カテゴリ: 採点について考える

ゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレスの再戦は初戦ほどではありませんでしたが、議論を呼ぶ判定になってしまいました。

その根底にはジャブとダメージングブローのどちらを取るかの問題だけでなく「絶対王政を敷いてきたゴロフキンが押し込まれている、ボディを嫌がって距離を取ろうとしている」という衝撃が、カネロ寄りのバイアスとなったのかもしれません。

マイク・タイソンやローマン・ゴンザレスのようなバックペダルを踏まないスタイルのボクサーが後退すると、素人目に悪印象を与えてしまうのは当然ですが、裁くのはプロのはずです。

そんな偏見を排除しても、ボクシングに限らずどんなスポーツであれ、判定競技において万人が納得する日は永遠に訪れることはないでしょう。

当然、近代ボクシング120年の歴史を振り返っても「議論を呼ぶ判定」は数え切れません。
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マニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリーの初戦も、承認団体WBOが誤審を事実上認める「議論を呼ぶ判定」でした。〜カメラマンに扮してブラッドリーとおどけるパッキャオ。

しかし、現行のボクシングの判定は野球のストライク・ボールや、サッカーのファールとは全く異次元の矛盾を孕む危険性があります。

例えば、実力伯仲、全く互角のA とBが12ラウンド戦って善意の三人が判定したとします。

その採点が120-108、114-114、108-120と許容範囲を超えた三者三様のスコアになることが、可能性としてあるのです。

他のスポーツで、ここまで正反対の判定が起こることは考えられません。

その元凶は「各ラウンドは独立した単位で採点される」というルールと、「どんなに拮抗した内容でも10-9に振り分けなければならない」という強迫観念、この二つに集約されます。。

「議論を呼ぶ判定」はどうして生まれるのか。

その防止策、予防策はないのか。

この問題に、日本のボクシング界、ファンは意外なほど無関心です。 

米国ではパッキャオvsブラッドリーを、終始攻勢に見えたフィリピン人の敗北と採点したC・J・ロスは、多くのメディアから名指しで批判を受け続けました。

そしてフロイド・メイウェザーvsカネロ・アルバレスをドローとした2013年以来、リングサイドでスコアリングすることはなく、ジャッジ生命を事実上絶たれました。

昨年のGGGとカネロの初戦を、118−110とありえない採点をしたアダレイド・バード。

彼女はその後もジャッジを続けていますが、大きな試合は任されていません。

しかし、年末に来日して井上尚弥vsヨアン・ボアイヨ、木村翔vs五十嵐俊幸の世界タイトルマッチを採点しました。

幸いにも、モンスターとチャイニーズ・ドリーマーは判定不要のKO勝ちを収めましたが、〝幻覚を見るジャッジ〟と卑下されるようなバードを派遣されても、何も言わないのが日本です。

もしかしたら、米国から舐められているのかもしれませんね、この国のボクシング界は。

大前提としてロスやバードのような資質の低いジャッジは資格停止にするような免許更新システムと、MLBのような厳格な教育研修制度を確立出来たと仮定して、この問題について考えてみたいと思います。
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ありえない判定です。

118−110でカネロ???
GGGは2ラウンドしか取れなかったということになります。アダレイド・バードは、目医者に急行すべきです。重症です。

114−114でドロー???
誰が見ても互角の内容じゃないでしょう。ドン・テレラは、明らかに別の試合の採点をしていましたね。

115−113???どう見たら、この試合が2点差の接戦ですか?それでも、デイブ・モレッティが付けた、このスコアが最も現実に近い数字というのに驚きます。

それにしても、どのラウンドをどう拾えば、こんなスコアを付けられるのでしょうか。ボクシング界は、腐りきっています。

思い切り、カネロ寄りに採点しても116−112でGGGです(ESPNはこのスコアでした)。

BOXING NEWS 24は、117−111でGGGの完勝、これが実際のリングで起きたことを正確に表した数字です。



GGG「ドラマチックなショウを見せたかったけど、カネロはそれを望んでいなかった。もちろん、再戦したい。私は、いつだって打撃戦を望んでいる、メキシカンファイトがしたいんだ」。

カネロ一色の観客席から、明らかな不当判定にも不満を露わにしなかったカザフスタン人に、賞賛の拍手が送られます。

カネロ「少なくとも7〜8ラウンドは取っていたはずだ。私は、十分に勝利に値する戦いをしたはずなのに。こんな判定は信じられない。再戦条項を行使する。再戦でも、どうなっても私が勝つに決まってる」。

試合終了まで一貫してカネロに大声援を送っていた大観衆が一転、怒りの大ブーイングを浴びせます。

カネロ勝利を予想していたテディ・アトラスも「この判定は、ボクシングに対する冒涜。買収でもされたか?」と非難、「117−111でGGGの勝利だ。ここから1点の誤差はあっても、カネロの118−110なんて採点はありえない」と、カザフスタン人が判定を盗まれたと憤っています。

ポール・マリナッジも「非常に政治的な判定だった。カネロはcash cow(金のなる木)で、GGGはそうじゃない。不公平な話だが、カネロが負けないことで得する人が沢山いるということが、この判定につながった」と、明らかに邪悪な意図が働いた結果と糾弾しました。

「判定までいけばカネロの勝ち」。

カネロのこれまでの対戦相手同様、GGG陣営もジャッジを牽制してきましたが、何の効果もありませんでした。

エリスランディ・ララ戦はもちろん、フロイド・メイウェザー戦でも、呆れ果てるスコアが付けられましたが、今回はさらに酷い、本当に酷い、です。

不当判定が、カネロに流れる、それもあからさまに。

何とも後味の悪い結果です。

もちろん、カネロ自身には何の責任もありません。

「勝ってた」という厚かましいコメントは余計でしたが、ブーイングの嵐は、可哀想です。

怒りの矛先は、バードとテレラにこそ向けるべきです。そして、何よりも、彼らが忖度したであろう、ボクシング界の闇に対して。

こんなジャッジが許されるなら、カネロvsメイウェザー戦もカネロの圧勝です。

試合自体は、見ごたえのある技術戦でした。両者を分けたのは、GGGの鉄のアゴです(現実の試合はGGGが支配していました)。

すでに言い尽くされているように、GGGの防御は緩いです。「試合を面白くするために打たせる」というのは虚勢です。しかし、あの打たれ強さは亀海喜寛以上です。

そして、これで両者が再戦する可能性が大きくなってしまいました。ミドル級統一戦線は、まさかの膠着です。



気を取り直して…さあ、今度は10月22日。村田諒太の出番です!

アッサン・エンダムに勝てば、次戦で今日の勝者との激突もありえる、と期待していましたが、今日は勝者がいませんでした(真実はGGGの完勝でしたが)。

GGGの4つのアルファベットタイトル(WBAスーパー/WBC/IBF/IBO)、カネロのリング誌、王座はいずれも動きませんでした。

まさかの引き分けで、最短距離でのミドル級統一は難しくなりましたが、とりあえずは目の前のWBAレギュラー王座を、確実に、圧倒的に奪取しましょう。

不撓不屈のカメルーンのライオンを狩って、世界最高の舞台へ上がるチケットを手に入れましょう。

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「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶に進みます。

★「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」★

まず、ボクシングのジャッジは、信じられないほどレベルが低い人でものうのうと仕事に就き続けているのが問題です。

MLBやNFLの審判はその能力の検査や、判定基準の確認などのために厳格な試験やトレーニングを毎年受けていますが、ボクシングのジャッジにはこういう内部監査が一切ありません。

運転免許の更新のようなことすらしていないのですから、視力や視野が大きく落ちても、認知症が進行しても、ボクシングの世界ではジャッジの席に座れるのです。こんな馬鹿げた話がありますか?

そもそも、アルファベットの承認団体こそが内部監査などありえない、旧態依然に既得権益に固執する唾棄すべき団体です。全ての団体で幹部の選出は密室で行われ、WBAとWBCに至っては会長職は〝完全世襲制〟です。

今回の村田vsエンダムの一件で、WBAのヒルベルト・メンドサ会長が謝罪声明を出し、ジャッジ二人を資格停止処分しましたが、そんなに責任感じてるならまず己が会長の座を退け、ってことです。不祥事を起こした団体の責任者のくせに、他人事なんです。日本ではなぜか(帝拳のおかげでしょうか?)、好意的に見られるWBCも本当に劣悪で卑怯な団体です。

承認団体がいくつもあって、王者が乱立するのは、もう今更どうしようもありませんし、WBCやWBAにどこかの国みたいな世襲制はやめてもっと運営を透明化しろ、と言っても無駄ですが、採点方法についてはその徹底と、何よりジャッジの教育が必要です。

そして、よく悪く言われる10ポイントマストシステムが、多くのファンに誤解されています。そして、無能なジャッジがこのシステムに縛られて、おかしなジャッジを犯してしまうのです。

【COMMON-SENCE SCORING(常識的な判定を!)ジャッジは10−9に縛られてはいけない〜元ジャッジで、HBOのコメンテーターを務めるハロルド・レダーマンは「どうしても判定不能だと思えば、そのラウンドは10−10に付けなければならない」と進言しています。】

どんなスポーツでも引き分けがあります(延長戦を行うMLBのような例もありますが、それでも引き分けの概念はあります)。ボクシングでも引き分けがあるのに、どうして独立した試合として見るべき各ラウンドだけ10-10=ドローが滅多にないのでしょうか?
白黒ハッキリつけなくてはならないルールだとファンが誤解し、一部の無能なジャッジがサイコロを転がすように10−9と無理やり振り分けるのは「10−10を付けると、判定能力が無いとみなされてしまう」という脅迫観念からです。

繰り返しになりますが、判定基準の優先順位は①EFFECTIVE AGGRESSION(攻勢/有効打)、②RING GENERATIONSHIP(主導権/相手を動かしているのはどっちだ)、③ AGGRESSION(勇気を持って前進しているのか/恐れて下がっているのか)、です。4番目の要素にdefenseがあげられることもありますが、怒涛の猛攻撃を受けても完璧な防御で一発のクリーンヒットも許さなかったとしても、パンチを出さなければポイントには結びつきません。

この採点基準でも判断できない時も、当然あります。その時は10−10を付けるべきなのです。10−10は判定を放棄した結果でもなく、そのジャッジの無能さを表すスコアでもありません。

10ポイントマストシステムが、あたかも10−9システムと誤解され、一部(多数?)のジャッジは「10−10を付けたら無能だと思われるから、心の中のサイコロを転がす」なんて異常な状況がまかり通っているのです。

こんな誤解や、ジャッジが脅迫観念に縛られるきっかけになったのは、またもやシュガー・レナード絡みです。キャッチウエイトにランキングの操作(WBCがレナードに忖度した結果ですが、主犯はレナードですね)、悪弊のほとんどがこの人を起源としています。ある意味、凄い人です。

1980年のレナードvsロベルト・デュラン第1戦。いつ見ても、ぞくぞくする名勝負です。今のビッグファイトは「負けたくない」という気持ちが先走りして塩分過多のつまらない展開になってしまいがちですが、この時の二人は「勝ちたい」、その一心で15ラウンドもの間、拳を振るい続けたのです。

野球やサッカー、テニスのプロは、目を見張る高等技術を売れば、それでお仕事完了です。しかし、プロボクサーは高等技術だけを並べても、誰もチケットを買ってくれません。ファンがプロボクサーから買いたいのは、高等技術よりも勇気、なんです。

ヒスパニックでも米国人でもないマニー・パッキャオがどうして、スターダムの頂点に駆け上がることができたのか?神の配剤としか思えない、ライバルたちに恵まれたから、それだけではありません。リングの上で、これ以上ない上質な勇気を見せたからです。

ギレルモ・リゴンドーが全く売れないのは、キューバ人だからじゃありません。彼は高等技術の百貨店です。しかし、彼の売り場の何処を探しても、ファンが一番求めている勇気が見つからないからです。

話が逸れてしまいました。

レナードvsデュランは、ニューヨーク・タイムズが144−142でレナードにつけるなどレナード支持も一部ではありましたが、3−0でパナマの英雄が勝利したとする公式判定で多くの人は納得したはずです。


【レナードvsデュラン、歴史に残る名勝負です。そして、この試合の判定の影響で、のちのジャッジが「10−10」と付けることを憚ってしまう一因になったとも言われています。今回ばかりはレナード本人の責任ではないのですが、ボクシング界の悪弊を辿ると、だいたいがこの御仁に行き着きます。】

この試合でジャッジの一人、アンジェロ・ポレッティは148−147でデュランを支持しました。

148−147。そうです、当時15ラウンド制ですから、10−9に振り分けたラウンドはわずか5つ。残りの10のラウンド全てを10−10、イーブンと判定したのです。ちなみに、144−142と採点したニューヨーク・タイムスも1つのラウンドを「10−10」と判定しています。

この試合の判定は、比較的すんなり世界が受け入れたにもかかわらず、イーブンを10度もつけたポレッティに「判定を投げ出した」「ジャッジの意味がない」という批判も浴びせられました。

私は、あの試合を最も的確に再現したのはポレッティのスコアカードだと思います。それでも、この一件が「振り分けないと何言われるかわからない」と、のちのジャッジに思わせたことは容易に想像できますね。

また、ネバダ州で長年ジャッジを務めているデュアン・フォードは「10−8」のつけ方にも疑問を呈しています。「最近のジャッジはダウンがなければ10−8を付けない場合が多い」。ダウンがなくても、終始相手を圧倒していたら10−8を付けるべきなんですね。

さらに、フォードは「2分55秒まで明らかにラウンドを支配していたボクサーが、終了間際にスリップしたのを主審が『ダウン』と判定した時、暗愚なジャッジは10−8を付けてしまう。この場合は10−9か10−10にすべきで、ラウンドの大半を占める2分55秒を切り捨てるようなことは絶対にしてはいけない」と、能力のないジャッジが多いことを嘆いています。

ジャッジは、主審から独立して判定すべきなのです。主審に従わなければいけないのは、ローブローなどで減点が宣告された時だけです。スリップを主審が「ダウン」と誤審したとみたら、その「ダウン」は無視して構わないのです。

最後に、素晴らしいジャッジの例を。

2013年のWBOウェルター級タイトルマッチ、ティモシー・ブラッドリー対ルスラン・プロボドニコフの第1ラウンドです。

【ブラッドリーも、よくよく判定で揉める選手です。肉体美と反比例してパンチが弱く、しかも勇気もないから後ろがかりの重心で軽打の回転力だけで戦うのですから仕方ありませんが。】

第1ラウンド、ブラッドリーは明らかにロシア人のパンチを受けてダウンしたのに、主審は、その瞬間を見逃したのでしょう、シレッと「スリップ」と判定しました。しかし、その瞬間をしっかり見ていた3人のジャッジは、公式にはダウンがなかったこのラウンドを10−8で勇敢なロシア人に与えたのです。

ちなみに、この主審、今年69歳になるパット・ラッセルは、1月の三浦隆司vsミゲール・ローマン戦でもジャッジの一人としてリングサイドに座っているんです。ものすごく心配でしたが、さすがに火を噴くようなボンバーレフトはラッセル爺さんでも視認できました。

何れにしても、ボクシング界は魑魅魍魎、ロクでもない世界なのです。

とにかく、ジャッジ、もちろん主審も、少なくとも年に1回は定期検診して、不適格なら職を解くべきです。

早く実施しないと、村田vsエンダムが、またどこかで繰り返されるだけです。

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★「どこに眼ェつけとんねん!」★の続きです。

ここからは、世界中のあらゆるジャッジ、一人の例外もなく、全員に当てはまることです。

ジャッジ席に近いリングサイドに座ったことがある人なら誰もが感じたことがあるでしょうが、あの場所は試合を正確に判定するには非常にふさわしくない場所です。障害物が多すぎるのです。リングを照らすライトも目に入りやすいのです。

有名なレフェリー、ジョー・コルテスが、「昨年、国際殿堂入りすることが出来た。このスポーツのおかげで今の私が作られた。これからは恩返しをしたい」と、リング誌2012年11月号で興味深い提言をしています。

「Elevate the judges」。ジャッジを高く上げろ。つまり、テニスのチェアアンパイアのように、高椅子に座ってジャッジするというアイデアです。


【「A NEW PERSPECTIVE」〜WBOが再検証まで行い「パッキャオが勝っていた」(公式判定は覆りません)と声明まで出した「世紀の誤審」をはじめ、不可解な判定が後を絶たない現状に、コルテスが私案を提言しました。〜リング誌2012年11月号より】

自身もジャッジの経験があるコルテスは「ジャッジ席の目の前にはロープや、レフェリー、そして相手のボクサー、視界を遮る障害物がいくつもある。ライトもとにかく目に入ってパンチの交換が見えないこともしょっちゅうだった」と言います。

そこで、コルテスは自宅の庭にリングを設営、どの場所がベストか検証を重ねて「高椅子」を思いつきました。

彼は自宅に8人のアマチュアのジャッジを招き、従来のポジションと、高椅子で、同じ仮想試合4ラウンドを判定する実験を行いました。

同じ試合で、見えなかったパンチの数をカウントさせます。ラウンド順に、従来のポジションでは17、7、16、13のパンチが視認できませんでした。

一方、高椅子の視界から見えなかったパンチは1、2、1、1と、劇的に減りました。

どちらのポジションがジャッジするのにふさわしいか、もはや議論すべきレベルですらありません。高椅子に座ったジャッジも「昼と夜ほど違う」「見ていないものを判定する今の状態が続くのは、やはり悪徳だ」と、全員が高椅子の優位性が圧倒的であることを証言しました。

テニスの主審が高椅子を降りてジャッジを下すと、どれほど誤審が増えるか見当もつきません。ライフガードが砂浜に座って監視しているような海には、誰も遊泳に行かないでしょう。

ここまでが、コルテスの私案です。

しかし、この高椅子案には、特にプロボクシングの世界では看過できない問題があります。


【従来のジャッジ席と、高椅子の俯瞰では、同じシーンでもここまで見え方が違うのです。】

プロボクシングは観客が神様です。リングサイド席の高額チケットを買った観客の視界が、大きく高い椅子と、その上に座るジャッジの体で遮られるとしたら?

高椅子を透明なアクリルで作製しても、純粋に透明になるわけもなく、そもそもジャッジまで透明にすることは出来ません。そんな、障害物が3本もリングサイドにそびえるのです。

テレビカメラのレンズにとっても高椅子は、大きな障害物です。決定的なシーンが高椅子やジャッジの姿に隠されてしまうとしたら?

この案だと、正しいジャッジを最優先して、視線に障害物ができてしまう観客には我慢してもらうことになります。今のシステムなら壮絶なKOシーンは、いろんな角度から見て楽しめますが、コルテス案を導入してしまうと相当なカメラアングルが死んでしまいます。

パッキャオ対ハットンのノックアウトシーンが、高椅子に遮られてカメラに収まっていなかったとしたら?

公正なジャッジ、プロボクシングの大前提、この二つを両立させるにはビデオ判定でジャッジすることが最も現実的です。しかし、このシステムではいろんな角度やスローで確認しながらになるため、判定を下すのに時間がかかってしまい、1ラウンドの判定が揃った時には試合は4ラウンドまで進んでいるなんてことが当たり前になってしまいます。

…人工知能の発展を待つしかないのかもしれません。

そして、「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶が、「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」です。具体的に言うと、どんなに優秀なジャッジでも現行のシステムでは〝誤審〟してしまう可能性があるのです。

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あの日から一週間が経とうとしています。

日本人が世界のメガファイトのリングに上がる。

村田諒太がロンドン五輪のミドル級で金メダルを獲るまでは、タチの悪い白昼夢のような話が電通とフジテレビまで巻き込んで、まさかの現実へとひた走っています。

カメルーンの不屈のライオン、アッサン・エンダムに敗れた判定が世界的な議論(ほとんど全てが「誤審」という批判ですが)を呼び、ロンドン五輪後、プロ転向してからは世界のトップ戦線で話題になるような相手とは戦ってこなかった村田に改めてスポットライトが当てられています。

村田が「アメリカの大物プロモーター、ルー・ディベラも試合を見てくれていたみたいです」と喜ぶように、米国のメディアや専門家も村田を改めて評価しています。これまでは「五輪の金メダリストだから、プロでも世界基準の実力があるのは間違いない」と評価される一方で、「最強王者ゴロフキンの対抗馬ではないし、ミドル級のトップレベルかというと疑問」と見られていました。

しかし、今回の大騒動で「ピーター・クイリンやデビッド・レミューでも持て余したあの難攻不落のエンダムを圧倒したって本当なのか?」と注目が高まっています。もし、すんなり判定勝ちしていたら、ネットでしか見れなかったあの試合を、わざわざYouTubeなどで検索して確かめようとするファンはそれほどいなかったでしょう。

米国のニュースサイトの読者コメントを拾うだけでも「プロでも戦っていたのか。だったら強いのはわかっている。見たいけど見れない。そんな不当判定だったのか?」「米国人だったら、ミドル級金メダリストはとんでもないスポーツセレブ。あんな判定に泣かすことは絶対にしないのに」「右の威力とガードの固さは、間違いなくミドル級No.1」「あの右は階級最強。(メキシコ系としては)正面衝突を好むカネロとはやらせたくない…」。。。

そうです。希望という名の重い、重い荷物を積んだ、私たちの夢列車はその速度を落とすどころか加速しているのです。

しかし、だからと言って、あの不当判定を見過ごしていいわけがありません。あの夜の〝被害者〟が村田諒太だったから、爽やかな風のような、ありえないハッピーエンドになっていますが、醜悪な遺恨を残していても全く不思議ではない理解に苦しむ判定でした。

ただ、あの試合だけに限らず、ボクシングの判定には、いくつもの重大な欠陥を抱えたまま、なし崩し状態が続いています。

重大な問題を集約すると「どこに眼ェつけとんねん!」と「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」という2点に尽きます。

★「どこに眼ェつけとんねん!」★
これには、いろんな意味があります。すでに議論が始まっていますが、ジャッジには運転免許のように更新の検査が絶対必要です。今回の二人のジャッジは6ヶ月間の資格停止処分を受けましたが、これで一件落着なわけがありません。こんなジャッジはいくらでもいます。〝事故〟が起きてから処分するなんてこんな泥縄な話はありません。


【2013年のメイウェザー対カネロで114−114とイーブンをつけたC・J・ロスは、前年のパッキャオ対ブラッドリーでも「ブラッドリーの勝ち」と判定、世紀の誤審の当事者だったにもかかわらず、のうのうと翌年のメガファイトでも判定席に着きました。この女性が悪意を持って誤審したとは考えたくありませんが、正しい判定を下す能力が欠落していたことは疑いようもありません。=リング誌2013年12月号「あの試合が114−114?ロス女史は一刻も早く眼医者に行くべきだ、重篤な病だ」。】

公正な判断能力が欠落したジャッジは、検査によって排除しなければなりません。当たり前です。

ジャッジの基準は明白です。今回の件で「海外ではダメージを与えるパンチよりも手数が評価される」という明らかに誤ったことが、ほんの一部で垂れ流されていますが、これは汚物のような嘘です。

だから、世界中が「村田が勝っていた」と判定しているのです。

スコアの基準は明白です。大きな基準は3つです。

①EFFECTIVE AGGRESSION
直訳すると「効果的な攻勢」です。これが最も大切な要素です。もちろん、WOWOWでも毎試合冒頭でアナウンスされているように、有効打のない「単なる突進」は、効果的な攻勢とは認められません。

エンダム戦の村田の前進は、明らかに「単なる突進」ではなく、まさしく「効果的な」プレッシャーをかけていたことに異論がある人はいるのでしょうか?

②RING GENERATIONSHIP
2番目に大切な評価基準が、リング・ジェネレーションシップ。これが最も誤解されると言われています。これは、どちらに振っていいかわからないような接近したラウンドで、決め手となるものです。有効打も手数も拮抗している中で、どちらが相手を動かしていたか、コントロールしていたか、ということです。

これも、エンダム戦での村田が明白に取っていたものです。エンダムは村田のプレッシャーで交代していたのは、誰にでも分かることです。下がりながらも、効果的なカウンターで村田の動きを止める、つまり村田をわざと前に出させていたのなら、それはエンダムのリング・ジェネレーションシップが勝っていたということになりますが。

もちろん1、2ラウンドの村田は手数が異様に少なく、エンダムに「効果的なプレッシャー」がかかっているのかどうかは、誰にもわかりませんから(わかっていたのは村田とエンダムの二人だけですね)、手数でエンダムにポイントをつける以外にはありません。

この要素の天才がフロイド・メイウェザーです。彼の場合は、誰が見ても、相手に動かされているのではなく、相手を動かしているのです。キャリア後半は、下手くそなジャッジなら誤審してしまうこの要素を最大の武器にして無敗を保ったメイウェザーの技術は、背筋がゾッとするほどです。カネロ戦やマルコス・マイダナ戦などは結果的に判定が割れてしまう危険を孕んでいたとはいえ、あのショルダーロールは間違いなく相手を動かしていました。

③ AGGRESSION
これは「単なる突進」です。最後の最後の要素です。①②のどちらの要素でも、判断尽き兼ねる場合は、どちらが危険を恐れず前に出て、どちらが危険を恐れて後退していたか。ただし、これはあくまで、最後の要素です。「単なる突進」を評価したくはありませんが、どう見渡しても、それしか材料が無いというラウンドだけに、これが適用されます。

これも、エンダム戦の村田は明らかですね。村田がエンダムを追い込むシーンは何度もあっても、その逆は一度もありませんでしたね。

先週の試合で、誰が見ても村田が取ったラウンドは4、6、7の3つです。エンダムはあと2回はダウンを追加されていてもおかしくなかったのに、ロープとレフェリーに救われた、という声も多いですが、それは置いておいて。

エンダムが残りの9ラウンド、全てを取れば、9−3でエンダム。ただ、4ラウンドはダウンがあるので9−4でエンダムです。しかし、ボクシングの3つの採点基準に照らしわせたら、その9ラウンドも、エンダムはダメージで膝を揺らしながら後退するばかりで、上回っていたという手数ですら、ただの一度も村田をぐらつかせることが出来なかった弱々しいジャブがほとんどでした。

今回の二人のジャッジが、まともな判定眼を持っていなかったことは明白です。そして、それが許されているのが、狂ったボクシング界なのです。

しかし、「どこに眼ェつけとんねん!」は、今回の特定のジャッジだけに向けた意味ではありません。もう一つの問題があります。

その「どこに眼ェつけとんねん!」は、世界中のあらゆるジャッジ、一人の例外もなく、全員に当てはまることです。それだけに、問題は大きく、深刻です。

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週明けの月曜日に健康診断があるので、村田勝利の喜びを噛みしめて、おとなしく有明コロシアムから家路に着こうと思っていました。まさか、やけ酒の末にタクシーで帰宅する羽目になるとは。

この試合には、ゴングが鳴ったその瞬間から驚かされました。元より、私の席から両者の表情など読み取れません。家に帰ってからじっくりビデをを見ようと録画して来ました。

なんということでしょう。1ラウンドも1分30秒も経過したというのに、村田諒太は一発のパンチも出しません。アッサン・エンダムは不必要なほど大きな距離を取って下がりながら軽打で村田のガードを叩きますが、金メダリストの前進を止めることができません。

「拳を交えたらその瞬間に相手が強いかどうかがわかる」。よく言われることですが、今夜のエンダムは一発のパンチも受けていないのに、村田のプレッシャーの厳しさ、右の大砲の照準を探って最短距離で空間を潰してくる金メダリストが、途轍もなく危険な相手だということを瞬時に察知したのでしょう。


【夏日となったこの日。夜の有明コロシアムには、昼間の熱気がそのまま持ち込まれました。】

大観衆にもそれは伝わっていました。「村田のプレッシャーがかかっている」。

2ラウンドに入って、村田は手数を増やしますが、下がるエンダムの手数が上回ります。ポイントは2ラウンドまでは間違いなくエンダムですが、村田に手数が出ないのは距離を潰しながらタイミングを測っているからです。エンダムのジャブを村田はブロック、ブロックを割るパンチもおでこで上手く受けていました。

驚きました。少なくとも序盤は、エンダムが村田のプレッシャーをいなして、ボクシング出来ると予想していたからです。

とんでもない。開始直後からエンダムは、思い通りに動けません。「プレッシャーがかかっている状態」というのは、わかりにくいことが多いのですが、パンフレットを広げるとリングが隠れるくらいに離れた席からでも、どっちが攻めていて、どっちが逃げているのか、はっきりわかりました。

友人や周りの観客も「3ラウンド取った!」と声をあげましたが、私は3つとも取られててもおかしくないと見ました。ただ、こういう表現はおかしいのですが「ポイントの取られ方が良い、非常に良い」、そう感じていました。3ポイントをあげる代わりに、右の大砲の照準がキリキリとセットされていることは、ほとんどの観客がわかっていたでしょう。

この試合は、村田のKOか大差判定で終わる。

3ラウンドが終わって、全部ポイントが取られているかもしれないのに、そう確信したのは私だけではないでしょう。村田のプレッシャーの網にエンダムは完全に絡みとられてしまっている。

4ラウンド。「村田が笑ってる」。前の席から声が伝わってきます。

そうでしょうね、ここから見てても完全にペースを掌握してるんだから、やってる本人の手応えは相当なものでしょう。

その瞬間は見えませんでした。耳をつんざく大歓声。エンダムの倒れ方、立った後も膝が揺れている姿から「わ、こんなに早く終わるのか」、そう思ったほどです。最悪3ポイント許したリードは、このダウンで1ポイント差に縮まりました。

5ラウンド以降は、もっと村田が優勢に出るだろうし、エンダムのダウンもこの1回じゃ済まない、そうとしか思えませんでした。しかし、5ラウンドからの8つの3分間ではその瞬間は訪れませんでした。そういう意味では、判定までもつれたのは不吉な感じはしましたが…。

とにかく、5ラウンドは村田が取ったと見ました。ここでポイントで追いつき、最悪でもイーブンです。

そして、村田が有効打を重ねた6〜7の2つのラウンドは誰が見ても取りました。この時点で、最悪でも2ポイントリード。

8ラウンドから残る5つの3分間は、村田のプレッシャーにエンダムがトドメを刺されてたまるかと左ジャブで逃げる展開。この5ラウンドが、ここが、あの忌まわしきタッチボクシングの都ラスベガスだとしても全部エンダムが持って行くことはありえないはずです。

しかし、あろうことか二人のジャッジは、8ラウンドからの最終回までフルマークでエンダムに与えているのです。

【「ジャッジ、ヒューバート・アール、115対112…」3人目のコールが聞こえた時、悪夢か?としか思えませんでした。まさに悪い夢です、夢なら良かったのですが。ありえないです。スコアカードで3者ともに一致したラウンドは6ラウンド、割れるわけがないダウンしたラウンドを除くと5ラウンド。残る7ラウンドは判定競技の宿命、ジャッジの主観に委ねられてしまうのですが…それにしてもこんな判定、到底納得出来ません。】

2012年のパッキャオvsブラッドリーの第1戦など、明らかな不当判定は必ずと言っていいほど「逃げるが勝ち」です。

殴り合いを挑んでプレッシャーをかけるよりも、ダメージを与えることのできない弱いパンチを出しながら逃げる選手が評価されるとしたら、これは、もはや格闘技ではないですね。選手の安全が最優先されるというなら、その採点基準を明白にすべきです。プレッシャーをかけて一発のダメージングブローを打ち込むよりも、腰砕けで逃げながらペチぺチ放つ2、3度のタッチがポイントになるというなら、これはボクシングではない、鬼ごっこです。

ボクシングとは、相手に何回タッチできるかを競う競技なんでしょうか?それなら、今すぐ競技名を変えるべきですね。

WBAに抗議文を出すほどの内容だったと思います。

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