カテゴリ: 世界のミドル級,世界に挑む日本人

プロボクシングほどアンフェアなスポーツはありません。平等な環境で行われる試合は、まずありえません。

オリンピック、サッカーW杯、プロ野球、プロテニス、どのスポーツでも地元選手に応援は偏り、判定競技の場合は審判にも影響を与えることが珍しくありません。しかし、あからさまに一方の選手に有利な環境が用意されることはありえません。

ボクシングではそれがありえます。日本人ボクサーは挑戦者であっても、米国の人気階級を例外にして、ほとんど全てのケースで世界戦を自国で開催できます。「世界王者」の看板を掲げながらも、一度も世界に出ることなく、日本だけで世界戦を行いキャリアを終えることも至って普通のことです。

これは別に恥ずべきことではありません。マイク・タイソンが日本で試合をしたのは顔見世興行に過ぎませんでしたし、フロイド・メイウェザーもアメリカを出て戦うことはありませんでした。その必要がないからです。カネロ・アルバレスも自分の庭から出ることはないでしょう。

カネロと並ぶAサイドの典型、マニー・パッキャオは対戦相手を自分の意思で選び、自分の都合の良い日程で試合を行うことが出来ます。カネロはリング誌認定の世界ミドル級王者ですが、完全なる〝自己都合〟で160ポンドのミドル級で戦ったことは1試合もありません。

ロジャー・フェデラーが、アンツーカーに強いラファエル・ナダルと戦う時に、自分に有利になるようフレンチオープンのコートに芝を敷くような狂気が、当たり前にまかり通るのがボクシングの世界です。

30周年を迎えるレナードvsハグラーは今も熱い議論が飛び交い、ファンを楽しませてくれていますが、このファイトの本質は非常に単純なことです。

“If there had been any other boxer in that ring that night, other than Ray Leonard, and that fight went the way it did, they would have raised Marvin Hagler’s hand at the end. Do you think if that had been John Mugabi, they would have raised Mugabi’s hand? Marvin felt – and I think most boxing people would agree with this – that you have to take the championship from the champion. He’s defending it, the challenger has to take it.”(リング誌5月号 HAGLER-LEONARD: THE DEBATE RAGES ON(ハグラー対レナード:議論は荒れてまだまだ終わらない)

「もしあのリングでハグラーが戦った相手がレナード以外のボクサーだったら?全く同じ試合展開でも、ハグラーが勝利を収めていただろう。レナードではなくジョン・ムガビだっら、ムガビが勝つなんてことがあっただろうか?ほとんどの人がこの考えに異論はないだろう。王者は守ればいいい、しかし挑戦者は奪い取らなきゃいけない、つまり勝たなければいけないはずなのに」


【ボクシングの不公平な構造に挑み続け、ことごとく勝利を収めたのはマニー・パッキャオだけではありません。B−HOPもまたBサイドのブルースを聴きながらスターダムにのし上がりました〜リング誌2011年9月号「時間を止める男、ホプキンス」〜】

リングにはAサイドとBサイドが存在します。メキシコやプエルトリコで絶大な人気を獲得できるヒスパニックはその典型です。メキシコ人でも人気のないほとんどのボクサーは世界王者でも日本で防衛戦を行うのが普通です。

村田諒太は日本では紛うことなきAサイドですが、ラスベガスやニューヨークのリングに立てばBサイドです。ミドル級最強王者のゴロフキンですら、アメリカにファンベースのないカザフスタン人であるため、拠点を構える西海岸で人気が思うように伸びず、東海岸での興行に活路を見出しているのが現状です。

五輪でメダルを獲ったアメリカ人か、ヒスパニックでなければ、究極のアメリカンドリームを手に入れることは出来ないのか?

その答えは残念ながらYESです。あのロベルト・デュランですら、実力、人気がNo.1だった時期はありません。

長いアメリカのボクシングの歴史でアメリカ、メキシコ、プエルトリコの血脈を持たないにもかかわらず、人気・評価の頂点に立ったのはマニー・パッキャオただ一人しかいません。メキシコとプエルトリコのスター選手を次々に撃破し、五輪金メダリストを滅多打ちの末にTKOする、そこまでやらないと無理なんです。

村田の前にはカネロという金看板は燦然と輝いていますが、たった一枚きりの看板です。他にはヒスパニックの人気選手も金メダリストも見当たりません。万一、カネロとゴロフキンを粉砕したとしても、次のステージは見当たりません。

5月20日の有明は日本にリングを引っ張り込めましたが、ハッサン・ヌダム・ヌジカムあってこそです。カネロは論外にしても、ボクシング人気が沸騰している英国のビリー・ジョー・サンダースを日本に呼び込むのも困難です。

ビッグネーム(サンダースをビッグネームと呼ぶのはどうかと思いますが)との試合は、Bサイド、敵地になるのは避けられません。

しかし、Bサイドに立ち続けながら、ついにアメリカンドリームを掴んだ先達がミドル級にはいます。正確には「つい最近までいました」、過去形ですね。

そう、その名もB−HOP。バーナード・ホプキンスです。

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村田諒太のアイドル、フェリックス・トリニダードもまたミドル級を制したスター選手でした。

しかし、ミドル級では主役であり続けることは出来ませんでした。カリブのヒーローに初めての挫折を味あわせたのが〝死刑執行人〟バーナード・ホプキンスです。

2001年9月15日に予定されていたWBC/IBF王者ホプキンスと、WBA王者トリニダードの注目の統一戦はニューヨークを直撃、世界中を震撼させた「9・11」の影響で二週間の延期を余儀なくされます。試合前には「私たちはテロに屈しない」とリング上で宣言されました。

ボクシングはすでにヒスパニックの時代に突入していました。アメリカ人のホプキンスよりも、プエルトリカンのティトの人気が絶大で、試合会場がプエルトリカンのお膝元ニューヨークで行われたこと、専門家予想は拮抗していた一方でオッズは7−2でティト有利と大きく傾いていたこともそのことを如実に証明していました。


【リング誌の2000年PFPランキング表。この対決はPFP1位と9位の激突でもありました。】

7−2は開き過ぎにしても、ティト有利の予想が大きく的外れだったとは思いません。無敗の快進撃を続けるプエルトリカンは、ウエルター級でオスカー・デラホーヤとの「1000年に一度の対決」を制し、ミドル級タイトルも日本人には無敵に見えたウィリアム・ジョッピーを問題なく粉砕して奪取、リング誌のPFPでも1位にランクされていました。年齢も28歳とまさにプライムタイムを迎えていたのです。

一方のホプキンスはといえば36歳と完全にピークを過ぎた老ぼれ(未来を知る我々だから笑えます)、13度も防衛を重ねていたことも「そろそろ…」という見方をされていました。

マジソン・スクエア・ガーデンはティトを応援するヒスパニックでフルハウス、ホプキンスは完全に悪役でしたが、エイリアンに進化する未来の伝説はその役回りを楽しんでいるように見えました。

カミソリの切れ味と、ナタの破壊力を同時に併せ持つティトのスタイルは、ブエルトリカンだけでなく世界中のボクシングファンを魅了しましたが、真っ正直で嘘のない、悪く言うと引き出しの少ないボクシングでもありました。しかし、そのカリブの純情は百戦錬磨の老獪な技術を操るホプキンスにとってはオーダーメイドの相手でしかありませんでした。

何手も先を見越したステップで刻むポジショニングにPFP1位は全く順応できないまま、8歳年上の正確無比なパンチを浴び続け、死刑執行人の術中に引きずり込まれていきます。

「ホプキンスが勝つ」と予想した専門家も少なくありませんでしたが、ここまで一方的な展開になるとは誰も考えていませんでした。

12ラウンドたっぷり使ってホプキンスは最高のご馳走を堪能しました。主役になるはずのティトが、ホプキンスのアッパーに力なく沈んだところでワンサイドゲームが終わります。

「だから言っただろう。ティトのビデオを初めて見た時から簡単な試合にしかならないことはわかっていた。再戦?契約に盛り込まれてるから彼さえ望めばOKだが、おそらくもう俺とは戦いたくないだろうな。2回目はもっとひどい結果にしかならないよ」。

尊敬するマービン・ハグラーが巻いていた3本のベルトを14年ぶりにコレクションしたホプキンスは、どこまでもご機嫌でした。

村田が来月20日に対峙するヌジカムにはティトの爆発力もB−HOPの老獪さもありませんが、その拳には十分な破壊力を秘めていますし、現在のミドル級では決定打をもらわないことではトップクラスでしょう。きっと難しい試合になるでしょうが、何としてもカメルーンの起き上がり小法師から明白な勝利をもぎ取って欲しいものです。

頑張れ!村田!ヌジカム戦をクリアして、日本人が誰もまだ見たことのない場所まで連れて行って下さい。

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5月20日有明コロシアムで開催決定した WBA世界ミドル級タイトルマッチに向けて、ウエルター級と並んで世界で最も華やかな階級の名場面を振り返っていきます。

今日は4月5日。明日4月6日で今なお激しい議論が展開され続けているあの試合からちょうど30年を迎えることになります。世界統一ミドル級タイトルマッチ、王者マーベラス・マービン・ハグラーvs挑戦者シュガー・レイ・レナード。

この試合はフロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオ同様、6年間もかけて成立した全世界待望の一戦でした。しかし、ボクシングシーンを牽引し続ける二人のスーパースターがついに雌雄を決するメイウェザーパッキャオが大歓迎された一方で、この試合は開催決定した瞬間から非難轟々でした。


【リング誌最新5月号もアニバーサリーを迎えた史上最も議論を呼ぶ一戦を特集しています。】

その激しい批判の矛先は、
①レナードは実質5年間のブランクがあり、WBA、WBC、IBFどの承認団体のランキングにも入っていない。レナードには王座に挑戦する資格はない。②引退状態のレナードはウェルター級の選手でミドル級を恐怖で支配するハグラーに勝ち目はない。1対1のリンチ、残酷なショウになることがわかっている試合を許してはいけない。
という誰もが疑念を持つ2点に向けられました。

①は、はっきりとその顔を見せたこのスポーツの暗黒面です。どんな屁理屈をこねてもレナードがハグラーのタイトルに挑戦する資格はありません。

前年1986年5月1日にレナードはワシントンDCで「ハグラーとの一戦だけにリングに戻る」とTVインタビューに答え、世界を驚かせます。3月に行われたジョン・ムガビとの防衛戦で解説者席に座ったレナードがハグラーの弱点をいくつも指摘、対戦相手として分析しているようにしか見えませんでしたが、それでも本気でハグラー戦を考えているとは誰も予測すら出来ませんでした。

WBAとIBFがタイトルマッチとして承認することを相次いで見送り、世界タイトルマッチの開催に暗雲が立ち込めますが、WBCは最初から乗り気でした。レナードが復帰宣言してからわずか16日後の5月17日にレナードの功績を讃えるパーティーを開催、モハメド・アリやジョー・フレージャーらレジェンドを集めましたが、明らかにハグラー戦に向けた壮行会でした。

WBCのホセ・スライマン会長は、レナードに挑戦資格はないという正論に対して「WBCはこの試合をタイトルマッチとして支持する。レナードは他の挑戦者とは違う、偉大な元王者だからだ」と意味不明の妄言を吐き、ドン・キングも「レナードは不可能を可能にする男だ」と何のロジックもない言葉を口にしました。

そんなお祭りムードの中で、ニューヨーク州体育協会は「ランキングの問題は我々が関知するところではない」としながらも「彼の眼が我々の健康診断をパスすることができない以上、レナードの復帰をニューヨーク州は絶対に認めない」と冷静なコメントを発表します。ワシントンでの復帰宣言と〝壮行会〟に続き、試合会場の候補の一つマジソン・スクエア・ガーデンで正式発表されるとみられた東海岸を舞台にした一連の流れは一旦絶たれますが、もはや世紀の一戦は誰も止めることの出来ない大きなうねりとなっていました。

「THE SUPER FIGHT」と銘打たれた試合の会場は本命のシーザースパレス(ラスベガス)に落ち着きます。メガファイトのたびに巨大駐車場とテニスコートに仮設の大会場を組み上げるシーザースパレスが長らくボクシング界の中心でしたが、のちにMGMとの招致合戦に嫌気をさしてボクシングビジネスから手を引きます。しかし、それはまた別の話、別の機会があれば。

会場近くには宇宙人と交信するつもりかというような巨大なアンテナが6台も設置され、全世界への衛星放送の準備が進められ、広大な宴会場がプレスルームにあてがわれましたが、31カ国から集まったメディアの数は優に1000人を超え、十分な広さではありませんでした。

桁違いのイベントの予感が、「レナードに挑戦資格はない」「残酷な見世物をやめさせろ」という正論を木っ端微塵に打ち砕いてしまいます。試合が近づくにつれ、正論を語る者は専門家ですら少なくなり、あろうことかレナード勝利を予想するメディアまで現れます。

カジノの掛け率もおかしな様相を呈します。試合が発表された時の4−1のオッズは「レナード贔屓の驚くほど接近した数字だが、試合が近づくにつれてその差は現実の実力と同様に大きく開くだろう」と誰もが思っていましたが、試合当日には3−1とさらに接近するのです。

そして、今なおミドル級史上最大のメガファイトとして語り継がれるとてつもない巨大イベントのゴングが打ち鳴らされました。

この試合で最低保障された報酬はハグラーが1200万ドル(当時の為替で18億円)、レナードが1100万ドル(同16億円)。ここにクローズドサーキットとゲート収入の歩合が加算されたメガファイトでした(人気者レナードは報酬でハグラーに譲歩、その引き換えに10オンスのグローブと12ラウンド制、広いリングを手に入れます)。

中量級全盛期のクライマックスを戦った二人のスーパースターと、今の村田を比較することはさすがに憚られます。しかし、現在最強と目されるゴロフキンは人気はないものの、このカザフスタン人に初黒星をなすりつけようものなら、村田の偉業の評価は階級まで考慮するとファイティング原田を上回るかもしれません。さらに、カネロの人気はレナードにも準ずるレベルで、この赤毛のメキシカンと対決するとなると村田の報酬もレナードハグラー並みに跳ね上がったとしても何の不思議もありません。

軽量級には許されない正真正銘のアメリカンドリームの片道切符を村田は確かに手に入れました。5月20日に発車するこのこの夢の列車がどこまで日本のボクシングファンを連れて行ってくれるのか。この大いなる夢が5月21日以降も続いていることを願ってやみません。

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ミドル級は日本人にとって本当に遠い階級でした。

ヘビー級まで制したボブ・フィッツモンズ、ジャック・ジョンソンを倒したスタンレー・ケッチェル、「傷だらけの栄光」ロッキー・グラジアノ、PFPの起点となったシュガー・レイ・ロビンソン、ボクシング殿堂創設のきっかけとなったカーメン・バシリオ、「レイジングブル」ジェイク・ラモッタ、無類のタフネスを誇ったディック・タイガー、ミドル級史上最強と目されるカルロス・モンソン、スイッチヒッターで強打と打たれ強さを併せ持ったマービン・ハグラー、アリからスーパースターのトーチを継承したシュガー・レイ・レナード。

すぐ一つ下のジュニアミドル級がスター選手に見向きもされない隙間階級だった時代は輪島功一や工藤政志、三原正が王座につきましたが、わずか6ポンド上のミドル級は別世界でした。

しかし、気まぐれで自意識過剰のレナードがハグラーを陥落させたことで、団体分裂時代にも統一王座を維持してきた伝統のミドル級は3つのピースに飛散してしまいます。ハグラー、レナード、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、太陽のように強烈な輝きを放った千両役者が退場した後の舞台には、自ら光を放つことの出来ない貧相な衛星のようなボクサーが現れては消えて行きました。

90年代半ばには、太陽を失ったミドル級は完全に冬の季節を迎えていました。しかし、それは日本にとっては僥倖でした。

1995年当時、WBC王者は何の魅力もないクインシー・テーラー、IBFには後のレジェンド、バーナード・ホプキンスが王座に就いたばかり、さらにWBAでは歴戦とタフさだけが取り柄のホルヘ・カストロが危なっかしい防衛戦を繰り返していました。


【特別リングサイド席¥50,000は最後まで売れ残りましたが、歴史を目の前で見ることになる何とも安い買い物でした】

ミドル級冬の時代。この千載一遇のチャンスをものにしたのが竹原慎二でした。

ホプキンス、テーラー、カストロ。頼りない王者とはいえ、当時この3人に日本人が勝つことは想像できませんでした。カストロはリング誌でも「レベルの下がったミドル級でも一番の穴王者」と見られていましたが、それでもミドル級です。腐ってもミドル級、アジアのボクサーが勝てるとは考えられませんでした。

1995年12月19日後楽園ホール、 WBA世界ミドル級タイトルマッチ、ホルヘ・カストロvs竹原慎二。アジア人の実績がゼロの階級だけに予想は王者有利でしたが、カストロの散漫な性格や不安定な試合運びに、一縷の望みも見えていました。

当初予定から遅れて12月11日に来日したカストロのたるんだ肉体は、分厚いコートを羽織っても隠しきれませんでした。帯同したスーパーミドル級のパートナーと連日激しいスパーリングを続ける異例の光景は、誰の目にも「こんな一夜漬けの練習と減量をするのか。完全に舐めてかかっている」ことは明らかでした。

計量時もカストロの腹回りにはでっぷりと脂肪がついたまま、乾いた唇とカサカサの肌からは重度の脱水症状の兆候が見て取れました。このカストロの姿を見た竹原は「ここまで舐めてるのか。こんな醜いデブには絶対に負けない」と怒りを抑えることが出来なかったといいます。

「あのたるんだ腹に思い切りボディをめり込ませてやる」。竹原の思いは、3ラウンドが始まって30秒したところであっけなく叶えられます。

二人のジャッジが6ポイント差をつける完勝。日本のボクシング史に新たなページが加わった瞬間でした。

しかし、半年後にはウィリアム・ジョッピーのスピードの前に何もできずに惨敗。英国ウィリアムヒルが立てたこの試合のオッズは、竹原勝利が約16倍という一方的なものでした。

竹原が偉業を成し遂げたことに変わりはありません。しかし、幾つもの幸運が重なった奇跡であったこともまた事実です。


【ボクシングマガジン1996年2月号の綴込みポスター「第3ラウンド、竹原の左ボディでカストロがダウン!」】

竹原以来、22年ぶりにミドル級のベルトを日本にもたらすことが期待されている村田諒太ですが、竹原との違いはおそらく有利のオッズが立つことです。現時点では大手のブッカーはオッズを出していませんが、おそらく3−2レベルで村田やや有利のオッズが立つはずです。

しかし、ヌジカムは簡単な相手ではありません。村田にとっては間違いなくプロキャリア最強の相手になります。しかも、今まで温室的なマッチメイクで白星を重ねてきた村田にとっては飛び抜けて最強です。

圧倒的な勝ち方が出来れば、ゴロフキンやカネロとのメガファイトも取り沙汰されるでしょうが、それはどうしても想像できません。簡単な試合になるわけがないと思います。

竹原vsカストロも、チャンスはゼロでは無いとは思いましたが、惨敗を予想しました。今回も、私の予想が外れて、試合後にESPNやリングの速報にGGGやカネロとの対戦を煽る記事が踊ることを熱く熱く期待しながら、5月20日を待ちたいと思います。

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ロンドン五輪金メダリスト村田諒太(帝拳)の世界挑戦が決まりました。

5月20日に東京・有明コロシアムでWBA世界ミドル級王座決定戦で元世界王者の同級1位ハッサン・ヌダン・ヌジカム(フランス)と拳を交えます。ミドル級は掛け値なしの人気階級です。そして、団体と王座乱立で誰が最強かわからない魑魅魍魎の世界でも、世界中のボクシングファンが認める絶対王者も君臨しています。


【リング誌2015年7月号「史上最強のミドルは誰か?」から…ミドル級はウエルター級と並んでアメリカでは最も注目され、メディアの露出も多い階級です。】

世界最大のスポーツメディアESPNがパウンドフォーパウンド(PFP)1位に推し、リング誌でも3位にランクされているゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)です。村田も「(3団体統一王者の)ゴロフキンに勝てば、そりゃ一番ですけど。そこはちょっと離れちゃってるところなんで」とゴロフキンがこの階級で頭一つ抜けた存在であることを認めています。

それでも、5月20日に勝てば GGGの対立王者に名乗りを挙げるわけです。ヌジカムに勝ってWBA王者になることが、五輪で金メダルを獲った村田の最終目標であるわけがありません。ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンを根城にする階級最強のカザフスタン人との決戦はまだ少し先の話になるでしょうが、その大舞台につながる一本道が有明のリングからはっきりと見えています。

ミドル級を徘徊する怪物はPFP1位のゴロフキンだけではありません。ボクシング界で最も人気のあるドル箱スター、カネロ・アルバレスもリング誌認定のミドル級王者です(リング誌ミドル級ではGGGが1位、同PFPでカネロは8位とネジレが起きていますがその説明はまた別の機会に)。

村田は会見で「軽量級では米国や英国で戦っても日本ほどファイトマネーをもらえない。そういった意味でラッキーですね、ミドル級は。上げ幅がいくらでもある。(ボクシング中継の米最大手)HBOのメインを自分が張るとか、(有料の)ペイ・パー・ビュー放送に乗るなんてミドル級だからこそ。おいしい階級です」と笑顔で語りましたが、全くその通りです。

ミドル級はただでさえ「おいしい階級」なのに、今のこの階級にはPFP1位のGGGと、飛び抜けた人気No.1のカネロの二人が存在しているのですから、こんなラッキーは滅多やたらにあるもんじゃないですね。

恐ろしく打たれ強い〝カメルーンの起き上がり小法師〟に鮮やかな勝ち方をしようものなら、リング誌をはじめ、多くのメディアがミドル級の3番目の惑星として村田を取り上げ、ゴロフキンやカネロとの対戦を煽るのは間違いありません。

夢はどこまでも膨らみます。

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