独断と偏見でしかモノを言わなきゃ俺様でも、ときには世界の共通認識を口にすることだってあるのだ。

ボクシングがどんなに落ちぶれても、文学も音楽も映画も演劇も…ボクシングを題材にしたものこそが最高なのである。


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1960年代初め。

世界ウェルター級タイトルは、カリブ海から流れ着いた二人のファイターが争っていました。

エミール・グリフィス
とベニー・キッド・パレットです。

バージン諸島で生まれたグリフィスは、離婚し生活に行き詰まった母親に連れられてニューヨークのハーレムに移り住み、そこでボクシングと出会います。

パレットはキューバのサトウキビ畑で働く低賃金労働者から抜け出し、ニューヨークのリングで戦う強豪ボクサーになっていました。

年も1歳違うだけ、同じような人生を歩んできた二人は、似た者同志でした。

二人に違うことがあるとしたら、グリフィスがゲイであるという秘密を抱え、深く悩んでいたということでした。

チャンピオンだったパレットは1961年4月1日にグリフィスに13ラウンドKO負け、タイトルを奪われたが、9月30日の再戦でスプリットデジションで雪辱、奪還に成功していました。

そして、運命のラバーマッチが1962年3月24日、マディソン・スクエア・ガーデンにセットされます。

グリフィスはゲイであることをパレットに隠語でからかわれ、激昂。

第12ラウンド。グリフィスの猛攻で当時3本だったロープに体を預けたパレットは失神。

ロープの間から上体をはみ出したパレットに、怒りに取り憑かれたグリフィスは17発もの強打を打ち込みます。

パレットは病院に救急搬送されましたが、10日後に亡くなります。




その後、世界ミドル級王者にもなったグリフィスでしたが、何度も引退を考えながら、パレットの死に生涯苦しみ続けます。

ゲイであることに悩んでいたグリフィスは、結婚もしますがすぐに破綻。

そして、70歳を超えたグリフィスはパンチドランカーの症状に悩まされながらも、パレットの子供に許しを乞おうとするのでした…。 


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