ゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレスの再戦は初戦ほどではありませんでしたが、議論を呼ぶ判定になってしまいました。

その根底にはジャブとダメージングブローのどちらを取るかの問題だけでなく「絶対王政を敷いてきたゴロフキンが押し込まれている、ボディを嫌がって距離を取ろうとしている」という衝撃が、カネロ寄りのバイアスとなったのかもしれません。

マイク・タイソンやローマン・ゴンザレスのようなバックペダルを踏まないスタイルのボクサーが後退すると、素人目に悪印象を与えてしまうのは当然ですが、裁くのはプロのはずです。

そんな偏見を排除しても、ボクシングに限らずどんなスポーツであれ、判定競技において万人が納得する日は永遠に訪れることはないでしょう。

当然、近代ボクシング120年の歴史を振り返っても「議論を呼ぶ判定」は数え切れません。
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マニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリーの初戦も、承認団体WBOが誤審を事実上認める「議論を呼ぶ判定」でした。〜カメラマンに扮してブラッドリーとおどけるパッキャオ。

しかし、現行のボクシングの判定は野球のストライク・ボールや、サッカーのファールとは全く異次元の矛盾を孕む危険性があります。

例えば、実力伯仲、全く互角のA とBが12ラウンド戦って善意の三人が判定したとします。

その採点が120-108、114-114、108-120と許容範囲を超えた三者三様のスコアになることが、可能性としてあるのです。

他のスポーツで、ここまで正反対の判定が起こることは考えられません。

その元凶は「各ラウンドは独立した単位で採点される」というルールと、「どんなに拮抗した内容でも10-9に振り分けなければならない」という強迫観念、この二つに集約されます。。

「議論を呼ぶ判定」はどうして生まれるのか。

その防止策、予防策はないのか。

この問題に、日本のボクシング界、ファンは意外なほど無関心です。 

米国ではパッキャオvsブラッドリーを、終始攻勢に見えたフィリピン人の敗北と採点したC・J・ロスは、多くのメディアから名指しで批判を受け続けました。

そしてフロイド・メイウェザーvsカネロ・アルバレスをドローとした2013年以来、リングサイドでスコアリングすることはなく、ジャッジ生命を事実上絶たれました。

昨年のGGGとカネロの初戦を、118−110とありえない採点をしたアダレイド・バード。

彼女はその後もジャッジを続けていますが、大きな試合は任されていません。

しかし、年末に来日して井上尚弥vsヨアン・ボアイヨ、木村翔vs五十嵐俊幸の世界タイトルマッチを採点しました。

幸いにも、モンスターとチャイニーズ・ドリーマーは判定不要のKO勝ちを収めましたが、〝幻覚を見るジャッジ〟と卑下されるようなバードを派遣されても、何も言わないのが日本です。

もしかしたら、米国から舐められているのかもしれませんね、この国のボクシング界は。

大前提としてロスやバードのような資質の低いジャッジは資格停止にするような免許更新システムと、MLBのような厳格な教育研修制度を確立出来たと仮定して、この問題について考えてみたいと思います。