偉大な先人の異名を継承したボクサーは、悲しいかな、名前負けしてしまうのが常です。

ウォーカー・スミスJr.、すなわちシュガー・レイ・ロビンソンの渾名〝シュガー〟については、PFPランキング常連で三階級制覇を果たしたシュガー・シェーン・モズリーでさえ悪い冗談に扱われてしまうほどで、シュガー・レイ・レナードでもようやくその大きな名前にどうにか耐えることが出来たという状況です。

そのロビンソンの好敵手、ジェイク・ラモッタの通称〝レイジングブル〟も多くのボクサーに使われていますが、許容範囲と認められるのはビック・ダルチニアンぐらいでしょう。

トーマス・ハーンズの代名詞〝ヒットマン〟もまた、数多くのボクサーに好まれて使われているものの、ヒットマンと聞いてリッキー・ハットンでさえ最初に思い浮かべる人は皆無です。

一方、超越的なレジェンドが存在しないゆえに、名前負けの危険性が低くなる〝コブラ〟(タフなボクサーの代名詞)のような安全?で人気の渾名もあります。

また、ロベルト・デュランの専売特許〝マノデピエドラ(石の拳)〟も、〝韓国の石の拳〟(文成吉)、〝アフリカの石の拳〟(リーロ・レジャバ)のように頭に母国を付けることでオブラートに包み、名前負け防止策になっています。

戸籍上まで「マーベラス」を加えて本名となったマーベラス・マービン・ハグラーの〝マーベラス〟も多くの後輩たちから愛される渾名ですが、セルヒオ・マルチネスの〝マラビージャ(驚異の男)〟のように微調整することで、独自性も出し、名前負けの危険性も小さくなる場合もあります。

「石の拳」はそのまま使うことは憚られてしまうのでしょうが、キッド・チョコレートもそれ以上に未加工のまま使用するのが恐れ多い渾名でした。

「ミシガンのジムでオーナーから『体つきや動きがキッド・チョコレートのようだ。これからはキッド・チョコレートと名乗れ』と薦められたけど、キューバにルーツがある私でもその伝説の名前を知らなかった」というクイリンは「どれほど偉大でも知らない人の名前を受け継ぐのは嫌だったからニックネームは〝キッド・ココア〟にしたんだ」と、最初はチョコレートではなくココアだったと打ち明けています。

しかし、クイリンはキッド・チョコレートのことを調べていくうちに、このキューバの英雄にどんどん惹きつけられていくのです。

そして、クイリンは納得してキッド・チョコレートを名乗り、今では観客にハーシーの小さなチョコレートをバラまくのが、現代リングで最も有名なパフォーマンスの一つにまでなっています。

クイリンは15歳でボクシングを始めましたが、アマ経験はわずか15戦、全く無名の存在でした。

プロ転向は2005年、18歳のときでした。
もっと早くプロのリングに上がりたかったクイリンでしたが、悪名高きドン・キングに法的効力のない契約書にサインさせられ、その拘束期限が切れるまで待っていたそうです。

そしてクイリンの才能は、南アフリカ人のプロモーター、セドリック・クッシャーのもとで爆発します。

20戦全勝15KOと綺麗に星を並べると、2010年にはその輝きに目をつけたゴールデン・ボーイ・プロモーションズに移籍。

クイリンの才能とGBPのコネクションは早速結実。

2011年に空位のUSBOスーパーミドル級を獲得すると、翌2012年には27勝17KO無敗の戦績を引っ下げバークレイズセンターで世界戦の大舞台に乗り込みます。
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「エンダムはスピードもパワーもキャリア最強の相手だった。私が最高のコンディションでなければ勝てる相手ではなかった」。クイリンの才能とエンダムのタフネス、世界屈指のミドル級が正面衝突した好試合でした。

相手はカメルーンのライオン、27勝20KOでやはり無敗のWBOミドル級王者アッサン・エンダム。

クイリンは、この無敗対決を制して世界王者の座に就きました。

この試合で、エンダムは6度もダウンを奪われながらその度に立ち上がって果敢に反撃、世界中のボクシングファンがそのタフさに驚きました。

エンダムと5年後に戦った村田諒太がトドメの一撃を逡巡してしまったのは、この試合で見せた不屈のライオンの残像が脳裏から離れなかったのかもしれません。

ミシガン州はグランドラピッドで生まれ、ニューヨークに流れ着いたクイリンは、ずっと夢見てきた栄光をついに掴み取ったのです。

ここに辿り着くまで、ニューヨーク時代には貧困のためにホームレスの収容所や、路上で寝ることもありました。

「空腹を抱えて路上で寝ていると、往来する人の視線がものすごく気になるんだよ。私のことを人間以下、いや動物以下に見ている、その目が怖いんだ。毎日、毎日、数え切れないくらいのそんな視線を浴び続けていると、心がズタズタに切り刻まれていくんだ」。

ボクシングのヒーローの多くは、クイリンと同じく極貧から栄光へ這い上がっていきました。

極貧時代に耐えた劣悪な環境や、投げつけられた酷い言葉や中傷は、世界中から尊敬されて、大金持ちになっても、きっと一生消えることはないのかもしれません。
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8月4日の復帰第二戦を前にシュガー・レイ・レナードのインタビューを受けるクイリン。

WBOミドル級の王座は順調に3度防衛しましたが、2度目の防衛戦に臨むキャンプ中に妻が流産してしまいます。

そして、訴訟問題にまで発展したアル・ヘイモンとGBPの確執のあおりを食って、GBPとの契約が打ち切られてしまいました。

順風満帆のプロキャリアを送っているように見えるクイリンが、誰にも見えない心の闇を抱えていたとしても不思議ではありません。

そして2015年12月5日、圧倒的有利予想で上がったバークレイズセンターのリングで、ダニエル・ジェイコブスにまさかの1ラウンドストップ負け。

そこから昨年9月まで1年9ヶ月ものブランクを作ってしまうのです。

昨年9月の復帰戦はライトヘビー級契約の8回戦。咬ませ犬専門のダショーン・ジョンソンを3−0の判定で破りますが、ブランクで錆び付いたパフォーマンスに見るべきものはありませんでした。

そして8月4日の復帰第二戦に向けて、プレミア・ボクシング・チャンピオンズの宣伝番組に登場。その意気込みをシュガー・レイ・レナードに語りました。

クイリン「ジェイコブス戦の前は重度のうつ病に苦しんでいました。何度も自殺を考えました。惨めに負けてからは、うつ病はさらに私を苦しめました。心の弱さから大きなブランクを作ってしまったのです。今は、立ち直りました。健康を取り戻しました。ブランクは不安ですが、ここから巻き返してスーパーミドル級で世界王者になりたいのです」。

レナード「ブランクを不安に思わないボクサーなどいない。しかし、その時間は君にとって最良の休息時間にもなったはずだ。あちこち痛めていた肉体が癒される。それに何より、テレビでゆっくりボクシングを見ると『みんなどうしてこんなに下手くそなんだ』って気づくいただろう?」。

クイリン「ありませんよ、そんなことない。逆に、強い奴がどんどん出てきて不安になりました」。

レナード「ピーターは謙虚だな、本音を言ってもいいんだぜ。引退状態でテレビでを見ると、技術的なことがいろいろ見えて来るだろう?いままで気づきもしなかったことが、わかるだろう?」

クイリン「それは、あります。こういう打ち方なら自分にも出来そうだとか、こういうふうに戦った方がいいのにとか、距離をつぶす方法はいくつもあるな、とか…いくらでもあります」。

レナード「そういうことだ。君は、ブランクによって間違いなく強くなっている」。

クイリン「あまり褒めないで。あなたに褒められると、それだけで満足してしまいそうだから」。

レナード「8月4日の復帰第二戦はピーターが5ラウンドまでに仕留める。間違いない」。
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クイリンの復帰第二戦はアンドレ・ベルトvsデボン・アレキサンダーとのダブルヘッダーとして、ニューヨークのナッソーコロシアムで行われました。

しかし、レナードの予想ははずれます。

ジェレオン・ラブとのスーパーミドル級10回戦は3−0の完勝ながら、内容的には物足りないものでした。アッサン・エンダムを6度も転がした全盛期のスピードもパワーも、何よりも迫力が影を潜めていました。

それでも、勝ちました。クイリンは生き残ったのです。21世紀のキッド・チョコレートには、もう一度チャンスが訪れるはずです。

複雑で極貧の家庭に育ち、ボクシングで成功してからも卑劣な裏切りに何度も遭う…ほとんど全てのトップボクサーは、こうした苦い体験に悩み、心に傷を抱えてリングに上がってきました。

ロベルト・デュランやマニー・パッキャオのように心の傷跡を全く見せないボクサーもいれば、クイリンやマイク・タイソンのように絶対に剥がしてはいけない、せっかく乾いたカサブタを無意識の内にはぎ取ろうとしてしまうボクサーもいます。

あなたの眼には、どちらの人間が魅力的に映るのでしょうか?