勝てば、より高い次のステージがある。
勝ち続ければ、一番高いステージまで辿り着く。それがスポーツです。
しかし、プロボクシングの世界では「主要」(何が主要なのか誰にも説明出来ませんが)と言われるだけで4つもあるアルファベット団体が勝手に〝世界チャンピオン〟を承認しまくって、世界一を粗製乱造しています。
一番高いかどうか極めて怪しいケースが多いアルファベット団体の〝世界チャンピオン〟になると、今度は、またまたその実力が怪しい挑戦者が次々と現れ、安易に防衛を重ねていくことが出来ます。
怪しい〝世界チャンピオン〟は決定戦などで決められてしまうと、その実力は世界50位くらいじゃないか、というケースもままあります。
実力50位に勝って、より順位の高い実力者と防衛戦を行えば、まだステージを上がっていることになりますが、多くの場合、どう考えても世界一に挑戦する資格の無い劣悪なボクサーと〝世界タイトルマッチ〟を重ねることになります。
五輪がIOCの他にも、WOAやらWOCやらIOAやらWOOみたいな統轄能力を持たない、腐敗を極めた承認団体があちこちで勝手に五輪を開催して、勝手に金メダルを量産していたら、誰もそれを世界チャンピオンとは認めないでしょう。今のボクシング界は、まさにその惨状を呈しているのです。
もちろん、選手が悪いわけではありません。ボクシング界の構造、仕組みが悪いのです。
ボクシング界の構造に対して、戦わざるをえなくなった長谷川穂積と、西岡利晃。
同時代にバンタム級で活躍した二人は、もっと比較されなければならない存在でした。いいえ、拳を交えなければいけなかったはずです。「真正ジムが事実上〝神戸帝拳〟だから同門対決になる」とか理由になりません。
それを回避する、回避するどころか、そもそもの発想がない、欠落しているのが日本ボクシング界の病巣です。
辰吉丈一郎と鬼塚勝也も、井岡一翔と井上尚弥も、もし戦わば日本中のボクシングファンが盛り上がったのは間違いないのに、メディアはもちろんファンもその対決を焚きつけることはありませんでした。
もし、マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーが日本人だったら、メディアもファンも両雄の対戦を煽ることはなく、戦うこともなかったかもしれません。
「本当の世界チャンピオンになりたい」。今の時代、全ての世界チャンピオンがそう願っています。
長谷川と西岡もそうでした。
しかし、同じ願いを実現するために、二人は対照的なルートを歩みます。
長谷川は2005年4月16日に、ウィラポン・ナコンルンアンプロモーションの15度連続防衛を阻んで、バンタム級のWBCバージョンをピックアップ。
ウィラポンは世界的な強豪の1人でしたが、殿堂クラスのチャンピオンではありません。
弱い相手ばかりといたずらに防衛回数だけを稼いだため、引退から10年近く経っても殿堂入りとは無縁の存在なのです。100%殿堂入りは無いでしょう。オマール・ナルバエスのいたずら防衛記録もウィラポンと同様、数字ほどには評価はされず、このアルゼンチン人の殿堂入りも考えられません。
このウィラポンの「弱い相手ばかりの14度防衛」リストに、4度も名前を刻んでしまったのが西岡利晃です。
西岡はウィラポンに4度も阻まれ、長谷川はそのウィラポンから明白な勝利でタイトルを奪ったのです。
最初に、14度も防衛しながら殿堂入りにアプローチすら出来ない、不可思議なタイ人に焦点を当てます。
ウィラポン・ナコンルアンプロモーションは、ムエタイでジュニアフライ、フライ、ジュニアバンタムの三階級を制覇した伝説的なキックボクサーから、国際式に転向。ムエタイのトップ選手が国際式に転向するのは、この国のエリートコースの一つです。
デビュー戦でWBCインターナショナル・ジュニアバンタム級のタイトルがかけられたことからも、期待の大きさが伺えます。同国のセンサク・ムアンスリンの持つ世界奪取の最短記録、デビュー3戦目の更新まで視野に入れていたと言われていますが、現実には4戦目、1995年9月17日に世界挑戦のリングに上がります。
相手は、同じタイの世界バンタム級タイトルのWBAバージョンを保持するダオルン・チュワタナ。
2人は28歳の同い年でしたが、ダオルンは64戦を戦い56勝(32KO)5敗、試合の構図は老雄と新鋭の激突でした。
ウィラポンは2ラウンドにダウルンの左を浴びて腰を落とし、ダウン寸前の大ピンチに見舞われますがゴングに救われます。ダウルンの攻勢をウィラポンがかわす展開のまま、試合終了のゴング。ダウルンが押し切ったに見えた試合はスプリットデジションでウィラポンの手が上がります。
ウィラポンは、強い左ジャブと重たい右ストレート、非凡な武器を見せつけた一方、そのスピードの無さと打たれ弱さからは、長期安定政権は想像できませんでした。
1996年1月28日、初防衛戦は指名挑戦者のナナ・コナドゥ。この31歳のガーナ人も、ジュニアバンタムのWBCバージョンを文成吉に強奪されてから6年が経っていた老雄。
ウィラポンは、第1ラウンドからダウンを奪い、ペースを掌握しますが、スピードの欠如と打たれ弱さの致命的な欠陥が2ラウンドに暴露されてしまいます。
コナドゥは「終わったボクサー」のはずでしたが、打たれ弱くスピードのないウィラポンにとっては危険な相手でした。
ガーナ人の右にたじろいで、撃ち合いに応じたウィラポンでしたが、これが裏目に。相打ち気味の両者の右、先に着弾させたのはコナドゥでした。もんどり打って倒れるウィラポンは、必死に立ち上がるも小鹿状態でフラフラ。ここで試合はストップされてしまいます。
ウィラポンが再戴冠するのは、WBCバージョンのバンタム級タイトルでした。1999年12月29日、フルハウスの大阪市中央体育館、王者は辰吉丈一郎。「スピードと打たれ強さに欠陥を抱えるタイ人」と、ランキング4位のウィラポンをチェリーピックしたつもりでした。
しかし、世界水準ではスピードもなく打たれ弱いウィラポン以上に、辰吉はスピードもなく、打たれ弱かったのです。
ここから、ウィラポンの雑魚狩り防衛戦ロードの火蓋が切って落とされます。これも、ウィラポンが臆病者だったわけではありません。報酬が桁違いの日本で戦いたいのは、世界中の軽量級ボクサーにとって共通の思いです。しかも、相手が弱いとなると。
初防衛から、マウロ・ブランコ(地域タイトルも獲ったことのない無名選手)、辰吉丈一郎、アダン・バルガス(強豪の1人とはいえ世界には届かず)、西岡利晃、オスカル・アルシニエガ(ウィラポン戦時点で31勝14敗2分、その時の直近5試合が1勝4敗)、リカルド・ハラハス(地域タイトルも獲ったことのなく、ウィラポン戦のあとはプロデビューの相手と戦うなど世界水準にはなかった)、西岡、セルヒオ・ペレス(直近5試合2勝3敗の雑魚、〝WBCマジック〟でなぜかペレスに勝った選手は世界ランカーになれませんでした)、フリオ・コロネル(IBAバンタム級王者の肩書きを持っていましたが、直近2勝3敗、通算21勝26敗1分)、ウーゴ・ディアンソ(珍しく直近5試合で3勝2敗と勝ち越していますが世界水準にはありません)、西岡、西岡、フリオ・セサール・アビラ(直前の試合で辰吉に負けた敗北も含めて直近5試合2勝2敗1分、ウィラポン挑戦時で22勝15敗1分)、セシリオ・サントス(WBCの地域タイトルを獲るなど強豪だがアルファベットのタイトルにも届かない実力。ちなみにまだ現役、35勝32敗。「負け越したら引退する」。そういう生き方もありです)。
ウィラポンの14度の防衛戦で、西岡は4、7、11、12と前半、中盤、後半とバランスよく退けられています。そして、経年劣化と雑魚相手に錆び付いたウィラポンを長谷川が斬って捨てたという流れです。
晩年の劣化ウィラポンですら攻略できなかった西岡は、その後、決定戦を経て世界王者になります。同じ相手に4度失敗、さらに決定戦というご馳走の形で5度目のチャンスまで与えられる…これを「何事も諦めなければ成し遂げられる」という美談で済ませていいのでしょうか?
そして、長谷川は10度防衛の後に、世界中が認める階級最弱王者フェルナンド・モンティエルに屠られながらも、決定戦のカードでフェザー級、やはり文句なしの階級最弱王者ウーゴ・ルイスからジュニアフェザーのタイトルを獲って三階級制覇を果たしました。
もし、ウィラポンの防衛戦ロードに西岡と長谷川がいなければ、このタイ人の評価はさらに下落しました。しかし、「誰に勝ったか」でウィラポンが最強の長谷川、そもそも評価が高くないジョニー・ゴンザレスに逆転勝ち、1−3のオッズで負け犬扱いされていた西岡。この2人の前にも殿堂の扉が開かれることはないでしょう。
そのジョニゴンを3−1の有利予想で挑戦者に迎えながら惨敗した長谷川も、そこまでの選手です。
しかし、この2人はボクシング界の硬直した構造に安寧することなく、本物のチャンピオンを目指して行くのです。
勝ち続ければ、一番高いステージまで辿り着く。それがスポーツです。
しかし、プロボクシングの世界では「主要」(何が主要なのか誰にも説明出来ませんが)と言われるだけで4つもあるアルファベット団体が勝手に〝世界チャンピオン〟を承認しまくって、世界一を粗製乱造しています。
一番高いかどうか極めて怪しいケースが多いアルファベット団体の〝世界チャンピオン〟になると、今度は、またまたその実力が怪しい挑戦者が次々と現れ、安易に防衛を重ねていくことが出来ます。
怪しい〝世界チャンピオン〟は決定戦などで決められてしまうと、その実力は世界50位くらいじゃないか、というケースもままあります。
実力50位に勝って、より順位の高い実力者と防衛戦を行えば、まだステージを上がっていることになりますが、多くの場合、どう考えても世界一に挑戦する資格の無い劣悪なボクサーと〝世界タイトルマッチ〟を重ねることになります。
五輪がIOCの他にも、WOAやらWOCやらIOAやらWOOみたいな統轄能力を持たない、腐敗を極めた承認団体があちこちで勝手に五輪を開催して、勝手に金メダルを量産していたら、誰もそれを世界チャンピオンとは認めないでしょう。今のボクシング界は、まさにその惨状を呈しているのです。
もちろん、選手が悪いわけではありません。ボクシング界の構造、仕組みが悪いのです。
ボクシング界の構造に対して、戦わざるをえなくなった長谷川穂積と、西岡利晃。
同時代にバンタム級で活躍した二人は、もっと比較されなければならない存在でした。いいえ、拳を交えなければいけなかったはずです。「真正ジムが事実上〝神戸帝拳〟だから同門対決になる」とか理由になりません。
それを回避する、回避するどころか、そもそもの発想がない、欠落しているのが日本ボクシング界の病巣です。
辰吉丈一郎と鬼塚勝也も、井岡一翔と井上尚弥も、もし戦わば日本中のボクシングファンが盛り上がったのは間違いないのに、メディアはもちろんファンもその対決を焚きつけることはありませんでした。
もし、マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーが日本人だったら、メディアもファンも両雄の対戦を煽ることはなく、戦うこともなかったかもしれません。
「本当の世界チャンピオンになりたい」。今の時代、全ての世界チャンピオンがそう願っています。
長谷川と西岡もそうでした。
しかし、同じ願いを実現するために、二人は対照的なルートを歩みます。
長谷川は2005年4月16日に、ウィラポン・ナコンルンアンプロモーションの15度連続防衛を阻んで、バンタム級のWBCバージョンをピックアップ。
ウィラポンは世界的な強豪の1人でしたが、殿堂クラスのチャンピオンではありません。
弱い相手ばかりといたずらに防衛回数だけを稼いだため、引退から10年近く経っても殿堂入りとは無縁の存在なのです。100%殿堂入りは無いでしょう。オマール・ナルバエスのいたずら防衛記録もウィラポンと同様、数字ほどには評価はされず、このアルゼンチン人の殿堂入りも考えられません。
このウィラポンの「弱い相手ばかりの14度防衛」リストに、4度も名前を刻んでしまったのが西岡利晃です。
西岡はウィラポンに4度も阻まれ、長谷川はそのウィラポンから明白な勝利でタイトルを奪ったのです。
最初に、14度も防衛しながら殿堂入りにアプローチすら出来ない、不可思議なタイ人に焦点を当てます。
ウィラポン・ナコンルアンプロモーションは、ムエタイでジュニアフライ、フライ、ジュニアバンタムの三階級を制覇した伝説的なキックボクサーから、国際式に転向。ムエタイのトップ選手が国際式に転向するのは、この国のエリートコースの一つです。
デビュー戦でWBCインターナショナル・ジュニアバンタム級のタイトルがかけられたことからも、期待の大きさが伺えます。同国のセンサク・ムアンスリンの持つ世界奪取の最短記録、デビュー3戦目の更新まで視野に入れていたと言われていますが、現実には4戦目、1995年9月17日に世界挑戦のリングに上がります。
相手は、同じタイの世界バンタム級タイトルのWBAバージョンを保持するダオルン・チュワタナ。
2人は28歳の同い年でしたが、ダオルンは64戦を戦い56勝(32KO)5敗、試合の構図は老雄と新鋭の激突でした。
ウィラポンは2ラウンドにダウルンの左を浴びて腰を落とし、ダウン寸前の大ピンチに見舞われますがゴングに救われます。ダウルンの攻勢をウィラポンがかわす展開のまま、試合終了のゴング。ダウルンが押し切ったに見えた試合はスプリットデジションでウィラポンの手が上がります。
ウィラポンは、強い左ジャブと重たい右ストレート、非凡な武器を見せつけた一方、そのスピードの無さと打たれ弱さからは、長期安定政権は想像できませんでした。
1996年1月28日、初防衛戦は指名挑戦者のナナ・コナドゥ。この31歳のガーナ人も、ジュニアバンタムのWBCバージョンを文成吉に強奪されてから6年が経っていた老雄。
ウィラポンは、第1ラウンドからダウンを奪い、ペースを掌握しますが、スピードの欠如と打たれ弱さの致命的な欠陥が2ラウンドに暴露されてしまいます。
コナドゥは「終わったボクサー」のはずでしたが、打たれ弱くスピードのないウィラポンにとっては危険な相手でした。
ガーナ人の右にたじろいで、撃ち合いに応じたウィラポンでしたが、これが裏目に。相打ち気味の両者の右、先に着弾させたのはコナドゥでした。もんどり打って倒れるウィラポンは、必死に立ち上がるも小鹿状態でフラフラ。ここで試合はストップされてしまいます。
ウィラポンが再戴冠するのは、WBCバージョンのバンタム級タイトルでした。1999年12月29日、フルハウスの大阪市中央体育館、王者は辰吉丈一郎。「スピードと打たれ強さに欠陥を抱えるタイ人」と、ランキング4位のウィラポンをチェリーピックしたつもりでした。
しかし、世界水準ではスピードもなく打たれ弱いウィラポン以上に、辰吉はスピードもなく、打たれ弱かったのです。
ここから、ウィラポンの雑魚狩り防衛戦ロードの火蓋が切って落とされます。これも、ウィラポンが臆病者だったわけではありません。報酬が桁違いの日本で戦いたいのは、世界中の軽量級ボクサーにとって共通の思いです。しかも、相手が弱いとなると。
初防衛から、マウロ・ブランコ(地域タイトルも獲ったことのない無名選手)、辰吉丈一郎、アダン・バルガス(強豪の1人とはいえ世界には届かず)、西岡利晃、オスカル・アルシニエガ(ウィラポン戦時点で31勝14敗2分、その時の直近5試合が1勝4敗)、リカルド・ハラハス(地域タイトルも獲ったことのなく、ウィラポン戦のあとはプロデビューの相手と戦うなど世界水準にはなかった)、西岡、セルヒオ・ペレス(直近5試合2勝3敗の雑魚、〝WBCマジック〟でなぜかペレスに勝った選手は世界ランカーになれませんでした)、フリオ・コロネル(IBAバンタム級王者の肩書きを持っていましたが、直近2勝3敗、通算21勝26敗1分)、ウーゴ・ディアンソ(珍しく直近5試合で3勝2敗と勝ち越していますが世界水準にはありません)、西岡、西岡、フリオ・セサール・アビラ(直前の試合で辰吉に負けた敗北も含めて直近5試合2勝2敗1分、ウィラポン挑戦時で22勝15敗1分)、セシリオ・サントス(WBCの地域タイトルを獲るなど強豪だがアルファベットのタイトルにも届かない実力。ちなみにまだ現役、35勝32敗。「負け越したら引退する」。そういう生き方もありです)。
ウィラポンの14度の防衛戦で、西岡は4、7、11、12と前半、中盤、後半とバランスよく退けられています。そして、経年劣化と雑魚相手に錆び付いたウィラポンを長谷川が斬って捨てたという流れです。
晩年の劣化ウィラポンですら攻略できなかった西岡は、その後、決定戦を経て世界王者になります。同じ相手に4度失敗、さらに決定戦というご馳走の形で5度目のチャンスまで与えられる…これを「何事も諦めなければ成し遂げられる」という美談で済ませていいのでしょうか?
そして、長谷川は10度防衛の後に、世界中が認める階級最弱王者フェルナンド・モンティエルに屠られながらも、決定戦のカードでフェザー級、やはり文句なしの階級最弱王者ウーゴ・ルイスからジュニアフェザーのタイトルを獲って三階級制覇を果たしました。
もし、ウィラポンの防衛戦ロードに西岡と長谷川がいなければ、このタイ人の評価はさらに下落しました。しかし、「誰に勝ったか」でウィラポンが最強の長谷川、そもそも評価が高くないジョニー・ゴンザレスに逆転勝ち、1−3のオッズで負け犬扱いされていた西岡。この2人の前にも殿堂の扉が開かれることはないでしょう。
そのジョニゴンを3−1の有利予想で挑戦者に迎えながら惨敗した長谷川も、そこまでの選手です。
しかし、この2人はボクシング界の硬直した構造に安寧することなく、本物のチャンピオンを目指して行くのです。


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