カテゴリ: 世界最強の男

長嶋茂雄の選手としての全盛期を知っている私よりも年配の方々の中には、東京六大学がプロ野球よりも人気があった時代を覚えている人もいます。

そんな方々とお話をしていると、六大学に人気があっただけでなく、当時はプロ野球を〝蔑視〟する空気もあったことがわかります。

江戸時代の昔から、世の中で必要がないと考えられた、あってもなくても良い職業は、大衆を喜ばせる一方で軽んじられてきました。

長嶋茂雄が立教大学で活躍、プロ入りした1950年代には、そんな空気がまだ残っていたのかもしれません。

多くのメディアは「ミスタープロ野球」と報じましたが、それは大間違いで、当時最も人気のあった六大学から、プロ野球に身を転じ、今度はプロ野球を国民的娯楽にまで担ぎ上げたのでした。

六大学の方が人気があった、プロ野球は蔑視される傾向もあったーーーそれは事実でしょうが、六大学からプロ野球に人気の波が移ったことの真実は捉えていません。

正解はたったの一つで、本当に簡単なことです。

「長嶋茂雄に絶大な人気があった」ということ、それだけの話です。



国破れた敗戦からまだ10年余り、娯楽に飢えた日本列島に、ラジオとテレビの普及、そんな時代ですから、「長嶋茂雄がいなければ、誰かが〝長嶋茂雄〟の代わりを演じることになっていた、そういう時代だった」という見方をする人もいるかもしれませんが、それは大間違いです。

「ミスタープロ野球」ではなく「ミスター野球」。

それが長嶋茂雄でした。




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オッズがまた縮まってます…。

キース・サーマン戦のように、まさかのフェイバリットで試合を迎えるなんてことはないよな?

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先日、健康診断で人間ドックにつかってきました。

ロッカーのキーはNo.39。

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お気に入りのエドウェン・ディアス(NYメッツ)の背番号だと思いましたが「39だったよな?」とちょっと確信が揺らぎました。

長嶋茂雄の背番号3。いちいち偉大です。



石原裕次郎の「男の友情  背番号 3」。

なんでこの歌を知ってるのかわかりませんが、ずーーーっと前から、知っていました。
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ワシル・ロマチェンコが引退を発表しました。

As an amateur, the Ukrainian amassed a 396-1 record and won two Olympic gold medals, at Beijing 2008 and London 2012, before becoming a pound-for-pound star in the paid ranks.

ワシル・ロマチェンコはプロでPFPのスターになる前に、ウクライナ代表としてアマチュアで北京とロンドンの五輪で2連覇、396勝1敗の驚異的な成績を残してきました。〜リング誌

2度の五輪で見せたパフォーマンスは驚愕のレベルでしたが、プロに入ってから見せた「ノマスチェンコ」には胸が躍りました。



Vasiliy Lomachenko's Insane Highlight Reel〜ワシル・ロマチェンコの変態すぎるパフォーマンス。


1発で相手を失神させ氷づけにするのがKO勝ちの最上級だと思いましたが、圧倒的な技術さを見せつけて相手を絶望の谷底に突き落とし、試合を放棄させる、それが最上級かもしれないと考え直させられました。

まだ出来るのに試合を放棄する、勝負を捨てるのは最も軽蔑される行為です。たった一度でも犯してしまうと、キャリアを通じて「Quitter(ヘタレ)」の烙印を捺されてしまいます。

日本でお馴染みのボクサーなら、ウーゴ・ルイスやオマール・ナルバエスなどはその典型。

唯一の例外は、ロベルト・デュランだけ。デュランは試合を投げても、プロレスラーとエキシビジョンを戦っても「デュランだもの」で誰からも許されます。その石の拳の「ノーマス」が「ノマスチェンコ」の語源です。

そして、ノマスチェンコの被害者たちも「さすがにあそこまで実力差を見せつけられたら諦めても仕方がない」と免罪符を交付されてきました。

ニコラス・ウォータースやミゲール・マリアガら、強烈なハートを持つ戦士たちが次々とノマスチェンコの軍門に降ってしまったのですから。

ノマスチェンコは、日本のボクシングファンの間でも「ロマチェンコ勝ち」として定着しました。

2017年に全米ボクシング記者協会とリング誌のFighter Of The Yearをダブル受賞。PFPにも1年以上にわたってNo.1に君臨。同時代のボクサーでロマに迫ることができるのはカネロ・アルバレスくらいでしょう。

プロ戦績はわずか21試合(18勝12KO3敗)。それでも、3年後の殿堂入りは間違いありません。


「引退したら故郷で釣りでもしながら悠々自適に過ごしたい」。

常々そう語っていた37歳のロマ。

そんな故郷は、戦火の中。

ロマが穏やかな黒海に釣り糸を垂れて、静かで幸せな時間を過ごす。早くそんなときが来ると良いのですが…。



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長嶋茂雄ほどプレーや、言動で日本を楽しませてくれた人間は存在しません。

「デビューは4打席連続三振」「天覧試合でのサヨナラホームラン」。王貞治との比較で「記憶に残る」と表現されることもありますが、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回。記録を残しまくった、ただの桁外れ、超トップアスリートです。

「豪快な空振りを演出するために大きめのヘルメットをかぶる」「敬遠のボールを大根切り打法で二塁打」「打席でバットを持たずに構えて敬遠に抗議」「ベース踏み忘れでホームラン取り消し」…。

「魚へんにブルー」「失敗は成功のマザー」「初めての還暦」…。

もはや野球ファンならずとも知っているようなエピソードに満ち溢れた生涯。

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さまざまなヘッドラインで封じられた「昭和の終焉」。「死」という言葉を避けるメディアが多い中で、飛び抜けて一番印象的だったのは、日刊スポーツ号外の「長嶋茂雄さん 死す」。ただ、個人的には〝さん〟は不要です。


長嶋茂雄の選手としての全盛期を知らない私が印象に残っているエピソードは、二つ。

一つは、選手時代に練習しているところ、努力している姿を見せるのをとにかく嫌ったという長嶋茂雄が、脳梗塞で倒れたあと、過酷なリハビリと格闘する姿をカメラに追わせたこと。

ファンを喜ばせる。人を勇気づける。その本質をこれほど知り尽くしていた偉人は不世出です。

そして、もう一つは現代のおとぎ話が大好きな私でも「嘘でしょ?」と思った、松井秀喜との素振り。ドラフトで引き当てた松井と9年間、何千日も繰り返した特訓です。

名選手、名監督ならず。名選手は、そうではない大多数の選手の気持ちがわからないから指導者には向かない。この一般常識は、特に天才型の典型であった長嶋茂雄に当てはまりました。

打撃指導は「音」で判断。不審に喘ぐ掛布雅之は、ある夜、長嶋茂雄から突然の電話をとると「受話器を置いてそこで素振りしてみろ」。

日本球界の至宝、松井をそんな長嶋茂雄にあずけて大丈夫か?

松井も当初は「わからなかった」そうですが、「2〜3年経って少しづつわかるようになった」といいます。

そして…「音」だけに集中するために部屋を真っ暗にして素振りを繰り返したこともあったそうです。


現代のおとぎ話、そのものです。




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明日は今日よりずっと素晴らしい。

高度経済成長というなりふり構わず前だけを見て突き進んでいた、そんな時代が豊かなわけがありません。

とにかく、前へ前へと走るだけで、周りを見る余裕がない、何か大切な忘れ物をしてる気もするけど、それを取りに引き返すことは絶対のタブー。

なんと乾き切って味気のない虚しい時代だったのでしょうか…。

公害が垂れ流され、学校では優生法が教えられる…弱い者、無駄に見えるものを徹底的に排除して、強い者だけが得をする社会。

普通なら、暗黒時代です。

画一的な宗教観に支配された中世ヨーロッパのように、暗黒の時代として語られたとしても不思議ではありません。


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極めて近い将来、長嶋茂雄を最もよく識る男が読売ジャイアンツの監督に就くはずです。

そして、それは、ひまわりのようなニュースとなって、日本列島を駆け巡るでしょう。

しかし、そこまで大きな反響を呼ぶのは、多くの人が、その男に〝長嶋茂雄から託された宿命を背負った使者〟の姿を見るからです。



私は長嶋茂雄を知りません。

しかし、私は長嶋茂雄をよく知る大人に囲まれて育ちました。


中学生の頃までは、長嶋茂雄を時代に恵まれたスーパースターだと勘違いしていました。

高校になって、何かが違うと感じ始めました。

現役時代にどれほど眩く輝いたスターでも、監督になると、そのオーラは薄まります。

しかし、監督になってからも世界は長嶋茂雄を中心に回っていました。

長嶋茂雄の選手としての全盛期を知らない私の違和感に、大きな仮説が噴き出てきました。

もしかしたら、この〝長嶋茂雄・監督〟は現役時代よりも、そのオーラが弱体化しているのではないか?

ーー!

だとしたら、現役時代に撒き散らしていたカリスマのオーラはどれほど強烈だったのでしょうか?

イチローが、あるいは大谷翔平が監督になっても、彼ほど極彩色のカラーは発散出来ないでしょう。



いくつもの暗い影が染み付いた高度経済成長時代が前向きに語られることが多い、その一つの理由は長嶋茂雄の明るさだったのかもしれません。

そう、長嶋茂雄は時代に恵まれました。

…戦後から1960年代まで、国民的英雄が渇望されていた時代でした。

そんな時代のテレビ視聴率で個人競技でありながら、東京五輪の人気競技と互角以上の視聴率を残したのが力道山とファイティング原田でした。

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彼らは、長嶋茂雄を上回る最大瞬間風速を記録していました。

しかし、彼らは〝四番サード・長嶋茂雄〟にも〝長嶋・監督〟にもなれませんでした。

力道山は、プロレスがスポーツの仮面を剥がされなければ、その出自が長崎県出身の日本人のままなら〝長嶋茂雄〟になれたのでしょうか?

ファイティング原田がPFPキングの〝黄金のバンタム〟エデル・ジョフレではなく、世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリを撃破していたら〝長嶋茂雄〟になれたのでしょうか?


高度経済成長時代に「明日は今日よりずっと素晴らしい」と、1億人が信じてきたわけではありません。

ただ、もしかしたら長嶋茂雄を見ていたら、1億人がそんな気分になれたのかもしれません。

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まず、最初にお断りしなければならないのは、私は長嶋茂雄を知りません。

正確にいえば、プレイヤーとしての長嶋茂雄を知りません。

「長嶋茂雄」という巨大なアイコンに対して、当時の私は全くの新参者で、新参者が必ず踏む轍をやはり踏んでしまいます。

「長嶋なんて選手としては今の時代には通用しない」。「監督としてはすでにメディアが非難しているように、名選手名監督にあらずの典型」。「長嶋がカリスマなのは天然の性格と、何よりも時代に恵まれたから」…。



国民的英雄。

国民的英雄が存在する大前提は「日本列島が価値観を共有できる時代」であること。

しかし、そんな時代が遥か彼方に過ぎ去り、多様な価値観が錯綜する現代に大谷翔平が現れました。

長嶋茂雄と大谷翔平はどちらが日本列島を熱狂させたのか?




さて…。

いま、「長嶋茂雄と大谷翔平の背番号は?」と聞かれて、どちらの正解率が高いでしょうか?

おそらく、結果は誰もが予想した通りになるはずです。

この質問に「絶対的な自信を持って答えること」という条件まで付けると、もはや勝負になりません。

2人の全盛期の間に、半世紀を優に超える歳月が横たわっていることを考えると、とんでもないことに思えてきます。



しかし…。

「背番号への執着があった時代との比較は公平じゃない。銭湯の下駄箱の三番が真っ先に取られるなんて貧しい時代の象徴。大谷のボブルヘッド人形を求めて米国人は長蛇の列を作る。貧しい時代に恵まれただけの長嶋なんて、メジャーに行ったとしても通用してなかった。大谷とは格が違う」。

もし私がいま、15歳なら、そんなことを言ってしまいそうです。


もし…。

長嶋茂雄がいなければ、誰かが〝長嶋茂雄〟になっていて、やはり高度経済成長時代の国民的英雄となって、それまで人気面で六大学と同等か以下だったプロ野球を国民的娯楽にまで押し上げていたのでしょうか?




長嶋茂雄を知らないくせに、知ったふうに語るのを、しばらくご容赦ください。



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有楽町駅前で「号外です!」の呼び声があちこちから聞こえてきました。

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リングマガジン6月号は「追悼 ジョージ・フォアマン特集」。

政治、経済、文化…多くの側面でアメリカが偉大だった時代は、遠く彼方に過ぎ去りました。

スポーツはある程度の威厳は残しているものの、ボクシングに関しては目も当てられない凋落ぶりが、もう半世紀以上も続いています。

娯楽の少なかった時代は〝男たちの時代〟。競馬とボクシングが2大スポーツでした。

1950年代、テレビの普及はスポーツ界にも劇的な変化をもたらしますが、その恩恵を浴びたのは小さなブラウン管画面で見るのに最も適したボクシング。

1950年代がボクシングの黄金時代でした。メジャースポーツと呼んでも、誰も異論がない時代。ロッキー・マルシアノが君臨した時代。マルシアノは、世界中が認める最後の強い白人世界王者でした。

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そして…観戦スポーツの多様化と、女性や子供のマーケットが開拓されるようになり、テレビの進化はアメフトや野球、球技にも恩恵を与え。〝男たちの時代〟つまりボクシングの黄金時代は終わります。

そんな社会の変化だけでなく1960年代になると、メガファイトは「NO TV(テレビでは放送しないからお金を払って劇場で見て)」とクローズドサーキットが一般的になり、カジュアルはスポーツファンがますますボクシングから離れてしまいます。

さらに、ヘビー級には大きな影響はないと楽観された認定団体と階級の増殖も、ボクシング全体への不信感を膨らませ、ヘビー級も無関係ではいられませんでした。

そんなマイナースポーツへの転落が始まった1960〜1970年代にもかかわらず、ボクシングの存在感が希薄化していることを実感できなかった理由は二つあります。

一つは衛星放送の開始で、米国でのメガファイトが世界中で同時に観戦できるようになりました。

とはいえ、世界中が注目する価値があるメガファイトがなければ何の意味もありません。最高の食材がなければ、どんなに素晴らしい調理器具もただのガラクタ。ジョージ・フォアマン・グリルも食材があってこそ、です。

そうです。二つ目は「モハメド・アリと愉快にも程がある仲間たち」の登場です。

テレビの普及で国民的関心事となったオリンピックで金メダルを獲得したアリ、フレイジャー、フォアマン。そして、抜群の身体能力を持つケン・ノートン。

アリにバトンを渡したソニー・リストンやフロイド・パターソン、世界王者よりも有名だった史上最強パンチャーのアーニー・シェーバース。

欧州の刺客、ヘンリー・クーパーやカール・ミルデンバーガー。物語を持つジョージ・シュバロやチャック・ウェプナー…。

ありえません。

マニー・パッキャオも問題外、アリほど好敵手に恵まれたボクサーは他にいません。

そして、世界のスポーツ界のみならず、米国の政治と文化にも大きな影響を与えたThe Greatest のクライマックス、最高傑作が1974年10月30日、ザイールの首都キンシャサで行われたジョージ・フォアマンとのRumble in the Jungle(邦題:キンシャサの奇跡)でした。

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日本でも、1990年頃までボクシングは海外のメジャースポーツを代表する一つでした。

現実には米国でも英国でもメジャースポーツとは言えませんでしたが、日本では野球もサッカーも世界の最高峰で大きな成功を収めるアスリートがまだ出現していなかった時代です。

海外のメガファイトは専門誌はもちろん、一般紙でも大きく報じられていたのです。

米国の惨状よりはマシとはいえ、日本でカネロ・アルバレスを知っているスポーツファンがどれだけいるでしょうか?

日本では、井上尚弥が〝最高峰〟米国でも有名なファイターだと大きな誤解を招く報道が溢れています。米国ではボクシングは完全マイナースポーツ。そのマイナースポーツでもさらに関心の低い軽量級のアジア人など誰も興味を持ちません。

井上の何十倍もの長きにわたって2年間もPFP1位に君臨したローマン・ゴンサレスや、軽量級とは桁違いの注目を集めるミドル級で大活躍、やはり井上の何十倍も長くPFP1位に君臨したゲンナジー・ゴロフキンですら米国でスターにはなれませんでした。

30年以上も販売不振と経営難に喘ぎ続けてきたリング誌のPFPなど、誰が見てるというのでしょうか?(俺くらい…)



アメリカはグレートではなくなりました。

そして、日本はグレートではないまま、摩訶不思議なボクシング黄金時代を謳歌しています…。






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日本時間のきょう早朝にMGMグランドで発表記者会見が開催されました。

7月19日に、この巨大カジノ&リゾーツのグランドガーデン・アリーナで生きる伝説が、マリオ・バリオスの持つWBCウエルター級タイトルに挑戦します。

セバスチャン・フンドラとティム・チューの再戦がアンダーカードに追いやられるのもどうかと思いますが、ボクシングはそもそもスポーツではなく興行、そしてこの10年でエンタメ色が決定的になっています。

フンドラvsチューを含めて因縁の再戦が3試合(残り2試合はイサック・クルスvsアンヘル・フィエロ/ブランドン・フィゲロアvsジョエット・ゴンザレス)が前座に連なります。


Does Manny Pacquaio have one more shocker left in store?
パッキャオにまだ世界を驚かせる力が残っているのか?

 If there’s one thing Manny Pacquiao has proven he can deliver in a boxing ring, it’s the element of surprise.
マニー・パッキャオとは何者だったのか?一言でいうと驚き、驚きそのものだ。



多くのメディアが「この試合に勝つと、パッキャオにはさらなるメガファイトが用意されている」と浮き足立っていますが、それ以前の問題として「勝ったらアカンでしょ、普通」。

もちろん、日本のファンとしては佐々木尽とのタイトルマッチが見たい気はします。さすがに、日本のリングに引っ張り込むのは難しいでしょうから、井上尚弥の〝なんちゃってTモバ〟とは違う〝PPV付きのガチのT−モバイル・アリーナ〟も十分ありえます。

まあ、それ以前の問題として「勝てんでしょ、普通」。

Aサイドが好き勝手する歪みまくったボクシング界に突然現れ、何度も大番狂せを起こしてエリートファイターのキャリアマップや、プロモーターとTV局が描いた台本を引き裂き続けた超人パックマン。

自らがスターダムの頂点を極めてAサイドの権利を手にすると、キャッチウェイトを行使、安易な対戦相手との看板だけのメガファイトを繰り返した人間マニー・パッキャオは、4年のブランクからいきなり世界挑戦という正気の沙汰とは思えない愚行に手を染めてしまいました。

マニー・パッキャオはいま、46歳。

ジョージ・フォアマンは45歳9ヶ月で、世界ヘビー級王者(WBA/IBF)に返り咲きました。バーナード・ホプキンスは49歳3ヶ月で、世界ライトヘビー級王者(WBA)を獲得しました。

パッキャオは年を取り過ぎたというのは、早計なきもしてきますが、フォアマンは十分すぎるほどの実践を重ねてマイケル・モーラーを轟沈させました。

何度も最高齢記録を更新したホプキンスはボクシングに全てを捧げる規律を実践、老いと劣化を漏らさない強固なダムを建設しました。

フォアマンとホプキンス、パッキャオは歴史の残るグレートで、40歳でも世界のトップ戦線で戦ったこと、エネルギッシュな若い時代から、狡猾な省エネボクシングにモデルチェンジしたことでも共通しています。

しかし、フォアマンとホプキンスはボクシングに対する尋常ではない情熱を発散させていました。パッキャオの気まぐれとは全く違います。

「勝ったらアカンでしょ、普通」というよりも「勝たせちゃアカンでしょ、普通」。

そして、「勝てんでしょ、普通」。

もちろん、パッキャオは普通ではありません。

ボクシングが全く盛り上がらない米国でも、マニー・パッキャオの電撃復帰は一般のスポーツニュースでも取り上げられる異例の扱い。

「勝てばさらなるメガファイト」という道の最終地点は「マニー・パッキャオvsフロイド・メイウェザー2」。まともなボクシングファンなら失笑するしかありませんが、米国ボクシングの病状はそれほど重篤です。




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