カテゴリ: シネマパラダイス

【ニューヨーク共同】米演劇界最高の栄誉とされるトニー賞の発表・授賞式が11日、ニューヨークであり、ミュージカル部門の主演男優賞、助演男優賞で、いずれも性自認が男女のどちらでもない「ノンバイナリー」の俳優、J・ハリソン・ジーが受賞した。



今朝、WOWOWでも完全中継されたトニー賞は、ニューヨーク・ブロードウェイで公演されたオペラやミュージカル作品に与えられる、この分野で最高の賞です。

オペラやミュージカルは面白さがわからないので、興味がないのです。それでも、上流を装いたい浅はかな家族や友人は、私に向かって「あんたがオペラやミュージカルが嫌いなの納得するわあ。でしょうねぇ〜」と喧嘩を売ってくるのであります。

そんな私でも、ボクシングがテーマのオペラなら興味津々です。

「チャンピオン」はニューヨークのメトロポリタン歌劇場(以下MET)で上演されるオペラ公演を映画館で楽しめるMETライブビューイングの作品の一つ。

4月10日にMETで初演された「チャンピオン」は、晩年まで自身のセクシャリティを隠し続けたエミール・グリフィスをモチーフにした新作オペラですが、今回観ることができるのはMETライブビューイング、映画です。

今週16日(金)にいよいよ封切りです。

主役のグリフィス、いつの時代のファイターかというと、ファイティング原田の時代です。

グリフィスはウェルター級とミドル級、原田はフライ級とバンタム級、2人にはあの時代に2階級制覇を成し遂げたという共通点もあります。 

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57年後の現在でも、ボクシングファンなら誰でも知っている名前がズラリ。


このランキングは、グリフィスが返上したためウェルター級王座は空位になっています。

当たり前の話、世界タイトルに大きな価値があった時代、簡単に王座を返上するなんて傾奇者(かぶきもの)など、まずいませんでした。

それにしても、グリフィスの対戦相手を眺めるだけでも、どれほどドラマティックなキャリアだったか、私の知らない60年も前のリングなのに鮮やかに想像できてしまいます。


プロボクシングは、世界最古の職業スポーツです。

そして、彼らが戦っているのはリングの上で対峙している相手だけではありません。

彼らがり戦っているリングの外にいる敵、彼らが戦う意味を想像したとき、他のスポーツではあり得ない感動が湧き上がってきます。

それは、モハメド・アリやマニー・パッキャオだけではありません。

だから、プロボクシングは面白いのです。


https://fushiananome.superknova.org/archives/32046473.html
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今年はディズニー創立100周年だそうです。また国内では競馬法が制定されてから100周年。そして、大阪松竹座も開場100年です。

そして、そして何よりもウイスキーも100周年なのです。

スコットランド留学から帰国した竹鶴政孝が、鳥井信治郎と山崎蒸溜所を開設したのが1923年のことでした。

1923年、大正12年。関東大震災が起きた年です。

未曾有の天災に首都が襲われた年でしたが、エンタメと酒に対する情熱の炎は消されることはなかったのです。人間って素晴らしい。

蛇足ですが前の年、1922年はリング誌が創刊。昨年、2022年は創刊100周年でしたが、皮肉にもその年に廃刊となりました。

リング誌の場合は70年代から経営難は常態化。80年代には丸1年の休刊を余儀なくされ、90年代、00年代、2010年代と事態はさらに悪化。

年12回発行の月刊体制も崩壊、2015年前後で廃刊になってもおかしくありませんでしたが、おそらく「100周年まではなんとか!」という意地が延命装置となったのでしょう。

一年先輩のリング誌は寂しく雑誌売り場から退場してしまった一方で、世界のディズニー、日本の競馬、日本のウイスキー、道頓堀の芸能はまだまだ意気軒昂です。



ウイスキーがお好きです。モルトがたまらなく大好きです。

さて、熟成樽に仕込まれたウイスキーは、人が全量を飲めるわけではありません。

まずは、有名なANGEL'S SHARE 、エンゼルズ・シェア。「天使の分け前」です。

樽の中でウイスキーが熟成する過程で、年に少なくとも1〜2%のウイスキーが蒸散によって失われます。

美味しいウイスキーは天使が味見をすると言われ、その分のウイスキーが樽の中で少しずつ減り続けるのです。

名匠ケン・ローチ監督の「The Angels' Share(2012年)」は、まさに〝ウイスキー映画〟の傑作。お薦めです。


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もし、竹鶴が100年前に仕込んだウイスキー樽が発見されたとしたら?

天使の取り分だけで、年1〜2%減ってしまうので、すでに約50年前で樽の中は間違いなく空っぽになっているはず。

天使が飲み干してから、さらに50年も経っているわけです。

樽に鼻を近づけたら微かにウイスキーの香りがするかもしれませんが、ウイスキーそのものは天使と悪魔によって半世紀前に一滴残らず飲み干された後です。

市販の商品で最長は30年ものですが、これでも半分以上も天使に飲まれちゃってるわけです。

50年ものになると、複数の樽を管理しながら、少なくなったウイスキーを合わせてゆく作業になります。

これを繰り返してゆけば100年ものでも可能ですが…熟成100年のウイスキー、間違いなくとんでもない高値で取引されるでしょうが、味はどうなんでしょう?
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独断と偏見でしかモノを言わなきゃ俺様でも、ときには世界の共通認識を口にすることだってあるのだ。

ボクシングがどんなに落ちぶれても、文学も音楽も映画も演劇も…ボクシングを題材にしたものこそが最高なのである。


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1960年代初め。

世界ウェルター級タイトルは、カリブ海から流れ着いた二人のファイターが争っていました。

エミール・グリフィス
とベニー・キッド・パレットです。

バージン諸島で生まれたグリフィスは、離婚し生活に行き詰まった母親に連れられてニューヨークのハーレムに移り住み、そこでボクシングと出会います。

パレットはキューバのサトウキビ畑で働く低賃金労働者から抜け出し、ニューヨークのリングで戦う強豪ボクサーになっていました。

年も1歳違うだけ、同じような人生を歩んできた二人は、似た者同志でした。

二人に違うことがあるとしたら、グリフィスがゲイであるという秘密を抱え、深く悩んでいたということでした。

チャンピオンだったパレットは1961年4月1日にグリフィスに13ラウンドKO負け、タイトルを奪われたが、9月30日の再戦でスプリットデジションで雪辱、奪還に成功していました。

そして、運命のラバーマッチが1962年3月24日、マディソン・スクエア・ガーデンにセットされます。

グリフィスはゲイであることをパレットに隠語でからかわれ、激昂。

第12ラウンド。グリフィスの猛攻で当時3本だったロープに体を預けたパレットは失神。

ロープの間から上体をはみ出したパレットに、怒りに取り憑かれたグリフィスは17発もの強打を打ち込みます。

パレットは病院に救急搬送されましたが、10日後に亡くなります。




その後、世界ミドル級王者にもなったグリフィスでしたが、何度も引退を考えながら、パレットの死に生涯苦しみ続けます。

ゲイであることに悩んでいたグリフィスは、結婚もしますがすぐに破綻。

そして、70歳を超えたグリフィスはパンチドランカーの症状に悩まされながらも、パレットの子供に許しを乞おうとするのでした…。 


https://www.shochiku.co.jp/met/program/4679/ 
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ジョージ・フォアマンの伝記映画が4月28日に公開されます。ソニー・ピクチャーズ配給。

Big George Foreman: The Miraculous Story of the Once and Future Heavyweight Champion of the World)


「シャクール・スティーブンソンvs吉野修一郎」のリングにもプリントされていましたが、あちこちのボクシング中継の中でCMが流されています。



「70年代のヘビー級が最もレベルが高い」。その〝動かぬ証拠〟がフォアマンでした。


日本公開はまだ未定のようですが、待ち遠しいです。
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スターウォーズは時代劇である。

黒澤明の大ファンのジョージ・ルーカスが「隠し砦の三悪人」などをオマージュして作り、ジェダイの〝語源〟は時代(ジダイ)…「スターウォーズは時代劇だ」なんて何を今更ですが、今日は本編ではなくディズニー+が配信している「マンダロリアン」について。

今月からシーズン3がスタートしたマンダロリアンも、黒澤節が響き渡る〝時代劇〟です。




マンダロリアンは〝国〟を喪った〝落武者〟。

賞金稼ぎに身を落としても、「THIS IS THE WAY(我らの流儀)」は譲らないサムライ。

現代を離れた時代を舞台にするのが時代劇だとすると、その意味でもスターウォーズシリーズを時代劇と呼んで、何の間違いもありません。

ステレオタイプな時代劇の焼き直しですが、スターウォーズの舞台でやっちゃうと、なかなか見れてしまいます。 

「映画は光の影」であるから独特のオーラがある、と信じる私にはスマホやテレビで見るネット配信の〝映画〟は、いまだに受け入れ難いのですが、30分程度のスピンオフドラマは、移動時間に見れたりして便利なのも事実です…。 
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弔い酒は銀河鉄道。

「メーテルのヴァイツェン」「車掌さんの黒ビール」「ハーロックのギャラクシーIPA」「クレアのホワイトIPA」。どれも、結構無レベルのおいしさです。

東銀座の「いわて銀河プラザ」で買ってきました。

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松本零士の仕事場があった縁から、大泉学園駅前には2015年にメーテルと哲郎の銅像が立てられたそうです。

構内には車掌さんの像もあり、発車メロディーはゴダイゴの「銀河鉄道999」。

駅前の商店街は「ゆめーてる商店街」。マスコットキャラクターは松本さんが描き下ろしたそうです。


実は、私が結婚したとき住んでたのが練馬区の大泉。今も本籍地はそこなんです。もう何十年も前に引っ越してしまったので、残念なことに大泉学園駅のモニュメントは知りません。

今度、家族で本籍地に〝帰って〟見ようかな。 
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https://mobile.twitter.com/leijisha

美しい絵を描く人でした。

美しい物語を描く人でした。

美しい女性を描く人でした。

宇宙のような四畳半、
四畳半のような宇宙を描く人でした。

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東京は、雨ではなく、未明から雪です。

午後には積雪もあるそうです。

作曲家のバート・バカラックが亡くなりました。

94歳。天寿を全うされました。

ロードムービー大好きな私にとって「明日に向かって撃て」(1969年)の「雨にぬれても」は讃美歌のようなものです。

歌っていたB.Jトーマスも2年前に亡くなりました。

私にとって、彼らはボール・ニューマンとロバート・レッドフォードと同じ、銀幕のレジェンドであり続けていました。

もちろん、これからも。


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大昔に聞いて、ずっと忘れていたことが、ある日偶然に化石を見つけるように、突然蘇ることがあります。

高校時代、国道沿いの寂れまくった名画座に、月に何日か入り浸っていました。

100席もない座席の2割ほどはスプリングが壊れていました。

スプリングがシートカバーを突き出てたり、シートカバーが不自然に沈んでいたりすると「不良品席」だとすぐわかりますが、見た目ではそれとわからない、落とし穴みたいな席があるから厄介でした。

暗闇の中「この席は大丈夫」と思って座ると、中のスプリングが外れてて、ひっくり返るほど体が沈んでしまいビックリする、なんてことが何度かありました。

常連にすごく綺麗なお姉さんがいて、ズッコケた私を見られて、彼女にクスクス笑われたりするのは、なんだか意味もなく嬉しくなったのを覚えています。

いや、十分に意味はありました。

高校では女子とほとんど話すことのなかった私に、ものすごく綺麗なお姉さんが可愛い笑顔を向けてくれるのですから。

ずーーーーーっと後になって知るのですが、学生時代はミス近大だったりする〝そうでしょうね〟な容姿端麗な姉さんでした。

一方で、常連には昼間っから酒臭い謎のオッサンもいて、壊れた座席に気づかず、私がズッコケるのを見られて、思いっきり「お子ちゃまやのう」と笑われるのには、無性に腹が立ちました。

男子高校生は、綺麗なお姉さんにクスクス笑われるのと、酔っ払いのオッサンに笑われるのとでは、全く違う気持ちになるのです。

何度も通ううちに、私の頭の中に座席のハザードマップが完成し、ズッコけることがなくなる頃には、綺麗なお姉さんや酒臭いオッサンら、謎の常連さん達と顔見知りになっていました。

謎の常連さん達…きっと第三者から見ると高校生っぽい(実際、高校生でした)私も昼間っから映画館に入り浸る、謎の人物に見えたに違いありません。

顔見知りになったといっても、自己紹介なんてするわけもなく、まともな会話を交わすこともなく、名前もどこに住んでいるのかも、彼らのことは何一つ知りませんでした。

知っているとしたら、彼らが私よりも、映画にずっと詳しいだろうということだけでした。

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ある日、安全と見極めた座席にドスッと腰を落とすと、その酔っ払いのオッサン(今思うと最初に見かけたときに酒臭かっただけでそのあとはシラフだった気がします、第一印象で決め付けてたのかもしれません)が、後ろの席から「へえー。サル以下のお兄ちゃんやと思ぅとったけど、学習能力あるやんけ。大したもんや」とパチパチ拍手してきました。

無視していると、そのオッサンが隣に座って瓶コーラを渡してくれました。

映画館に行くと、ときどき常連さんが飲み物やポップコーンを奢ってくれていましたが、オッサンもそんな優しい大人の1人でした。

お礼は言ってたと思いますが、そこから話が膨らむことはなく、今なら連絡先を交換したりすぐできていたでしょうが、私は彼らの名前すら1人も知らずに高校を卒業し、しばらくすると国道沿いの名画座は取り壊され、跡地には家電量販店が建ってしまうのでした。

例のオッサンが隣に座ったときは「えー!こんなに空いてるのに他の席で見ろや!」と、心の中で絶叫していました。

その日、上映していたのはハワード・ホークス監督の傑作ギャング映画「スカーフェイス(暗黒街の顔役)」(1932年)。後に、アル・パチーノ主演でもリメイクされる名作です。

入れ替え制ではないので、一旦入場したら最終回まで何度も見れるので、その日もそうしようと決めていました。

オッサンは一回目を見終わった頃合いを見て「何回見てもええ映画やなあ」と話しかけてきました。

確かにいい映画でした。私にとっては初スカーフェイスでしたが、「何回見ても」と口にしたオッサンは、もう何度も見ているのでしょう。

黙っているのも気まずいので「何回目なんですか?」と聞く私の声が聞こえなかったかのように、オッサンは「昔、むかしに丹波にも映画館があったんや。ここに少し似てて、雰囲気ある映画館があったんや」と、問わず語りに話し出すのです。

小さい頃に親戚がいる丹波を訪ねたとき、父親にその映画館に連れられできたことがあったそうです。

その後、オッサンは「軟派な道」に入ってしまい、新しい事務所に〝転勤〟することになり、行ってみると、その丹波の映画館の跡地に建てられたビルだったそうです。

そのとき、自分が無性に情けなくなって、後悔が耐えられないほど膨れ上がってしまい、最後に大仕事を引き受けて〝お勤め〟から帰って「軟派の道」を抜けたそうです。

「ワシがあの映画館を壊してしまったような気分になってもぅてなぁ」。

当時、怖いもの知らずというか、俺なんてどっかで野垂れ死ぬと厭世的になっていた私が「おっちゃん、ヤーさんか?」と、ド直球に聞くと「ちゃうちゃう、ちょっと軟派な道に外れただけや」と、つまらなそうに否定しました。

もう、35年も前の話です。いや、もっと前か。

あれから幾星霜、先日訪れた立命館大学で「ヱビスシネマ」という映画館の広報紙を偶然手にして、それがあの「丹波の映画館」に間違いないと気づくと、高校時代の記憶が一気に呼び覚まされました。

オッサンの言ってた、あの映画館です。

あれから…近隣住民が暴力団追放に立ち上がり、2014年に建物を買い取り、2021年には映画館として復活していたのです。

しかし、2022年に新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出てしまい、営業自粛、経営難に陥ってしまいます。

それでも、クラウドファンディングで資金を集めて、銀幕の光を繋いだという、ちょっとした感動物語が紡がれていたのです。


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そして、なんの、偶然か。ヱビスシネマの記事が日経新聞でも取り上げられていました!

その記事で、暴力団事務所が「山口組傘下の組織」ということもわかりました。

オッサンの「ちゃうちゃう、ちょっと軟派な道に外れただけや」と言う声を思い出し「何がちょっと軟派な道や、バリバリのメジャーリーガーやないか」と、思わず笑ってしまいました。

まあ、とにかく、ヱビスシネマ。行かねばなりません。

あのオッサンは、映画館の復活を絶対に知っているはずです。もしかしたら、会えるかもしれません。

元ミス近大とは再会を果たして、去年のお正月は夜通し映画談義したのでしたが、今年は私が大阪方面にヤボ用があってサスペンドになっていたところでした。

もし、あのオッサンと再会できたらどんなに面白いことでしょうか…しかし、あの頃であのオッサンは何歳だったのだろうと考えると、再会なんてあり得ないかもしれないと思い直すと、少し悲しくなりました。

60歳と言われたら、そんな気もするし、今の私と同じくらいとしても50過ぎ、今では85を超えてることになります。あのとき60歳なら、今95歳…。



あのオッサンと「スカーフェイス」や「ゴッドファーザー」「仁義なき戦い」なんかの話ができていたら、どんなに面白かったことでしょう!

私がますます高校に行かなくなってたことは間違いありません。


どうして、あのとき名前や連絡先を聞かなかったのか…後悔が募ります。

高校を卒業したタイミングで「お世話になりました」と挨拶に行って、遅ればせながらにも程がある自己紹介や連絡先を交換していたら…。

世の中、後悔することばかりです。

今ならすぐ連絡できる関係に繋がることができるのでしょうが…よくよく考えると、あのオッサンのSNSとか見たないな…。それに「軟派な道は抜けた」なんてウソだったかもしれんし。

ああ、でもとにかく無性に会いたくなりました。
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※もしかしたら差別表現になるかもしれない記述がありますが、ご容赦ください。韓国や北朝鮮の在日の方への差別意識は全くなく、一人二人の友人もいますし、むしろリスペクトしています…。

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お隣さんと仲良くしよう。 コメも仏教も、大事なもんはほとんど全部、全部半島から列島にもたらされたんやし。 …高校時代の私を知る、在日の方々からすると「どの口でゆうとんねん!」と、怒りを通り越して呆れ果てられそうです。

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在日コリアンの物語を活写してくれた崔洋一が膀胱癌で亡くなりました。

73歳。

「月はどっちに出ている」も「血と骨」も、どういうわけだかロードショーで見ませんでいた。

在日。韓国も北朝鮮も、知り合いといえば(知り合いと呼べるなら)高校時代の喧嘩相手。

落ちこぼれの引きこもり、そんな私が大学進学、東京に出たいと思ったのは、いろんな理由があります。

高校進学で野球強豪校からの期待していた条件の誘いは全くなく「プロ野球選手になる」という夢が絶対に不可能だと思い知らされ、そんな気持ちで入学した高校の環境に馴染めるわけもなく、ささくれ立っていた何もかもひっくるめた「それまでの自分」を完全にリセットしたい、チョン高の奴らと喧嘩するなんて最低な人生も、人生の記録から抹消したい、そんな思いからでした。

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私にとって、無かったことにしたい思い出が蒸し返される、そんな嫌な予感から崔洋一の作品をロードショーで見るのを敬遠していたのです。

そして、東京に出た私は大きな勘違いをしていました。

新入生のオリエンテーションで「他大学との交流」みたいな〝演目〟があって、慶應やら上智やら青学やらの可愛い女の子と知り合えればいいなあ、とボンヤリ思っていました。

キャンパスだけはあちこちにあって、私学と比べるとどこもだだっ広かったので、他大学の学生がやってくるのですが、私の担当が何の因果か「朝鮮大学」。

私は今も昔も大馬鹿なので、その当時もチョン中、チョン高は関西にはあっても、東京にはほとんどない、ましてやチョン大など存在しない!と思い込んでいたのです。
しかし…。

牽引ビームでデス・スターに引き込まれたミレミアムファルコン号の」気分でした。

私が「ちょっと担当替えてくれませんか?俺、あいつらのネットワークで指名手配されてるから」というと、インストラクターの先輩たちは冗談だと思って爆笑してくれましたが、こっちとしてはそこから逃れるために東京くんだりまで出てきたということも、少しばかりはあるわけです。

もちろん、指名手配はされてるわけもなく、担当は滞りなくこなしました…。



ロードショーは外しても、名画座などで崔洋一の作品は全て見ました。
小心者の逃亡者、そんな私が敬遠したのが、身に沁みてよくわかる迫真の作品ばかりでした。

胸ぐらを掴まれて、次の一瞬、殴られそうな、そんな作品ばかりでした。


さよなら、崔洋一。ありがとうございました、崔洋一。
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