ジョージ・フォアマンの20年越しの贖罪。

それは、モハメド・アリへの〝リベンジ〟だけではない。

1968年のメキシコ五輪、金メダルを獲得したリング上で星条旗を振りながら四方に頭を下げる巨人の姿と、やはりこの五輪で公民権運動という〝絶対正義〟のヒーローとなったなかりのトミー・スミスとジョン・カーロスとのコントラストは、フォアマンへの幻滅と軽蔑を強烈に引き起こしていました。

体制に従順な黒人、アンクル・トム。

叛逆は過激であればあるほど賞賛され、体制側への従順は本当はそうではなくてもそう見えただけで「疑わしきは罰す」とばかりに徹底的に叩かれる。

フォアマンはのちに「もし、あのときに戻っても同じことをした」と言い続けたが、それは頑固な強がりだ。

そして、あのメキシコのリング上での行為は良くいえば心優しい男の振る舞いであったが、悪くいえば世の中の空気に鈍感な男の場違いな行いであった。


⬆︎アルジャジーラ・イングリッシュから。アリの存在はイスラム圏ではさらに特別です。


そして、1974年のザイールでも彼は同じような迂闊で無神経な行動で、現地市民たちの反感をさらに煽ってしまった。

フォアマンは愛犬のダゴ(ジャーマン・シェパード)を連れてキンシャサの街を歩いたが、その犬種はベルギー植民地時代に苦しめられた抑圧と搾取のシンボルだった。ザイール国民がフォアマンへの反感をさらに増幅させ、たのはいうまでもなかった。

それでも、試合は残酷なショーにしかならないと地球上の誰もが確信していた。ただ1人、モハメド・アリを除いて。

第8ラウンドのあの瞬間まで、アリは滅多打ちにされていた。

それでもフルマークをつけたジャッジは1人だけ。残りの2人は1ポイントと2ポイントをアリに与えていた。

しかし、後世のメディアやファンが付けた後付け採点のほとんど全てはフォアマンのフルマーク。

まるで、そうであったに違いないとでもいうように。いや、そうであらなければならないと信仰していたかのように。



ロープ・ア・ドープ。相手に打たせるだけ打たせて疲弊させ、そして一瞬の隙を突いて乾坤一擲の拳をお見舞いする。

「そんな戦略があるはずない。考えられない。でもそれを信じてやってのけるのが、モハメド・アリだった」(マイク・タイソン)。

そして、奇跡のフィナーレ。

アリのショート連打は特に最後の右があまりにも短く、そしてフォアマンが優れた俳優のようにゆっくりとカンバスに落ちる光景があまりにも劇的だったがために、八百長だと疑う者もいたほどだった。


10年間のブランクを経て、1987年にフォアマンがカムバックした理由は「経営難に陥った教会を再建するため」だったが、自ら背負った十字架を下すためでもあった。

カムバックの成功を知らしめる最も効果的な方法は、最もカネになるマイク・タイソンを倒すことだった。しかし、メディアとファンが希求したにも関わらず、タイソンは絶対にフォアマンと戦おうとはしなかった。

自分よりもはるかに重く、速くて強いジャブを持つフォアマンは、タイソンを蹂躙した挙句に破壊したバスター・ダグラスをグレードアップして、左右の強打まで装備した、タイソンでは到底勝つことが難しい相手だとわかっていたからだ。

逃げ回るタイソンを諦めたフォアマンはタイトル一本に狙いを定める。




No surprise, then, that Moorer won eight of the first nine rounds, working behind that tough corkscrew jab.

若いチャンピオンが老いた伝説を無情に打ち砕く。それがリングの中の法則だったが、キンシャサからちょうど20年後、ジョージ・フォアマンはあまりにも過激なやりかたで、それに反抗した。

サウスポーのモーラーが繰り出すパンチが見えないのは当たり前だ。モーラーは史上初のサウスポーの世界チャンピオンだったのだから。

しかも、この無敗のサウスポーはコークスクリュー・ジャブという厄介な武器を持っていた。

強烈なコークスクリューを打たれ続けたフォアマンの顔面、頭部はコブだらけになった。

そして、奇跡のフィナーレが第10ラウンドに訪れる。

大型扇風機のような、あの大ぶりのパンチを振り回し続けたフォアマンが最後に放った一撃は、わずか数インチ(1インチは2.54㎝)の距離を閃光しただけのあまりにも短い右ストレートだった。


フォアマンは相手に打たせるだけ打たせて疲弊させ、そして一瞬の隙を突いて乾坤一擲の拳をお見舞いしたのだ。

最後の右はあまりにも短く、モーラーが背中からカンバスに叩きつけられてしまう光景があまりにも劇的だったがために、八百長を疑う者までいた。

ジョージ・フォアマンの20年越しの贖罪。

それは、モハメド・アリへの〝リベンジ〟だけではなかったが、それによってもう一つの〝罪〟も綺麗に贖われたのである。

ジョー小泉は「アリと再戦していたらフォアマンが勝っていた。タイソンはフォアマンを恐れて、対戦を拒んだ。フォアマンこそが史上最強のヘビー級王者だった」と追悼しましたが、タイソンには楽勝だったでしょうが、アリとの再戦はもっと酷い結果になったと思います。

それでも、フォアマンが歴史上最も恐れられたファイターであることは間違いありません。