山下ジムへ移籍。このジムは〝神戸帝拳〟と呼べるほど帝拳との結びつきが強いジムでした。

長谷川が日本のエースとしてそのポジションを固める一方、西岡は臥薪嘗胆の日々を送ります。

(東京)帝拳に長谷川が練習に訪れると、彼のためにリングは空けて待たれています。当然です。

そんな日、西岡は人目につかないようにジムを早々と後にしたと言います。本来なら、長谷川の練習風景を見たり、スパーリングパートナーに手を挙げることがボクサーとして成長するのに最高の選択であったはずなのに、です。

「長谷川が練習しているそばには居れない」。それほど、彼への嫉妬と自分への忸怩たる思いがあったのでしょう。 

つまりは、ライバルでした。

一度も対戦の機運が盛り上がらなかったとはいえ、彼らは間違いなくライバルでした。それも、宿命的と言って良いほどの。

長谷川は、西岡が4度挑んでことごとくハネ返されたウィラポンの壁を易々と破って見せました。

一方の西岡は、長谷川を粉砕したモンティエルと同格、つまり〝強豪だがトップ戦線で勝つ器ではない〟ジョニゴンを敵地でKOに切って落としました。

「日本史上最高のボクサー」という明らかに勘違いな報道もされた長谷川はウィラポンには勝ちましたが「WBC御用達の怪しい挑戦者相手に10連続防衛に成功、誰もが階級最弱王者と見ていたモンティエルに粉砕されたボクサー」でしかありません。

「長谷川は誰に勝ったのか?」というこのスポーツで最も重要な問いの答は、劣化したウィラポンです。全盛期ですら殿堂クラスの評価とはかけ離れていた、ウィラポンの劣化版です。

西岡はジョニゴンを敵地でKOしましたが「同じ相手に4度も世界戦のチャンスをもらい、MGMのリングに暗愚なまでにこだわり、WBCの摩訶不思議な裁定で名誉王座に就いた」ボクサーです。

「誰に勝ったか?」では、王者にもかかわらず、低迷期ジョニゴン相手に圧倒的不利のオッズを立てられながらも、逆転KOでつかんだ大番狂わせでした。

二人を批判的に見るのは簡単です。

しかし、あのときの二人に他にどうしろというのでしょうか?

しかし、この二人が激突していたらどうだったでしょうか?

辰吉丈一郎vs薬師寺保栄は薬師寺が完全に脇役で試合予想も一方的に偏っていましたが、長谷川vs西岡は予想も応援も真っ二つに分かれる、さらに白熱した興行になったであろうことは疑いようがありません。

「同じ帝拳のボクサーだから対決はありえない 」とファンも諦めていた、というかそもそもその発想すらありませんでした。

そこが、その発想がないこと自体が…そこもまた日本ボクシングの暗部です。 

西岡はWBCが用意してくれたジュニアフェザー級のタイトルを獲得、ジョニゴンを敵地で倒してからはビッグファイト、ラスベガスへの渇望をさらに強くしていきます。

長谷川同様に、存在しない「軽量級のビッグファイト」という蜃気楼を見てしまうのです。

そして、大きな過ちを犯してしまいます。正確に言うと帝拳とWOWOWが、恥ずかしい過ちを犯してしまいます。

西岡のラスベガス妄想に忖度した帝拳とWOWOWが、MGMの宴会場で設えたリングでラファエル・マルケスとの防衛戦をセットしてしまうのです。

マルケスは軽量級には珍しいビッグネームで、イスラエル・バスケスとの3戦(4戦目は不要でした)はボクシング史に残る激闘でした。

しかし、過酷な戦いで肉体は消耗、パンチドランカーの症状も明らかなマルケスにはWBCが異例の引退勧告を公表していました。

西岡戦に挑んだときのマルケスは直近6試合で3勝3敗。直前の試合は無名相手に勝利していたものの、ジュニアライト級契約で、その前の試合はファンマ・ロペスのWBOフェザー級タイトルに挑戦、8ラウンドTKOに散ったものでした。

当時のマルケスにジュニアフェザーはもちろん、どの階級でも世界挑戦の資格がないことは、誰の目にも明らかでした。

しかし、この試合を批判したのは海外メディアだけ。日本ではあろうことか「日本ボクシング史上に残るビッグファイト」と持て囃しました。帝拳代表の浜田剛史は「今回は西岡不利のオッズが出るでしょうな」とWOWOWの番組内で妄言を吐きました。

「MGMグランドでビッグネームと戦う」。

この名誉は「MGMグランドのアリーナで、まともな状態のビッグネームと戦う」からこそです。

それをWOWOWを含めた西岡陣営は「MGMなら宴会場でも控え室でもなんでもいい」「元ビッグネームでもビッグネーム」という詐欺的ロジックであの試合を仕立て上げました。

オッズは、西岡有利で4−1でした。

さらに、WOWOWはMGMのボールルームを「マイク・タイソンやマニー・パッキャオ、フロイド・メイウェザーらスーパースターが上がったリング」とまで報道してしまいます。まさしく恥の上塗りです。

さらに、西岡のファイトマネーは100万ドルと報じられます。あの小さな会場でマイナーTV(FOXスペイン語放送)で100万ドルなんてありえません。もし本当にその金額が西岡に支払われたのなら、日本から補填されたのでしょう。

そして、西岡の悲願が実現したノニト・ドネア戦はネバダ州ラスベガスではなく、カリフォルニア州カーソンの現在のスタハブセンターで行われましたが、あの試合も日本開催ならもっと大きな興行になっていたはずです。

ドネア戦の西岡の報酬は10万ドルでした。マルケス戦の報酬は、日本からの補填がなければ5万ドルもなかったのではないでしょうか。

西岡だけの責任ではありませんし、西岡は全身全霊をかけて戦いました。

それでも非常にいびつで恥ずかしい印象を残しただけの〝MGMメイン〟でした。欺瞞にまみれた興行でした。今ではWOWOWも「メイウェザーやパッキャオと同じMGMで戦った」等の表現は一切しなくなりました。
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ノニト・ドネアとの悲願の決戦は1−5〜6という圧倒的なオッズ通りの内容で、玉砕しましたが、リング誌をはじめ海外メディアは「ドネアは明白に劣化している」とその動きと反応の悪さを指摘していました。

長谷川穂積と西岡利晃。

彼らはけして訪れることのない「世界」を渇望し、一人は日本に世界を呼び圧倒的有利と見られながらも階級最弱王者に倒され、一人は世界に出てそもそも分不相応の相手に惨敗してしまいました。

彼らを「雑魚相手にいたずらに防衛を重ねた挙句に階級最弱王者にKOされた」「実力も戦略も伴わずにラスベガスに恋愛し、カリフォルニアでPFPファイターに挑んで切り刻まれた」と嘲笑するのは簡単です。

しかし、当時の彼らに世界を目指す方法が他にあったのでしょうか?

WBCは金ヅルである日本人王者に危険な挑戦者を用意するのを逡巡します。ジムは1日でも長く世界王者であり続けて欲しいと、そこにプライオリティを置きます。

本来なら、目の前の一本道を真っ直ぐ突き進んでいけば、その先に栄光のゴールがあるはずです。 あるべきなのです。

しかし、プロボクシングには〝栄光のゴール=本当に強い相手〟を回避しながら世界王者であり続けることが出来る奇妙で醜悪な仕組みが出来上がっています。 

「世界王者だけど本物の栄光はついてこない」という奇妙奇天烈な現象が当たり前になっているのです。

長谷川穂積も西岡利晃も、この奇妙なベッドの上で安寧することをヨシとせず、本当ならアスリートが悩むことではない「最強の証明」のために自らのやり方を選択して、立ち上がり、そして散ったのです。

スーパーフライ興行やWBSSといった「栄光のゴールへの道標」を与えられた井上尚弥らは幸運です。

もし、スーパーフライやWBSSのような仕掛けがなかったとしても「何回防衛したか」「何階級制覇したか」という数字遊びが、現代ボクシングでは全く意味をなさないことは、この国にも浸透してきました。

レオ・ガメスやウィラポン、オマール・ナルバエスの評価を見れば一目瞭然、数字遊びは全く評価されません。世界評価という厳しいモノサシに刻まれた目盛りは「誰に勝ったのか?」それだけです。

「誰に勝ったのか?」。それこそが現代ボクシングの全てです。

長谷川や西岡、内山高志、山中慎介らはそれを体を張って証明しようとし、斃れていきました。しかし、日本でも「誰に勝ったのか」が少しでも目を向けられるようになっているとしたら、それこそ彼らが斃れた荒野で咲かせた花であり、果実でもあります。 

これから本物の世界に挑む井上尚弥が、彼らから無念と悔恨のバトンを引き継いでいるのは間違いありません。

ファイティング原田は偉大ですが、その道はわかりやすく単純な一本道でした。原田には「どうしたら最強を証明できるのか」と思い悩む必要など微塵もありませんでした。

「世界王者は何人もいるし何階級もあるから原田のベルトには価値はない」なんて誰も言いません。それでも根拠のない悪意を吐きたい輩が落書きする掲示板も、インターネットすらもない時代です。

どちらの時代がボクサーにとって厳しいか、私には現在のボクサーの方が過酷に思えます。

腐敗承認団体が用意した王座を雑魚相手に防衛を重ね、メディアは絶賛するものの、ネットでは批判が集まる状況は、アスリートにはコントロールできません。

最大の罪はメディアにあります。

プロボクシングの世界で何が起きているのか、承認団体は一つ残らず腐敗していること、WBCなどの王者は本当の王者ではないこと、少なくとも四団体を統一しなければ議論する余地のない世界王者にはなれないということ、 そして軽量級においては「世界」が頭に付くのにほぼ全ての日本人が自国で世界戦が開催されるのは何故か…。

都合の悪いことに全く目を向けず、口当たりの良い提灯記事だけ並べるのは罪です。そんなことをしてるから、蒙昧な外野が余計に騒ぎ立てるのです。 

井上尚弥はピーク時の長谷川のように「対戦相手が逃げるからマッチメイクに苦労する」と言われ、明らかな欠陥は見せていませんでしたが、そのガードの甘さは「見せるボクシングを披露するためであり、しかるべき相手と戦う時はしっかりガードする」と長谷川同様に都合よく解釈されています。

「世界評価も高い」と持ち上げられていますが、世界評価が本当に高いならみんな長谷川や井上とやりたがります。世界の強豪がやりたくないのは「報酬が釣り合わない」「日本の判定が不安」だからです。

また、一度も顎を叩かれていないのに「打たれ強い」という記事まで見られます。

賢明な井上が暗愚なメディアを真に受けることはないでしょうが、日本メディアの提灯記事は百害あって一利なしです。

井上のボクシングが天下無敵に見える最大の要因は、対戦相手の質です。そのキャリアで三階級制覇を果たしましたが、議論する余地のない王者は一人もいませんし、階級最強王者すらもいません。防衛戦の相手はさらに酷いレベルにまで落ち込みます。

WBSSで井上は世界を初体験するのです。もちろん、これはマニー・ロドリゲスやゾラニ・テテらも同じです。 

長谷川穂積と西岡利晃が、彼らの流儀で命がけで目指すしかできなかった本物の世界の頂点まで、井上尚弥が登りきってくれることを願ってやみません。

そして、その先に究極の日本人対決が待ち構えているとしたら、日本ボクシングは復活のきっかけをつかむはずです。 

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「SUPER FLY」への参戦から「WBSS」へ挑む井上尚弥。

今秋の「SUPER FLY」参戦が決定した井岡一翔。

長谷川穂積と西岡利晃の眼からは、世界へ踏み出す二人の姿はどう映っているのでしょうか。 

SUPER FLYはボクシング人気の凋落著しい米国市場で、HBOが低予算で興行を打った苦肉の策、という一面もあります。昨年このリングに上がった井上尚弥の報酬は18万2500ドルと、日本で防衛戦をこなしていた方がマシという金額でしたが、フジテレビをはじめスポンサーが約2000万円を補填、最終的には4000万円を手にしました。

HBOのボクシング予算が年々削減されていることから、井岡の報酬は井上以下になるのは間違いありませんが、高収益企業のサンキョーなどやはりスポンサーのバックアップがあるでしょう。

賞金総額50億円、優勝賞金11億円と喧伝されたWBSSにしても、バンタム級トーナメントの実態は相当に貧相になるはずですが、井上にはSUPER FLY のとき以上の支援が集まるでしょうし、決勝戦を日本で行えば1億円を超えるファイトマネーが自然発生するはずです。

米国市場の没落とHBOの低予算興行に加えて、マッチルームやK2プロモーションといった〝非米国〟のプロモーターが絶大な力を持ち挑戦的な試みを繰り返している現在のボクシングシーンは、軽量級選手にも世界進出の門戸が大きく開いています。

しかし、約10年前に「世界進出」を熱望していた長谷川穂積に、最初に届いた招待状はショウタイム主催のバンタム級最強王者を決めるトーナメントでした。
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ポーズを決めるペレスとアグベコ。背後にはアグベコのニックネーム「キングコング」の姿も。実力者がそろった「バンタム4」は白熱した試合が繰り広げられましたが、マレスの他はメキシカンでもプエルトリカンでもない不人気選手の寄せ集めで、報酬もマレス以外は劣悪でした。このスポーツは本当に不平等です。

スーパーミドル級の最強トーナメント「スーパー6」を成功裏に収めたショウタイムが、より低予算、より短期間で狙った二匹目のドジョウは、長谷川穂積やノニト・ドネアが「ありえない」と驚くほどの低報酬しか用意できずに空中分解してしまいます。

アブナル・マレスというバンタム級最高の人気選手は確保したものの、ジョゼフ・アグベコ、ヨニー・ペレス、ビック・ダルチニアンという超のつく不人気選手を寄せ集めた「バンタム4」。

盛り上がりに欠けたまま、マレスvsアグベコの決勝戦を迎えますが、勝ったマレスの悪質なローブローをレフェリーのラッセル・モーラがことごとく看過する後味の悪い試合になりました。
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「主審が試合を台無しにした」。忖度の人、モーラは人気者マレスが何度ローブローを繰り返そうが、ついに一度のペナルティも取りませんでした。この試合が注目を浴びる試合なら、炎上確実でしたが…米国で行われるバンタム級です、関心は悲しいほど低いのです。

あのとき、長谷川がトーナメントに参戦していたとして優勝できていたかどうかは極めて疑問です。

しかし、当時日本ですでに3000万円レベルの報酬を手にしていた長谷川がプロフェッショナルとして、10分の1以下の報酬に甘んじて危険な橋を渡る必要が、プロとしてあったとは思えません。

憧れた「軽量級のラスベガス」など、どこにもないことに気づいた長谷川は、日本にビッグファイトを呼び込む道を選びました。

その選択は間違っていませんでした。 

しかし、完全に劣化したウィラポン・ナコンルンアンプロモーションを倒したのが最大の勝利という長谷川は、防衛戦でもまともな世界ランカーと当たることはほとんどなく、防御面での重大な欠陥を露呈することがないまま、雑魚狩りを積み重ねていってしまいます。

そして、運命の2011年4月30日、日本武道館。

世界中のほぼ全てのメディア、ファンが「階級最弱王者」と認めていたフェルナンド・モンティエルを迎えた 長谷川陣営は、トレーナーまでが「オーラが出ていた、強いのがわかった」と戸惑い、長谷川もラウンド間に「過去最強」と認めてしまいました。

満場一致で最弱王者のモンティエルが脅威に見えるほど、長谷川穂積は雑魚ばかりと戦い続けてしまっていたのです。

その時点で負けていたのです。

本来なら10度防衛の絶対王者が、階級最弱王者を飲み込まなければいけなかったのに、現実は逆でした。

「4ラウンドのあの瞬間までは長谷川選手のスピードが試合を支配していた」(ジョー小泉)というのは、全くの妄想です。スコアカードこそ30−27で長谷川のフルマークでしたが、どちらも探り合いの段階で、「長谷川は速かったが、想定よりも遅かった(※モンティエルも長谷川のハンドスピードはキャリア最高だったと認めています)。フルマークで負けていた?日本は恐ろしい国だ」とモンティエルが驚いたのも無理はありません。

ちなみにモンティエルのキャリア最高の報酬は、長谷川戦の50万ドル(実際にはそれ以上だったとも言われています)。その後に戦ったノニト・ドネア戦がキャリア2位の25万ドル、その額は長谷川戦の半分でした。

階級最弱王者のモンティエルに失神KOで屠られた長谷川は、フェザー級王者決定戦を制して二階級制覇に成功しますが、フェザー級でも不安定な実力しか出せないジョニー・ゴンザレスの気まぐれな拳に倒れてしまいます。

長谷川が圧倒的有利とされたモンティエルとジョニゴンという「強豪だが世界王者の器ではない」二人にあっさりKOされたことで、リング誌100傑で11位まで登り詰めていた評価は「モンティエルだけでなくジョニー・ゴンザレスにまで惨敗したとなると、私達の過大評価だったと認めるしかない」(リング誌)と29位まで暴落します。 

その後、長谷川はやはり文句なしの階級最弱王者 ウーゴ・ルイスを破って三階級制覇を成し遂げましたが、そのキャリアで最大の勝利は劣化したウィラポンだったまま引退しました。 

長谷川の夢を打ち砕いた最大の原因は彼の実力不足でしたが、それでも彼は本来ならボクサーが悩むことではないことに悩み、階級最弱王者のモンティエルを招聘するのでさえ、大幅な譲歩を強いられました。

雑魚挑戦者を10人も退ける前にモンティエルと当たっていても結果は同じだったでしょうが、それでもそれを糧に正しい方向で巻き返すことが出来たかもしれません。

もし、長谷川の時代に WBSSが開催され、スポンサーのバックアップも充実したものであれば、彼は躊躇なく世界進出したでしょう。

長谷川の「日本に世界を呼び込む」(モンティエルが〝世界〟であったかどうかはさておき)選択は、苦渋の決断であり、それ自体は間違ってはいませんでした。

あの夜の、あの瞬間までの、日本武道館の盛り上がりを知っている者にとっては、あの選択は素晴らしい大正解だったとしか思えないのです。

ただ、結果だけが、違いました。日本中のボクシングファンが確信していた結果だけが…。
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偉大な先人の異名を継承したボクサーは、悲しいかな、名前負けしてしまうのが常です。

ウォーカー・スミスJr.、すなわちシュガー・レイ・ロビンソンの渾名〝シュガー〟については、PFPランキング常連で三階級制覇を果たしたシュガー・シェーン・モズリーでさえ悪い冗談に扱われてしまうほどで、シュガー・レイ・レナードでもようやくその大きな名前にどうにか耐えることが出来たという状況です。

そのロビンソンの好敵手、ジェイク・ラモッタの通称〝レイジングブル〟も多くのボクサーに使われていますが、許容範囲と認められるのはビック・ダルチニアンぐらいでしょう。

トーマス・ハーンズの代名詞〝ヒットマン〟もまた、数多くのボクサーに好まれて使われているものの、ヒットマンと聞いてリッキー・ハットンでさえ最初に思い浮かべる人は皆無です。

一方、超越的なレジェンドが存在しないゆえに、名前負けの危険性が低くなる〝コブラ〟(タフなボクサーの代名詞)のような安全?で人気の渾名もあります。

また、ロベルト・デュランの専売特許〝マノデピエドラ(石の拳)〟も、〝韓国の石の拳〟(文成吉)、〝アフリカの石の拳〟(リーロ・レジャバ)のように頭に母国を付けることでオブラートに包み、名前負け防止策になっています。

戸籍上まで「マーベラス」を加えて本名となったマーベラス・マービン・ハグラーの〝マーベラス〟も多くの後輩たちから愛される渾名ですが、セルヒオ・マルチネスの〝マラビージャ(驚異の男)〟のように微調整することで、独自性も出し、名前負けの危険性も小さくなる場合もあります。

「石の拳」はそのまま使うことは憚られてしまうのでしょうが、キッド・チョコレートもそれ以上に未加工のまま使用するのが恐れ多い渾名でした。

「ミシガンのジムでオーナーから『体つきや動きがキッド・チョコレートのようだ。これからはキッド・チョコレートと名乗れ』と薦められたけど、キューバにルーツがある私でもその伝説の名前を知らなかった」というクイリンは「どれほど偉大でも知らない人の名前を受け継ぐのは嫌だったからニックネームは〝キッド・ココア〟にしたんだ」と、最初はチョコレートではなくココアだったと打ち明けています。

しかし、クイリンはキッド・チョコレートのことを調べていくうちに、このキューバの英雄にどんどん惹きつけられていくのです。

そして、クイリンは納得してキッド・チョコレートを名乗り、今では観客にハーシーの小さなチョコレートをバラまくのが、現代リングで最も有名なパフォーマンスの一つにまでなっています。

クイリンは15歳でボクシングを始めましたが、アマ経験はわずか15戦、全く無名の存在でした。

プロ転向は2005年、18歳のときでした。
もっと早くプロのリングに上がりたかったクイリンでしたが、悪名高きドン・キングに法的効力のない契約書にサインさせられ、その拘束期限が切れるまで待っていたそうです。

そしてクイリンの才能は、南アフリカ人のプロモーター、セドリック・クッシャーのもとで爆発します。

20戦全勝15KOと綺麗に星を並べると、2010年にはその輝きに目をつけたゴールデン・ボーイ・プロモーションズに移籍。

クイリンの才能とGBPのコネクションは早速結実。

2011年に空位のUSBOスーパーミドル級を獲得すると、翌2012年には27勝17KO無敗の戦績を引っ下げバークレイズセンターで世界戦の大舞台に乗り込みます。
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「エンダムはスピードもパワーもキャリア最強の相手だった。私が最高のコンディションでなければ勝てる相手ではなかった」。クイリンの才能とエンダムのタフネス、世界屈指のミドル級が正面衝突した好試合でした。

相手はカメルーンのライオン、27勝20KOでやはり無敗のWBOミドル級王者アッサン・エンダム。

クイリンは、この無敗対決を制して世界王者の座に就きました。

この試合で、エンダムは6度もダウンを奪われながらその度に立ち上がって果敢に反撃、世界中のボクシングファンがそのタフさに驚きました。

エンダムと5年後に戦った村田諒太がトドメの一撃を逡巡してしまったのは、この試合で見せた不屈のライオンの残像が脳裏から離れなかったのかもしれません。

ミシガン州はグランドラピッドで生まれ、ニューヨークに流れ着いたクイリンは、ずっと夢見てきた栄光をついに掴み取ったのです。

ここに辿り着くまで、ニューヨーク時代には貧困のためにホームレスの収容所や、路上で寝ることもありました。

「空腹を抱えて路上で寝ていると、往来する人の視線がものすごく気になるんだよ。私のことを人間以下、いや動物以下に見ている、その目が怖いんだ。毎日、毎日、数え切れないくらいのそんな視線を浴び続けていると、心がズタズタに切り刻まれていくんだ」。

ボクシングのヒーローの多くは、クイリンと同じく極貧から栄光へ這い上がっていきました。

極貧時代に耐えた劣悪な環境や、投げつけられた酷い言葉や中傷は、世界中から尊敬されて、大金持ちになっても、きっと一生消えることはないのかもしれません。
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8月4日の復帰第二戦を前にシュガー・レイ・レナードのインタビューを受けるクイリン。

WBOミドル級の王座は順調に3度防衛しましたが、2度目の防衛戦に臨むキャンプ中に妻が流産してしまいます。

そして、訴訟問題にまで発展したアル・ヘイモンとGBPの確執のあおりを食って、GBPとの契約が打ち切られてしまいました。

順風満帆のプロキャリアを送っているように見えるクイリンが、誰にも見えない心の闇を抱えていたとしても不思議ではありません。

そして2015年12月5日、圧倒的有利予想で上がったバークレイズセンターのリングで、ダニエル・ジェイコブスにまさかの1ラウンドストップ負け。

そこから昨年9月まで1年9ヶ月ものブランクを作ってしまうのです。

昨年9月の復帰戦はライトヘビー級契約の8回戦。咬ませ犬専門のダショーン・ジョンソンを3−0の判定で破りますが、ブランクで錆び付いたパフォーマンスに見るべきものはありませんでした。

そして8月4日の復帰第二戦に向けて、プレミア・ボクシング・チャンピオンズの宣伝番組に登場。その意気込みをシュガー・レイ・レナードに語りました。

クイリン「ジェイコブス戦の前は重度のうつ病に苦しんでいました。何度も自殺を考えました。惨めに負けてからは、うつ病はさらに私を苦しめました。心の弱さから大きなブランクを作ってしまったのです。今は、立ち直りました。健康を取り戻しました。ブランクは不安ですが、ここから巻き返してスーパーミドル級で世界王者になりたいのです」。

レナード「ブランクを不安に思わないボクサーなどいない。しかし、その時間は君にとって最良の休息時間にもなったはずだ。あちこち痛めていた肉体が癒される。それに何より、テレビでゆっくりボクシングを見ると『みんなどうしてこんなに下手くそなんだ』って気づくいただろう?」。

クイリン「ありませんよ、そんなことない。逆に、強い奴がどんどん出てきて不安になりました」。

レナード「ピーターは謙虚だな、本音を言ってもいいんだぜ。引退状態でテレビでを見ると、技術的なことがいろいろ見えて来るだろう?いままで気づきもしなかったことが、わかるだろう?」

クイリン「それは、あります。こういう打ち方なら自分にも出来そうだとか、こういうふうに戦った方がいいのにとか、距離をつぶす方法はいくつもあるな、とか…いくらでもあります」。

レナード「そういうことだ。君は、ブランクによって間違いなく強くなっている」。

クイリン「あまり褒めないで。あなたに褒められると、それだけで満足してしまいそうだから」。

レナード「8月4日の復帰第二戦はピーターが5ラウンドまでに仕留める。間違いない」。
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クイリンの復帰第二戦はアンドレ・ベルトvsデボン・アレキサンダーとのダブルヘッダーとして、ニューヨークのナッソーコロシアムで行われました。

しかし、レナードの予想ははずれます。

ジェレオン・ラブとのスーパーミドル級10回戦は3−0の完勝ながら、内容的には物足りないものでした。アッサン・エンダムを6度も転がした全盛期のスピードもパワーも、何よりも迫力が影を潜めていました。

それでも、勝ちました。クイリンは生き残ったのです。21世紀のキッド・チョコレートには、もう一度チャンスが訪れるはずです。

複雑で極貧の家庭に育ち、ボクシングで成功してからも卑劣な裏切りに何度も遭う…ほとんど全てのトップボクサーは、こうした苦い体験に悩み、心に傷を抱えてリングに上がってきました。

ロベルト・デュランやマニー・パッキャオのように心の傷跡を全く見せないボクサーもいれば、クイリンやマイク・タイソンのように絶対に剥がしてはいけない、せっかく乾いたカサブタを無意識の内にはぎ取ろうとしてしまうボクサーもいます。

あなたの眼には、どちらの人間が魅力的に映るのでしょうか?
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かつて、ゲンナディ・ゴロフキンにとって最強のライバルと礼賛されたプロボクサーがいました。

彼は、褐色の肌と母国の大先輩にあやかって【Kid Chocolate】と渾名されていました。

今夜は、元WBO世界ミドル級チャンピオン、ピーター〝キッド・チョコレート〟クイリンの物語です。

1983年6月22日、シカゴ生まれのクイリン、そのルーツはキューバにあります。

その異名は、1930年代に活躍したニューヨーク州公認世界フェザー級チャンピオン、キッド・チョコレートにあやかったものです。
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キッド・チョコレート。もちろん、本名ではありませんが、それにしても、なんとセンスのいい名前を付けるのでしょうか。

本当の名前はエリヒオ・サルディニャス。

キッド・チョコレートは1910年生まれですから、クイリンの73年先輩になります。

生涯戦績152戦136勝51KO6敗6分。そのキャリアは、1927年から1938年の12年間ですから、年間約13試合、つまり1ヶ月に1試合以上のペースで戦い続けた計算になります。

「レベルの低い時代だから」と片付けるのは簡単ですが、レオ・サンタクルスやカール・フランプトンがタイムマシンに乗ってチョコレートの時代に放り込まれたら、彼らの繊細な肉体は過酷なスケジュールにどこまで耐えられるでしょうか?

逆に、キッド・チョコレートが現実と同じ17歳で現代のリングでプロデビューしていたら…十分な試合感覚はそのボクシングの精度を大きく引き上げていたことは疑いようがありません。

その破壊的な強打から〝チョコレート・ボン・ボン〟の愛称で、ニューヨークを熱狂させたキューバの伝説の名前を引き継いだクイリンもまた、この世界最大の都市で着実にキャリアを積み上げていきます。

しかし、順風満帆に見えたクイリンの心の深層はいつも不安定な波に大きく揺られていました。
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リング誌2011年9月号「NEW FACE」コーナーから。クイリンの強打と技術は、早くから高い評価を集めていました。

父親のペドロは政治犯として母国を追われてアメリカに渡り、シカゴに辿り着き、そこでクイリンが生まれます。

麻薬ディーラーに身を落とし、闇社会に沈んでゆく父親が刑務所に収監される姿を、当時6歳だったクイリンは今でも記憶しているでしょう。

一家は収入を失ってしまいました。

生活保護とパートタイムをつなぎ合わせて働きづくめの母親に育てられた少年の心の中で、冷たい風が止むことなく吹きつけられていたことは想像に難くありません。

それでも21世紀のキッド・チョコレートは、心の闇を抱えたまま、連勝街道を驀進します。
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笑ってはいけませんが、なんだかぬる〜いニュースが入ってきました。

WBC super flyweight champion Srisaket Sor Rungvisai is reportedly dealing with some personal issues, and he won’t be able to fight Juan Francisco Estrada in a rematch as planned for August.

WBCスーパーフライ級チャンピオンのシーサケット・ソールンビサイは、いくつかの個人的な問題を抱えてしまい、当初8月に予定されていたファン・フランシスコ・エストラーダとのリマッチを延期せざるをえなくなった。


というのですが、その理由が「婚約者に振られてしまったから」というのです。


それにしても、これが逆なら…国民的英雄となったシーサケットが、他の女にウツツを抜かして婚約者を捨てた、というのならちょと笑えませんが…。

リング誌でも感動的に取り上げられた二人の間に、一体何があったのでしょう?

このシリーズの②で、「これから、(シーサケットが)いくつの壁を乗り越えられるかは誰にもわかりません。そう、仏様でもご存知あるまい、なのです。」と書いてしまいましたが、まさかこんな「壁」は想定外でした。

まさしく、こんなことこそ「仏様でもご存知あるまい」、です。
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シーサケット・ソールンビサイという暴走車には、バックペダルは付いていません。ブレーキペダルすら付いていません。
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リング誌6月号「FIGHT ROUNDUP」より。軽量級もアジアもいまだ関心が低い米国ですが、その中ではシーサケットの露出は図抜けています。

峻厳な山頂を征服したクライマーには、遠く離れた下界を見ながら至福の時間を味わう権利があります。

デッドヒートを制してゴールテープを切ったランナーには、ゆっくりとウィンイングランを楽しむ権利があります。

重い水を激しくかき続けるスイマーには、新鮮な酸素を取り込む息継ぎが必要です。

同じように、立て続けの過酷な大一番に勝利したボクサーもまた、次の試合くらいは与し易い相手を選びたいものです。

WBCのマウリシオ・スライマン会長は2月10日「2017年に偉大なパフォーマンスを見せてくれたシーサケットに『次の試合は15位以内のコンテンダーから好きな相手を選んで構わない』と伝えたが、勇気あるタイ人はチェリーピック(雑魚狩り)を嫌い、ファン・フランシスコ・エストラーダとの再戦を熱望した」と、そのファイターの心意気を賞賛しました。

このマウリシオの発言も父親譲りで馬鹿丸出しと言うか、それ言ったらダメでしょうって話です。

「雑魚相手に楽に勝っていいですよ」って言ってるんですから。辰吉丈一郎が「(王者に返り咲けたのは)スライマン会長のおかげ」と泣き、長谷川陣営が「WBCには恩義がある」と大っぴらに発言したことからも、みんなわかってますけど…。

クリスチャーノ・ロナウドが「自分の表彰はFIFA会長のおかげ」とか、日本代表監督が「FIFAには恩義がある」とか発言したら、ヤバイですね。ところが、ボクシングの世界ではそういうのは聞き流すのが、大人のルールです。

タイの英雄は「エストラーダと彼のファンが初戦は負けていないと言い張っているから再戦の機会を作る。エストラーダは強くて油断ができないが、強い相手と戦うことにこそ意味がある。弱い挑戦者を選んで戦っていたら、結局自分が落ちぶれていくだけ」と、選択の理由を答えています。

シーサケットは、大人のルールを拒んだわけです。「俺の活躍とマウリシオ会長とは何の関係もねぇ!」「WBCには何の恩義もねぇ!」と拒んだのです。

全ての日本人の世界王者にとって、これほど耳の痛いコメントはありません。日本人世界王者は、100%チェリーピッカーです。立て続けに強豪を選ぶことはありません。亀田も井上も村田も、間違いなく、ぬかりなく、必ず弱い相手と戦います。

弱い相手ばかりと戦っていると、自分の能力も錆び落ちてしまうというのに。

リオネル・メッシやウサイン・ボルトが、日本に生まれていたら彼らの才能は、極東の島国では傑出しても、世界では埋もれていたでしょう。

どんな素晴らしい刀でも、豆腐ばかり切っていては名刀には昇華しません。豆腐なら美しく斬り落とす、豆腐専用の刀になります。そして、焼き豆腐か油揚げを切ろうとした時には、まさかの刃こぼれを起こしてしまうのです。

これまで、そんな〝名刀候補〟を何人見てきたことでしょうか。この30年、名刀に完成したボクサーはただの一人もいません。悲劇です。

正直「パッキャオやシーサケットを見習え」なんて思いません。そんな必要はありません。彼らとは「血と生い立ちと環境」が違いすぎます。

彼らは、本物のハングリーだけをエネルギーに地獄の底から這い上がってきた鬼です。

日本人には日本人の流儀があります。恵まれた環境の中で、栄光を渇望する精神的なハングリーを研ぎ澄まして、人間として鬼に勝って頂点を目指すのです。



話変わって…「何を残酷なことを言うんだ」と責められるかもしれませんが、シーサケットvs八重樫東の究極の〝リマッチ〟は実現したら、両者の機縁を考えると米国でも相当な盛り上がりを見せるはずです。

八重樫もまた、シーサケットほどではないにしても軽量級のビッグネームです。

軽量級のスターに登り詰めたシーサケットが、八重樫の咬ませ犬としてリングに上がった2009年のデビュー戦から9年。この充実した時間の中で二人は、世界中のボクシングマニアから「激闘王」と「感動王者」と認められました。

バックペダルを踏まないシーサケットが、こんなノスタルジックなリマッチなんて考えもしないでしょうから、これは脳内のリングでだけ実現できる妄想試合です。

ちなみに私の脳内では、初戦と全く同じラウンド同じタイムでのTKO。立場が逆転した今回は、咬ませ犬が王者に噛みつき、大番狂わせを起こします。 

まあ、それにしてもシーサケットは凄いです、尊敬です。

経済大国日本のボクシング界では、大手ジムのエースが咬ませ犬からノシ上がるのはありえませんが、弱小ジムや、大手でも二番手以下のボクサーにはチャンスはあります。

木村翔には、日本のシーサケットになって欲しいですね! 
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バンタム級のWBCバージョンを圧倒的な内容で防衛しながらも、長谷川穂積には「強い相手から逃げている」「挑戦者は雑魚ばかり」という非難がネットを中心に持ち上がり始めます。

雑魚挑戦者を相手に防衛を重ねてきたのは、ある意味日本の悪しき伝統ですが、団体と階級が増殖した時代では日本だけではなく世界的な傾向と言っても差し支えないでしょう。

興行規模に比例する承認料を頂戴する承認団体が、経済大国や人気スターに雑魚挑戦者をあてがおうとするのは今に始まったことではありませんが、4団体時代は各団体の「美味しい王者の囲い込み」競争がいっそう激化します。

人気のあるスター選手は、こうした環境で権威がさらに失墜したアルファベット王座に固執せず、ビッグファイトを求めていくため、追いかけても振り向いてくれない高嶺の花です。

そして、高い承認料を支払う日本の大手ジム所属の看板王者は島国の中で承認団体から与えられる雑魚相手に防衛を重ねる〝養殖〟王者となり果てていくのです。

長谷川穂積や内山高志、山中慎介もこの呪縛に絡め取られ、プライムタイムに本来の才能を磨く機会を与えられず、その名刀は雑魚相手の防衛戦を重ねながらとうとう錆びついてしまいました。

ビッグファイトを模索する人気スター、今ならレオ・サンタクルスやカール・フランプトン、カリド・ヤファイは日本に呼ぶにはコストがかかり過ぎます。地元で100万ドルクラスの報酬を得ている彼らを、敵地日本に呼ぶには統一戦の費用や、陣営の滞在費まで考えると200万ドル用意しても足が出るでしょう。

ファイトマネーは興行規模から導き出される二人のファイターの取り分の総計です。ジム側は、せっかく育てた可愛い世界王者に少しでも多い金額を与えたい、少ないファイトマネーでも首を縦に振る挑戦者を選びたいのは当然です。

先日のSUPER FLY2のメインイベントを張ったシーサケット・ソールンビサイの報酬は25万ドル、ファン・フランシスコ・エストラーダは10万ドルでした。

SUPER FLY1では井上尚弥は日本からのスポンサーマネーが加算されて40万ドルが用意されました。日本の大手ジムの看板選手が「米国に行っても良い」と判断するギリギリの金額です。シーサケットレベルの25万ドルぽっちなら「日本で防衛してた方がはるかにまし」です。

SUPER FLY2で井上との統一戦オファーがあったと明かしたヤファイが参戦できなかった最大の理由は、「報酬があまりにも低かった」からであって、「井上が怖いから逃げた」わけではありません。

ビジネスとしても十分満足出来る条件が用意されているのに、強い相手、評価の高い相手から逃げるボクサーなど世界中一人もいません。

しかし、ビジネスとして到底容認できなければ「報酬に関係なく井上とやりたい」( ヤファイ)と主張しても、プロモーターが「プロなら断れ。お前が馬鹿にされているんだぞ。お前が馬鹿にされたってことは俺への最大の侮辱だ」(エディ・ハーン)と断るのは当然です。

増大する一方のいわれのない非難に長谷川が対抗するには、大幅な譲歩を堪忍して強豪を呼ぶしかありませんでした。
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そして、帝拳の本田明彦会長が「(前年に試合が流れた)エリック・モレルの代役で一度は内定しており、すんなり話が進んだ」というWBO王者フェルナンド・モンティエルとの統一戦が決定。

この試合は、「長谷川君が本当に強いかどうか疑問の声もあるから」と余計な一言も付け加えられて、「(WBOは認めていないので)モンティエルが長谷川のWBCに挑戦する形となる」とJBCからも発表されました。

二階級制覇した時の報酬が1万5000ドルなど日本円で500万円にも遠く満たないファイトマネーを甘受してきた人気、実力とも低評価のモンティエルに一説では5000万円以上という報酬を用意して成立した「日本史上最高の対決」(ボクシングマガジン)。

しかし、WBO王者でありながらリング誌バンタム級で9位、「4団体時代でさえ世界王者の資質なし」と切り捨てられた誰もが認める最弱王者を選んだことに幻滅する声も上がってしまうのです。

ビッグネーム、アブナル・マレスは当時の〝ヤファイ〟 や〝サンタクルス〟です。相手の言いなりで敵地に行くしかない人気者です。WBA王者アンセルモ・モレノとIBF王者ヨニー・ペレスは人気は全くありませんが、プロモーションの問題から交渉はゼロから、フェザー級転向を直近の視野に入れていた長谷川には時間がありません。

長谷川陣営は大幅に譲歩し、やれること(やらなくてもいいことまで)は全てやりました。

誰かを叩きたいだけのひねくれた匿名アンチの声など無視すればいいのですが、それでも奴らを黙らせるオプションはなかったのか…ありましたね。

リング誌は長谷川をバンタム級1位(王者は空位)、モンティエルを9位と評価していましたが、「118ポンド最強はこのランキングには刻字されていない」と書いています。115ポンドで戦っていた、やはり不人気と低報酬に苛立っていた男です。
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ファイティング原田は、幸せなボクサーでした。

一つの階級に世界王者は1人しかいない時代。

その階級も原田の時代は、10階級しかなかったのです。信じられないかもしれませんが、ボクシングの世界チャンピオンは、世界に10人しかいなかったのです。今は17階級×4団体=68人というだけでなく、それぞれの団体が人気選手や、日本など金払いの良い経済力のある国の王者を優遇、もはや世界王者のベルトは最強の勲章ではなく、腐敗承認団体の不潔な目印というケースまで珍しくありません。

白井義男が陥落してから世界王者不在の“不毛の8年間”でも、毎日ゴールデンタイムでボクシング番組が放送され、2人目の世界王者を待ち焦がれていた時代。

おそらく、あの8年間は不毛などではなく、豊穣の時間だったに違いありません。そして、「過去最高数の世界王者を抱える」現在こそが、空虚で不毛の時代なのかもしれません。

よくよく考えると、パウンド・フォー・パウンドなんて概念は、世界王者が掃いて捨てるほどいる時代だから、妄想でもいいから、何でもいいから、何か確かなものが欲しいという不安の裏返しなのかもしれません。

確かなものを実感出来た原田の時代は、PFPや「階級最強は誰だ?」なんてことをメディアやファンがいたずらに議論する未来が待っているとは、おそらく思いもつかなかったはずです。というか、そんなもの、そもそも必要が無かったのです。
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具志堅用高は、「 Old Timer」部門で殿堂入りを果たしましたが、「Modern(近代)」部門ではついに“入神”できずじまいでした。具志堅は長らく近代部門のノミネート選手としてウエィティングサークルで待ち続けましたが、ついにタイムアウト。張正九や柳明佑が近代部門で殿堂入りしているのは、具志堅の実績と比較すると、残念ながら納得せざるをえません。

そして原田が「近代(Modern)」で、具志堅が「旧代(Old Timer)」なんて時系列が狂ってるようにも思えますが、それが現実です。

13度防衛は素晴らしい偉業ですが、世界的には高い評価を得ることができません。

かつて、バッシングの嵐に晒された亀田興毅は「五階級制覇したら文句ないやろ!」と開き直りましたが、全くの的外れです。もちろん、彼の責任ではありません。

今の時代、オマール・ナルバエスのように何度防衛しようが、レオ・ガメスのように階級コレクションを増やそうが、まともな評価はされません。

あの、傲慢で権威が大嫌いなフロイド・メイウェザーJr.は「俺はWBC5階級制覇だぞ!」なんて間違っても口にしませんが、「俺は殿堂確実のグレートだ」とはことあるごとに叫んでいます。

亀田興毅は「殿堂入りしたら文句ないやろ!」と叫ぶのが正解でした。

どうして、日本のボクサーは「世界的に評価されたい」と口にしても、数字ばかりを追求して、殿堂には触れないのでしょうか。

長谷川穂積も西岡利晃も、「世界的に評価されたい」という思いが本気なら、世界が今なお「He is arguably Japan's greatest fighter ever.(ファイティング原田こそ間違いなく日本史上最高のファイター)」と明言している50年前の亡霊を倒さなければならなかったのです。

井上尚弥の場合は、まだ遅くはないです。

同一階級に世界王者が何人もいる時代、長谷川も西岡も、内山高志も山中慎介も「弱い相手、劣化した相手にしか勝てない」とインターネット上で容赦ない非難に晒されました。

今週のWOWOWエキサイトマッチでは「MGMグランドガーデンはビッグマッチの定番」という意味の話題が出ましたが、「西岡さんもここでやったんですよね」というフリは封印されてしまいました。少し前まではそういうやりとりもありましたが、あまりにも反論、ある意味で正論が多く寄せられて、番組的にはタブーになってしまいました。

しかし、「MGM詐欺」という非難を西岡に向けるのは、間違っています。詐欺的行為を思いついて、実行したのは彼であるはずはありません。西岡は戦っただけです。むしろ被害者です。

長谷川の挑戦者の質は劣悪で、「バンタム4トーナメントから逃げた」というのも間違っています。長谷川が強い相手と戦いたかったことは、間違いありません。彼の渇望を歪める力学が、リングの外で働いていたのです。
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最近の井上でも「スーパーフライの強豪から尻尾を巻いて、バンタム最弱王者との対戦に逃げた」との批判も真実ではありません。

ファイティング原田が、21世紀のボクサーなら、長谷川や西岡、内山、山中と同じことしか出来なかったでしょう。

21世紀のボクサーは、彼らの流儀で、本当の世界チャンピオンを目指しています。

それは、私たち“戦わない奴ら”からは、ときに罵詈雑言を浴びるでしょうが、彼らが逃げることなく“戦っている” ことは間違いありません。

中島みゆきではありませんが、「戦う君のことを、戦わない奴らが笑うだろう」です。

亀田興毅の環境で育って「5階級制覇したら文句ないやろ」という発想にならない方がおかしいです。

長谷川のステイタスで、バンタム4なんて場末のトーナメントに参加する方が狂っています。

懸命にもがいて戦う西岡が自分の立場なら、傍目には理不尽に何度も与えられるチャンスでも、それを遠慮する選択肢はありません。

長谷川と西岡。

全く違うアプローチで「本当の世界チャンピオン」を目指し、木っ端微塵に打ち砕かれた 、2人のサムライの物語です。

エデル・ジョフレという、目に見える巨大な敵に立ち向かい、打ち勝った原田が偉大だということは、誰にだって、それこそ軽量級に疎い欧米のメディアでもわかります。

しかし、特殊な時代、特殊な国でボクシングを職業に選び、命をかけて疾走しても、辿り着けない、見えないゴールを、彼らのやり方で懸命に探し続けた、長谷川と西岡は、原田にはない悲しくも鮮やかな光彩を放っています。

そして…このプリズムは井上尚弥ら若い才能には、絶対に絶対に無縁のものでなければなりません。
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