Breez is Nice!

テレビもラジオも普及していない時代。そもそも、そんなあざとい文明の利器など無かった時代。

ボクシングは自分の足で会場に行ってチケットを買い、その目で見るしかありませんでした。ビッグファイトには当然、大観衆を収容できるバカでかいハコが必要でした。

売上のほぼ100%がチケット購入だった時代は過ぎ去り、巨大スタジアムでの興行も今や絶滅危惧種です。

ビッグファイトが効率的な有料テレビに傾倒する現在、「メイウェザーvsパッキャオが史上最高の興行」だと言われても、1万6000人しか〝証人〟がいなかったのは、凡戦に終わったのは仕方がないにせよ、興行側に「一人でも多くのファンに見せたい」という当然の思いが欠落していたことに深い幻滅と失望の疲れた感情しか湧いてきません。

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【史上最大の興行規模を記録した「メイウェザー・パッキャオ」でしたが、観客動員数は歴代500位にも入らない、その試合内容同様に残念なものでした。=写真=ボクシングを見限ったスポーツイラストレイテッド誌もこのメガファイトばかりは無視できなかったのか、ダブルカバーで大特集しました。しかし、その内容はカネのことがほとんど、何の特集なのかわかりません。】

パックメイを巨大スタジアムで開催できなかったことに、現在のボクシング界が抱える病巣が凝縮されています。

 さあ、このアコギで窮屈で効率しか考えない21世紀からタイムマシンに乗って、大らかで圧倒的で郷愁溢れる巨大スタジアムのゴングを聞きに行きましょう。

★★★1921年、米国ニュージャージー州ニュージャージー市にこの試合のために巨大スタジアムが特設されました。

7月2日、ボイルズ・サーティ・エイカーズに詰めかけた観客は8万183人。

世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーに、世界ライトヘビー級王者ジュルジュ・カルパンチェが挑む超弩級のメガファイトです。

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入場料は100万ドルを越え、史上初のミリオンダラーゲートを記録しました。さらに、初めてラジオで実況中継されるという、二重の「史上初」という画期的な試合となりました。

無慈悲に荒れ狂う嵐のようなファイティングスタイルでアンチも多かったデンプシーよりも、フランスから大西洋を越えてきたハンサムな〝欄の男〟カルパンチェの華麗なボクシングを応援するファンが観客席のほとんどを占めるという、デンプシーにとっては地理的にはホームでも、現実にはアウェーの戦いとなりました。

しかし、試合は4ラウンドKOでデンプシーの圧勝に終わります。

〝マナッサの虐殺者〟vs〝欄の男〟。対照的なキャラクターの二人が世界最強の座を争うのですから、その舞台は巨大スタジアムしかありえませんでした。


♣️このモデルケースで、村田諒太の東京ドームを想像すると、絶対的な強さを万人に認めさせた村田が、ウェルター級から侵略してきた華麗なスピードスターを迎え撃つというところでしょうか。

「ウェルターのスピードスター」。今なら、エロール・スペンスJr.あたりですかね。


★★★1926年9月23日。米国ペンシルバニア州フィラデルフィア:セスクセンテニアルスタジアム(アメリカ独立150周年記念博覧会の会場として建設、後のジョン・F・ケネディス・タジアム。1992年に老朽化のため解体されました)。

またもリングに上がったのは、世界ヘビー級王者、ジャックデンプシー。 対する挑戦者はジーン・タニー。

この日、巨大スタジアムの席を埋めた有料入場者数は、なんと12万757人!

この数字は、1993年にフリオ・セサール・チャベスvsグレグ・ホーゲン戦で破られるまでの67年の間、世界記録でした。

試合は、7年計画で デンプシーを科学的に研究したタニーが、10ラウンド判定(この当時は10ラウンドで世界戦を争っていたのですね)でデンプシーに土をつける番狂わせを起こし、タイトルを奪います。

ちょうど1年後の9月22日にシカゴのソルジャーズ・フィールドで行われたリマッチでは、有名な「ロングカウント事件」で命拾いしたタニーが再び判定勝ち、デンプシーの伝説的なキャリアにピリオドを打ちます。 

「ロングカウント事件」 は63年後の東京ドームでも起き、世紀の番狂わせを演出しました。


♣️村田の近未来でなぞらえると、ゲンナディ・ゴロフキン戦でしょう。GGGを研究し尽くした村田が、巨大スタジアムのリングで、無敵の王者を玉座から引き摺り下ろす!そんなシーンを早く見たいですね。
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村田諒太が口にした「東京ドーム」。

村田が夢を現実にしても、この巨大スタジアムのリングに上がった最初の日本人ではありません。

1990年2月11日、マイク・タイソンが沈んだ世紀の大番狂わせ「東京ショッカー」のリングにデビュー2戦目の辰吉丈一郎が登場しました。ちなみに、このリングにはノリ・ジョッキージムを大逆転で下した高橋ナオトら、他にも日本人ボクサーが上がっています。

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【=画像は「ボクシングマガジン緊急増刊号「不死鳥伝説 辰吉丈一郎」から= …1997年11月、日本ボクシング史上最も感動的な試合の一つ辰吉丈一郎vsシリモンコン・ナコントンパークビューの決戦は大阪城ホールで行われましたが、入場者数は1万1000人、「巨大スタジアム」と呼ぶのは憚られます。

「(感動で)鳥肌が立つことはこれまでもありました。でも試合が終わった時に膝がガクガクしてた、こんなことは初めてです」とリングサイドで語ったイチロー。

同年4月のダニエル・サラゴサ戦では、何も告げずにリングサイドに席を取ったイチローでしたが、この日はゴングまで数時間しかない16時になって「試合を見に行きます」と辰吉に電話しました。

「サラゴサ戦のように傷ついて負ける姿は見たくなかったし、最もデリケートなタイミングなのはわかっていましたが、とにかく胸騒ぎがして…何かが起こるような気がしました。何かが起こる、起こして下さい、と伝えたくて『試合を見に行きます』とだけ電話で告げました」。

このときすでに4年連続首位打者を獲得していた24歳の天才と、27歳の辰吉。あれから21年の歳月が流れましたが、なんということでしょう、二人はまだ現役です。

辰吉「イチローより先に引退はせぇへんよ。絶対負けへんから」
イチロー「辰吉さん、それズルいって!」

今二人が会ったら、こんな会話でも交わすんでしょうか。】



タイソン初お目見えの前年にも坂本孝雄から大番狂わせで日本王座を強奪した吉野弘幸、平野公夫らも東京ドームのロープをくぐっています。

ただし、この2年連続の東京ドーム興行でリングに上がった日本人は、タイソンがらみの前座でした。

村田が目指すのはもちろん前座ではなく、アイアン・マイクのポジションです。

…辰吉、イチロー話で脱線してしまいましたが、次こそは、大観衆を飲み込んだ巨大スタジアムで繰り広げられた伝説の試合を振り返ります。
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子供は3歳までに一生分の親孝行をする。


大人は、子供から贈られた歓喜や癒し、笑いや安らぎ、そしてときどきの心配…そんな宝石のような時間を簡単に忘れてしまう、本当に愚かで悲しい生き物です。

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1998年の夏、甲子園で横浜高校が繰り広げた伝説的な激闘の数々は決勝戦でのノーヒットノーランでフィナーレを迎えるという、松坂大輔を主人公にした筋書通りのドラマでした。

プロ初登板の日には、どの局のニュース番組もナイターのプレイボールが待ちきれずに昼間から平成の怪物の一挙手一投足を生中継、前代未聞の大フィーバーを巻き起こしました。

そして、プロ一年目から、松坂は高卒ルーキーとして球史に残る大活躍を見せるのです。

2006年3月には記念すべき第一回ワールドベースボールクラシックで快投、大会MVPに輝き、サムライ・ジャパンを世界一に導いてくれました。

2006年のシーズンオフ、ボストン・レッドソックス入りが決まると日本の都市では号外が配られ、米国メディアは「日本の国宝がやって来る」と大々的に報じました。

レッドソックスから西武ライオンズに渡った移籍金は、なんと60億円、その金額は松坂が在籍した8年間の総年俸の4倍以上にのぼったのです。

松坂大輔が日本中をどれほど楽しませてくれたことか。野球界の発展にどれだけ貢献してくれたことか。

そして、みんながみんな、どれだけ松坂大輔を愛したことか。


「給料泥棒」
「今さら通用するわけがない」
「これ以上、晩節を汚すな」

はぁ?

松坂大輔は、日本のスポーツファンと野球界に対する〝親孝行〟をとっくの昔に、でっかい熨斗まで付けて済ませた偉大な野球人です。

その彼が「気の済むまで野球をしたい」と希望しているのです。

誰もケチをつけたり、文句をたれる資格などありません。

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ソフトバンクは、なんの前触れもなく、いきなり現れた37歳の投手と大型の複数年契約を結んだわけではありません。

松坂は、誰かを傷つけたわけでも、もちろん法を犯したわけでもありません。

確かに、真夏に咲き誇るヒマワリのようなピッチングは、残念ながら、長い間、目にすることが出来ていません。

しかし、誰かを叩くのが大好きなメディアから「いろいろ言われてますよね?そんな非難、批判を見返すようなピッチングを見せて下さい」と、皮肉っぽくマイクを向けられても「野球は誰かを見返すためにやるものじゃないです」と笑った松坂大輔は、あの熱い夏の日から何も変わってはいません。

松坂の夏は、きっと必ずまた訪れます。

全天候型のナゴヤドームは、夏の青空も、漆黒の夜空も、吹き抜ける風も楽しめない、味気も季節もないスタジアムですが、ドラゴンズファンは本当に幸運です。

松坂が、熱い夏を運んで来てくれるのですから。

新しい元号はまだ発表されていませんが、平成に続く元号も「怪物」の冠言葉にしちゃいましょう。

二つの時代を股にかける怪物なんて、格好いいじゃないですか!


もちろん、甲子園も待っていますよ。

あなたが甲子園のマウンドに帰って来る日、私は生まれて初めて三塁側の席を買いますね。
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村田諒太の初防衛戦の相手が決まりました。

ロンドン五輪で村田に敗れた銀メダリスト、エスキバ・ファルカオが、同じトップランク傘下ということで有力候補でしたが、急転直下ですね。

エマヌエレ・ブランダムラはイタリア、ローマはラツィオを中心に戦う38歳の欧州チャンピオン、WBAランキングは10位です。戦績はというと27勝2敗と立派ですが、27勝のうちKOはわずか5つ、2つの負けはいずれもKO負け、パンチはない、そして打たれ弱い、その印象通りのボクサーです。

嫌味も言えないくらいに、いい選手を選びますね、本当に感心します。

現役の欧州王者ですが、スピードとパンチは世界基準にありません、そしてアゴは弱い。ミドル級ですから一発はあるとはいえ、このイタリアンはアルデンテじゃありません、やわやわな選手です。

電通とフジテレビが大切に孵化させた村田ですから、初防衛戦は安全第一ということですね。

まあ、しかし、絵に描いたようなローリスク・ローリターンです。

4月15日、1万6000人収容の横浜アリーナが舞台ですが…この相手にはどんな圧勝劇でも、東京ドームは遠くになりにけり…ですね。



さて、ローマの伊達男、ブランダムラさんですが、デビューから22連勝で迎えた2014年7月26日、ビリー・ジョー・サンダースと空位の欧州タイトルを争いますが、8ラウンドKO負け。

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【サンダースの右フックでロープまで大きくよろめくブランダムラ。こぢんまりしたボクサーですが、しつこい攻撃はサンダースを手こずらせました。】


再起戦には勝ったものの、2015年6月20日にはジュニアミドル級の強豪、ミッシェル・ソロの拳にやはり8ラウンドKOで散りました。

この2試合を見ると、攻防まとまった手数の多いボクサーですが、けして高度なテクニックは持っていません。パンチの軽さはミドル級とは思えないほどです。

アマチュア経験は33勝8敗3分、村田と比べる対象ではありません。

体格も、村田の身長183㎝リーチ188㎝と比べると、いずれも5㎝は下回ってそうです。

どう考えても、スピード、パワー、テクニック、すべての要素で村田が上回っています。

ブランダムラのパンチが村田のガードを破る、そのアゴが村田の右にも耐えられる、どう悲観的に考えても想像できないですね。

欧州王者の看板で、WBCとIBFでも7位にランクされていますが、世界基準のボクサーではありません。

昨年6月には欧州の強豪アレッサンドロ・ゴディに判定勝ちして評価を上げていますから、油断禁物ですが、この相手には絶対に負けられません。

年内にもう1試合、そこでは東京ドームが近づく相手と戦って欲しいですね。 
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♦メキシコに最も愛されたスラッガー ルーベン・オリバレス♦


ファイティング原田によって〝ジョフレの軛〟から解放されたバンタム級は、当然のようにメキシコの時代に突入します。

原田から統一バンタム級のベルトを奪ったライオネル・ローズは、アボリジニの血を引くオーストラリア人。34勝2敗。KOは8と少ないものの、東京五輪金メダリストの桜井孝雄らを退け3度の防衛に成功した一流のテクニシャンでした。

そして4度目の防衛戦。1969年8月22日。カリフォルニア州イングルウッド、ザ・フォーラム。

将来、この階級でジョフレに次ぐ評価を受けることになるメキシコの怪物を迎えます。ルーベン・オリバレスです。

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オリバレスの戦績は52勝無敗1分、52勝のうちKOは50。ヘビー級でも信じられないKO率です。軽量級には、バンタム級には、こういう化け物が産まれるのです。

ローズを5回KOで屠ったオリバレスは、チューチョ・カスティーヨに敗れ無敗のレコードは止められます。

その後も、ビッグファイトを落とすこともあったオリバレスですが、「勝負弱い」という印象がないのが不思議です。

バンタムの世界タイトルを奪回した後、歌川善介を7回KOで下してフェザー級王座も獲得、二階級制覇に成功します。

恐るべきKO率と、バンタム級時代の破竹の快進撃に注目が集まる軽量級史上最高のボクサーの一人ですが、メキシコのファンをメロメロにさせたのは、そのファイティングスタイルです。

メキシコ人の血を最も沸騰させたボクサーは、フリオ・セサール・チャベスではありません。

真っ向勝負の打ち合いを偏愛したオリバレスこそが、メキシコに最も愛されたボクサーなのです。




*****アルフォンソ・サモラ、カルロス・サラテ、ラファエル・マルケス…オリバレスのDNAを受け継ぐ偉大なメキシカンは、その後もバンタム級から産まれています。

しかし、バンタム=メキシコという極彩色は、時代とともに希薄化して行きました。

1980年代になると、ミゲール〝ハッピー〟ロラ(コロンビア)、オルランド・カニザレス(米国)のような万能型のバンタムも登場、日本の新垣諭(IBF)、六車卓也(WBA)も短命ながらアルファベットタイトルのピースをピックアップしました。

ローズのオーストラリアからは、剛腕ジェフ・フェネックがバンタム級を強奪、史上最短の三階級制覇への足がかりとなりました。

そして1990年代には辰吉丈一郎が現れ、日本のボクシングシーンに一時代を築きます。

辰吉は刹那の王者でしたが、このWBCのタイトルはその後、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション、長谷川穂積、山中慎介と10度以上防衛する長期政権王者が短い期間で現れます。

長期政権が安易に生まれる背景には、承認団体の腐敗がいっそう進み、独善的なランキングを作ることで、弱い挑戦者を選ぶことが一層容易になっているという事実があります。

日本では「強豪王者」と紹介される14度防衛のウィラポンは、けして弱い選手ではないものの、2013年に資格発生の国際殿堂については、全くお呼びでない状況です。

もちろん殿堂の敷居は高い、特にアジアの選手にとっては不当に高い側面もありますが、ウィラポンが評価されない最大の理由は、弱い相手にしか勝っていないからです。

タイ人と日本人が二桁防衛を成功させるWBCの系譜に、本物のクサビを打ち込んだのがノニト・ドネアでした。

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日本でも人気のフィリピンの閃光が、バンタム級で戦ったのはたった2試合です。しかし、その異名の通りに一瞬でも強烈な輝きを、この階級で放ちました。

たった2試合しか〝滞在〟することがなかったものの、ドネアが最も強かったのはバンタム級でしょう。

そして、長谷川とモンティエル、ドネア、この三人が揃って「報酬が低すぎる」という理由で参戦を見送ったShowTimeが仕掛けた「バンタム級最強トーナメント」…次回は政治的な思惑に翻弄されたバンタム級のお話です。
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