カテゴリ: 世界最強の男

多くのメディアでPFP1位に推されているオレクサンデル・ウシク。

クルーザー級のUndisputed championからヘビー級に進出、最強階級でもUndisputed championの座に就きました。

4Belt -Eraにおいて、2階級制覇なんて犬の糞。どこにでも転がっています。最近は犬の糞の方が珍しいかもしれません。

ただ、そんな時代にあってもクルーザー級とヘビー級の2階級制覇は別格。この2階級でUndisputed championになったのもイベンダー・ホリフィールドとウシクの2人だけ。

とはいえ、ヘビー級での7試合は全勝ながらKOは二つだけ。タイトルマッチの5試合ではKOは一つ、2試合がスプリットデジション。

どの階級も平等に見るPFPで重視される「当該階級での圧倒度」という点で、ウシクのPFP1位はあり得ません。

飛び抜けて価値のある2階級でのUndisputed championも、これを持ち出すのは「どの階級も平等に見る」というPFPの原理原則を反故にしてしまう蛮行です。

その一方で、5戦1KO2SDという凡庸な戦績は、200ポンドリミットのクルーザー級から、現実の計量で最大50ポンドを超える体重差を跳ね返して築き上げられた、PFPの概念「体重同一時」に照らし合わせると文句無しのPFPキングです。


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「当該階級での圧倒度」は最低レベルにも関わらず、「体重同一時」という仮定では他の減量階級の王者では逆立しても真似のできないスペクタクルを見せているーーー大きな矛盾を抱えながらのPFPキング、それがウシクです。

いまでは圧倒多数の推しを受けてのPFP1位。テレンス・クロフォード、井上尚弥と評価を三分していた時期は過ぎてしまいました。クロフォードと井上は、対戦相手の質の低さが相変わらず減点材料として指摘されています。

層の厚い人気階級のクロフォードが雑魚狩りに偏っているのは本人に責任がありますが、層が薄くビッグネームが存在しない軽量級の井上には責任はありません。

もし、それを言い出すと「すべての階級を平等に見る」というPFPルールに違反します。

さて、専門家17人による記名投票で最も透明性のあるESPNのPFPでは15人がウシクを1位に投票。クロフォードと井上の1位票はそれぞれ1名にとどまっています。

ウシクの次戦はまだ未定ですが、無敗で評価急騰中のWBC暫定王者アジ・カバイェルに勝つと、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ以来の満票PFPも十二分にありえます。

そうなっても、ウシクが「当該階級での圧倒度」で大きく見劣りするという見方は払拭できません。

しかし、それでも「最大50ポンド以上のハンデを跳ね返したのだから、体重同一時なら圧倒していた」という、PFPならではの妄想も成り立ちそうです。

個人的には、ウシクのようなファイターをPFP1位にするのはいかがなものかと感じていました。PFPはあくまで妄想であり、本当に一番強いやつが厚かましくここに割り込むべきではありません。

しかし、よくよく考えるとクルーザー〜ヘビー級のUndisputred 2階級制覇は、安易な4階級制覇や、5階級制覇よりもはるかにレアな存在で、ウシクの後にまたウシク2世が出現してPFP1位はクルーザー級からヘビー級を制圧したファイターの指定席になってしまう、なんて心配はなさそうです。

個人的には〝ウシク型〟のPFP1位は認めて良いと思います。


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定食屋のテレビでフィリーズvsドジャースを見ながら、のどかな日曜日を楽しんでいます。

佐々木朗希が5回0/3で降板。チームは2−1でリードしていたので、このイニングを凌げば初勝利の権利が発生していたのですが…。

フォーシームは100マイルに届かない、スプリットが落ちるのが早い、何よりも制球力が悪すぎる。

う〜ん…。



そして、有名なロッキー・ステップ(ロッキーが駆け上がるフィラデルフィア美術館の大階段)やロッキーの銅像も画面に映し出されましたが、NHKのアナウンサーも解説の小早川毅彦もスルー。

う〜ん…。

「井上尚弥が倒したスティーブン・フルトンがこの街のヒーローです」なんてことになれば、ボクシングも黄金時代なんでしょうが、フルトンなんて地元民でも誰も知りません。ジャロン・エニスでもボクシングファンでようやく知ってるというレベルでしょう。

ジョー・フレイジャーが拠点にし、バーナード・ホプキンスもフィラデルフィアの市民栄誉賞みたいなのをもらっていましたが、悲しいかな今やボクシングは完全マイナー競技。

MLBのフィリーズ、NFLのイーグルス、NBAの76ers、NHLのフライヤーズ。メジャー4大スポーツのチームを抱える街とはいえ、映画ファンなら誰でも知っている「ロッキー」はメジャーなはずですが…。




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BEST I FACED  SUGAR RAY LEONARD

BEST DEFENSE:Floyd Mayweather Sr.
         That defensive style rubbed off on his son


最も優れた防御技術を持っていたのは、フロイド・メイウェザーSr.だ。そしてそれは彼の息子が完成させた。〜シュガー・レイ・レナード


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メイウェザーにとって後ろ手に手錠をかけられるのは、遺伝子レベルでも慣れたもの。サマになってます!


フロイド・メイウェザーは絶望には慣れている。

世の中なんて、人生なんて、ロクなことがないと、物心ついたころにはわかっていた。それは一種の悟りと言い切っても良いだろう。

ブッダは厳しい修行の果てに悟りを開いたが、フロイドの場合は頼んでもいないのに悟りの方からこっちにやって来たのだった。

この世界で信じることができるのは、自分だけだ。



銃撃された父親がまだ1歳の赤ん坊の自分を盾にしたことは、細胞レベルで記憶している。

少し大きくなってから父親が自分を抱き上げようとしたとき、無意識に大きな悲鳴をあげて拒んだ。

ドラッグで24時間ラリっている父親だったが、「まさかあのとき盾にしたのを覚えているのか?」と、ひどくバツの悪そうな苦笑いを浮かべていたことは、胸の中の一番奥の部屋に鍵をかけてしまっている。

母親は重度の麻薬中毒だったが、それでもまだマシだと思えた。やはり麻薬中毒だった叔母は不潔な注射針からエイズに感染して苦しみにのたうち回って死んでいた。



フロイドの生まれたミシガン州グランラピッツは、とにかく憂鬱な街だった。

気持ちよく晴れた日でも、通りのいたるところに注射器や注射針が落ちているのを目にすると気が滅入った。ハッパの匂いが充満して、夜も朝も昼もどこかで乾いた銃声が響いていた。

父親は麻薬の売人で、相手が望めば家族にでも商品を融通した。下劣で最低の男に見えたが〝副業〟ではその才能は誰からも認められていた。

フロイド・メイウェザーSr.はプロボクシングの元世界ランカーだったのだ。

叔父の2人、ロジャーはWBAジュニアライト級とWBCジュニアウエルター級の2階級制覇王者、ジェフはIBFジュニアライト級王者というボクシングの名門一家だった。

それでも、メイウェザーの一族が呪われているとしか思えなかった。

シニアはレナードに、ロジャーはフリオ・セサール・チャベスに、ジェフはオスカー・デラホーヤにKOされた。

よく考えると、とんでもない偉業なはずだ。シニアもロジャーもジェフも、敗れたとはいえ、ボクシングシーンの頂点に挑んだのだから。

当然、メディアやカジュアルなボクシングファンの記憶にも彼らは焼きついている。

しかし、メディアやファンの記憶は賞賛や尊敬とは程遠い「メイウェザーは噛ませの脇役」「勝負弱い」「打たれ弱い」という烙印だった。



フロイド・メイウェザーJr.がアトランタ五輪でメダルを獲得、プロ転向のときに「レナードの後継者になる」と宣言したとき、周囲が冷ややかな反応を示したのはメダルの色が銅だったからでも、プロでは注目度の低いジュニアライト級でデビューするからだけではなかった。

「レナードの後継者?何を言ってるんだ。お前はレナードとは真逆の勝負弱くて打たれ弱いメイウェザーの一族のくせに」。

プロデビュー戦のファイトマネーはわずか2500ドル、当時のレートで25万円。トップランクと契約した五輪メダリストとしては、桁が違うんじゃないか?というほど信じられないほどの薄給だった。

無敗の快進撃を続けても、一度も効かされることがなくても「勝負弱い」「打たれ弱い」という不当な決めつけは拭い去ることが出来なかった。

傑出のパフォーマンスで強敵を斬り落としても、上がるのは専門家やマニアの評価であるPFPランキングだけ。ファイトマネーは思うように上がらなかった。

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「打たれ弱さは遺伝する」「打たれ強さは持って生まれたもの。練習ではどうにもならない」。

それが全くの偏見であることを、フロイドは過酷な練習で覆してみせたというのに。



人気階級のど真ん中、ウエルター級に打って出るには173㎝の体は小さすぎたが、そこで実力を見せつけるしか、一族が背負った十字架を降ろす方法はなかった。

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今からちょうど10年前の、リング誌2015年4月号。

Fighter Of The Yearはセルゲイ・コバレフに譲ったものの、フロイドJr.はBest Fighter Poll(年間PFP)で満票の1位。

ヘッドラインは「WHO ELSE?(PFPキングはメイウェザー以外に考えられない)」。



好かれる人気よりも、嫌悪される〝人気〟のほうが強烈。薬よりも毒の方が人々を遥かに刺激する。

マネー(銭ゲバ)となって人気階級に乗り込んだメイウェザーは、退屈なタッチボクシングを繰り広げてブーイングを浴びながらも、ファイトマネーを爆発的に膨張させた。

品性下劣な言動を繰り返すことで、誰からも激しく嫌悪される人物をスターと呼べるとしたら、全く新しいスター像を作り上げたメイウェザーは、間違いなく「セルフプロデュースの天才」だった。

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オッズと専門家予想は大きくメイウェザーに傾いていたというに、ファンの勝敗予想はなんと圧倒的に外国人のパッキャオ。

自国開催の五輪でメダル獲得、プロでも無敗の快進撃中の米国人のメイウェザーが「勧善懲悪の激突」(CNN)という構図で完全ヒールに回ったのだ。

こんな倒錯は、歴史上前代未聞の出来事で、もう2度と見ることはできないだろう。

プロレスならまだしも、真剣勝負のボクシングの世界で自らヒールの仮面を被って見せたフロイド・メイウェザー。

ヒーローになりたかったのに周囲に踊らされてヒールに貶められ、泣いて謝罪会見を開いたり、懺悔の言葉を絞り出した亀田一家とは全く対極の彼方に屹立する〝銭ゲバ〟メイウェザー。

彼は、亀田が翻弄された軽薄で暗愚なメディアやファンを、自分の思い通りに見事なまでに手玉にとって見せたのだ。


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ESPN のAndreas Haleの記事から。

George Foreman was more than a boxing champion
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1991年9月11日、まだ10代前半だった私は、父親と一緒にテレビで「イベンダー・ホリフィールドvsジョージ・フォアマン」を見ていた。

初めて見るジョージ・フォアマンは、父親から聞かされていた人物とは、あまりにもかけ離れた体型と容貌をしていた。

父親が語るフォアマンと、テレビに映っているフォアマンが全く一致しない、同じ人物とは思えなくてひどく混乱したことを覚えている。

父親は「歴史上最強のパンチャーでジャブまで速くて強烈だ」」と説明してくれた。

リングアナウンサーのマイケル・バッファーも「史上最も破壊力があるパンチャー」と紹介したが、私にとっては幼い頃から見ていたマイク・タイソンこそが最強であり、アリやフォアマンなんて過去の遺物、老人たちが昔を懐かしんでいるだけじゃないかと思っていた。

だから、私はバッファーが「ジョージ・フォアマン!」とコールした、赤いバスローブで257ポンドの肥満体を隠してコールを受けるハゲ頭の中年を見て「この人がフォアマンなの?」と父親に聞いた。

私はプロレスのハルク・ホーガンも好きだった。私の目に映ったフォアマンは、タイソンやホーガンがいつも簡単にぶっ飛ばしていた〝jobber(やられ役)〟以下の雑魚に見えた。

テレビでは解説者も「フォアマンが全盛期ならホリフィールドは何も出来ない」と決めつけていたが、90年代のボクサーにとって、70年代の強打者なんて話にならないと、私もまた決めつけていた。

アリやジョー・フレイジャーの名前も知っていたが、私にとっては昔話で、そんなグループに所属する年老いたフォアマンが現代ヘビー級最強のホリフィールドに挑戦するなんて無謀にもほどがあると思っていた。

全盛期のタイソンが一番強い。なぜなら、あんなに簡単に対戦相手を沈めるボクサーなんて見たことがなかったからだ。

あのタイソンがフォアマンの対戦要求から逃げ続けていることも、全く納得できなかった。老人をいじめるのが可哀想だから、逃げてるふりをしているだけだと、そんなふうにも思っていた。



フォアマンやアリ、フレイジャーもその目で見て、タイソンも知っている父親やバッファーや解説者たちがどうして「全盛期ならフォアマンが最強」なんて言うのかさっぱりわからなかった。

人間は最初に見たものを最強と思い込んでしまうのかもしれない…そう思ってハッとした。私の「最初」はタイソンだったのだ。そして、私はアリもフレイジャーもフォアマンも知らない。

しかし、父親たちはその両方をよく知っている…。


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ジョージ・フォアマンの20年越しの贖罪。

それは、モハメド・アリへの〝リベンジ〟だけではない。

1968年のメキシコ五輪、金メダルを獲得したリング上で星条旗を振りながら四方に頭を下げる巨人の姿と、やはりこの五輪で公民権運動という〝絶対正義〟のヒーローとなったなかりのトミー・スミスとジョン・カーロスとのコントラストは、フォアマンへの幻滅と軽蔑を強烈に引き起こしていました。

体制に従順な黒人、アンクル・トム。

叛逆は過激であればあるほど賞賛され、体制側への従順は本当はそうではなくてもそう見えただけで「疑わしきは罰す」とばかりに徹底的に叩かれる。

フォアマンはのちに「もし、あのときに戻っても同じことをした」と言い続けたが、それは頑固な強がりだ。

そして、あのメキシコのリング上での行為は良くいえば心優しい男の振る舞いであったが、悪くいえば世の中の空気に鈍感な男の場違いな行いであった。


⬆︎アルジャジーラ・イングリッシュから。アリの存在はイスラム圏ではさらに特別です。


そして、1974年のザイールでも彼は同じような迂闊で無神経な行動で、現地市民たちの反感をさらに煽ってしまった。

フォアマンは愛犬のダゴ(ジャーマン・シェパード)を連れてキンシャサの街を歩いたが、その犬種はベルギー植民地時代に苦しめられた抑圧と搾取のシンボルだった。ザイール国民がフォアマンへの反感をさらに増幅させ、たのはいうまでもなかった。

それでも、試合は残酷なショーにしかならないと地球上の誰もが確信していた。ただ1人、モハメド・アリを除いて。

第8ラウンドのあの瞬間まで、アリは滅多打ちにされていた。

それでもフルマークをつけたジャッジは1人だけ。残りの2人は1ポイントと2ポイントをアリに与えていた。

しかし、後世のメディアやファンが付けた後付け採点のほとんど全てはフォアマンのフルマーク。

まるで、そうであったに違いないとでもいうように。いや、そうであらなければならないと信仰していたかのように。



ロープ・ア・ドープ。相手に打たせるだけ打たせて疲弊させ、そして一瞬の隙を突いて乾坤一擲の拳をお見舞いする。

「そんな戦略があるはずない。考えられない。でもそれを信じてやってのけるのが、モハメド・アリだった」(マイク・タイソン)。

そして、奇跡のフィナーレ。

アリのショート連打は特に最後の右があまりにも短く、そしてフォアマンが優れた俳優のようにゆっくりとカンバスに落ちる光景があまりにも劇的だったがために、八百長だと疑う者もいたほどだった。


10年間のブランクを経て、1987年にフォアマンがカムバックした理由は「経営難に陥った教会を再建するため」だったが、自ら背負った十字架を下すためでもあった。

カムバックの成功を知らしめる最も効果的な方法は、最もカネになるマイク・タイソンを倒すことだった。しかし、メディアとファンが希求したにも関わらず、タイソンは絶対にフォアマンと戦おうとはしなかった。

自分よりもはるかに重く、速くて強いジャブを持つフォアマンは、タイソンを蹂躙した挙句に破壊したバスター・ダグラスをグレードアップして、左右の強打まで装備した、タイソンでは到底勝つことが難しい相手だとわかっていたからだ。

逃げ回るタイソンを諦めたフォアマンはタイトル一本に狙いを定める。




No surprise, then, that Moorer won eight of the first nine rounds, working behind that tough corkscrew jab.

若いチャンピオンが老いた伝説を無情に打ち砕く。それがリングの中の法則だったが、キンシャサからちょうど20年後、ジョージ・フォアマンはあまりにも過激なやりかたで、それに反抗した。

サウスポーのモーラーが繰り出すパンチが見えないのは当たり前だ。モーラーは史上初のサウスポーの世界チャンピオンだったのだから。

しかも、この無敗のサウスポーはコークスクリュー・ジャブという厄介な武器を持っていた。

強烈なコークスクリューを打たれ続けたフォアマンの顔面、頭部はコブだらけになった。

そして、奇跡のフィナーレが第10ラウンドに訪れる。

大型扇風機のような、あの大ぶりのパンチを振り回し続けたフォアマンが最後に放った一撃は、わずか数インチ(1インチは2.54㎝)の距離を閃光しただけのあまりにも短い右ストレートだった。


フォアマンは相手に打たせるだけ打たせて疲弊させ、そして一瞬の隙を突いて乾坤一擲の拳をお見舞いしたのだ。

最後の右はあまりにも短く、モーラーが背中からカンバスに叩きつけられてしまう光景があまりにも劇的だったがために、八百長を疑う者までいた。

ジョージ・フォアマンの20年越しの贖罪。

それは、モハメド・アリへの〝リベンジ〟だけではなかったが、それによってもう一つの〝罪〟も綺麗に贖われたのである。

ジョー小泉は「アリと再戦していたらフォアマンが勝っていた。タイソンはフォアマンを恐れて、対戦を拒んだ。フォアマンこそが史上最強のヘビー級王者だった」と追悼しましたが、タイソンには楽勝だったでしょうが、アリとの再戦はもっと酷い結果になったと思います。

それでも、フォアマンが歴史上最も恐れられたファイターであることは間違いありません。


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飛び抜けたパンチャーの顎は脆いガラスで出来ている。

一体、誰がそんなことを言ったんだ?

そいつがジョージ・フォアマンを見たことがあるならそんな台詞は思い浮かぶわけがないし、ジョージ・フォアマンを見たことがない、知らなかったと考えるには、ビッグジョージはあまりにも有名すぎる。



ヘビー級王者は一度タイトルを手放すと2度と取り戻すことは出来ない。

そんな思い込みの常識を打ち砕いて3度も王者に就いたのは、あの憎きモハメド・アリだった。アリは1971年にジョー・フレイジャーとの世紀の対決でタイトルを失い、3年後の1974年に取り戻した。78年にレオン・スピンクスに奪われると、その年のうちに11歳年下のレオンにリベンジした。

ビッグ・ジョージの返り咲きはアリよりも一つ少ない2度だ。1974年にキンシャサでタイトルを失い、ちょうど20年後の1994年にラスベガスのMGMグランドガーデン・アリーナで奪還した。こんな文字通りの離れ業は、アリにだって出来やしない。





ーーー1968年メキシコ五輪で金メダルを獲得した偉業抜きにして、ビッグ・ジョージの人生を語ることは出来ない。

国を代表して4年に一度の世界チャンピオンになることが、腐り切ったプロボクシングのアルファベットタイトルを集めるよりも遥かに価値があるというありきたりの理由だけではない。

金メダル・ファイトに勝利したフォアマンが星条旗を持ってリングの隅々でお辞儀をしていた光景を多くの人が記憶しているはずだ。

日本人の目には「謙虚な黒人ボクサー」と映ったかもしれないが、1968年がどういう時代だったのか、そしてあのメキシコ五輪でフォアマンが金メダルを獲る10日前に何が起きていたのかを知れば、星条旗を振って四方にアピールする黒人が大きな十字架を背負ってしまったことを理解できるだろう。

10日前、トミー・スミスとジョン・カーロスが金・銅を獲った男子200メートルの表彰式。2人は表彰台で拳を高く挙げるブラック・パワー・サリュートの姿勢で人種差別に抗議した。

五輪憲章に違反する政治的パフォーマンスに、2人は代表チームから除名され、選手村からも追放されてしまう。

権力側から見れば〝重大犯罪〟でも、当時燃え盛っていた公民権運動の中ではあの2人は英雄。フォアマンは黒人社会からも白人に追従する裏切り者とみなされた。




6年後のザイール・キンシャサでアリが熱狂的に支持されたのは、両者に刻印されたステレオタイプのイメージから当然の結果だった。

金メダルをかけて、誇らしい気持ちで胸をいっぱいにしながら地元テキサス州ヒューストンのライオンズアベニューを闊歩していると、知人男性が駆け寄って来るなり「ブラザー(スミスとカーロス)が俺たちのために権力に抗議したというのに、お前はどうしてあんなマネをしたんだ!」と侮蔑の目を向けながら吐き捨てた。

それでもフォアマンは後悔していない。

オリンピック村に入ったとき、私と同じ肌の選手が何人もいた。話しかけても英語が通じない。自分たちを識別するのは国旗だけだとわかった。だから国旗を用意していたんだ。

常識で考えてくれたらわかるはずだ。私が人種差別を肯定しているわけがない。

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もしフォアマンがいなければ〝モハメド・アリ〟も存在していなかった。

もしフォアマンが恐るべき強打者でなければ、キンシャサでの出来事は50年後も語り継がれる奇跡だと熱狂されることはなかった。

そして、20年もの時空を超えてフォアマンが世界チャンピオンになっていなければ…それでも1970年代のヘビー級は史上最強と謳われていただろうが、それに異を唱える者もいたはずだ。



引退後のフォアマンは圧倒的なネームバリューを生かして、起業家としても大成功を収めた。1994年に発売された「George Foreman Lean Mean Fat-Reducing Grilling Machine」は、世界中で1億台以上も売り上げたのだ。

きっとあなたの家の台所にもあるはずだ。


さようなら、ビッグジョージ。


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ジョージ・フォアマンが天国に旅立ちました。76歳。

1949年1月10日生まれ。アメリカンフットボールからボクシングへ転向、メキシコ五輪1968で金メダルを獲得。翌年プロデビューすると、1973年世界ヘビー級統一王者ジョー・フレージャーを大番狂せのKOでタイトル奪取、世界中を驚かせました。



「象をも倒す」と形容されたパンチで、いまなお史上最強のヘビー級の1人に数えられています。あのときのフォアマンに勝てるファイターがいるとしたら、過去も現在も未来も、モハメド・アリただ1人だけでしょう。

1974年に「ジャングルの決闘」「キンシャサの奇跡」「ロープ・ア・ドープ」…やはり誰もが知っているフレーズで語られる正真正銘のメガファイトに敗れてタイトルを失うと、1977年にジミー・ヤングにいいところなく判定負けして、引退。

10年のブランクを経てカムバックしたときは、笑いものでした。

リング誌は「ヘビー級のレベルが地に堕ちている今の時代なら、10年のブランク明けで38歳になったフォアマンでも通用する可能性がある」とレポートしていましたが、誰も本気にしませんでした。

しかし、現実は「通用する」などというレベルではありませんでした。

「マイク・タイソンを倒すことは出来た。レノックス・ルイスを下がらせることも出来た。しかし、フォアマンはびくともしなかった。全盛期はどれほど強かったことか。そしてアリは何だったのか」(イベンダー・ホリフィールド)。

タイトルを失ってから20年後の1994年、WBC /IBF王者マイケル・モーラーを10ラウンドKOで沈めたとき、45歳9ヶ月。

史上最強のPuncher であり、敬虔なPreacherは、スポーツで絶対視されている「後世の方が優れている」という進化論を根底から打ち砕きました。


さて、ビッグマックでも食いながら、フォアマンが見せたスペクタクルな名勝負を見直しましょうか…。


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もうなってるか。

飲料メーカーが激しい争奪戦を繰り広げて、勝者は「お〜い お茶」。伊藤園の〝落札価格〟は明らかにされていませんが、サントリーやキリンアサヒ、コカ・コーラを抑えたのですから数億円ではないでしょう。

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4KINGSを見てアメリカのボクシングに惹きこまれ、シュガー・レナードの傲慢に「結局、ボクシングなんてAサイドが好き勝手できる茶番じゃないか」と幻滅しました。

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そんなときに現れたのが、マニー・パッキャオでした。

いや、正確には「そんなとき」ではありません。

私はもっと以前、1998年5月18日の後楽園ホールで彼を見ていたのです。

パッキャオではなくパキーロと紹介された彼は寺尾新を初回で粉砕しました。

深夜のテレビの録画で白井義男が「面白い選手ですね、また見てみたい」と褒めていました。

しかし、フィリピン人ボクサーは力任せのパンチャーと、噛ませ犬の2種類しかいないと思っていた私は「この名前にQの付く突貫ファイターは前者でいずれ後者になるだろう」としか考えませんでした。

そのパキーロが同じ年の12月4日にWBCフライ級王者チャチャイ・ダッチボーイジムに挑戦することを知ったときも「ボクサーとしての完成度が高いタイ人王者には無茶ぶりのパンチは当たらない。完全敵地で灼熱の屋外リングで消耗して惨敗する」と、そんな予想をしていました。

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鮮烈なラスベガス・デビューを飾り、あのマルコ・アントニオ・バレラまでストップしたときでも「アジアの軽量級ボクサーに想定できる最長不倒の地点に辿り着いた」と興奮しました。

それでも、バレラやエリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスという軽量級では考えられない人気と実力を持つメキシカンと総当たりする幸運と、その包囲網を突破する実力に感動はしましたが、非メキシカンの軽量級が登れる山でこれ以上の高みはないと、そんな感覚でした。

軽量級が中心の日本で、こんな強烈な幸運と実力に恵まれるファイターがいつか生まれるだろうか?

いや、富裕な日本で才能を認められた才能が噛ませ犬や完全Bサイドのリングに上がることは絶対にないな、そんなことも思いながら。

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 かつて原宿にあった「パッキャオジム」。


マニーの話をして、マネーの話をしないのは2015年を語るのにあまりにも不公平、いや不十分なので、マネーもしましょうか。


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記念すべき第50回です。

紙媒体が大好きな時代遅れのおっさんが、ボクシング専門誌などを中心にノスタルジックに耽るジメジメした企画です。

今回は10年前のボクシングシーンに回顧、郷愁、憐憫、憎悪、嫉妬…後ろ向きな気持ちを叩きつけてみます。

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ボクシングファンが熱望していただけではありません。

CNNスポーツがテレビ画面にカウントダウンタイマーを設置して3ヶ月以上も連日報道。

「ボクシングが復活するかもしれない」。そんな希望の灯が確かにともった、今なお史上最高のメガファイトがついに実現したのが、2015年でした。




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