※もしかしたら差別表現になるかもしれない記述がありますが、ご容赦ください。韓国や北朝鮮の在日の方への差別意識は全くなく、一人二人の友人もいますし、むしろリスペクトしています…。

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お隣さんと仲良くしよう。 コメも仏教も、大事なもんはほとんど全部、全部半島から列島にもたらされたんやし。 …高校時代の私を知る、在日の方々からすると「どの口でゆうとんねん!」と、怒りを通り越して呆れ果てられそうです。

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在日コリアンの物語を活写してくれた崔洋一が膀胱癌で亡くなりました。

73歳。

「月はどっちに出ている」も「血と骨」も、どういうわけだかロードショーで見ませんでいた。

在日。韓国も北朝鮮も、知り合いといえば(知り合いと呼べるなら)高校時代の喧嘩相手。

落ちこぼれの引きこもり、そんな私が大学進学、東京に出たいと思ったのは、いろんな理由があります。

高校進学で野球強豪校からの期待していた条件の誘いは全くなく「プロ野球選手になる」という夢が絶対に不可能だと思い知らされ、そんな気持ちで入学した高校の環境に馴染めるわけもなく、ささくれ立っていた何もかもひっくるめた「それまでの自分」を完全にリセットしたい、チョン高の奴らと喧嘩するなんて最低な人生も、人生の記録から抹消したい、そんな思いからでした。

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私にとって、無かったことにしたい思い出が蒸し返される、そんな嫌な予感から崔洋一の作品をロードショーで見るのを敬遠していたのです。

そして、東京に出た私は大きな勘違いをしていました。

新入生のオリエンテーションで「他大学との交流」みたいな〝演目〟があって、慶應やら上智やら青学やらの可愛い女の子と知り合えればいいなあ、とボンヤリ思っていました。

キャンパスだけはあちこちにあって、私学と比べるとどこもだだっ広かったので、他大学の学生がやってくるのですが、私の担当が何の因果か「朝鮮大学」。

私は今も昔も大馬鹿なので、その当時もチョン中、チョン高は関西にはあっても、東京にはほとんどない、ましてやチョン大など存在しない!と思い込んでいたのです。
しかし…。

牽引ビームでデス・スターに引き込まれたミレミアムファルコン号の」気分でした。

私が「ちょっと担当替えてくれませんか?俺、あいつらのネットワークで指名手配されてるから」というと、インストラクターの先輩たちは冗談だと思って爆笑してくれましたが、こっちとしてはそこから逃れるために東京くんだりまで出てきたということも、少しばかりはあるわけです。

もちろん、指名手配はされてるわけもなく、担当は滞りなくこなしました…。



ロードショーは外しても、名画座などで崔洋一の作品は全て見ました。
小心者の逃亡者、そんな私が敬遠したのが、身に沁みてよくわかる迫真の作品ばかりでした。

胸ぐらを掴まれて、次の一瞬、殴られそうな、そんな作品ばかりでした。


さよなら、崔洋一。ありがとうございました、崔洋一。