長嶋茂雄の選手としての全盛期を知っている私よりも年配の方々の中には、東京六大学がプロ野球よりも人気があった時代を覚えている人もいます。

そんな方々とお話をしていると、六大学に人気があっただけでなく、当時はプロ野球を〝蔑視〟する空気もあったことがわかります。

江戸時代の昔から、世の中で必要がないと考えられた、あってもなくても良い職業は、大衆を喜ばせる一方で軽んじられてきました。

長嶋茂雄が立教大学で活躍、プロ入りした1950年代には、そんな空気がまだ残っていたのかもしれません。

多くのメディアは「ミスタープロ野球」と報じましたが、それは大間違いで、当時最も人気のあった六大学から、プロ野球に身を転じ、今度はプロ野球を国民的娯楽にまで担ぎ上げたのでした。

六大学の方が人気があった、プロ野球は蔑視される傾向もあったーーーそれは事実でしょうが、六大学からプロ野球に人気の波が移ったことの真実は捉えていません。

正解はたったの一つで、本当に簡単なことです。

「長嶋茂雄に絶大な人気があった」ということ、それだけの話です。



国破れた敗戦からまだ10年余り、娯楽に飢えた日本列島に、ラジオとテレビの普及、そんな時代ですから、「長嶋茂雄がいなければ、誰かが〝長嶋茂雄〟の代わりを演じることになっていた、そういう時代だった」という見方をする人もいるかもしれませんが、それは大間違いです。

「ミスタープロ野球」ではなく「ミスター野球」。

それが長嶋茂雄でした。