昨年9月、トランプ大統領は、DACA(チャイルド不法入国免除法)を撤廃しました。
DACAは「16歳までに親に連れられて米国に入国し、2012年時点で30歳以下だった不法移民」の母国への強制送還を免除する条例です。
対象者は全米で約80万人とされていますが、その実態は2倍以上の数にのぼるとみられます。彼らのほとんどは、メキシコ国境を越えて来た中南米の貧困層です。
1981年7月23日にメキシコ、シナロア州ロスモチスの極貧の家庭で産まれた、レイムンド・ベルトランの幼少期の記憶といえば、凄まじい空腹にに耐えながら、劣悪な治安の街に怯えることしかありませんでした。
物心ついた頃から、ゴミを漁って空腹を満たしてきました。残飯にありつけるのは腕力に秀でた大柄の子供からで、栄養失調で体も小さいレイが口に出来るのは、捨てられた缶詰の底にこびり付いたスープの残滓だけという日も珍しくありませんでした。

【アメリカに夢を描いて命がけで国境を越えた子供達、『ドリーマー』を強制送還すれば、若者の夢を奪うばかりか、低賃金で働く彼らを失うことは何十億ドルもの経済的損失にもつながります。DACAの撤廃は、移民によって建国され、移民によって繁栄してきた米国のアイデンティティをも否定しているのです。】
家族が住むロスモチスのダウンタウンは、麻薬マフィアの卑劣な暴力と理不尽な殺戮までが横行し、警察官も買収され、誰も信じることができない地獄の街でした。
1996年、レイの母親は腹を決めます。「このままでは家族みんなが飢え死にするか殺される」。すでに米国へ不法入国していた夫を頼って、国境を越えようと、なけなしの金を越境ブローカーに渡しました。
このとき、レイは「15歳」、「親に連れられて米国に入国」しさえすれば「2012年時点で30歳以下」という、後に施行されるDACAの対象条件をギリギリ満たすことが出来ることになります。
男でも命がけなのに、母親と3人の兄弟、女子供4人で国境を越えるには、人目のつかない夜中に、国境警備隊の目の届かない危険なルートで越えるしか方法はありません。
「メキシコ国境に壁を作る」とぶち上げたトランプですら「国境周辺は峻厳な山脈や深い渓谷など通行不可能な場所がある」「そこには壁は必要ないし、壁など作ることも出来ない」と認めた、「そこ」を越えるしかなかったのです。
ブローカーが手配したオンボロトラックの荷台に乗った4人にとって、最も辛かったのは何日まともな食事を口にしていない空腹でも、猛スピードでデコボコの山道を走るトラックの荷台にしがみ付いてふっ飛ばされる恐怖に耐えることでもありませんでした。
国境の山岳地帯は、日が落ちると氷点下を大きく割り込みます。真っ暗闇の中を猛スピードで走るトラックの荷台にしがみつく4人の体を、冷え切った風が氷の矢のように容赦なく貫き続けました。
意識が遠のくような寒さの中で、トラックの荷台に乗るときに運転手が「毛布を持っていないのか?」と悲しい目をして驚いた意味が、よくわかりました。
しかし、夏には40度以上まで気温が上がり、冬でも30度を超えることが珍しくないロスモチスから逃れてきた貧しい家族にとって、毛布を準備するなんて思い付くわけがなく、もし思い至ったとして買うカネなどもあるわけがありませんでした。
〝It was so cold,sooooo cold〟
「とにかく寒かった、信じられないくらいに寒かったよ」。今、レイが笑ってそう回想できるのは、家族4人、誰一人凍死することなく、3時間以上に及ぶ山越えに奇跡的に成功したからです。
国境を越えると、トラックを止めた運転手はすぐに荷台を確認しました。そして、凍えながらも4人とも無事でいることがわかると、ホッとしたように「グラシアス(ありがとう)」と笑いました。
礼を言うのは4人の方なのに。
女子供の国境越えは非常に厳しい挑戦です。荷台から振り落とされたり、あまりの寒さに凍死したりするのも珍しくありません。
一枚の毛布も持たない母親と3人の子供が、揃って荷台に乗って国境を越えることが出来るなんて、運転手は想像もしていなかったのでしょう。
国境越えのピックアップ運転手は、非情でタフな仕事です。
やっと国境を越えたのに、全員振り落とされて荷台は空っぽだったり、うつろな目をした母親が凍死した幼子を抱いて呆然と座り込んでいたり…そんな光景を目の当たりにしても、また次の仕事をしなければならないのです。
運転手の「グラシアス」は、見たくもない荷台の光景を見ないですんだ、そのお礼だったのでしょう。そして、母親と3人の名前を聞くと「ブエーナスエールテ(君たちに幸運あれ)」と笑って車に戻り走り去りました。
荷台に乗る前に自己紹介しようとした母親に、運転手が「名前は語らないのがルールだ」と冷たく制した理由は、秘密の違法行為だからではなく、無事に国境を越える前に名前を知ってしまうと、悲しい荷台を見たときに、余計に辛くなるからだったのでしょう。

【メキシコは温暖な気候とおもわれがちですが、昼夜の温度差が激しい砂漠や、雪の積もる山岳地帯も多く抱えています。】
無事国境を越えた4人は、レストランと建設現場を掛け持ちしながら働いていた父親と再会、新しい生活が始まりました。
レイは、ロスモチスでボクシングをかじっていましたが、グローブを買うカネはなく、もっぱらベアナックルで練習していました。同じ町では、裕福なモンティエル一族が優秀なボクサーを輩出する家族として有名でしたが、ゴミ漁りをして空腹を凌ぐレイから見ると彼らは別世界の住人でした。
国境を越えてきた息子がまだボクシングに未練があることを知ると、父親は町外れのジムへ連れて行ってくれました。
過酷な環境を生き抜いた少年は、あっという間にジムでも有数のボクサーに成長、1999年にプロデビュー、2001年から2004年にかけては11連勝をマーク、WBC傘下の中米フェザー級王座も獲得しました。
世界タイトル挑戦も視野に入れたレイでしたが、この2004年に運命的な出会いが彼を待っていました。
その道先案内人となったのは、フレディ・ローチ。
ローチは、マイク・タイソンやバージル・ヒル、ジェームス・トニー、ジョニー・タピアら綺羅星の如きスター選手を指導した名トレーナーとして2003年には全米最高トレーナー賞を獲得するなど、すでにその名を世界に知らしめていました。
そして、この稀代の名匠が、その輝かしいトレーナー歴でも図抜けた最高傑作に仕上げることになる小さなフィリピン人のスパーリングパートナーを探していたのです。
レイは、ローチの最高傑作という枠をも越えて、近代ボクシング120年の歴史上でも最も優れたボクサーの一人、マニー・パッキャオのスパーリングパートナーの座を見事に掴みとったのです。
パッキャオとレイが打ち解けたのは、極貧からのサバイバーという共通点が大きかったのかもしれません。
前の年の2003年、当時のPFPでトップ3に入っていたマルコ・アントニオ・バレラを大番狂わせで破り、アジア初の三階級制覇に成功していたパッキャオは、ファン・マヌエル・マルケスとの第1戦に向けてキャンプインするところでした。
レイがパッキャオのキャンプで手にした報酬は、中米王者として受け取るファイトマネーよりもはるかに多く、キャリアハイの金額でした。
とはいっても全盛期のパッキャオとのスパーリングです。現実の試合よりもはるかに過酷な仕事で、しかも、それが連日続くのです。
ウェルター級やジュニアミドル級のボクサーでも負傷して途中離脱する中、レイの頑健な肉体はパッキャオのパンチを受け止め続けました。
後にスパーリングパートナーに加わるショーン・ポーターは当時ジュニアミドル級でしたが「仕上がったパッキャオとスパーリングするのは嵐の中に放り込まれるようなものだった」「あんな小さな体のレイがこの仕事に耐えているのに驚いた」と回想しています。
レイの名前は世界中のボクシング関係者、ファンに徐々に知れ渡り、2013年には敵地英国に乗り込みWBOライト級王者リッキー・バーンズにあからさまな地元判定で惜敗するなど世界タイトルにも3度挑戦、第一線で活躍し続けています。
2015年、ネバダ州で行われた粟生隆寛と拳を交えたWBO世界ライト級王者決定戦では前日計量で体重超過、試合は2ラウンドTKOで勝利したものの、タイトルは空位のまま。さらに、レイの血液検体から筋肉増強剤スタノゾロールが検出された挙句、無効試合となり、9ヶ月間の試合出場停止処分が下されます。
レイ・ベルトランのスポーツマンシップに悖る卑劣な行為は、到底容認できるものではありませんし、わずか9ヶ月のサスペンデッド(それもネバダ州限定)という考えられないペナルティの軽さには、ボクシング業界に幻滅するしかありませんが、今回の本題ではありません。
それはまた別の機会にお話しできたら…。
レイは、ちょうど1ヶ月後の2月16日、 ネバダ州リノで4度目の世界タイトルマッチのリングに上がります。相手は2009年パシフィコ横浜で小堀佑介からWBAライト級王座を奪ったナミビアのパウルス・モーゼス。
粟生戦のような言語道断の罪は2度と犯してはいけないのは当然ですが、戦前から厳しい地元判定が予想された英国の人気者バーンズ、現在PFP1位を伺う俊才テレンス・クロフォードと、過去の世界挑戦の相手と比べると、悲願達成の可能性は大きく膨らんでいます。
レイが〝パッキャオのスパーリングパートナー〟ではなく、世界王者となってボクサーとして純粋に評価される日が来るのです。そして、より大きな報酬を手にして家族を幸せにすることも出来ます。
しかし、世界王者にならなくてはいけない理由はそれだけではありません。もっと、切実な理由が迫っているのです。
レイムンド・ベルトランが脱ぎ去らなければいけないのは〝パッキャオのスパーリングパートナー〟というジャケットだけではありません。
あの生死を賭けた国境越えから20年もの歳月が経ちましたが、「不法移民」という足枷は取り外すことが出来ていないのです。まだ、彼は米国永住権を持つことを許されていないのです。

レイが米国での永住権を得るには「アーティストグリーンカード」と呼ばれるアメリカ永住権、EB-1を取得するしかありません。
その条件は「extraordinary ability(卓越した能力)」を証明すること、です。王者の権威が失墜しているプロボクシングとはいえ、主要団体の世界王者になれば、extraordinary abilityの持ち主であると主張できます。
2月16日に世界王者になれば、証明書を申請し、EB-1が発行される公算が高いのです。
現在、あと2年足らずで切れる就労ビザでなんとかプロボクサーの仕事を続けているレイも今年37歳になります。
今回、4度目の世界戦に失敗すると、もう一度そのチャンスを掴むことは非常に難しくなります。年齢も考えると世界王者になって永住権を獲得するのは、これが最後のチャンスとなります。
残された時間は多くはありません。
人生を賭けて、レイは、もう一度「国境」を越えなければならないのです。
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